そして、ペテロとゼベダイの子二人を一緒に連れて行かれたが、
イエスは悲しみもだえ始められた。
そのとき、イエスは彼らに言われた。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。
ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。」
(マタイ26:37~38)
それは今から2000年前のこの時期でした。
ゲッセマネに到着された時、
主イエスは耐えがたいほどの悲しみに包まれていました。
普通の人間が自分の最期を悟った時は、
死の恐怖、別れの辛さ、孤独、絶望などが入り混じるものです。
正直な思いを吐露されています。
悲しみもだえておられます。
主イエスの死には
すべての人類の罪の身代わりという過酷さと
全人類の罪の罰を受けるという想像を絶した苦難が待っています。
私たちには主イエスの悲しみは想像できませんが、
生の人間として悲しみに圧倒されていた事は事実です。
十二弟子がそばにいるだけで励ましになりました。
悲しみのあまり死ぬほどという主イエスの姿に
私たちは驚きと同時に慰めを覚えます。
今週は受難週です。
主イエスの十字架と苦しみを心に留めましょう。
今週は受難週です。
主イエスの十字架と苦しみを心に留めましょう。