2020/10/31

隠されている事

隠されていることは、

私たちの神、主のものである。

しかし現わされたことは永遠に私たちと

私たちの子孫のものであり、

それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。

(申命記29:29)


苦しい事や悲しい事を経験した人が

なぜこんな事が起きたのですかと

主に理由を尋ねることがあります。

答えを見つけた人もいるかもしれませんが

多くの場合は分からないままです。


私たちには隠されている事があるのです。

 

隠されていない事、つまり、

聖書に書かれている事柄に目を留めましょう。

主のみおしえの中に、

神が人に伝えたいすべてがあるからです。


(Photo by Minami)



 

 


2020/10/30

羊飼い無しの群衆

また、群衆を見て深くあわれまれた。

彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、

弱り果てて倒れていたからである。

(マタイ9:36)

 

私が若い牧師の頃、最寄りの駅の改札前に立って、

朝の通勤通学の人々をずっと見つめ、祈ったことがありました。

でも、弱い羊には見えませんでした。

朝から元気に笑う高校生、

エネルギッシュな若いサラリーマンたち、

自信のみなぎった中年たちは、強そうな羊に見えました。


外見はどうであれ、本質は違うのです。

主イエスが感じ取られた姿が人間の現状なのです。

皆は、傷つき、さまよい、飢えています。

主よ、彼らの羊飼いになって下さい。

 

(Photo by Minami)



 


 



2020/10/29

油断

彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。

「民をみな上って行かせるには及びません。

二、三千人ぐらいを上らせて、

アイを討たせるとよいでしょう。

彼らはわずかですから、

民をみな送って骨折らせるには及びません。」

(ヨシュア記7:3)

 

彼らは油断しました。

敗戦の原因は、アカンという人物の隠れた罪にあったのですが、

難攻不落と思えたエリコの町を倒したイスラエル軍は、

全能感に浸っていました。

小さな町アイを軽く見て、

気を抜き、手を抜き、人を減らして、敗北しました。

 

自分の中にも、そうした油断がないか、点検しましょう。

成功した時、調子の良い時は要注意です。

 

(Photo by Minami)



 

2020/10/28

友は

友はどんなときにも愛するもの。

兄弟は苦難を分け合うために生まれる。

(箴言17:17)

 

単なる知り合いと親友とでは大きな違いがあります。

知人には、自分のマイナス面を見せません。

親友は私たちの欠点や失敗を詳細に知っていますが、

決して見捨てません。

本当の友は、世間がその人を見捨てる時ですら、

見方になってくれます。 


振り返ると、苦しみを共にした人物が親友になっています。

だから親友が苦しむ時は、一番そばにいてあげましょう。


親友を生涯、大切に!


(Photo by Minami)




 

2020/10/27

もう一年

そこで、ぶどう園の番人に言った。

「見なさい。三年間、

このいちじくの木に実を探しに来ているが、見つからない。

だから、切り倒してしまいなさい。

何のために土地まで無駄にしているのか。」

番人は答えた。「ご主人様、どうか、

今年もう一年そのままにしておいてください。

木の周りを掘って、肥料をやってみます。」

(ルカ13:7~8)

 

このたとえ話は、ルカの福音書にだけ記録されています。

 

主人は忍耐して3年間、実りを待ちました。

実を結ばないので、

ついに、その木を切り倒せと命じました。

農地の番人は、あと一年待って下さいと頼みました。


私たちの忍耐期限が終了し、すべてを投げ出そうとした時に、

神の忍耐が残っていることに気がつくのです。

主は期待して私たちを待ってくれるお方です。

 

(Photo by Minami)   


 

 

 


2020/10/26

ケセラセラ

ですから、

明日のことまで心配しなくてもよいのです。

明日のことは明日が心配します。

苦労はその日その日に十分あります。

(マタイ6:34)

 

何とかなるさ、問題ないよ、なるがままに。

そういう言葉を繰り返す歌が結構あります。

Let it be

Que sera sera

Hakuna Matata

Let it go 


こうした曲がヒットするのは、

心配している人が多いという証拠です。

心配ないさと歌っても、根拠は特にありません。

 

神が目をとめて下さるので心配ないと主イエスは言われます。

神は私たちの必要をご存じで、最善を成し遂げて下さり、

心配してくださいます。だから安心なのです。

 

どうしても心配したい人は、今日一日分だけ心配しましょう。

明日のことは明日が心配します。

 

(Photo by Minami)


 

 


  

 

2020/10/25

親が教える

これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。

あなたが家で座っているときも

道を歩くときも、

寝るときも起きるときも、

これを彼らに語りなさい。

(申命記6:7)


信仰のことは「教会学校で教えてもらいなさい」

と言う親がいますが、今日の箇所を良く読みましょう。

子供に信仰を教える主体は親です。 

親としての大事な役目なのです。


文脈から言うと、神がおられることと

神を愛すことを子供に教えよ、となります。

日常生活のどんな場面でも、神を教えることができます。

それは、親だからできるのです。

 

子供の質問は24時間、予想を超えた角度から来ます。

奇想天外な質問を楽しみながら答えましょう。


(Photo by Minami)






 

2020/10/24

聖さを求めて

神のみこころは、

あなたがたが聖なる者となることです。

あなたがたが淫らな行いを避け、

一人ひとりがわきまえて、

自分のからだを聖なる尊いものとして保ち、

(第一テサロニケ4:3)

 

愛、真実、美しさ、については、

文学や美術や音楽のテーマとして取り上げられますが、

きよさを真剣に扱う事はまれです。

人が人として喜びといきがいを感じるためには、

愛や真実に加えて「聖」という領域が必要です。


それは、私たちの造り主が聖であるので、

神に似せて造られた私たちにも聖が必要だからです。

きよさが基本的な神のみこころの

一項目だということが納得できます。

今日も、きよさを求めましょう。

 

(Photo by Minami)





2020/10/23

罪の報酬

罪の報酬は死です。

しかし神の賜物は、

私たちの主イエス・キリストにある永遠の命です。

(ローマ6:23)

 

報酬とは、労働の対価という意味です。

罪は、誰かを傷つけ損害を与え、自分自身も苦しめます。

刑法に反する行為なら、罰金か刑務所が待っています。

聖書によれば、罪の対価は死です。


主イエスの救いや永遠の命が

良い行いの報酬ではないことに注目して下さい。

賜物、つまり、プレゼントなのです。


救いは、人の行いによるものではありません。

ただ神の恵みのゆえ、

神の愛のゆえのプレゼントを感謝しましょう。


(Photo by minami)




 



2020/10/22

虫けら

恐れるな。虫けらのヤコブ、

イスラエルの人々。

わたしがあなたを助ける。

─主のことば─

あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。

(イザヤ41:14)


「虫けら!」と罵倒されたら、私たちは怒ります。

 でも、人間の小ささ、はかなさを凝視すると、

確かにちっぽけな虫けらにすぎません。

 

たとえ虫けらのような存在でも、

神は私たちを愛し、助け、共にいて下さいます。

ここに神の愛がキラリと光っているのです。

 

劣等感の人一倍強い人がいますか。

自分なんてダメだと思いますか。

神はあなたを抱きしめていてくれます。

 

(Photo by Minami)





 

 


 

 

 

 

2020/10/21

壺があった

 エリシャは彼女に言った。

「何をしてあげようか。私に話しなさい。

あなたには、家の中に何があるのか。」

彼女は答えた。

「はしためには、家の中に何もありません。

ただ、油の壺一つしかありません。」

(第二列王4:2)

 

預言者の夫が突然亡くなり、妻は途方にくれました。

貧しさゆえに、子供達を奴隷に取られそうになったのです。


預言者エリシャはその窮状を聞き、

女性を助けるために、家に何があるかを聞きました。

何もない。いや、油を入れる壺だけ残っていると彼女は気づきました。

 

器を近所から借りて、壺から油を注ぎなさいとエリシャは命じました。

奇跡が起きて、大量の油が壺から出てきました。

彼女はその油を売り、危機を脱しました。

 

何もない、と私たちは考えやすいのです。

あなたの油の壺、見落としていませんか。

 

(Photo by Minami)




 

 

 

2020/10/20

杖一本しかなかった

私は、あたながこのしもべに与えてくださった、

すべての恵みとまことを受けるに値しない者です。

私は一本の杖しか持たないで、

このヨルダン川を渡りましたが、

今は、二つの宿営を持つまでになりました。

(創世記32:10)

 

ヤコブは、兄に命をねらわれ実家を逃げ出しました。

遠くの親せきラバンの家に身を寄せ、働きました。

結婚し、子供たちが生まれ、家畜が増え、故郷に戻りました。

主からたくさん祝福を頂いたことを実感できました。

 

若いヤコブは、自己中心と強欲が原因で夜逃げしたのですが、

その頃は、自分の汚れも弱さの自覚もできませんでした。

 

でも、ヤコブは変えられました。

主から受けた恵みに心がふるえています。

神の愛を受けるに値しない自分だと悟りました。

 

主から受けた恵みを数え、主をたたえましょう。

 

(Photo by Minami)





 

 


2020/10/19

説明を求められたら

むしろ、心の中でキリストを主とし、

聖なる方としなさい。

あなたがたのうちにある希望について

説明を求める人には、だれにでも、

いつでも弁明ができる用意をしていなさい。

(第一ペテロ3:15)

 

「どうしたらクリスチャンになれるの?」

「あなたが笑顔でいられる秘訣は何?」

「あなたは親切だけど、どうして?」 

「日曜日は何してるの?」

 

こんな質問をされた時に、

きちんと説明できるようにしておくんだよ、

とペテロは言ったのです。


説明するときのコツがあります。

①とてもシンプルに答える。

②自分が分かったことだけ話す。

③これをきっかけに、もっと相手の話を聞く。

 

説明する時は、心の中でキリストを見上げて頼り、

言葉でもはっきりとキリストをあかししましょう。

(Photo by Minami)





 

 

 

 

 

2020/10/18

会いたい

あなたがたにはたくさん書くべきことがありますが、

紙と墨とではしたくありません。

私たちの喜びが満ち溢れるために、

あなたがたのところに行って、直接話したいと思います。

(ヨハネの手紙第二12節)

 

手紙では伝わらないことがあるので、

近いうちにぜひ会いに行きますと

使徒ヨハネは書いています。


コロナの時代を生きる私たちも皆、同じ心境です。

あなたに会いたい。笑顔を見たい。

手を取って気持ちを伝えたい。

色々と助けてあげたい、話を聞きたい。

 

人とのつながりがどんなに尊いものか、

今、私たちは切実に感じています。

一日も早く、誰とでも会える日が来ますように。

 

(Photo by Minami)


 

 

 

 

 





2020/10/17

へりくだる人

主の御前でへりくだりなさい。

そうすれば、

主があなたがたを高く上げてくださいます。

(ヤコブの手紙4:10)

 

何歳であろうと、どんな社会的地位であっても、

お金持ちであっても、能力があっても、

謙虚であることを忘れればすべてが台無しになります。


神の栄光を捨てて人となられた主イエスがお手本です。

私たちはその方の弟子なのです。

 

謙虚な人は思いがけないタイミングで

評価されたり称賛されたりします。

主が高く上げて下さるのです。

 

主よ、私をもっと謙遜にさせて下さい。

 

 (Photo by Minami)





2020/10/16

試練

あなたがたが経験した試練はみな、

人の知らないものではありません。

神は真実な方です。

あなたがたをたえられない試練にあわせることはなさいません。

むしろ、耐えるられるように、

試練とともに脱出の道を備えてくださいます。

(第一コリント10:13)

 

耐えられない試練はない。 

パウロはそう言い切りました。

 

人が生きているなら必ず試練に出会います。

でも、主が必ず脱出の道を備えて下さいます。

それで私たちは耐えられます。


試練の中で私たちは神の愛を感じます。

試練の中で成長し、大切なものが何かを学びます。


(Photo by Minami)



 

 





2020/10/15

落ち着いた生活

また、私が命じたように、

落ち着いた生活をし、

自分の仕事に励み、

自分の手で働くことを名誉としなさい。

(第一テサロニケ4:11)


平凡な毎日の繰り返しはつまらないと感じますか。

パウロは、落ち着いた生活には価値があると言いました。


自分らしく仕事することに意味があります。

働いてお金がもらえるかどうかは問題ではありません。

 

ノートルダム大聖堂は完成まで約90年かかりました。

辛い仕事の繰り返しだと嘆く建築労働者もいたでしょう。

神の礼拝堂建設に携われる名誉を感じた人もいたはずです。 


落ち着いた生活に主の祝福あれ。

 

(Photo by Minami)


 

 

 


 


2020/10/14

信仰者の覚悟

私も私の侍女たちも、同じように断食します。

そのようにしたうえで、

法令に背くことですが、私は王のところに参ります。

私は、死ななければならないのでしたら死にます。

(エステル記4:16) 


エステルはユダヤ人の命を救うために

王に嘆願すると決めました。

王の許可なく公式の場に出て、王の機嫌を損なえば、

たとえ王妃のエステルでも死刑でした。


エステルは断食して祈って当日に備えます。

仲間にも祈りの支援を求め、このような覚悟を語りました。


土壇場に強い人がいます。

それは、主に信頼した人です。

あわてない、逃げない、主にあって覚悟を決める。 

いざという場面が来たら、信仰者らしく腹をくくりましょう。


(Photo by Minami)



 

2020/10/13

主の計画

人の心には多くの思いがある。

しかし、主の計画こそが実現する。

(箴言19:21)

 

自分の願いがすべてかなったという人はいません。

むしろ、かなわなくて良かった事も多数あります。

今は、どんなプランを持っていますか。


たとえ自分のプランが通らなくても、

主の計画が実現する方が良いのです。


私たちが祈り求めているのは

主のみこころが実現する事でしたね。

 

(Photo by Minami)


 



 

2020/10/12

良くなりたい

そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。

イエスは彼が横になっているのを見て、

すでに長い間そうしていることを知ると、

彼に言われた。「良くなりたいか」

(ルカ5:5)


主イエスは、エルサレムのベテスダの池を訪れ、

38年間ずっと病気だった男性に会いました。

主イエスは「良くなりたいか」と聞きました。

 

この問いかけを受けて、気づきが生まれました。

私は、本当は、なおることを諦めていた。

健康になりたい。

主イエスに信頼してみよう。

 

そのすぐ後、彼は立ちあがれました。

歩き出しました。奇跡が起きたのです。

 

主イエスは、今日も、質問しておられます。

良くなりたいか。

 

(Photo by Minami)


 

 

 

 

 

 


 

 




2020/10/11

わが巌

主はわが巌、わが砦、わが救い主、

身を避ける岩、わが神。

わが盾、わが救いの角、わがやぐら。

ほめたたえられる方。この主を呼び求めると、

私は敵から救われる。

(詩篇18:2~3)


ダビデにとって主はどんな方なのでしょう。

戦いの時に身を避ける安全な場所です。

 

巌(いわお)とは巨大な岩で自然の要塞になります。

高い岩の上にいれば、戦いの時に安全でした。 

砦(とりで)とは小型の城のことです。

やぐらとは、弓矢を放てる城壁上の塔です。


人生では、「敵」と思える人物や出来事に出会います。

恐れと心配につぶされそうになった時、

主が私たちの巌であることを思い出しましょう。





 

2020/10/10

新しく生まれて

私たちの主イエス・キリストの父である神が

ほめたたえられますように。

神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、

イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、

私たちを新しく生まれさせ、

生ける望みを持たせて下さいました。

(第一ペテロ1:3)


私たちは、主イエスを救い主として信じたことにより、

新しく生まれる体験をしました。

また、希望ある人生に入った事を実感しています。

それらは神の深いあわれみのゆえです。

 

私たちの新生体験、希望体験から逆算すると、

よみがえりの事実に立ち戻れます。

主イエスの復活があったから、新生と希望を経験したのです。

 

主イエスの父なる神をほめたたえます。

 

(Photo by Minami)


 

 

 




 

2020/10/09

遅れることはない

この幻は、定めの時について証言し、

終わりについて告げ、偽ってはいない。

もし遅くなっても、それを待て。

必ず来る。遅れることはない。

(ハバクク書2:3)

 

ハバククは厳しい時代を生きた預言者でした。

政権は末期症状で汚職と不正が満ちていて、

人々は不信仰になり、

国は外敵により滅ぼされる事を悟りました。

 

彼が民衆に語った希望とは、

神は遅れることはないというメッセージでした。


私たちが遅いと感じても、

神はオンタイムで確実に事をなさいます。


(Photo by Minami)






2020/10/08

針仕事

そこで、ペテロは立って二人と一緒に出かけた。

ペテロが到着すると、彼らはペテロを屋上の部屋に案内した。

やもめたちはみな彼のところに来て、

泣きながら、ドルカスが一緒にいたころ作ってくれた

下着や上着の数々を見せるのであった。

(使徒9:39)


ドルカス死亡の知らせを聞いてペテロが駆けつけると、

やもめたちが泣きながらドルカスに作ってもらった衣服を見せました。

その様子から、ドルカスを生き返らせてほしいという彼女たちの

強い願いを感じ取りました。

ペテロはドルカスの命が戻るように祈り、そうなりました。


ドルカスは女性らしい特技、裁縫を用いて、

経済的に困窮しているやもめたちを助けました。

小さな針が、多くの人を助けることができたのです。


あなたの特技、主から頂いた賜物は何ですか。

小さな賜物でも、主は大きく用いて下さいます。 


(Photo by Minami)


 


 

 

2020/10/07

ヨブの長い夜

 私は横になるときに言う。

「いつ起き上がれるだろうか」と。

夜は長く、

私は夜明けまで寝返りを打ち続ける。

私の肉は、うじ虫と土くれをまとい、

皮膚は固まって、また崩れる。

(ヨブ記7:4~5)


ヨブは、悲劇の人でした。

子供たちや財産を一度に失い、

その上、頭から足まで悪性の皮膚病に冒されました。

 

心が打ちのめされていた上に、

膿とかさぶたによる痛みと不快さが全身を襲いました。

彼にとって、夜は極めてつらく長いものでした。


こうした記述が聖書にあるのはなぜでしょう。

ヨブのような悲劇の人の存在が

苦しむ人を慰めるからです。 

 

そして、あなたが過ごす長く辛い孤独な夜も

主はあなたの痛みを知っておられ、

共におられることを知らせたいからです。

 


 

 


2020/10/06

利己的でなく

何事も利己的な思いや

虚栄からするのではなく、

へりくだって、

互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。

(ピリピ2:3)

 

私たちの動機はかなり自己中心です。

自分の事だけ優先して周囲の人の事を考えない。 

自分をできるだけ立派に見せようとする。

自分のほうが上手くできると思っている。

 

パウロは、

イエスさまのように考え、

イエスさまのように行動してごらん、と言いたいのです。

 

(Photo by Minami)


 

 


 

 

 

2020/10/05

祝福の約束

あなたの一生を良いもので満ちたらせる。

あなたの若さは鷲のように新しくなる。

(詩篇103篇5節)

 

スーパーのフードコートのお店に、

「大盛りでも値段は同じ」と書いてありました。

注文してみましたが、一人では食べきれませんでした。

 

神は私たちに良いものを与えると約束されました。

しかも、一生を良いもので満たすと言われました。

祝福の大盛りです。


鷲は季節が来ると羽が生え変わり、新しい装い、新しい力を得ます。

私たちは歳をとりますが内面は主によって新しくされます。


主の祝福を実感しながら今週も進みましょう。

 

(Photo by I Hattori)


 

 

 

2020/10/04

三つ撚りの糸

一人なら打ち負かされても、

二人なら立ち向かえる。

三つ撚りの糸は簡単には切れない。

(伝道者の書4:12)


彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」に会いました。

そこに立っている姿を見るだけで、いやされました。

 

何もできないよ、心配しかできないよ、という人でも、

困った人の横にいるだけで必ず役に立ちます。

二人なら立ち向かえます。

 

三つ撚りの糸ならば、もっと強くなれると聖書は言います。

さて、二人で力を合わせる時の

もう一本の糸とは、何を意味するのでしょう。


(Photo by Minami)


2020/10/03

幸せな食卓

乾いたパンが一切れあって平穏なのは、

ごちそうと争いに満ちた家にまさる。

(箴言17:1)

 

寿司を出前で取り寄せても、

家族がひどい喧嘩の最中だったら、

味など分かりません。

 

祈りで始める食事は、主への感謝が生まれます。

「おいしいね」と言えば、奥さんへの愛になります。

一日の出来事に耳を傾け合えば、家族の絆が深まります。

 

今日も主が、我が家の食卓に着いて下さいますように。 


(Photo by I Hattori)


 



 

 

 




2020/10/02

国々は

見よ。国々は手桶の一しずく、

秤の上のごみのように見なされる。

見よ。主は島々をちりのように取り上げる。 

レバノンも、たきぎにするには足りない。

その獣も、全焼のささげ物にするには足りない。

すべての国々も主の前では無いに等しく、

主には、空しく何もないものと見なされる。

(イザヤ40:15~17)

 

王、大統領、首相が新しく選ばれるとニュースになります。

経済力、軍事力、政治力でどの国が強いかが話題になります。


主がご覧になると、大きな国はホコリやチリです。

桶からしたたり落ちる一滴のしずくにすぎません。

そういうものなのです。


国々よ、君主たちよ、

主の前にひれ伏し、主をあがめよ。

まことの神こそ、王の王、主の主なり。

 

(Photo by Minami)



2020/10/01

あの馬車に近寄れ

 御霊がピリポに

「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい。」

と言われた。

そこでピリポが走って行くと、

預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、

「あなたは読んでいることが分かりますか」と言った。

(使徒8:29)

 

聖霊は、時折、とても具体的な指示を出します。

ピリポは、馬車と一緒にしばらく走りました。

聖書を読んでいる声が聞こえたので話しかけました。

それがきっかけで、乗っていた人が洗礼を受けたのです。


聖霊は、今日、

あなたにどんな導きを出してくれるのでしょう。

耳を傾けましょう。


(Photo by Minami)