もし死者の復活がないとしたら、
キリストもよみがえらなかったでしょう。
そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、
私たちの宣教は空しく、
あなたがたの信仰も空しいものとなります。
(第一コリント15:13~14)
キリストの復活は無くても構わないという人が一部にいます。
主イエスが人の罪ゆえに鞭打たれ、
十字架で死んでくださった物語だけで感動的だし
それで十分と考える立場です。
パウロはそうした意見にどう反応するでしょう。
キリストの復活なしにキリスト教はない、と
パウロは断言するでしょう。
よみがえりが無いなら
十字架の死は空しい出来事なのです。
パウロ自身、
よみがえられた主イエスと実際に出会って
信仰を持ちました。
命をかけて伝道したパウロにとって
生きておられる主イエスの存在こそが
最大の支えだったのです。
主イエスはよみがえられた。
それが教会と信仰の土台です。
パウロはそう強く確信していました。
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