2022/05/31

愛しているから叱る

わが子よ、主の懲らしめを拒むな。
その叱責を嫌うな。
父がいとしい子を叱るように、
主は愛する者を叱る。
(箴言3:11~12)

母に叱られた場面を今でも覚えています。
とはいっても、
大声で叱られた記憶はありません。

私が何か悪い事をして
それを知った母が悲しんでいる姿が
私にとって最も厳しい叱責になりました。
私は本当に悪いことをしたと感じ、
母を苦しめてはいけないと反省しました。

親は子供を愛しているから
真剣に叱るし、懲らしめます。
決して憎いからではありません。

天の父も
私たちを真剣に叱り、懲らしめます。
それは、私たちを
愛しているからです。

主から懲らしめを受けた時、
そのことを忘れないようにしましょう。



2022/05/30

喜ばせて下さい

私のうちで思い煩いが増すときに
あなたの慰めで私のたましいを喜ばせてください。

(詩篇94:19)

問題点が何か明確に分かっている時は
思い煩いに発展しません。

その問題点に立ち向かえば良いのです。

悩みの焦点が見えなくて
悪い事ばかりを予想すると、
不安のドミノ倒しが止まらなくなります。

ドミノを止めるには
大きなブロックを先の方に置けば良いのです。

神から大きな喜びを頂くと
それがブロックの役割をしてくれます。

今日の聖句では、
神の慰めをブロック代わりにしています。

私たちも、悩みの中で、
喜ばせて下さいと祈っても良いのです。

2022/05/29

トータルに健康

愛する者よ。
あなたのたましいが幸いを得ているように、
あなたがすべての点で幸いを得、
また健康であるように祈ります。
(第三ヨハネ2)

健康の土台は
たましいが幸いである事です。

十字架によって罪が赦された。
ありのままの自分が主に愛されている。
心に平和があり、希望がある。
そういう人は
幸いな魂を持っています。

心が安定すると、頭痛、胃の痛み、腸の不調が減ってきて
笑顔が生まれ、体調が良くなります。
身近な人との関係が良好になり、
経済的に安定し、仕事に喜びを感じられたら
もう言うことがありません。

主は、私たちの内面だけでなく、
私たちを取り巻くすべての分野で調和がとれるように
トータルに配慮して下さる方です。

すべての面であなたが
幸いでありますように。

2022/05/28

立ち返りなさい

ですから、
悔い改めて神に立ち返りなさい。
そうすれば、
あなたがたの罪はぬぐい去られます。
(使徒3:19)

ど真ん中の直球の言葉です。

ペテロは、美しの門に座っていた男性を癒し、
その奇跡に驚いて集まった群衆に向かって
十字架の福音を語って招きました。

罪を認めて悔い改めなさいとペテロは命じました。
反省して頑張りなさいではありません。
きちんと帰るべき所に帰りなさい、
神に立ち返る事が大事だと話しました。

そうすれば
罪がぬぐい去られます。
完全な赦しと平安が来るのです。

2022/05/27

残された時

それは、あなたがたが地上での残された時を、
もはや人間の欲望にではなく、
神のみこころに生きるようになるためです。
(第一ペテロ4:2)

若い時は、人生は長いと感じます。
歳をとると、案外みじかいものだと分かります。。

人生とは、
残された時です。

それは若者にとっても
老人にとっても同じこと。

人生は無限ではなく
必ず終わりが来ます。

それに気づいたら、
神のみこころを思い浮かべて
残された時を大切に生きてみましょう。

私にとっての神のみこころって何でしょう。

2022/05/26

壺に入れて

モーセはアロンに言った。
「壺を一つ持って来て、マナを1オメル分その中に入れ、
それを主の前に置いて、あなたがたの子孫のために保存しなさい。」
がモーセに命じられたとおり、アロンはそれを保存するために、
さとしの板の前に置いた。
(出エジプト記16:33~34)

1オメルは約2リットルです。

出エジプトの後、
イスラエルの民は荒野を進みましたが、
荒れ地が続き、食物がないので
人々は神に文句を言いました。

神はマナという特別の食べ物を
朝ごとに降らせて下さいました。
それで人々は生き延びました。

マナを壺に入れて保存するようにモーセは
アロンに命じました。

神がして下さった恵みを
忘れないための記念カプセルです。

なぜ私たちは、試練が来ると
過去の恵みや奇跡を忘れてしまうのでしょう。

あなたの<マナの壺>に目を向けましょう。
新しいマナが降ると信じられますよ。

2022/05/25

いっさい

あなたがたの思い煩いを、
いっさい神にゆだねなさい。
神があなたがたのことを心配してくださるからです。
(第一ペテロ5:7)

いつも思い煩う人がいます。
問題が起きた時だけ悩む人がいます。

あなたはどっちのタイプですか?

重たい本を山ほどリュックに入れて
私が道を歩いていたとします。
教会のメンバーが私を見つけたら
乗って来た軽トラの荷台に乗せてくれるでしょう。
車が動きだしても
私が本を背負ったまま立っていたら
「荷物は全部下に置いてください」
と言うでしょう。

主は同じことを私たちに言われます。
全部ゆだねなさい、すべておろしなさいと。

思い煩いは主が負って下さいます。
神が心配して下さいます。

2022/05/24

悪者の死

彼らにこう言え。
「わたしは生きている
──神である主のことば──
わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。
悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。
立ち返れ。悪の道から立ち返れ。
イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。」
(エゼキエル33:11)

映画には悪役が登場しますが
たいてい最後に処罰されます。
当然の報いだと観客は思うものです。

神は、悪者の死を望みません。
どんな罪人であっても
悔い改めて、生まれ変わってほしいのです。

立ち返れ。死ぬな。
これは神の心の叫びです。

「こんな汚れた人間は
教会に行ける資格がないし
神が赦してくれるはずは無い。」
そう考える人がいます。

でも、神は最後まであきらめません。
死ぬな。勝手に制限を付けるな。
悪の道から立ち返れと
今日も主は叫んでおられます。

2022/05/23

ゴメル

がホセアに語られたことのはじめ。
はホセアに言われた。
「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。
この国はに背を向け、淫行にふけっているからだ。」
(ホセア1:2)

預言者ホセアは
北王国イスラエルで活躍した預言者でした。
ホセアが主から頂いた使命は
とても困難なものでした。

ふしだらな女を妻とせよ。
それが、主から与えられた命令だったのです。

ホセアは主に従い
ゴメルという名の女性を妻にしました。
その結果、ひどい結婚生活になりました。
愛しても、助けても、だめでした。
彼女は夫を裏切り、最後は奴隷に身を落としました。
ホセアはゴメルを大金を払って買い戻しました。

そこまでしなくてもと
周囲の人が思うほど妻を愛し続けました。

ホセアは神、ゴメルは私なのです。

神は、イスラエルの民に対して
ホセアと同じ気持ちを感じておられました。
背を向ける神の民を、主は愛し続けました。

あなたがどんな状態であろうとも、
主はあなたを決して見捨てません。


2022/05/22

そんなはずはない

彼が門の戸をたたくと、
ロデという名の召使いが応対に出て来た。

そして、ペテロの声だと分かると、
喜びのあまり門を開けもせずに奥に駆け込み、
ペテロが門の前に立っていることを知らせた。
(使徒12:13~14)

聖書で一番笑ってしまうのが、ロデの話です。

牢に捕らわれていたペテロの命があぶない。
エルサレム教会の人々は一か所に集まって
真剣に深夜まで彼の救出を祈っていました。

御使いの助けで牢獄を出られたペテロは
みんなが祈っていた場所にやって来て
ドアをノックしました。
応対した女中ロデはペテロだと分かったのに
嬉しすぎて、ドアを開けずに奥に報告に行きました。
本当におっちょこちょいです。

さらに笑ってしまうのは、 ロデの話を聞いた人々が
そんなはずがない、「気が変になっている」と
言ったことです。さっきまで真剣に

ペテロの解放を祈っていたのですよ。

主よ、
嬉しすぎて、我を忘れてしまうほどの
素晴らしい奇跡を見せて下さい。

2022/05/21

所属する喜び

あなたがたはわたしの羊。
わたしの牧場の羊である。
あなたがたは人間で、
わたしはあなたがたの神である。
─ 神である主のことば ─
(エゼキエル34:31)

若者でも、老人でも
孤独を感じている人が多いです。

神はすべての人に言われました。
あなたは一人じゃない。
あなたはわたしの羊だと。

私たちを愛して下さる神がおられるので、
心にぬくもりを感じられます。
神に属していると実感できるので
究極の安心感があります。

イエスさまは
私たちの羊飼いだと宣言されました。

私たちは神の牧場にいます。
神に所属しています。


2022/05/20

悪を憎め

を愛する者たちよ。悪を憎め。
主は、主にある敬虔な者たちのたましいを守り

悪者どもの手から 彼らを救い出される。
(詩篇97:10)

あなたの口座に4千万円振り込まれたらどうします?

悪は心の隙間に忍び寄って来るので
その悪を憎み、退けましょう。

憎んで良いのは
悪だけです。

さわやかな心でいたいなら
悪との関わりを断ちましょう。

真っ黒な悪を退けるだけでなく、
ちょっと怪しいグレーゾーンからも離れましょう。

主は、敬虔に生きる者を
守って下さいます。

主は、悪者たちの悪事から
あなたを守って下さいます。
 

2022/05/19

人間は葦

傷んだ葦を折ることもなく、
くすぶる灯芯を消すこともなく、

真実をもってさばきを執り行う。

(イザヤ42:3)

自分が弱いと感じる事がありますか。 

倒れそうだ。
修復力がない。

フランス人の思想家パスカルは、
人間は弱い葦だと述べました。
そのヒントは聖書から得たのでしょう。

今日の聖句は、
人間を折れやすい葦にたとえています。
神は、傷んで折れそうな葦を
守って下さる方です。

ランプの芯が古くなったら
油をくみ上げる力を失い
芯自体が燃え始め、くすぶってしまいます。
神は、そんな灯芯が燃えないように
保護して下さるお方です。

地上で最も弱い葦と灯芯に
目を留めて下さる神がおられる。
だから、あなたも大丈夫です。
 

2022/05/18

できる

私を強くしてくださる方によって、
私はどんなことでもできるのです。
(ピリピ4:13)

根拠のない自信、
から元気、
はったりなどは
強そうに見えますが空虚です。

今日の言葉は、多くの困難を乗り越え、
数々の奇跡を経験したから言える
パウロの信仰の言葉です。

誇れるものは弱さしかないと述べた
パウロの言葉でもあります。

どんな事でもできると言える根拠は
全能の神がおられることです。
愛に満ちた神を信頼しているからです。

あなたは、今、何か課題を抱えていますか。
それなら、今日の聖句を
声に出して静かに言ってみましょう。

2022/05/17

奴隷以上の者

オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、
おそらく、あなたが永久に彼を取り戻すためであったのでしょう。

もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。
特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、
肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。
(ピレモン15~16)

オネシモは奴隷でした。
主人ピレモンの家から何かを盗んで
逃亡したようです。

当時、逃亡奴隷が捕まれば死刑でした。

逃げた先でパウロに出会い
オネシモは見違えるほど変わりました。
パウロはそのオネシモを主人のもとに返し、
主人ピレモンに依頼の手紙を書きました。

奴隷ではなく兄弟として迎えてほしいと。

オネシモは、そうした経緯を知りつつも、
一番熱心に仕えるしもべになったことでしょう。

主人ピレモンは、恩師パウロ先生から
上級レベルの信仰課題をもらいました。
あなたなら、必ずできるとパウロに見込まれたのです。

2022/05/16

宝の民

あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。
あなたの神、主は地の面のあらゆる民の中から
あなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。
があなたがたを慕い、あなたがたを選ばれたのは、
あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。
事実あなたがたは、あらゆる民のうちで最も数が少なかった。
(申命記7:6~7)

神の愛はいつも私たちより先にあります。
最初に神が私たちを愛してくれました。

数が多い、優秀だから、力があるから、
美しいから、などという理由ではなく、
少人数で弱いユダヤ人を神は選ばれました。

主はユダヤ人を宝とされ、
主の聖なる民として下さいました。

ユダヤ民族の選びと
私たちの選びは、そっくり同じです。

昔、『愛される理由』という本があったと思いますが、
私たちが神に愛される理由は何もありません。

それでも、今、私たちは愛されています。

私たちも応答しましょう。ありがとうございます。
私も主を愛します。あなたこそ私の宝です。



2022/05/15

杖一本で

また、十二人を呼び、
二人ずつ遣わし始めて、
彼らに汚れた霊を制する権威をお授けになった。
そして、旅のためには、
杖一本のほか何も持たないように、
パンも、袋も、胴巻の小銭も持って行かないように
(マルコ6:7~8)

主イエスは十二弟子を
トレーニングされました。

今日の聖句は、二人一組の伝道旅行に送り出す
実地訓練に当たっての注意事項です。

厳しいことに、お金も食料も所持禁止です。
神に養って頂くことを体験する旅でした。

弟子たちは、不安顔で、どきどきしながら
歩き始めたはずです。

町々に散った弟子たちは
結局、喜んで帰って来ました。

神はすべての必要を満たして下さったのです。

物質に頼ると
貧しい、乏しいと感じます。
何も持たなくても
主に信頼する心があれば
すべて与えられていると実感できます。

2022/05/14

ベテル

私たちは立って、ベテルに上って行こう。
私はそこに、苦難の日に私に答え、
私が歩んだ道でともにいてくださった神に、
祭壇を築こう。
(創世記35:3)

ヤコブは若い時、
兄を騙して長子の権利を奪ったので
殺されそうになりました。
逃げ出して野宿した夜、
神から約束をもらい勇気づけられました。
その場所がベテルでした。

長い年月が過ぎ、多くの子供と家畜を連れて
約束の地に戻ったヤコブは、
なつかしい場所、ベテルで再献身しました。

信仰の原点に戻る。
苦難の日に守って下さった主をたたえる。
こうした信仰姿勢はとても有益です。

主が今まで共にいて下さったのです。
これからもずっとそうです。
私たちも祭壇を築き直しましょう。

2022/05/13

信仰に立つ人たち

こういうわけで、兄弟たち。
私たちはあらゆる苦悩と苦難のうちにありながら、
あなたがたのことでは慰めを受けました。
あなたがたの信仰による慰めです。
あなたがたが主にあって堅く立っているなら、
今、私たちの心は生き返るからです。
(第一テサロニケ3:7~8)

テサロニケの人々は
福音を聞いて主イエスを信じた時から
厳しい迫害を受けました。

パウロはテサロニケを離れた後も
その人たちの事を気にかけて
ずっと祈ってきました。

仕事に支障はないか
暴力を受けたり、殺されていないか、
信仰を捨てずにいるか。

テサロニケから戻ったテモテから
詳しく様子を聞いて
パウロは深い慰めを受けました。
彼らが試練の中でも堅く信仰に立っていたからです。

パウロ自身も苦しい中にいましたが、
テサロニケ人の信仰に励まされました。
苦難の中で踏みとどまっている人は
苦難の中にいる人を力づけることができるのです。

2022/05/12

通ったことのない道

あなたがたが行くべき道を知るためである。
あなたがたは今まで、この道を通ったことがないからだ。
ただし、あなたがたと箱の間に
二千キュビトほどの距離をおけ。
箱に近づいてはならない。
(ヨシュア記3:4)

ヨルダン川を渡る前、指導者たちは民に言いました。
神の箱の後に従って進めと。

人々は行くべき道を誰も知りませんが、
神の箱について行くなら安心です。

未知の土地に足を踏み入れるので
「この道を通ったことがない」
というのは本当でした。

私たちの人生という道も実は同じこと。
繰り返しに見える毎日も通った事のない道です。

ヨルダン川を突っ切って民は進みましたが
まさか、ヨルダン川が
せき止められるとは誰も予想しませんでした。

通ったことのない道が心配な時は
主の後に進めば良いのです。

2022/05/11

ハレルヤ

ハレルヤ。
わがたましいよ、をほめたたえよ。

私は生きているかぎり、主をほめたたえる。

いのちのあるかぎり 私の神にほめ歌を歌う。
(詩篇146:1~2)

詩篇の最後を飾るのはハレルヤです。
146篇から最後の150篇まで
全部の詩篇の文頭に「ハレルヤ」があります。

ハレルヤという言葉は突き抜けています。
良い事があったらハレルヤ、
感謝の材料が見つからなくてもハレルヤなのです。

生きている限り主をほめたたえる
という姿勢は賛美の神髄です。
晴れの日も雨の日もハレルヤ、
主の素晴らしさは変わりません。

試練が来ても、主のまことは揺るぎません。
失敗しても、困難が押し寄せても、
主をたたえることができます。

いのちのある限りずっと賛美しましょう。
さあ、ハレルヤと声に出してみましょう。


2022/05/10

裏切られて

まことに、
私をそしっているのは敵ではない。
それなら私は忍ぶことができる。
私に向かって高ぶっているのは
私を憎む者ではない。
それなら私は身を隠すことができる。
それは、おまえ。
私の同輩、私の友、私の親友のおまえなのだ。
(詩篇55:12~13)

敵に憎まれるのはしかたがない。
何をしても嫌われるからです。

一番ダメージを受けるのは
敵からの攻撃ではありません。

味方と思っていた人に
裏切られることです。

配偶者に裏切られる。
大の親友に裏切られる。
信頼していた上司から捨てられる。

私たちが誰かに裏切られた時、
ダビデが身近に感じられます。

弟子たちに裏切られた主イエスを見ると、
心の傷が不思議にいやされます。
主よ、あなたもこの苦しみを通られたのですね。

傷つきやすい人の心を持たれた主イエスに感謝します。

2022/05/09

神が成功させてくださる

私は彼らにことばを返して言った。
「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。
それで、そのしもべである私たちは、
再建にとりかかっているのだ。
あなたがたは、エルサレムのうちに
何の取り分も、権利も、ゆかりもない。」
(ネヘミヤ記2:20)

ネヘミヤは頼れる指導者でした。

エルサレムの城壁を再建するために
まず祈って、
必要な建設許可を取り付け、
はるばる東方からやって来ました。
必ずできる、力を合わせてやってみようと
人々を信仰的に鼓舞しました。

サンバラテ、トビヤ、ゲシェムなどの敵対者は
始まったばかりの工事を妨害しようと、
否定的な言葉を投げつけました。 

ネヘミヤは負けていません。揺らぎません。
神が成功させてくださるという確信に立っていました。

私たちも困難に出会った時、
ネヘミヤの言葉を口に出してみましょう。
「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。」

2022/05/08

門衛の仕事

門衛の長である四人のレビ人は信任を得て、
神の宮の脇部屋および、宝物倉を受け持った。
彼らは神の宮の周りで夜を過ごした。
彼らには任務が課されていて、
朝ごとに鍵を開けるからである。
(第一歴代誌9:26~27)

第一歴代誌の1~9章は
アダムから始まる壮大な系図で、
捕囚帰還者名に至るまで書かれています。

人名リストの中で、
神殿警備を任されたレビ人と
その仕事が説明されています。

門衛たちの仕事は厳しい任務で、
神殿の周囲で夜警をしていました。
夜明けが待ち遠しかったでしょう。

朝になると、奉仕者や礼拝者のため
決まった時刻に門の鍵を開けました。

今も、人目につかない所で
つらく厳しい仕事を続けている
誠実な人たちがいます。
そのような人に主の恵みがありますように。

2022/05/07

水が良くなる

するとエリシャは言った。
「新しい皿に塩を盛って、
私のところに持って来なさい。」
人々は彼のところにそれを持って来た。
エリシャは水の源のところに行って、
塩をそこに投げ込んで言った。
「わたしはこの水を癒した。
ここからは、もう、
死も流産も起こらない。」
(第二列王記2:20~21)

その町の人々は飲み水で悩まされていました。
何らかの原因で水源が汚染され
健康被害や流産が多かったのです。

大預言者のエリヤは天に上げられ、
その弟子エリシャが
後を引き継いだばかりでした。

エリシャは、はっきりと
主の御声を聞き取る事ができました。

預言者エリシャは、塩を水源に投げ入れ、
主の言葉を宣言しました。
厳かに、確信を持って。

その後は、水質が改善し
人々は安心して暮らせるようになりました。

わたしは癒した、と言えるのは
まことの神、主だけです。
主よ、あなたはいやし主、全能の神です。


2022/05/06

信じる者に

それから、トマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて、
わたしの手を見なさい。
手を伸ばして、
わたしの脇腹に入れなさい。
信じない者ではなく、
信じる者になりなさい。」
トマスはイエスに答えた。
「私の主、私の神よ。」
(ヨハネ20:27~28)

イースターの夜、
トマスだけが復活の主に会えませんでした。
そのため、主イエスの手の傷跡に指を入れるまで
復活は信じないと態度を硬化させました。

一週間後、
主イエスはトマスの前に現れ、
手を見せ、脇腹を見せ、
指を入れてごらんと言われました。

トマスは、感激に震えながら、
指を差し入れることなく、
あなたは私の主、私の神と告白しました。

トマスが感動したのは次のポイントです。
復活の主が目の前にいること。
トマスの疑問を真剣に聞いて下さったこと。
トマスを見捨てず、叱咤激励してくれたこと。

主イエスは今日も、
トマスに良く似た私たちの前に現れ
信じる者になりなさいと言って下さいます。

2022/05/05

過去から未来まで

主は、あなたのすべての咎を赦し、
あなたのすべての病を癒し、
あなたのいのちを穴から贖われる。
主は、あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ
(詩篇103:3~4)

私は詩篇103篇が好きです。

1節から、主の良くしてくださった事を忘れず、
主を賛美しようと、
自分の魂に呼びかけている姿が印象的です。 

今日の3〜4節では
罪の赦し、病のいやし、危機からの脱出などに
目を向けています。

あなたの抱えている問題の解決がここにあります。

神から受けた恵みを過去のものとせず、
その恵みを未来というスクリーンに投影しましょう。

これからの人生においても
恵みとあわれみは尽きません。
この確信が、未来という荒海に出航する
私たちの頭を飾る冠になります。 

 

2022/05/04

どんな時でも

乏しいからこう言うのではありません。
私は、どんな境遇にあっても
満足する事を学びました。
私は、貧しくあることも知っており、
富むことも知っています。
満ち足りることも飢えることも
富むことも乏しいことにも、
ありとあらゆる境遇に
対処する秘訣を心得ています。
(ピリピ4:11~12)

あなたは貧乏になったことがありますか。
お金持ちになったことはありますか。
今の暮らし向きはどうですか?

パウロは貧乏も経験し
豊かな時代もあったと
人生を振り返っています。

今、パウロは獄中生活ですが、
あらゆる環境に対処する秘訣を身に着けたので
大丈夫だと言っています。

小さな事を感謝する習慣。
神の恵みを数える姿勢。
おだやかな心と前向きな精神。
神への賛美と笑顔。

パウロの言葉は
やせ我慢ではありません。
心の深い部分で本当に満ち足りていたのです。

2022/05/03

逮捕できない

さて、祭司長たちとパリサイ人たちは、
下役たちが自分たちのところに
戻って来たとき、彼らに言った。
「なぜあの人を連れて来なかったのか。」
下役たちは答えた。
「これまで、
あの人のように話した人はいませんでした。」
(ヨハネ7:46)

祭司長とパリサイ人は
イエスを捕らえようと計画しました。
そのために派遣された者たちが戻って来ましたが、
手ぶらで帰って来ました。

たぶん下役たちはこう説明したのでしょう。
イエスの話を聞いて隙を狙っていた。
分かりやすくて深い内容で
嘘も誇張も無い、真実な話だった。
誠実な人柄に感銘した。
心が温かくなり、人に親切にしたくなった。
あんな風に話す人に初めて出会った。
とても逮捕などできません。

祭司長たちはその話を聞いて
怒り出しました。

この時のイエスさまの教えを聞きたかったですね。
主イエスのことばの力は本当に別次元でした。
敵対者の心すら変えてしまう神の言葉です。

2022/05/02

イエスに従った

イエスはそこから進んで行き、
別の二人の兄弟、
ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが
父ゼベダイと一緒に舟の中で
網を繕っているのを見ると、
二人をお呼びになった。
彼らはすぐに舟と父を残して
イエスに従った。
(マタイ4:21~22)

主イエスは、ヤコブとヨハネに言われました。
わたしについて来なさいと。

二人は、すぐに、すべてを捨てて、主に従いました。
職業を捨て、舟という財産を捨てました。
父親の世話は誰かに委ねたのでしょう。

ヤコブやヨハネのように
イエスさまについて行く決心ができたなら
信仰生活は別次元になります。

主イエスのためなら
いつでも、何でもします、どこへでも行きます、
私自身をあなたにささげます、用いて下さい
という心の姿勢ができたら
主イエスの弟子としての歩みが始まります。

2022/05/01

キリストの目撃者

この方が父なる神から
誉れと栄光を受けられたとき、
厳かな栄光の中から、
このような御声がありました。
「これはわたしの愛する子。
わたしはこれを喜ぶ。」
私たちは聖なる山で主とともにいたので、
天からのこの御声を自分で聞きました。
(第二ペテロ1:17~18)

ペテロには言い残したい事がありました。

変貌山の出来事はつくり話ではない。
私がこの目で見、この耳で聞いたのだ。

あの山には神の栄光が満ちていた。
天からの声は一生忘れられない。

主イエスは、
神の子で、栄光の神なのだ。

ペテロは16節で自分を
「キリストの威光の目撃者」と述べています。

風化させたくない経験を
きちんと伝えておきましょう。
私たちも神の栄光を目撃してきたのです。