2020/04/30

正義を流れさせよ

公正を水のように、
義を、絶えず流れる谷川のように、
流れさせよ。
(アモス書5:24)

正しく生きる事はとても難しい。
嘘や不公平や利権が社会で幅をきかせ、
正しい流れをせき止めているように見えます。
イスラエルでは雨が少なく、一年中流れる川はわずかだったので、
人々は川の流れに憧れていました。
正義が絶えず流れる社会を私達も望みます。
政治家や上司や親を批判する事でそれが実現するのでなく、
私の中に小さな正義を育てる事から作られると私は思います。
正しい神を仰ぎ見ている人が正義を打ち立てて行くのだと信じます。




2020/04/29

ほめる事と賛美する事

わがたましいよ主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ
聖なる御名をほめたたえよ。
(詩編103:1)

奥さんをほめてますか。夫をほめていますか。
子どもをほめていますか。

人をほめる事と、神を賛美することは
密接な関連があります。
普段、人をほめていないなら、
「神よ、あなたは素晴らしいです」と言うのは難しいです。
礼拝の中心は、自分が慰められることではなく、
神を賛美する事です。
今日も、あなたの言葉で主をほめたたえましょう。


2020/04/28

聖さを求めて

すべての人との平和を求め、
また、聖さを追い求めなさい。
聖さがなければ、
だれも主を見ることができません。
(ヘブル12:14)

エネルギッシュな人、
明るく楽しい人、
誠実な人、
努力する人、
世の中には色々なタイプの人がいますが、
聖さのある人にはなかなか出会えません。
付け焼刃で聖さを獲得することは不可能です。
聖い神と共に歩み続けている人が
聖霊の働きによって聖くされていきます。
今日も聖さを求めましょう。
主よ、私を聖くして下さい。




2020/04/27

祈祷会はお休み ミニ新聞発行

今週、来週は連休ですね。
夫婦や家族でゆったり過ごして下さい。
今週と来週、水曜夜と木曜午前の祈祷会はお休みにします。
ミニ新聞もできました。


別に行くところがないと言う人のために
祈祷会と同じ時刻にネットお茶会を開きます。
お茶やお菓子を携帯の前に持ってきて
お茶を飲みながらZOOMで語り合いましょうか。









安心せよ

主は彼に言われた。
「安心せよ。恐れるな。
あなたは死なない。」
(士師記6:23)

ギデオンは神の御使いに会ったことで
自分は死んでしまうのではと恐怖にかられました。
主観的で感情的で脈絡の無い恐れと言ってもいいでしょう。
多くの人は今、根拠を欠いた恐れに包まれています。
主は、死なないと言われました。
今日、主は、安心せよと言われています。

(Photo by Ichinohe)



2020/04/26

盾である神

これらの出来事の後、
主のことばが幻のうちにアブラムに臨んだ。
「アブラムよ、恐れるな。
わたしはあなたの盾である。
あなたへの報いは非常に大きい。」
(創世記15:1)

アブラムは自分の親類が捕虜にされたので、
一族を連れて戦いに出て勝利しました。
そのすぐ後、主が彼に言われたのが今日の言葉です。
勝利の後の恐れとは何でしょう。
繰り返される戦争への恐れ、
殺される恐れ、家族が絶えることへの恐れです。
神は、ご自身が盾になると言われました。
剣の一撃、槍のひと突き、飛び来る矢を身に受けて、
戦士を守るのが盾です。
わたしが盾になると神は言っておられます。


2020/04/25

家長の役割

「主に仕えることが不満なら、
あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、
今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、
あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。
ただし、私と私の家は主に仕える。」
(ヨシュア記24章15節)

家長という言い方は今はあまりしませんね。
でも信仰的に言うと家族のリーダーはとても重要です。
ヨシュアは国のリーダーである前に、
家長として主に仕える事を最優先していました。
信仰に関してブレないお父さんは頼り甲斐があります。
お父さんがいなくてお母さんがリーダーの場合も同じです。
ヨシュアのように言いましょう。

(photo by Yamanaka)


2020/04/24

良い担当者に出会いたい

神は、ダニエルが宦官の長の前に
恵みとあわれみを受けられるようにされた。
(ダニエル1:9)

ダニエルは捕囚の民で、外国で暮らしていました。
ホームでなくアウェイな環境でした。
ユダヤ人にはつらい食事の献立だったので、
上司に特別食を要望する事にしました。
すると上司は快く願いを聞き入れてくれました。
神の恵みが背後にあったのです。

今日出会う窓口の担当者に主の恵みが注がれますように。
上司、担当者、お医者さん、レジの人、お客さん、先生、宅配の人の上に
主の恵みが注がれますますように。


2020/04/23

天の故郷

しかし実際には、彼らがあこがれていたのは、
もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。
ですから神は、彼らの神と呼ばれることを
恥となさいませんでした。
神が彼らのために都を用意されたのです。
(ヘブル11:16)

ヘブル11章には聖徒たちが列挙されています。
苦難を忍んで主と共に歩んだ人々に励まされます。
地上で約束のものを得られなかった人もいました。
彼らが自暴自棄にならず誠実に生活できたのは、
天の故郷を目指していたからです。
近くだけを見ている人は不安定ですが、
遠くを見ている人は動じないのです。



2020/04/22

どんなときでも

どうか、平和の主ご自身が、
どんな時にも、どんな場合にも、
あなたがたに平和を与えてくださいますように。
どうか、主があなたがたすべてとともにいてくださいますように。
(第一テサロニケ3:16)

最近は、私たちの心の中に、時々突風が吹きやすくなりました。
ニュースを見たり、うわさ話を聞いたりすると、
平和だった心がざわつきます。
私たちの神は平和の主です。
どんなときにも、どんな場合でも、
神は私たちと共におられ、平和のバリアで守ってくれます。
風邪かな、微熱かな、喉が痛い、頭痛かな、
そう感じている人を主が守って下さるように。
平和を与えて下さいますように。

(Photo by Amano)



2020/04/21

ミニ新聞4号

ミニ新聞4号ができました。
オンライン礼拝を見られない人のためにお祈り下さい。




やり直せばいいさ

正しい人は七度倒れても、
また起き上がり、
悪しき者はわざわいでつまずくからだ。
(箴言24:16)

礼拝のオンライン配信をZOOMで始めましたが、
まだまだ全体がスムーズでないし、
奏楽の音をクリアに流せないし、
課題が多いなと礼拝後に反省しています。
YouTubeのライブ配信をテストしていますが、
最初からうまくできる人はいないんだ、と自分に言い聞かせています。

旧約聖書の「正しい人」という概念はちょっと違います。
主に信頼する人の事を言います。
主に信頼して、何度でも立ち上がりましょう。
やり直せばいいさ!

(Photo by Yamanaka)


2020/04/20

感謝する習慣

主に感謝することは、良いことです。
いと高き方よ
あなたの御名をほめ歌うことは。
朝にあなたの恵みを
夜ごとに あなたの真実を告げることは。
(詩編92:1~2)

あーあ月曜か、と感じていますか。
さあ、月曜日だと思いますか。
月曜日に、「今日も生かされている」と主に感謝しましょう。
「すべての罪は赦された」としみじみ思いましょう。
一日の中でも、人に感謝を表してみましょう。
新しい事にもチャレンジしてみましょう。

この前、病院で検査を受け、良い結果でした。
「日本の看護師さんは技術と親切さで世界一ですね」と
お世話になった看護師さんにお礼を言いました。
「きゃー、ほめられちゃった」ととても喜んでくれました。
さあ、輝く月曜日です。

(Photo by Hattori)


2020/04/19

翼のぬくもりに包まれて

私をあわれんでください。神よ。
私をあわれんでください。
私のたましいはあなたに身を避けていますから。
私は滅びが過ぎ去るまで御翼の陰に身を避けます。
(詩篇57:1)

翼の下に逃げ込むのは子供の鳥です。
親鳥は体を張って守ります。
子供は恐怖の時間が過ぎ去るまで、
親鳥のぬくもりをずっと感じて過ごします。
今、私たちも包まれています。











2020/04/18

若さの可能性

主は私に言われた。
「まだ若い、と言うな。
わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、
わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。」
(エレミヤ1:7)

若い人は、若さをマイナスとらえます。
神さまは若さをプラスと見ています。
若者は、飛び込める勇気があるし、
純粋で真理のために生きられるし、
吸収能力がたくさんあるし、
失敗しても回復力があります。
荒削り、未完成、素材、原石であることが
最大の魅力なのです。

預言者エレミヤにとって、
この神との会話は忘れがたい出来事になりました。
私も二十一歳の時、主と福音のために自分を
ささげるように導かれました。





2020/04/17

落胆している者に

落胆している者には、
友から友情を。
さもないと、全能者への
恐れを捨てるだろう。
(ヨブ記6:14)

私にも青春ドラマのような一場面がありました。
「しっかりしろ。目を覚ませ!」
信仰の友が、教会の角の部屋で、
私を本気で叱ってくれました。
それで、揺らいでいた心が落ち着きました。
何があっても教会から離れない、
たとえ弱くても信仰者として生きていくと心に決めました。
イエスさまが間接的に語りかけてくれた、
と今では感じています。




2020/04/16

まだ先がある


主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、
「起きて食べなさい。
旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。
(第一列王記19:7)

炎の預言者、エリヤは過酷な日々を生き延びた勇者でした。
大きな戦いに勝利しましたが、
プツンと突然燃え尽きました。
荒野を行く当てもなく放浪した末に、
死を願いました。
一人倒れて眠り込んでいると、
天使が現れ、温かい食べ物と水を置いてくれました。
「生きる目当ても無い、もうだめだ」と思っていましたが、
まだ先があったのです。
まだまだ道半ばなのです。



2020/04/15

のーんびり


するとイエスは彼らに言われた。
「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」
出入りする人が多くて、食事をとる時間さえなかったからである。
(マルコ6:31)

伝道旅行で疲れ切った十二弟子に対して、
主イエスは休みなさいと言われました。
最近の生活はいつもと違うので疲れますね。
リラックスしませんか。
もっと笑いましょう。
おいしいものを食べましょう。
好きな事をして時間を忘れましょう。
のーんびり、のほほん、ゆったり。
よく休むと前向きな力が与えられます。


2020/04/14

ミニ新聞第3号

ネット環境にない教会の方々のため、
ミニ新聞「ウエストチャーチ交差点」を毎週発行しています。
その第三号ができました。
オンライン礼拝ができず、交わりが限られている方々に、
電話したり、覚えてお祈りして下さい。
(紙面をクリックすると見やすくなります)





身元保証人

彼は、以前はあなたにとって
役に立たない者でしたが、
今は、あなたにとっても
私にとっても役に立つ者となっています。
(ピレモンへの手紙11節)

パウロはオネシモをほめています。
オネシモは、主人の家から逃げ出した奴隷でした。
主人のお金か物を盗んで逃げたようです。
彼はパウロのもとで信仰を持ち、生まれ変わりました。
そこでパウロはオネシモの身元保証人になり、
オネシモを殺さないでほしい、もう一度雇ってほしいと
使徒パウロが頭を下げた文章なのです。

パウロも、オネシモも、私やあなたも、
主イエスが負債を支払い、身元保証人になって下さったのです。








2020/04/13

悲観は転がる、どこまでも

ですから、何を食べようか、
何を飲もうか、
何を着ようかと言って、
心配しなくてよいのです。
(マタイの福音書6章31節)

花粉が飛散した夜に私は息がつらくなり、
頭をよぎったのは、もしかしてコロナ、でした。
発熱→検査→入院→苦痛→死。
夜の思考は悪い方へとどこまでも転がり続けました。

病院に行って調べてもらうと、
CT検査によれば肺炎の症状なしで健康、
血液もいたって正常、心電図も問題なし。
薬も処方されずに帰って来て、家内に言いました。
「あんなに辛かったのに、おかしいな」
「みんなに祈ってもらったから守られたのよ!」
そうでした。お祈り感謝します。

イエスさまは、心配症の人(私も含む)にも
心配はいらないと言っておられます。






2020/04/12

よみがえられた

ここにはおられません。
前から言っておられたとおり、
よみがえられたのです。
さあ、納められていた場所を見なさい。
(マタイの福音書28章6節)

主はよみがえられました。
ハレルヤ!
今日はイースターです。
死はあらゆる希望を踏み潰しますが、
イースターはすべての絶望を吹き払います。
涙は乾き、悲劇は終わり、
喪は祝宴に変わります。
主イエスが墓におられないからです。
主は今日も生きておられるのです。





2020/04/11

暗い土曜日

そこで彼らは行って
番兵たちとともに石に封印をし、
墓の番をした。
(マタイの福音書27章66節)

緊急事態宣言は出ませんでしたが、
安息日だったので弟子たちは身動きが取れません。
主イエスの十字架の死で、
悲しくて、辛くて、落胆し、思考が停止していました。
しかも主エスの墓は封印されていたのです。

最も暗い土曜日。
私たちの人生にもそんな日があります。
でも暗い土曜日は悲劇の序章ではなかったのです。
スポットライトが輝く前の暗闇だったのです。
イースターの朝を待ちましょう。







2020/04/10

ヨナの3日間


「水は私を取り巻き、喉にまで至り、
   大いなる水が私を囲み、
   海草は頭に絡みつきました。」
  (ヨナ書 25)

ヨナは魚の腹の中で呼吸困難で、
海水に取り巻かれて溺れそうでした。
ヨナの3日間の体験は
イエスの十字架と復活の3日間に重ねられています。

ところで、私は花粉症になったようです。
風が強く吹いた日の夜から症状が出ました。
夜中に息苦しくなって目覚め、
まともに息が吸えず、浅い息の中で、
主イエスに助けを求めました。
同時に、十字架の苦しみを思い巡らしました。
主よあなたは十字架の上で、
背中の傷と釘の痛みに耐えただけでなく、
呼吸困難の中におられたのですね。


今週は受難週、今日は受難日です。
主イエスの苦しみを覚え、感謝したいと思います。



2020/04/09

はからずも

「ルツは出かけて行って、
 刈り入れをする人たちの後について
 畑で落ち穂を拾い集めた。
 それは、はからずも
 エリメレクの一族に属するボアズの畑であった。」
 (ルツ記 23)

ルツ記のキーワードの一つは
「はからずも」です。
最低賃金で不安定な仕事、
落ち穂拾いの職しか見つかりません。
ルツがたまたま訪れた訪れた場所は、
将来の花婿の畑でした。
最悪の環境に見えても
最善が微笑んでいます。
今日の「はからずも」は何でしょう?



2020/04/08

聖なる場所

主の軍の将はヨシュアに言った。
「あなたの履き物を脱げ。
あなたの立っている所は
聖なる場所である。」
そこで、ヨシュアはそのようにした。
(ヨシュア記5:15)

新米の指導者ヨシュアは
ヨルダン川を渡って最初の戦いに備え、
難攻不落のエリコの城壁を遠望していた。
恐れ、不安、重圧に潰され、
敵の強さや戦い方に意識が向いていた。
主の軍勢を引き連れた総司令官は、
聖なる方の前にひれ伏す重要性を教えた。








2020/04/07

知らない道へ

わたしは目の見えない人に、知らない道を歩ませ、
知らない通り道を行かせる。
彼らの前で闇を光に、起伏のある地を平らにする。
これらのことをわたしは行い、彼らを見捨てはしない。
(イザヤ書 42章16節)

入学おめでとうございます。
入社、新社会人おめでとうございます。
配置転換、新しい役割を与えられおめでとうございます。
引っ越しおめでとうございます

不安よりも希望が大きいので
入学式は喜びになります。
目の見えない、何も知らないのが私たちの本質です。
でも、主は不安という闇を光に変え、
辛い山谷を平地にしてくださる方です。
さあ、未知の世界から吹いてくる風を帆に受け
前に進んで行きましょう。

西教会のみなさん、私へのコメントやあかしを感謝します。
昨日は二人の方からメールをもらいました。




2020/04/06

新しい歌

「新しい歌を主に歌え。
  喜びの叫びとともに
  巧みに弦をかき鳴らせ。」
(詩篇33:3)

新しい歌が生まれるのはどんな時でしょうか
困難が激しい時です。
厳しい現実の中で信仰が養われ、
切実な祈りが歌になります
やがて、主の奇跡を目の当たりにして歓喜がやってきます。
今日も、新しい歌が世界で生まれています。

◉名古屋西福音自由会の皆さんへのお願い
Eメールで、今の様子、聖書や祈りの中で教えられている事、
などを5〜8行程度で結構ですから私に送って下さい。
その文章はミニ新聞「ウエストチャーチ交差点」に載せて
ネット環境のない方々への励ましにしようと思います。
原稿はA兄弟、B姉妹などと匿名にします。
私のメールアドレスは以下の通りです。
hirayuoeste@gmail.com


2020/04/05

聞きたい


「人はだれでも、
聞くのに早く、
語るのに遅く、
怒るのに遅くありなさい。」
(ヤコブ1:19)

現代社会は自己主張が強すぎますね。
相手の言葉を聞いた途端、
自分のストーリーを話したくなるのが人間です。
人の話なんか一つも聞いていないのです。
もっと沈黙したい。
もっとあの人の言葉を聞きたい。
そして、神の言葉を静かな心で聞きたい。



2020/04/04

光から始まる


「神は仰せられた。
『光、あれ。』すると光があった。」
(創世記1:3)

憂いを抱えて夜の眠りについても、
朝日の明るさで元気になれます。
神が最初に造られたものは光でした。
世界が一番必要とするものが光なのです。
闇を照らしてくれる光。
冷たさを温めてくれる光。
人の心に希望を生み出す光。
主よ、光であるあなたを賛美します。


2020/04/03

日曜日の礼拝配信と教会ニュース

今後も礼拝はオンライン配信をしていきます。
みなさんに集まってもらう形の礼拝は中止です。
定刻の午前10時から礼拝は始まります。
ZOOMを使って画像と音声をお届けします。
アカウント番号は一斉メールなどでお知らせしています。

オンライン環境にない方々のためには
教会ニュース「ウエストチャーチ交差点」を発行しました。
参考のために表面だけの画像を貼り付けておきます。


木には望みがある

「木には望みがある。
たとえ切られても、また芽を出し
その若枝は絶えることがない。」
(ヨブ記14:7)

私はこの聖句がとっても好きです。
何度も励まされました。
自分のすべてが切り落とされたと感じたこともありました。
何も無くなったと思えることもありました。
でも、気がつくと、切り株と根は残っていたのです。
終わりだと感じているなら、あなたはまだ生きています。
生きているから小さな双葉も芽を出すのです。


2020/04/02

みんなストレス

「怒っても、罪を犯してはなりません。
  憤ったままで日がくれるようであってはいけません。」
(エペソ人への手紙4:26)

コロナウイルスの予防のために
多くのお父さんが自宅で仕事をしています。
子供たちも学校がないので時間をもてあましています。
お母さんたちもいつもと違うのでストレスが増加中です。
できるだけ気分転換して、外の空気を吸いましょう。
何のために我慢していますか。
一番大切な人を愛しているからです。


2020/04/01

避け所である神


「神は われらの避け所 また力
苦しむとき そこにある強き助け。」
(詩編46:1)

宗教改革者マルチン・ルターはこの聖句を愛しました。
ルターは1528年前後にこの詩編を土台にして
歌詞を書き作曲して讃美歌を作りました。(新聖歌280番)
ルターは、ペストの流行を生涯に三度も経験しています。
病気になれば死を意味するほど恐ろしい伝染病でした。
現在のコロナウイルスの世界的流行の中で
私たちもルターのように、避け所である主に頼りましょう。
苦しむときに、神こそが頼れるお方なのです。