2020/11/30

吟味する

何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。

実を結ばない暗闇のわざに加わらず、

むしろ、それを明るみに出しなさい。

(エペソ5:10~11)

 

悪者の仲間になるな、

光の子らしく歩めというのが前後の文脈です。


「~をしても良いものでしょうか?」と

言いにくそうに私に尋ねる方が時々います。 

今日の聖句がそうした質問への回答です。

 

平らな心になって考えましょう。

自分の動機も点検しましょう。

両手を開きながら、結果はゆだねて、祈ってみましょう。

主に喜んでもらえる事なら、どんどんやりましょう。

そうでなければ、きっぱり捨てましょう。

 

(photo by Hattori)


 

 

 

 

2020/11/29

その日

その日には、

エルサレムからいのちの水が流れ出る。

その半分は東の海に、

残りの半分は西の海に向かい、

夏にも冬にも、それは流れる。

主は地のすべてを治める王となられる。

その日には、主は唯一となられ、御名も唯一となる。

(ゼカリヤ14:8~9)

 

インターネットのおかげで世界の様子が見えてきました。

王たちや指導者たちが民衆を苦しめ、

悪政を行っている様子も分かってきました。

人々は、まことの王を求めています。

正義ときよさと愛と真実を持った王を待ち望んでいます。

 

聖書は、「その日」が来ると予告しています。

神が王となる日が来る、とはっきり書いています。

その時、エルサレムからいのちを与える水が流れて世界を潤します。

その日は必ず来ます。






2020/11/28

忠実ではなかった

私は、私を強くしてくださる、

私たちの主キリスト・イエスに感謝しています。

キリストは私を忠実な者と認めて、

この務めに任命してくださったからです。

(第一テモテ1:12)

 

パウロには、いわば前科がありました。

キリスト者を捕らえて暴力をふるい、

死に至らしめた過去がありました。


忠実な者ではなかった。

それはパウロ自身がよく知っていました。

キリストはそんなパウロを「忠実な者」と認め、

励まし、伝道者として任命してくださいました。

その上、力を与え強めてくれました。

パウロは、主のお取り扱いに感謝し、

頭を垂れています。

こうした謙虚さはとても美しく、また大切です。 


(photo by Minami)




 

2020/11/27

若い人は

どのようにして若い人は

自分の道を清く保つことができるでしょうか。

あなたのみことばのとおりに

道を守ることです。

(詩篇119:9)


高校生時代、私はYLCやHi-BAに通って聖書を学んでいました。

その頃に暗唱した代表的な聖句です。

 

若い頃は自己認識ができず、人と比べて落ち込みます。 

経験が浅いので未来を悲観します。

誘惑に出会うとコロリと負けます。

情熱も体力もありますが、不安定で制御不能です。

 

若者に必要なのは、良き友、良き先輩、良きアドバイス、

そして何より、神の言葉です。

聖書の言葉を心に蓄えていましょう。


(photo by Minami)



 

 

 



2020/11/26

愛は寛容

愛は寛容であり、愛は親切です。

また人をねたみません。

愛は自慢せず、高慢になりません。

(第一コリント13:4)

 

つまらない比較がトラブルの原因になります。

あの人は私の思い通りに動かない。(→寛容でない)

あの人はできすぎる。幸せ過ぎる。(→ねたんでいる)

あの人は使えないが、私はできる。 (→自慢、高慢)


相手のありのままを受け入れることが愛です。

私たちも、そうしてもらえたら自由で楽です。

親切にしている時は、悪意が消えます。

相手の良い点を認め、ほめるなら、私も幸せになります。

キリストがありのままの私を愛してくれるので、

背伸びする必要がないし、自慢しなくてすみます。

 

愛は寛容です。今日は、寛容で行きましょう。


(photo by Minami)








2020/11/25

キリストが生きている

もはや私が生きているのではなく、

キリストが私のうちに生きておられるのです。

今私が肉において生きているのは、

私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、

神の御子に対する信仰によるのです。

(ガラテヤ2:20)


私の命の本質を見つめてみましょう。

パウロによれば、

生きているのは私ではなく、キリストだというのです。


それを聞くと、ほっとします。

私を愛して下さったキリストのいのちが、

私の内で生きている。

 

それなら、もうジタバタする必要はありません。

 


 






2020/11/24

あきらめる時

求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。

保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

(伝道者の書3:6) 


私たち夫婦は引っ越しを12回しました。

日本を出る時の引っ越しは、家具類を全部処分しました。

やっぱり、そんな時は悲しいです。

日本に戻った時はスーツケースだけで来て、

船荷の段ボール箱を一ヶ月待ちました。

 

引っ越し先では、与えて下さいという祈りをしました。

転居の時は、捨てられますようにと祈りました。

 

人生には色々な時がありますね。

求めたり、あきらめたり。

得る時もあり、失う時もある。

そのすべての事の上に、主の大きな御手があります。

 


 

 

 

 

 


 

 

 

 

2020/11/23

わたしは主である

あなたは耳の聞こえない人を軽んじてはならない。

目の見えない人の前につまずく物をおいてはならない。

あなたの神を恐れよ。

わたしは主である。

(レビ記19:14)

 

人間社会には悲しい面があります。

身体的な弱さを持つ人、自分達と異なる外見の人を

いじめるという残酷さを持っています。

 けれども、神の温かいまなざしが例外なく注がれています。


「あなたの神を恐れよ」とあるのは、

悪さをする人に対して神は厳しく対処するという警告です。

 

目の見えない人や耳の聞こえない人が

町の中で困っていたら一声かけてみましょう。

 

(photo by Minami)


 

 





 



2020/11/22

助ける人

どうか、私から遠く離れないでください。

苦しみが近くにあり

助ける者がいないのです。

(詩篇22:11)


ダビデは人生で何度も命の危険に遭い

神の助けを求めました。

誰よりも孤独と悪意と罠を経験した人でした。

それゆえに、ダビデの祈りが私たちを慰めてくれます。

 

雑踏の中で、駅のベンチで、道端に止めた車の中で、

めまいや激痛や吐き気で動けなくなったことがありますか。

 「いえ、大丈夫です」と無理して返事したけど、

あの人に残ってもらえば良かったと後悔したことがありますか。

 

困った時は、まず主に助けを求めましょう。

そして、恥ずかしがらずに身近な人に助けを求めましょう。

助ける人が必ず備えられます。


(Photo by Hattori)


 

 

 

 

 

 

 

 

 



2020/11/21

神の国を目指して

イエスは苦しみを受けた後、

数多くの確かな証拠をもって、

ご自分が生きておられることを使徒たちに示された。

四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。

(使徒1:3)

 

主イエスは十字架の死の三日後によみがえり、

あまり知られていませんが、

40日間も弟子たちと共に過ごされました。

 

主イエスは何のために40日も現れたのでしょう。

神の国というビジョンを示されたのです。

仕事をしても、家事や子育てをしても、学校にいても、

「神の国のために」という方向性を持っているなら、ぶれないのです。

努力し、忍耐し、希望を持てるのです。

 

私たちは皆、神の国を建て上げる職人です。

あなたの役割は何でしょう。


(Photo by Minami)



 




2020/11/20

木々の歌

そのとき、森の木々も喜び歌う。主の前で。

主は必ず、地をさばくために来られる。

(第一歴代誌16:33)

 

大自然に接すると私たちは何か大きなものに感動します。

「何か」とは、大自然を作られた偉大な造り主です。

自然は、その存在を通して神をたたえているのです。

木々は神を歌い、賛美しているのです。


C・S・ルイスが書いた『ナルニア国物語』では

こうした聖書箇所を土台にした<歌う木々>が登場します。

 

ローマ8章によれば、

被造物は世界のあがないの完成を待ち望んでいます。

全地よ主をたたえよ、人よ、主を賛美せよ。

 

(photo by M. Kawakami)


 

 

 

 


 


 

 

2020/11/19

白髪になっても

ヤコブの家よ、わたしに聞け。

イスラエルの家のすべての残りの者よ。

胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。

あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。

あなたが白髪になっても、わたしは背負う。

わたしはそうしてきたのだ。

わたしは運ぶ。背負って救い出す。

(イザヤ46:3~4)

 

神は、私たちを誕生前から見つめ、

私たちが生きている間、私たちを愛し、守り、育て、助け、

私たちが白髪になっても捨てずに背負ってくださいます。

私たちが認知症になっても神の態度は変わりません。

死の先も一緒にいてくれます。

 

神の眼差しはいつも私たちの上にあり、

私たちはみな神に背負われています。

 

(photo by Minami)


 



 


2020/11/18

見捨てない

強くあれ。雄々しくあれ。

彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。

あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。

主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

(申命記31:6)

 

この言葉は120歳の老人の言葉です。

別れの挨拶でもありました。

モーセがヨルダン川を前にして語ったもので、

私は一緒に行けないが、心配いらない、

主は見放さず見捨てないと保証しました。

 

あなたも見捨てられることはありません。

ひとりぼっちではありません。

だから、恐れず、雄々しくあれ。

 

(photo by Mizuno)


 

 

 





2020/11/17

知恵を捨てるな

知恵を捨てるな。

これがあなたを守る。

これを愛せ。

これがあなたを保つ。

(箴言4:6)

 

「知恵」を捨てるなと箴言は言っています。

どうしてですか。

知恵があなたを守ってくれるし、支えてくれるからです。 


箴言における知恵とは単なる知識のことではありません。

以下のように言い換えることもできます。

 神のみこころ。

 主の導き。

 神を恐れ敬う信仰。

 神が教えてくれた生き方や判断力。

 誘惑に負けない心や耐える力。

 神ご自身。

 

知恵をしっかり握りましょう。

 

(photo by M. Goto)


 

 

 

 


 

 

2020/11/16

門が開くように

同時に、私たちのためにも祈ってください。

神がみことばのために門を開いてくださって、

私たちがキリストの奥義を語れるように祈ってください。

この奥義のために、私は牢につながれています。

(コロサイ4:3)

 

神さまの事を知りたい。

イエスさまを信じたい。

罪の解決を求めている。

そういう人々が教会に来る背景には

私達の祈りや愛や努力以上に

主が門を開いて下さった要因が大きいのだと思います。


パウロは伝道できるように祈って欲しいと

獄中から頼みました。

自由に外に出て活動ができない時でした。


これはコロナの中にいる私たちへの励ましに聞こえます。

今、人々は閉塞感を覚え、本物を求めています。

死を恐れ、希望を探しています。

 

主が門を開いて下さるように祈りましょう。

 

(Photo by Minami)


 

 

 

 

 

 



 

2020/11/15

高価な真珠

天の御国はまた、

良い真珠を探している商人のようなものです。

高価な真珠を一つ見つけた商人は、

行って、持っていた物すべてを売り払い、

それを買います。

(マタイ13:45~46)

 

天の御国がどんなに素晴らしいかを伝えるために、

主イエスはこの小さなたとえを語られました。


真珠商人がある日、一つの真珠を見つけ、

その価値に気づいて自分の全財産を売り払って買いました。

周囲の人はその行動を見て驚くでしょう。

でも、真珠商人は生涯で最高の喜びと満足を手に入れました。


天の御国は、それほどに素晴らしいものです。

それがほんの少しでもリアルに分かったら、

信仰も、生き方も、死に対する態度まで激変するでしょう。

 

主よ、天の御国について教えて下さい。

 

(Photo by Minami)


 




2020/11/14

涙の日に

昼も夜も、私の涙が

私の食べ物でした。 

「おまえの神はどこにいるのか」と

人が絶えず私に言う間。

(詩篇42:3)


つらさが許容量を超えてしまうと涙になります。

大切なものが破壊されたり、永久に失われた時に涙が出ます。

はらはら流れる涙、思い出すたびに出る涙。

神をあざける言葉を投げ付けられると、悲しみは一層募ります。

 

涙は決して悪者ではありません。

涙は神からのプレゼントだと私は思います。

涙が出たので苦しさに耐えられたのです。

聖書は、涙を流している人に共感してくれます。

 

今、涙の時を過ごしている方に

主からの特別な慰めがありますように。

 

(Photo by Kiba)


 

 

 

2020/11/13

前進せよ

主はモーセに言われた。

「なぜ、あなたはわたしに向かって叫ぶのか。

イスラエルの子らに、

前進するように言え。」

(出エジプト記14:15)

 

モーセはイスラエルの民を連れてエジプトを出ましたが、

目の前は紅海が広がり、後ろからはエジプト軍が迫ってきました。

絶体絶命。民は激しく動揺しました。

 

海辺なので身を隠す場所もありません。

海岸沿いに逃げても追いつかれるでしょう。

奴隷に戻りますと言って命乞いをするしかありません。


そんな時、神はモーセに前進を命じました。

海に向かって進めというのです。

主を信頼して前に歩くと

海が開かれ、向こう岸に到着できました。

 

あなたの前にも主が道を作られます。

 

(Photo by Kiba)





 

2020/11/12

神を求める人たち

だれが主の山に登り得るのか。

だれが聖なる御前に立てるのか。

手がきよく心の澄んだ人

そのたましいをむなしいものに向けず

偽りの誓いをしない人。

(詩篇24:3~4)

 

誰が主の前に立てるのか。

完全にきよく澄み切った心を持つ人、

不正や嘘や偽りを一切持たない人。

でも、そういう完璧な人は実際には存在しません。

 

この聖句の後に続く節で、そういう人々を

「神を求める者たち」、「御顔を慕い求める人々」(詩篇24:6)

と呼んでいます。 

神をもっと知りたいと願う人、神とさらに親しくなりたい人は、

聖霊の助けを受けやすく、

心と行動が整えられ、神に似せられていきます。

それが聖化の鍵かもしれません。

 

プレイズの歌詞にあるように

「主よ、愛します」「慕い求めます」と賛美しましょう。


(Photo by Hattori)



 

 

 


2020/11/11

忠告をきかない

貧しくても知恵のある若者は、

忠告を受け入れなくなった

年老いた愚かな王にまさる。

(箴言4:13)

 

他者からの忠告が聞こえなくなったら

どんなに業績のある人でも

高い地位の人でも゛終わった人゛になってしまいます。

経験がなくても謙虚な若者には未来が微笑んでいます。

 

あなたのために率直に意見を言ってくれる人と

あなたのために真剣に祈ってくれる人を

いつまでも大事にしましょう。

 

(Photo by Minami)



 

 

 


 

 



 

 

2020/11/10

賛美リーダーの声

この戦いは、あなたがたが戦うのではない。

堅く立って、あなたがたとともにおられる主の救いを見よ。

ユダとエルサレムよ、恐れてはならない。

おののいてはならない。

明日、彼らに向かって出陣せよ。

主はあなたがたとともにおられる。

(第二歴代誌20:17)

 

敵がヨシャファテ王に戦いを挑んできました。

軍事力では敵が圧倒的に優勢でした。

王は、神に目を注ぎ、心を注ぎ出して祈りました。 


主の霊は賛美リーダーのレビ人、ヤハジエルに下りました。

今日の言葉は王ではなく、預言者でもなく、

賛美リーダーのヤハジエルの言葉なのです。

心から賛美している人は主の臨在の中にいるので

主の心を感じ取れるのです。


戦いの日、民の先頭に立ったのは

武器を持った軍隊ではなく聖歌隊でした。

そして勝利しました。


私たちの戦いも主の戦いです。

 

(Photo by Hattori)


 


2020/11/09

肩にかかっている

立ち上がってください。

このことはあなたの肩にかかっています。

私たちはあなたに協力します。

勇気を出して、実行してください。

(エズラ10:4)

 

学者エズラは故国に帰って来て驚きました。

人々の中に隠れた罪が広がっていた事を知り、

失意のあまり座り込んでしまいました。

 

涙ながらに彼と共に祈った人々は、

厳しい現実でも神のみこころを実行すべきですと

エズラのリーダーシップに期待をかけました。


そうです、あなたの肩にかかっているのです。

あなたの協力者も応援してくれます。

さあ、リーダーシップを発揮しましょう。


(Photo by Hattori)




 


2020/11/08

原因か目的か

弟子たちはイエスに尋ねた。

「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。

この人ですか。両親ですか。」

イエスは答えられた。

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。

この人に神のわざが現れるためです。」

(ヨハネ9:2~3)

 

弟子たちは、原因を探しました。

主イエスは、目的に焦点を当てました。

 

私たちも弟子と同じ考え方をしがちです。

目の前の現実は起きてしまった事で元に戻りません。

犯人捜しは不毛です。親のせいでも、本人のせいでもありません。

むしろ、目的、未来、新しい可能性、神の栄光に目を向けましょう。

主イエスが見るように、私たちも見たいですね。

 

(Photo by Kiba)




 

 



2020/11/07

苦難が生み出すもの

それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。

それは、苦難が忍耐を生み出し、

忍耐が練られた品性を生み出し、

練られた品性が希望を生み出すと、

私たちは知っているからです。

(ローマ5:3~4)

 

最近の心理学は科学的実験を用い、昔とだいぶ様子が変わってきました。

ストレスが人にプラスに働くことがあると言うのです。

ストレスが、人を強くし、優しくし、忍耐強くし、賢くする。

ストレスの良い面を知った人は、苦しみに出会った時の対応が違うというのです。

 

2000年前、パウロがそのデータを知っていたはずはありません。

キリストを心に受け入れている人は、

ストレスの受け止め方が前向きで、苦難からも良いものを取り出せます。

パウロは体験的にも確信を持ってそう言えました。

 

苦難はあなたを強め、豊かにし、希望を与えます。

 

(Photo by Mizuno)


 

2020/11/06

苦しみを受けて

しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、

恥じることはありません。

かえって、このことのゆえに神をあがめなさい。

(第一ペテロ4:16)


苦しみには3種類あります。

1)自分の罪や言動が招いた結果

2)周囲の悪意によるいじめや不法

3)信仰ゆえの迫害

ペテロは第三番目に言及しました。


主イエスを信じている。礼拝に通っている。

信仰ゆえに嘘をつかないし、悪に加担しない。

そのために中傷、誤解、迫害を受けたなら、主をあがめなさいと言うのです。

 

いい加減な信仰者は迫害の対象になりません。

ならば迫害は勲章とも言えます。胸を張りましょう。

ペテロの考え方は、主イエスの山上の教えにルーツがあります。

天で報いが多いのです。むしろ喜べと主イエスも言われました。

恥じることなく、正々堂々とキリスト者として歩みましょう。

 

(Photo by Hattori)


 





 

2020/11/05

4と9

永久に死を飲み込まれる。

神である主は、すべての顔から涙をぬぐい取り、

全地の上からご自分の民の恥辱を取り除かれる。

主がそう語られたのだ。

(イザヤ25:8) 


日本の病院では部屋番号などで4や9を使いませんね。

人が最も恐れるものが死(4)と苦(9)だからです。

アメリカでも嫌われる数字はありますよ。

 

まことの神は、私たちを永久に死から解放してくれます。

涙をぬぐい去ると主が約束して下さいました。

恥辱からも完全に解き放って下さいます。


人生がどんなにつらくても、

社会が矛盾と不正と嘘に満ちていても、

私たちのラストにはハッピーエンドが約束されています。

 

(Photo by Hattori)


 

 

 

 

2020/11/04

二年の空白

ところが、献酌官長は

ヨセフのことを思い出さないで

忘れてしまった。

(創世記40:23)


ヨセフは無実の罪で監獄にいて、

エジプト王の献酌官と料理官がそこに収監されて来ました。

二人の見た夢をヨセフが解き明かすとその通りになりました。

私の事を忘れずに王にも伝えてほしいと、ヨセフは献酌官に頼みましたが、

命拾いした献酌官はヨセフのことをすっかり忘れ、二年が過ぎました。

 

王が夢を見て、解き明かせる者を探しました。

そのタイミングで献酌官がヨセフを思い出し、

ヨセフが王の夢を見事に解き明かし、

彼は王の信頼を得て顧問役に選ばれました。


献酌官が忘れても、神は忘れていません。

二年間は時間の浪費ではなく、神のジャストタイミングだったのです。

 

(Photo by Hattori)



 

 

 

 

 

 

 

2020/11/03

タルシシュへ

しかし、ヨナは立って、

主の御顔を避けてタルシシュへ逃れようとした。

彼はヤッファに下り、

タルシシュ行きの船を見つけると、

船賃を払ってそれに乗り込み、

主の御顔を避けて、人々と一緒に

タルシシュへ行こうとした。

(ヨナ書1:3)

 

敵国の首都ニネベの人々を救え、という主の命令を聞いて

ヨナは神に反発しました。

高い船賃を払って預言者ヨナはニネベと反対方向に逃げ出しました。


神を知っている人が神に反発している姿は

中学生や高校生が親に心を閉ざす時期に似ています。


「主の御顔を避けて」と二回書かれていますが

神の目は終始ヨナの顔に向けられていました。

愛のこもった神の視線に気づきましょう。

 

(Photo by Minimi)


 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

2020/11/02

バルナバさん

バルナバはそこに到着し、

神の恵みを見て喜んだ。

そして、心を堅く保って

いつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。

(使徒11:23)

 

アンテオケで、自然発生的に教会がスタートしました。

しかも外国人が主要メンバーでした。

エルサレム教会はそこにバルナバを派遣しました。

 

アンテオケで信仰を持った外国人クリスチャンたちは、

喜びにあふれていたでしょう。

でも、まだまだ未熟な信仰理解で、

信仰生活は身についていないし、

様々な点で粗削りだったはずです。

 

不完全な部分ばかりに目が行く人なら、

全然なってない、と叱ったでしょう。

バルナバは彼らを見て喜び、励ましたのです。

ここが「慰めの子」らしい点です。

 

あなたも、バルナバになれます。

 

(Photo by Minami)



 


 

2020/11/01

とりなしの祈り

こうしたことのため、私たちはいつも、

あなたがたのために祈っています。

どうか私たちの神が、あなたがたを召しにふさわしい者にし、

また御力によって、善を求めるあらゆる願いと、

信仰から出た働きを実現してくださいますように。

(第二テサロニケ1:11)

 

パウロやテモテたちが、

とりなしの祈りをしていたことが文面から分かります。

テサロニケのクリスチャンたちが

神から受けた使命に生きることができるようにと祈っています。

 

「あの事はどうなりましたか」と聞いてくる人がいますが、

これは、祈ってくれた人の挨拶です。

 

誰かの悩みや苦しみを聞いた時は、心配するだけで終わらせず、 

その場で声を出して一緒に祈れたら一番良いですね。

電話で話を聞いた時も、電話口で祈れます。

情報として知った時は、瞬間的に、心で祈る事ができます。

朝のデボーションの時にも繰り返し祈れます。


クリスチャンの交わりの温かさは

祈りのネットで支え合うことで作られています。

 

(Photo by Hattori)