2021/09/30

神の子とされる

あなたがたはみな、
信仰により、
キリスト・イエスにあって
神の子どもです。
(ガラテヤ3:26)

自分は誰なのかという
アイデンティティーの問題は
年齢や立場で形を変え
やっかいな課題になります。

孤独や能力不足や容姿を嘆く若者。
病気、加齢、不遇で落ち込む中高年。
私らしさは何か、どこに所属しているのか。

主の恵みにより、信仰の助けにより、
アイデンティー問題に
大きな光が与えられています。

信じた私たちは神の子にされました。
神の家族となり、
神のリビングルームでくつろげるのです。
父なる神が、特別な保護下に置いて下さったのです。

能力で差別されない、
過去や弱さで切り捨てられない、
温かい愛でくるまれ、
新しい未来に気づき、
自分が自分らしくいられるのです。

私は神の子、いつのまにか
自分が神の姿に似ていく事に
驚きと感動を覚えるのです。




2021/09/29

主の心に近づきたい

主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、
その心がご自分と全く一つになっている人々に
御力を現わしてくださるのです。
あなたは、このことについて愚かなことをしました。
これからは、あなたには数々の戦いが起こるでしょう。
(第二歴代誌16:9)

ユダの王アサは北王国の侵略に怯え
アラム王に助けを求めました。
それは、神に信頼を置かず、
武力を頼り、人に信頼する行為でした。

予見者ハナニはアサ王を責め
今日の言葉を述べました。

アサ王が神を信頼していれば、
つまり、神と同じ心になっていたなら
主は御力を現わし、助けて下さったと。

若い頃、アサ王は良い政治を行い、
偶像を追い出し、主に信頼していましたが、
晩年になって信仰が揺らぎました。

主よ、どんな時でも、歳を重ねても、
困難に直面しても、あなたの心と一つで
いられますように。


 

 

 



2021/09/28

その町のために祈れ

わたしがあなたがたを引いて行かせた、
その町の平安を求め、
その町のために主に祈れ。
その町の平安によって、
あなたがたの平安を
得ることになるのだから。
(エレミヤ29:7)

バビロン捕囚となった民に
預言者エレミヤが語りました。

あなたが転居した先の
見知らぬ外国の町のために
祝福を祈りなさい、
平安を求めなさいと。

その町に主から平安が来るなら、
その平安は自分に舞い戻ると。

希望と違った町を毛嫌いするか、
その町のために主の平安を祈るか、
それは私たち次第なのです。


2021/09/27

かめの粉

イスラエルの神、主が、
こう言われるからです。
「主が地の上に雨を降らせる日まで、
かめの粉は尽きず
壺の油はなくならない。」
(第一列王記17:14)

あなたは貧乏ですか。
私も貧乏暮らしを経験しました。

「貧しいので切り詰めて生活しています。」
と言う人がいるでしょう。
「家賃や学費やローンを払うだけで精一杯、
月末は辛いです。」
とうつむく方もいるでしょう。

そんな人でも、これが最後のお米になりました、
と言って米櫃を見つめる人は少ないかもしれません。

預言者エリヤが訪れた町に
極貧のやもめがいました。
彼女の話を聞くと、これが最後の食料で
パンを焼いたら粉は終わりだと言うのです。

エリヤが彼女に言った言葉が
今日の聖句です。
主が私たちのお金と生活を守ると
約束されました。

この後、本当に、
かめの粉は尽きませんでした。




2021/09/26

歌い手を任命

ダビデはレビ人の長たちに命じて、
彼らの同族の者たちを歌い手として任命し、
琴、竪琴、シンバルなどの楽器を手に、
喜びの声をあげるようにさせた。
(第一歴代誌15:16)

神の箱を都に運び入れる時に
ダビデは聖歌隊を組織するように命じました。

ダビデ自身も竪琴を演奏しますし、
詩篇も作ります。
芸術の賜物があり、
音楽賛美の大切さを良く知っていました。

それで、神に仕えるレビ人の中から、
歌い手と演奏家を集めました。

このレビ人たちは、まず
自分自身が神を礼拝し賛美をささげました。
そして、人々の賛美をヘルプする使命を担いました。

主よ、私たちの教会の音楽奉仕者を感謝します。
その労に報いて祝福し
これからも豊かに用いて下さい。



2021/09/25

子を訓練するように

あなたは、
人がその子を訓練するように、
あなたの神、主が
あなたを訓練されることを
知らなければならない。
(申命記8:5)

幼い子が自分で靴をはけるまでには
かなり時間がかかります。
その横には親がいて、忍耐強く教えます。

また、親は子供に
挨拶の言葉と態度を教えます。
子供は照れたり、嫌がったりしますが、
その場できちんと言わせます。
それで社会人としての常識が身に付きます。

神は訓練して下さいます。
私たちがまだ身に着けていない
大切な事があるとお考えだからです。

訓練はとても辛いです。
訓練には目的があります。
訓練によって私たちは整えられます。
訓練の背後には、神の愛があります。






2021/09/24

赤ちゃんが生まれる

エリシャは言った。
「来年の今ごろ、
あなたは男の子を抱くようになる。」
すると彼女は言った。
「いいえ、ご主人様。神の人よ、
このはしために偽りを
言わないでください。」
(第二列王記4:16)

夫婦がいました。二人は預言者エリシャに仕えていました。
エリシャは何かお礼をしようと考えて、
今日の言葉を述べました。

ずっと願ってきたけど、
夫は高齢だし、
それだけは絶対に無理、
気休めなどはいりませんと妻が怒り出しました。

翌年、男の子が生まれたと17節に書いてあります。

子供は作るものではなく、
与えられるもの。

私の知り合いの副牧師は長く子供がいませんでした。
主任牧師がその夫婦に、エリシャと同じような言葉を言いました。
翌年、本当に子どもが生まれました。
私はびっくりしました。そんな事があるのですね。


 




2021/09/23

嬉しくて

「主が神の箱のことで、
オベデ・エドムの家と
彼に属するすべてのものを祝福された」
という知らせがダビデ王にあった。
ダビデは行って、
喜びをもって神の箱を
オベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上げた。
(第二サムエル6:12)

王になったダビデは、
神の箱を首都に運び入れました。
ダビデは嬉しくてしょうがありません。

神の箱が運ばれる時、
ダビデは飛び跳ねてダンスをしました。

こうしたダビデの姿を見ると、
信仰が生きていることが分かります。
信仰を義務や行事や習慣だと考えず、
人生を貫く活力にしています。

ダビデは生活の中心に神を置いたのです。
それがダビデの信仰姿勢であり、
国政の要となりました。

「ダビデは、主の前で力の限り跳ね回った」
(第二サムエル6:14)



2021/09/22

鷲のように

若者も疲れて力尽き、
若い男たちも、つまずき倒れる。
しかし、
主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように、翼を広げて上ることができる。
走っても力衰えず、
歩いても疲れない。
(イザヤ40:30~31)

疲れてませんか、お父さん。

若者たちの走る姿はかもしかのようで、
見ていて爽快です。
そんなヤングマンでも
疲れ果てて倒れることがあります。
人の体力や気力には限界があるのです。

でも信仰者は違います。
鷲のようだとイザヤは言うのです。
高い山には強風が吹きます。
鷲はその風を大きな翼で受け止めて
高く高く空を舞うのです。

小鳥のように自力でバタバタせずに、
神という偉大なお方を待ち望み
主の力によって昇りましょう。

信仰者よ、
自分が鷲であることを思い出せ。



2021/09/21

正しく歩むと

正しい人には苦しみが多い。
しかし、
主はそのすべてから救い出してくださる。
(詩篇34:19)

正しく生きているのに
辛い場合があります。

悪に染まった環境にいれば、
正しく歩むだけで目の敵にされます。

まじめに行動すると
遠回りだったり、手間が増えます。

主のために生きると、
周囲に理解されない場合もあります。

でも、主は見ていて下さいます。
そして、助け出して下さいます。
どんな状況からも救い出して下さいます。

神の救いの手は力強いのです。




2021/09/20

請求は私に

もし彼があなたに
何か損害を与えたか、
負債を負っているなら、
その請求は私にしてください。
(ピレモンへの手紙18)

逃亡奴隷のオネシモは
流れ流れてローマに着いて、
パウロに出会い、回心し、
クリスチャンとして訓練を受けました。

オネシモを
主人のもとに返すと決めたパウロは、
推薦状的な手紙を書き、
その中でお金の問題に触れました。

オネシモが逃亡する時に
盗んだ金があったらその分を弁償すると
パウロが約束したのです。

パウロの愛は具体的でした。
きっぷのよい与える人でした。

パウロは江戸っ子だったのですか、
いいえ、天国っ子=神の子なのです。

その請求は私に!





2021/09/19

すべての点で同じ

したがって、
神に関わる事柄について、
あわれみ深い、
忠実な大祭司となるために、
イエスはすべての点で
兄弟たちと同じようにならなければ
なりませんでした。
それで民の罪のなだめがなされたのです。
(ヘブル2:17)

イエスは天から下り、
私たちと同じ肉体を取り、
人として歩まれました。

疲れと痛み、悲しみと無念さ、
人間と同じ感覚をすべて体験されました。

人の辛さを知っておられるので
あわれみ深い大祭司の役割を果たせたのです。

私たちの身代わりになるために
私たちと同じになられました。

私の苦しみを知っていて下さるイエスさま
ありがとう。




2021/09/18

占領すべき地

ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。
主は彼に告げられた。
「あなたは年を重ね、老人になった。
しかし、占領すべき地は
たくさん残っている。」
(ヨシュア記13:1)

モーセ亡き後、
ヨシュアは若き指導者になりました。
月日が流れ、今は彼も立派な年寄りです。

普通はここで引退、
余生をゆっくり過ごそうとなります。

ところが主はヨシュアに言われました。
占領すべき地がまだ残っている、
しかもたくさんあると。

なすべき事があるのは嬉しいことで、
主が必要だと言って下さるなら光栄です。

さて、あなたの占領すべき地は
何でしょう。



2021/09/17

ヨセフの信仰

モーセはヨセフの遺骸を携えていた。
それはヨセフが
「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。
そのとき、あなたがたは私の遺骸を
ここから携え上らなければならない。」
と言って、イスラエルの子らに
堅く誓わせていたからである。
(出エジプト記13:9)

意外なことですが、
そこにヨセフの遺骸がありました。

エジプトを脱出した人々は
ヨセフの棺を大切に運んでいたのです。

それは、創世記50章に書かれているように、
ヨセフの遺言に基づいていたのです。
「神は必ずあなたがたを顧みてくださる」
我が民族を祖国に帰して下さる。
それがヨセフの信仰だったのです。

ヨセフは、信仰と希望の射程距離を
死後はるか彼方まで伸ばしていました。
今かなわなくても、何年先でも
主が祈りに答えて下さると信じたのです。

主よ、私の信仰を堅くして下さい。
私の祈りと希望を強くして下さい。





2021/09/16

望みは神から来る

私のたましいよ
黙って
ただ神を待ち望め。
私の望みは神から来るからだ。
(詩篇62:5)

牧師のための二泊三日の修養会に出席したことがあります。
テーマは「神を待ち望む」でした。

講師のハンス・ビュルキ師は
「これから沈黙しましょう。
食事中も、自由時間も誰とも話さず、
主だけを待ち望みましょう。」と言われました。

それで今までにない雰囲気の修養会になり、
最後の分かち合いの時間になって
参加者が様々な事を教えられた事が分かりました。

黙って神を待ち望みましょう。

本当の望みは神からしか来ません。





2021/09/15

成長させて下さる方

私が植えて、
アポロが水を注ぎました。
しかし、成長させたのは神です。
ですから、大切なのは
植える者でも水を注ぐ者でもなく、
成長させてくださる神です。
(第一コリント3:6)

コリントの開拓伝道をしたのはパウロでした。
つまりパウロが植えたのです。
その後、伝道者のアポロがコリントを訪れ
クリスチャンたちの信仰成長を助け、
水を注いだのです。

こうした背景から、コリント教会では
パウロ派とアポロ派ができて対立し、
パウロがそれを嘆いたのです。

信仰の成長に役立つことはたくさんあります。
尊敬できる信仰の先輩に出会う事は幸せです。
でも、成長させて下さるのは神だという理解は
とても大事なのです。
救われたのは主の恵み、
成長は聖霊の助けによるのです。

主よ、植物が光や水や養分で大きくなるように、
私の信仰もあなたが育てて下さい。


2021/09/14

イエスのために失う

自分のいのちを救おうと思う者は
それを失い、
わたしのためにいのちを失う者は、
それを救うのです。
(ルカ9:24)

自分のためだけに生きるなら
空虚だと主イエスは指摘しました。

権力や富や名声を自分のために欲する人は
大事なものを失い、
目標が達せられても不毛です。

主イエスのために行動するなら
その動機も、プロセスも、結果も
無駄にならず
神の栄光を表すことになります。

たとえそれが失敗に終わっても
価値あることに変わりありません。

主イエスのために失ってみましょう。


 




2021/09/13

金銀はないが

すると、ペテロは言った。
「金銀は私にはない。
しかし、私にあるものをあげよう。
ナザレのイエス・キリストの名によって
立ち上がり、歩きなさい。」
(使徒3:6)

美しの門に座り、物乞いをしていた男は
生まれつき歩けませんでした。
いつものように、
お金をめぐんでくれそうな人を
捜しているとペテロと目が合いました。

ペテロにお金の持ち合わせはありません。
でも、もっと良いものをあげたいと思い、
主イエスの名で歩けと励ましました。
すると男性はペテロの言葉を真剣に聞き、
主イエスを頼って立ち上がり、歩き出したのです。
彼の人生が一瞬で変わりました。

私たちは金銀より素晴らしいものを
いつも持ち歩いています。
誰かにそれを差し上げましょう。
今日も誰かと目が合うかもしれませんよ。




2021/09/12

いのちのパン

イエスは言われた。
「わたしがいのちのパンです。
わたしのもとに来る者は決して
飢えることがなく、
わたしを信じる者はどんなときにも、
決して渇くことがありません。」
(ヨハネ6:35)

子供に人気のアニメ「アンパンマン」の
絵本で登場した初期のイメージは随分違いました。
困っている人に自分の顔(パン)を食べてもらうヒーローで、
聖書的な感じがしました。(バイキンマンはいませんでした)

主イエスは出エジプト時代の出来事を話されました。
イスラエルの民は荒野で特別なパンを主からもらっていました。
天から降って来た食べ物、マナです。

わたしが現代のマナだ、と主イエスは言われました。
イエスは天から下り、人々に命を与えるために来られたのです。
わたしを食べる者は飢えない、渇かない。
わたしを信じることが食べることだ。

いのちのパンであるイエスは
ご自分の命を捨てることによって
私たちに命を与えて下さいました。

私たちは、今日も
主イエスの命によって生かされています。
主よ、命を感謝します。



2021/09/11

きっと癒される

彼女はイエスのことを聞き、
群衆とともにやって来て、
うしろからイエスの衣に触れた。
「あの方の衣にでも触れれば、
私は救われる」と
思っていたからである。
(マルコ5:27~28)

彼女は十二年間、病気に苦しんでいました。
医者も薬も役に立たず、
お金だけが出て行きました。

失望していたところに、
主イエスの噂を聞き、最後の望みを託しました。
人込みに隠れて、主イエスの着物に触ってみよう。
きっと主はいやしてくれる。

この発想は彼女のオリジナルで、
純粋な信仰の現れでした。

主イエスに触れる直前、
彼女の手は震えていたことでしょう。
信じます。
あなたは癒すことができます。
私は必ず救われます。

あなたも信じて主イエスに触れてみましょう。
信仰でも直球勝負が大事なのです。




2021/09/10

5時から男

しかし、主人はその一人に答えた。
「友よ、私はあなたに不当なことはしていません。
あなたは私と、
一デナリで同意したではありませんか。
あなたの分を取って帰りなさい。
私はこの最後の人にも、
あなたと同じだけ与えたいのです。」
(マタイ20:14)

主イエスは、ぶどう園のたとえを語られました。

農園主がぶどう園で働く人を雇いました。
午前九時に雇い、別な人を正午に雇い、
三時にも、五時にも雇いました。

農園主が労働者に日当を渡すとき、
九時の人にも、五時の人にも
同額を渡しました。
長く働いた人が文句を言いました。

九時から働いた人に主人が言った言葉が、
今日のみことばです。
働けば一デナリ与えると
雇う時に皆に約束していたのです。

五時から働いた人、それが私なのです。
神の恵みの大きさが分かるたとえ話ですね。
私たちは、えこひいきされるくらい
愛されているのです。




2021/09/09

軽蔑されたとき

お聞きください。
私たちの神よ。
私たちは軽蔑されています。
彼らの侮辱を彼ら自身の頭上に返し、
彼らが捕囚の地でかすめ奪われるように
してください。
(ネヘミヤ記4:4)

人々は城壁再建工事に熱心に取り組んでいました。
敵対者はそれを怒り、
悪口を言って人々のやる気を削ごうとしました。
たとえ城壁ができても、
狐一匹上っただけで壊れるさ、と馬鹿にしました。

それを聞いたネヘミヤは
神にそのままを伝えて祈りました。
神よ、こんなふうに言われました。
ひどい言葉です。
狐一匹で壊れるはずもありませんが
悪質な妨害で、心に刺さる悪口です。

誰かがあなたの努力をあざ笑っていますか。
あなたの血のにじむ苦労を
笑いの種にしていますか。
言わせておきましょう。
それを神に聞いていただきましょう。
汗と涙と血を流した者だけが
完成祝賀会に出られるのです。





2021/09/08

被造物を見ると

神の、目に見えない性質、
すなわち神の永遠の力と神性は、
世界が創造されたときから
被造物を通して知られ、
はっきりと認められるので、
彼らに弁解の余地はありません。
(ローマ1:20)

周囲を見てごらんとパウロは言いました。
自然の美しさ、大きさ、秩序を見ると
その背後に創造主である神がいることを
誰も否定できないと説明しました。

グランドキャニオンに行って私は驚きました。
スケールがものすごい。
地層がきれいに色分けされていてずっと続いています。
太古は海だったので水平な地層ができたのです。
その後隆起し、コロラド川で侵食され
深さ1000mを超える谷が作られました。

大自然、つまり神の被造物を見ると、
創造主の偉大さ、力、美、知恵、愛、など
様々なことに気がつきます。
今日、大空を見上げて主の偉大さをたたえましょう。


 


2021/09/07

時にかなって

神のなさることは、
すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、
神の行うみわざの始まりから終わりまでを
見極めることができない。
(伝道者の書3:11)

計画を立てて、
その日を楽しみにしている人がいます。
また、大切な事を
いつ実行すべきか悩んでいる人もいます。

でも予定通りに進まない事が多いです。

静かに人生を振り振り返ると
あのタイミングでしたのは
本当に良かったと思えることがあります。

その時は喜べずに悲しんだことでさえ
かけがえのない出来事に変わることがあります。

神のなさることを見つめましょう。
永遠の視点から。






2021/09/06

待つ

それゆえ主は、
あなたがたに恵みを与えようとして待ち、
それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる。
主が義の神であるからだ。
幸いなことよ、
主を待ち望むすべての者は。
(イザヤ30:18)

「待つ」という言葉に注意してください。
誰が待っているのでしょう。

恵みにもタイミングがあります。
あわれみも気まぐれで来るわけではありません。
神は、最適の瞬間まで待っておられます。

私たちも主を待ちます。
待つ経験が信仰を深めます
待つ人は忍耐が養われます。

神は、もう立ち上がっておられるかもしれません。 

主を待つ人は幸いです。






2021/09/05

さあ、主を喜ぼう

さあ、主に向かって喜び歌おう。
私たちの救いの岩に向かって喜び叫ぼう。
感謝をもって御前に進み、
賛美をもって主に喜び叫ぼう。
(詩篇95:1~2)

礼拝する前なのに
既に礼拝で恵まれた雰囲気になっています。
ちょっとフライング気味とも思えるくらい
喜びに溢れています。

さあ、集まろうよ、と言ってる感じです。
主の前に行こう。楽しみだね。
一緒に礼拝に出かけよう。
主に会える喜びで胸がわくわくする。

礼拝に出席する時は、
受け身の姿勢ではなく
賛美したい、ひざまずきたい
感謝をささげたい
主の前に出ること自体が待ち遠しいと、
主体的に、自ら進んで礼拝したいですね。

主を礼拝していると本来の姿を取り戻せます。
主も私たちとの再会を喜んで下さいます。
礼拝は喜びです。


 

2021/09/04

配慮と尊敬

同じように、夫たちよ、
妻が自分より弱い器であることを理解して
妻とともに暮らしなさい。
また、いのちの恵みをともに
受け継ぐ者として尊敬しなさい。
そうすれば、あなたがたの祈りは
妨げられません。
(第一ペテロ3:7)

妻の弱さを責めるのではなく
弱さを補うことが男性の仕事です。

妻を尊敬することは
本来の男らしさであり、
夫としての愛の表明です。

おいしい料理を心からほめて
尊敬をあらわしましょう。

仕事で苦労しているお父さんに対して
みんなで称賛の言葉を言いましょう。

夫婦や家族で
お互いの尊敬できるところを
折々に言える家族になりたいですね。
「今まで、ほめた事が一度もない」ですって!
それは、ほめられません。

配慮と尊敬は愛の言葉。
それを主に向ければ礼拝と賛美の言葉になるんです。



 

 


2021/09/03

耳に聞かせよ

エレミヤはバルクに命じた。
「私は閉じ込められていて、主の宮に行けない。
だから、あなたが行って、
あなたが私の口述によって巻物に書き記した主のことばを、
断食の日に主の宮で民の耳に読み聞かせよ。
また、町々から来るユダ全体の耳にもそれを読み聞かせよ。」
(エレミヤ6:5~6)

沈没する船で福音を語る伝道者を想像して下さい。
それが預言者エレミヤなのです。
滅亡間近なユダ王国で、神の言葉を語り続けたのです。

拘束されていた預言者エレミヤはバルクに頼みました。
エレミヤが神から受けた言葉を
巻物に書き写し、人々に語るようにと。

書き終えたバルクは宮に行き、
人々にその言葉を聞かせました。

私たちもバルクと似た立場にいます。
福音を託されているのです。

日本の人々の耳に福音が届きますように。 


2021/09/02

こんな少しで何になる?

「ここに、大麦のパン五つと、
魚二匹を持っている少年がいます。
でも、こんなに大勢の人々では、
それが何になるでしょう。」
(マタイ6:9)

男性だけでも五千人、みんな空腹でした。

弟子の一人、アンデレは食料を捜し歩き、
食べ物を持っていた少年を連れてきましたが、
失望気味に言ったのが今日の言葉でした。

主イエスはアンデレの言葉には反応しません。
その代わり、人々をグループに分けて座らせ、
パンと魚を増やす奇跡を行いました。

食べ物の量が問題ではなく、
誰の手にそれが握られるかが大事だったのです。

今、何かが不足していますか。
パンと魚の代わりに
その不足しているモノを入れて読み直して下さい。

何になるのでしょう! ではなく、
数えきれないほど、増えます。




 

 

2021/09/01

施しは隠れて

あなたがたが施しをするときは、
右の手がしていることを
左の手に知られないようにしなさい。
あなたの施しが、
隠れたところにあるようにするためです。
そうすれば、
隠れたところで見ておられるあなたがたの父が、
あなたに報いてくださいます。
(マタイ6:3~4)

施しは、寄付をするとか、誰かを経済的に助けることです。
広く理解すれば親切な行為も含まれると思います。

寄付とか善行は、人に見せるためのものではない。
むしろ隠れているから価値がある。
これが主イエスの教えです。

良いことをした後に
お礼が来ないと怒ったり、
名前を張り出してほしいと言う人もいます
忘れられる位が丁度良いのです。

自分のお金、時間、体力、能力などを
誰かのために使うときだけ
さわやかな気持ちになれます。
不思議ですね。

施しを隠れてしちゃいましょう。