2023/06/30

力づけて下さい

これらのことばはみな、
「彼らの工事に対する気力が落ち、
工事は中止されるだろう」と考えて
私たちを脅かすためであった。
ああ「今、どうか私を力づけてください。」
(ネヘミヤ記6:9)

エルサレムの城壁再建計画は
ほぼ90%が完成し、
門の扉を取り付けるだけとなりました。

敵のサンバラテやトビヤは、
今まで工事を妨害してきましたが、
その都度みんなで跳ね返してきました。

人々とネヘミヤの気力をそぐために
敵はこの場に及んでも執拗に妨害を続けています。
このしつこさは彼らが敗北を察していた表れです。

頂上寸前まで登って来たので、
ネヘミヤ達の辛さは最高潮でした。
踏ん張りどころなのです。あなたも、そうです。

完成間近、疲れもピーク、
心が折れそうです。

そんな時は、ネヘミヤの祈りをしましょう。
ああ、今、どうか私を力づけて下さいと。

2023/06/29

きよく平和で優しく

しかし、上からの知恵は、
まず第一に清いものです。
それから、平和で、優しく、協調性があり、
あわれみと良い実に満ち、
偏見がなく、偽善もありません。
義の実を結ばせる種は、
平和を作る人々によって
平和のうちに蒔かれるのです。
(ヤコブ3:17~18)

人間の醜さは下の方からじわじわと
隠れて伝染するイメージがあります。
腐ったみかんのようにです。

大切で尊いものはベールが舞い降りるように
優しく上から注がれる感じがします。
高原の風のようにさわやかに。

神の言葉や知恵や優しさは
不純物を洗い流す清流となって
私たちを整えてくれます。

神と共に生きている人の特徴は、
平和や柔和や寛容で、嘘を必要としません。

神と共に生きる人は
平和の種を蒔き続け、
義の実が結ぶ日を信じています。

今日の聖句のような美しい言葉が
私たちの心に実現しますように。


2023/06/28

戦車や騎兵

ああ、助けを求めてエジプトに下る者たち。
彼らは馬に頼り、
数が多いといって戦車に、
非常に強いといって騎兵に頼み、
イスラエルの聖なる方に目を向けず、
主を求めない。
(イザヤ31:1)

南王国ユダは東の大国による侵略を恐れ、
エジプトを頼り軍事援助を求めました。

エジプトは味方に見えても、
実は危険な存在だと気づいていません。
エジプトの馬、戦車、騎兵が
唯一の助けに見えたのです。

預言者イザヤは、
ああと大きくため息をついて、
指導者たちの考えや行動を厳しく批判しました。

軍事力に頼るということは
人間にすがることで、生ける神を忘れることだ。

イスラエルの聖なる方に目を向け、
主の前に心を整え、
主を求めよと
預言者イザヤは叫びました。

私たちも人間の力、人間の腕に頼っていないか点検し、
主に信頼を置きましょう。

2023/06/27

おののいてはならない

主ご自身があなたに先立って進まれる。
主があなたとともにおられる。
主はあなたを見放さず、
あなたを見捨てない。
恐れてはならない。
おののいてはならない。
(申命記31:8)

次世代リーダーのヨシュアが、
偉大な指導者モーセからバトンタッチを受けたとき、
恐れるな、おののくなと言われました。

恐れなくてよいが4つあります。
①主が先に進んでくださる。
②主が共におられる。
③主は見放さない。
④主は見捨てない。

最初の二つで
ヨシュアが真のリーダーではない事が分かります。
生きておられる主がリーダーで導いてくださるのです。

後半の二つは
ヨシュアが失敗しても、意気消沈しても
問題はないと言っています。
何があっても神の愛と守りは続くからです。

あなたにも主は同じ言葉をかけてくれます。
だから、恐れるな、です。


2023/06/26

ののしられては

今この時に至るまで、
私たちは飢え、渇き、着る物もなく、
ひどい扱いを受け、住む所もなく、
労苦して自分の手で働いています。
ののしられては祝福し、
迫害されては耐え忍び、
中傷されては優しいことばをかけています。
私たちはこの世の屑、
あらゆるものの、かすになりました。今もそうです。
(第一コリント4:11~13)

食事が食べられず、まともな着物もなく、住む場所もない。
パウロはそんな経験をしました。福音宣教をしたからです。

敵対者から暴力を受け、中傷されても、
彼らのために祈り、優しく接しました。

それなのに、この世のかす、屑のように扱われました。

パウロは卑下しません。
事実をありのまま淡々と書いています。

主イエスが語られた山上の垂訓を
パウロは知らず知らずのうちに実行していました。

主はそういう人を決してお見捨てになりません。

2023/06/25

みことばは口にあり

まことに、みことばは、
あなたのすぐ近くにあり、
あなたの口にあり、
あなたの心にあって、
あなたはこれを行うことができる。
(申命記30:14)

申命記はモーセの遺言といえる内容で、
約束の地で守るべき事柄が列挙されていますが、
今日の箇所では神のことばの特徴が語られています。

神のことばをありがたいもの
特別なものと捉え過ぎると
金庫に厳重に保管して距離感が出てしまいます。

むしろ、みことばは身近なものです。
口に出して味わい、
心にとどめて思い巡らし、
実際に行うことで力を発揮します。

大切な人から「愛してる」と言われると幸せになれるように、
神のことばは私たちの心を温めてくれます。
言葉に触れる事は語られた方と繋がる事です。

みことばはあなたのそばにあり、
今日もあなたを励まし、神の言葉を実行する力を与えてくれます。


2023/06/24

常に真実

私たちが真実でなくても、
キリストは常に真実である。
ご自分を否むことができないからである。
(第二テモテ2:13)

携帯電話のない時代、
誰かと待ち合わせると
その人の人柄が出ました。
いつも遅れる人、時間前に来ている人、いましたね。

やむを得ない理由で相手を待たせることもありました。
1時間近く遅れて約束の場所に到着し、
待っていてくれた人の後ろ姿を見ると
申し訳なさと感謝でいっぱいになります。

私たちは何度も主を待たせました。
約束を破る事もありました。
でも、主はいつも待っておられました。

信仰生活というものは、
私たちの努力や誠実さによって
保たれたのではなく、
主の真実さによって維持されているのです。
キリストは常に真実です。

2023/06/23

アサ王

アサは、これらのことばと
預言者オデデの預言を聞いて奮い立ち、
ユダとベニヤミンの全地、
また彼がエフライムの山地で攻め取った町々から、
忌むべき物を除いた。
そして、主の宮の玄関の前にあった主の祭壇を新しくした。
(第二歴代誌15:8)

当時ユダヤ人の国は北と南に分かれており、
北王国は神から離れて偶像を招き入れ、
国全体が悪い影響下に置かれていました。

南王国ユダには信仰深いアサ王がおり、
預言者の言葉に熱心に耳を傾け、行動に移していました。

今回、アサ王は国全体を見直し、
偶像を徹底的に排除しました。

北王国からの悪い影響を排除するのは
雑草を一つずつ抜く作業に似ています。

次にアサ王は祭壇を新たにしました。
信仰生活の中心を刷新する事は意味ある行動です。

あなたにとって、排除とは何をする事でしょう。
新たにするとは何を意味しますか。

2023/06/22

神を呼ぶとき

私が神を呼ぶと
主は私を救ってくださる。
夕べに朝に、また昼に
私は嘆き、うめく。
すると、
主はわたしの声を聞いてくださる。
(詩編55:16~17)

手術をした夜、私は病院のベッドに寝ていました。
熱が高く、痛みもひどく、うめいていました。
躊躇しましたが、ナースコールのボタンを押してみました。
深夜にも関わらず看護師さんが親切に対応してくれて
痛み止めや氷枕を持ってきてくれました。

つらい時は
「助けてください」とうめくしかないのです。

朝も祈ります。昼も夕方も祈ります。
解決が見えない時は一日中祈ります。
嘆きなのか、うめきなか、
祈りなのか、分からない場合もあります。

こんなに何度も、昼も深夜も、
主に対してナースコールのボタンを押しても
いいのかなと躊躇するかもしれません。
でも、主は耳を傾けて下さいます。

主はわたしの声を聞いてくださるのです。

2023/06/21

耕す

神である主は人を連れて来て、
エデンの園に置き、
そこを耕させ、また守らせた。
(創世記2:15)

神は人を造りエデンの園に置かれました。
そして、
耕す事とそこを守る役割をお与えになりました。

労働とは何か、
本質的な事を教えてくれる箇所です。

労働は主から与えられたものです。

仕事には苦労がつきものですが、達成感と喜びがあります。

豊かな収穫のためには様々な工夫や努力が必要になります。
そのために人は知識、経験、努力、個性を用います。
それゆえに実った時には充実感が生まれ、
おいしい食事を頂けます。

主があなたに託された仕事は何ですか。
年齢により、賜物により、導きにより、健康状態により、
仕事内容は変わります。
あなたにとっての「耕し」「守る」を続けましょう。

2023/06/20

あなたの御手が

あなたの御手が私を造り、
私を整えてくださいました。
どうか、私に悟らせ、
私があなたの仰せを学ぶようにしてください。
(詩編119:73)

私は神に造られました。

ただし私は工業製品のように
大量につくられた生産物ではなく、
一つ一つ違う工芸品、ユニークな作品として
愛情をこめて造って頂きました。

造られた後も、
主は共にいて下さいます。
子供の成長を見守る親の様に。

主よ、私を整えて下さい、
悟りを与えて下さい、
あなたの言葉を学ばせてください。

あなたに造られた者は
あなたの言葉を一番の喜びとします。

2023/06/19

人のことを思っている

イエスはこのことをはっきりと話された。
するとペテロは、イエスをわきにお連れして、
いさめ始めた。
しかし、イエスは振り向いて弟子を見ながら、
ペテロを叱って言われた。
「下がれ、サタン。
あなたは神のことを思わないで、
人のことを思っている。」
(マルコ8:32~33)

主イエスが十字架の予告をされました。
祭司長たちに捨てられ、殺され、十字架にかけられ、
三日後によみがえると。

ペテロは主イエスの肘でも引っ張ってわきにお連れしたのでしょう。
そういう事は言わないで下さい、あまりにも否定的です、
復活の話は笑われますよ、と
善意の忠告のつもりだったと思います。

主イエスはペテロをサタン呼ばわりして厳しく叱りました。
十字架以外の道を選ばせようとするのが悪魔の常套手段で
荒野の誘惑の本質だったからです。

また、神の視点ではなく、
人からどう見えるかを優先するなら
正義も善も救いも焦点がぼやけてしまいます。

十字架の屈辱と苦難、本当の死、そして復活。
これがイエスさまの歩む道なのです。



2023/06/18

失われるのは船だけ

しかし今、あなたがたに勧めます。
元気を出しなさい。
あなたがたのうち、
いのちを失う人は一人もありません。
失われるのは船だけです。
(使徒27:22)

パウロの乗った船は地中海の嵐に巻き込まれ、
太陽も星も見えない日が何日も続き、
船員は積み荷まで捨ててしまいました。

そんな時、パウロが乗組員や乗客に言いました。
元気を出しなさい、船は失いますが、
全員助かります。

パウロは前夜、神の御使いの言葉を聞いたので
確信を持ってみんなを励ましました。

マストを震わす風の音を聞き、不気味な黒い雲を見ながらも、
パウロは希望を語りました。

あなたも大丈夫。
助かります。
元気は主から来ます。

2023/06/17

主の前に静まれ

わざわいだ。
木に向かって目を覚ませと言い、
黙っている石に起きろと言う者。
これが教えることができるというのか。
見よ、それは金や銀をかぶせたもの。
その中には何の息もない。
しかし主は、その聖なる宮におられる。
全地よ、主の前に静まれ。
(ハバクク2:19~20)

人は神を求めているのですが、
神がどんな方か分かりません。

それで人は神のイメージを色々と考え出しました。
神には力があるはずだ。
神には思いやりがあるはずだ。
神には尊さがあるはずだ。

それを形にしてみると、
筋肉もりもりで怖くて強そうな像ができました。
優しそうな像も作られました。
金や銀で絢爛豪華に作って尊さを演出しました。

ハバククはそれらの像を一刀両断にして、
何の息もない、死んでいると喝破しました。

まことの神は生きておられ、
全能の力を持って世界と歴史を導き、
人々に命を与え、人を愛し、人を守って下さる。

その主の前にひれ伏し、静まれとハバククは言いました。



2023/06/16

二十五歳から五十歳

これはレビ人に関わることである。
二十五歳以上の者は、
会見の天幕の奉仕の務めを
果たさなければならない。
しかし、五十歳からは
奉仕の務めから退き、
もう奉仕をしてはならない。
(民数記8:25)

レビ部族は、
礼拝と幕屋の奉仕のために特別に召された部族でした。

レビ人には厳しい規則がありました。
二十五歳までは奉仕はできません。
おそらく、知識やルールを正確に身に着けるための
何らかの研修期間があったのでしょう。
人格的にも自己管理ができる年齢に達することが
不可欠だったのでしょう。

奉仕から引退する年齢も決められていました。
元気でいても、聡明であっても、
五十歳までしかできません。

幕屋のため、礼拝のために働くレビ人には
十分な準備期間が必要であり、
奉仕の最中は最善をささげ、
衰える前に身を引く。

レビ人には
神の前での凛としたたたずまいがあります。

2023/06/15

心を洗え

エルサレムよ。
救われるために、
悪から心を洗いきよめよ。
いつまで自分のうちに
よこしまな思いを宿らせているのか。

(エレミヤ4:14)

映画「男はつらいよ」の主人公、寅さんは
いい加減な男で、人に迷惑をかける嫌な人間です。
その寅さんが真顔になって、
俺はきったない男です、と語る場面がありました。

預言者エレミヤは
神から離れたエルサレムの人々に呼びかけました。
このままでは滅びる、
よこしまな思いを持ち続けるな、
悪から心を洗いきよめよと。

油汚れがこびりついた換気扇を放置するか、
洗剤をかけてスポンジで洗い落とすか、
それは、その人次第です。

汚れた心は自分で完全にきれいにできないので、
罪人のまま主の前に出る正直さ、悔いし砕かれた心が大切で、
魂の高圧洗浄を主にしていただきましょう。

主よ、私は汚れています、洗いきよめてください。


2023/06/14

疲れ果てないためには

あなたがたは、
罪人たちの、
ご自分に対するこのような反抗を
耐え忍ばれた方のことを考えなさい。
あなたがたの心が元気を失い、
疲れ果ててしまわないようにするためです。
(へブル12:3)

これは意気消沈している人への言葉です。

イエスさまを見る。それが立ち上がるきっかけになります。

悪人たちにねたまれ、いじめられ、殴られ、
むりやり死刑にされたイエスさまを見て下さい。
辱めをものともせず、十字架を耐え、
一つの事を目指して歩まれました。

その一つの事とは
あなたを愛し、永遠の滅びから救うことです。

もし元気を失い、疲れ果てたら、
あなたを見つめている方がいることを、
あなたのために苦しんで
あなたが生きることを待ち望んだ方が
おられたことを思い出して下さい。

目を閉じて、主イエスの姿をイメージしましょう。

2023/06/13

いのちを戻して

彼は主に叫んで祈った。
「私の神、主よ。
私が世話になっている、このやもめにさえもわざわいを下して、
彼女の息子を死なせるのですか。」
そして、彼は三度その子の上に身を伏せて、
主に叫んで祈った。
「私の神、主よ。どうか、この子のいのちを
この子のうちに戻してください。」
主はエリヤの願いを聞かれたので、
子どものいのちがそこ子のうちに戻り、
その子は生き返った。
(第一列王17:20~22)

炎の預言者エリヤはとても劇的な人生をおくりました。
普通の人が経験できない数々の奇跡を体験したのです。
それは常人が経験しない無数の危機に出会ったということです。

親しくしていた婦人の息子が死んでしまいました。
エリヤはその婦人の悲しみに触れ、
深く動揺したようです。

エリヤの祈りは叫びになっていました。
全身を注ぎ出す強烈な祈りでした。

エリヤは「私の神」と呼んで嘆願しました。
預言者エリヤにとって
神はとても身近で、パーソナルなお方でした。

八方ふさがりに見えた時、奇跡が起きるのです。

その子の命は戻りました。

2023/06/12

続けなさい

自分自身にも、教えることにも、
よく気をつけなさい。
働きをあくまでも続けなさい。
そうすれば、自分自身と、
あなたの教えを聞く人たちとを、
救うことになるのです。
(第一テモテ4:16)

物事を、始める、続ける、止める。
あなたにとってどれが難しいですか。

難しさは人それぞれで違うと思います。
パウロはテモテに向かって言いました。
続けなさい、止めてはいけないと。

テモテがマンネリに陥り、教える自信を失い、
挫折していたのかもしれません。

神の言葉を教え続けることは極めて難しい事です。
教える事とは、その教えに自分が生きる事です。
自分を抜きにして聖書は教えられないので
常に自己点検を迫られます。

あなたが神の言葉を誰かに教えているなら続けて下さい。
教える限界を感じたら、それは教師のスタート地点に過ぎません。
教え続けましょう、必ず祝福があります。

2023/06/11

目を開いて

私の目を開いてください。
私が目を留めるようにしてください。
あなたのみおしえのうちにある奇しいことに。
(詩編119:18)

迫害者パウロの目は閉ざされていました、
主イエスに出会うまで。
目は見えていたのに彼には真実が見えていませんでした。

救われる前のあなたや私も同様です。
やはり見えていませんでした。

いや、今も、
大事なことが見えていないかもしれません。

謙虚になって祈りましょう。
私の目を開いて下さいと。

神の言葉の意味を正しく汲み取れるように。
自分勝手な思いによって、みことばを拒絶しないように。
神の心をしっかり受け止められるように。

主よ、私の目を開いて下さい。

2023/06/10

泥沼から

滅びの穴から、泥沼から、
主は私を引き上げてくださった。
私の足を巌に立たせ、
私の歩みを確かにされた。
(詩編40:2)

神の救い。
それは泥沼からの救出に似ています。

身動きすると体は沈む。
それが泥沼の恐ろしさです。

すぐに沈むわけではないが
刻一刻と孤独と恐怖が増していきます。
夕日が沈むように確かに
絶望と死が近づいてきます。

助かる道はただ一つ。
自分以外の誰かに助けてもらうしかないのです。
助けてと叫ぶ声が祈りとなります。

主が手を差し伸べて下さると私たちは救出され
気が付くと足元は泥ではなく岩盤になっています。

主こそ巌です。揺るがない土台です。

希望は主にあります。


2023/06/09

アーメンと言いなさい

「隣人との地境を移す者はのろわれる。」
民はみな、アーメンと言いなさい。
「目の見えない人を道に迷わせる者はのろわれる。」
民はみな、アーメンと言いなさい。
「寄留者、孤児、やもめのさばきを曲げる者はのろわれる。」
民はみな、アーメンと言いなさい。
(申命記2717~19)

レビ人が短い言葉で禁止事項を伝え、
民がそれに同意して「アーメン」と応答する儀式が計画されました。
これは約束の地に入った後に守るべき規則でした。
禁止事項なのですが、弱い人を守る姿勢が盛り込まれていました。

所有地を広げるずる賢い方法がありました。
人の見ていない時に地境の目印を動かし、他人の土地を奪う事です。
正しく生きる神の民に相応しくない行為です。

社会福祉という言葉も無い時代でしたが、
目の見えない人を見下げたり、いじめたりせず、
むしろ助けるべきだというのです。

難民、孤児、やもめなど、社会的に弱い人を配慮し
その人たちの権利を保護しようというものです。

これはいったい何年前のルールでしょうか。
その健全で平等で温かい規則に驚かされます。
アーメンと言いましょう。


2023/06/08

いつでも、すべてのこと

いつでも、すべてのことについて、
私たちの主イエス・キリストの名によって、
父である神に感謝しなさい。
(エペソ5:20)

パウロは感謝する人でした。
ですから他の人にも感謝を勧めました。

今日は感謝を見つけるぞと最初に方針を決めるのです。
主が良くしてくださると信頼するのです。

朝も昼も夜も感謝を見つけることができます。
悪い日に見えても感謝はあります。

一日に起きた事柄すべてに関して
感謝という目で見直すと
違って見えるからです。

70%の達成でも、30%でも、0%でも、
感謝は見つかります。

主イエスの御名によって感謝すると、
それは礼拝になり、祈りになり、
神に栄光を帰すことになります。

感謝の言葉を口から出す人は、
しあわせという空気を吸っています。

さあ、今日はどんな感謝が待っているのでしょう。


2023/06/07

人の歩み

主よ、私は知っています。
人間の道はその人によるのではなく、
歩むことも、
その歩みを確かにすることも、
人によるのではないことを。
(エレミヤ10:22)

やったーとガッツポーズを取り、
俺ってすごいでしょと見得を切り、
努力や能力だけでなく運を呼び込む力があると
豪語する人が増えています。

人の道を確かにするのは
その人ではないと書いてあります。

とすれば、何によるのでしょう。

たまたま晴れていた、
健康な体を与えられた、
接戦を勝ち抜いた、
偶然先輩に会った、
空席が一つだけあった、
繰り上げ当選になった、
そんな時は主を賛美しましょう。

人の歩みを確かにされるのは主です。

2023/06/06

永遠に至る食物

なくなってしまう食べ物のためではなく、
いつまでもなくならない、
永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。
それは、人の子が与える食べ物です。
この人の子に、
神である父が証印を押されたのです。
(ヨハネ6:27)

主イエスは二種類の食べ物があると言われました。
なくなる食物。
永遠の食物。

主イエスは
永遠のいのちに至る食べ物のために働くように言われました。

(誤解のないように確認しておきますが、
聖書全体は労働の尊さを教えています。
人は働く使命を与えられ、働く喜びを与えられています。)

宅配便で働く人は荷物を届ける事を仕事にしています。
私たちは永遠の命を届ける仕事に召されています。

私たちは本来罪深い者であり、はかない者ですが、
永遠に関わる仕事ができるのは大きな喜びであり
光栄なことです。

いつまでもなくならない食物のために
私ができる事は何でしょう。

2023/06/05

愛されている

神に愛されている兄弟たち。
私たちは、
あなたがたが神に選ばれていることを知っています。
(第一テサロニケ1:4)

テサロニ教会の兄弟姉妹よ、
あなたがたは神に愛されている。
パウロは力強くそう述べました。

さらにパウロは、
あなたがたは神に選ばれていると言いました。

日本人は自己肯定感がとても低い民族です。
愛されるはずがない、選ばれるはずはないと感じる人が多いです。

今日の聖句を神からの言葉としてしっかり受け止めましょう。
あなたも愛され、選ばれました。

本来私たちは神に愛される価値のない罪人でした。
けれども、神が愛し、選んでくださいました。

どうですか、ちょっと元気が出ましたか。
胸を張っても良いのです。すべてが神の恵みです。

2023/06/04

とどまりなさい

さあ、子供たち、
キリストのうちにとどまりなさい。
そうすれば、キリストが現れるとき、
私たちは確信を持つことができ、
来臨のときに御前で恥じることはありません。
(第一ヨハネ2:28)

ヨハネの言葉の向こうには
主イエスの言葉と姿がいつも透けて見えています。

十字架前夜、
主イエスは十二弟子と食事を共にされ
大切な事柄を愛情こめて語られました。
その中で、ヨハネ15章に記録されているように、
わたしにとどまりなさいと主イエスは何度も語られました。

ヨハネは主イエスの言葉の重みを
誰よりも敏感に感じ取る人でした。

ヨハネが今日の言葉を語る時は、あの夜の光景を思い出しつつ、
主イエスとの再会を待ち望んでいたことでしょう。

主イエスにとどまらないと何もできない。
主イエスの言葉こそがすべての源泉。
主イエスによって生かされている。
主イエスを意識して歩み続けよう。

そのように歩む者は
再臨の主イエスとお会いする時
恥じることなく笑顔で接することができるのです。

2023/06/03

富んでいる

わたしは、あなたの苦難と貧しさを知っている。
だが、あなたは富んでいるのだ。
ユダヤ人だと自称しているが
実はそうではない者たち、
サタンの会衆である者たちから、
ののしられていることも、わたしは知っている。
(黙示録2:9)

イエスさまはスミルナの教会員が受けた苦難と
貧乏な暮らしを分かっておられました。
自称ユダヤ人というグループから
強く批判され、悪口を言われていたことも
主イエスは知っておられました。

この事はスミルナの兄弟姉妹にとって
大きな慰めになりました。

大変な毎日だね、
あなたの辛さが分かるよ、と主イエスに
言われたも同然ですから慰められます。

主はそれに加えて別な視座を与えてくれました。
確かに貧しい生活をしているが、
実はあなたは富んでいる、
それを忘れてはいけないというのです。

プレイズの「大いなる方に」の歌詞を思い出しますね。

歌いましょう。主にあって富んでいるのです。

2023/06/02

分からない人

イエスは答えられた。
「あなたはイスラエルの教師なのに、
そのことが分からないのですか。」
(ヨハネ3:10)

パリサイ人であり、議員もしていたニコデモは
主イエスの教えと奇跡に感銘を受け、
人目に触れる事を恐れて夜こっそりと
主イエスを訪れました。

ニコデモとの会話を進めるうちに
主イエスはあきれて今日の言葉を言われました。

人が新しくなれること。
聖霊が私たちの心を変えて下さること。
聖霊は目には見えないけれども確実に働いて下さること。
神の国に入れること。
ニコデモは、これらの事を理解できませんでした。

この世でどんな立派な学者でも、
リーダーシップのある政治家であっても、
霊的なことについて
目が開かれていない人がたくさんいます。

そういう人は主イエスにズバリと言ってもらうといいです。
あなたは何も知らない、見えていないと。
その気づきが新しい世界への一歩となります。

主よ、多くの人の目を開いて下さい。

2023/06/01

歌をもって

私は苦しんで、痛みの中にいます。
神よ、御救いが私を高く上げますように。
歌をもって、私は神の御名をほめたたえ
感謝をもって、私は神をあがめます。
(詩篇69:29~30)

詩篇69篇は窮地に陥った者の叫びです。
泥沼に沈み、水が喉まで入って来たと書いていあります。

自分の罪を正直に認めて悔い改めても、
周囲のあざけりにさらされて辛い立場にいました。

普通、賛美や感謝は物事がうまくいった時に
自然に出てくるものです。

でも今日の詩篇のように、苦しみと痛みの中で、
歌や礼拝や感謝の思いが
湧き上がることがあるのです。

苦痛の真っただ中での賛美!
それはその人の選択であり信仰です。

「私は神をあがめます。」