2024/03/28

悲しみのあまり

そして、ペテロとゼベダイの子二人を一緒に連れて行かれたが、
イエスは悲しみもだえ始められた。
そのとき、イエスは彼らに言われた。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。
ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。」
(マタイ26:37~38)

それは今から2000年前のこの時期でした。
ゲッセマネに到着された時、
主イエスは耐えがたいほどの悲しみに包まれていました。

普通の人間が自分の最期を悟った時は、
死の恐怖、別れの辛さ、孤独、絶望などが入り混じるものです。

イエスさまは悲しみのあまり死ぬほどだと言われました。
正直な思いを吐露されています。
悲しみもだえておられます。

主イエスの死には
すべての人類の罪の身代わりという過酷さと
全人類の罪の罰を受けるという想像を絶した苦難が待っています。

私たちには主イエスの悲しみは想像できませんが、
生の人間として悲しみに圧倒されていた事は事実です。
十二弟子がそばにいるだけで励ましになりました。

悲しみのあまり死ぬほどという主イエスの姿に
私たちは驚きと同時に慰めを覚えます。

今週は受難週です。
主イエスの十字架と苦しみを心に留めましょう。

2024/03/27

あなたの罪は赦されたのです

「しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、
あなたがたが知るために。」
そう言って、それから中風の人に
「起きて寝床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。
すると彼は起き上がり、家に帰った。
(マタイ9:6~7)

ずばり言います。
あなたの罪は赦されました。

どうしてそう言えるのでしょう?
主イエスの言葉と奇跡の関係性に注目して下さい。

脳出血の後遺症で寝たきりの人が
主イエスの前に横たわっていました。
主イエスはその男の人を癒すに当たり、
罪を赦す権威を持つ証拠として
奇跡を行うとあらかじめ明言されたのです。

律法学者という反対者の目の前で、
主イエスは男性を癒し、立たせました。

主イエスを信じたあなたの罪は
赦されたのです。

2024/03/26

律法と預言者と詩編

そしてイエスは言われた。
「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、
あなたがたに話したことばはこうです。
わたしについて、
モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、
すべて成就しなければなりません。」
(ルカ24:44)

主イエスが旧約聖書を何度も
十二弟子に教えてこられた事がわかります。
その目的は以下にあったのです。

旧約聖書の預言は
主イエスの生涯において成就する。

旧約聖書の全39巻を分類すると
モーセの律法、預言書、詩編になります。
そのすべてにおいて、救い主がどんな方か、
何をされるのかを預言していました。

十字架に示された主イエスの愛、
奇跡と復活で明らかになった偉大な神の力、
そして、聖書全体の預言の成就としての生涯。
これらすべてが主イエスを信じる土台なのです。

主イエスが苦しまれること、
裏切られること、死ぬことも
聖書の預言の成就でした。


今週は受難週です。

2024/03/25

天の父の子

天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。
父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。
(マタイ5:45)

正しい人はいつも晴れ。
悪人の空はいつも雨。
そうなると天気予報士は困ってしまいます。

父なる神の心は大空より広く、
大海原よりも深いのです。

父は、悪人も善人もへだてなく
太陽も雨も全員に注いてくださいます。

神は誰にでも愛と恵みをお与えになります。

それが天の父です。

私たちは父の子どもです。
だから、父と同じ心を持つことが可能です。
誰かの太陽にもなってあげましょう。
誰かに恵みの雨を注ぎましょう。


私たちは天の父の子供です。

2024/03/24

かっこ悪い青年

ある青年が、からだに亜麻布を一枚まとっただけで
イエスについて行ったところ、
人々が彼を捕らえようとした。
すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げた。
(マルコ14:51~52)

マルコの福音書だけに残る記録です。

この青年はあの夜エルサレムにいました。
主イエスの逮捕を知らされ飛び起きたのでしょう。
深夜なので誰にも見えないし、急いでいたので、
裸のまま布だけまとって外に出たようです。

青年はイエスさまの弟子の一人で
主イエスを愛していたはずです。

自分も逮捕されそうになったので
亜麻布を捨てて逃げました。
ただ、それだけの話なのです。

本人以外知りえないストーリーなので、
福音書を書いたマルコの事だと思われます。

裏切って主イエスを見捨てたのは
ペテロや十二弟子だけでなく、
私も同罪ですと言いたいのでしょう。
それを記録に残したかったのです。

そして、こんな私が罪赦され、
主イエスを伝える者とされていますと
伝えたかったのです。

2024/03/23

神とともに住む

私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。
「見よ、神の幕屋が人々とともにある。
神は人々とともに住み、人々は神の民となる。
神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。」
(黙示録21:3)

黙示録のクライマックスは
新しい天と新しい地の登場です。
新しいエルサレムが天から降ってきます。

大きな声が御座から出て
今日の言葉が語られます。

私たちは今、
神を直接見ることはできません。
ですが、神が人と共に住む時が来ます。

その時、
神は人々の目から涙をことごとく
ぬぐい取ってくださいます。
涙の原因になる悲しみ、苦痛、別離、失望がないからです。
そして死がありません。

今、悲しみの谷を歩んでいる人に、
このみことばを贈ります。

2024/03/22

軍師アヒトフェル

アブサロムとイスラエルの人々はみな言った。
「アルキ人フシャイの助言は、アヒトフェルの助言よりも良い。」
これは、主がアブサロムにわざわいをもたらそうとして、
主がアヒトフェルのすぐれた助言を
打ち破ろうと定めておられたからである。
(第二サムエル17:14)

ダビデの時代に二人の軍師がいました。
一人はアヒトフェル。
もう一人はフシャイです。

ダビデの息子アブサロムのクーデターが起きた時、
アヒトフェルはアブサロムの側近になりました。
ダビデが都から逃げた事を受け、アヒトフェルはアブサロムに進言しました。
ダビデは意気消沈しています、一万二千人の兵士を与えて下さい、
夜のうちに急襲すれば勝敗は決しますと。

一方、フシャイは、時間をかけて大軍勢を集め、
アブサロムが指揮をして戦うことを勧めました。
フシャイのプランはダビデを死なせないための偽作戦でした。

アヒトフェルの計画こそが正解でしたが、
アブサロムは、名誉心をくすぐられたのでフシャイ案を選び、
結局は戦死してしまいます。

主は今も、あなたを不利に陥れる計画を葬り去り、
あなたを救い出して下さる方です。