2022/03/31

スマイル

サラは言った。
「神は私に笑いを下さいました。
これを聞く人もみな、
私のことで笑うでしょう。」
(創世記21:6)

アブラハムが百歳の時に
妻のサラがイサクを生みました。

あり得ない事なので、
御使いに出産を予告された時、
サラは不信仰にも笑った過去がありました。

今回の笑いは
喜びと幸せの笑いで
神への賛美となるスマイルでした。

周囲の人に信仰の励ましを与え
笑顔を伝染させる
素晴らしい出来事でした。

主よ、私にもサラのような
笑いを下さい。
笑って笑って嬉しくて涙が出そうなくらい
大笑いさせて下さい。

2022/03/30

恐れのある日は

心に恐れを覚える日、
私はあなたに信頼します。
神にあって
私はみことばをほめたたえます。
神に信頼し、
私は何も恐れません。
肉なる者が私に何をなし得るでしょう。
(詩篇56:3~4)

恐れがあると気づいたなら
あなたは落ち着いているのです。

だって、パニックの時は
冷静には自分を客観視できませんから。

私はこの事柄を恐れています。
あの人が恐ろしいです。
そう祈れたなら、
あなたは神の安全地帯に入っています。

みことばを読んで心を落ち着けて
主の約束を土台にして
神に信頼しましょう。

肉なる者、つまり人間は、
神と神の保護下にある人に対して
どんな手出しもできないのです。

2022/03/29

知恵ある人

知恵のある者は慎重で、
悪を避けるが、
愚かな者は怒りやすく、
自信が強い。
(箴言14:16)

いつも傲慢で怒りっぽい人。

あなたの身近に
そんなタイプの人がいたら
本当に気の毒だと思います。

不思議なことですが、
地位が上がるにつれ
傲慢で怒りっぽい人が増えていきます。

ソロモンは言いました。
傲慢で怒りっぽい人は愚かだと。

ほんとうに知恵のある人は
傲慢さと怒りから遠いところにいて、
物事を冷静に行い
悪を避ける勇気があります。

主イエスさまの周囲には
この世と異なる風が吹いていました。

主イエスは、恐れずに正論を語り、
虐げられた人に愛の手を差し伸べ、
ののしられても、
ののしる人の罪が赦されるよう祈りました。

私たちの周りにも
穏やかでさわやかな風が吹いていますように。


 


2022/03/28

くしゃみして

それから、
寝台の上に上がり、
その子の上に身を伏せ、
自分の口をその子の口の上に、
自分の目をその子の目の上に、
自分の両手をその子の両手の上に重ねて、
その子の上に身をかがめた。
すると、その子のからだが
温かくなってきた。
(第二列王記4:34)

シュネムの女の息子が急死しました。
預言者エリシャは彼女の家に到着してそれを知りました。

遺体と二人だけにしてもらい
エリシャは祈りました。

その子の体の上に自分を重ね、
いのちが戻ることを切に主に願いました。
すると子供の体が温かくなり
7回くしゃみをして目をさました。

このくしゃみの記述にリアリティーがあり、
実際に奇跡があった事を裏付けています。

預言者エリシャの神よ、
いやし主よ、
病の人を回復させてください。

無理だと諦めている人に
希望をお与え下さい。

2022/03/27

エジプトへ

その地に飢饉が起こったので、
アブラムは、
エジプトにしばらく滞在するために
下って行った。
その地の飢饉が激しかったからである。
(創世記12:10)

戦争で祖国を離れた人を思うと
胸が痛くなります。
聖書には難民について何度も語られています。

アブラム夫婦は
主に導かれてカナンの地に来ました。
祝福された場所のはずでしたが、
飢饉に襲われました。
穀物があったのはエジプトだけでした。

現代でも多くの難民がいます。
わが身ひとつを救うために
住み慣れた土地を離れるのは辛いことです。

夫のリストラ、経済的困難のために、
家を売る、実家に戻る、転居する、
妻がパートに出る場合などがあり、
いわばプチ難民状態の人もいます。

主がそういう人々を守って下さいますように。
必要のすべてが満たされますように。
苦しい期間が長く続きませんように。

2022/03/26

野の草さえ

今日あっても明日は
炉に投げ込まれる野の草さえ、
神はこのように装ってくださるのなら、
あなたがたには、
もっと良くしてくださらないでしょうか。
信仰の薄い人たち。
(マタイ6:30)

道端の花を見ると春を感じます。

明日には枯れてしまったり、
焼かれてしまう野草たちでも
何と可憐な花を咲かすことでしょう。

こんなに小さなものにも
優しくして下さるのが
あなたの神だよと主イエスは
諭してくれました。

それでも納得できない人には
からいスパイスをきかせて
「信仰の薄い人たち」と
ガツンと言われました。

野の草さえ装う神です。
あなたに対して
もっと、もっと、良くして下さるはずです。
そうに決まってます。


2022/03/25

祝福して下さる神

主は私たちをみこころに留め
祝福してくださる。
イスラエルの家を祝福し
アロンの家を祝福し
主を恐れる者を祝福してくださる。
小さな者も、大いなる者も。
(詩篇115:12~13)

聖書の神は、祝福の神。
私たちに良きものを
与えようとしておられます。

必要なものは一人一人違うので
主は私たちに目を留めながら
各人に応じた恵みを注いで下さいます。

主からの祝福のある部分は
目に見えるものとなり
手で触れる事ができ
私たちを喜ばせてくれます。

祝福のある部分は
目に見えないものですが、
私たちの心を満たし、潤し、慰め、
いやし、力づけてくれます。

父なる神さま、あなたからの祝福を
心から感謝し、御名をたたえます。





2022/03/24

振り返るな

彼らを外に連れ出したとき、
その一人が言った。
「いのちがけで逃げなさい。
うしろを振り返ってはいけない。
この低地のどこにも立ち止まってはならない。
山に逃げなさい。
そうでないと滅ぼされてしまう。」
(創世記19:17)

二人の御使いは、ロトの家族を
ソドムの町から救い出した後
必死に逃げるのだ、
決して振り向くなと命じました。

ソドムの町は罪があまりにもひどくなり
神によって滅ぼされることになったのです。

ソドムを振り返ることは、
罪を慕うことにつながります。

硫黄と火が天から激しく下った時
ロトの妻は振り返り、
塩の柱になってしまいました。

私たちも、罪の生活を
懐かしむ必要はありません。
誘惑に目を向けずに
いのちがけで逃げましょう。

振り返らず
光に向かって進みましょう。


2022/03/23

神の義は

すなわち、
イエス・キリストを信じることによって
信じるすべての人に与えられる
神の義です。
そこに差別はありません。
(ローマ3:22)

人が義と認められるためには
律法を行う必要があると昔から思われていました。
けれども、人間の行いでは神の合格点に到達しないと
パウロは考えました。

ただ信じるだけで良いのだ、とパウロは悟ったのです。
主イエスが提供して下さったのは、
行いによる義でなく、信仰による義なのです。

では、主イエスを信じる心が強い人と
それほど信仰は強くない人がいたら、
義と認められる度合いが違ってくるのでしょうか。

いいえ。信仰の本気度で義認のレベルが変わるようでは
信仰自体が「行い」に変質してしまいます。

私たちの義認は
主イエスの真実さを土台にしているので、
私たちの信じる度合いで変動するものではありません。

「神の義は、イエス・キリストの真実によって、
信じる者すべてに表されたのです」(ローマ3:22)
この共同訳聖書の翻訳は、そのあたりに注意を払って
訳されたものです。

 

 

 

 

2022/03/22

主イエスは医者

そこでイエスは彼らに答えられた。
「医者を必要とするのは、
健康な人ではなく病人です。
わたしが来たのは、
正しい人を招くためではなく、
罪人を招いて
悔い改めさせるためです。」
(ルカ5:31~32)

取税人レビがパーティーを開くと
罪人ばかりが集まりました。
律法学者がそれを批判したので
主イエスが発言されたのです。

主イエスは医者です。
病人(罪人)をいやすために来られたのです。

一般の人で、教会には行ってみたいが
もう少し良い人間になってからにしようと
考える人がいます。
今日の聖句で、それが間違いだと分かります。

そのまま、罪を抱えて、教会に行きましょう。
主イエスは名医ですから
いやすことができます。

2022/03/21

アリマタヤのヨセフ

ヨセフはからだを受け取ると、
きれいな亜麻布に包み、
岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。
そして墓の入り口に
大きな石を転がしておいて
立ち去った。
(マタイ27:59~60)

アリマタヤ出身のヨセフは、
主イエスの遺体を引き取り、
自分が使う予定だった墓にお入れしました。

ヨセフは有力者で議員でお金持ちでしたので、
主イエスに対する信仰を公にする事は
大きなリスクを伴いました。

ヨセフは考えました。
主イエスのために、今、何ができるのか。
私の墓を使ってもらう事だ、と気づいたのです。

自分の墓を作っていたのですから
高齢だったのでしょう。
死を近く感じる人も
主イエスのために何かできます。

大きな石を転がして立ち去った、という記述は
西部劇のラストシーンのようで
去り際の美しいヨセフでした。

2022/03/20

虐げられた人たち

私は再び、
日の下で行われる一切の虐げを見た。
見よ、虐げられている者たちの涙を。
しかし、彼らには慰める者がいない。
彼らを虐げる者たちが権力をふるう。
しかし、彼らには慰める者がいない。

(伝道者の書4:1)

世界は、矛盾、狂気、虚無、悲惨に満ちている。
「伝道者の書」は現実を凝視しています。

たくさんの人が虐げられ、
涙を流しているが助けがない。

同じ人間なのに
どうしていがみ合い、
虐げたりするのでしょう。

民族対立や戦争のために家や故郷を捨て、
隣国に逃げ込んだ人が世界には大勢います。

今日の箇所には
解決や希望は語られていません。

人間の罪の悲惨さを
戦場写真のようにリアルに切り抜き、
判断や行動を写真を見る人にゆだねているのが
今日のみことばです。

 



2022/03/19

神の宮

あなたがたは、
自分が神の宮であり、
神の御霊が自分のうちに
住んでおられることを
知らないのですか。
(第一コリント3:16)

親からもらった大事な体なんだから、
もっと大事にしなさい、
と叱られた経験がありませんか。

お腹の中にいた時から
大切にしてくれたのですから、
お母さんにはそう言う権利があります。

もう一つ、体に関して言えることがあります。

神からもらった体だから大切にしなさい。
神の御霊があなたの中に住んでいます。
その事を忘れていませんか。

大切に使いましょう。あなたは神の宮です。
きよく保たないといけませんね。



 

2022/03/18

必要です

もしだれかが、
「なぜそんなことをするのか」と言ったら、
「主がお入り用なのです。
すぐに、またここにお返しします。」
と言いなさい。
(マルコ11:3)

主イエスがエルサレムに上る時、
ロバが必要でした。
持ち主からロバを借りる時のいきさつが
詳しく書かれています。

「主がお入り用なのです」
この言葉は
十二弟子の心に強く残りました。
まるで自分に言われているように感じたのです。

何かに秀でたわけでもない、
私一人では世界は変わらない、
いてもいなくても影響ない、と私たちは考えます。
でも主イエスは私たちを見て、そう思わないのです。

あなたはロバです。
主イエスがどうしても必要な
大切な人なのです。

私を使って下さい、と言いましょう。

2022/03/17

聖霊は教える

しかし、助け主、すなわち、
父がわたしの名によって
お遣わしになる聖霊は、
あなたがたにすべてのことを教え、
わたしがあなたがたに話した
すべてのことを思い起こさせてくださいます。
(ヨハネ14:26)

聖霊は私たちの内に住んでおられますが
とても控えめな方だと思います。

聖霊は色々な事をして下さいますが
教えること、そして、思い起こさせる事に
深く関わっておられます。

主イエスの愛に気づいた。
十字架の意味が分かった。
主イエスの教えの凄さに感激した。
そういう瞬間、聖霊が働いておられます。

辛い時、落ち込んだ時、
未来を悲観した時に
イエスさまのお言葉を思い出せてくれたのは
聖霊の働きです。

文字通り、聖霊は助け主なのです。

聖霊の導きと
聖霊が教えて下さることに、今日も
耳を傾けてみましょう。


2022/03/16

楽しい食事会

そして、毎日、
心を一つにして宮に集まり、
家々でパンを裂き、
喜びと真心をもって食事をともにし、
神を賛美し、
民全体から好意を持たれていた。
主は毎日、
救われる人々を加えて一つにしてくださった。
(使徒2:46~47)

クリスチャン全員が集まれるような
場所はエルサレムにありませんでした。
礼拝する時は、以前と同じように
連れだって神殿に出かけていました。

クリスチャンたちは誰かの家に集まり、
賛美し、食事し、語り合い、祈り合いました。
それがとても楽しかったのです。

その楽しそうな雰囲気に惹かれて
一般の人が加わり、信仰を持ちました。
これがエルサレム教会の伝道パターンでした。

準備委員会で作戦を練ったり、
人集めで苦労していません。
クリスチャンが、
交わりと食事と賛美を喜んでいると
主が救われる人を加えて下さったのです。

コロナがひと段落したら、
どこかのお宅で集まりたいですね。
各自が一品持ち寄ったら
素敵な食事会になりますよ。

2022/03/15

あの子の代わりに

ですから、どうか今、
このしもべを、あの子の代わりに
あなた様の奴隷としてとどめ、
あの子を兄弟たちと一緒に
帰らせてください。
(創世記44:33)

奴隷として売り飛ばされたヨセフは
エジプトで政府の高官になっていました。

兄達はそうとは知らずに
ヨセフから穀物を買いました。
その旅の帰りにトラブルがあり
ベニヤミンをエジプトに置いて帰れと命じられました。

兄の一人、ユダが
ベニヤミンの身代わりに自分が
エジプトに残ると申し出ました。

ヨセフはユダの犠牲的な姿に心を揺さぶられ、
自分の正体を明かして、兄たちを赦すことになります。

ユダの捨て身の姿。勇気。
父への愛。弟への思いやり。
主イエスの十字架を彷彿させます。

誰かの代わりになる。
それは愛です。




2022/03/14

主が

彼らを恐れてはならない。
あなたがたのために戦われるのは
あなたがたの神、主であるからだ。
(申命記3:22)

イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセは、
今、ヨルダン川を渡る寸前にまで来ました。

残念ながらモーセは、川を渡ることなく
寿命を終えることになりますが、
モーセが民に語った励ましの言葉がこれでした。
戦うのはあなたではない、というのです。

私たちの人生には
逃げてはいけないときがあり、
時を延ばせば状況が悪化する場合もあります。
心を決めて立ち向かう時に、
今日の言葉を思い出して下さい。
戦われるのは私たちの主です。

 

2022/03/13

背後の御手

ナオミは嫁のルツに言った。
「娘よ、それは良かった。
あの方のところの若い女たちと一緒に
畑に出られるのですから。
ほかの畑でいじめられなくてすみます。」
(ルツ2:22)

落ち穂拾いの仕事を求めて
ルツは一つの畑に顔を出しました。
畑の所有者ボアズに良くしてもらった事を
姑ナオミに話すと喜んでくれました。

それは本当に感謝な事ね。
普通なら外国人のあなたは
いじめられていたはずよ。
本当に良かったわ。

今の仕事や立場や家庭で
いじめられていないなら
幸いな事です。

ナオミは、ルツが受けた好意に
主の導きと守りを感じました。

私たちの穏やかな日常は
主の手に支えられているのです。

2022/03/12

耐える

すべてを耐え、
すべてを信じ、
すべてを望み、
すべてを耐え忍びます。
(第一コリント13:7)

親が子供に我慢を教えなかったら
どうなるでしょう。
子供はわがままになり、人の話を聞かず、
誘惑に負けやすくなります。

親に忍耐力がなければ
子供に忍耐を教えられません。

あなたは忍耐の大切さを自覚していますか。

パウロは第一コリント13章で
愛の本質を語りましたが、
その流れで、
愛とは、耐えることだと言いました。
望むこと、忍ぶことだと語りました。

愛があるから待てるのです。
愛は信じて待つ力を育ててくれます。
耐え忍ぶ力は人生の宝になります。

主を待ち望み、耐えましょう。

2022/03/11

難しい年ごろ

イスラエルが若いころ、
わたしは彼を愛し、
エジプトからわたしの子を呼び出した。
彼らは、呼べば呼ぶほど
ますます離れて行き
もろもろのバアルにいけにえを献げて
刻んだ像に犠牲を供えた。
このわたしがエフライムに歩くことを教え
彼らを腕に抱いたのだ。
しかし、わたしが彼らを癒したことを
彼らは知らなかった。
(ホセア書11:1~3)

ソロモンの死後、王国は南北に分かれ、
北王国イスラエルは
エフライムとも呼ばれていました。

イスラエルの民は
主にとって子供のような存在です。

神は愛を注ぎ、抱き上げ、歩くことを教え、
傷を癒し、ずっと守ってこられました。

でもやがて、まるで難しい年ごろの子供のようになり
神に逆らい、偶像の神を拝み、離れて行きました。

反抗期の子供たちが
親を無視してわがままな振る舞いをしても
親は、食事も、寝る場所も、必要なお金も、愛情も、
与え続けるものです。

神の愛と忍耐はそんな人々にも
激しく逆らう者にも注がれています。


 

2022/03/10

城壁は崩れた

民はときの声をあげ、
祭司たちは角笛を吹き鳴らした。
角笛の音を聞いて
民が大声でときの声をあげると
城壁は崩れ落ちた。
(ヨシュア記6:20)

イスラエルの民は
エリコを包囲していました。

攻撃方法は独特です。
兵士らが城壁の周囲を一周します。
誰も声を出さず
神の箱と祭司らと共に歩きました。
それを毎日、6日間続けました。

沈黙した兵士たちは何を考えたのでしょう。
みこころを求めたり、主を礼拝したり、
助けを求める祈りをしていた事でしょう。

7日目、祭司が合図の角笛を吹き
全員がときの声を上げると城壁は崩れました。

戦いは主のものです。
勝利は
主を見上げた沈黙の後に来ます。

2022/03/09

賃金を払う

あなたがたは隣人を虐げてはならない。
かすめてはならない。
日雇い人の賃金を朝まで
自分のもとにとどめておいてはならない。
(レビ記19:13)

労働基準法24条で、
賃金は直接、通貨で、労働者に、全額を払わなければならないと
規定されています。

この条文は今日の箇所と良く似ています。
レビ記は六法全書的な面を持っています。

労働の対価は必ず払わなければいけないのです。
払わないなら罪に当たります。
搾取して利益を不当に蓄える盗みだからです。

人を虐げたり、
隣人からかすめてはならないのです。
それが主のお考えです。

まじめな労働者から搾取することを
合法化するような社会も主に嫌われます。

店長、事業主、政治家たちは、
働く人の賃金を正当に見積もり
すべての人が働きがいのある社会を
作る責任があります。

2022/03/08

今は見える

彼は答えた。
「あの方が罪人かどうか私は知りませが、
一つのことは知っています。
私は盲目であったのに、
今は見えるということです。」
(ヨハネ9:26)

主イエスは一人の盲人と出会い、
見えるようにしてあげました。
パリサイ人は、その日が安息日である事を問題にし
盲人を問い詰めました。

癒された感謝であふれていた男性は
パリサイ人の尋問に憮然としながら
言葉を選びながらも、あかしをしました。

主イエスがどんな方か詳しくは知らない。
でも、はっきり言えることが一つある。
昨日まで見えなかったが今は見えている、と。

信仰を持った人はこの感覚が推測できます。
イエスさまについて詳しく知らないけれど、
信じた私の中で何かが始まっている。

ものの見方が根本的に変えられるのです。
今までと違う景色が見えてくるのです。
ハレルヤ。


 




2022/03/07

働く気があると

こうして私たちは城壁を築き直し、
城壁はすべて、
その半分の高さまでつなぎ合わされた。
民に働く気があったからである。
(ネヘミヤ4:6)

ネヘミヤは
エルサレムの城壁再建のためにやって来ました。
民を励まし、ビジョンを示し、
政治的・経済的支援を取り付けたことを示し
祈る中で与えられた主からの励ましをあかししました。

困難は山ほどありました。
でも一つ一つ乗り越え、妨害にもめげずに、
短期間で城壁を半分の高さまで修復しました。

民に「働く気」が十分あったことが
スピードアップの鍵でした。

仕事がはかどるのはこんな時ですか?

・今夜プロポーズされそうだ。
・やった!今日は給料日だ。
・孫を連れて子供が帰省してくる。
・明日は海外旅行に出かけるぞ。

あなたの心に主からの励ましが届き
今日の仕事がはかどりますように。



2022/03/06

弟子とする

ですから、あなたがたは行って、
あらゆる国の人々を弟子としなさい。
父、子、聖霊の名において
彼らにバプテスマを授け、
わたしがあなたがたに命じておいた、
すべてのことを守るように教えなさい。
見よ。わたしは世の終わりまで、
いつもあなたがたとともにいます。
(マタイ28:19~20)

今日のことばは、
聖書の中でも極めて重要な箇所です。

その聖句の心臓部である中心動詞は
「弟子としなさい」です。

教会は何のために存在していますか?
クリスチャンは何をしたら良いですか?
その質問への答えが今日の箇所になります。

福音を伝え、信じた人に洗礼を授け、
最終的にはキリストの弟子となれるように
一人一人を育てることが求められています。

まず、自分自身がキリストの弟子になる。
そして、
キリストの弟子を育成する人として生きる。
その意識を忘れないように。



2022/03/05

聖なるものへと

平和の神ご自身が、
あなたがたを完全に聖なるものとして
くださいますように。
あなたがたの霊、たましい、
からだのすべてが、
私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、
責められるところのないものとして
保たれていますように。
(第一テサロニケ5:23)

聖なるものになれるようにと
テサロニケのクリスチャンのために
パウロは祈りました。

人が求めるものは、時代に関係なく、
お金と名声と成功と欲望です。
パウロはまったく別なものを求めていました。

聖なるものになるとは
神の聖に近づくことです。
きよさがあるなら、
正義も愛も誠実も自然に生まれてきます。

聖であることは
心だけでなく実生活にも反映されるものです。
だから、霊、たましい、からだの
すべてに及ぶものなのです。

祈ってみましょう。
主よ、私を聖なるものとして
整えて下さいと。



2022/03/04

無益を見極める

一方、愚かな議論、系図、
争い、律法についての論争は
避けなさい。
それらは無益で、
むなしいものです。
(テトス3:9)

私たちは皆、負けず嫌いです。
負けてニコニコする人はいません。

議論は次第に感情的になり
嫌な後味を残します。

パウロは無益な議論は避けるべきだと
後輩の伝道者テトスに助言しました。
特に、議論のテーマが
系図や律法の話題になると
収拾がつかないのです。

無益な議論は避ける。
この心得を知っているだけで
人生のさわやか度が違ってきます。

ピッ、ピー!
その喧嘩は無益です。終了です。
ただちに笑顔を取り戻して下さい。







2022/03/03

ヨナタン

ヨナタンは、
ダビデに対する愛のゆえに、
もう一度ダビデに誓わせた。
ヨナタンは、
自分を愛するほどに
ダビデを愛していたからである。
(第一サムエル20:17)

ヨナタンの父はサウル王。
サウルはダビデを殺そうとしており、
ダビデは首都から逃走する覚悟を決めていました。

ダビデとヨナタンは親友。
ダビデはヨナタンと密かに会い
今後について話し合いました。
永遠の別れが近いことを感じながら。

ヨナタンは父の味方にならず、
親友ダビデを優先しました。

自分を愛するほどに愛した、と評された人は
聖書でヨナタンだけでしょう。

親友になれた二人は幸せでしたが、
出会えただけでなく
友情を育て続けたので
危機の場面でも心が揺るがなかったのです。

何歳になっても
友情を育みたいと思いませんか。
自分と同じほどに大切にできる友。
その友のために、今日も祈りましょう。


2022/03/02

剣を収めよ

そのとき、
イエスは彼に言われた。
「剣をもとに収めなさい。
剣を取る者はみな剣で滅びます。」
(マタイ26:52)

祭司長から差し向けられた男たちがゲツセマネに現れ
主イエスを捕らえようとしましたが
十二弟子の一人が剣を抜きました。

そこで主イエスが言われた言葉が
今日の聖句です。

武力は問題を解決しない。
むしろ、剣を用いる者は
同じ剣によって滅びるのです。

主イエスの教えを心に留めておきましょう。

さて、現実の問題として、
自分の身の回りで戦いが起きた時、
剣を収められるでしょうか。
どうしたらそれが可能でしょうか。





2022/03/01

誰を恐れる

わたし、わたしこそ
あなたがたを慰める者。
あなたは何者なのか。
死ななければならない人間や
草にも等しい人の子を恐れるとは。
(イザヤ51:12)

あなたは何を怖がり、誰を恐れていますか。
三回目の予防接種。
彼女の父親に正式に挨拶する日。
就職試験の面接官。
しつこいクレーマー。
健康診断の結果。

主はドーンと言われました。
あなたが恐れているのは人間にすぎない。
死にゆく人間は恐れるに足らず。

真に恐るべき方を恐れよ、
主が味方であることを忘れるなと
主は私たちを励ましてくださいます。

わたしだ、わたしに目を留めよと
主は言っておられます。