2022/12/31

今年を振り返って

主をほめたたえよ
すべて造られたものたちよ。
主が治められるすべてのところで。
(詩篇103:22)

今日は大晦日です。

今年のあなたの歩みを振り返って
漢字一字で表わしてみましょう。
うーん、それはちょっと難しいですか。

では、今年の感謝な事をピックアップして
感謝5大ニュースを書き出してみましょう。
これは、できますね。

詩篇103篇全体は
年末に読むのにふさわしい詩篇です。
主のして下さった良いことを思い起こし、
主に賛美をささげる助けになります。

今日の聖句はその最後の節に当たり、
ベートーベンの第九の合唱にまさるような
被造物すべての賛美が目に浮かぶようです。

年の最後に主をたたえましょう。

2022/12/30

お赦しください

主よ あなたの御名のゆえに
私の咎をお赦しください。
それは大きいのです。
(詩篇25:11)

私は罪人。
この自覚は主イエスを信じる時に不可欠でした。
自分では救いようのない罪人なので
救い主イエスさまに頼って信仰を持ったのでした。

主イエスを信じた後に
自分のことを罪と縁のない立派な人間だと勘違いをすると
大きな失敗をしてしまいます。

人間の罪は
除夜の鐘の数よりずっと多いのです。

一年を振り返り、
主に罪の赦しを求めましょう。

「それは大きいのです」とあります。
ありのままの自分を写す鏡を持ち続ける事が
きよさの秘訣です。

身近な人に自分の非をわびましょう。
そして、他人の罪も赦しましょう。

2022/12/29

ヘマン

これらはみな、王の先見者ヘマンの子で、
神のことばを通して王の角を高く上げる者たちであった。
神はヘマンに息子十四人と娘三人を与えられた。
これらはみな、その父の指揮下にあって、
シンバル、琴、竪琴を手に、主の宮で歌を歌い、
王の指揮下に神の宮の奉仕に当たる者たちである。
(第一歴代25:5~6)

ダビデ王とソロモン王の時代、
レビ人のヘマンは賛美の指導をした人です。

ヘマンの息子14人、娘3人も父から学び
楽器の演奏をしたり、歌うようになり、
一家をあげて神をたたえていました。

きっと家庭の中にも
自然に賛美が生まれ、
生活の中にも賛美があったのでしょう。

ヘマンは「王の先見者」とも呼ばれました。
賛美の指導者や演奏にとどまらず、
主のみこころを音楽を用いて解き明かす
預言者としても奉仕していました。

「神のことば」を通して仕えるヘマンは
音楽家である以前に礼拝者、信仰者だったのです。

礼拝賛美奉仕者の日頃の労を労い、感謝したいと思います。

2022/12/28

喪中の家

知恵のある者の心は喪中の家にあり、
愚かな者の心は楽しみの家にある。
(伝道者の書7:4)

年の瀬が近づくと
喪中につき新年の挨拶を控えさせて下さい
という通知が来ます。

葉書きを準備する遺族は
再び込み上げる悲しさを抑えながら
住所や名前を書くことでしょう。

大切な人を亡くした家庭には
深い絆ができていて、
失意と悲嘆の中にあっても穏やかで温かい心が
家に留まっている場合があります。

その反対に、うわべだけの賑やかな家には
落ち着きがありません。

知恵ある人の心が
喪中の家に向かうのはそういう理由なのでしょう。

悲しみを通ったご家族に主の慰めがありますように。

2022/12/27

父母のいないエステル

モルデカイはおじの娘ハダサ、
すなわちエステルを養育していた。
彼女には父も母もいなかったからである。
この娘は姿も美しく、顔だちも良かった。
モルデカイは、彼女の父と母が死んだとき、
彼女を引き取って自分の娘としていた。
(エステル2:7)

クセルクセス王の王妃選びが始まり、
国中から若くて美しい女性が選抜されました。
その中にエステルが入っていました。

実は、エステルの身の上は不幸でした。
彼女の父も母も亡くなっていたので
陰気な顔つきになってもおかしくありません。

養育してくれたモルデカイの愛情や配慮が
エステルに笑顔を与え、
美しさをさらに際立たせたのかもしれません。

あるいは、エステル自身の主に対する信仰が
彼女を輝かせたのかもしれません。

不幸な環境に育っても
それを感じさせないエステルの美しさ。
それは主からの賜物です。

そして、彼女の美しさは
ユダヤ民族を救うために用いられました。

2022/12/26

追求している

私は、すでに得たのでもなく、
すでに完全にされているのでもありません。
ただ捕らえようとして追求しているのです。
そして、それを得るようにと、
キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
(ピリピ3:12)

クリスチャンとして10年、20年が過ぎると
信仰の安定を得られます。
それは良いことなのですが、
信仰を持った当初と比較すると、
求める心が劣化していることに気づきます。

パウロは、違いました。
捕らえたい、追求したいという願いを
常に持ち続けていました。

パウロの探求心も素晴らしいですが、
主イエスに引っ張ってもらっているという
感覚が凄いと思います。

もっと豊かな
もっと軽やかな
もっときよい
もっとしなやかな
もっと温かな
もっと輝く
主イエスと共なる歩みを目指して行きたいです。

2022/12/25

インマヌエルの誕生

このすべての出来事は、
主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
「見よ、処女が身ごもっている。
そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
(マタイ1:22~23)

マリアは聖霊によって身ごもり赤ちゃんを産みました。
それは偶然とかアクシデントではなく、
預言者イザヤが語った預言の成就でした。

処女が身ごもる事をなぜイザヤが知ったのか、
私たちにはまったく想像もつきません。

救い主の本質がインマヌエルだと言われています。
神が私たちと共におられる、という意味ですから、
私たちはとても安心できます。
主イエスはどんな時も決して離れないお方!
どんな時もです。

イエスさま、ずっと共にいて下さい。
病気の時も、先が見えない時も、
経済的に苦しい時も、悩みで潰されそうでも、
自分が頼りにならない時も、
孤独に感じる時も、ずっとそばにいて下さい。

インマヌエルであるイエスさまの誕生をお祝いします。

2022/12/24

その名はイエス

マリアは男の子を産みます。
その名をイエスとつけなさい。
この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。
(マタイ1:21)

ヨセフは天使の言葉を聞いていました。

誕生する赤ちゃんは
ヨセフの予測をはるかに超えた
規格外のお方でした。

生まれて来る子どもは男の子。
名前はすでにイエスと決まっている。
その子が成長すると、人々を罪から救う。
この方こそ、約束された救い主なのです。

その男の子にとって、
人々とはその方の民であり、
その方とは彼らの王なのです。

人々が長く待ち望んでいた救い主、まことの王なのです。

ヨセフは、それまで動揺と不安で一杯でしたが、
神への畏敬の念で満たされたことでしょう。
引き締まった顔をして、与えられた責任を受け止めたことでしょう。

メリークリスマス。

2022/12/23

ヨセフの葛藤

夫のヨセフは正しい人で、
マリアをさらし者にしたくなかったので、
ひそかに離縁しようと思った。

彼がこのことを思い巡らしていたところ、

見よ、主の使いが夢に現れて言った。

「ダビデの子ヨセフよ、

恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。

その胎に宿っている子は聖霊によるのです。

(マタイ1:19~20)

マタイの福音書だけに
ヨセフの葛藤が記されています。

マリアの話を聞いてヨセフは動転しました。
聖霊によって身ごもったとは信じられません。

それでヨセフは密かに婚約解消することにしました。
公になれば彼女がひどい刑罰を受けるからです。
これがヨセフの愛の限界値でした。

決断を公にする直前に天使が現れ、
胎の子は、本当に聖霊による子だと教えてくれました。
恐れるなとヨセフを諭しました。
マリアを妻として迎えよ。
あなたはダビデの子孫だ。
あなたは救い主の家系につらなる者だ。

真実に気づき、自分の使命を自覚しました。
これがヨセフの信仰であり、勇気ある決断でした。

2022/12/22

マリアから始まった

イエス・キリストの誕生は次のようであった。
母マリアはヨセフと婚約していたが、
二人がまだ一緒にならないうちに、
聖霊によって身ごもっていることが分かった。
(マタイ1:18)

主イエスの誕生の様子を
詳しく記録しているのは

ルカの福音書とマタイの福音書です。

今日の箇所を読むと
マリアの葛藤が想像できます。

もちろんマリアが先に妊娠に気づきました。
ヨセフとの関係は、まだ婚約者の段階でした。
やましいことは何もありませんが、
ヨセフに信じてもらえるかどうか、
とても不安だったでしょう。

そんな中でもマリヤの信仰は純化されていきました。
み使いの言葉をそのまま信じ、
聖霊によって身ごもった事を受け入れました。
救い主の母としての自覚を持ち、
困難に立ち向かう覚悟をしていました。

マリアの信仰と勇気に感謝せずにはいられません。
彼女なしにクリスマスは来なかったのです。

2022/12/21

エッサイの根株

エッサイの根株から新芽が生え、
その根から若枝が出て実を結ぶ。
その上に主の霊がとどまる。
それは知恵と悟りの霊、
思慮と力の霊、
主を恐れる、知識の霊である。
(イザヤ11:1~2)

救い主はエッサイの家系から現れると
イザヤは預言しました。
エッサイの息子がダビデで、
その子孫がイエスさまです。

根株とは、樹木の幹を斧で切り倒し、
地表に残った切り株の事です。
ダビデ王朝は確かに一度絶たれました。

その切り株から新芽が生えると預言され、
大きく育ち、実を結ぶという希望が語られました。

若枝、成長、結実のイメージが
主の霊の宿るメシアの活躍を予告しています。

ダビデの家系を引き継ぎ、真のダビデ王家を再興する
まことの救い主が現れるのです。
品性、人格とも神の霊が豊かに宿るお方です。

イザヤの預言はクリスマスに成就しました。

2022/12/20

こういうわけで

こういうわけで、今や、
キリスト・イエスにある者が
罪に定められることは決してありません。
(ローマ8:1)

「こういうわけで」という接続詞は、日本語聖書の
ローマ人への手紙の中で5回使われています。
その中でも一番重要な箇所だと私は思います。

ご存知のようにローマ人への手紙は
論理的に組み立てられているので、
「こういうわけで」に続く文章が
明確な結論だと分かります。

人には致命的な弱さがあります。
分かっているのに罪を犯す弱さです。
律法などの人間的努力には限界があります。
けれども主イエスの贖いによるなら、
そうした限界を越えられます。
それで、「こういうわけで」と言えるのです。

キリストにある者が罪に定められることは
決してないのです。主イエスの完全な救いがあるのです。
これが揺るぐ事のない決定的な結論なのです。
ハレルヤ!



2022/12/19

踏み留まる

あなたがたは、わたしの様々な試練の時に、
一緒に踏みとどまってくれた人たちです。
(ルカ22:28)

これは、主イエスが最後の晩餐の席で
十二弟子に語られた言葉です。

今夜の食事は特別な意味がある。
にぶい弟子達でも、主イエスの雰囲気から
うすうす察していました。

主イエスと行動を共にして3年、
主イエスから直接頂いたねぎらいの言葉ですから、
弟子たちには、身に余る言葉でした。

十二弟子は、悟りが遅く、
利己的で、信仰が薄くて、
役に立たないように見えました。

でも、今日の言葉で意外な面が明らかにされました。
主イエスが苦しんだ時、
弟子たちは主イエスを支えていたのです。。
主イエスも弟子たちに感謝していました。

今日の言葉は私たちにも向けられています。

2022/12/18

ほめ歌をうたえ

神は上られる。喜びの叫びの中を。
主は行かれる。角笛の音の中を。
ほめ歌を歌え。神にほめ歌を歌え。
ほめ歌を歌え。私たちの王にほめ歌を歌え。
まことに神は全地の王。
ことばの限りほめ歌を歌え。
(詩篇47:5~7)

私たちの祈りに不足している要素は何でしょう。
それは、神をたたえる言葉です。

ただ神をほめたたえる。
それが必要なのです。

神に目を向ける部分を欠いてしまうと
祈りが不満のリストになってしまいます。

垂直方向への視点を欠くので
目線が水平方向か下にしか行きません。

今日の短い聖句に
「ほめ歌を歌え」が何回出てきましたか?

自分らしい言葉で神をたたえましょう。
神の素晴らしさをほめ歌うのです。

有名なヘンデルのハレルヤコーラスの歌詞を
自分で作詞するようなつもりで神をたたえましょう。
ほめ歌を歌いましょう。


2022/12/17

父のもとに帰ろう

悪しき者は自分の道を、
不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。
に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。
私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
(イザヤ55:7)


神を信じるとは、「帰る」ことです。

神は私たちの父でした。
私たちが罪を犯し、
神の顔をまともに見られなくなり、
神に背いて家を飛び出したのです。

ですから、神を信じるとは
魂の実家に帰ることです。

まことの神は恵みに満ちておられるので、帰って来た人を、
どんな失敗をした人も、あわれんで下さいます。
そして、罪を豊かに赦して下さいます。

神は声をからして叫んでおられます。
帰れ、わたしのもとに帰れと。

さまよっている人よ、父のもとに帰りましょう。

2022/12/16

忍耐を働かせて

むしろ、あらゆることにおいて、
自分を神のしもべとして推薦しています。
すなわち、苦難にも苦悩にも困難にも、
むち打ちにも入獄にも騒乱にも、
疲れ果てた時も眠れない時も食べられない時も、
大いなる忍耐を働かせて、
(第二コリント6:4~5)

強くて安定した信仰を持てば、
悩みも無く、睡眠不足にもならない、
なんて考えないで下さい。

パウロですら、
眠れない夜や疲れ果てた時があったのです。
そういう体験を聞いて私たちも慰められます。
ただしパウロの場合は、強盗に身ぐるみはがされたり、
鞭打たれて牢で眠れなかったという経験でしたが。

苦難、苦悩、困難と同種の言葉を3つ続けましたが、
パウロがどれだけ苦労したかが分かります。

突然の災難や苦しみは避けられません。
それが人生というものです。
でもどんな時であっても、
神のしもべとして生き通す覚悟が鍵になります。
これがパウロの誇りでした。

北風が強くても歩いて行きましょう。
神のしもべとして胸を張りましょう。


2022/12/15

二、三人で祈る

まことに、もう一度あなたがたに言います。
あなたがたのうちの二人が、
どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、
天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。
二人か三人がわたしの名において集まっているところには、
わたしもその中にいるのです。」
(マタイ18:19)

私が水曜日夜の祈祷会に出席するようになったのは
大学生の頃でした。
当時、東大宮福音自由教会の牧師は鈴木健之先生で、
先生の情熱的なメッセージを聞いて心燃やされ、
3人くらいのグループに分かれて祈りました。

鈴木先生の奥さまと同じ組になると
私はとても嬉しくなりました。
夫人の祈りが慰めに満ちていたからです。
暗記されていた聖句が自然に口から流れ出て、
その約束に基づいて大胆に願っておられたからです。
祈りで思わず涙が出たり、力づけられたりしました。

二人または三人で心を一つにして祈るなら
主イエスがそこにおられて、祈りをかなえて下さるという
今日の言葉は本当だと感じられました。

誰かと共に祈る時、その人の信仰や祈りに励まされ、
私たちの信仰も引き上げられます。

誰かと心を合わせ、
注ぎ出す祈りを体験しましょう。

2022/12/14

披露宴の席

結婚の披露宴に招かれたときには、
上座に座ってはいけません。
あなたより身分の高い人が招かれているかもしれません。
(ルカ14:8)

昔はホテルの広間で
大きな披露宴が行われていましたが、
席順が大変でした。

主イエスの時代の結婚式には
日本のような席順や名札はありませんが、
別なトラブルが起きました。

自分は名士だ、有力者だと思い込み、
一番良い席に着くと、
後からもっと偉い人が来て
上座から降りることになります。

主イエスは、このちょっと恥ずかしい話を用いて、
神の前で謙虚であることの大切さを
教えて下さったのです。

自分は立派だと思う慢心はみっともない事です。
披露宴に来ていた人々の失笑を受けないように、
神の前で謙虚な心を持ち続けましょう。

自分を低くする者が高くされるのです。


2022/12/13

獅子の穴

それで王は命令を出し、ダニエルは連れて来られて、
獅子の穴に投げ込まれた。
王はダニエルに話しかけて言った。
「おまえがいつも仕えている神が、
おまえをお救いになるように。」
(ダニエル書6:16)

ダニエルは政敵にねたまれ、
彼を狙い撃ちにした法律で有罪にされ
ライオンの穴に投げ込まれました。
腹をすかせた獣の餌食になるのです。

ペルシャ王ダレイオスが、
ダニエルの身を案じて言ったのが
今日の言葉です。

ダニエルがいつも仕えている神が
ダニエルを助けてくれるようにと王は述べました。

いつも仕えている神。
心に残る言葉です。

ダニエルは今まで主を信頼して来ました。
その信仰態度は皆に知られていました。
今回、大きな試練に遭いましたが、
今までと何も変わりません。
ライオンの穴にも主はおられます。

いつものように主に仕えていましょう。


2022/12/12

かつての自分

私たちも以前は、愚かで、
不従順で、迷っていた者であり、

いろいろな欲望と快楽の奴隷になり、

悪意とねたみのうちに生活し、

人から憎まれ、互いに憎み合う者でした。

(テトス3:3)

若い頃の日記を読むと赤面しますね。
今日の聖句もそれに近い感覚になります。
主イエスを知らなかった時の
自分の姿を思い出すからです。

私は愚かでした。
確かに道に迷っていました。
何かに支配され、奴隷状態でした。

心の中には悪や憎しみや妬みが住んでいました。
問題への対処も不適切で、
嘘をついたり、不正な方法でしのいでいました。

イエス・キリストの十字架によって罪赦され、
新しい自分にされた事が驚きです。

古い自分を脱ぎ捨てて新しい人を着て
ニューファッションにドレスアップしたのです。
オールドファッションの自分に戻るのはダサイですよ。

2022/12/11

愛にとどまる

父がわたしを愛されたように、
わたしもあなたがたを愛しました。
わたしの愛にとどまりなさい。
(ヨハネ15:9)

帰宅途中に冷たい土砂降りにあったら
熱めのシャワーをあびるか、お風呂に入りますね。
温かい湯舟に浸かっているだけで
体がじわーと温まります。

ヨハネ15章では
「とどまりなさい」と何度も繰り返されています。

努力したり、勇気を出すことではなく、
じっとしていることが大事なのです。
愛されていることを味わい、
心を温めてもらうのを待つのです。

私たちは携帯電話に似ていて
愛の充電をしてもらわないと
誰かを愛せないのです。

主イエスも父なる神の愛を受けていました。
私たちも主イエスの愛の中に
しっかりとどまりましょう。

2022/12/10

素晴らしいサポーター

あなたを造り、
あなたを母の胎内にいるときから形造り、
あなたを助ける主はこう言う。
わたしの選んだエシュルンよ。
(イザヤ44:2)

まことの神はどんな方でしょう。
第一に、私を造った方です。
第二に、私を助けて下さる方です。
第三に、ずっと共におられた方です。
第四に、私を選び、何かを任せようとされた方です。

エシュルンとは、「正しい者」という意味です。
私たちを選んで下さった神が正しいお方なので、
私たちを正しい道に導いて下さるのです。

母親が出産予定日を待ちわびるように
主は私達の誕生を楽しみにしておられました。
だから、第五に、私たちの神こそ最高のサポーターなのです。
それに応えて私たちのピッチで最高のプレーをしましょう。

私達のサポーターは最後まで応援をやめない方です。

2022/12/09

私の命は守られている

今日、私があなたのいのちを大切にしたように、
は私のいのちを大切にして、
すべての苦難から私を救い出してくださいます。
(第一サムエル26:24)

ダビデは無実の罪でサウル王に追われ、
何度もあぶない目にあいました。

それなのに、サウル王を殺害できるチャンスが来ると
逃がしてやるのです。
神に油注がれた方には手を下さないとの理由でした。

今日の聖句は、サウルの命を救った後の
ダビデの言葉です。

自分で復讐しないが、神がすべての苦難から救って下さる。
これがダビデの本音であり、信仰から出た確信でした。

神はあなたの命を大切に思っておられます。
あなたは守られています。

目の前のサウルに目を向けず、
主を見上げましょう。

 

 

2022/12/08

ローマ兵たち


それから、総督の兵士たちは
イエスを総督官邸の中に連れて行き、
イエスの周りに全部隊を集めた。
そしてイエスが着ていた物を脱がせて、
緋色のマントを着せた。
(マタイ27:27〜28)

イエスさまの十字架刑が決まった後、
ローマ総督に属するローマ兵たちは

余興のような事を始めました。

わざわざ全部隊を招集したようです。
辺境のユダヤで辛い任務にあたる兵士達は
いつも苛立っていたのでストレス解消が必要でした。

兵士らはイエスさまの着ていたものを脱がせました。
恥辱を与え、人間性を貶めることになるので
これだけで大笑いが起きたでしょう。
緋色のマントを着せて王に見立てました。
茨を王冠代わりに頭に乗せました。
兵士らはその前にひざまずき、
暴力をふるい、唾をかけました。

この兵士の誰かが、後にクリスチャンになったとすれば、
どれほど自分を責め、悔いの涙を流すことでしょう。

暴力を受け、人間性をはく奪されても、
これらの兵士の罪のためにも十字架で死なれた
私達の主をたたえます。

2022/12/07

真実の愛は変わらない

たとえ山が移り、丘が動いても、
わたしの真実の愛はあなたから移らず、
わたしの平和の契約は動かない。
──あなたをあわれむ方、は言われる。
(イザヤ54:10)

12月14日は討ち入りの日。

日本人が大好きな「忠臣蔵」の
登場人物の一人、大阪商人の名台詞があります。
赤穂浪士の討ち入りの武器を準備し、
当局から尋問されても口を割らず、
「天野屋利兵衛は男でござる」と述べます。
忠義を貫く姿に心打たれた人が多いことでしょう。

私たちの神は、
山が移っても丘が動いても、
私たちを愛し続ける、
約束を必ず守ると
はっきりと語られました。

今日の聖句を歌舞伎で演じたらどうでしょう。
六法踏んで、大見得切って、
あなたを愛するお方は
約束を~~~守られる~~~~~!

あなたへの神の愛は微動だにしません。

2022/12/06

クリスマスビデオメッセージ

2022年版のクリスマスメッセージができました。
下の写真をクリックしてご覧ください。
https://vimeo.com/778391826


他の町へ

しかしイエスは彼らにこう言われた。
「ほかの町々にも、
神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。
わたしはそのために遣わされたのですから。」
(ルカ4:43)

ガリラヤ湖畔のカペナウムの町で主イエスは大人気でした。
この前日、多数の人が主イエスによって病気が癒されたので
今日も同じような日になると弟子たちは思っていました。

ところが主イエスは、ほかの町に行こう、
そこに福音を伝えようと言われました。

病人の癒しに専念する人は医者です。救い主ではありません。
主イエスは、福音を知らせること、十字架につくこと、
その使命から決してぶれないお方でした。

私達クリスチャンも一つの願いを持っています。
一人でも多くの人がイエスさまを信じて救われてほしい。
私達にとっての「ほかの町々」に目を向けましょう。

私達は主イエスの足跡に従う者ですから、こう言えます。
「わたしはそのために遣わされたのですから」

2022/12/05

力に満ちて

しかし、私には力が満ちている。
主の霊によって、公正と勇気に満ちている。

ヤコブにはその背きを、

イスラエルにはその罪を告げる。

(ミカ3:8)

預言者ミカは
偽預言者たちを痛烈に批判しました。
あなた達は何も見えていないし、
神の答えも聞くことができず、
空しい言葉しか語れず、
結果的に人を惑わしていると。

預言者ミカは、こんなふうに活動できている事を
内心は驚いていたのでしょう。
この力強さは自分から出ていないと気づいていたのです。

自分の力の源は神にある。
私は神から風を受けて進む船だ。

主の霊に導かれているから
正義を語り、勇気をもって行動できる。

私たちにも主の力が与えられています。
主の力はあなたにも満ちています。

 

2022/12/04

昔はよかったな

「どうして昔のほうが今より良かったのか」
と言ってはならない。

このような問いは、知恵によるのではない。

(伝道者の書7:10)

昔は良かった、と思い出すことがあります。

多くの場合、それは美化された過去です。
フォトショップで加工された写真のようで
事実はちょっと違っていました。

今がつらいので
楽しかった過去にばかりに目が行ってしまい
今の感謝を見過ごしてしまいます。

こうした考えは
神から頂く知恵とは別物です。

今を生きましょう。
今日の感謝を見つけましょう。
今日、善を行い、愛を届け、新しい事にチャレンジしましょう。

未来を作るのはあなたです。

2022/12/03

腹を立てるな

悪を行う者に腹を立てるな。
不正を行う者にねたみを起こすな。
彼らは草のようにたちまちしおれ
青草のように枯れるのだから。
(詩篇37:1~2)

あなたの周囲に悪者がいますか。
その人のやり方に腹が立ちますか。

ダビデは言いました。
腹を立てるな、そのうち消えると。

夏の間、雑草はわが物顔で
ぐんぐん伸びますが、
12月になると黄色くなって
立ち枯れ状態になります。

悪者も同じだというのです。
その背後には主の御手があると
ダビデは言いたいのです。

神は正義の神ですから
悪を滅ぼされます。

自分で復讐しないで、悪者に腹を立てず、
涼しい顔で主を見上げていましょう。