2021/10/31

あなたは私の賛美

私を癒してください。主よ。
そうすれば、私は癒されます。
私をお救いください。
そうすれば、私は救われます。
あなたこそ、私の賛美だからです。
(エレミヤ17:14)

どんなに努力しても、
自分の力ではどうにもならない事があります。

特に病気や事故に直面したとき、
自分の無力さと弱さを痛感します。

そんなとき私たちは
ただただ主にすがります。
癒して下さい、お救い下さいと。

今日の聖句を見ると、
癒しを求めながら同時に
癒しを先取りしていることに気づきます。
すごい信仰です。

良い時も悪い時も
神への賛美の姿勢が
変わらない。
それが信仰者の姿です。





2021/10/30

オリオン座

神は牡牛座、オリオン座、すばる、
それに南の天の間を造られた。
大いなることをなさって計り知れず、
その奇しいみわざは数えきれない。
(ヨブ記9:9~10)

ヨブはこれらの星座を知っていました。
夜空を見上げたヨブは、
輝く星座を見ながら
神の偉大さに心を奪われていました。

ただし、悲劇を経験した後のヨブは
神から心が離れ、神の偉大さに淡白になり、
心がねじれてしまいました。

沈黙しておられた神はヨブ記の終盤で
畳み掛けるようにヨブに語られました。
38章では、主は星座の話題に触れ、
あなたにオリオン座の綱を解けるかと言われています。
神がヨブの話をきちんと聞いておられたことが
分かります。

神の偉大さ、それは夜空を見ても分かるのです。
オリオン座が良く見える季節が近づきました。
星座を見上げて主をたたえましょう。




2021/10/29

私もついて行きます

ルツは言った。
「お母様を捨てて、
別れて帰るように仕向けないでください。
お母様が行かれるところに私も行き、
住まれるところに私も住みます。
あなたの民は私の民、
あなたの神は私の神です。」
(ルツ記1:16)

ルツは一人の男性と結婚しました。
喜びは束の間で、夫に先立たれてしまいます。
義理のお母さんのナオミが実家に帰ると聞き、
ルツも一緒に帰る決断をしました。

愛した夫のお母さん。その人を一人にはできない。
義理のお母さんの面倒を一生見ると心に決めたのです。
それは、言葉や習慣の違う隣国に移住することを意味します。

それに加え、ナオミの信じていた神を
自分も信じるという決心もしました。

赤ちゃんを養子にする人、
子供の里親になる人がいますが、
ルツの場合はそれにちょっと似ています。

主の祝福がルツと義理のお母さんの上に注がれました。

血のつながりのない人を親身にお世話している人が
日本に大勢います。
その人たちに主の祝福が注がれますように。


2021/10/28

誰の栄誉

自分から語る人は
自分の栄誉を求めます。
しかし、
自分を遣わした方の
栄誉を求める人は真実で、
その人に不正がありません。
(ヨハネ7:18)

自分の栄光を求めるか、
神の栄光を求めるか。
どちらを意識するかで
私たちの人生はまったく違ってきます。

自分の栄光ばかり求めると
自己顕示欲が強くなり、
欲に目が眩み、
何かを得ても空しくなります。

神の栄光を求めている人は
利己的でなく、他者の益を考えられます。
真実さを大切にできます。
自分が忘れられても構いません。
何かを失っても、
場合によっては誤解されても
心に静かな満足が残ります。

主イエスは、父の栄誉を求めた方でした。 




2021/10/27

導かれて生きる

主があなたがたの心を導いて
神の愛とキリストの忍耐に
向けてくださいますように。
(第二テサロニケ3:5)

コロナワクチンの接種会場に行くと
ブースを順番に回り、
接種券の確認、医師の問診、
注射、経過観察というルートを通ります。
導かれている、という実感があります。

私たちが神に心を開くと
神が導いてくれます。

まず、神の愛に導いてくれます。
神の愛を味わい、憩い、慰めを受けましょう。
それによって身近な人を愛したい
という思いになります。

次に、主はキリストの忍耐に導いてくれます。
日常生活では苦しみが多いのですが、
主イエスの十字架を思う時、
今日一日頑張ってみようという気持ちになれます。

神の愛、キリストの忍耐。

主よ、私の心をそこに向けてください。


2021/10/26

なぜ洞窟にいるのか

彼はそこにある洞穴に入り、
そこで一夜を過ごした。
すると、主のことばが彼にあった。
主は、「エリヤよ、
ここで何をしているのか」
と言われた。
(第一列王記19:9)

預言者エリヤは、
荒野を旅して神の山ホレブに着いた。
ある夜、主は洞窟にいたエリヤに尋ねた。
「ここで何をしているのか」

答え方は二種類ある。
どんな原因で、ここに来たのか。
どんな目的で、ここにいるのか。

エリヤは燃え尽きて、死んでも良いと思い、
放浪した末にホレブ山にたどり着いた。
目的はなく、原因らしき事しか言えなかった。

主は、この山でエリヤを取り扱い、
原因ではなく、目的に向かわせた。

さて、あなたはどうだろう。
誰かのせい、何かのせいで
今ここで、悶々としているのですか。

それとも、賜物を生かす道、使命、神の国のため、
夢や希望に向かって歩き出そうとしているのですか。

ここで何をしているのか!





2021/10/25

私は恐れない

ですから、私たちは確信を持って言います。
「主は私の助け手。
私は恐れない。
人が私に何ができるだろうか。」
(ヘブル13:6)

あの人が怖い。
話し方が高圧的だ。
目が嫌だ。声が嫌いだ。
服も趣味も耐えられない。

人間関係が悪くなると
幸せ度がぐっと下がります。

いじめを経験したり、プレッシャーを受けたり
つぶされそうな人もいるでしょう。

今日の言葉を声に出して読んで下さい。

神は私たちの側にいてくれます。
だから、人は何もできないのです。

猛犬が怖くて歩けないと思っていたら、
太い鎖で繋がれているではありませんか。

さあ、もう一度言いましょう。
私は恐れないぞ。
人になにができる!


2021/10/24

奥さんをたたえる

その子たちは立ち上がって彼女をたたえ、
夫も彼女をほめたたえて言う。
「力ある働きをする女は多いが、
あなたは、そのすべてにまさっている」と。
(箴言31:28~29)

箴言の最後の31章は箴言の結論と
言っても良いですね。

家庭の仕事を切り盛りし、働き者で、
ほほえみと気品を保った女性の姿が描かれています。

食卓を囲んだ子供たちや夫が
立ち上がってお母さんに賛辞をおくっています。
彼女は幸せそうです。

奥さんはこんなふうに愛されるべきです。
お母さんは母の日以外でも尊敬されるべきです。
女性たちは、なくてはならない家庭の鍵です。

箴言の教える知恵を実践すると、
奥さんを尊敬し、家族みんなが愛し合う、
温かい家庭ができるのです。

信仰や知恵というものは、
お母さんの笑顔に結晶化されるのです。


 



 

2021/10/23

年老いても

年老いたときも
私を見放さないでください。
私の力が衰え果てても、
見捨てないでください。
(詩篇71:9)

日本では4人に一人が65歳以上になりました。
年配の人は、若い人に邪険に扱われたり、
捨てられることを恐れています。

この聖句は3000年前のユダヤ老人の叫びです。
いつの時代も年長者は社会から見捨てられることを
恐れています。

動きが鈍い、仕事で稼げない、
体が健康でない、時代についていけない、
能力や健康度を基準に判断され、
社会から価値のない人とみられてしまいます。
老人自身もそう感じてしまいます。

神の見方は根本的に違います。
能力で人を見ません。決して見捨てません。
認知症になっても、寝たきりになってもです。

老人たちよ、心配はいらない。
主がずっとあなたの杖となって下さる。


2021/10/22

夫婦喧嘩のルール

それはそうとして
あなたがたもそれぞれ、
自分の妻を自分と同じように愛しなさい。
妻もまた、
自分の夫を敬いなさい。
(エペソ5:33)

今年、私たち夫婦は結婚40周年を迎えました。
とても幸せな日々を送っています。
でも新婚時代はよくケンカしました。

教会で行われた結婚セミナーで
次のような夫婦喧嘩のルールを学んだので
ずいぶん助けになりました。

1)昔の事は持ち出さない
2)親や兄弟の悪口は言わない

3)絶対に暴力をふるわない

4)身体の欠点や人格に関わる悪口を言わない

5)次の日まで解決を持ち越さない

6)「もう別れる!」など、決定的なことは言わない

7)一つの事柄に集中して意見調整をする

8)ゆるす

ルールを破った場合は指摘し合い、
意見の相違のある事だけに向き合いました。

今日の聖句に書かれてあるように、
夫が妻を愛し、妻が夫を尊敬することが
最も大切な原則です。

幸せな夫婦は必ずそうしています。
愛しましょう。尊敬しましょう。 


 

2021/10/21

主を仰ぎ見て

しかし、私は主を仰ぎ見、
私の救いの神を待ち望む。
私の神は私の言うことを聞いてくださる。
(ミカ書7:7)

悪事とわいろが世の中にはびこり、
信頼できる人がいなくなり、
友達も家族も頼れないと嘆くのが
ミカ書7章の文脈です。

そんな暗闇の中に、
一本のスポットライトが当たるようして、
7節の言葉が浮かび上がっています。

無条件で信頼できるのは神だけです。

生きておられる神は
私の言葉と心を知ってくださり、
答えて下さいます。

今日も主を仰ぎ見て
礼拝と賛美をささげ、
待ち望みましょう。



 


2021/10/20

自分の罪を告白し

もし私たちが自分の罪を告白するなら、
神は真実で正しい方ですから、
その罪を赦し、
私たちをすべての不義から
きよめてくださいます。
(第一ヨハネ1:9)

最も勇気ある人は誰でしょう。
自分の罪を認め、告白する人です。

もっとも美しい涙はどんな時に出ますか。
悔い改めて祈る時、自然に頬をつたう涙です。

幼い子供が正直に自分の罪を認め
しゃくりあげながら「ごめんなさい」と
泣く姿。
親は安堵して、喜んで見ています。

父なる神も同じです。
罪を赦そうとして待っておられます。
私たちをきよめて下さいます。



2021/10/19

知恵は神のもの

ダニエルはこう言った。
「神の御名はほむべきかな。
とこしえからとこしえまで。
知恵と力は神のもの。
神は季節を変え、
王を廃し、王を立てる。
知恵を授けて賢者とし、
知識を授けて悟りのある者とされる。」
(ダニエル書2:20~21)

バビロンの王ネブカドネツァルは、
私の見た夢を解き明かせ、
ただしその夢は誰にも教えない、
という奇妙な命令を出しました。
誰も解けるはずがありません。

ダニエルは同僚に祈りの支援を請い
神に助けを求めました。
その結果、すべてが分かりました。
王の見た夢もその意味も理解できたのです。

その時の感謝の祈りが今日の箇所です。 

すべての知恵は神から来る、
私たちの理解や悟りも神の助けによる。

今、あなたは、判断に迷う事柄がありますか。
難しい課題に直面して頭を抱えていますか。
解決方法を教えて下さいと
主に祈りましょう。
主の手におゆだねしましょう。
主は答えて下さいます。




2021/10/18

今日は何を着ようかな

ですから、
あなたがたは神に選ばれた者、
聖なる者、愛されている者として、
深い慈愛の心、親切、
謙遜、柔和、寛容を着なさい。
(コロサイ3:12)

どうせ私なんて価値がない!と感じている
セルフイメージの低い人が
世の中にたくさんいます。

でも、教会に導かれ
聖書を読んでいく中で
素敵なセルフイメージが主から付与されます。

あなたは神に選ばれた人だ。
あなたは聖なる者とされた。
神はそのままのあなたを愛してくれている。

それが分かると、内面が変わり、
自然と生き方が変わります。
身に着ける洋服まで明るくなる人もいます。

今日の聖句で言われている新しい洋服とは、
慈愛、親切、謙遜、柔和、寛容
というブランド名の洋服です。

「着なさい」と言われてますね。
今日は、どれを着てお出かけしますか。


 

2021/10/17

正義が国を高める

正義は国を高め、
罪は国民を辱める。
(箴言14:34)

国家というものは
心掛け一つで
良くもなるし悪くもなる。

自分だけの幸せを追求すれば、
競争、抜け駆け、詐欺、暴力、わいろが
国中にはびこる。
そんな国には住みたくありません。

一方、正義が重んじられる国には
落ち着きと品位と平等と温かさがある。

職場で、家庭で、学校で
正しく歩むことは簡単ではない。

まずリーダーが正義を守る。
国民一人一人も正義を尊ぶ。

義なる神を見上げるとき、
正義が私のものになる。



 


2021/10/16

のがれの町

たとえば、隣人と一緒に、木を切り出そうと森に入り、
木を切るために斧を手にして振り上げたところ、
斧の頭が柄から抜けて隣人に当たり、その人が死んだ場合、
その者はこれらの町の一つに逃れて生きることができる。
(申命記19:5)

斧の頭が抜け飛んで、近くにいた人に当たり、
死んでしまう事故が起き、
それを知った身内が激高し、
復讐してその人を殺す事もあり得ます。

旧約聖書の時代、こんな時のために、
過失犯の命を助ける制度が作られました。
全土で6つ設置された「のがれの町」に逃げ込めば
命が保証され、その町での生活がゆるされました。

私たちもうっかりする事があります。
それは人間だから避けられません。
そういう失敗をした人に対して
主は、寛大で、優しいお方だなと思います。

誤って何かをしてしまった人よ、
のがれる町は必ずあります。



 

 

2021/10/15

よく忍耐したね

あなたはよく忍耐して、
わたしの名のために耐え忍び、
疲れ果てなかった。
(ヨハネ黙示録2:3)

私たちの日常生活でも、
労をねぎらってもらうと
疲れが取れることがあります。
「大変だったでしょう。」
「よく頑張ったね。」
「辛かったでしょう。」

エペソの教会は、
自称「使徒」という人物に振り回されながらも、
その正体を見抜き排除できました。
その労苦を主にねぎらってもらったのです。

今、あなたが苦労している事を見て
主は同じことを言って下さいます。

よく忍耐したね。

主は、あなたの苦労を知っていて下さいます。



 

 




2021/10/14

ささげること

ですから、兄弟たち、
私は神のあわれみによって、
あなたがたに勧めます。
あなたがたのからだを、
神に喜ばれる、
聖なる生きたささげ物としてささげなさい。
それこそ、
あなたがたにふさわしい礼拝です。
(ローマ12:1)

ローマ人への手紙の内容は二つに分けられます。
1~11章は、神の下さった素晴らしい救い。
12章以下は、私たちが主のためにできること。
後半へ導く転換点が今日のみことばです。 

救われたことに感謝し
神への応答としてまず私たちがすべきことは、
自分の体を主にささげることです。

それこそが礼拝の中心です。

主よ、私を受け取って下さい。
私をあなたの栄光のため用いて下さい。
私はあなたのものです。

こう決断できた人が
神のみこころを実践できる人になるのです。


 

 



2021/10/13

嘆き悲しむ日は

あなたの太陽はもう沈むことがなく、
あなたの月は陰ることがない。
主があなたの永遠の光となり、
あなたの嘆き悲しむ日が
終わるからである。
(イザヤ60:20)

長い間
嘆き悲しんでいた事があったとします。
ある日、その悲しみの原因が
跡形もなく取り払われたとしましょう。
すると、どうなりますか。

親友と抱き合いながら、
涙を流して感謝するでしょう。
大泣きですよ。
同時に、大声で笑い合うでしょう。

今日の聖句は
とても美しく
慰めに満ちた言葉です。

主の栄光が輝く日が来ます。

あなたの嘆き悲しみも
終わりが来ます。







2021/10/12

投げ捨てるな

ですからあなたがたの確信を
投げ捨ててはいけません。
その確信には大きな報いがあります。
あなたがたが神のみこころを行って、
約束のものを手に入れるために必要なのは、
忍耐です。
(ヘブル10:35~36)

確信を握りしめ頑張って来たのに
投げ捨てたくなるのはどんな時でしょう。

長い間苦労してきて、
状況が何も好転せず、
むしろ悪化して、
信じて来た事が無駄に見える時です。

そのタイミングです!
その時こそ、確信を捨てちゃだめだと言っています。

そんな時こそが、忍耐のしどころです。

神のみこころを行い続けて、
約束のものを手に入れるために必要なものが
忍耐なのです。
忍耐できない時には
主の助けをもらいましょう。

私たちの信じているお方は
希望の神です。




 

 

 



2021/10/11

見ていなくても

あなたがたはイエス・キリストを
見たことはないけれども愛しており、
今見てはいないけれども信じており、
ことばに尽くせない、
栄えに満ちた喜びに踊っています。
(第一ペテロ1:8)

ペテロはこう言いたいのかな。
目を閉じると思い出がよみがえる、
主イエスの笑顔、奇跡、言葉。
あの時の風、香り、胸躍る喜び。

あなたたちは主イエスに会ったことがないのに
私と同じ喜びを持ち、
イエスさまを心から愛している。それは驚きだ。
あなたたちが信仰によって魂の救いを得ていることが
良く分かる。

パレスチナから離れた場所で信仰を持った人々は
現代の私たちと条件は同じでした。
主イエスを見ていないし奇跡も目撃していない、
言葉を直接聞いていないのです。

聞いたみことばにとどまり、信じることで
私たちも魂の喜びを頂けるのです。





2021/10/10

神の近くにいたい

しかし、私にとって、
神のみそばにいることが幸せです。
私は、神である主を私の避け所とし
あなたのすべてのみわざを語り告げます。
(詩篇73:28)

幸せとは何でしょう。
願うものを獲得できること。
苦しみから解放されること。
大切な人と心が通じること。
健康でいられること。
人によって幸せは違います。

でも、根源的に言うならば
人は神のそばにいることで
幸せになれるのです。

創世記によると、アダムとエバは
罪を犯して神を離れたことによって
幸せを失い、エデンの園から追放されました。
その事を失楽園と言ったりしますが、
本当は、失「神さま」なのです。

神との関係が健全で
心が通じ合う状態でいましょう。
対人関係より対神関係のほうをまず大切にしましょう。






2021/10/09

団らん

野菜を食べて愛し合うのは、
肥えた牛を食べて憎しみ合うのにまさる。
(箴言15:17)

野菜をたべると、ヤサイしくなり、
牛肉を食べると、心がギュウーとなってニクしみが増えそう。(笑)

貧しい家でも和やかな雰囲気で
愛し合っているなら幸せ度は高く、
お金持ちで高級食材が並ぶ食生活であっても、
冷たい関係なら不幸だということを教えています。

究極の選択です。どっちの家に住みたいですか?

松阪牛と松茸とフォアグラは食べてみたい。
幸せな家庭に住みたいけど極貧は嫌だ。
普通の食事で笑顔のある家がいい!

あなたの家はどんな雰囲気ですか?
夕食の場面ですぐに分かります。
笑いと会話のある団らんは
幸せな家族の印です。

さて、今日の夕食の雰囲気を作る人は誰でしょう。


2021/10/08

心を騒がすな

「あなたがたは心を騒がせてはなりません。
神を信じ、
またわたしを信じなさい。」
(ヨハネ14:1)

旅客機で非常事態になると
CAは笑顔のサービスを止め、
キリリと保安員の顔になり
短い言葉で行動を促してお客様を守ります。

十二弟子は十字架前夜、
かなり動揺していました。
主イエスは短い言葉で命じ
弟子たちの心を守りました。

ストップ。心を騒がすな。
それが最も大事です。
心が騒いだままだと失敗します。

パニックになっている人がいますか。
主イエスの今日の言葉を
ゆっくり声に出して読んで下さい。

主イエスに信頼しましょう。
主はあなたのフライトの力強いキャプテンです。



 


2021/10/07

何をしてほしいのか

イエスは彼に言われた。
「わたしに何をしてほしいのですか。」
すると、その目の見えない人は言った。
「先生、目が見えるようにしてください。」
(マタイ10:51)

エリコで物乞いをしていたバルティマイは
大声でイエスさまを呼び続けて
気づいてもらえました。
何をしてほしいのかと主イエスに聞かれたので
直球勝負でズバリと本音を述べたところ、
いやされて見えるようになりました。

あなたが今、一番願っていることは何ですか。

静かに考えてみて下さい。

すぐに言える人は、ものすごく困っている人か
長年の夢がある人やずっと祈り続けている人です。

特に願いがないという人は
必要が満たされて安定している人です。
(気力が無くなっている人の可能性もあります)

主は言われます。わたしに何をして欲しいのか?

思い切って願ってみましょう。



 


2021/10/06

慰めて下さる主

神は、どのような苦しみのときにも、
私たちを慰めてくださいます。
それで私たちも、
自分たちが神から受ける慰めによって、
あらゆる苦しみの中にある人たちを
慰めることができます。
(第二コリント1:4)

私たちは人生で
苦しみ、倒れ、傷つきます。
悲しみに暮れ、未来が見えず、
自分を責め、自暴自棄になります。

でも神は、そのどんな時でも、
私のそばにいて、慰めてくれます。

今日の聖句を読み直して下さい。
「どのような苦しみのときにも」とあります。
主は私たちを慰めることができるのです。
Yes, He can.

傷の原因になった出来事は消せませんが、
私の上に伸ばされた
温かい御手のぬくもりは確かにあります。

人が愛想をつかして離れ去っても
主は見捨てません。

主よ、私を今日、慰めて下さい。
そして
私が主から受けた慰めによって、
誰かの慰めに役立てるようにして下さい。


2021/10/05

そうだったのか

ヨブは主に答えた。
あなたには、すべてのことができること、
どのような計画も不可能ではないことを、
私は知りました。
あなたは言われます。
「知識もなしに摂理をおおい隠す者はだれか」と。
確かに私は、
自分の理解できないことを告げてしまいました。
自分では知り得ない、あまりにも不思議なことを。
(ヨブ記42:1~3)

ヨブは神に不満をぶつけ、議論してきましたが、
圧倒的な神のお姿に触れてひれ伏しました。

自分がしてきたことは
神の摂理をおおい隠すことだと知らされました。
自分が知っていると思っていた事はちっぽけで、
本当は何も知らないのだと分かりました。

幼稚園児はお父さんの事をどれくらい
理解できるのでしょう。
それと同じくらい
私たちは神を知りません。

確かに言えることは、
生意気なことばかり言って、
何でも分かっている顔をしている私たちを
神は見捨てずに、
愛して下さっているということです。

神はヨブの言葉を
ひとつももらさずに
耳を傾け続けて下さった方なのです。


 

 



2021/10/04

手を伸ばす主

わたしは終日、
かたくなな民に手を伸べた。
自分の考えのまま、
良くない道を歩む者たちに。
(イザヤ65:2)

いじめられている人は
とても孤独で辛い日々を送ります。
皆に無視されるのは格別つらい経験です。

聖書を注意深く読むと
神が無視されていることに気づきます。
この聖句の前節では、
主が人々に「わたしはこここだ」と
切々と呼びかけている姿が描かれています。

誰よりも愛を注いだのに
神ほど多くの人から無視された方はいません。

かたくなな心で日々を過ごし、
良くない道を進む私たちに
主はずっと手を差し伸べておられるのです。

その手を握り返して、お礼がしたいです。
主よ、見捨てないでいてくれてありがとう、
放蕩息子、放蕩娘でした、ごめんさいと。



 



2021/10/03

休ませて下さる

すべて疲れた人、
重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたを休ませてあげます。
(マタイ11:28)

あなたは疲れてますか。
肩こり、頭痛、腰痛、ありますか。
睡眠不足、食事抜き、無理してませんか。
様々な心配事を抱え込み過ぎて
つぶれそうではありませんか。

疲れて病院に行くと、医者に言われます。
「なんでもっと早く来なかったんだ!」
(叱ってほしくて来たんじゃないよ)
「痛かったでしょ、よく我慢できたね。
必ずなおるからから安心しなさい」と
言ってくれる医者にかかりたい。

主イエスのもとに駆け込むと、
両手を広げて受け止めてくれます。
私が休ませてあげると言ってくれます。
魂がほっとできます。

ほとんどすべてのクリスチャンは
疲れて、重荷を負って、教会を訪ね、
主イエスによって心の休みを頂いて
罪赦されて信仰に入りました。

さあ、今日は、主イエスにゆだねて
休ませてもらいましょう。



2021/10/02

骨ですが?

主は私に言われた。
「これらの骨に預言せよ。
『干からびた骨よ、主のことばを聞け。
神である主はこれらの骨にこう言う。
見よ。わたしがおまえたちに
息を吹き入れるので、
おまえたちは生き返る。』」
(エゼキエル書37:4~5)

預言者エゼキエルは幻の中で
主の言葉を聞き、
人骨が散乱する景色を見ていました。

エゼキエルが預言の言葉を発すると、
骨がガラガラと音をたててつながり、
肉が付き、大勢の人が生き返りました。

これは、失望しきったイスラエルの民を励ますための
主からの強烈なメッセージでした。

人は生き返る。
神の力によれば
文字通り人は生き返ります。
また、どんな失意の中からでも
新たな希望を見出せるのです。

骨でも生き返ることができますか。
イエス!


 





2021/10/01

新しくする

すると、御座に座っておられる方が言われた。
「見よ、わたしはすべてを新しくする。」
また言われた。
「書き記せ。これらのことばは真実であり、
信頼できる。」
(ヨハネの黙示録21:5)

この世のすべてはしょせん今の延長線上、
大きな変化は期待できないから
人生に魅力を感じないと
さめた人がいるかもしれません。

でも、神はすべてを変えると言われました。
これは真実であり、信頼できると念を押して
私たちに保証しておられます。

死ですべてが終わる人生と
死で新しく始まる人生がありますが
あなたはどちらを受け入れますか。

お父さんが子供たちを集めて
こう話す情景を想像して下さい。
「近所にとっても広い土地を買ったよ。
そこに大きくて白い家を建てることにした。
みんなに一部屋ずつあげよう。
完成を楽しみにしているんだよ。」
子供たちはどんな反応をするでしょう。

見よ、わたしはすべてを新しくする。