2021/11/30

怒るのは当然かな

すると神はヨナに言われた。
「この唐胡麻のために、
あなたは当然であるかのように怒るのか。」
ヨナは言った。
「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」
(ヨナ書4:9)

後の時代の人々は、ヨナの身勝手で感情的な態度にあきれました。

でも、ヨナは自分の怒りが正当だと思っていました。

誰だってイラつくはずだよ。
この暑さに耐えられる人間はいないさ。
やっと生えた唐胡麻の木が
快適な日陰を作ってくれたんだ。
それが虫に食われて枯れちまったんだ。
死んだほうがましさ。

さて、あなたは最近、ヨナのように物凄く怒っていますか。
度を越した怒りの場合は、頭を冷やして、
少し客観視したほうが良いですよ。
信頼できる人の意見も聞いてみましょう。  

祈りの中で、あなたの怒りを主に伝えてみましょう。
主の返事の言葉が聞こえますか。



 

 

2021/11/29

セラフィム

セラフィムがその上の方に立っていた。
彼らにはそれぞれ六つの翼があり、
二つで顔をおおい、
二つで両足をおおい、
二つで飛んでいて、
互いに呼び交わしていた。
「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。
その栄光は全地に満ちる。」
(イザヤ6:2~3)

イザヤが主を礼拝していた時に見た光景です。

神をほめたたえる特別な被造物がセラフィムで、
飛びながら神を賛美しています。

バッハの宗教曲もかすむほどの
圧倒的な賛美の声、
栄光に満ちた至高の経験でした。

「聖なるかな」「聖なるかな」という言葉の繰り返しが
きよさの極みへいざなう華麗な賛美のポリフォニーになっています。

私たちは、まだ何も見ていないのです。
主の美しさも、きよさも、栄光も
そのほんの一部しか知らないのです。



 


2021/11/28

寿命

私たちの齢は七十年。
健やかであっても八十年。
そのほとんどは、労苦とわざわいです。
瞬く間に時は過ぎ、
私たちは飛び去ります。
(詩篇90:10)

日本人は長生きになりました。
平安時代の平均寿命は30歳ほどで、
明治時代は44歳くらいというデータがあります。
現代日本人は、今日の聖句が指摘する寿命になりました。

聖書は希望を与える書ですが、
現実を冷静に見つめています。
誰にでも死が来る。
人生は厳しく、まばたきのように過ぎ去るのです。

そう分かれば、
短い人生がいとおしくなります。
争いではなく親切に。愛して愛されたい。
与えられた賜物を磨き、役にたてたい。
神の言葉を学び、良きことに励み、
小さなことを感謝していきたいです。

昔に比べてぐーんと伸びた人生の"ロスタイム"を
神の栄光のために生きてみましょう。



 


 

2021/11/27

死んで生きる

私たちが、
キリストとともに死んだのなら、
キリストと共に生きるようになる。
(第二テモテ2:11)

死んだら生きる。
実に不思議な言い回しです。

でも聖書には逆説的な表現がけっこうありますね。
たとえば、受けるより与えるほうが幸い、
捨てると得る、など。

主イエスが十字架で死んでくださった事により
私たちはいのちを頂きました。

バプテスマでキリストと共に水に沈み死んだ者が
水から上がってキリストの復活の命にあずかります。

キリストのためにささげ切った人には
主がその人に何倍もの祝福を注いで下さいます。

キリストのために、
捨てよう、ささげよう、ゆだねよう、死もいとわない。
そういう気持ちがあるなら、
どんな坂も越えられます。
キリストと共に歩んでいるからです。



2021/11/26

書かれた目的

これらのことが書かれたのは、
イエスが神の子キリストであることを
あなたがたが信じるためであり、
また信じて、
イエスの名によっていのちを得るためである。
(ヨハネ20:31)

ヨハネはここで、
福音書の執筆目的を明らかにしました。

イエスが神の子だと明らかにするため書きました。
そして信じてほしかった。
永遠のいのちを手に入れてほしかったのです。

ヨハネが知っている主イエスの魅力を全部丸ごと
みんなに伝えたかったけれど、紙面がとても足りないので
エピソードを厳選して書きました。

ヨハネの福音書を読めば
<あなたはイエスを信じますか>
と迫ってくるヨハネの熱意に気づくかもしれません。

ヨハネは言いたいのです。
私が主イエスにもらった素晴らしい命は
今ここに、私の心に宿っているよ。
それをあなたにあげる!



2021/11/25

力のある者

私たち力のある者たちは、
力のない人たちの弱さを担うべきであり、
自分を喜ばせるべきではありません。
私たち一人ひとり、
霊的な成長のため、
益となることを図って
隣人を喜ばせるべきです。
(ローマ15:1~2)

アメリカでもイギリスでも
重いスーツケースで困っている女性がいたら、
誰かが手を貸してひょいと持ち上げてくれます。

周囲の人に役立つことを
もっと自然にできたらいいなと思います。
いかがでしょう。

重いものを運ぶという物理的な助けもあるし、
内面的に励ましたり応援することもできる。
霊的な成長のためには愛と祈りとみことばで!

自分が強い時もあれば、弱い時もある。
だから、助けたり助けられたり。
それで良いのです。



2021/11/24

しばらくの苦しみ

あらゆる恵みに満ちた神、
すなわち、あなたがたをキリストにあって
永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、
あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、
堅く立たせ、強くし、
不動の者としてくださいます。
(第一ペテロ5:10)

苦しみはトンネルのようなもの。
入り口を通ると暗くなります。
暗闇の期間が続きますが
やがて明るい出口が見えてきます。

しばらくの苦しみが終わると回復があり、
試練によって鍛えられ
不動の者へと変えられたことに気が付きます。

大きな試練と苦しみと迫害を乗り越えた
ペテロがこう語るので説得力があります。

苦しみはしばらくの間です。


 


2021/11/23

心配しても

あなたがたのうちだれが、
心配したからといって、
少しでも自分のいのちを延ばすことが
できるでしょうか。
こんな小さなことさえできないのなら、
なぜほかのことまで心配するのですか。
(ルカ12:25~26)

世の中には
心肺機能が強い人と
心配機能が強い人がいます。

あなたのいつもの思考パターンは、
以下の二つのどちらでしょう。
・悪いままか、予想以上に悪くなる。
・願いがきっとうまく行く。

世の中には心配性の人がとても多いです。
だから、イエスさまは
心配は無意味で無駄だよと言われたのです。

心配機能を強化するよりも
主イエスさまを信頼しましょう。

ちょっとためしに、
あなたが心配している事が
素晴らしくうまく行くと予想してみてください。

あれれ、気分まで良くなりませんか。
今日一日が楽しみになりませんか。







2021/11/22

同じ時刻だった

王室の役人はイエスに言った。
「主よ。どうか子どもが死なないうちに
下って来てください。」
イエスは彼に言われた。
「行きなさい。
あなたの息子は治ります。」
その人はイエスが語ったことばを信じて、
帰って行った。
(ヨハネ4:49~50)

病気の息子を案じた父親は
主イエスを訪ねて助けを求めました。
主イエスに実際に来て頂いて、
手を置いて癒してもらおうと思いました。

主イエスの対応は
予想に反して、言葉だけでした。

まるで特効薬を大切に包んで帰るように
その父親は主の言葉を心に大切に納めて
信じて帰路につきました。
その途中でしもべたちと会い
息子が治ったことを知りました。

念のためその時刻を聞くと
主イエスが言葉を発したタイミングだったので
彼は改めて主イエスを深く信じ直しました。

主イエスの言葉を聞いたら、その通り信じて
歩いて行こう。



 

 



2021/11/21

母と祖母から伝わるもの

私はあなたのうちにある、
偽りのない信仰を思い起こしています。
その信仰は、
最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、
それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。
(第二テモテ1:5)

テモテはクリスチャン三代目ということになります。
おばあさんもお母さんも信仰を持っており、
同じ信仰のDNAがテモテに引き継がれていると
パウロは見抜きました。

クリスチャンホームの子供の利点はたくさんあります。
・人格を持つ愛の神を幼い頃から信じている。
・聖書の言葉を聞いて覚えている。
・讃美歌を歌い、礼拝することを体験的に知っている。
・信者の親の生き方を見て真似している。

パウロは、テモテを励ましながら、
お母さんとおばあさんへの感謝を忘れるなと言いたいのでしょう。
君一人で今の自分になれたのではない。
今も、その人達に祈られている。







 

2021/11/20

エジプトの風習

あなたがたは、
自分たちが住んでいた
エジプトの地の風習をまねてはならない。
また、わたしがあなたがたを
導き入れようとしている
カナンの地の風習をまねてはならない。
彼らの掟に従って歩んではならない。
(レビ記18:3)

イスラエルの民は
エジプトで奴隷にされていましたが、
主の救いによって脱出することができました。
そして、約束の地に向かっているところでした。

もはや古い習慣の奴隷になる必要はありません。
エジプトの風習は捨て去ればよいのです。
私たちにとってのエジプトとは何でしょう。

カナンの地には見たこともない偶像や
独特のしきたりがありましたが、
物珍しさから、その風習を真似る必要もありません。

罪の影響を受けた考え方や生活スタイルを
私たちは毎日のように目にします。
しっかり見分けて、
キリスト者らしい生き方に誇りを持ちましょう。

 



 

2021/11/19

その時代が来る

見よ、その時代が来る。
─主のことば─
そのとき、耕す者が刈る者に追いつき、
ぶどうを踏む者が種蒔く者に追いつく。
山々は甘いぶどう酒を滴らせ
すべての丘は溶けて流れる。
(アモス書9:13)

アモスは
北王国への主の厳しいさばきを預言しましたが
その最後に回復の様子を語りました。
その一つが今日の言葉です。

回復しがたい悲惨な状態からでも立ち直れる。
それが、預言者が語る希望のメッセージです。

農夫で羊飼い出身のアモスは農作業を熟知していましたが
畑を耕したらすぐに収穫が来ると預言しました。
ありえない豊作です。
穀物と果物とぶどう酒があふれ、
神が力を貸して下さると
思いを超えた祝福が来ると語りました。

主が共におられるなら
その時代が来るのです。


喜びなさい

いつも主にあって喜びなさい。
もう一度言います。
喜びなさい。
(ピリピ4:4)

大阪弁の漫才師のようなクリスチャンもいれば、
ネクラのクリスチャンも結構います。
肝っ玉母さんみたいなクリスチャンもいるし、
寡黙型や研究者肌のクリスチャンもいます。

でもパウロはみんなに向かって言いました。
喜びを意識しなさい。
喜びがあなたとあなたの周囲に
前向きな力を与えると。

成功したとか良い物をもらったという事が
喜びの燃料ではありません。

主イエスの十字架と主との交わりによって与えられた
完全な罪の赦し、安心、自由、ありのまま受け入れられた事、
天国の希望、新しい使命などが喜びの土台です。

この喜びは日々の出来事に左右されない聖霊の賜物です。
あなたの喜び、ホコリかぶっていませんか。

鏡を見て、少し口角を上げてみましょう。
(形から入るのも時にはありです)
そして、感謝します、ハレルヤ!と言ってみましょう。







 


 

 


2021/11/18

部族ごとの指導者

どのようにして、
私一人であなたがたのもめごとと
重荷と争いを負いきれるだろうか。
あなたがたは部族ごとに、
知恵があり判断力があり
経験に富む人たちを出しなさい。
彼らをあなたがたの
かしらとして立てよう。
(申命記1:12~13)

荒野での40年が終わり、新しい時代に突入し、
イスラエルの民は方向を変えて動き出しました。

モーセは新時代を見越して
12部族のリーダーを選びました。
(初代教会の役員選出に良く似ています)

モーセが背負っていたのは巨大な重荷でした。
部族内リーダーが任命されれば
その重荷は軽くなります。

15節を読むとわかりますが
千人、百人、十人のリーダーが選ばれています。
賜物や器の大きさで適材適所に
指導者が立つのが理想です。

主のために、
リーダーの責任を背負ってみませんか。
持ち場立場は違います。
担当する人数の大小があります。
でも、リーダーにはリーダーの喜びとやりがいがあります。
主のサーバントとしてリーダーになりましょう。







2021/11/17

ぐっすりペテロ

ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、
ペテロは二本の鎖につながれて、
二人の兵士の間で眠っていた。
戸口では番兵たちが牢を監視していた。
(使徒12:6)

十二弟子の一人ヤコブはヘロデ王に殺されました。
次はペテロだということで
彼も逮捕され牢に入れられていました。

明日が死刑かもしれないという前の晩、
ペテロはぐっすり寝ていました。

なんという豪胆さ。
二人の兵士の間に横たわっていましたが
熟睡しています。

明日のことは明日が心配します。
ペテロはすべてを主に明け渡していました。

彼はこの後、天使によって救出されます。

色々な心配事や悩みがあって
眠れない人がいますか。
ペテロが牢で眠り込んでいる様子を思い浮かべて
手本にして下さい。



2021/11/16

つぐない

イスラエルの子らに告げよ。
男にせよ、女にせよ、他人に何か一つでも
罪になることを行って主の信頼を裏切り、
後になって、その人自身がその責めを覚えたときは、
自分が行った罪を告白しなければならない。
その人は償いとして総額を弁償し、
それにその五分の一を加えて、
償いの責めを果たすべき相手に
支払わなければならない。
(民数記5:6~7)

これは損害賠償の規定です。

たとえば2階の住人が誤って
植木鉢をベランダから落とし、
1階に住む人の大切な花瓶を壊したなら
<弁償>+<お詫びの心>をお渡しするでしょう。

同じものを買って返せば済む話、
と考えるのは間違いで、
被害者の気持ちを無視しています。
謝罪の気持ちを形にすることも一つの愛なのです。

取税人ザアカイが主イエスの愛に触れて悔い改めた時、
だまし取ったものは4倍にして返しますと言いました。
「ごめんさい」の気持ちがとても強かったのですね。




2021/11/15

多すぎる

主はギデオンに言われた。
「あなたと一緒にいる兵は多すぎる。
わたしはミディアン人を彼らの手に渡さない。
イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、
わたしに向かって誇るといけないから。」
(士師記7:2)

大勢の敵に立ち向かう時は
一人でも多くの兵士が必要になります。
でも、主は兵を減らせと命じました。

その時、3万2千人が集まっていましたが、
恐れる者は去れとギデオンが呼びかけると
2万2千人が去って1万人が残りました。

勝つことだけに躍起になると、
勝利した人は傲慢になります。
戦いで目指す事は神の栄光なのです。

あなたの目の前に戦いがありますか。
人数や経済力や勢いが勝利の秘訣ではなく、
神の栄光を求めているか、
神に信頼しているかがとても重要になるのです。

主の栄光を第一に待ち望みましょう。




 

2021/11/14

あなたを増やす

さて、アブラムが九十九歳のとき、
主はアブラムに現れ、こう言われた。
「わたしは全能の神である。
あなたはわたしの前に歩み、
全き者であれ。
わたしはわたしの契約を、
わたしとあなたとの間に立てる。
わたしは、あなたを大いに増やす。」
(創世記17:1~2)

今日の聖句を良く読むと
驚きの連続です。

第一、99歳の老人を選んだ。
第二、全能者だと宣言された。
第三、高齢者に未来の話をされた。
第四、人ではなく、神が約束された。
第五、アブラムの子孫を大いに増やすと保証された。
第六、この時、アブラムには子供がいなかった。

普通は、将来性のないと見られる老人に
神は約束されたのです。

今日、同じ神があなたをご覧になっています。
あなたの将来は輝いています。



 



2021/11/13

滅びないで

このように、
この小さな者たちの一人が滅びることは、
天におられるあなたがたの父の
みこころではありません。
(マタイ18:14)

主イエスは、迷い出た一匹の羊の話をしました。
羊飼いは99匹を残して、
その一匹を探すものだと言われました。
そして、その一匹が滅びることは
父なる神のみこころではないと言われたのです。

私もあなたも、神からはぐれた羊でした。
不思議な方法で見つけてもらい、
羊飼いのもとに戻れました。

主の大きな恵みとあわれみで
救って頂きました。

今も、迷っている羊がいます。
その羊が主イエスのもとに導かれますように。
私も何かの助けをさせて下さい。



 

 

 

 

2021/11/12

水がめを満たす

イエスは給仕の者たちに言われた。
「水がめを水でいっぱいにしなさい。」
彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
イエスは彼らに言われた。
「さあ、それを汲んで、
宴会の世話役のところに持って行きなさい。」
彼らは持って行った。
(ヨハネの福音書2:7~8)

結婚式の最中にぶどう酒が足らなくなりました。
出席していたマリヤは主イエスにその緊急事態を告げました。
主イエスは給仕する者に不思議な事を命じました。
通常はぶどう酒を保管しておく大きなかめに
水を注ぐように言われたのです。

それが終わると、その水を汲んで、
世話役のところに持っていくように指示しました。
下働きの者は、言われたまま動きました。
(あまり気乗りはしなかったでしょう)

その水の味見をした世話役は
最高のぶどう酒に感激しました。
水がぶどう酒に変わっていたのです。
一番驚いたのは、下働きの者たちでした。

これは水だったと彼らが主張しても
高級ワインを堪能した人々は
その話を冗談だと信じてくれなかったでしょう。

イエスさま、
緊急事態が起きた時、
水をぶどう酒に変えたあなたが、
思いもかけない奇跡を起こして下さい。






2021/11/11

与えられている

わたしがモーセに約束したとおり、
あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、
すでにあなたがたに与えている。
(ヨシュア記1:3)

モーセが死んで
ヨシュアが新しい指導者になりました。

リーダーが交代すると普通
色々な事が変化するものです。
スタイルも目標も変わるものです。

でも約束に変わりはないと主は言われました。
リーダーになったヨシュアに
主が一番最初に言われた言葉がこれでした。

約束の地をあなたがたの足で踏んで
自分たちのものにしなさい。
それは、かなうと嬉しい希望や夢ではない、
すでに与えている、とはっきり言われました。

すでに与えられている!


 



2021/11/10

それで良い

主イエスは彼女に言われた。
「娘よ、
あなたの信仰があなたを救ったのです。
安心して行きなさい。
苦しむことなく、
健やかでいなさい。」
(マルコの福音書5:34)

12年間、病気で苦しんでいたこの女性は、
主イエスなら必ず癒してくれると
自己流ながら強く信じました。
今まで誰もした事がないのですが、
イエスさまの衣を握って、
祈ってみることにしたのです。

群衆にまぎれて、
後ろから主イエスの衣に触れた瞬間、
体に変化を感じました。
あざやかに癒されたのです。

主イエスが彼女としばらく会話した後
励ましの言葉を言われたのが今日の聖句です。
たとえ荒削りの信仰であっても
あなたの信じ方はそれで良い、
あなたの信仰があなたを救ったのだ。

主イエスは名コーチです。
彼女をほめ、励まし、しっかり方向付けをしてくれました。

彼女のように、純粋に主イエスに頼りましょう。
主イエスはあなたの信仰を応援してくれます。




2021/11/09

海が壁に

モーセが手を海に向けて伸ばすと、
主は一晩中、
強い東風で海を押し戻し、
海を乾いた地とされた。
水は分かれた。
イスラエルの子らは、
海の真ん中の乾いた地面を進んで行った。
水は彼らのために右にも左にも壁になった。
(出エジプト記14:21~22)

神の力の偉大さに言葉も出ません。

追手のエジプト軍が迫る中、
行く手を海に阻まれて万事休すと思ったら、
脱出の道が急に開けたのです。

紅海が分かれ、海底が乾いた地面になりました。
両側を見ると、海が壁の状態になっています。
風が強く吹いたのに、
お年寄りも、子供も飛ばされず、
向こう岸まで歩けたのです。

神がいったん事を決めたら、
私たちの想像を超える事が起きるのです。

同じ主が今日も生きておられます。


 

 

2021/11/08

深みに漕ぎ出す

話が終わるとシモンに言われた。
「深みに漕ぎ出し、
網を下ろして魚を捕りなさい。」
すると、シモンが答えた。
「先生。私たちは夜通し働きましたが、
何一つ捕れませんでした。
でも、おことばですので、
網を下ろしてみましょう。」
(ルカ5:4~5)

いつ、どのあたりで、魚が捕れるか
プロの漁師のシモンは良く知っていました。
どうして主イエスの言葉に従ったのでしょう。

主イエスが群衆に語る言葉を聞き続けたことで、
シモンの心は変えられたのです。
この方は全面的に信頼できる。
それで舟を沖に漕ぎ出したのです。

シモンは漁師のプライドを捨てて従いました。
指示された場所で網を下ろしました。
経験したことのない大漁になり驚嘆しました。

あなたにとって、沖とはどこですか。
網を下ろすとは、どんな事でしょう。

今日も主イエスは、あなたに
大きな祝福を与えたいのです。




2021/11/07

わたしのいる場所

わたしが行って、
あなたがたに場所を用意したら、
また来て、
あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしがいるところに、
あなたがたも
いるようになるためです。
(ヨハネ14:3)

「これから駅に行くところです」
「電車に乗って、どちらまで?」
「さあ、分かりません」

こんな事は普通ありえません。
でも、行先を知らずに生きているのが
人間の本当の姿かもしれません。

主イエスは、父の家に行った後
また戻って来ると言われました。
その際、私たちの居場所を
用意してくると約束されました。

私たちの行先は主イエスが用意して下さった場所で
そこに主イエスがおられます。

たとえ死の陰の谷を過ぎる時であっても
主イエスの用意された場所に行けると分かれば
私たちは安心して過ごせるのです。


 


2021/11/06

しゅうとめ

シモンの姑が熱を出して横になっていたので、
人々はさっそく、
彼女のことをイエスに知らせた。
イエスはそばに近寄り、
手を取って起こされた。
すると熱がひいた。
彼女は人々をもてなした。
(マルコ1:30~31)

伝道の初期、主イエスは
ペテロの家を訪ねました。
家中の人は大歓迎したことでしょう。

ペテロの妻のお母さんは寝込んでいました。
それを知らされた主イエスは
真っ先におばあちゃんの横に座りました。

イエスさまはお年寄りに優しいですね。
(あなたは年配の方が好きですか)

主イエスは彼女の手を取って起こし、
高熱をいやしてあげました。

彼女はイエスさまにお礼を言ったと思ったら、
くるくると働き始めていました。働き者なのです。
感謝の気持ちをもてなしで表わしたのです。

主よ、病の人を癒し、高齢の方々を支えて下さい。
お年寄りを世話している方に祝福を注いで下さい。



 

2021/11/05

わたしが神だ

地の果てのすべての者よ。
わたしを仰ぎ見て救われよ。
わたしが神だ。
ほかにはいない。
(イザヤ45:22)

山で遭難して動けない時、
こんな声が聞こえて来たら嬉しいでしょうね。
「おーい、誰かいますか。
聞こえますか、見えますか、
私たちは救助隊です。
助けに来ました。」
遭難者は声を上げ、手を振るでしょう。

神は、私たち全員を救うおつもりです。
大きな声ですべての人に語っています。
わたしが神だ。
わたしを仰ぎ見よ。
あなたは救われる。
それができるのはわたしだけだ。

主は今も
魂の遭難者を探しています。
主こそ救い主、まことの神です。



2021/11/04

告げて着手

そして、私に恵みを下さった
私の神の御手のこと、
また、主が言ったことばを彼らに告げた。
すると彼らは、
「さあ、再建に取りかかろう」と言って、
この良い仕事に着手した。
(ネヘミヤ2:18)

ネヘミヤは外国から帰還して
破壊され放置されたエルサレムの城壁を入念に調査した。

それから住民を集め、主から頂いたビジョンを明らかにした。
エルサレムの城壁を築き直そう。
アルタクセルクセス王の正式な承認だけでなく、
費用の援助ももらっている。
主なる神の御手が働いている、と伝えた。

遠い異国でささげた個人的なネヘミヤの祈りが、
ユダヤの多くの人の賛同を得て、
大きなうねりとなって動き出した。

密室の祈りは無駄じゃない。
主の御手に目を向けよう。
主のみこころが実現しますように。



2021/11/03

サフランの花

荒野と砂漠は喜び、
荒地は喜び踊り、
サフランのように花を咲かせる。
盛んに花を咲かせ、
歓喜して歌う。
これに、レバノンの栄光と
カルメルやシャロンの威光が授けられるので、
彼らは主の栄光、
私たちの神の威光を見る。
(イザヤ35:1~2)

荒野や砂漠にサフランが咲き乱れるというのです。
サフランはクロッカスの一種で赤紫の花が咲きます。
砂漠にお花畑、ありえない事です。

北部のレバノン一帯は杉の木の産地で有名です。
日本でも、秋田杉、木曽ひのき、などと言いますね。

海岸に近いカルメルやシャロンの地は、
果樹が豊かに実る地域です。

砂漠に花が咲き果樹も杉も育つ。
主はそんな不思議を
私たちにも行って下さるというのです。

今は砂漠ですか?

サフランの咲く日を信じましょう。





 


 


2021/11/02

消灯スイッチ?

あなたがたは世の光です。
山の上にある町は隠れることができません。
(マタイ5:14)

現代にも隠れキリシタンがいます。
自分がクリスチャンであることを隠し、
キリスト教の話題になるのを避け、
日曜の午前中に何をしているかを語らず、
死亡広告でクリスチャンだったと分かる人もいます。

何が心配なのでしょう。
問題があるのでしょうか。

主イエスは言われました。
クリスチャンは、隠れられないよと。
だって、山の上の町と同じで、
遠くから見れば町の明かりははっきり見えます。

クリスチャンの存在や生活態度が
すでに輝いているので
暗い世界を照らしていると主イエスは言われました。

クリスチャン消灯スイッチなどどこにもないので、
クリスチャンである事は隠せないのです。

むしろ、輝きましょう。
主に輝かせてもらいましょう。
子供讃美歌の歌詞のように、光りましょう。
行動でも、内面性でも、言葉でも
主イエスをあかししましょう。

あなたは光です。






2021/11/01

神の霊が下るとき

サウルがこれらのことばを聞いたとき、
神の霊がサウルの上に激しく下った。
彼の怒りは激しく燃え上がった。
(第一サムエル11:6)

ヤベシュ・ギルアデの町が敵の攻撃を受け、
敵に降伏するしかありませんでした。
命を助けるが全員の右目をえぐり出せと命じられたので、
彼らは就任早々のサウル王に助けを求めました。

どちらかと言えば引っ込み思案のサウルでしたが
イスラエル中に急使を送りヤベシュの町を救おうと
人が変わったくらい強烈に声をかけました。

神の霊がサウルに下ったことで
隠れていたリーダーシップが目覚めたのです。

自分の可能性を低く見積もる人が多すぎます。
神の霊があなたに臨むなら、素晴らしい事が起こります。
聖霊に励まされて新しい一歩を始めましょう。