兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、
私は、すぐれたことばや知恵を用いて
神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。
なぜなら私は、あなたがたの間で、
イエス・キリスト、しかも十字架につけられた
キリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。
(第一コリント2:1~2)
誰かに福音を伝えたいけど、
うまく説明できないで躊躇する人が多いです。
自分は頭が悪いから無理だと感じる人もいます。
急に完璧主義になって、
聖書を読破してないから資格がないと思う人まで現れます。
コリントで開拓伝道した時の
パウロの方法を思い出して下さい。
コリントは大都会で知識人も多かったので
理屈には理屈で反発されると予想したのでしょうか、
シンプルに語ることに徹しました。
十字架のイエスさまだけを話す。
他は語らない。
福音には、この語り方が似合っています。
人間の知恵でなく、十字架の言葉こそ力があります。
私たちもシンプルに<十字架のイエス>を語りましょう。
2024/01/31
シンプルに十字架
2024/01/30
曲がったことは
私は曲がったわざを憎み
それが私にまといつくことはありません。
曲がった心は私から遠ざかります。
私は悪を知ろうともしません。
(詩編101:3~4)
私は曲がったわざを憎むと詩編に書いてあります。
政治家が、国家と国民のことを第一に考え、
金持ちではなく庶民に目を向け、
被災地に立ち、人々を励まし、役立つ法律を作るなら、
みんながその人を認めることになるでしょう。
私たちも言いましょう。
曲がったことが嫌いですと。
曲がった心も遠ざけますと。
まっすぐ歩くとさわやかです。
2024/01/29
警告と期待
人を中傷せず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。
そうすれば、彼女たちは若い女の人に、夫を愛し、子どもを愛し、
慎み深く、貞潔で、家事に励み、善良で、
自分の夫に従順であるように諭すことができます。
神のことばが悪く言われることのないようにするためです。
(テトス2:3~5)
年を重ねた女性への警告と期待が語られています。
注意すべき点は、
人の悪口を言わないこと、
そして、アルコール依存にならないことです。
男も女も老人になるとずうずうしくなります。
最年長のせいで、歯止めを失いがちです。
自分をきちんとコントロールしましょう。
若い時も、歳をとっても、
夫婦の原則を守り、愛と従順を心掛けましょう。
年配の女性には大切な役割があります。
若い女性のお手本になることです。
よそ行きの姿を見せるとか、
口先だけの理想ではなく、
普段の信仰と生活が模範になります。
あなたが神に仕えているという
そのままの姿が尊いのです。
2024/01/28
心を動かされて
心を動かされた者、霊に促しを受けた者はみな、
会見の天幕の仕事のため、そのあらゆる奉仕のため、
また聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た。
(出エジプト記35:21)
人々はエジプトを出て荒野にいましたが、
移動可能な礼拝施設、幕屋を作ることになりました。
モーセがその全体像を人々に示し、
どんな材料が必要かを明らかにしました。
それを聞いて、
イスラエルの民は心を動かされ、
霊の深みで納得しました。
心を動かされた感動の体験が
ささげる喜びにつながったのです。
私は銀や金を持っている、緋色の撚り糸がある、
縞めのうの宝石を持っている、アカシヤの木材がある。
そんな声が聞こえてくるようです。
幕屋は、イスラエルの民が持っていたものだけで
作られました。
幕屋自体が主への奉納物なのです。
2024/01/27
声をあげて泣く友
それがヨブであることが見分けられなかった。
彼らは声をあげて泣き、それぞれ自分の上着を引き裂き、
ちりを天に向かって投げ、自分の頭の上にまき散らした。
彼らは彼とともに七日七夜、地に座っていたが、
だれも一言も彼に話しかけなかった。
彼の痛みが非常に大きいのを見たからである。
(ヨブ記2:12~13)
ヨブはある日、子供達の死に直面しました。
悪人が襲撃して来て息子たちが殺害され、
自然災害で家がつぶれて子供達が犠牲になりました。
それを聞き、ヨブの親友三人がやって来ました。
ヨブ自身が全身の皮膚病にかかったため
本人だと分からないほど悲惨な有り様でした。
友人達は衣を引き裂き、ちりを被り、
声を上げて泣きました。
七日間、何も言いませんでした。
ただ、ヨブに寄り添いました。
慰めの言葉もかけられません。
アドバイスもしません。
原因を究明したりしません。
叱咤激励もしません。
友人三人は一緒に泣いて、黙って、
ヨブのそばにいて、地面に座っていました。
良い友達ですね。
2024/01/26
パウロを助けたい
しかし、百人隊長はパウロを助けたいと思い、
彼らの計画を制止して、
泳げる者たちがまず海に飛び込んで陸に上がり、
残りの者たちは、
板切れや、船にある何かにつかまって行くように命じた。
こうして、全員が無事に陸に上がった。
(使徒27:43~44)
地中海を船でローマに護送されました。
途中、その船が浅瀬に乗り上げてしまいました。
ローマ兵らは囚人たちがこの機に逃げる事を警戒し、
殺してしまおうと相談をしていました。
責任者の百人隊長は素早く先手を打ち、
囚人らに浜辺まで泳ぐように命じました。
パウロを助けたいと思ったからでした。
今までのパウロの言動と信仰を見て
百人隊長はパウロに信頼を寄せていたのです。
クリスチャンでない人が
クリスチャンを助けてくれるという事が起こりました。
主は、そのような人を今も用いて下さいます。
あなたの周囲にも百人隊長のような人がいるはずです。
感謝しましょう。主を賛美しましょう。
2024/01/25
愛には恐れがありません
愛には恐れがありません。
全き愛は恐れを締め出します。
恐れには罰が伴い、恐れる者は、
愛において全きものとなっていないのです。
(第一ヨハネ4:18)
地雷を踏まないように避けて通ろう。
どうしたら叱られないですむだろう。
ごまかしてやり過ごす方法はないか。
対人関係で悩んでいると
ある人物と向き合うのではなく
逃げよう逃げようという姿勢になります。
愛には恐れがありません。
その人のため祈り、主にゆだねましょう。
愛そうと思うと
その人の顔を真正面から見られるし、
愛すと恐れがどこかに行ってしまいます。
2024/01/24
2024/01/23
泣きながら
その日、その時──主のことば──
イスラエルの民もユダの民も、ともにやって来る。
彼らは泣きながら歩みつつ、その神、主を尋ね求める。
『さあ、私たちは主に連なろう。
忘れられることのない永遠の契約によって』と。
(エレミヤ50:4~5)
強大なバビロン帝国は
永遠に力を持つと思われました。
ですがメド・ペルシアに滅ぼされました。
新しい支配者は
ユダヤ民族をエルサレムに返す方針を示しました。
人々は泣きながら歩くのです。
解放された喜びの涙です。
主に逆らった態度を悔いて泣きます。
主のご真実な配慮に驚いています。
泣きながら心で決めました。
主を尋ね求めますと。
もう逆らったりしませんと。
こうした悔い改めの涙ほど
尊いものはありません。
涙の向こうにエルサレムがあります。
2024/01/22
誰に遣わされているか
ペテロに働きかけて、
割礼を受けている者への使徒とされた方が、
私にも働きかけて、
異邦人への使徒としてくださったからでした。
(ガラテヤ2:8)
召されました。
ペテロは庶民で漁師で田舎の人です。
とてもユダヤ人らしい人でした。
一方パウロはギリシア語が堪能で知識人で
タルソ生まれで国際感覚を持つ人物でした。
異邦人への伝道のため召されました。
どちらが上か下かではなく、
どんな人のために召されたのかという区別にすぎません。
あなたは誰のために召されましたか。
どんな人のところに遣わされていますか。
そんな事は考えたことがないかもしれません。
ずっとそれが変わらない人もいます。
あなたの年齢、住む場所、職業などで
変化する場合もあります。
あなたは誰に対する「使徒」でしょう。
2024/01/21
毎日の香
朝ごとにともしびを整え、煙を立ち上らせる。
アロンは夕暮れにともしびをともすときにも、
煙を立ち上らせる。
これは、あなたがたの代々にわたる、
主の前の常供の香のささげ物である。
(出エジプト記30:7~8)
祭司の仕事は定められていました。
アロンは規定に従い、
聖所に毎日入り、香をたきました。
至聖所との仕切りとなる垂れ幕の前に
特別な祭壇があり、
そこに特殊な香をささげました。
朝ごとに、夕ごとに。
あなたが祭司アロンの立場なら、
どんな気持ちになるでしょう。
神の栄光を賛美して香をたきます。
人々の代表として主の前に出て礼拝します。
また、人々に神の祝福が注がれるようにと願いつつ、
香のかぐわしい香りに包まれます。
私たちも、朝ごとに、夕ごとに、
祈り続ける祭司の心を持ちたいですね。
2024/01/20
若葉
すると見よ、取ったばかりのオリーブの若葉が
そのくちばしにあるではないか。
それで、ノアは水が地の上から引いたのを知った。
(創世記8:11)
大雨が止み、洪水の水位が下がり始めました。
箱舟からは周囲の全体像は良く見えません。
それで、ノアは鳩を飛ばして様子をみました。
一回目は、鳩は足を休ませる場所がなくて
箱舟に戻ってきました。
1週間後に再び鳩を飛ばすと
口にオリーブの若葉をくわえて帰ってきました。
それは、植物が水面から顔を出しているという
良い知らせでした。
苦しみや試練の中にいる人は
否定的な部分が大きく見えます。
あなたも鳩を飛ばしてみましょう。
鳩が何を口にくわえているかを見ましょう。
小さな葉っぱでも、それは明るい知らせです。
あなたにとって、
オリーブの葉とは何ですか。
2024/01/19
2-2-2
ほかの人にも教える力のある信頼できる人たちに委ねなさい。
(第二テモテ2:2)
第二テモテ2章2節なので、
キリストについて行きたいと強く思う人は、
自分を主にささげたい、用いてほしいと考えます。
でも一人だけでは働きは広がりません。
周囲を見回して下さい。
教える事が上手な人がいませんか。
他の人を育てる忍耐と励ましの人がいませんか。
後輩のために時間を取っている人がいませんか。
極端さがなくバランスがあり、信仰面で信頼できる人です。
教える賜物のある人を見つけ、育て、任せましょう。
聖書と信仰生活を教えられる人がいるはずです。
2024/01/18
その名は主
すばるやオリオン座を造り、
暗黒を朝に変え、
昼を暗くして夜にし、
海の水を呼び集めて、
それを地の面に注ぐ方。
その名は主。
(アモス5:8)
星座や宇宙が好きな人は
この箇所を見て興味が湧くでしょう。
星座を見て神々の物語を創作する人々が各地にいましたが、
アモスは星座を造られた方に心を向け、
神の大きさをたたえました。
夕日が沈み暗闇が覆い始める様子をながめ、
暗黒が去り朝日が昇る瞬間に感動するアモスがいます。
海水が蒸発し、雲が発達して移動し、
地に雨を降らすメカニズムは既に知られていました。
自然のスケールの大きさは
創造主の壮大さから来ています。
地球の循環システムを造られた知恵深いお方、
その名は主です。
2024/01/17
喜んで与える
一人ひとり、いやいやながらでなく、
強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。
神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。
(第二コリント9:7)
礼拝の献金の場面で司会者がよく読む箇所です。
信仰生活が長い人は献金で迷いがありません。
いくらささげるかあらかじめ決めているからです。
教会の一般会計、国内外の宣教献金、席上献金の額などは
年度の初めに祈って決めている人が多いです。
災害支援や、緊急の必要のために即断してささげる事もあります。
献金の分野であなたの理解や信仰はどのように
深められてきましたか。
献金自体が感謝であり、賛美であり、
神の栄光をたたえる礼拝です。
自分が体を動かして奉仕できなくても
献金が代わりに奉仕してくれるイメージもあります。
人生のステージによって経済状態は違います。
以前より大胆にささげられる時期の人もいます。
主から頂いたので、ささげることができます。
喜んでささげ、喜んで与える世界があります。
2024/01/16
罪深さ
これを見たシモン・ペテロは、
イエスの足もとにひれ伏して言った。
「主よ、私から離れてください。
私は罪深い人間ですから。」
(ルカ5:8)
ペテロは主イエスの指示に従って
舟の横に網を下ろしました。
あまり乗り気ではなかったはずです。
するとおびただしい魚が捕れました。
鳥肌が立つというレベルを超えていました。
一見、無関係にも見えるのですが、
ペテロは自分の罪深さを痛切に感じて、
主イエスの足元にひれ伏しました。
たぶん私たちもペテロのように反応するでしょう。
私たちは主イエスを信じて来たので
イエスさまに親しみを感じています。
ですが主イエスの奇跡に遭遇すると
声も出なくなり、自分のいい加減さや
馴れ馴れしさを強く恥じ、突然自分の罪に気づき、
ひれ伏すしかない時があるのです。
主イエスよ、あなたは神。
全能の主。愛なる救い主。
罪なき神の子、聖なるお方です。
主よずっとあなたについて行きます、と言いましょう。
2024/01/15
もっと素晴らしいもの
施しを求めた。
ペテロは、ヨハネとともにその人を見つめて、
「私たちを見なさい」と言った。
(使徒3:3~4)
エルサレム神殿の美しの門に
一人の足の不自由な男性が運ばれて来て、
物乞いを始めました。
ちょうどペテロとヨハネがそこを通り、
その人と目が合いました。
ペテロたちが「私たちを見なさい」と言ったので
男はお金がもらえると思ったのです。
その男は主イエスの御名によって癒され、
飛び跳ねて主を賛美しました。
彼は生活費となるお金を求めていました。
でも手に入れたのは健康な体と信仰と希望でした。
教会に初めて来る人、求道を始める人も、
彼と似たプロセスを踏みます。
当初は、お金、成功、知的満足などを求めますが、
主イエスと出会うことで、
罪の赦し、平安、希望、生きがいなどが与えられます。
もっと素晴らしいものを与えようとするのが
主イエスのやり方です。
2024/01/14
2024/01/13
聖書にとどまる
学んで確信したところにとどまっていなさい。
あなたは自分がだれから学んだかを知っており、
また、自分が幼いころから
聖書に親しんできたことも知っているからです。
聖書はあなたに知恵を与えて、
キリスト・イエスに対する
信仰による救いを受けさせることができます。
パウロは彼に手紙を書き、助言を与えていました。
その中で、誰から聖書を学んだのかを思い出させました。
どんな事が起きても、
聖書に戻るようにとパウロは勧めました。
そして、聖書が
人々を救う力を持っていると再確認させました。
私たちが手に持っているものは
まぎれもない神の言葉、救いの言葉なのです。
2024/01/12
あれれみ深い神
あなたの神、主はあわれみ深い神であり、
あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、
あなたの父祖たちに誓った契約を忘れないからである。
(申命記4:31)
あわれみ深い人とはどんな人でしょうか。
一度の失敗で見限ることはありません。
やり直せると励ます人です。
悔やむ人や悲しむ者に寄り添う人です。
約束を実行する人です。
そういう人は多くはいません。
イスラエルの民が神に背を向け、
偶像の神を作って礼拝し、
不正を行い、傲慢になり、他国に侵略され、
ついには国を失い、他国に流されたとしても、
神に助けを求める者がいたなら
滅ぼさずに助けようと主は言われるのです。
主はあわれみ深い神です。
神はあなたを決して捨てません。
あなたへの約束を守って下さいます。
2024/01/11
激励に来た友
戦いに出て来たのを見た。
そのとき、ダビデはジフの荒野のホレシュにいた。
サウルの息子ヨナタンは、
ホレシュのダビデのところに行って、
神によってダビデを力づけた。
(第一サムエル23:15~16)
ダビデがサウル王に命を狙われた時のことです。
ダビデは逃亡者として転々としていました。
王のために戦い続けたのですが、
サウルにねたまれてしまいました。
さすがのダビデも心が折れかかっていました。
そんな時、
ヨナタンが顔を見せてくれました。
親友が激励に来てくれたのです。
神によって力づけたとあります。
最高の応援です。笑顔が戻りました。
ダビデは喜びがはじけたことでしょう。
勇気と希望をもらったはずです。
あなたの周囲に、ダビデがいるかもしれません。
荒野の仮の住まいで
あなたの激励を待っている人がいます。
2024/01/10
方法ではない
ギデオンは言った。
「ああ、主よ。
どうすれば私はイスラエルを救えるでしょうか。
ご存じのように、私の氏族はマナセの中で最も弱く、
そして私は父の家で一番若いのです。」
主はギデオンに言われた。
「わたしはあなたとともにいる。
あなたは一人を討つようにミディアン人を討つ。」
(士師記6:15~16)
ギデオンは神に声をかけられました。
あなたがイスラエルを救うリーダーだと
呼び出されたのです。
ギデオンは自分の小ささと弱さを理由に
神からの要請を断ろうと試みました。
実際の手段が思い浮かばない事を盾にして、
無理ですと言い訳をしているのです。
how、いかにして、が問題なのではありません。
誰が一緒にいてくれるかが大事なのです。
どうしたらではなくて、
神が共におられるから大丈夫なのです。
「わたしはあなたとともにいる」
2024/01/09
建て直される
おとめイスラエルよ。
再びわたしはあなたを建て直し、
あなたは建て直される。
再びあなたはタンバリンで身を飾り、
喜び踊る者たちの輪に入る。
(エレミヤ31:4)
エレミヤ書は国の破滅と再生を語っています。
人々を娘と位置づけ、
神の愛が注がれる対象とされています。
ユダヤの人々は愛と保護の必要な神の娘なのです。
それなのに、神に逆らい、神から離れ、
自分勝手な罪の道を進んだゆえに
滅びを招いてしまいます。
そんな有様でも、再生できるのです。
立ち上がるのではありません。
神がイスラエルを建て直すのです。
ここに神のあわれみが示されています。
今、暗闇ですか。でも喜びの日が必ず来ます。
あなたは建て直されます。
2024/01/08
ロバの子
「向こうの村へ行きなさい。
村に入るとすぐ、
まだだれも乗ったことのない子ろばが、
つながれているのに気がつくでしょう。
それをほどいて、引いて来なさい。
(マルコ11:2)
このロバです。
なぜ、この子ロバが
多くの人を引き付けるのでしょう。
1、馬ではなくロバだから
2、人を乗せた経験がない子ロバ
3、イエスさまが指名された
4、イエスさまを乗せて入城した
ロバと自分を重ねて考える人が多くいます。
取り柄が無いと感じていたのに
主イエスに必要だと言ってもらえたら
嬉しくなります。
主イエスはあなたの弱さも強さも知った上で
あなたを呼んで下さいます。
2024/01/07
復活がなければ
キリストもよみがえらなかったでしょう。
そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、
私たちの宣教は空しく、
あなたがたの信仰も空しいものとなります。
(第一コリント15:13~14)
キリストの復活は無くても構わないという人が一部にいます。
主イエスが人の罪ゆえに鞭打たれ、
十字架で死んでくださった物語だけで感動的だし
それで十分と考える立場です。
パウロはそうした意見にどう反応するでしょう。
キリストの復活なしにキリスト教はない、と
パウロは断言するでしょう。
よみがえりが無いなら
十字架の死は空しい出来事なのです。
パウロ自身、
よみがえられた主イエスと実際に出会って
信仰を持ちました。
命をかけて伝道したパウロにとって
生きておられる主イエスの存在こそが
最大の支えだったのです。
主イエスはよみがえられた。
それが教会と信仰の土台です。
パウロはそう強く確信していました。
2024/01/06
何回、赦すか
「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、
何回赦すべきでしょうか。
七回まででしょうか。」
イエスは言われた。
「わたしは七回までとは言いません。
七回を七十倍するまでです。
(マタイ18:21~22)
シニア向けパソコン教室のポスターに
「100回同じことを尋ねられても
笑顔でお教えします」と書いてありました。
ペテロもイエスさまにポスターをお見せしたつもりなのです。
ひどい事をされたら2回くらいは赦せましたが、
主イエスから学んで寛容度が増したので
えいやーという感じで7回赦すことにしました。
イエスさまにほめてもらえるかと思ったら、
7回の制限を設定してはだめだというのです。
7の70倍、つまり、無限に赦すように言われました。
ペテロの驚いた顔が目に浮かぶようです。
最初から赦すと決めている。
それが主イエスの生き方です。
2024/01/05
75歳
アブラムは、
主が告げられたとおりに出て行った。
ロトも彼と一緒であった。
ハランを出たとき、
アブラムは七十五歳であった。
(創世記12:4)
アブラハムの父、テラはカナンに行くつもりでしたが、
ウルから出発し、途中のハランで止まってしまいました。
同行していた息子のアブラハムも
ハランでストップとなりました。
わたしの示す地へ行きなさいと言われました。
それで、アブラハムはカナンを目指すことにしました。
ある年齢になると「よっこらしょ」と言い始め、
さらに年を取ると「よっこらしょっ、と」と言います。
行動のはずみに「と」が必要になるのです。
アブラハムが旅立ったのは75歳でした。
もう隠居の年齢でしたが、
主の声を聞いて行動しました。
立派です。
あなたは75歳ですか。もっと若いですか。
よっこらしょと、でも構いません。動いてみましょう。
あなたに示された行動は何ですか。
2024/01/04
2024/01/03
困難な時代
また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、
気をつけて、うろたえないようにしなさい。
そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
あちこちで飢饉と地震が起こります。
(マタイ24:6~7)
北陸地震のニュースに接して
私たちは驚きながら心配しています。
何かできることがあったら
協力したいという思いが国民みんなにあると思います。
数年前に友人を訪ねた場所が
ヘリから見た火災現場に近かったので
何度も映像を見返しています。
主イエスがあえて厳しい将来を予告されたのは
困難な時代への備えと、
その時には助け合うようにとの指示なのかもしれません。
被災した方々に援助の手が届きますように。
弱さを抱える人が守られますように。
寒い気温の中で体調が支えられますように。
心が守られますように。
早く地震活動が終わりますように。
復興できますように。
2024/01/02
カナの婚礼
イエスはこれを最初のしるしとして
ガリラヤのカナで行い、
ご自分の栄光を現された。
それで、弟子たちはイエスを信じた。
(ヨハネ2:11)
ヨハネの福音書の最初の奇跡は
カナにおける婚礼の席で行われました。
水を大きな水がめに入れ、
それを高級ワインに変えてしまう奇跡でした。
主イエスの奇跡の中でも極めて特殊なものです。
主イエスは結婚を祝福して下さる方です。
ぶどう酒が不足するという失態を
カバーして下さるあわれみ深い方です。
舞台裏でそっと行われた奇跡でした。
水を葡萄酒に変えた主イエスが
私に対しても何かをして下さる、
そういう希望を感じさせてくれる出来事です。
新しい年、素晴らしい何かがきっと起こります。
2024/01/01
日の昇るところから
ハレルヤ。
主のしもべたちよほめたたえよ。
主の御名をほめたたえよ。
今よりとこしえまで、主の御名がほめられるように。
日の昇るところから沈むところまで
主の御名がほめたたえられるように。
主はすべての国々の上に高くおられその栄光は天の上にある。
(詩編113:1~4)
新年明けましておめでとうございます。
一年の最初に
主の御名をたたえましょう。
生かされている恵みをかみしめましょう。
救われた不思議を思いましょう。
主からの期待にお応えしましょう。
今年、福音が世界に広く伝わりますように。
救われる人を起こして下さい。私を用いて下さい。
私の心の中にきよさと御霊の実が結びますように。
主に信頼して行動します。私をおささげします。
主の奇跡と栄光を見せて下さい。
慰めと励ましを豊かに注いでください。
思いを超えた素晴らしい御業を示して下さい。
一年の初めに主を賛美し礼拝します。
賛美を今からとこしえまでささげます。
日の昇るところから沈むところまで
世界のすべてで主があがめられますように。