2024/02/29

海岸で祈る

滞在期間が終わると、私たちはそこを出て、
また旅を続けた。彼らはみな、
妻や子どもたちと一緒に町の外まで私たちを送りに来た。
そして海岸でひざまずいて祈ってから、
互いに別れを告げた。
私たちは船に乗り込み、彼らは自分の家に帰って行った。
(使徒21:5~6)

若者は礼拝が終わってもなかなか帰りません。
昔若かった人も教会の駐車場で長話をしています。
主にある兄弟姉妹との交わりは素晴らしいものです。

パウロ達はエルサレムに向かう旅の途中でした。
献金を届ける目的がありました。
乗っていた船がパレスチナの港町ツロに立ち寄ったので
クリスチャンを探し訪ねて泊めてもらいました。

船の積み下ろし作業の7日間、短い期間ですが、
パウロ一行は現地の信者と親交を深めました。
恵みのあかしを語り合い、祈ったり、食事したり、
多くを学び、たくさん笑い、たくさん涙したことでしょう。

教会におけるクリスチャンの交わりの原型がみられます。

エルサレムで困難が待っていると御霊に示されていたので、
出発の時は辛かったはずです。
別れを惜しんで、あわれみ深い主に今後をゆだねて、
海岸で跪いて祈りました。

教会の兄弟姉妹との交わりは、主にあっての一期一会。
聖霊の導きの中でキラキラと輝きます。
主にある仲間を大切にし、愛し、祈り、支え合いましょう。

2024/02/28

他人は救った

同じように祭司長たちも、律法学者たち、
長老たちと一緒にイエスを嘲って言った。
「他人は救ったが、自分は救えない。
彼はイスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおう。
そうすれば信じよう。」
(マタイ27:41~42)

祭司長、律法学者など当時の権力者たちは、
主イエスの処刑が実施され、後は死ぬばかりと思ったので、
主イエスを笑いものにしました。

その中で、「他人は救った」と言いました。

不用意に発したあざけりの言葉に事実が含まれていたのです。
主イエスが他人を大切にする愛の人であり、
奇跡は事実だったと証言したも同然なのです。

祭司長たちも、主イエスが他人を救ったことを知っていたのです。
その事実がなければ、このあざけりの言葉は出てきません。

祭司長たちは、
十字架から降りれば、あなたを救い主として
信じると述べました。

私たち信仰者はこう言うでしょう。
イエスさまが十字架から降りて来なかったので
救い主として信じましたと。

2024/02/27

呼び求めるなら

ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。
同じ主がすべての人の主であり、
ご自分を呼び求めるすべての人に
豊かに恵みをお与えになるからです。
「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。
(ローマ10:12~13)

ロンドンで、国際色豊かな賛美大会に参加したことがあります。
イギリス人、東欧の人、日本人、
アジアの山岳部族、アフリカ人。
それぞれのグループが賛美歌を歌うのですが、
メロディーやリズムが全然違います。
音圧や曲調や雰囲気にお国柄が出ます。
でもみんな同じ主をたたえました。

ユダヤ人とギリシア人はまったく違う民族です。
文化と言語が根本的に違います。
でもパウロは言います。
民族の違いは問題にならない。
主イエスが救い主だと。

主の御名を呼び求める人なら
どんな民族の人でも救われます。
どんな罪人も救われます。

私は無理だと言う人がいますか。
大丈夫、その人も救われます。
主の御名を呼び求めればよいのです。

2024/02/26

道、真理、いのち

イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、
だれも父のみもとに行くことはできません。」
(ヨハネ14:6)

私の高校生時代、教会に通い始めて
このみことばに出会った時の衝撃はすごかったです。
圧倒的な剛速球でストライク。
大きな感動を持って読みました。

こんな事を言える人は他にいません。
絶対にいません。

救いを得るための道が、わたしだ。
真理とは、わたしだ。
新たな命を与えるのは、わたしだ。
そう言えるのは神だけです。

火事で煙に巻かれた時に、消防隊員が救助に来て、
「私について来なさい」と言ってくれるような
安心感のある言葉です。

この強く確信に満ちた言葉を
私は信じました。
あなたもそうでしょう。
そして、多くの人が待ち望んでいる言葉です。

2024/02/25

人がいない

主はこれを見て、公正がないことに心を痛められた。
主は人がいないのを見て、
とりなす者がいないことに啞然とされた。
それで、ご自分の御腕で救いをもたらし、
ご自分の義を支えとされた。
(イザヤ59:15~16)

神の民イスラエルの中で
正義が失われ、不正が蔓延し、
信仰の灯が消えようとしていました。

罪がはびこり、
虐げや不平等が大手を振っていました。

主はそれをご覧になって
心を痛められました。

人がいないと感じられました。
神と人の間に立とうという人材もありません。

ここに私がいます。
私をお用い下さい。
そう申し出る人を主は求めておられます。

2024/02/24

呼んで来なさい

イエスは立ち止まって、
「あの人を呼んで来なさい」と言われた。
そこで、彼らはその目の見えない人を呼んで、
「心配しないでよい。
さあ、立ちなさい。あなたを呼んでおられる」と言った。
その人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。
(マルコ10:49~50)

エリコの町を主イエスが通られました。
道端に、目の見えない物乞いで、
バルティマイという男性が座っていました。
(マルコの福音書だけが彼の名を記録していて、
優しさを感じます)

バルティマイが大声でイエスさまを呼び続けたので、
周囲の者は邪魔者扱いして黙らせようとしました。

主イエスはその騒動に気づいて
あの人を呼んで来なさいと言われたのです。

バルティマイは大喜びで
上着を脱ぎ捨てて歩き出しました。

彼の目は見えるようになるのですが、
彼を呼び寄せてくれた時点で、
すでに彼の心は癒されていたのでしょう。

心配しなくてよい。
あなたは主イエスに呼ばれています。
これは世界中の人へのメッセージです。

2024/02/23

旅の歌

あなたのおきては
私の旅の家で私の歌となりました。
主よ、夜にはあなたの御名を思い起こし
あなたのみおしえを守ります。
(詩編119:54~55)

夫婦や友人との旅は楽しいものですが、
一人旅はちょっと緊張します。
知らない駅に下り、知らない町を歩き、
目的地に着くとほっとします。

人生は旅です。

神の言葉は
私たちの人生の旅を導いてくれます。
心を慰め、励まし、支えてくれる歌となります。

夜を迎え、一日を振り返ると、
神の守りを感謝できます。

神の言葉が
私たちの一日を導いてくれたと感じられ、
明日への活力となります。

私たちは主と共に歩む旅人。
主がずっと同伴してくれます。
旅人を励ましてくれるみことばの歌を
絶やさないようにしましょう。

2024/02/22

悪い事ばかり?

悩み苦しむ者の毎日は悪いことのみ。
心に楽しみのある人には毎日が祝宴。
(箴言15:15)

起きてから寝るまで嫌なことだらけ。
毎日、悪い事ばかりが続くと嘆く人がいます。
下りだけが続くジェットコースターは存在しません。
(落ちるだけのフリーフォールがありました!)

大きな苦しみを体験したり、失望に慣れてしまって、
良いものを見つける力を失ったのでしょう。

本当はどうなのでしょう?
あなたは毎日をどう感じていますか。

一方では、喜んでいる人がいます。
まるで毎日が祝宴に感じられます。
すべてが楽しく見えるのです。

たぶん、外部の者が観察すれば、
悩む者と楽しむ人の毎日の生活自体は
それほど変わらないと思います。

両者とも、嫌な人に出会い、理不尽な扱いを受けながらも、
親切な人に触れ、嬉しい事もあるはずです。

主に感謝する心でリセットすれば感謝が見つかります。
今日は良い日だと信じて、主と共にスタートしましょう。

2024/02/21

見よ、神の子羊

その翌日、ヨハネは再び二人の弟子とともに立っていた。
そしてイエスが歩いて行かれるのを見て、
「見よ、神の子羊」と言った。
二人の弟子は、彼がそう言うのを聞いて、
イエスについて行った。
(ヨハネ1:35~37)

バプテスマのヨハネは弟子を持っていました。
そのうちの二人にはっきり言いました。
「見よ。神の子羊」

しかもこれは二度目の発言で、二日連続です。

目の前のイエスさまを見ながら、
世の罪から人々を救うメシアだと弟子に告げたのです。
それで二人はイエスさまの所に行き、
泊まり込んで話を聞くことになりました。
そのうちの一人がアンデレでした。
そして、アンデレはペテロに知らせました。

バプテスマのヨハネはどこまでも謙虚でした。
自分の弟子を手放したのです。

荒野の声、という自分の役割を自覚して、
自分を消す、という使命を見事に果たしました。

主イエスを指し示す役割は尊い働きです。

2024/02/20

望みであるキリスト

私たちの救い主である神と、
私たちの望みであるキリスト・イエスの命令によって、
キリスト・イエスの使徒となったパウロから、
(第一テモテ1:1)

虹は、雨空の時にしか現れません。

小雨が降っている暗い天気を想像して下さい。
突然、西の空に雲の切れ間が現れ
夕方の鋭い太陽光が差し込んで来ると
最も鮮やかな虹が出現します。

イエスさまこそ私たちの希望です。

雨の日も、苦難の日も、霧の日も、後悔の日も、
涙の日も、落胆の日も、孤独の日も、苦痛の日も、
どんな時であっても主イエスは私たちの希望です。

あきらめるのは明日にしましょう。
今日は、主イエスに信頼しましょう。

私たちがあきらめても、
イエスさまはあきらめません。


だから揺るがない希望なのです。

2024/02/19

四分割された像

また人の子ら、野の生き物、空の鳥がどこに住んでいても、
これをことごとくあなたの手に与えて、治めさせられました。
あなたはあの金の頭です。
あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こり、
その次の第三の青銅の国が全地を治めるようになります。
そして第四の王国ですが、それは鉄のように強い国です。
鉄はすべてのものを砕いてつぶしますが、
その国は、打ち砕く鉄のように、
先の国々をすべて粉々に砕いてしまいます。
(ダニエル2:38~40)

バビロンのネブカドネツァル王は言いました。
私の夢を解き明かせ、しかし内容は教えない。

誰も解き明かせず、困ったことになりました。
その中でダニエルは神に祈り、答えを頂きました。
王に解釈を告げたのが今日の箇所です。

王が見た夢は巨大な像でした。
世界の歴史の流れを予告した夢でした。

像の頭は金でバビロニアを示し、やがて滅びます。
胸と両腕は銀、次の帝国となるペルシャのことです。
腹とももは青銅、ギリシアを指し、
足は鉄と粘土で、ローマ帝国を表します。

大帝国や王たちの上に主がおられます。

金集めに夢中になる政治家や残酷な独裁者が
歴史を動かしているのではありません。

歴史は英語でhistoryですが、
His story (彼=神の物語)と読み換えてみると
歴史に光が差し込む気がします。

神こそ歴史の主です。




2024/02/18

流されないために

こういうわけで、私たちは聞いたことを、
ますますしっかりと心に留め、
押し流されないようにしなければなりません。
(へブル2:1)

今、強い力で押し流されていませんか。

社会、経済、人の圧力、罪の誘惑、病気などが
大きな力であなたを押しやろうとしています。
一度流されると回復に時間がかかります。

流されそうになった時に
頼りになるのは動かないものです。

私たち信仰者にとって動かないものとは、
神ご自身です。
聖書で聞いた約束の言葉です。

何回も読んだり暗記した有名な聖句が
いざという時に一番頼りになります。

聖書の言葉を
心にしっかりと留め置きましょう。


私たちは押し流されません。

2024/02/17

良い消息

遠い国からの良い消息は、
疲れたたましいへの冷たい水。
(箴言25:25)

あなたの友達や家族で
一番遠くに住んでいる人は誰ですか。
どこに住んでいて、どんな課題を抱えていますか。
最近、連絡がありましたか。

家族や友人から便りが届き、
心配していた問題も解決したと分かると
私たちはすごく嬉しくなります。

能登地震で被災したある教会の牧師は
私の神学校時代の一年先輩です。

住まいは倒壊しましたが
命は無事だったと聞いて胸を撫で下ろしました。
教会堂はなんとか使えます。
現在、電気は戻ったけれども
上下水道の復旧はまだ先だと聞いています。

あなたの消息を待っている人は誰ですか。

誰の消息を待っていますか。

2024/02/16

心で信じ、口で告白

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、
あなたの心で
神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、
あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、
口で告白して救われるのです。
(ローマ10:9~10)

基本をおさらいしましょう。

どのようにして人は救われますか。
心で信じて、口で告白して救われます。

第一に、
イエスさまを救い主として信じます。

教える事が上手で
愛のある人が非業の死を遂げただけなら、
人を罪から救えません。

イエスさまは、私たちの罪を背負って
十字架で死なれ、死後よみがえりました。
だから信じるに値するのです。

第二に、
信じた内容を口で告白します。
心に秘めているだけではいけません。はっきり言いましょう。

この告白を誰かの前でしましょう。
全人格をかけた主イエスの愛に応え

全人格をかけて告白しましょう。

2024/02/15

疲れた地に

神よあなたは豊かな雨を注ぎ
疲れたあなたのゆずりの地を堅く立てられました。
(詩編68:9)

神はイスラエルの人々をエジプトから救い出し、
過酷な荒野においてもその生活を守り、
約束の地へと導かれました。

イスラエルの民を導くだけでなく、
土地や自然環境にも配慮して下さり
主は恵みを注いでくださいました。

土地も疲れます。
栄養を必要とします。

主よ、あなたの雨を豊かに注いでください。
豊かな大地にして下さい。
そこに住む人々が悪事に走らず、
助け合い、平和に生活できるように、
町に希望を与えてください。

コミュニティを豊かにして下さい。

2024/02/14

わが岩なる神

彼は言った。
「主よ、わが巌、わが砦、わが救い主よ、
身を避ける、わが岩なる神よ。
わが盾、わが救いの角、わがやぐら、
わが逃れ場、わが救い主、あなたは私を暴虐から救われます。
ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は敵から救われる。」
(第二サムエル22:2~4)

23章にはダビデの最後の言葉があるので、
この22章全体がダビデの信仰生涯の総まとめに当たり、
今日の聖句はその冒頭になります。

神はダビデにとって、巌、砦、岩、盾、
やぐら、逃れ場でした。

ダビデにとって神は避難場所なのです。
敵の矢が飛んで来ない頑丈な岩であり、
剣を防ぐ盾、安全で心安らぐ隠れ家なのです。

言葉の先頭に「わが」と付けていますが、
自分の体験と強い確信が感じられます。

八方ふさがりでも、自分が原因を作っても、
力不足でも、みっともなくても、
神は困った時に助けて下さる方です。

絶体絶命の窮地から救う方。
それが
私たちの神です。

ダビデの確信は私たちの確信です。

2024/02/13

旅の疲れ

そこにはヤコブの井戸があった。
イエスは旅の疲れから、
その井戸の傍らに、ただ座っておられた。
時はおよそ第六の時であった。
(ヨハネ4:6)

主イエスはサマリヤ地域のスカルという
町に来ておられました。

「ただ座っておられた」とありますが、
これはとても珍しい表現です。

多数の病人をいやし、群衆に教え、
疲れを知らずに一日中働いている。
それが私たちの持っているイエスさまのイメージです。

でも、イエスさまは井戸の傍らで、喉も渇いて、
体も疲れて動けないという状態でした。

主イエスは私たちと同じ肉体を持っておられたのです。
怪我をすれば血が出ます。
旅をすれば疲れを感じます。

神が人になって下さったのです。

私たちと同じ人間になって下さった
本気の愛と覚悟に感謝します。

2024/02/12

あなたを選んだ

わたしはあなたを地の果てから連れ出し、
地の隅々から呼び出して言った。
「あなたは、わたしのしもべ。
わたしはあなたを選んで、退けなかった」と。
(イザヤ41:9)

わたしがあなたを選んだ。
神は全人類の前で
こう言われました。

地の果てから連れ出したのは
神と共に歩むためでした。

あなたは、わたしのしもべだ。

イスラエルの人々の評判が悪ければ
神の評判まで下がってしまうのですが、
神は私たちと共にいて下さいます。

自分に価値がないと思っている人がいますか。
あなたは神に選ばれた人です。

この聖句は、
私やあなたにも言われています。

あなたには価値があるのです。
主はあなたと共に歩みたいと言われます。

2024/02/11

ティアティラの教会

わたしは、あなたの行い、
あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っている。
また、初めの行いにまさる、近ごろの行いも知っている。
(黙示録2:19)

ヨハネがパトモス島で見た幻を記録したのが黙示録です。
その最初の部分は、7つの教会に対する主イエスの言葉でした。
今回はティアティラの教会に対するものです。

教会ごとに雰囲気があり特徴があります。
賛美の大好きな教会、とても行動的な教会、
福音を伝える熱意のある教会、慰めに満ちた教会。

ティアティラの教会の特色は、
行動、愛、奉仕、忍耐です。
信仰が実際の生活に表れています。

教会設立当初に比べて
その行動も愛も盛んになり、
もっと深められていたようです。

主イエスはその様子を知っておられました。

はじめの行いにまさる今がある。
それは本当に感謝なことです。
聖霊さまのみわざです。

あなたの中にも
はじめにまさる何かがあります。

2024/02/10

心に留めて

イエス・キリストのことを心に留めていなさい。
私が伝える福音によれば、
この方は、ダビデの子孫として生まれ、
死者の中からよみがえった方です。
(第二テモテ2:8)

イエスさまを心に留めていなさいとパウロは言いました。

最初に次の事をイメージして下さい。
あなたをずっと愛して来られたイエスさま。
今も生きていて、あなたに期待しておられるイエスさま。
あなたの毎日を知り、寄り添い、応援しておられるイエスさま。

気がつきましたか。
イエスさまのほうが、私たちを心に留めておられるのです。

それなのに、私たちはよそ見をしています。
自分が見たい方だけ見ています。

主イエスを心に留めなさいという言葉は、
パウロが、愛弟子、牧師のテモテに授けた
大事なアドバイスなのです。

今日、主イエスを心に留めて歩みましょう。

2024/02/09

語り続けます

使徒たちを呼び入れて、むちで打ち、
イエスの名によって語ってはならない
と命じたうえで、釈放した。
(使徒5:40)

キリスト者は良き市民であり、
上に立てられた人に従順です。

ただし、いくつかの例外があります。
主イエスへの信仰を捨てるように迫られたら
決然として拒否します。

福音を語ってはならないと命じられたら、
それが国からの指示でも、法律に制定されても、
キリスト者は従いません。

初代教会の指導者たちも、権力者により
何度も逮捕され、不法な裁判を受け、
むち打ちの処罰を受けましたが、
命令に従わず、すぐに福音を語りました。

私たちキリスト者は
黙るわけにはいかないのです。

2024/02/08

激しく泣く

ペテロは、「鶏が鳴く前に、
あなたは三度わたしを知らないと言います」と
言われたイエスのことばを思い出した。
そして、外に出て行って激しく泣いた。
(マタイ26:75)

鶏が鳴くと、
ペテロも泣きました。

日の出前後の薄暗い時間帯に、
ペテロは大祭司の庭から飛び出して来ました。
人気のない物陰を見つけると、
激しく泣きました。

主イエスの警告の言葉を思い出したのです。
あの時、ペテロは強がりを言いました。
裏切らないという自信もありました。

でも失敗しました。
自己保身に流れました。

罪を犯した直後は
それが罪だと気づきません。そう考えるのを拒否します。
また、言い訳を作り、誰かのせいにするものです。

ペテロは誰のせいにもしませんでした。
とめどなく流れた涙は悔いた心の証でした。

失敗や罪に気づいたら、思いっきり泣きましょう。

それは必ず、未来につながる道を開きます。

2024/02/07

若い獅子も

主を恐れよ。主の聖徒たちよ。
主を恐れる者には乏しいことがないからだ。
若い獅子も乏しくなり飢える。
しかし主を求める者は良いものに何一つ欠けることがない。
(詩編34:9~10)

歴戦の勇士ダビデは、強く、たくましく、
恐れを知らない若きライオンのようでした。

ですが、この時のダビデはとても謙虚でした。
自分の弱さを嫌と言うほど体験し、
惨めな人物のふりをして助かった後だったのです。

神を恐れ敬う心ほど大切なものはない。
自分は何者でもない。
それを人々に言いたかったのです。

弱さを知っている時のダビデには
真の強さときよさがあります。

神を恐れて歩むなら、
乏しいことはない。
主を求めて生きるならば、
良いものに何一つ欠けることはない。

「主を恐れよ、主の聖徒たちよ」

2024/02/06

幼子を受け入れる

それから、イエスは一人の子どもの手を取って、
彼らの真ん中に立たせ、腕に抱いて彼らに言われた。
「だれでも、このような子どもたちの一人を、
わたしの名のゆえに受け入れる人は、
わたしを受け入れるのです。
また、だれでもわたしを受け入れる人は、
わたしではなく、
わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」
(マルコ9:36~37)

子供は嫌な人の所には行きません。
大人を瞬時に見極める目を持っているのです。
主イエスに呼ばれた子供は
嬉しそうにイエスさまの所に行ったことでしょう。

イエスさまが子供を受け入れている事が
子供にも伝わっていたのでしょう。

子供は、権力、お金、名誉と無縁です。
大人の尺度で言うと、血縁関係のない子供は無価値に見えます。

そんな小さな子供を受け入れてみましょう。
それがきっかけになって、何かが変わり始めます。

私たちはイエスさまを心に受け入れました。
それによって周囲の人への態度も変化したのです。

2024/02/05

悟らせてください

あなたの戒めの道を私に悟らせてください。
私があなたの奇しいみわざを
語り伝えることができるように。
(詩編119:27)

伝言ゲームは何回見てもおもしろいです。
正解は最初の人しか知りません。
ジェスチャーで伝えるプロセスが見もので、
最後の人のとんちんかんな答えで笑ってしまいます。

私たちの福音宣教がそれでは困ります。

神は言葉を用いて真理を教えて下さり、
私たちがきちんと理解できるようにして下さいました。
正しく深く悟れるように、
聖霊の助けを祈り求めましょう。

よく分かったら
人に語り伝えましょう。

私たちがみことばを学ぶのは
理解して、伝えるためです。

2024/02/04

小さな私

すべての聖徒たちのうちで
最も小さな私に、この恵みが与えられたのは、
キリストの測り知れない富を
福音として異邦人に宣べ伝えるためであり、
(エペソ3:8)

パウロは、信仰年数が長くなるにつれて
自分の小ささを一層深く感じるようになりました。
あなたはどうですか。

自分は罪深い、何者でもない、
使徒と呼ばれるに値しないほど小さい。
主から多くのあわれみを頂いた、とパウロは感じていました。

事実、パウロは多くのキリスト者を迫害し、
殺害した過去を持っています。
冷酷で血なまぐさい時のパウロに
復活のイエスさまは現れて下さいました。

パウロを信頼し、
今後の異邦人伝道を任せ、
パウロを伝道者として採用されたのはイエスさまです。

だからパウロは自分が受けた福音を
測り知れない富と認識し、
伝えずにはおられなかったのです。

2024/02/03

憤りを捨てよ

怒ることをやめ憤りを捨てよ。
腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
悪を行う者は断ち切られ
主を待ち望む者彼らが地を受け継ぐからだ。
(詩編37:8~9)

湯呑み茶碗によく書いてありますね、
「腹」の字を横にして、腹を立てるなと。

あなたは怒っていますか。

ひどいことをされましたか。
悪意で苦しめられましたか。
何かの損害を受けたのですか。
気持ちがおさまりませんか。

聖書は言います。
そんな時は、怒りを止めなさいと。
憤りを捨てよとも言っています。

復讐のため、投げつけようとした石ころを
ぽいっと後ろの空き地に捨てましょう。
石を強く握りすぎると自分の手を痛めますし、
怒り過ぎると相手の土俵に乗ってしまいます。

正義の神がおられるので
悪を行う者は断ち切られます。

主を待ち望みましょう。
聖霊の助けを受けて
涼しい顔をしていましょうね。

2024/02/02

聞くことから始まる

ですから、信仰は聞くことから始まります。
聞くことは、
キリストについてのことばを通して実現するのです。
(ローマ10:17)

理解するための方法は何種類かあります。

・座禅や瞑想を通して、悟りを開く
・多数の資料を分析して結論を出す
・体験を積み上げて総括する

聖書の信仰を理解する方法は
このいずれもでもなく、「聞くこと」から始まります。

聞いたことを正確に伝える事が
最も大事です。

聞くとは、誰かが間に入ってくれて
はじめて成立します。

ですから、誰かの心でしっかり受け止められ、
信じた感激と喜びに促され、
他者に対する愛や祈りに包まれながら
福音があなたに届いたのです。

聞くことから信仰は始まりました。
そして、あなたが聞くまでに、
とても豊かな流れがあったのです。

誰かが福音を「聞く」ために
あなたの力を貸して下さい。

2024/02/01

草のよう

「叫べ」と言う者の声がする。
「何と叫びましょうか」と人は言う。
「人はみな草のよう。その栄えはみな野の花のようだ。
主の息吹がその上に吹くと、草はしおれ、花は散る。
まことに民は草だ。」
(イザヤ40:6~7)

自分より若い人が事故や病気で亡くなると、
命のはかなさを強く感じます。

身内の死に接すると
悲しみが波のように寄せて来るので
長い期間立ち上がれません。

冷酷な現実ですが、人間は野に咲く花や草と同じです。
あたり一面を覆っていた草も花も
今では何一つ残っていません。

私もあなたも同じです。
すべては主の御手の中にあります。

与えられた命を感謝しましょう。
そして、生かされている日々の中で咲きましょう。

しおれて散る定めを知っている事に意味があります。
愛し合う草、神をたたえる花は尊い存在です。
神の国のガーデンは美しい草花で溢れています。