2023/05/31

目指すもの

兄弟たち。
私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。
ただ一つのこと、
すなわち、うしろのものを忘れ、
前のものに向かって身を伸ばし、
キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、
その賞をいただくために、
目標を目指して走っているのです。
(ピリピ3:13~14)

律法学者時代のパウロは、知識を人より多く蓄え、
難行苦行に耐え、無知な民衆を陰で裁きながら、
有名な指導者になることが夢だったと思われます。

ですが彼は、イエスさまとの出会いによって
目のつけどころが変わりました。
イエスさまが示された目標を受け止め、
神が上に召して下さる目当てを見つけたのです。

人の目、人の評価など眼中にありません。
うしろのもの、過去の栄光などは意識にありません。

健全で価値ある目標を持ち、
燃える目を持って
一心に走り続ける喜び!

今、あなたは、何かの目標を持っていますか。
健康的で主に喜ばれる目標を持っている人は幸いです。
スタートの合図を待ちわびるマラソンランナーのような
胸の高鳴りを大切にしましょう。
そして、目標をめざして走り続けましょう。


2023/05/30

調べてみる

自分たちの道を尋ね調べて、
主のみもとに立ち返ろう。
自分たちの心を両手と共とともに、
天におられる神に向けてあげよう。
(哀歌3:40~41)

どうしてこんな事になったのだろう!
私たちは時折、困惑して立ち止まります。

最初にすることは
私たちの外側に原因を探すことです。
人のせい、環境のせい、
気持ちがふさいでいる時は、神のせいにします。

悲しみや困難を嘆きながらも
心が落ち着いてくると
自分の道を振り返れるようになります。

何もない手のひらに未練を残すのではなく
その手を主に向けてみよう。
その手と共に心も主に向けてみよう。
何かが始まるに違いない。

2023/05/29

口に手を当てます

ヨブは主に答えた。
ああ、私は取るに足りない者です。
あなたに何と口答えできるでしょう。
私はただ手を口に当てるばかりです。
一度、私は語りました。もう答えません。
二度、語りました。もう繰り返しません。
(ヨブ記40:3~5)

悲惨な試練を体験しても
最初ヨブは耐えていました。

ですが巨大なダムが決壊するように、
正直に気持ちを語り始めると、神を責める言葉が止まりません。

ヨブの言葉が尽きるまで、主は黙っておられました。
一つも逃さず主は耳を傾けて下さいました。

そして、主が口を開かれると
ヨブはすぐに自分の愚かさに気づきました。
自分の言葉に恥じ入りました。
間違っていたと悟りました。

神はいないと思い込んでいる人は、
生きておられる神に触れた時、
ヨブと同じ反応をすることでしょう。

私は何も知らなかった、
主は私のすべてを知っておられた、
黙って私を愛し、守っておられたと。

身近な人がヨブのように言ってくれる日が来ますように。

2023/05/28

群れを導く

あなたがたのうちにいる、
神の羊の群れを牧しなさい。
強制されてではなく、
神に従って自発的に、
また卑しい利得を求めてではなく、
心を込めて世話をしなさい。
(第一ペテロ5:2)

ペテロは一般読者に手紙を書いてきましたが、
その中で長老に向けて特別に語りました。
長老とは当時の牧師たちのことです。

そうではありますが、ここに書かれている内容は、
親、先輩、リーダー、年長者にも当てはまります。

人を導くことは
羊を導いて育て守ることに良く似ているのです。

自分の誉れや野望のために動かず、
自発的に誰かを育て守り導くことが肝要です。

牧す。世話をする。
羊は神の羊です。羊はあなたのすぐそばにいます。

あなたは誰を導くように
主から声をかけてもらっていますか。
あなたも現代の羊飼いとして招かれています。

2023/05/27

医者ルカ

愛する医者のルカ、それにデマスが、
あなたがたによろしくと言っています。
(コロサイ4:14)

パウロは獄中からコロサイの人々に手紙を書きました。

その手紙の最後に、ルカとデマスからの挨拶を加えました。
コロサイの人々は二人を良く知っていました。

デマスという人物をパウロは当時評価していました。
ですが、デマスが今の世を愛してパウロを見捨てたと
第二テモテ4章に書かれています。
デマスの信仰とパウロへの尊敬は一時的だったようです。

一方、ルカの信仰と態度は一貫していました。

ルカはパウロの健康状態を心配して医学の専門家として助け、
いつも一緒にいました。
それは使徒の働きを読むと分かります。

「愛する」ルカとパウロは言っています。
日頃の働きに対する感謝と信頼に満ちた表現です。

変わらない。
支え続ける。
離れない。

ルカは目に見えない主イエスを信じ愛し、
欠点と弱さもあるパウロに仕え続けました。

2023/05/26

胸が熱くなる

エフライムよ。わたしはどうして
あなたを引き渡すことができるだろうか。
イスラエルよ。どうして
あなたを見捨てることができるだろうか。
どうしてあなたを
アデマのように引き渡すことができるだろうか。
どうしてあなたを
ツェボイムのようにすることができるだろうか。
わたしの心はわたしのうちで沸き返り、
わたしはあわれみで胸が熱くなっている。
(ホセア11:8)

日本在住のあるフィリピン人牧師は、家の近くを散歩しながら
日本人が主イエスを信じて救われてほしいと祈っています。
滅びる姿を見たくないです。
主よ、お救い下さいと、毎朝泣きながら祈っておられます。

昔、ソドムとゴモラが滅ぼされた時、
近くにあったアデマとツェボイムという町も壊滅しました。
その事を思い起こして主は言っておられるのです。

イスラエルの人々よ。
ベツレヘムを含むエフライムに住む者たちよ。
滅びが近づいている。目を覚ませ。

主の心は悲しみとやるせなさで
胸が熱くなっていて
ご自分の気持ちを吐露せずにはいられないのです。

2023/05/25

守る方

主は、すべてのわざわいからあなたを守り、
あなたのたましいを守られる。
主はあなたを、行くにも帰るにも、
今よりとこしえまでも守られる。
(詩編121:7~8)

女性はお肌の荒れを嫌いますね。
信仰者は心の荒れをケアしたいものです。

疲れすぎたり、ミスしたり、
ひどい目にあったり、
納得できない一日が終わろうとするとき、
なかなか寝付けません。

魂に潤いが必要です。
心の保湿成分が足りていません。

弱り果てた夜は、詩編121編をゆっくり読みましょう。
どんなわざわいが襲って来ても
主は守ってくださるのです。

今も、明日も、ずっと先まで
主の保険は効いています。
今よりとこしえまでも守ってくださいます。

すべてのわざわいから守ると約束して下さいました。

2023/05/24

死んで生きる

死んだ者は、罪から解放されているのです。
私たちがキリストとともに死んだのなら、
キリストとともに生きることにもなる、
と私たちは信じています。
(ローマ6:7~8)

私たちは一度死にました。

バプテスマの儀式は、
私たちが主イエスと共に死んだことを象徴しています。
そして、事実、私たちは死んだのです。
死んだ人は、すべての縄目や呪縛から解放されます。

イエスさまは十字架で死なれた後、
よみがえられました。
私たちは、その主イエスと共に
今、生きています。

これが私たちの信じていることであり、
イエスさまが伝えて下さった福音です。

私たちは死んだ。そして新しい命で生きている。

人生のリスタートスイッチを押したので
罪赦された者として再起動できたのです。
しかも、最高の友、主イエスと共に歩き始めています。



2023/05/23

屋根の手すり

新しい家を建てるときは
屋上に手すりを付けなさい。
だれかがそこから落ちても、
あなたの家が血の責任を負うことの
ないようにするためである。
(申命記22:8)

ユダヤ人の家の屋根はフラットな場合が多く、
建物の横の階段で屋上に上ることができます。
新築の家を建てるときには、予算を節約せず、
屋上に手すりを付けるようにという指示です。

家族の一員や家にやって来たゲストが
屋上に上った時に
誤って落ちないようにするためです。

たとえば盲人用点字ブロックのことを考えて下さい。
その上に自転車や箱などを置くことは危険ですね。
子供が遊ぶ砂場に割れたビンなど捨ててはダメです。

危険が及ばないように配慮するのは
想像力を働かせた思いやりです。

見たこともない、名前も知らない人にも
愛が届くといいですね。

 

2023/05/22

あなたの名を呼んだ

だが今、主はこう言われる。
ヤコブよ、あなたを創造した方、
イスラエルよ、あなたを形造った方が。
「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのもの。
あなたが水の中を過ぎるときも、
わたしは、あなたとともにいる。
川を渡るときも、あなたは押し流されず、
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、
炎はあなたに燃えつかない。」
(イザヤ43:1~2)

あなたは試練の真最中ですか。
濁流の中を渡っていると感じますか。
火事になって炎の中を歩いているようですか。

主は言われます、恐れるなと。

主はそんな時こそ言われます。
あなたはわたしのものだと。

孤独を強く感じるその時に、
わたしはあなたと共にいると言って下さいます。

神の約束を心に留めましょう。
あなたは決して押し流されません。
炎があなたを燃やすことはありません。

あなたを創造した方は
あなたの名を今日も呼んでいます。


2023/05/21

主イエスのくびき

わたしは心が柔和でへりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。
そうすれば、たましいにやすらぎを得ます。
わたしのくびきは負いやすく、
わたしの荷は軽いからです。
(マタイ11:29~30)

疲れた人はわたしの所に来なさいと
主イエスが言われた続きの部分です。

牛などを二頭一緒にして農作業や
荷物運びをする時にくびきを使います。
たいていは同じ体格の家畜の首にあてがいます。

主イエスが提供してくれるくびきはそれとは違い
ほとんど主イエスが重たい部分を引き受け、
私たちを楽にさせてくれる魔法のようなくびきです。

主イエスとくびきを共にしていると
大切な事を学べます。
魂に安らぎが来ます。

とても軽いくびきです。

それが、主イエスと共に歩む信仰生活の姿です。
イエスさまと手を離さずに生きていきましょう。
ウォーキング・ウィズ・ジーザス!

 

2023/05/20

忍耐と励ましの神

どうか、忍耐と励ましの神があなたがたに、
キリスト・イエスにふさわしく、
互いに同じ思いを抱かせてくださいますように。
(ローマ15:6)

5節に聖書が忍耐と励ましを与えると書いてあります。
その続きの今日の聖句では
私たちの神が忍耐と励ましの神だと述べています。

ですから、忍耐と励ましの神が
聖書の言葉をもって力づけておられるのです。

あなたは、もうだめだ、力が失せたと感じていますか。
今日一日耐える力が主から来ます。
私たちの信じる神は、忍耐を与えて下さる神です。

前に進む力をなくしたちょうどその時に、
神は励ましてくれます。

マラソンの最中に、
もう走るのは無理だ、歩こうと考えた時に、
沿道で手を振る家族に気づき
「頑張って!」という声援を聞いて
無かったはずの力がわくことがあります。

忍耐と励ましの神の声援が
今日もあなたに届きますように。

2023/05/19

わたしが育てた

天よ、聞け。地も耳を傾けよ。
主が語られるからだ。
「子どもたちはわたしが育てて、大きくした。
しかし、彼らはわたしに背いた。
牛はその飼い主を、
ろばは持ち主の飼い葉桶を知っている。
しかし、イスラエルは知らない。
わたしの民は悟らない。」
(イザヤ1:2~3)

イザヤ書の冒頭のメッセージがこれでした。

神がイスラエルの民を育てましたが、
人々は主を忘れ去って背きました。
それがイザヤ書という交響曲の第一旋律です。

家畜でさえ育ててくれた主人を忘れないのに
人は実に恩知らずです。

親の恩というものは子育てをするようになりやっと分かります。
幼児の世話をし、しつけ、常識を教え、
十代の反抗期にもしっかり向き合い、
高い授業料の支払いで苦労するのが親です。

主は今も私たちに言われます。
あなたを育てて大きくしたと。

育ててもらった恩に報い、
感謝と尊敬をきちんと主にお返ししていきましょう。

 

2023/05/18

メネ、メネ

そのため、
神の前から手の先が送られて、
この文字が書かれたのです。
その書かれた文字はこうです。
「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン。」
(ダニエル5:24~25)

ネブカデネザルの息子ペルシャツァル王は
国中から有力者たちを集め大きな宴会を開きました。
エルサレム神殿から奪った金や銀の器を持って来させ、
飲み食いに使って自分の権威を見せつけました。

すると、その宴会の最中に人間の手の指が現れ
壁に何かの文字を書きつけたので王は凍りついてしまいました。
誰も読めません、意味もわかりません。

そこでユダヤ人のダニエルが呼び出されました。
そして見事にその意味を解き明かしました。

メネ=神が王の治世を終わらせた。
テケル=はかりで量っても目方が足らない。
パルシン=国は分割される。

神への傲慢不遜な態度は見過ごされることはありません。
指が壁に文字を書くという人間の予想を超えた方法で
神が直接語られることもあるのです。

いつも謙虚でいましょう。


2023/05/17

永遠のいのち

しかし、わたしが与える水を飲む人は、
いつまでも決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人の内で泉となり、
永遠のいのちへの水が湧き出ます。
(ヨハネ4:14)

井戸の水を飲ませて下さいと
主イエスはサマリアの女に頼みました。
これをきっかけに話題が深まって行きました。

水は人の命を保つために不可欠なものです。
信仰を持つこと、主イエスを信じる事、
それが私たちの命になります。

主イエスはそれを、「わたしが与える水」と言われました。
信仰を持つ者は心の中に泉を持つのです。
それが永遠のいのちであると教えて下さいました。

永遠のいのち。
それは、イエスさまという最高のピッチャーが投げる
超剛速球の直球です。
私たち人間の求めに応じたど真ん中のストライクです。

こんなにはっきりと言い切るのはイエスさまだけです。
永遠のいのちは確かにあるのです。
主イエスは永遠のいのちを与えるために
この世に来られたのです。



2023/05/16

船底で

水夫たちは恐れて、
それぞれ自分の神に向かって叫んだ。
そして、船を軽くしようとして
船の積荷を海に投げ捨てた。
一方、ヨナは船底に下りていて、
横になってぐっすり寝入っていた。
(ヨナ書1:5)

あなたは<ふて寝>をすることがありますか。
物事がうまくいかない時、
事態が自分の願いと反対になった時、
大きな挫折を経験した時、
一方的に叱られた時など、
文字通りふてねをしますね。

水夫たちは自分たちの神々に必死に祈り、
積み荷を地中海に投げ捨てて沈没を避けようとしました。

けれどもヨナは嵐で船が翻弄されているときに寝ていました。
揺れる船底でよく眠れたものです。

あなたは最近、ふて寝をしましたか。
神はそんなあなたの心を知っておられます。
あなたに寄り添っておられます。

もしかしたら、ふて寝ができるのは若い時だけかもしれません。

ひと眠りして、疲れをとって、
気持ちの一新ができたらいいですね。


2023/05/15

他国の言葉で

すると皆が聖霊に満たされ、
御霊が語らせるままに、
他国のいろいろなことばで話し始めた。
(使徒2:4)

ペンテコステの日に激しく聖霊が下り、
弟子たちの口からは様々な国の言葉が出てきて、
福音が語られ、神のすばらしさが伝えられました。

祭りに合わせて各地からエルサレムにやって来た人々は
弟子たちの流ちょうな外国語に驚き、
興味深く耳を傾けました。
その結果三千人がイエスさまを信じました。

主イエスの十字架の福音が
最初から世界に向けられていたことが
この日の出来事によって分かります。

神は、どこの国の人も分け隔てなさらず
愛して下さいます。
世界の人々に罪の赦しが必要なのです。

インターネットの普及で世界は狭くなり、
世界の人々とつながりやすくなりました。
日本国内に外国の人が住むようになりました。
世界の救いのために祈りましょう。
外国の人を助け、理解する人になりましょう。

2023/05/14

剣を鋤に

主は多くの民族をさばき、
遠く離れた強い国々に判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、
その槍を鎌に打ち直す。
国は国に向かって剣を上げず、
もう戦うことを学ばない。
(ミカ4:3)

ミカ書4章は、終わりの日について書いています。
まことの神を拝むために人々がシオンに集まり、
主のことばを聞く日が来るというのです。

その時、
剣や槍などの戦いの道具は農機具の鋤や鎌に
作り替えられるといいます。
もはや戦争がなくなるからです。

その日には、
独裁者や軍隊や戦車やミサイルはなくなります。

今、この瞬間も、世界のどこかで
現代版の剣や槍が使われ
多くの人が命を失っています。

主よ、この世界に平和を与えたまえ。
みことばが実現する日を早めて下さい。

 

2023/05/13

大きな石

すると、イエスは彼に言われた。
「この大きな建物を見ているのですか。
どの石も崩されずに、
ほかの石の上に残ることは決してありません。」
(マルコ13:2)

主イエスと十二弟子は神殿を見ていました。
当時のエルサレムで最大級の建物でした。
その大きさと美しさに圧倒されて
弟子の一人は感嘆の声を上げました。

それを聞かれたイエスさまは、
この壮大な神殿の巨石であっても
崩される日が来ると言われました。

まさかと弟子たちは思ったことでしょう。
ですが紀元70年、ローマ帝国によって
首都エルサレムは滅ぼされ、神殿は無惨に破壊されました。

主イエスのお言葉は二重性を持っています。
この神殿が破壊されるという意味と、
どんな時代の巨大建築も滅びるという意味です。

形あるものに永遠性はありません。
とこしえの主に栄光がありますように。



2023/05/12

胎内にいる時から

生まれる前から、
私はあなたにゆだねられました。
母の胎内にいたときから、
あなたは私の神です。
(詩編22:10)

妊娠中の母親がおなかの子供に声をかけるように、
神も生まれる前の子供を喜んでおられます。

私たちも皆、母の胎内にいた時から
神に愛され、神に期待されていました。

大人になって教会に来て聖書を読み
神がおられると分かります。
でも、それまでの間、
主は私たちを愛し続け、守って下さっていました。

クリスチャンホームの子供は、
「私は生まれる前から教会に来ていました」と
笑顔で人生を振り返ります。
神はその発言を聞かれてにこにこされるでしょう。
あなたが自意識を持つ前の胎児の時から
あなたを知り愛してきたよと神は言って下さるでしょう。

あなたは、ずっと愛されてきました。
あなたの想像を超える昔から、そして、これからもずっと。



2023/05/11

王の心得

その王国の王座に就いたら、
レビ人の祭司たちの前にある書から自分のために、
このみおしえを巻物に書き写し、
自分の手もとに置き、
一生の間これを読まなければならない。
それは、王が自分の神、主を恐れ、
このみおしえのすべてのことばと、
これらの掟を守り行うことを学ぶためである。
(申命記17:18~19)

最近、イギリス国王の戴冠式が行われました。
テレビでご覧になった方も多いと思いますが、
聖書が朗読され、賛美歌が歌われ、
神の御名によって王が任命されました。

旧約聖書の申命記は
王たる者にとって最も大切なことが何かを教えています。
神の言葉の権威の下にとどまり続ける事です。

王は自分のために
聖書をいつも手もとに置いて読み、
国民に先んじて神に従うことが求められました。

そうです、王だけでなく、
上に立つ者こそ聖書を読むべきなのです。

すべての人も、生涯を通じて、
聖書を何度も読みましょう。
初めから終わりまで読み続けましょう。

2023/05/10

自分を吟味

だれかが、何者でもないのに、
自分を何者かであるように思うなら、
自分自身を欺いているのです。
それぞれ自分の行いを吟味しなさい。
そうすれば、自分にだけは誇ることができても、
ほかの人には誇ることができなくなるでしょう。
(ガラテヤ6:3~4)

御霊に導かれている人は、
穏やかで、謙虚で、愛があり、勇気を持っています。
とげとげしていないし、自然体です。

罪を隠している人、
主に愛されていることが実感できない人、
人といつも比較している人、
自分中心の人は、
独特な<誇り>を鎧のように身にまとっています。

本来私たちに誇るべきところはありません。
命も体も能力も主から頂いたものなのですから。
環境もチャンスも生まれも主からの恵みなのですから。

私たちは何者でもありません。
自分をよく吟味しましょう。

その何者でもない私を、罪人の私を、
そのままを
愛して贖って下さった主をたたえます。

2023/05/09

愛と傷

あからさまに責めるのは、
ひそかに愛するより良い。
愛する者が傷つけるのは誠実による。
憎む者は多くの口づけでもてなす。
(箴言27:5~6)

昔に比べて、人と人との接触が希薄になっり、
傷つきたくないから深く関わらない事が多いですね。

時に、あなたの伴侶が、あるいは親が、子供が、親友が、
あなたの問題点を真剣に指摘する事があります。

それは痛いです!
でも確かに当たっています。

しばらく熟慮の時間が必要ですが、
「言ってくれてありがとう」という気持ちになります。

家族は、愛しているから直言してくれます。
真剣になって、捨て身になって、本気で言ってくれます。

愛って、
痛いけど温かい。



2023/05/08

祝福に応じて

あなたの神、主が与えてくださった祝福に応じて
それぞれ自分の贈り物をもって出なければならない。
(申命記16:17)

イスラエルの民は年に3回、
主への感謝を表す祭りを行っていました。
種なしのパンの祭り(=過ぎ越しの祭り)、
七週の祭り、仮庵の祭り。

祭りの時は仕事を全面的に休み、主を礼拝します。
そして、必ず何かささげものを携えて集まります。

収穫物を持ってきます。家畜を連れてきます。
それらは、主への感謝のいけにえとなると同時に
一緒に集まった家族にとっての楽しい祝いの食事になります。
15節では「大いに喜びなさい」と命じられています。

主がまず私たちを祝福して下さいました。
その祝福に応じて何かをもって主の前に出るのです。

すべては主から頂いたものです。


2023/05/07

主は生きておられる

主は生きておられる。
ほむべきかな、わが岩。
あがむべきかな、
わが救いの神。
(詩編18:46)

日曜礼拝のメッセージを語る最初に、
私は朝の挨拶をしてから、
「主は生きておられます」と言います。

何年前から始めたのか、
もはや見当もつきません。

「主は生きておられる」という宣言はとても力があります。
誰かがそう言うのを聞くと励まされますが、
自分の口で言うともっともっと強められます。

「主は生きておられる」というフレーズは
アメリカのイースター礼拝で何度も繰り返されます。

私たちは生きておられるお方を礼拝しています。
生きておられる神と共に歩んでいます。
今日も主は生きておられます。


2023/05/06

慰め

私には、あなたがたに対する大きな確信があり、
あなたがたについて大きな誇りがあります。
私は慰めに満たされ、
どんな苦難にあっても喜びに満ちあふれています。
(第二コリント7:4)

コリント教会とパウロの間には
かつて深い亀裂が生じていました。
それを乗り越えた今、強い繋がりが確認できます。

とことん議論し、
取っ組み合いの喧嘩をしても、
最後に笑い合う親友のような関係になっていました。

パウロは心から言っています。
コリント教会の人々に強い確信を持っている、
あなたがたのことを思うと大きな誇りを感じる、と。

心と心が通じ合う喜びこそが
何にも増して大きな慰めになります。
その慰めがあるので
どんな苦難にも立ち向かえるようになるのです。

あなたのために祈ってくれる人がいると思います。
あなたも、その人のために祈りましょう。
クリスチャン同志の強い絆は
苦難に耐える力になるのです。


2023/05/05

主よ、信じます

イエスは、ユダヤ人たちが彼を外に追い出したことを聞き、
彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」
その人は答えた。
「主よ、私が信じることができるように教えてください。
その人はどなたですか。」
イエスは彼に言われた。
「あなたはその人を見ています。あなたと話しているのが、その人です。」
彼は「主よ、信じます」と言って、イエスを礼拝した。
(ヨハネ9:35~38)

一人の盲人が主イエスと出会いました。
主イエスの言われた通りにシロアムの池に行って目を洗いました。
すると目が見えるようになったのです。

その男性は、安息日に主イエスによって癒されたことを理由に
宗教権威者から敵視され、尋問を受けた後に、
除名扱いされてしまいました。

そんな時、主イエスが声をかけて下さり、
人の子を信じるかと言われました。
目の前にいるのがイエスだと分かると
心から信仰を表明し、その場で主イエスを礼拝しました。

この男性の素晴らしい点が二つあります。
第一、主イエスのお顔を見る前に、その言葉に従った。
第二、村八分にされても信仰を表明した。

「主よ、信じます。」

 

2023/05/04

耳を傾けること

サムエルは言った。
「主は全焼のささげ物やいけにえを、
主の御声に聞き従うことほどに
喜ばれるだろうか。
見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、
耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」
(第一サムエル15:32)

サウル王は主の命令を破って、家畜を連れ帰りました。
聖絶のものはすべて焼き尽くすようにとの命令に背いたのです。

サウルが見事な家畜を見たとき
惜しむ心に飲み込まれました。

祭司サムエルはサウルの行為を厳しく責めました。
主が喜ばれる事は主に聞き従うことであり、
それ以上に価値のあるいけにえは無いと諭しました。

主に耳を傾ける姿勢が大事なのです。
誰をファーストにするのかが問われているのです。

まず聞く。主の言葉を理解する。そして動く。
聞き従うことは、いけにえにまさるのです。

2023/05/03

その夜、主はギデオンに言われた。
「立って、あの陣営に攻め下れ。
それをあなたの手に渡したから。」
(士師記7:9)

ギデオンは主の指示に従い、
招集された兵士の数をどんどん減らしました。

臆病な者は帰れとギデオンが言うと、
2万2千人の兵士が去り、1万人が残りました。
周囲への警戒をせずに水を飲んだ9千7百人は帰されました。
勇気と集中力のある300人の精鋭だけが残りました。

攻め下れと主が命じられたのはその夜でした。
かなり無謀な作戦に感じられます。

でも実は、このタイミングしか勝ち目はなかったのです。
敵のミディアン人が、ギデオンたちの人数を察知すれば
圧倒的な人数で包囲して勝利したことでしょう。
先延ばしをしたら全滅だったのです。

敵はギデオンが攻めて来るとは思っていないので
その夜の奇襲作戦が効果的だったのです。

主がGOとサインを出されたなら、
躊躇せずに前に進みましょう。
主は勝利を約束して下さいました。
「あの陣営に攻め下れ」「あなたの手に渡したから」

 

2023/05/02

結婚とは

それゆえ、
男は父と母を離れ、
その妻と結ばれ、
ふたりは一体となるのである。
(創世記2:24)

神が結婚を定めました。
だから聖書は結婚についての最高の教科書です。

新郎も新婦もそれぞれの両親から
精神的、物理的、経済的に離れることが第一歩。
分離なしには
結婚相手との結合がピタッといきません。

結婚によって二人は一つになります。
そして一つのユニットとして
それぞれの両親に親孝行をするのです。

神が二人を合わせたので
誰も引き離すことはできません。

結婚式はゴールではなく、スタートです。
水を注ぎ、光を当て、養分を与えて、
二人で美しいイングリッシュガーデンを作るのです。

結婚式で誓約を交わす新郎新婦の目を
間近に見るたびに私は感動します。
澄んだ瞳、純粋な愛、相手に対する誠実さ。

将来の希望にあふれた二人に幸あれ!

2023/05/01

実を結ぶ若枝

ヨセフは実を結ぶ若枝、
泉のほとりの、実を結ぶ若枝。
その枝は垣を越える。
(創世記49:22)

ご存じのようにヨセフの人生は波乱万丈でした。
溺愛され、わがままだった少年時代。
兄たちに憎まれて奴隷に売られ、
エジプトで出世しても無実の罪で牢屋行き。
起死回生でエジプトの高官に抜擢され
飢饉対策の責任者になりました。

兄たちとの再会後は葛藤を乗り越え
ゆるす心が与えられ、
父や兄たち家族を飢饉から救い出しました。

ヨセフの人生は一言でいえば
実を結ぶ人生です。

若枝のようにみずみずしい成長力があり、
垣を越えて広がって行く祝福された人生です。

泉のほとりとは、
恵みを注がれる神と共に歩み続ける信仰を象徴しています。
あなたも実を結ぶ若枝の一本です。