2021/03/31

大麦どさっと

「あなたが着ている上着を持って、
それをしっかりつかんでいなさい。」と言った。
彼女がそれをしっかりつかむと、
彼は大麦六杯を量り、
それを彼女に背負わせた。
それから、彼は町へ行った。
(ルツ記3:15)

地域の有力者ボアズは独身でした。
ボアズはルツという女性に心が引かれていましたが、
自分からアプローチするタイプではありませんでした。
ルツも彼が好きで、そのあたりを察した年長者が助言しました。
それでルツが逆プロポーズしました。彼は喜んでくれました。

ボアズは、その場でプレゼントを思いつき、
ルツの上着を袋代わりにして大量の大麦を入れてくれました。

こんな事もあるのですね。
主もあなたに祝福の山盛りを与えたいと願っておられます。
あなたも大きく手を広げて主に期待しましょう。
主は与えて下さる方です。

(photo by Mizuno)



2021/03/30

あなたは岩です

 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。
イエスはシモンを見つめて言われた。
「あなたはヨハネの子シモンです。
あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)
と呼ばれます。」
(ヨハネ1:42)

アンデレに誘われたシモンが主イエスに初めて会いました。
そこで印象深い出来事がありました。

主イエスが新しい名前を与えたのです。
彼の本名はシモンでした。
まだ主イエスのことを詳しく知らず、
奇跡も見ていないし、弟子にもなっていません。

主イエスはシモンの中に潜む可能性に気づきました。
あなたは今は砂地や泥だが必ず岩(ペテロ)になる。

同じことが現代にも起きています。
主イエスは私たちにそれぞれ新しい名を与えて下さいます。
あなたが主イエスからもらった名前は何ですか。
あなたの可能性は主イエスによって開花します。

(photo by Hattori)



2021/03/29

主イエスの心

主はその母親を見て深くあわれみ、
「泣かなくてもよい」と言われた。
そして近寄って棺に触れられると、
担いでいた人たちは立ち止った。
イエスは言われた。
「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」
すると、その死人が起き上がって、
ものを言い始めた。
イエスは彼を母親に返された。
(ルカ7:13~15)

若者の死はやるせない悲しみを残します。
ナインの町で一人の青年が亡くなりました。
やもめの一人息子の死だと知って、
主イエスは母親の悲しみを慰めようとされました。
イエスさまは本当に心優しい方です。
悲しむ人に寄り添う方なのです。

主イエスが棺に触れたので葬列は止まりました。
若者よ、起きなさいと主イエスが言われました。
未来のある若者が命を取り戻し、母に喜びと希望を与えました。
息子を母に返し、家族が再生しました。

主よ、日本中の若者に命を与えて下さい。
母と子どもたちが喜び合う家庭にして下さい。

(photo by Minami)


2021/03/28

朽ちないものへ

そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、
この死ぬべきものが死なないものを着るとき、
このように記されたみことばが実現します。
「死は勝利に吞み込まれた。」
「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。
死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」
(第一コリント15:54~55)

「あら、残りはそんなに長くないのね」と、
年配の方が、健康法、かたづけ、遺産、お墓などの勉強を始めます。
その前に、きちんと死に向き合う事のほうが大事だと私は思います。
死の先についても準備しておきましょう。

主イエスの死と復活が
私たちの死にどんな影響を持つのか、
パウロは第一コリント15章全部を使って教えています。

今日のみことばは、
主イエスが復活されたことにより私たちに勝利がもたらされ、
人類の最大の敵、死が滅ぼされたと宣言している箇所です。
私たちは朽ちて終わらずに、朽ちない姿に変えられるのです。

私たちの終着駅は御影石の墓地ではありません。
神の栄光輝く天の都です。

(photo by Minami)


2021/03/27

わたしは主

天を創造した方、すなわち神、
地を形造り、これを仕上げた方、
これを堅く立てた方、
これを茫漠としたものとして創造せず、
住む所として形造った方、
まことに、この主が言われる。
「わたしは主。ほかにはいない。」
(イザヤ45:18)

バルト海に面したロシアのサンクトペテルブルクを
訪れた方を私は知っています。
レンブラントの絵画『放蕩息子の帰還』を見るためでした。
長年あこがれていた絵の前で感激し喜び、
言葉を失ったと私に教えてくれました。

神が創造された自然を見る時、
私たちもそれと似た気持ちになります。
圧倒され、感激し、喜びが沸き上がります。
近所で咲いている一本の桜を見ても、
上高地から山々を見上げても、そうです。
アラスカの氷山やフィンランドでオーロラを見たら、
感動して主を賛美することでしょう。

大自然の美しさ、荘厳さ、峻嶮さを見て
私たちは唯一の神、創造者である神をたたえます。
あなたこそ神、ほかにはいませんと。

(photo by Minami)


2021/03/26

信仰の父

「わたしはあなたを多くの国民の父とした」
と書いてあるとおりです。
彼は、死者を生かし、
無いものを有るものとして召される神を信じ、
その御前で父となったのです。
彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ、
「あなたの子孫は、このようになる」と
言われていたとおり、
多くの国民の父となりました。
(ローマ4:18)

アブラハム夫妻は年を取り過ぎていて
子供を授かる可能性はありませんでしたが、
神を信頼して念願の息子イサクを与えられました。

実は、アブラハムは最初から信仰の勇者だった
わけではないし、色々失敗もしています。
神は彼に何度も約束を思い出させ、
彼の心をつなぎとめて励まして下さいました。
信仰の父は一日にしてならず、なのです。

アブラハムの素晴らしい点を一つに絞るなら、
望みえない時に望みを抱いたことです。
実現可能かどうかを自分の経験と理性で判断せず、
神は全能者であり神に不可能はないという確信を土台に据え、
約束された神を人格的に信頼しました。

あなたが信じるなら、
あなたに続く者たちにとって、信仰の父となります。

(photo by Minami)




2021/03/25

試練と共に

あなたがたの経験した試練はみな、
人の知らないものではありません。
神は真実な方です。
あなたがたを耐えられない試練に
あわせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、
試練とともに脱出の道を備えてくださいます。
(第一コリント10:13)

とてもパワフルな聖句です。

このみことばにはポイントが複数あり、
それが何層にも重なって約束を強化しています。
その時の心の状態によっても、
どの部分が心に強く訴えてくるかは違います。

①信仰者でも試練を経験する。
②私だけじゃない、同じ苦しみを通った人がいる。
③私の試練は誰かに知られ、私は祈られている。
④激しい試練の中でも、神の真実さは変わらない。
⑤神が私を試練で押しつぶすことはない。
⑥耐えられない試練はない。
⑦脱出の道は必ずある。

パウロは、経験的にこのみことばが真実だと知っていました。
主よ、あなたに信頼します。脱出の道に導いて下さい。

(Photo by Minami)



 





2021/03/24

道が閉ざされても

それから彼らは、
アジアでみことばを語ることを
聖霊によって禁じられたので、
フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。
こうしてミシアの近くまで来たとき、
ビティニアに進もうとしたが、
イエスの御霊がそれを許されなかった。
(使徒16:7)

パウロは第二回伝道旅行の最中で今のトルコにいました。
左に行こうとしたのですが行けません。
それなら右に行こうとしましたが、ダメです。
そのまま前に進むと海に出てしまいました。

何かの悪意によって道が閉ざされたのではなく、
聖霊が穏やかに「こちらではない」と示されたのです。
パウロたちの願った道ではなく、
主の用意されたもっと良い道があったのです。
海を越えてマケドニアに伝道する事が主のみこころでした。

道が閉ざされても、へこたれないこと。
マイウエイよりヒズウエイです。
主よ、あなたの道を教えて下さい。

(photo by Kiba)





2021/03/23

あれも、これも

朝にあなたの種を蒔け。
夕方にも手を休めてはいけない。
あなたは、あれかこれか
どちらで成功するか、
あるいは両方とも同じように
うまくいくのかを知らないからだ。
(伝道者の書11:6)

神を信じて生きると不思議な事が起きます。
前向きな考え方を持てるのです。
ウルトラネガティブな人だとしても、
神を信じると、1ミリでも、ほんの少しでも変わり始めます。

人生の考え方を「思考筋肉」とでも表現してみましょうか。
その思考筋肉は、神を信じることによって目覚めるのです。
やがて鍛えられ、実生活で役立つようになります。

何をやってもダメだよ、無理だよという人が、
あれも、これもやってみよう、
朝も、夕方も試してみよう、
どちらもうまくいくかもしれないとなるのです。

(photo by Minami)


 





2021/03/22

豊かにあるように

主イエス・キリストの恵み、
神の愛、
聖霊の交わりが、
あなたがたすべてとともにありますように。
(第2コリント13:13)

これは三位一体の神から祝福があるようにと
礼拝最後の祝祷で用いられる聖句です。

駅のホームで誰かと別れる時、
この人を特別にあなたの恵みで包んで下さいと
祈りたくなります。
去って行く電車を見送りながら、
神の愛が格別豊かに注がれるようにと祈ります。
見知らぬ町に向かう人には、
聖霊との交わりが深く結ばれるように祈りたくなります。

新しい門出を迎えた人々に
神の霊的祝福が豊かにありますように。
試練や戦いの中にある人に
主からの力と守りが特別強くありますように。

(photo by Hattori)  


 





2021/03/21

右の耳たぶ

それが屠られると、
モーセはその血を取り、
それをアロンの右の耳たぶと
右手の親指と右足の親指に塗った。
(レビ記8:23)

大祭司アロンの任職式で雄羊がほふられ、
その血がアロンの体に塗られました。

塗られた部分に意味があります。
右の耳は、神の言葉を聴くため。
右手の親指は、主のための行動をするため。
右足の親指な、主の道を歩むため。

大祭司アロンは、その儀式を受けて、
身の引き締まる思いをしたことでしょう。

私たちのすべては主のもの、
主のために用いて下さい。

(photo by Minami)  


 

2021/03/20

私たちを担って下さる方

これは、預言者イザヤを通して語られたことが
成就するためであった。
「彼は私たちのわずらいを担い、
私たちの病を負った。」
(マタイ8:17)

主イエスは、病気で苦しむ人たちの中にいつもいました。

体の痛みに耐えている人、
体調がすぐれずに気がふさいでいる人、
普通の生活に戻りたいと強く願っている人、
そういう人達の気持ちを理解し支えて下さる方なのです。

病人の様子を見て適切な治療をされる名医のイエス。
病で苦しむ人に寄り添い続ける看護師としてのイエス。
弱さを覚える人を背負って歩くケアギバーのイエス。
イエスさま、私を癒し、私に力を与え、私を守って下さい。

(photo by Minami) 

2021/03/19

病床のあなたへ

私のたましいは黙ってただ神を待ち望む。

私の救いは神から来る。

神こそ わが岩、わが救い、わがやぐら。

私は決して揺るがされない。(詩篇62:12


今、病室で病と戦っているあなたへ。

あなたはひとりではありません。

何よりも、あなたを愛する家族の心がすぐ隣にあります。

教会の兄弟姉妹、主にある仲間が

あなたのことを聞いて自分の事のように心配して祈っています。

そして、万軍の主があなたと共にいて下さいます。


詩篇62篇は私が大好きな詩篇です。

どんな時にも主を信頼せよと言っています。

神を待ち望めと励ましてくれます。

神は岩だから、やぐらだから、救いだから、

大胆に主に頼れと教えています。

主があなたと共にいてくださいますように。

主が力を与えて下さるように。

あなたを癒して下さいますように。




2021/03/18

新しいぶどう酒

また、人は新しいぶどう酒を
古い皮袋に入れたりはしません。
そんなことをすれば皮袋は裂け、
ぶどう酒が流れ出て、
皮袋もだめになります。
新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れます。
そうすれば、両方とも保てます。
(マタイ9:17)

ぶどう酒が考え方だとすれば、
皮袋は生活スタイルです。

神を知るようになった人は、新しいぶどう酒を持っています。
それに連れて、外側が自然と変化します。
その両方を主が変えて下さり、イエスさまの姿に近づくのです。

この1、2年、あなたの内側で何が変わりましたか。
変わった部分を外側に出してみましょう。
言葉使いをほんの少し変えたり、
行動をちょっと変化させたり、
色々なやり方があります。

春です、ぶどう酒と皮袋、両方の刷新の時です。

(photo by Minami) 




2021/03/17

それまでのことさ

たとえ町に入ろうと言ったところで、
町は食糧難だから、
われわれはそこで死ななければならない。
ここに座っていても死ぬだけだ。
さあ今、アラムの陣営に入り込もう。
もし彼らがわれわれを生かしておいてくれるなら、
われわれは生き延びられる。
もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。
(第二列王記7:4)

サマリヤの町はアラムの大軍に包囲され食糧難に陥りました。
ツァラアトに冒された4人は、門の外で暮らしていたので
食べ物が底をつき死を覚悟しました。

餓死するか、敵のアラムに殺されるか。
二つに一つなら、敵陣に行って食料を恵んでもらおう。
楽天主義に豹変し、居直って勇気が出てきました。
アラムの陣地に着いてみると、敵は逃げ出したあとで、もぬけの殻、
4人はごちそうにありつけました。

悲観主義も徹底するとウルトラ悲観主義になり、
一気に振れて、楽観主義者になれるのですね。

起こり得る最悪をきちんと見極め、
対処方法をシュミレーションしておくと落ち着きます。
その上で、信仰的な可能性を前向きに考えてみると良いでしょう。

(photo by Minami) 









2021/03/16

新しい風

あなたがたに新しい心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を与える。
わたしはあなたがたのからだから
石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
(エゼキエル36:26)

3月から4月にかけて、新しいことが始まります。
新入学、新学年、就職、引っ越し、新しい配属先、
新人が加わり、新しい責任を負い、
新しいスキルを学び、新しい人間関係を作る。

マンネリだった毎日の仕事も
新しい刺激が来ると、やる気が違ってきます。

神は、私たちの心に新風を送り込んで下さいます。
新しい心、新しい霊によって、
私たちは柔軟な思考、温かな思いやり、
大胆な行動、初めてのチャレンジに進めます。

季節が変わり春の服を着たくなるように、
あなたが取り組みたい事は何ですか。
新しい夢、新しい計画、新しい道に向かって
歩き出しましょう。

(photo by Hattori)



 



2021/03/15

高い地位の人のために

そこで、私は何よりもまず勧めます。
すべての人のために、
王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、
祈り、とりなし、感謝をささげなさい。
(第一テモテ2:1)

身勝手で無責任で無能な政治家。
汚職まみれで権力を振りかざす役人。
利益優先の企業や金持ち階級。
これらの顔ぶれは昔も今も変わりません。

パウロは、王や指導者たちのために祈れと言いました。
穏やかな生活は幸せの土台です。
「ローマの平和」がなければ宣教もできませんでした。

国や世界の指導者のために祈りましょう。
コロナ終息の鍵になるリーダーたちのために祈りましょう。
会社や組織や地方自治体の責任者のためにも祈りましょう。

(photo by Minami)


2021/03/14

あなたの道を

主よ、あなたの道を私に知らせ
あなたの進む道を私に教えてください。
(詩編25:4)

今日のみことばは私たちの普段の祈りに似ていますが
ほんの少し違います。
どの点でしょう。

たいてい私たちはこう祈ります。
私の道を教えて下さい。
あるいは、この道に進みたいのですが
よろしいでしょうか。
場合によっては、この道以外は嫌ですと祈ります。

あなたの道を教えて下さいと祈り始めると
潮が満ちるように静謐な想いの水位が上がります。

主に委ねた人生は軽やかです。

(photo by Hattori)




2021/03/13

貫くもの

私の願いは、
どんな場合も恥じることなく、
今もいつものように大胆に語り、
生きるにしても死ぬにしても、
私の身によってキリストがあがめられることです。
(ピリピ1:20)

現代の兵士は金属の認識票を首にかけています。
パウロは主の兵士として自分の使命を明確化し、
何を避け、何を優先し、何が大事な事かを心の認識票に刻んでいました。

誰の前でも主イエスを隠さない、信仰を恥じない、死を恐れない。
主イエスをどこでも誰にでも大胆に語りたい。

生きてキリストの栄光をあらわしたいが、
場合によっては死んでキリストの栄光をあらわしても良い。
パウロは立派だと言われるのではなく、
キリストが素晴らしいと言われたい。

主よ、私を通してキリストの栄光をあらわしてください。

(photo by Minami)


2021/03/12

天の召し

ですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。
私たちが告白する、
使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい。
(ヘブル3:1)

毎日の生活はただの繰り返しのように見えますが
天を目指しているのです。
個人個人の『天路歴程』を歩んでいるのです。

このみことばを読むと背筋がピンと伸びます。
私達の今日は、天から頂いた使命を果たす一日だからです。

天を目指す旅人にとっての一番の励ましは
私たちの先を歩まれた主イエスの姿です。
忠実な祭司、苦しみに耐えた神の子、
十字架であがないを完成された主イエスです。

今日も主イエスのことを見上げて
天の召しにふさわしい一日を過ごしたいです。

(photo by Minami)





2021/03/11

イースターのメッセージビデオ

今年のイースターは4月4日です。
イースターのメッセージビデオができましたので
ご覧になって下さい。
下の写真をクリックするとビデオが開きます。


 

 

 

 

 

やぎの頭の上に

そして、そのやぎの頭に手を置き、
全焼のいけにえをほふる場所で、
主の前でそれをほふる。
これは罪のきよめのささげ物である。
(レビ記4:24)

荒野を旅したユダヤ人たちは、
罪を犯した場合に、いけにえをささげました。

罪を犯した人は、会見の天幕に動物一頭を伴って神の前に出て、
その動物の頭に手をおいて祈ります。
自分の罪の身代わりに動物がほふられ、焼かれます。

血を流して苦しむ動物を見ながら
人々は自分の犯した罪の大きさを悲しみます。
儀式が終わると「罪は赦された」と祭司が宣言してくれます。

現代の私たちは十字架上で血を流して苦悶する主イエスを思い、
自分の罪の大きさを実感します。
罪の完全な赦しがあることを感謝しましょう。
イエスさまこそ、私たちの罪を取り除く神の子羊です。

(photo by Hattori)





2021/03/10

恐れず、信じ続ける

 これを聞いて、
イエスは答えられた。
「恐れないで、ただ信じなさい。
そうすれば、娘は救われます。」
(ルカ8:50)

娘が死にそうで取り乱した会堂司に、
主イエスはアドバイスをしました。
恐れるな、ただ信じるのだと。

逆はダメです。
恐れに身を任せ、信じることを止めるなら、
出口を失い失望スパイラルに陥ります。

人生ハイウエイを安全に走行するには
ブレーキとアクセルの両方が必要なのです。
恐れることはキッパリと止めます。
主イエスとイエスの言葉をどこまでも信じるのです。

今の日本社会に枯渇しているのは信じることです。
神は人に信じる力を与えて下さっています。
主イエスを信じ続けましょう。

(photo by Minami)


 


2021/03/09

互いに尊敬する

兄弟愛をもって互いに愛し合い、
互いに相手を優れた者として尊敬し合いなさい。
(ローマ12:10)

アメリカ東海岸にフィラデルフィアという町があります。
キリスト教の教派の一つ、クエーカーたちが作った町で、
その名はギリシア語で「兄弟愛」を意味します。
どんな理想を掲げて作られた都市か想像できますね。

私たち日本人はお世辞を言ったり、
自分を極端に卑下することはできます。

でも身近な人をほめることは苦手で、
穏やかな心で尊敬を伝えることはしていません。
日常的に言葉で尊敬を表しましょう。

誰かを尊敬したりほめたりしている人は、
主を賛美する事が自然になります。

(photo by Hattori)



2021/03/08

神と共にある幸い

人には、食べたり飲んだりして、
自分の労苦に満足を見出すことよりほかに、
何も良いことがない。
そのようにすることもまた、
神の御手によることであると分かった。
実に、神から離れて、
誰が食べ、誰が楽しむことができるだろうか。
(伝道者の書2:24~25)

権力と欲望と財産と達成感を手にしたソロモンは、
自分の経験から、またその博識から、
すべてが空しいことに気づいてしまいました。
頂点に立った人しか見えない景色は
バラ色ではなく厭世色に塗られていました。

人生の足場は不安定ですが、
これは確かだと言えるものをソロモンは見出しました。
働くことに喜びがある。
働いた後の食事は実においしい。
ささやかな事の中に幸せがある。
神の御手に守られている時に安らぎがある。

神と共に働き、神に食事を感謝し、
神から離れずに生きていたい。
ソロモンはシンプルな真理に気づいたのでした。

(photo by Kiba)




2021/03/07

ろばが言う

ろばは主の使いを見て、
バラムを乗せたまま、うずくまってしまった。
バラムは怒りを燃やし、杖でろばを打った。
すると、主がろばの口を開かれたので、
ろばはバラムに言った。
「私があなたに何をしたというのですか。
私を三度も打つとは」
(民数記22:27~28)

ろばが話したので
乗っていたバラムはびっくりしたでしょう。

バラムは主のみこころに反する事をしそうでしたが、
主の使いが剣を抜いて立ちはだかり、彼を止めるつもりでした。
バラムには主の使いが見えず、進めとロバを打ちました。
そのまま行けば殺されるところだったので、
ロバは主人の命を助けたのです。

何かに夢中になっていると見えなくなる事があります。
そんな時、聖霊が「進入禁止」を教えてくれます。

普段は寡黙な人が何か大切な事を言っていませんか。
幼い子供が切実に訴えていませんか。
あなたのそばにろばがいるかもしれません。

(photo by Kamiya)





 

 




2021/03/06

牛を連れ戻す

あなたの同族の者の牛または羊が
迷っているのを見て、
見ぬふりをしてはならない。
あなたの同族のところに、
それを必ず連れ戻さなければならない。
(申命記22:1)

世話になっている親戚や大好きな人の牛だったら、
すぐに保護して知らせに行きます。
そうでない場合が問題になるのです。

おっ、あいつの牛が迷っているぞ、
ヤツに知らせる義理はない。
こうした微妙な空気の場面を想定して、
見て見ぬふりをするなと規定しているのでしょう。

「見て見ぬふりをしない日」という日があってもいいかもしれませんね。

(photo by Kiba)


2021/03/05

愛されるため

 すると天から声がした。
「あなたはわたしの愛する子。
わたしはあなたを喜ぶ。」
(マルコ1:11)

ヨルダン川で主イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けた時、
天から声がしました。
父なる神が主イエスのことをこよなく愛し、
喜んでいる事を明らかにしてくれた瞬間でした。

変貌山で主イエスが栄光の姿に変わった時も
同じ言葉が天から聞こえた事を考え合わせると、
主イエスはずっと父なる神の愛の中に包まれていたことが分かります。

あなたも主イエスに愛されています。
あなたの存在を主イエスは喜んでおられます。
まさに、あなたは愛されるため生まれたのです。

「誰にも愛されていない」とつぶやいていた人、いませんか?
目を覚まして下さいね、ずっと愛されていますよ。

(photo by Minami)




2021/03/04

雲が立ち上がったら

イスラエルの子らは、旅路にある間、
いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。
雲が上らないと、上る日まで旅立たなかった。
旅路にある間、
イスラエルの全家の前には、
昼は主の雲が幕屋の上に、
夜は雲の中に火があった。
(出エジプト記40:36~38)

この文章が出エジプト記の末尾にあることは
とても意味深長です。

当時のイスラエル人がうらやましいです。
彼らは神が共におられる事を視覚的に理解できました。
幕屋の上に雲があり、夜はその中に火があったからです。

私たちの人生もまた旅です。
主が立ち上がった時には、躊躇なく動きましょう。
主がとどまっておられるなら、あせらず静かに待ちましょう。

コロナがひと段落ついた時に
動けるように備えをしておきましょう。

 (photo by Hattori)



2021/03/03

赤いひも

見なさい。
私たちはこの地に入って来ます。
私たちをつり降ろした窓に、
この赤いひもを結び付けておきなさい。
あなたの父、母、兄弟、そして、
あなたの一族全員をあなたの家に
集めておきなさい。
(ヨシュア記2:18)

城壁の町エリコを攻略するため
二人の斥候が潜入しました。
遊女ラハブは二人をかくまい、
その間に、主への尊敬と信頼を表明しました。

斥候たちは彼女に赤いひもを手渡し、
これを窓に付けておけば
その部屋にいる者すべてを救い出すと約束しました。

主イエスの十字架の血は、まさに赤いひもです。
信じる者は救われます。
私たちの大切な人を部屋に招き入れましょう。
一族全員が救われますように。

(photo by Minami)



2021/03/02

人数ではない

ヨナタンは道具持ちの若者に言った。
「さあ、この無割礼の者どもの先陣の
ところへ渡って行こう。
おそらく、主がわれわれに味方してくださるだろう。
多くの人によっても、
少しの人によっても、
主がお救いになるのを妨げるものは何もない。」
(第一サムエル14:6)

サウル王の息子ヨナタンは、
宿敵ペリシテ人の陣地に攻め込もうとしました。
敵は二十一人、こちらは二人。
人数でいえば間違いなく不利、
しかも崖下からの攻撃になります。

主への信頼の厚いヨナタンはこう考えました。
主が助けて下さるなら、
人数の多い少ないは無関係だ。
私たち二人でも大丈夫。
そして本当に勝ったのです。

能力、財力、人数、経験値に関係なく、
主はあなたを勝利に導いて下さいます。

(photo by Honda)



2021/03/01

主に帰れ

「しかし、今でも──主のことば──
心のすべてをもって、
断食と涙と嘆きをもって、
わたしのもとに帰れ。」
衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。
あなたがたの神、主に立ち返れ。
主は情け深く、あわれみ深い。
怒るのに遅く、恵み豊かである。
わざわいを思い直してくださる。
(ヨエル書2:13)

「主は情け深く、恵み豊かである」と
聖書は何度も語っています。
神に帰れと預言者は切々と訴えました。

主イエスの放蕩息子のたとえ話は、
こうした聖句の真意を言い換えたものかもしれません。

大事なことは、帰ることです。
その後のことは、心配いりません。
ただ帰りましょう。

(photo by Hattori)