2023/10/31

神の戦い

彼は言った。「ユダのすべての人々、エルサレムの住民、
およびヨシャファテ王よ、よく聞いてください。
主はあなたがたにこう言われます。
『この大軍のゆえに恐れてはならない。
おののいてはならない。
これはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである。』
(第二歴代20:15)

モアブ人とアンモン人が大挙連合して
イスラエルに侵略して来ました。
ヨシャファテ王は主の前にひれ伏し
助けを祈り求めました。

この時、ヤハジエルという人物に主の霊が臨み、
神からのメッセージを人々と王に伝えました。
「大軍のゆえに恐れてはならない」

通常の戦争ならば武器の違い、
人数の多さで勝負はついています。
けれども今回は違います。
この戦いは主の戦いだと、神ご自身が言われるのです。

この言葉に励まされたヨシャファテ王は
軍隊の先頭に聖歌隊を配置し
賛美リードを委ねました。
そして素晴らしい勝利を得ました。

あなたの戦いではありません。主の戦いです。
主をまず賛美しましょう。

絶え入るばかり

私のたましいはあなたの救いを慕って絶え入るばかりです。
私はあなたのみことばを待ち望んでいます。
私の目はあなたのみことばを慕って絶え入るばかりです。
私は言います。「いつあなたは私を慰めてくださるのですか」と。
(詩編119:81~82)

81節と82節は
同じ構文、類似した表現で
神を慕い求める強い思いが描かれています。

絶え入るとは
息が絶えて死ぬ、気絶しそうだという意味です。

神による救いを期待するしかない
追い詰められた極限状態なのです。

神からの確約となる言葉を待ち、
神の具体的な助けを求めています。

あなたは、今、何を願っていますか。

主御自身を待ち望みましょう。

2023/10/30

宮を建てよ

あなたがた、だれでも主の民に属する者には、
その神がともにいてくださるように。
その者はユダにあるエルサレムに上り、
イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。
この方はエルサレムにおられる神である。
(エズラ1:3)

<国に帰り神殿を再建しなさい>

バビロンを倒したペルシャのキュロス王が
捕囚の民、ユダヤ人にそう命じたのです。

驚くべき命令です。普通は絶対にありえません。

キュロス王は、
ユダヤ人の神、主の名を知っていました。

ネヘミヤはエルサレムに帰還し城壁を再建しましたが、
総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアは
聖なるエルサレムに帰り、人々を励まして
神殿再建工事に取り組むことになります。

主は、権力者や王たちの上におられます。
政府の方針や法律にも影響を与える方なのです。

王の王、主の主に栄光がありますように。

2023/10/29

御顔を慕い求めて

主とその御力を尋ね求めよ。
絶えず御顔を慕い求めよ。
(詩編105:4)

新聖歌344番「なおもみめぐみを」を思い出しました。
主を深く知りたいと繰り返し歌っています。
今日の詩編の作者も主を切に求めています。

「主とその御力を尋ね求めよ。」
それは創造主の驚くべき御力に目を向け、
私たちの限界から飛び出す姿勢です。
主がおられるので可能性が生まれます。

「絶えず御顔を慕い求めよ。」
これは主との人格的つながりを求める姿勢です。
主を信頼し、主を愛し、主をたたえましょう。
主との心の交流を楽しみ、主の慰めを受けましょう。
主と共にいることを切に求めていきたいです。

主の御力と御顔を慕い求めましょう。

2023/10/28

受け入れられた

ですから、神の栄光のために、
キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、
あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。
(ローマ15:7)

主イエスは私のような者を
よく受け入れて下さった、
としみじみ思うことがあります。

キリストは、あなたを受け入れて下さいました。
そして、友、兄弟、と認めて下さいました。

それは神の栄光のためです。

この事実を味わうと、
私たちが他の兄弟姉妹を
受け入れることが容易になります。

神の栄光を意識するなら、
自分と意見や立場の違う兄弟姉妹を
受け入れることができます。

こんな私が主イエスに受け入れられた。
それこそが、目に見えない教会の
強固な支持基盤なのです。

2023/10/27

終わりまで歩め

あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。
あなたは時の終わりに、
あなたの割り当ての地に立つ。
(ダニエル12:13)

ダニエル書最後の言葉です。

有能で出世したダニエルでしたが、
ねたまれ、策謀に巻き込まれ
苦労の多い人生を送りました。

ダニエルは素晴らしい経験もしました。
近い将来起こることや世の終わりに起こることを
予告編を見るように神から見せて頂きました。

そして、主はダニエルに言われました。
終わりまで歩め、
そして、休みに入れ。

主に救われ、主を信じた者なら
ダニエルに言われた神の言葉は
自分への言葉として受け止められます。

最後まで逸れずにまっすぐに主の道を歩みたい。
歩みをまっとうしたい。
本当の休みはその道の向こうに用意されています。

2023/10/26

幼子のように

そこで、ナアマンは下って行き、
神の人が言ったとおりに、
ヨルダン川に七回身を浸した。
すると彼のからだは元どおりになって、
幼子のからだのようになり、きよくなった。
(第二列王記5:14)

ナアマンはアラムの将軍でしたから
優れた体格で、豪胆な雰囲気だったかもしれません。
そんな彼でもツァラアトという治療困難な皮膚病には
為すすべがなく、絶望し苦悩していました。

隣国の預言者エリシャに助けを乞いましたが、
ヨルダン川で7度洗え、というすげない返事でした。

水に入るだけ!それは意味不明な行為で、
合理性がなく、癒されるはずがない。
そう考えて水に入っても癒されなかったでしょう。

プライドが強く頑固なナアマンでしたが、
心を入れ替えて、神の人の言葉通りにやってみました。
子供のように純粋で柔軟な心で信じてみたのです。
すると彼の体は幼子のからだのように癒されました。

先入観や頑固さを捨ててみましょう。

何かに従うプロセスそのものが
私たちの信仰を育てることもあるのです。

2023/10/25

私が償います

私パウロが自分の手で、
「私が償います」と書いています。
あなたが、あなた自身のことで
私にもっと負債があることは、
言わないことにします。
(ピレモン19)

パウロはまるで封筒に約束小切手を
同封したような体裁をとりました。
<私が損害の全額を払います。サイン:パウロ>

奴隷オネシモは
主人ピレモンのお金や貴重品を
盗んで逃亡したようです。

そのオネシモを信仰に導いたパウロは
主人のもとに帰るようにオネシモを説得しました。
ティキコがオネシモに同行してピレモンを訪れ、
この手紙を手渡したようです。
パウロとピレモンは旧知の仲でした。

後半の文章は少し恩着せがましい気もしますが、
オネシモの命を助け、その再出発のために
どんなことでもするパウロの優しさとみるなら
納得できます。

おせっかいや恩着せがましさも愛です。
オネシモの身になれば嬉しいものです。

2023/10/24

主が植えたブドウ

万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家。
ユダの人は、主が喜んで植えたもの。
主は公正を望まれた。
しかし見よ、流血。正義を望まれた。
しかし見よ、悲鳴。
(イザヤ5:7)

種を蒔き、苗を植える人は
収穫の日を夢見ています。
そのために苦労して農作業をします。

旧約聖書では、
イスラエルの民をぶどうの木にたとえています。

目に浮かぶような鮮やかなたとえです。

残念なことに、イスラエルの歴史を振り返ると
おいしくて甘いぶどうは収穫できませんでした。
公正や正義は見られず、
流血と悲鳴の社会になってしまいました。

主は、すべての人に命を与えた創造者で、
人々の人生が豊かに実ることを願っておられます。

甘いぶどうになれと
主は私たち人類に今も期待しておられます。

主はぶどうの木、私達は枝です。

2023/10/23

訪れた人々

マルタとマリアのところには、
兄弟のことで慰めようと、
大勢のユダヤ人が来ていた。
(ヨハネ11:19)

エルサレムに近いベタニア村には
マリアとマルタとラザロの兄弟が住んでいました。
断定できませんがが、3人は結婚前かもしれません。

ラザロは病気になり、病状が悪化し、
ついに亡くなってしまいました。

大勢の人がマリアとマルタの家を訪ねて、
慰めの言葉をかけました。

主イエスが到着する前に
人々が先に来ていたことになります。

悲しみに暮れた人を訪ねても
私たちにできることはわずかです。

でも、誰かがやむにやまれずに
そばに来てくれる事は
とても大きな慰めになります。

気の利いた言葉をかけられなくても
うるんだ目が多くを伝えます。

2023/10/22

兄弟たちへ

最後に兄弟たち、喜びなさい。完全になりなさい。
慰めを受けなさい。思いを一つにしなさい。
平和を保ちなさい。
そうすれば、愛と平和の神は
あなたがたとともにいてくださいます。
(第二コリント13:11)

コリント教会への手紙の最後の部分です。
まるで発車したばかりの列車の窓から
二度と会えない人に叫ぶように
パウロは短い言葉を連ねて信仰生活の要点を伝えました。

出来事やその時の気分に流されずに、
心の基調となる救われた喜びを保ちなさい。

目標から目を離さず、
あらゆる面での完全さを追求しなさい。

主から豊かな慰めがある。
信仰の友からも慰めを受けよ。

つまらないことで分裂せず
同じ思いを持ち続けなさい。

神との平和を与えられた者として
兄弟姉妹と穏やかな平安を維持しなさい。

なによりも、あなたがたの中に
主が共にいて下さいますように。

2023/10/21

慰めとなる人

ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。
割礼のある人では、
この三人だけが神の国のために働く私の同労者です。
彼らは私にとって慰めになりました。
(コロサイ4:11)

パウロはローマの牢獄にいました。
そこにはパウロを支援する人たちが何人かいました。

アリスタルコとマルコとユストはパウロに付き添っていましたが、
割礼のある者、つまりユダヤ人でした。

ユダヤ人クリスチャンであるゆえに、
同胞から受けた迫害は激烈だったはずです。
その上、ローマの牢まで同行して
パウロを支えるのですから筋金入りの主の弟子でした。

パウロはこうしたユダヤ人クリスチャンによって
心が強められ、慰められたのです。

誰かと共に苦しむ人や援助する人は
その人の慰めになっています。
そういう人は神の国の建設者です。

2023/10/20

道を開いて

どうか、私たちの父である神ご自身と、
私たちの主イエスが、
私たちの道を開いて、
あなたがたのところに行かせてくださいますように。
(第一テサロニケ3:11)

パウロが初めてテサロニケに立ち寄った時は
ユダヤ人による迫害が激しくて
長期滞在はできませんでした。

コリントに移動した後も、
パウロはテサロニケを思って
とりなしの祈りをささげ、
この手紙を書いて人々を励ましました。

ぜひ、もう一度テサロニケを訪ねたい。

道を開いて下さるのは主である。

だから、道を開いて下さる主に
期待し、願い求めました。

第三回伝道旅行でその祈りはかなえられました。

主に開いてほしいあなたの「道」は何ですか。
その祈りが実現しますように。

2023/10/19

のぞみは神に

私たちが労苦し、苦闘しているのは、
すべての人々、
特に信じる人々の救い主である生ける神に、
望みを置いているからです。
(第一テモテ4:10)

ベテラン牧師が若い牧師の悩みに耳を傾け
適切なアドバイスをする、
それがテモテの手紙です。

パウロは、駆け出し牧師テモテを励ましました。

テモテよ、確かに君は苦労しているし、
日々頑張っている。
それでも辞めないのは理由がある。

望みがあるからだ。苦労の向こうに光が見えるからだ。
地上的には希望が見えなくても
神には望みがある。

救い主であり、生ける神が確かにおられる。
それが希望の源泉だ。

生ける神に望みを置いていれば大丈夫。
パウロはテモテにそのように言いました。

2023/10/18

見下している人

自分は正しいと確信していて、
ほかの人々を見下している人たちに、
イエスはこのようなたとえを話された。
(ルカ18:9)

人は見たいと思うものしか見ない。
カエサルの有名な言葉ですね。

自分は正しく他者は違うと決めつけ、
他の人を見下げる人がいます。
その典型がパリサイ人でした。

主イエスは、見下す人の問題点を指摘するため
短いたとえを話されました。

パリサイ人と収税人が神殿で祈ったというたとえです。

非の打ち所がない生活と見えたパリサイ人の心が
みにくく、傲慢だったということが
暴露される話でした。

あなたも誰かを見下していますか。
理由もなく毛嫌いしていませんか。

2023/10/17

福音を語る姿勢

あなたがたが最初の日から今日まで、
福音を伝えることにともに
携わってきたことを感謝しています。
(ピリピ1:5)

ピリピの人々が今までどんな生活をして来たか、
この一節を読むだけで分かります。

パウロから福音を聞き、主イエスを救い主と信じ、
罪から解放されて生活が変えられ、
周囲の人にイエスさまを伝えたいと
パウロと共に福音を伝えて来たのです。
パウロがピリピを去った後も継続しています。

伝道の心がけで大事なことは、
聖書の事を質問されたら困ると守りに入らず、
福音を伝えたいという積極姿勢をキープする事です。

ごろ寝して駅伝のテレビ放送を見る人と、
1か月後にマラソン大会に出場する人との違いくらい
その差は大きいのです。

伝えたい人は、伝える場面を想定します。
重要聖句を開けるようにします。
祈って聖霊に信頼します。

福音を伝えることに携わりましょう。


2023/10/16

ビフォー、アフター

神に感謝します。
あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、
伝えられた教えの規範に心から服従し、
罪から解放されて、義の奴隷となりました。
(ローマ6:17~18)

物凄いゴミ屋敷がきれいになるTV番組は
つい見てしまいます。

ビフォー、アフターの違いが大きいので
見ていて痛快です。

かつては~でしたが、今は~になりました。
この形こそが<感謝の方程式>です。
信仰者は皆ビフォー、アフターを持っています。

昔は罪の奴隷として束縛されていましたが、
今は完全に開放されて自由で正しい生活になりました。
いえ、もっと強いです。
良いことしか選べないくらい心が強められ
「義の奴隷」にされているのです。

あなたのビフォーはどんな状態でしたか、
アフターはどうなりましたか。
それに気づけば
神に感謝しますと心から言えますね。

2023/10/15

大丈夫です

こう言ったのです。
「恐れることはありません、パウロよ。
あなたは必ずカエサルの前に立ちます。
見なさい。神は同船している人たちを、
みなあなたに与えておられます。」
(使徒27:24)

ローマを目指した大きな船が嵐に遭いました。
何日も太陽が見えない悪天候、大波と暴風に翻弄され、
船員たちは船荷まで投げ捨てました。
助かる望みが失せたと感じた時に
パウロが人々に語った言葉です。

パウロが船の全員に伝えたのは、
神の使いが前夜、パウロに語った内容でした。

目の前の現象で不安になる必要はない。
恐れるな。
必ずローマに着く。
同船している人々全員も助かる。

誰もがパニックになる時でも
キリスト者は落ち着いた判断が可能です。
暴風の中でも希望を持てるのです。

必ず、あなたのローマにたどり着けます。

2023/10/14

たましいの喜び

このしもべのたましいを喜ばせてください。
主よ私のたましいはあなたを仰ぎ求めています。
(詩編86:4)

人間の60%は水でできています。
(四捨五入すると我々は水なのです)
その他にタンパク質が16%、脂肪も同じくらいです。

不思議なことに、水やタンパク質の中に私が存在しています。
確かに命があり、私の心があります。

人は、食べて寝るだけの毎日では
何かが足らないと感じます。
たましいに渇きがあるのです。
たましいを潤したいと願うのです。
たましいを満たす何かを探すのです。

まことの神だけが
私たちのたましいを満たして下さいます。

私たちは、たましいの深みで
目に見えない主と触れ合うのです。

主よ、私のたましいを喜ばせて下さい。



2023/10/13

死んでいる

上にあるものを思いなさい。
地にあるものを思ってはなりません。
あなたがたはすでに死んでいて、
あなたがたのいのちは、
キリストとともに神のうちに隠されているのです。
(コロサイ3:2~3)

パウロもコロサイの人に言いました。
あなたはすでに死んでいると。

とても逆説的な事なのですが、
何がなんでも生き延びたい、誰にも渡さん、
変えたくないと態度を硬化させると
大事なものを見失います

キリストと共に死んだと
心の深い部分で納得できた人は
意義深い人生を送るようになります。

自分が死んだから、キリストが生きるのです。
死んでいるから、この世の価値観から自由になれます。
地ではなく、上を意識できます。
孤立ではなく神の命に密着して守られています。

あなたがたはすでに死んでいます。
キリストが生きています。


2023/10/12

アサフと聖歌隊

その日、その時、
初めてダビデは
アサフとその兄弟たちを任命して、
このように主に感謝をささげさせた。
(第一歴代16:7)

ダビデは神の箱を喜んで迎えました。
エルサレムに神の箱を運び入れた後、
全焼のいけにえをささげ、
人々にお祝いのパンを配りました。

正式な神殿を作るより先に着手したのは、
聖歌隊の結成でした。

神を礼拝するために必須なもの建物ではなく
賛美する人々だったのです。

ダビデはレビ人のアサフに、
賛美する者を集めるように指示を出しました。
琴、竪琴、シンバルなどの楽器の奏者たちも
整えさせました。

聖歌隊が最初に喜ばしく歌ったのは
主への感謝でした。

私という存在は
栄光の主をお迎えした神殿であり、
常に神をたたえる楽器なのです。

2023/10/11

プリスキラとアキラ

彼は会堂で大胆に語り始めた。
それを聞いたプリスキラとアキラは、彼をわきに呼んで、
神の道をもっと正確に説明した。
アポロはアカイアに渡りたいと思っていたので、
兄弟たちは彼を励まし、彼を歓迎してくれるようにと、
弟子たちに手紙を書いた。
彼はそこに着くと、
恵みによって信者になっていた人たちを、大いに助けた。
(使徒18:26~27)

アレキサンドリア生まれのアポロは
霊に燃えた伝道者で、
エペソの町で福音を語っていました。

その様子を見たプリスキラとアキラは
ちょっと違う、少し足らないと感じたのです。

パウロと生活を共にして直に学んだ二人なので
福音の深みやバプテスマの理解など、
アポロの不足を補って正しく教えることができました。

それだけでなく、
プリスキラたちが以前住んでいたコリントの教会に
アポロを紹介して彼の活動を応援しました。

信仰歴の長い夫婦なら若者の信仰を励ましましょう。
神学生を物心両面で支援するクリスチャン家族になりましょう。
現代にもプリスキラとアキラが必要です。

2023/10/10

敵の批判

彼はその同胞とサマリアの有力者たちの前で言った。
「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。
あれを修復して、いけにえを献げようというのか。
一日で仕上げようというのか。
焼けてしまった石を瓦礫の山の中から拾って、
生き返らせようというのか。」
(ネヘミヤ4:2)

城壁再建工事を邪魔した敵たちは、
作業する人々に散々悪口を言いました。

工事で疲れ切った人々を指さし
哀れだ、作業は無意味だと嘲りました。
言われた人はダメージを受けました。

一日で仕上げるつもりらしいが
無理にきまっていると敵は言いました。
もちろんそんな予定ではありませんが、
工事日程が長く辛く感じてしまいます。

長期間にわたる困難な
プロジェクトをしている人たち!
こういう批判は作業が順調だから起きるのです。

勝利は近いのですから、
批判は応援としてとらえましょう。


2023/10/09

かなえて下さるように

エリは答えた。
「安心して行きなさい。
イスラエルの神が、
あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」
(第一サムエル1:17)

息子を与えて下さいと
ハンナは心を注ぎ出して祈りました。

その様子を見ていた祭司エリは、
「安心して行きなさい」と言って
ハンナを励ましました。

祭司エリの信仰が表れた言葉ですね。

ある教会の副牧師夫婦が子供が与えられるようにと
長い間祈ってきましたが、かないませんでした。
主任牧師もそのために祈ってきましたが
ある日若い二人にこう言いました。
来年の今頃、赤ちゃんを抱いているよ。
そして、そうなりました。

「あなたがたが祈り求めるものは何でも、
すでに得たと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになります。」
(マルコ11:24)

2023/10/08

門よ

門よ、おまえたちの頭を上げよ。
永遠の戸よ上がれ。
栄光の王が入って来られる。
栄光の王とはだれか。
強く力ある主。戦いに力ある主。
(詩編24:7~8)

古来、町というものは城壁で囲まれ、
出入りは数か所の門に限られていました。

その町の王が帰還する時などは
門を開けよとの声に応じて
大きく頑丈な戸が開きました。

まことの王、主の主である神が
ご自身の都を訪れたなら
今日の箇所のようになるでしょう。

エルサレムには閉鎖されたままの門が今もあります。
頭を上げる日を待っているのです。

私たちの心にも門があります。
栄光の王、力ある主をお迎えしましょう。

2023/10/07

報いがあるように

「主があなたのしたことに報いてくださるように。
あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、
主から、豊かな報いがあるように。」
(ルツ記2:12)

畑で一生懸命働く女性がいましたが初顔でした。
ボアズは誰だろうと考えました。
調べてみたらルツだと分かりました。

そこでボアズは声をかけました。
ルツが親孝行だという噂を聞いていたので
食事や水を提供して応援する姿勢を示しました。

ルツの信仰や生活態度が
まるで親鳥の羽の陰に逃げ込む雛に見えました。

全能者はルツの真実な歩みを知っておられ、
彼女の信仰の歩みにふさわしい恵みを
注いでくださるはずだとボアズは思っていました。
それで、主から報いがありますようにと述べたのです。

陰に隠れたあなたの歩みを
評価してくれる人がきっといます。
あなたの犠牲、奉仕、誠実さを
ご覧になっている主からも
きっとあなたに報いがあります。

2023/10/06

解き放って下さい

私が呼ぶとき答えてください。
私の義なる神。
追いつめられたときあなたは私を解き放ってくださいました。
私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。
(詩編4:1)

追い詰められたとき、
私たちは強い閉塞感でつぶされそうになります。

人に追いつめられることもあります。
お金の返済に追われる事もあります。
仕事上の期限と達成度でつぶされる事もあります。
漠然とした不安でさえ重圧を加えてきます。

そんな時は、上を見上げましょう。
私たちの心をふさぐ妨害物は何もありません。
「私が呼ぶとき答えてください」と祈りましょう。

苦しみから解放された経験を思い出しましょう。
「あなたは私を解き放ってくださいました」
今度も助けて下さいと主にすがりましょう。

私の義なる神は最後の砦です。

2023/10/05

雲の不思議

見よ。神はいと高く、私たちには知ることができない。
その年の数も測り知ることができない。
神は水のしずくを引き上げ、それが雨を滴らせて、水の流れとなる。
雨雲がこれを降らせ、人の上に豊かに滴らせる。
いったい、だれが濃い雲の広がりと、
その幕屋のとどろきを理解できるだろうか。
(ヨブ記36:26~29)

ヨブの友人で年若いエリフが
神の偉大さを語っています。

現代風に言うならば、
気象学の不思議に目を留めて
神の大きさに気づきなさいと言っているのです。

雲の仕組みは複雑で、雨といっても
海塩粒子からできる温かい雨と
氷がとけてできる冷たい雨があります。

薄く広い「層雲」もあれば、
羊や綿のような「積雲」もあります。

発達した積乱雲の内部では氷の粒が上下し、
稲光が発生し、雷のとどろきも聞こえ、
竜巻すら伴います。

むくむくと天を突く積乱雲を見ていると
神の偉大さを感じます。
神はいと高き方です。


2023/10/04

誰が触れたのか

イエスも、自分のうちから
力が出て行ったことにすぐ気がつき、
群衆の中で振り向いて言われた。
「だれがわたしの衣にさわったのですか。」
(マルコ5:30)

12年間、長血をわずらっていた女性が
群衆の中で主イエスの衣に触れました。
すると、たちどころにいやされました。

主イエスは衣に触った人を探そうとして
立ち止まり見渡しました。
癒されただけでは不十分なのです。

主イエスが誰かを癒すとき
大きな力を使っていたのです。

ガリラヤ湖上の舟の中で
ぐっすり寝込んでしまわれたのは
そうした疲労の蓄積かもしれません。

体が癒される事と同じくらい重要な事は
信仰の確信を持つ事です。
癒される体験はその時だけです。
信仰を確立すれば一生、いいえ、永遠に残ります。

主よ、わたしを癒してくださり感謝します。
そして私を探し当てて下さり感謝します。

2023/10/03

本当に?

さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、
ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。
「園の木のどれからも食べてはならないと、
神は本当に言われたのですか。」
(創世記3:1)

よく注意して下さい。
このやり方が、神に疑問を持たせ、
神の言葉を疑わせるための
蛇(=悪魔)の常套手段なのです。

本来、すべての木から自由に食べて良いが
この木だけはいけない、と神は言われたのです。
蛇の言葉は似ているように感じますが実は正反対です。

神の印象を悪い方に操作しました。
きよく、愛に満ちた、真実な神を
いじわるで、自分勝手な神というイメージに捻じ曲げたのです。

もう一点。
「本当に」言ったのか、と蛇が念を押すことにより
疑惑の種を蒔きました。
疑問の余地をちらつかせるだけで蛇は大成功です。

神の言葉をきちんと聴きましょう。
ぼんやりしたイメージで早合点するのは危険です。

神の言葉は永遠に変わらない
もっとも信頼できるいのちの言葉です。


2023/10/02

ののしられても

キリストは罪を犯したことがなく、
その口には欺きもなかった。
ののしられても、ののしり返さず、
苦しめられても、脅すことをせず、
正しくさばかれる方にお任せになった。
(第一ペテロ2:22~23)

苦しんでいた人々にペテロが手紙を書き、
21~25節の言葉を送りました。
これは当時、よく知られていた賛美歌の一節か、
信仰告白の言葉なのでしょう。

主イエスの苦しみに焦点を当てています。

主イエスはどんなひどい環境に置かれても
罪を犯さず、嘘も言わずに過ごされました。

普通なら、何倍も言い返したり、
復讐する場面であっても、
主は黙って耐えておられました。

正しくさばかれる父なる神に
すべてをおゆだねしていたのです。

理不尽な扱いを受け、
苦難の中にいる人を励ますために
ペテロは苦しむ主イエスを思い出させました。

苦しまれたイエスさまの中に慰めがあります。


2023/10/01

手を置いて

日が沈むと、
様々な病で弱っている者をかかえている人たちがみな、
病人たちをみもとに連れて来た。
イエスは一人ひとりに手を置いて癒やされた。
(ルカ4:40)

アメリカの小学生が腕を骨折し、
包帯をして学校に行くと
友達がその包帯やギブスに
励ましの言葉を書いてくれます。
ほほえましいですね。

様々な病をかかえた人たちが
主イエスのもとに連れて来られると
主は話を聞いて
痛んでいる部分に手を置いて
癒して下さいました。

検査結果用紙やレントゲンのモニターだけを見て、
苦しむ患者に目も向けない医師とは大違いです。

主イエスは今日も
あなたの患部に手を触れて癒して下さいます。

私たちも誰かの痛みに寄り添い
手を置いて祈ってあげましょう。