2022/11/30

すべての目は

主は倒れる者をみな支え
かがんでいる者をみな起こされます。
すべての目はあなたを待ち望んでいます。
あなたは 時にかなって
彼らに食物を与えられます。
あなたは御手を開き
生けるものすべての願いを満たされます。
(詩篇145:14~16)

神学校の時、ドイツの教会音楽を教えて下さった岳藤先生を
思い出させてくれる聖句で、メロディーが浮かびます。
すべての目なんじを待つ、と何度も歌いました。

弱り果てた時、人は横たわります。
最も弱く、力のない状態が
倒れた姿です。

今日の詩篇は
倒れ果てた人のための
希望の詩篇です。

神は、倒れた者を
起き上がらせて下さいます。
時にかなった助けを
与えて下さるのが私たちの主です。

すべての目は
主を待ち望みます。

主よ、助けて下さい。引き上げて下さい。
食物を与え、生活を具体的に支えてください。
私たちの切実な願いをかなえて下さい。



2022/11/29

忍び込む者

それは、ある者たちが忍び込んできたからです。
彼らは不敬虔な者たちで、私たちの神の恵みを放縦に変え、
唯一の支配者であり私たちの主である
イエス・キリストを否定しているので、
以下のようなさばきにあうと昔から記されています。
(ユダ4)

今も昔も、
教会には危険分子が紛れ込みます。

ユダが注意を喚起したのは、
神の恵みを放縦に変える教えと
主イエスを否定する教えです。

主イエスの教えがまっすぐな道だとすれば、
右側にそれるのが律法的なキリスト教で
左側にそれるのが何でもOKで世的な放縦キリスト教です。
それが真の自由だと宣伝します。

主イエスを否定する教えとは自己矛盾であり
よく考えればキリスト教とはいえませんが、
誰かを救い主に据える危険な教えです。

聖書をまんべんなく通読している人は
これらの教えに違和感を感じるし、
間違いを指摘することもできます。
いつも聖書に親しんでいましょう。

2022/11/28

悲しみに耐える

もしだれかが不当な苦しみを受けながら、
神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、
それは神に喜ばれることです。
(第一ペテロ2:9)

理不尽な扱いをされ、
途方にくれながらも、
キリストについて行こうとしている人達。
今日の聖句に目を留めて下さい。

悲しみがあり、涙が止まらず、
それでも、主のみこころを行うとしている人達。
あなたは使徒ペテロから励まされています。

ペテロは多くの苦しみを経験したので
とても情け深い人でした。

ペテロの励ましは予想を超えた地点から来ています。
雨雲の切れ間から差し込む強烈な太陽光のようです。
不当な苦しみを受け、悲しみに耐える人よ、
あなたは神に喜ばれているというのです。
ペテロの心には主イエスの山上の教えが留まっていたのです。

神の前で胸を張れる生き方ですから
強風でも、吹雪でも、立ち止まらず
歩いて行きましょう。

2022/11/27

会いたい

あなたに書き送るべきことがたくさんありますが、
墨と筆で書きたくありません。
近いうちにあなたに会いたいと思います。
そうしたら、直接話し合いましょう。
平安があなたにありますように。
友人たちが、あなたによろしくと言っています。
そちらの友人たち一人ひとりによろしく伝えてください。
(第三ヨハネ13~15)

コロナ時代を長く生きた私たちは
昔に戻りたいと思うようになりました。

会いたい。
ネットを通じてではなく、直接会いたい。
冗談を言い合って思わず肩をたたいて
笑ってしまったあの頃が懐かしいのです。

使徒ヨハネも会いたかったのです。
手紙でやり取りするのでなく直接会いたかったのです。
その気持ちを手紙に書く事自体が
まどろっこしい感じがしたでしょう。

ヨハネは、直接会えない友のため
主の平安があるように心を込めて祈りました。
ヨハネのそばにいる友人達も同じ思いで、
手紙の受取人とその近くにいる知り合いにも
よろしくと伝えています。

あなたが今、会って話したい人は誰ですか。
顔を会わせて今度ゆっくり話してみてはどうでしょう。

2022/11/26

滅びることなく

主は、ある人たちが遅れていると思っているように、
約束したことを遅らせているのではなく、
あなたがたに対して忍耐しておられるのです。
だれも滅びることがなく、
すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
(第二ペテロ3:9)

ハドソン川に不時着した旅客機の機長は
乗客を脱出させた後、
沈み行く機内で後部座席まで二回歩いて行って
「おーい、誰かいないか、返事してくれー」と叫びながら
残された乗客がいないか確認したといいます。

今日の聖句を読むと
機長である神が最後の一人まで探している気がします。
神の胸の内に分け入るような聖句です。

神の望みは
すべての人が悔い改めに進むことです。
一人も滅びないでほしいのです。

そのために世の終わりの時計の針を先に延ばし
忍耐を働かせておられます。

私たちも
身近な人の救いを祈りたいと思います。
滅びることなく悔い改めに進めるように。

2022/11/25

永遠のいのち

その証しとは、神が私たちに
永遠のいのちを与えてくださったということ、
そして、そのいのちが御子のうちにあるということです。
御子を持つ者はいのちを持っており、
神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
(第一ヨハネ5:11~12)

<永遠の命を持っていると公言するのは傲慢で、
あちらに行ってみなければ分からない>
などと言う人がたまにいますが、
今日の聖句を知らないのでしょう。

使徒ヨハネは主イエスから直接みことばを聞きました。
主イエスが永遠の命について語られた事を聞き逃さず、
ヨハネ福音書のテーマの一つにしました。

その重要性を知っていたので、ヨハネの手紙においても、
御子を持つ者はいのち(永遠の命)を持っていると
くどいほどはっきりと書き残しました。

神は私たちに永遠の命を与えて下さったのです。
だから福音(良い知らせ)なのです。
あなたは永遠の命を持っています。

2022/11/24

涙をぬぐい取る方

神は彼らの目から
涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、
悲しみも、叫び声も、苦しみもない。
以前のものが過ぎ去ったからである。
(黙示録21:4)

幼い子供が泣きながら家に帰って来て、
辛かった体験を話す場面がありますね。
お母さんはその話をしっかり聞いて
優しく涙をふいて、
しっかり抱きしめてくれるものです。

新しい天と地に移された時、
私たちにもそれと良く似た事が起こるのだと思います。
今日の聖句を読み直して下さい。
涙をことごとく拭い去ってくれるのは
神ご自身だと書いてあります。

そこには、涙も死も悲しみもありません。
一切ないのです。涙は一滴も存在しません。

ハッピーエンドの映画は、その途中で色々起こります。
切ない別れや病気や怒りも失敗も経験し、
ひどい悪役に苦しめられますが
最後の大逆転で歓喜に包まれます。

以前のものがすべて過ぎ去る
新しい天と新しい地を待ち望みましょう。

2022/11/23

みこころを行う者

永遠の契約の血による羊の大牧者、
私たちの主イエスを、死者の中から導き出された平和の神が、
あらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、
みこころを行わせてくださいますように。
また、御前でみこころにかなうことを、
イエス・キリストを通して、
私たちのうちに行ってくださいますように。
栄光が世々限りなく
イエス・キリストにありますように。アーメン。
(ヘブル13:20~21)

成功して、お金を得、有名になっても、
本当の満足に至りません。

私たちは神に造られた者なので
神のみこころを実行した時に心が満ち足りるのです。

見知らぬ幼児が川で溺れていたら、
腰まで水に浸かっても救出しますね。
その子がお礼も言わずに逃げてしまっても、
私たちは良かったと思います。

誰に知られなくても、
世間的には不評でも、
とても苦労したとしても、
神のみこころを行いたいと思います。

今日の聖句は、

神のみこころを行えるようにという祈りです。

みこころを行う時、

神の栄光があらわれます。

2022/11/22

あなたの山鳩

あなたの山鳩のいのちを
獣に引き渡さないでください。
あなたの悩む者たちのいのちを
永久に忘れないでください。
(詩篇74:19)

あなたは、自分がちっぽけに感じることがありますか。
周囲の人がみな、強そうで、楽しそうで、
自分だけが不遇だと感じることがありますか。

マッチ売りの少女の目には
どの家も暖かで幸せに見えました。

たとえ自分が小さく感じられ、
山鳩のように価値なく、弱く、
忘れられる存在に思えても、
主は野獣たちから救い出して下さいます。

悩みの尽きない生活をしていても
主はあなたを見放さず
永久に忘れることはありません。

私たちは、主よ、
「あなたの山鳩」です。
「あなたの悩む者」です。

2022/11/21

4年目

あなたがたが、かの地に入り、どんな果樹を植えても、
その実はまだ禁断のものと見なさなければならない。
三年の間、それはあなたがたにとって禁断のものであり、
食べてはならない。
四年目に、その実はすべて聖なるものとなり、
主への賛美のささげ物となる。
(レビ記19:23~24)

桃栗三年柿八年と言います。
果物をおいしく食べるには
植えてから数年待つ必要があります。

信仰と実生活は結びついたもの。
イスラエルの人々はそう考えてみことばを
実践しました。

植えて3年間は実を食べません。
4年目の果実は主にささげ、
聖なるものになりました。

甘い果実は主から頂いた恵みなのです。
その事を記念して、4年目の果実は
神への賛美と呼ばれました。

私たちにとって4年目の果実とは何でしょう。

主から頂いている果実を感謝し
神にささげ、賛美としましょう。

2022/11/20

すべての良いこと

最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、
すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、
すべて清いこと、すべて愛すべきこと、
すべて評判の良いことに、
また、何か徳とされることや
称賛に値することがあれば、
そのようなことに心を留めなさい。
(ピリピ4:8)

ピリピの手紙で、いつも喜び、寛容な心を持ち、
思い煩わず、神の平安に満たされよとパウロは述べましたが、
その先にまだあると言うのです。

パウロは宝石箱をひっくり返したみたいにして
称賛される行為がたくさんあると語ります。

真実も、正義も、愛も、きよさも、徳も、
あらゆる良いことに心を向けなさいと言いました。

こういう姿勢は私たちの可能性を広げてくれます。
温和で感謝して穏やかな人柄ならそれで十分だと思いますが、
時には、誰かを助けるために走ったり、隠れた親切をしたり、
真実や正義のために戦うことがあっても良いのです。

良いこと、賞賛に値すること、大切なことに気づいたら
行動に移してみましょう。

2022/11/19

バラム

 神はバラムに言われた。
「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。
また、その民をのろってもいけない。
その民は祝福されているのだから。」
(民数記22:12)

イスラエルの民が約束の地を目指していた頃、
ヨルダン川東岸の国、モアブは
イスラエルを滅ぼす方法を探していました。

モアブ王の頭に浮かんだ助っ人はバラムでした。
霊的な力を持っているので、イスラエルをのろってもらえれば
効果絶大と踏んだのです。

バラムは主のみこころを伺ってから判断すると言いましたが、
すでに、モアブからの報酬に目がくらんでいたようです。

主はその夜、明確に言われました。
一緒に行くな。イスラエルをのろうな。
それでも行ってしまうのがバラムでした。

第二ペテロ2:15では、
バラムのことを、不義の報酬を愛し、
正しい道を捨ててさまよった者と述べています。

そっちはダメだと分かっているのに
理屈をつけて行ってしまうのが私たちです。
主が行ってはならないと言われたなら
ピタリと止める心のブレーキを持ちましょう。

2022/11/18

祈りに励む人

あなたがたの仲間の一人、
キリスト・イエスのしもべエパフラスが、
あなたがたによろしくと言っています。
彼はいつも、あなたがたが神のみこころのすべてを確信し、
成熟した者として堅く立つことができるように、
あなたがたのために祈りに励んでいます。
(コロサイ4:12)

コロサイ教会は、
パウロの弟子エパフラスによって
開拓された教会でした。

パウロはエパフラスのことを
キリストに忠実に仕える者であると
高く評価しています。(コロサイ1:7)
こんなほめ方をされる人は、そういません。

エパフラスはとても苦労していたようです。
(コロサイ4:13)

コロサイ教会からパウロの所に来ていた
エパフラスでしたが、遠く離れていても
コロサイ教会のために祈りに励んでいました。

神のみこころを悟れるように、
信仰が成熟し強くなれるようにと祈っていました。

祈りに励む人、キリストの戦士になりませんか。

2022/11/17

新婚さん

人が新妻を迎えたときは、
その人を戦に出してはならない。
何の義務も負わせてはならない。
彼は一年の間、自分の家のために自由の身になって、
迎えた妻を喜ばせなければならない。
(申命記24:5)

旧約聖書の時代、
若くても兵役を免除される規定がありました。
結婚したばかりの男性は
1年間、戦争に行かなくてよいのです。

愛する新妻が心配で
戦場で役に立たない兵士がいたのかもしれません。

国を外敵から守るためには兵士が必要でした。
ですが、国の構成単位である夫婦が
仲たがいをしていれば国は内部から弱体化します。

遠回りに見えても
新婚夫婦を保護してあげることが
力強い共同体作りにつながります。

新婚さんは特に最初の1年間、
互いを知り、愛し、助け合い、
色々な調整が必要ですね。

それぞれ親からきちんと離れ、
新しいユニットを強固にしましょう。
周囲の人も、祈って、支えてあげましょう。
(えっ! 1年では短いですって。)


2022/11/16

自分に向けて

主は、あなたのすべての咎を赦し
あなたのすべての病を癒やし

あなたのいのちを穴から贖われる。

(詩篇103:3~4)

ダビデは、詩篇103篇冒頭から
神のして下さったことを思い起こし
感謝と賛美をささげてきました。

ダビデは、
罪の赦し、病の癒し、危険からの脱出を

多数体験してきました。

今日の聖句でダビデは、周囲の人に、
あなたも助けられると励ましています。


ダビデは他人に語りながらも
自分自身にも言い聞かせていたようです。
絶望的な悩みの中でも、
完治の難しい病になっても、

希望が持てない試練の時も、
主が全能の神であることを
忘れてはならないと
自分に言い聞かせていたのです。


人を励ましながら自分にも語る。それは、
主のご愛や真実を忘れないために大切な事です。

2022/11/15

人からか、神からか

 そこで今、私はあなたがたに申し上げたい。
この者たちから手を引き、放っておきなさい。
もしその計画や行動が人間から出たものなら、
自滅するでしょう。
しかし、もしそれが神から出たものなら、
彼らを滅ぼすことはできないでしょう。
もしかすると、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」
(使徒5:38~39)

エルサレムでクリスチャンが急増した事を受け、
議会で対策が話し合われました。
有名な律法学者で議員だったガマリエルが
とても興味深いことを語っています。

人間から出たことなら自滅する。
神から出たものなら対抗できない。

ガマリエルは、クリスチャンの活動を
神のわざとは認めておらず一般論として語り
放っておけば自滅すると考えたのです。

私たちの人生でも、
神が主導権を取られ、
思いもかけないことが始まることがあります。
人から出たことなら続きませんが、
神が先導されたならば、祝福があり、
困難も乗り越えられます。

人から出たのか、神からなのか
しっかり見極めたいですね。

2022/11/14

エルサレムへ

終わりの日に、
主の家の山は山々の頂に堅く立ち、

もろもろの丘より高くそびえ立つ。

そこにすべての国々が流れて来る。

多くの民族が来て言う。

「さあ、の山、ヤコブの神の家に上ろう。

主はご自分の道を私たちに教えてくださる。

私たちはその道筋を進もう。」

それは、シオンからみおしえが、

エルサレムからのことばが出るからだ。

(イザヤ2:2~3)

世の終わりを考えると
混乱、破壊、苦難などのイメージが出てきますが、
聖書は別な面も預言しています。

終わりの日に、
今まで見たことのない光景が現れると言うのです。
世界中の人々がエルサレムにやって来て、
主をたたえる日が来る。
イザヤはそう預言しています。

まことの神があがめられ、
主のことばが尊ばれ、
主の道に従う人が現れると言うのです。

いつ、そうなるのでしょうか。

日本にも、そういう日が来るのでしょうか。

日本を覆う否定的な雰囲気や
不信仰が取り去られ、
神に栄光を帰す国になりますように。

2022/11/13

髪の毛が

男の髪の毛が抜け落ちるとき、
それははげであって、彼はきよい。
もし顔の生えぎわから髪の毛が抜けても、
それは額のはげであって、彼はきよい。
(レビ記13:40~41)

薄毛を喜べるのはこの時だけです。
良かった、ツァラアトではなく
単なるはげだった。

祭司は宗教的儀式を行うだけでなく
公衆衛生の仕事を行う
伝染病の専門家でもありました。

頭に何かができたとき、
祭司に診断をあおぎ、ツァラアトと呼ばれる皮膚病なら
居住地の外に隔離されました。

現代にはコロナ感染と隔離がありますが、
ツァラアトへの対処の厳しさは別次元でした。

主の守りとあわれみの中で
私たちは今、生かされています。

主よ、みんなをコロナからお守りください。
感染が下火になりますように、
感染した人がいやされるように、
重傷者が多くなりませんように。

2022/11/12

愛する者たち

愛する者たち。
神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、
私たちもまた、互いに愛し合うべきです。
(第一ヨハネ4:11)

私が子供の頃、
カメラは高級品で、写真は白黒でした。
ですから私の写真はわずかです。

母と私が映っている写真はありますが、
父と私の写真はほとんどありません。
歳をとって気づいたのは、
カメラを向けていたのが父だった
という事でした。
愛されていたんだ。
写真を撮っていた父は微笑んでいたに違いない。

私たちは、神に愛されています。
御子イエスさまを十字架につけるほど
父は私たちを愛されました。

神の視線は私たちに注がれています。

神の愛が受け止められると、
身近な人を赦したり、助けたり、
誰かを大切にすることが自然になります。

愛されているので、互いを愛しましょう。

2022/11/11

強めの応援

弱った手を強め、
よろめく膝をしっかりさせよ。

心騒ぐ者たちに言え。
「強くあれ。恐れるな。

見よ。あなたがたの神が、復讐が、

神の報いがやって来る。

神は来て、あなたがたを救われる。」

(イザヤ35:3~4)

神が復讐して下さる時が来る。
神は必ず救って下さる。
だから、あなたも自分の足で
しっかり立てとイザヤは励ましました。

優しい慰めが必要な時もありますが、
時には、強めの応援も嬉しいものです。

座り込むな、
膝をしっかりさせて立ち上がれ。
よろめくな、下を向くな、
前に進め、恐れるな。

ヘブル12章では
今は天に帰っている信仰の先輩たちが
雲のように取り巻いていると励ましています。

強くあれ。恐れるな。
それが今日、私たちに語られたメッセージです。

2022/11/10

涙とともに

涙とともに種を蒔く者は
喜び叫びながら刈り取る。

種入れを抱え
泣きながら出て行く者は

束を抱え
喜び叫びながら帰って来る。

(詩篇126:5~6)

イエスさまを信じてから、
私の通っていた高校の校門前で
キリスト教の入門小冊子を配ったことがありました。
仲間のクリスチャンと数人で
朝の登校時に手渡しました。


緊張や恐れもありましたが配布できて嬉しかったです。
でも、捨てられたトラクトを見つけて拾い集めた時は
とても悲しくなりました。

私の場合は、喜びながら蒔いたら後で涙という流れでした。
今日の聖句は、蒔く時から涙なのです。
悲しみが深すぎると、本来、種まきなどできません。
涙が希望をかき消してしまうからです。

涙があっても種を蒔く。
その生き方が実りをもたらします。

今、涙がありますか。
希望の光が見えませんか。
それでも種を蒔きましょう。

涙と共に蒔きましょう。

喜びながら刈り取る日が来ます。

2022/11/09

栄光の山で

そのとき、雲がわき起こって彼らをおおい、
雲の中から声がした。
「これはわたしの愛する子。
彼の言うことを聞け。」
(マルコ9:7)

ペテロとヤコブとヨハネは驚きました。
高い山の上で主イエスが輝き始めたからです。

主イエスの奇跡には慣れていた三人の弟子ですが
畏敬の念で圧倒されました。

やがて雲がわき起こり、
今まで見えていた景色が消え去り、
輝く主イエスしか見えません。

そして、厳かな声がしました。
「これはわたしの愛する子。
彼の言うことを聞け」

父なる神の声でした。
主イエスをわたしの子と言われました。
主イエスを全面的に受け入れ
愛している、喜んでいるという父なる神の心を
伝えて下さいました。
主イエスに従うことは父なる神に従うことだと
はっきり分かりました。

神の子のイエスさま、あなたを愛します、
あなたについて行きます。

2022/11/08

愛弟子

そのために、
私はあなたがたのところにテモテを送りました。
テモテは、私が愛する、主にあって忠実な子です。
彼は、あらゆるところのあらゆる教会で
私が教えているとおりに、
キリスト・イエスにある私の生き方を、
あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。

(第一コリント4:17)

テモテはパウロの愛弟子です。

パウロから直接すべてを学び、
伝道旅行で苦楽を共にしました。

知識と理解において正確。
行動においてパウロに忠実。
人格的にも申し分なく
パウロが特に目をかけた弟子でした。

パウロの代わりに遣わされて
伝道したり、問題解決を行いました。

テモテのような弟子を持つことは
パウロにとっても喜びでした。

あなたは誰から一番影響を受けましたか。
学んだ事を誰に伝えたいですか。
あなたの愛弟子を育てましょう。

2022/11/07

知ってほしい

私は大きな苦しみと心の嘆きから、
涙ながらにあなたがたに手紙を書きました。
それは、あなたがたを悲しませるためではなく、
私があなたがたに対して抱いている、
あふれるばかりの愛を、
あなたがたに知ってもらうためでした。
(第二コリント2:4)

誰かが道を誤っているとします。
あなたなら、どうしますか。

パウロはコリント教会の問題を知り、祈り、熟慮して、
厳しく問題点を指摘して悔い改めを求めました。
涙を流しながら手紙を書いたといいます。

恥をかかせるつもりはないし、
怒らすつもりもない。
感情を害すだろうが、
書かねばならない。

愛してると伝えることは愛ですが、
間違っていると直言するのも愛です。

パウロはコリント教会の人たちを愛していました。
だから、あえて、嫌われ役に徹しました。

そして、次の手紙、つまり、第二コリントを書き、
あなたがたを愛してると強く伝えました。
あふれるばかりの愛を分かってほしいと
真実な心を披瀝しました。


2022/11/06

生かす御霊

イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、
あなたがたのうちに住んでおられるなら、
キリストを死者の中からよみがえらせた方は、
あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、
あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。
(ローマ8:11)

まことの神とはどんな方でしょう。
主イエスを死者の中からよみがえらせた方です。

御霊はどんな方でしょう。
神に遣わされ、信じる者のうちに住んで下さる方です。

御霊は私たちの魂を慰めるだけでなく、
本来死ぬべき私たちのからだを生かして下さいます。

瀕死の患者を救った名医が
救急車に乗って私の所に往診してくれて
これからずっと待機してくれる、
そんなイメージです。

私たちの内に住んでおられる聖霊は
神から見ると「ご自分の御霊」です。
父なる神が信頼して私たちに遣わして下さった
最良の助け人です。
この方によって、
死ぬべきからだが生かされるのです。



2022/11/05

残るもの

こういうわけで、
いつまでも残るのは信仰と希望と愛、
これら三つです。
その中で一番すぐれているのは愛です。
(第一コリント13:13)

有名ブランドで、一生ものだから、
値段は高いけど損にはなりません。
そう言われても、本当に一生着られますか。

物質は古びて滅びます。
個人的な野望や欲望は消え去ります。

いつまでも残るものは何でしょう。
パウロは3つあると言いました。
信仰、希望、愛です。

・全部が目に見えないものです。

・3つとも対象があり、つながりに基づいたものです。

・これらは皆、深い満足と喜びをもたらします。


私たちの愛の対象である神は永遠に存在され、
永遠の愛を私たちに注いで下さいます。
私たちも主に愛をお返し、永遠の神のおかげで関係性が続きます。

愛が届いたと分かった時に
私たちは幸せを感じます。

信仰と希望と愛は残るものなので
大切にしましょう。


2022/11/04

虫にかまれて

 集まった会衆は、
「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。
すると、即座に主の使いがヘロデを打った。
ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。
彼は虫に食われて、息絶えた。
(使徒12:22~23)

歴史から学んだ人類だから
暴君や独裁者の出現を許さないはずです。
でも、あちこちで危険な政治家や金持ちが力をふるっています。

彼らの特徴は傲慢であることです。
自分の言動を正義とし、自分を神とします。

使徒の働きの時代、ヘロデが危険な政治家でした。
彼は使徒ヤコブを殺害し、
次にペテロも捕らえて殺そうとしました。

その後、ヘロデはカイザリアに行き、
大観衆の前で演説しました。
ヘロデとの関係修復に躍起だった人々が
「神の声だ」と叫びました。
ヘロデも満足そうでしたが、突然、
虫にかまれて亡くなりました。

自分を神とし、神に栄光を帰さない者に
神が何をされるか良く分かります。

主よ、世界に、日本に、
神をあがめる誠実で謙虚で平和を愛する指導者を起こして下さい。