2020/05/31

栄光の主イエス

その頭と髪は白い羊毛のように、
また雪のように白く、
その目は燃える炎のようであった。
その足は、炉で精錬された、
光輝く真鍮のようで、
その声は大水のとどろきのようであった。
(黙示録1:14~15)

ヨハネは年を重ねて、パトモス島にいました。
ガリラヤ湖畔を主イエスと共に歩いた若き日々を
何度も思い出したでしょう。
高い山で栄光の姿に変わられた出来事も忘れなかったはずです。
でも、この時に見た主イエスの姿は、
今まで見たことのない姿でした。

力にあふれた創造主、誰も近づけない完全なきよさ、
万物の支配者、主権者。
ヨハネはその姿に触れて、倒れてしまったほどでした。
主イエスは、賛美を受けるべきまことの神です。




2020/05/30

実を結ぶために

わたしの枝で実を結ばないものはすべて、
父がそれを取り除き、
実を結ぶものはすべて、
もっと多くの実を結ぶように、刈り込みをなさいます。
(ヨハネ15:2)

2000年前のぶどう作りの人も、
現代の農家の人も刈り込みをします。
大きくて甘いぶどうを作るには
不要な枝を切り落とす必要があるのです。

私たちも、刈り込まれたという辛い経験をします。
でも忘れないように。
刈り込みは、実を結ぶ枝だけにするのです。







2020/05/29

愛されている

私はこう確信しています。
死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、
今あるものも、後に来るものも、力あるものも、
高いところにあるものも、深いところにあるものも、
そのほかどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません。
(ローマ8:38)

アメリカの結婚式の誓いには、
「死が二人を分かつまで」愛しますという一節が入っています。
二人が離れるのは死ぬ時だけという強い決意が感じられます。

パウロは、死ですら、神と私たちを引き離さないと言いました。
私たちは、神の愛に堅く結ばれています。
誰も、何も、私たちを神の愛から引き離すことはできないのです。
それほど強く神に愛されているのです。





2020/05/28

栄光を受ける方

「主よ、私たちの神よ。
あなたこそ、
栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。
あなたが万物を創造されました。
みこころのゆえに、それらは存在し、
また創造されたのです。」
(ヨハネ黙示録4:11)

24人の長老たちがひれ伏し、
御座についておられる神をたたえる
きよらかな礼拝の場面です。

すべてのものは神が創造されました。
私たちも、万物の一部です。
私たちはなぜ生きているのかと人生で何度も問いかけますが、
ここに一つの答えがあります。
神のみこころのゆえに、
私たちは造られ、存在をゆるされています。
それゆえに、私たちは神をたたえます。





2020/05/27

賜物の目的

働きはいろいろありますが、
同じ神がすべての人の中で、
すべての働きをなさいます。
皆の益となるために、
一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。
(第一コリント12:6~7)

神は一人一人に賜物をお与えになりました。
「私の賜物はたいしたことがない」と考えて
それを用いない人がいますが、それは考え違いです。
人から注目されたり、ほめられたりする事が
賜物の与えられた目的ではないからです。
だれかの益になるように使うのです。

さて、あなたは
主からどんな賜物をいただきましたか。
見つけて、磨いて、用いましょう。




2020/05/26

ミニ新聞9号

ミニ新聞9号ができました。

緊急事態宣言が解除されました。
西教会の礼拝再開に向けて、役員会で話し合い、
いつから、どのように、などを詰めていきたいと思います。


今後の礼拝メッセージ予定は以下の通りです。
5月31日 マルコ8:1~21     まだ悟らないのか
6月7日  マルコ8:22~26              木のような人
6月14日 マルコ8:27~30              あなたはキリスト
6月21日 マルコ8:31~33              十字架の予告




夕があり、朝があった

夕があり、朝があった。
第三日。
(創世記1:13)

一日は朝から始まる。それは当たり前です。
でもユダヤ人たちは、
一日のはじまりは夕方からという感覚で生きていました。
聖書によると、安息日は前日の日没から始まっています。

夕暮れの時間帯は、一日の疲れ、体の不調、
仕事の失敗、否定的な感情などを抱えやすいものです。
夜の闇に包まれながら、それらの事柄を主に話し、
明日のことをおゆだねして眠りにつくと、
主の恵みのゆえに、
朝の光と共に新たな意欲が生まれます。
夕あり、朝が来る。

(Photo by Kamiya)






2020/05/25

ポジティブに!

主に信頼し 善を行え。
地に住み 誠実を養え。
主を自らの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
(詩編37:3~4)

詩篇37篇は、ポジティブな言葉のシャワーのような詩篇です。
ダークサイドの言動や出来事に目を向けると、
なぜか、態度や心までネガティブになります。

ネガティブに引きずられちゃだめだよ。
明るい面を見てごらん。
自分から良い言葉を言ってみよう。
今日の仕事もきっとうまくいく。
ほら、いつの間にか笑顔になっている。
そんなふうに励ましてくれるのが詩編37篇です。
(全体的に英語っぽい言い回しですね)
ついでに言います。Have a nice week!

(Photo by Hattori)


2020/05/24

礼拝の心を作る詩編

全地よ 主に向かって喜びの声をあげよ。
喜びをもって主に仕えよ。
喜び歌いつつ御前に来たれ。
知れ。主こそ神。
主が、私たちを造られた。
わたしたちは主のもの 主の民 
その牧場の羊。(詩編100:1~3)

礼拝の招詞で用いられる詩編の中で、
私が最も好きな箇所が詩編100篇です。

創造者である神をたたえる。
いつくしみと恵みに満ちた神をたたえる。
私たちが神の民、羊であることを確認し、
喜びと賛美をもって主の前に出る。
礼拝に備える心がすべてそろっています。
今日は、日曜日、主をたたえましょう。

(Photo by Yamanaka)

2020/05/23

よろけさせず

主は あなたの足をよろけさせず
あなたを守る方は まどろむこともない。
(詩編121:3)

人生で二度、足もとがふらつく時期があります。
歩き始めた幼い頃。
足元がおぼつかない高齢者になった時。
親は幼児の後で手を伸ばし転倒から守ります。
また、子供も老いた親の手を取ってゆっくり歩きます。

親としても、子としても、友としても、
伴侶としても、主にある兄弟としても、
誰かの足を守らないといけない時期があります。

詩篇121篇によるならば、
主は私たちの足元を見て下さっている事が分かります。
ずっと主に見守られ、
愛され、大切にされているのです。

(Photo by Shingu)


2020/05/22

右か左か

あなたが右に行くにも左に行くにも、
うしろから「これが道だ。これに歩め。」
ということばを、あなたの耳は聞く。
(イザヤ30:21)

人生は洗濯の連続です。
(ん!入力ミス。まあ、確かにそうも言えます)
人生は選択の連続です。

選択する時、私たちは悩みます。
どっちが正解なんだろう。
できれば、自分で決めたくないという人も多いです。
学校も、仕事も、伴侶も、住む家も、
あっちにしておけば良かったと思っても遅いです。

私たち信仰者は幸いです。
道に迷ったとき、主に導きを求める事ができるからです。
正しい道、祝福の道、謙虚な道、福音を伝える道。
主にゆだねつつ祈ると、先が見えてきます。
私たちの信じる神は、導きの主です。ハレルヤ。




2020/05/21

十字架のことば

十字架のことばは、
滅びる者たちには愚かであっても、
救われる私たちには神の力です。
(第一コリント1:18)

救われる前のパウロは、人一倍プライドの強い人でした。
当時最も高名な律法学者に学ぶ秀才だったからです。

回心し、伝道旅行で様々な人に福音を伝えるようになると、
パウロは"愚か"である事を大切にするようになりました。
「死んだ人間が復活するはずが無い」と見下げられても、
人間的な論理や哲学を駆使するのを止めました。
十字架の言葉を愚直に語る時、
聖霊が働いて下さる事を知っていたからです。

2020/05/20

泣いて祈る

ハンナの心は痛んでいた。
彼女は激しく泣いて、
主に祈った。
(第一サムエル1:10)

ハンナはいじめられていました。
結婚して何年たっても子供が生まれないので、
意地悪され、嫌みを言われました。
ちょうど礼拝のために聖所に来ていたので、
一人で号泣して祈りました。

祈っている内に心が落ち着きました。
意地悪を言った相手を見返すのではなく、
子供が与えられたら主におささげしたい、
祭司として用いて下さいという祈りに変わりました。

あまりに辛い時は、中途半端な祈りではなく、
心の中のすべてを注ぎだす祈りをしてみましょう。
そうすると違う水平線が見えてきます。



2020/05/19

ミニ新聞8号

ミニ新聞8号ができました。



主のためのデザイナー

モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、
および主が心に知恵を授けられた、
すべて心に知恵ある者、
またその仕事をするために進み出ようと、
心を動かされた者をみな呼び寄せた。
(出エジプト記36:2)

移動可能な神殿、幕屋の建設が主から命じられました。
モーセには建築の知識も技術もなかったので、
ベツァルエルが建設責任者に任命されました。
建設に関わる専門知識と技術や経験、
さらにデザイナーとしての美術センスも要求されました。

神の働きの進展のために、
色々な人が必要とされています。
あなたもベツァルエルです。

(Photo by Honda)


2020/05/18

望みが絶たれそうでも

太陽も星も見えない日が何日も続き、
暴風が激しく吹き荒れたので、
私たちが助かる望みも
今や完全に絶たれようとしていた。
(使徒27:20)

船長は命を優先して、
すべての積荷を海に投棄しました。
昼か夜かも分からない悪天気が連日続き、
横波を食らえば一瞬で海の藻屑という恐怖に
皆がおびえていました。

その中で一人、パウロだけが違いました。
この後に、彼は乗組員と乗客を励まし、
全員の命を救ったのです。

希望を捨てないで、
今週も生きて行きましょう。
信仰を土台にした希望は
あなたとあなたの周囲の人を救います。





2020/05/17

ひれ伏す

エズラが大いなる神、主をほめたたえると、
民はみな両手を上げながら
「アーメン、アーメン」と答え、
ひざまずき、
顔を地に伏せて主を礼拝した。
(ネヘミヤ8:6)

神よ、あなたは素晴らしい方です、
と口で言うのが賛美です。
エズラの賛美の言葉に会衆は同意して、
アーメンと答えました。

神が素晴らしい方だと分かったので、
人々はひれ伏しました。
神の愛、全能の力、ご配慮、きよさ、
神のあわれみ、忍耐、正義に触れる時、
私たちにできる事は自分を投げ出してひれ伏すだけなのです。

今日は日曜日、
同じ心を持って主を礼拝しましょう。




2020/05/16

誠実さ

貧しくて、誠実に歩む者は、
富んでいて、
曲がった道を歩む者にまさる。
(箴言28:6)

川の水がきれいかどうかは、指標生物で分かります。
サワガニが生息しているなら清流です。
アメリカザリガニがいれば汚れた川です。

誠実さの有無。
それは、いわば社会の指標品性であり、
誠実さを失えば社会は悪臭を放つドブ川になります。

イスラエルの民は何度も主を裏切りましたが、
神は約束を守られました。
誠実に歩みましょう。
神がそれを望んでおられます。






2020/05/15

私を遣わして下さい

私は主が言われる声を聞いた。
「だれを、わたしは遣わそう。
だれがわれわれのために行くだろうか。」
私は言った。
「ここに私がおります。
私を遣わしてください。」(イザヤ6:8)

若いイザヤは、この場面の少し前で、
神のきよさの前で自分の罪深さに直面し絶望していました。
神はイザヤの罪を赦し、罪からのきよめを付与してくれました。
神に用いられる人は、必ずこうしたプロセスを踏みます。

神は人を求めていました。ある分野を任せたいのです。
でも適任者がいませんでした。困難な任務です。
献身の最終段階では、人間の自発性が問われます。
「ここに私がおります」と志願しないと始まらないのです。

罪深さの自覚と自発性。
神に用いて頂くには、
この相反するような二面が不可欠なのです。



2020/05/14

土の器に注がれる目

しかし、今、主よ、あなたは私たちの父です。
私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。
私たちはみな、あなたの御手のわざです。
(イザヤ64:8)

私たちの本質は土です。
取るに足らない存在ですが、
陶器師である神が丹精込めて、大切に、慎重に、
私たちを造って下さいました。
神は陶器師であり、私達の父でもあります。
だから私達にいのちを吹き込んで下さいました。
愛情を注ぎ、期待を込めて育ててくれました。
今も最高の陶器師が私たちの形をあきらめずに整えてくれます。
慈愛の父が見守っていて下さいます。





2020/05/13

白髪になっても

年老いて 白髪頭になったとしても
神よ 私を捨てないでください。
私はなおも告げ知らせます。あなたの力を世に。
あなたの大能のみわざを 後に来るすべての者に。
(詩編71:18)

聖書には、年老いた信仰者の姿があちこちに出てきます。
体力は衰え、健康面でも不安が生じ、
若い人のように動けなくなった年配者たちは、
色々な面で憂いを背負うのが普通です。
ただし、信仰だけは若い時と同じようにできます。
いいえ、年輪を重ねたゆえにもっと主に信頼できます。
神の力や恵みを何歳になっても伝えましょう。



2020/05/12

ミニ新聞7号

ミニ新聞7号ができました。


私は誰かのために

私たちが苦しみにあうとすれば、
それはあなたがたの慰めと救いのためです。
私たちが慰めを受けるとすれば、
それはあなたがたの慰めのためです。
その慰めは、
私たちが受けているのと同じ苦難に耐え抜く力を、
あなたがたに与えてくれます。
(第2コリント1:6)

苦しい時、孤独だと感じます。
誰も分かってくれないと寂しく思います。
でもパウロは、そうじゃないといいます。
私の苦しみは、誰かの慰めになる。
私が慰められると、誰かが慰められる。
ぐっと辛さに耐えているなら、耐える力を誰かに与えている。
孤独に見えて、私たちはつながり合っているのです。
互いに支え合っているのです。
あなたは一人じゃありません。

(Photo by Yamanaka)




2020/05/11

あらゆる事を

私は福音のためにあらゆることをしています。
私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。
(第1コリント9:23)

連休も終わり新しい週が始まりました。
働くぞ、勉強するぞ、取り組むぞという人もいますね。

これは雑用だ、これは無駄な事だ、
これは仕方なくする事、これは嫌な事、
そう考えると何も面白くありません。
パウロには「雑用」という分野が無いかもしれません。
あらゆる事は福音のためにするのですから。

(Photo by Hattori)


2020/05/10

あなたを産んだ人

あなたの父と母を喜ばせ、
あなたを産んだ人を楽しませよ。
(箴言23:25)

母の日おめでとうございます。
あなたのお母さんが生きておられるなら、
今日中に、以下の事柄を言葉で伝えましょう。
お母さん、大好きだよ。
あなたのおかげで今の私がいます。
今までありがとう!
あなたの一言がお母さんを笑顔にします。
お母さんの苦労が報われます。

お母さんがおられないなら、お母さんを思い出し、
お母さんを与えて下さった主に感謝しましょう。

(Designed by Meg)

2020/05/09

向きを変えて

あなたがたは向きを変えて出発せよ。 
そしてアモリ人の山地に、またその近隣の者たちの地、 
すなわち、アラバ、山地、シェフェラ、ネゲブ、海辺、カナン人の地、
レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。
(申命記1:7)

イスラエルの民はうんざりするほど荒野にいました。 
緊急事態が解除されるのを待っていたのです。
荒野での生活は40年になりました。
そんなある日、上記の言葉が宣言されました。
荒野で生まれた人々は海も大きな川も見たことがありません。
世界は君たちを待っている、
君たちも全世界にはばたけと言われた感じがしますね。

「向きを変えて出発せよ」、
この言葉はあなたにとってどんな意味がありますか。



2020/05/08

最初は聞く

主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、
「サムエル、サムエル」と呼ばれた。
サムエルは「お話ください。しもべは聞いております」
と言った。
(第一サムエル3:10)

真夜中に聞こえた声に対して少年サムエルは、
お話ください聞いておりますと応答しました。
神との交わりが、こんな形で始まっています。

先に主が私たちを見ておられた。
私たちに話したい事があった。
だとすると、私たちの普段の祈りの交わりでも、
私たちが主の言葉に耳を傾ける事を優先したいです。
サムエルのような心でみことばを読みましょう。
祈りの中でも、まず主の語りかけを聞きましょう。



2020/05/07

鈍くなった斧

斧が鈍くなったときは、
刃を研がないならば、
もっと力がいる。
しかし、知恵は人を成功させるのに益になる。
(伝道者の書10:10)

忙しすぎると刃を研ぐ余裕が無くなり、
切れない斧で非効率な作業をすることになります。
包丁を使う主婦にも良く分かる話ですね。
これは生活全般に当てはまる公式です。
休暇を取る。ちょっと高いけど良い道具を買う。
時間をかけて勉強して新しい技能を習得する。
そうすると豊かな未来が開けてきます。

箴言や伝道者の書は一貫して「知恵」の大切さを語っています。
神を認め御前で謙虚になることが知恵の土台です。
神との交わりで生まれる知恵、 神に示された知恵、
その知恵こそが、私たちを研磨された斧へと高めてくれます。

(Photo by Honda)

2020/05/06

試練にあうときは

私の兄弟たち。
様々な試練にあうときはいつでも、
この上もない喜びと思いなさい。
あなたがたが知っているとおり、
信仰が試されると忍耐が生まれます。
(ヤコブの手紙1:2~3)

こんな事を言えるのは誰でしょう。
苦難と悲嘆を人よりも多く経験した信仰者にしか言えない言葉です。
エルサレム教会の指導者の一人で、教会の歴史の生き証人のヤコブが書きました。
(十二弟子のヤコブは早くに殉教者となっていました)
ペンテコステの日に大勢の人々が救われた喜びを経験し、
ステパノの殉教に始まった大迫害と愛する人々の死を体験し、
クリスチャンが難民となりエルサレムから散らされた無念さを知っていました。
そんな中でも信仰を守り通したヤコブだからこそ言える言葉なのです。


2020/05/05

ミニ新聞6号発行

「ウエストチャーチ交差点」第6号ができました。
心温まるあかしが裏面に掲載されています。

今週の祈祷会も連休でお休みです。
祈祷会の時刻にはネットお茶会をします。


「いつ」と「なぜ」

主は、いつまでも見放してはおられない。
主は、たとえ悲しみを与えたとしても、
その豊かな恵みによって、人をあわれまれる。
主が人の子らを、
意味もなく、苦しめ悩ませることはない。
(哀歌3:31~33)

「いつ、マスクは入荷する?」
「なぜ、マスクの在庫がないのか?」
スーパーの店員にイラついて詰め寄る人がいます。
冷静な人は、店員が答えられるはずがないし、
店員に落ち度はないと分かっています。

「いつ」と「なぜ」。
私たちがつらいとき、同じことを神に尋ねます。
苦難が深ければ深いほど、納得できる回答は安易にやって来ません。
そんな時は今日のみことばと向き合って下さい。




2020/05/04

あきらめるのはまだ早い

失望せずに善を行いましょう。
あきらめずに続ければ、
時が来て刈り取ることになります。
(ガラテヤ人への手紙 6章9節)

昨日はちょっと落ち込みました。
礼拝配信中にミスやトラブルが重なったからです。
奉仕者の方が心を込めて準備された賛美を
きちんとクリアに届けたかった。
テストを繰り返し聞こえ方を確かめて当日に臨みますが
色々起こります。(´・_・`)

妻のおいしい料理を食べたら、
あきらめずに続けようと思い直しました。
アイデアや改善点も見えてきました。
礼拝中に見えるみんなの笑顔にも励まされています。
さあ今週も元気で行きましょう!
あきらめずに続けてみましょう。
If we do not give up.






2020/05/03

居眠りしちゃった

ユテコという名の一人の青年が、
窓のところに腰かけていたが、
パウロの話が長く続くので、ひどく眠気がさし、
とうとう眠り込んで三階から下に落ちてしまった。
抱き起こしてみると、もう死んでいた。
(使徒20:9)

パウロはトロアスを訪れました。
最後の晩を迎え、もう二度と会えないと感じつつ、
クリスチャン達は夜中までパウロの話に耳を傾けていました。
ところが青年ユテコは居眠りしました。
窓辺か階段の上にいたのでしょう、落下して死亡しました。
でもパウロが彼を抱きかかえると命が戻りました。
主の恵みで命を返して頂きました、パウロ先生の祈りのおかげでした。
ただのミステイクにも、主の奇跡が及んだのです。
主はあわれみ深いですね。
ユテコは後できっと、教会のおばさんたちに
何度もからかわれたことでしょう。




2020/05/02

口で言わないと

また、わいせつなことや、
愚かなおしゃべり、
下品な冗談もそうです。
これらは、ふさわしくありません。
むしろ、口にすべきは感謝のことばです。
(エペソ5:4)

パウロは、聖徒にふさわしくないことを前半に列挙し、
最後に、聖徒にふさわしいことが何かを述べました。
感謝する事は、クリスチャンの大きな特徴だと分かります。
悪い言葉は周囲の人にマイナスイメージをばら撒きますが
感謝の言葉は周りを幸せにします。
今日、感謝を口に出してみましょう。
心の中で感じただけでは伝わりませんよ。

(Photo by Yamanaka)

2020/05/01

苦難の日に

苦難の日にはわたしを呼び求めよ。
わたしはあなたを助け出し
あなたはわたしをあがめる。
(詩編50:15)

アメリカにいた時、現地の警察官や消防士のクリスチャンと知り合いになりました。
今頃になって彼らに聞きたい事が出てきました。
プロポーズの言葉は「僕が君を守る」だった?

今日のみことばは簡潔で心に残ります。
神の約束は、こんなにも力強いのです。
他の誰かではなく、このわたしが助けると
はっきりと言ってくれました。
「誰か助けて!」と、当てもなく漠然と叫ぶ必要はありません。
私たちの神を呼び求めればいいのです。