2021/05/31

主は打たれる

ダビデは言った。
「主は生きておられる。主は必ず彼を打たれる。
時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるかだ。
私が主に逆らって、
主に油注がれた方に手を下すなど、
絶対にあり得ないことだ。
さあ、今は、枕もとにある槍と水差しを取って、
ここから出て行こう。」
(第一サムエル26:10~11)

再びチャンスが巡ってきました。
ダビデはサウルの眠っていた宿営に潜入成功、
槍の一突きでサウルを殺害できました。
でもしません。実にダビデらしい行動です。

前回、洞窟で鉢合わせした時と違うのは、
主がサウルを打つとダビデが確信した事です。
自然死か戦死かは不明ですが、
サウルの死を予感しました。

だからこそ今、槍を突く必要はない。

主は生きておられる。主が主の時に事を為される。

(photo by Minami)


2021/05/30

主に油注がれた方

彼は部下に言った。
「私が主に逆らって、主に油注がれた方、
主君に対して、
そのようなことをして手を下すなど、
絶対にあり得ないことだ。
彼は主に油注がれた方なのだから。」
(第一サムエル24:6)

ダビデは荒野で頻繁に移動を続けた。
目的などない、ただ逃げていた。
サウル王が執拗にダビデを追いまわし
殺害しようとしたからだ。

ダビデたちが洞穴に隠れていた時、
サウルが用をたすために入って来た。
部下は連れていない。
千載一遇、今なら倒せる。

ダビデの部下は色めき立ったが、
ダビデは動かない。
仮にも神に油注がれた王だ。
我らが倒すことは主に背くことになると考えた。

本当の主君は神ご自身。
主に従う。
神のみこころの追い風が吹く時だけ
信仰の帆をはらませてセーリングする。
ダビデはそういう人だった。

(photo by Minami)



2021/05/29

窓から逃げる

サウルはダビデの家に使者を遣わし、
彼を見張らせ、朝に彼を殺そうとした。
ダビデの妻ミカルはダビデに告げた。
「今夜、自分のいのちを救わなければ、
明日、あなたは殺されてしまいます。」
そして、ミカルはダビデを窓から降ろし、
彼は逃げて難を逃れた。
(第一サムエル19:11)

ミカルは、父サウルによる冷酷な計画を察知した。
明日の朝になったら、ダビデを殺害するに違いない。

ミカルは、夫ダビデを夜のうちに逃がすことにした。
ドアはサウルの兵士に見張られているので
窓からそっと逃すことにした。

ダビデにとって幸いだったのは妻ミカルの存在だ。
私たちも窮地に陥った時に、
ミカルのような人が主から遣わされる。

感謝して、その人のお世話になって脱出しよう。
またいつか、私たちが逆の立場になって
誰かを助けることもあるはずだ。

逃げるならすぐに。
持ち物も過去も未練なく捨てる。
命一つあれば良い。
主がおられるので、やり直せるから。

(photo by Minami)


2021/05/28

風と波が従う

イエスは起き上がって風を𠮟りつけ、
湖に「黙れ、静まれ」と言われた。
すると風はやみ、
すっかり凪になった。
イエスは彼らに言われた。
「どうして怖がるのですか。
まだ信仰がないのですか。」
(マルコ4:39~40)

眠りから覚めたイエスは命じました。
風と湖に。黙れ、静まれ。

台風の暴風雨がどう通過するか日本人は良く知っています。
風雨は徐々にひどくなり、強弱を繰り返して去っていきます。
主イエスは、二つの単語で風と波を黙らせました。
徐々にとか、だんだん、なんてお呼びじゃない。瞬時です。
神の力、奇跡です。

主イエスの本当の力が分かってなかった十二弟子は、
ぽかんと大口を開けたままでした。

主イエスにとっては当たり前なので、
どうして怖がるのか。信仰はどうしたと言われました。

風や波さえ静める主イエスが今日も生きておられる。
信じますか。

(photo by I Hattori)


2021/05/27

眠るイエス

すると、激しい突風が起こって
波が舟の中にまで入り、
舟は水でいっぱいになった。
ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。
弟子たちはイエスを起こして、
「先生、私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。
(マルコ4:37~38)

主イエスは繊細さと豪胆さを兼ね備えた方でした。
誰もが驚きますよ。夕暮れ時の嵐の湖、
翻弄される小舟で主イエスはぐっすり眠っていたのですから。
漁師たちが沈没を覚悟するほど激しい気象でした。

十二弟子の抗議の調子からすると、
あなたのせいで私たちは死にそうですという雰囲気でした。
(それは、完全な言いがかりですね)

今、あなたが嵐の中にいるなら二つの事を心に留めて下さい。
・主イエスは、あなたと同じ舟に乗っておられる。
・主イエスが熟睡するほどなので嵐は深刻ではない。

主イエスは嵐を瞬時に静める方です。

(photo by Minami)


2021/05/26

ついて来なさい

イエスは道を通りながら、
アルパヨの子レビが収税所に座っているのを見て、
「わたしについて来なさい」と言われた。
すると、彼は立ち上がってイエスに従った。
(マルコ2:14)

レビは、いつもと同じように仕事をしていました。

主イエスはレビに目を留め、
彼の働く様子を注意深くご覧になり、
近づいて声をかけました。
レビは、突然の事で驚いたと思いますが、
最後は輝く笑顔で立ち上がったはずです。

私たちが気づけなかった可能性を
主イエスは見抜く方です。
人生リセットのきっかけを与えてくれます。
レビは金よりも価値あるものを見つけました。

私たちも、生涯、主イエスについて行きましょう。

(photo by hattori)


2021/05/25

わたしの心だ。

イエスは深くあわれみ、
手を伸ばして彼にさわり、
「わたしの心だ。
きよくなれ」と言われた。
するとツァラアトが消えて、その人はきよくなった。
(マルコ1:41~42)

コロナに感染して熱が出た人を思い浮かべてください。
手を置いて私のために祈って下さいとその人が
言ってきたら、あなたはどうします。

主イエスの前に現れた男性は
人々との接触を禁じられた皮膚病の人でした。
彼はひざまずいて、真実な心で助けを求めました。

主イエスは躊躇なく彼に触れて祈りました。
「わたしの心だ」と言いながら。
すると病は消えました。

主イエスはあわれみ深い人です。
温かい心を持たれた方です。
行動の人です。
癒す力を持つ神です。

主イエスこそが現代の希望です。
主よ、いやして下さい。

(photo by Kiba)


2021/05/24

すべてのものが賛美する

また私は、
天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、
それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。
「御座に着いておられる方と子羊に、
賛美と誉れと栄光が
世々限りなくあるように。」
(ヨハネの黙示録5:13)

難解な黙示録を読んでいると
樹木の生い茂った山道を登るようですが
急に開けた絶景に息を呑むことがあります。

今日の聖句は世界の鳥観図であり、
本来の世界の姿です。
天と地と海のすべてのものが
神と子羊イエスを礼拝している神々しい場面です。
栄光、永遠にあれ!

自然が美しい理由は、
神をたたえているからです。
神を賛美するために造られた人間が
そっぽを向いているので世界の調和が乱れ、
被造物も虚無に服し完全な美しさを出し切っていません。

海と空と地のすべての被造物よ、
すべての人よ、力の限り主を賛美せよ。
主は私たちの創造主。王の王。まことの神。

(photo by Hattori)




 

2021/05/23

復讐はわたしのもの

愛する者たち、
自分で復讐してはいけません。
神の怒りにゆだねなさい。
こう書かれているからです。
「復讐はわたしのもの。
わたしが報復する。」
主はそう言われます。
(ローマ12:19)

復讐が映画やドラマのテーマになるのは
ひどい目にあっている人が多いせいでしょう。

パウロは復讐にストップをかけました。
人間というものは、復讐のチャンスがやって来ると、
やられた何倍も仕返しをするものだからです。

次の節に書いてあるように、
復讐ではなく祝福を届けたほうが
後味が良いものです。

主が、晴れ渡った青空に白い雲でこう大書きしているように思えます。
<悪は放置しない>
<わたしが復讐する>
<祝福された人生を目指せ>
だから、倍返しはやめましょう。

(photo by Minami)


2021/05/22

散らされて

サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。
その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、
使徒たち以外はみな、
ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。
(使徒8:1)

激しい迫害のためクリスチャンたちは散らされ、
周辺の町々に逃げました。

逃げた先で、家族が殺されたと悲しい身の上話をするうちに
自然に福音を語り、救われる人が出てきました。

思い起こせばエルサレムは楽しく、愛を実感できた。
家で集まり、食事、語らい、賛美、聖書の学びをしてきた。
もう戻れないけど、ここをエルサレムにしよう。

コロナ下に置かれた私たちも
ある意味では、散らされています。
散らされた中でもきっと何かできる。

散った種よ、咲いて、実れ!

(photo by Hattori)










2021/05/21

真ん中にあるもの

彼らは、モーセを通して示された
主の命により初めて旅立った。
まず初めにユダ族の宿営の旗が、
その軍団ごとに出発した。
軍団長はアミナダブの子ナフション。
イッサカル部族の軍団長はツアルの子ネタンエル。
ゼブルン部族の軍団長はヘロンの子エリアブ。
幕屋が取り外され、幕屋を運ぶゲルション族、メラリ族が出発。
(民数記10:13~17)

荒野において、イスラエル十二部族の宿営位置は
各部族ごとに定められていました。
移動式礼拝所である幕屋を取り囲むように、
三部族ごとに東西南北に分かれたのです。

移動する時は、東側のユダ、イッサカル、ゼブルン族が
最初に旅立ちます。
次に、レビ人の二部族ゲルション族、メラリ族が、
幕屋の外周の木材などを分解して運びました。
行列の真ん中は常に神の箱で、ケハテ族がかつぎました。

宿営する時も幕屋が中心。
隊列を組んで進む時も神の箱が中央。

いつもの生活を続ける時も主を見上げ、
新しい事を始めたり、特別な事柄に対処する時も
主をセンターに置きましょう。

(photo by Minami)


2021/05/20

ついて来なさい

イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、
二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、
湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。
イエスは彼らに言われた。
「わたしについて来なさい。
人間をとる漁師にしてあげよう。」
(マタイ4:18~19)

私たち人間は二つのものを追い求めています。
一つは、信頼できる先生。
もう一つは、人生をかけるに値する天職です。

ペテロとアンデレは家族のために漁をしていました。
それは尊い仕事ですが、義務という面が強かったことでしょう。

主イエスは言葉少なに語りました。
漁師の二人は求めていた二つを同時に見出したので、
主イエスに従うことにしました。

ついて行くに値する師、イエス。
自分の命をささげても惜しくない仕事。

今日も湖畔で語りかけている主に従いましょう。

(photo by Minami)





 



2021/05/19

滅び失せなかった

私はこれを心に思い返す。それゆえ、私は言う。
「私は待ち望む。主の恵みを。」
実に、私たちは滅び失せなかった。
主のあわれみが尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
「あなたの真実は偉大です。
主こそ、私への割り当てです。」と
私のたましいは言う。
それゆえ、私は主を待ち望む。
(哀歌3:21~24)

哀歌は、エルサレム滅亡がテーマです。
敵に攻め込まれ敗北した人々と
子供達の悲惨な様子が書いてあります。

生き残った者たちは言いました。

滅び失せなかった。
主のあわれみを受けた。
感謝の言葉しかない。

すべて失ったが、主が私の割り当て地だ。
将来は見えないが、主を待ち望もう。

破壊と敗北と悲嘆の中でも、人は主を待ち望めるのです。

(photo by I Hattori)









2021/05/18

川の流れを見つめて

日は昇り、日は沈む。
そしてまた、元の昇るところへと急ぐ。
風は南に吹き、巡って北に吹く。
巡り巡って風は吹く。
しかし、その巡る道に風は帰る。
川はみな海に流れ込むが、
海は満ちることがない。
川は流れる場所に、
また帰って行く。
(伝道者の書1:5~7)

「ゆく河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。」
「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。」
方丈記と平家物語の有名な冒頭ですね。

伝道者の書はこれらの古典よりずっと昔に書かれています。

私も、木曽川の流れを眺めながら、
川の景色はずっと同じだけど同じではない、
人生に似てると考えたりします。

毎日は繰り返しで空しいと嘆くこともできる。
一生に一度だけの貴重な日とみなすこともできる。

日は昇り、日は沈む。
伝道者の書は、人生の不条理、無常を見つめつつ
創造主を見上げて生きよと教えています。
今日というかけがえのない一日を感謝します。

(photo by Hattori)



2021/05/17

心の願い

兄弟たちよ。
私の心の願い、
彼らのために神にささげる祈りは、
彼らの救いです。
(ローマ10:1)

パウロはユダヤ人の同胞からひどい迫害を受けました。
石打の刑にされ瀕死の重傷になったこともありました。

パウロはそんなユダヤ人を恨まず、
その逆に、
彼らを救って下さいと祈っています。

愛する家族や仲の良い友達、
親切な人や尊敬できる人、
そういう人のための祈りは自然にできます。
でもパウロの祈りは異質で、しかも真剣でした。

あの人が救われますようにと、
私たちが祈らないなら、
誰がその人たちのために祈るのでしょう。

(photo by Minami)




2021/05/15

きよさと優しさ

心のきよさを愛し、
優しく話をする者は、
王がその友となる。
(箴言22:11)

キリストに似た者になりたい。
それはクリスチャンに共通した生涯の目標です。

奥山にこんこんと湧く泉のような人、
可憐な花を咲かせる高山植物のような人なら、
乱暴な絶対君主も笑顔になるでしょう。

ピュアでありつつ偏屈にならず、
垣根を作らず人に優しくできたら、満点ですね。

主よ、あなたのあわれみと、
聖霊の静かなみわざによって、
私の内側にきよさと優しさを形作ってください。

(photo by Minami)




赦し合う

互いに親切にし、
優しい心で赦し合いなさい。
神も、キリストにおいて
あなたがたを赦してくださったのです。
(エペソ4:32)

主イエスを信じた人は
古い服を脱いで新しい服を着たのです。
エペソ4章の後半で
新しい服を着た人の生き方が列挙されています。
その最後を飾ったのが「赦し」でした。

主イエスの十字架を知っている人は、
他人を赦すことが可能になりました。

傷つけられた人、損害を負った人、恥をかかされた人、
ひどい目に遭った人だけが赦せるのです。 

汗まみれになった古い服を
次の日も着たいですか。

誰かを赦せた人は過去の鎖から解放され、真に自由になれます。
それが主イエスを信じた人のニューファッションなのです。

(photo by Minami)


2021/05/14

奇しきみわざの中で

神は、測り知れない大いなることをなし、
数えきれない奇しいみわざを行われる。
地の上に雨を降らせ、
野の面に水を送られる。
神は低い者を高く上げ、
嘆き悲しむ者は安全なところに引き上げられる。
(ヨブ記5:9~19)

宇宙飛行士が言いました。
地球をリンゴにたとえると、
空気のある層はリンゴの皮の厚さしかないと。
酸素のある場所で生きていること自体が奇しいみわざです。

雨が降らないと砂漠になります。
海水と真水があることも主からの大きな恵みです。
虐げられた人に光が注がれることも主のあわれみです。
テマン人エリファズのこうした言葉に真理があります。

今のような時代でも、心を低くして自然を見たり歴史を振り返ると、
神の恵みと奇しいみわざが計り知れないことに気づきます。
主よ、弱い私たちを支え引き上げて下さい。

(photo by Minami)






2021/05/13

主に立ち返ろう

さあ、主に立ち返ろう。
主は私たちを引き裂いたが、
また、癒し、
私たちを打ったが、包んでくださるからだ。
(ホセア書6:1)

学校時代、あなたが好きな先生はどんなタイプでしたか。
生徒が騒いでも叱れない先生のことは、
名前も顔も覚えていないものです。

運動部の顧問のエネルギッシュな先生。
唾を飛ばして熱弁する名物先生。
クラス担任になったばかりの若い先生。
彼らは時に叱るけど、真剣だった。

主は私たちの事を誰よりも大切に思っているので、
厳しく打つこともあります。
でも、その後で温かく包み、いやしてくれます。
主に立ち返りましょう。

(photo by Minami)






2021/05/12

来て見て

 「来て、見てください。
私がしたことを、すべて私に話した人がいます。
もしかすると、この方がキリストなのでしょうか。」
(ヨハネ4:29)

サマリアの女は、
スカルの井戸で主イエスと鉢合わせになり、
色々な質問をしました。
今までの人生を主イエスに見抜かれて心底驚きましたが、
素直な自分を取り戻し、キリストを信じました。

水を汲みに来たはずの彼女は、
水がめを井戸のそばに置いたまま、町に急ぎ走り、
救い主に出会ったと人々に知らせました。

私の過去のすべてを知りながら愛してくれるイエス。
私の心に喜びの泉を下さるイエス。
人生のリスタートを後押しされるイエス。

私たちも誰かに言いたくなります。
救い主イエスに出会ったと。

(photo by Mizuno)


2021/05/11

どこにいる?

神である主は、人に呼びかけ、
彼に言われた。
「あなたはどこにいるのか」
(創世記3:9)

アダムとエバは神の命令に背いた後ろめたさから、
エデンの園の木立に隠れていました。

神は全知全能なので、
アダムの居場所はご存じでした。

「あなたはどこにいるのか」という問いかけは、
今いる場所は本来いるべき場所なのか、
神との関係は健康的で適切か、
という事を自覚させるためでした。

関係修復のアクションは神から始まりました。
これが恵みなのです。

今日も、主は同じ質問をしておられるかもしれませんね。

(photo by Kiba)









2021/05/10

知っておられる方

主はいつくしみ深く、
苦難の日の砦。
ご自分に身を避ける者を
知っていてくださる。
(ナホム書1:7)

優しい。
強い。
苦しい時にそばにいて話を聞いてくれる。
これは理想の男性像ですね。

主は、この三拍子がそろったお方です。
いつくしみ深い。
危険から守る砦のような存在。
助けを求める者を受け入れ、心を支えて下さる。

さあ、誰よりもあなたを知っている
主のもとに飛び込みましょう。
主は砦です。

(photo by Minami)



 



2021/05/09

信仰によって生きる

見よ。
彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。
しかし、正しい人はその信仰によって生きる。
(ハバクク書2:4)

ハバククは、極めて困難な時代に生きた預言者でした。
国内は大混乱し、不正が横行、信仰は忘れられ、
強敵カルデア人による侵略は目前でした。

漆黒の嵐の夜に、雲間に現れた星が
天気回復への希望の光となるように、
信仰こそが最後の砦だとハバククは考えたのです。

使徒パウロは、今日の聖句を引用して
「義人は信仰によって生きる」(ローマ人1:17)と書きました。

信仰義認は宗教改革の精神の中核となりました。

苦難から生まれた言葉が多くの人を励ましたのです。
試練の中でも、道を探す時も、新しいチャレンジに臨む時も、
地上で最後を迎える時でも、
私たちは信仰によって生きるのです。

(photo by Minami)



2021/05/08

私を組み立てられた方

あなたこそ、私の内臓を造り、
母の胎の内で私を組み立てられた方です。
(詩編139:13)

高校の生物の教科書を読んだり、q
科学雑誌『Newton』のタンパク質特集を読んで私は感動します。

髪の毛の細長い繊維も、血液中のヘモグロビンもタンパク質で、
5~10万種類のタンパク質が人の内部で作られています。

私達のDNAにタンパク質全種の設計図が組み込まれていて、
個別のタンパク質の設計図はRNAにコピーされ、リボゾームで作られます。
タンパク質はその機能に応じた個別な形に作られ、
失敗したらシュレッダー機能で破壊されます。
細胞の中に完全自動の工場があると言っても過言ではありません。
これほどに精巧な仕組みが偶然にできたと考えるのは難しいですね。
神が組み立てられ、維持管理プログラムを造られたと理解するほうが
合理的だと私は思います。

私は神に造られ、今、生かされている。
そう受け止める人は、
大きな愛に包まれて、安心して過ごせます。
主よ、あなたこそ、私を造られた創造主です。

 (photo by Minami)


 

2021/05/07

苦境に立っても

ダビデは大変な苦境に立たされた。
兵がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩ませ、
ダビデを石で打ち殺そうと言い出したからだった。
しかし、ダビデは自分の神、主によって奮い立った。
(第一サムエル30:6)

自分たちの宿営地に戻ると、家は火で焼かれ、
妻や子供たちは敵に連れ去られていました。
男たちは怒りの矛先をダビデに向け、
お前のせいだ、お前を殺すと、と言い出しました。

ダビデは大変な苦境に立たされたのです。

信仰者は土壇場に強い。
ダビデはその場から逃げず、争わず、
主に助けを求めました。
男達の怒りエネルギーを、信仰と祈りに昇華したのです。

主によって奮い立ったダビデは、
主のみ旨を聞いてゴーサインをもらい、
まだ遅くないと民を励まして救出に向かいました。

苦境に陥った人よ、主によって奮い立ちましょう。

(photo by Minami)


2021/05/06

廃墟から

私は彼らに言った。
「私たちが直面している困難は見てのとおりだ。
エルサレムは廃墟となり、
その門は火で焼き払われたままだ。
さあ、エルサレムの城壁を築き直し、
もうこれ以上、屈辱を受けないようにしよう。」
(ネヘミヤ2:17)

覇気がなく、淀んだ目。
その頃、エルサレムに住んでいた人たちは、
荒れ果てた町を見ても何も感じませんでした。

エルサレムに帰還したネヘミヤだけに
エルサレムの未来が見えていました。

確かに今は廃墟で焼け跡だ。
周囲の民から屈辱を受けている。
だが、それも終わりになる。
立ち上がろう。

今の世界に必要な人は、ネヘミヤのような人です。
あなたの周囲にある「廃墟」は何ですか。
あなたが声を上げる人です。

(photo by Kiba)


2021/05/05

アメイジング・グレイス

すべての人は罪を犯して、
神の栄光を受けることができず、
神の恵みにより、
キリスト・イエスによる贖いを通して、
価なしに義と認められるからです。
(ローマ3:23~24)

すべての人は罪人であり、
罪人の現実は悲惨です。
神の裁きを受ける身であり、
神の栄光からほど遠い存在だからです。

それでも、罪人には希望があります。
神の恵みが注がれているからです。
その恵みこそが、驚くばかりの恵み(Amazing Grace)なのです。
主イエスが十字架で身代わりになって死なれたので、
私たちの罪は贖われました。
罪人の私が罪なしと認められる。
これが「義認」です。

一方的で、圧倒的で、魂を震わせる
想像できないほどの深い恵みに感謝しましょう。

(photo by Minami)


2021/05/04

喜びなさい

最後に、私の兄弟たち、
主にあって喜びなさい。
私は、また同じことをいくつか書きますが、
これは私にとって面倒なことではなく、
あなたがたの安全のためになります。
(ピリピ3:1)

笑いと喜び。
二つは似ていますが違います。

失敗した姿が滑稽だから笑う。
漫才を見て面白いから笑う。
笑う場合は受け身で、きっかけがないと笑えません。

喜びは受け身ではなく自発的です。
喜びは周囲に流されません。
主の恵みによって、心の態度を制御できるようになったのです。

神に愛され、守られ、十字架で罪赦され、聖霊が共におられます。
海抜0mの家屋が、高原のロッジになったようなものです。

パウロはこの時、牢獄にいたのですが喜んでいます。
鉄格子の外の人にも喜ぶ事を勧めました。

鉄道で働く人のように指差歓呼をしてみましょう。
後方良し、前方「喜び」、出発進行(信仰)。

(photo by Minami)


2021/05/03

互いに愛し合う

愛する者たち。
私たちは互いに愛し合いましょう。
愛は神から出ているのです。
愛のある者は神から生まれ、
神を知っています。
愛のない者は神を知りません。
神は愛だからです。
(第一ヨハネ4:7~8)

人間は、何のために生まれたのでしょう。
その一つの答えが今日の聖句にあります。
私たちは、誰かを愛すために生まれました。

こちらから挨拶するとか、
笑顔を向ける事でも、小さな愛を表現できます。

神を知らなかった頃の私たちは、
恋愛や親子の愛は知っていても、
愛の本質をきちんと分かっていませんでした。
十字架を通して神の愛を知り、目が開かれたのです。
そのようにして今、愛の尊さを知り、誰かを愛そうとしています。

今日も誰かに愛を届けたい。
私たちの人間関係の中に愛の輪ができますように。

(photo by Minami)





2021/05/02

主により頼め

心を尽くして主に拠り頼め。
自分の悟りに頼るな。
あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。
主があなたの進む道をまっすぐにされる。
(箴言3:5~6)

私たちは自分で考え、進むべき道を自分で決めます。
人に言われた道を行くのはまっぴら御免です。

けれども、人生の岐路で間違った選択をして、
たいへんな苦労をすることもあります。

見栄を張って選ぶ、当てつけで選ぶ、
復讐で選ぶ、欲望に目が眩んで選ぶ、
やけっぱちで選ぶ、みんなが行くから選ぶ。
多くの人が選択を間違えています。

道を選ぶ時、心を尽くして主に信頼しましょう。
自分の判断は自分では良いと思っても、偏りがあります。
どんな分野についても、主の光の中で点検しましょう。
一見困難に見えても、主が応援して下さる道はまっすぐになります。

(photo by Minami)






2021/05/01

借金の帳消し

ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。
一人は五百デナリ、もう一人は五十デナリ。
彼らは返すことができなかったので、
金貸しは二人とも借金を帳消しにしてやった。
それでは、二人のうちのどちらが、
金貸しをより多く愛するようになるでしょうか。
(ルカ7:41~42)

主イエスのたとえ話の一つです。
金額がはっきりしているので
聞いている人はすぐにイメージできます。

500デナリは一年分のサラリーを超える借金です。
それを免除してもらったら飛び上がるでしょう。
50デナリの人よりも金貸しに恩義を感じるはずです。

私たちもみな、借金しているような者です。
しかも500デナリを借りて返せない人なのです。
主イエスはご自分の命で私たちの借金を帳消しにされました。

主イエスさま、私をあがなって下さり感謝します。
あなたを愛します。もっと多く愛します。

(photo by Minami)