2022/07/31

知られていない食べ物

ところが、イエスは彼らに言われた。
「わたしには、あなたがたが知らない食べ物があります。」
(ヨハネ4:32)

弟子たちが主イエスに
「食事ですよ」と知らせる場面がありましたが、
イエスさまは意外な事を言われました。

あなたがたの知らない食べ物があるんだよ。

弟子たちは、誰かが食べ物を持って来たので
イエスさまが召しあがられたのだと思いました。

主イエスの食べ物とは
父なる神のみこころを行う事でした。

十二弟子は、きっと不思議そうな
合点の行かない顔をしたことでしょう。

食物は食べる時に喜びを与えてくれます。
ご自分を遣わした方のみこころを行う時
主イエスは一番の喜びを感じておられました。

そういう食べ物があるのです。

2022/07/30

不毛の地に住む

主はこう言われる。
「人間に信頼する者はのろわれよ。

肉なる者を自分の腕とし、

心が主から離れている者は。

そのような者は荒れ地の灌木。

幸せが訪れても出会うことはなく、

焼けついた荒野、住む者のいない塩地に住む。

主に信頼する者に祝福があるように。

その人は主を頼みとする。

(エレミヤ17:5~7)

主に背を向けて、
自分の力だけを頼りに生きていく人は
以下のようになると主は言われます。

その人は荒れ地にしがみつく灌木のようだ。
不毛な塩地で生活するのと同じだ。
幸せがやって来ても気づかない。

孤立と不毛を感じさせる表現です。

祝福に満ちた人生を送りたいなら
主を認め、主を信頼する事です。

潤いと喜びは
主から注がれてきます。
主への信頼は最も価値ある態度なのです。

主に信頼する者に祝福があるように。

2022/07/29

これこそ私の慰め

どうか、あなたのしもべへのみことばを
心に留めてください。
あなたは、私がそれを待ち望むようになさいました。
これこそ悩みのときの私の慰め。

まことに あなたのみことばは私を生かします。
(詩篇119:50)

私たちの名前は「悩む者」です。

次から次へと
色々な悩みがやって来ます。
健康の悩み、仕事の悩み、
人間関係の悩み、家族が背負った悩み、
過去の悩みと将来の悩み。
本当にきりがありません。

でもそんな時、誰かの一言で
ほっとする事がありますね。

今日の詩篇では
神の言葉が悩みの時の
最大の慰めになったと書いてあります。

悩みの時の慰めは神の言葉からきます。
私たちを生かすのは神の言葉です。

2022/07/28

真珠よりも

しっかりした妻をだれが見つけられるだろう。
彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。

(箴言31:10)

満員電車で足を踏まれて
にらみつけたらイケメンで、
「もしかして運命の出会い」と微笑む人が
………いないですね。

仲の良い夫婦になる秘訣は
TVアナウンサーのようなの夫、気立の良い女優のような妻を
ゲットする事ではありません。

素晴らしい配偶者に出会えた事が
主からのプレゼントなのです。
最高の真珠より輝いています。

その人に出会えた事を感謝し、
相手の幸せを願い、
互いに尊敬し、高め合い、支え合う事が
幸せな夫婦を作ります。

世の夫達よ、この聖句に触発されて
今日は妻をたたえ、感謝を述べようではありませんか。

あなたと出会えて本当に良かったと。

2022/07/27

あわれんでください

主よ、あわれんでください。
私たちはあなたを待ち望みます。

朝ごとに私たちの腕となり、

苦難の時の、私たちの救いとなってください。

(イザヤ33:2)

暑くて食欲がなく、元気も出ない。
あなたは夏バテですか。

心が夏バテという人もいますね。

今日の聖句は
弱り切った人への
慰めの言葉です。

弱り果てた時は、ただ、
「あわれんでください」と祈って下さい。

自分の力では何もできません。
頼れるのは主よ、
あなただけです。
あわれんでください。

主は苦難の時の確かな助けです。


 

2022/07/26

願いを吟味する

イエスは答えられた。
「あなたがたは自分が何を求めているのか分かっていません。
わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」
彼らは「できます」と言った。
(マタイ20:22)

主イエスは、エルサレムを目指して歩み始め、
人の子は十字架で殺されよみがえると予告されました。

ヤコブとヨハネは、彼らの母親にその話をしたようです。
今を逃してはなるものかと母は思ったのでしょう。
その時が来たら私の二人の息子をあなたの側近にして下さい
と主イエスに直談判しました。

「できます」という二人の答えを聞かれて
何も分かっていないと主は戒めました。

あなた達の求めは的外れで
利己的な求めしか頭にない。
これから起きる悲惨さを理解できず
十字架の苦難に耐える力を持っていない。

人の上に立つ事だけに目を奪われるなら
傲慢と失敗に足を奪われます。

今持っている願いを
主の手にゆだねて
静かな心で吟味してみましょう。

2022/07/25

くまなく

主はすべてのものにいつくしみ深く
そのあわれみは

造られたすべてのものの上にあります。

(詩篇145:9)

最近のお店や病院のシステムは
事前に予約した人が優先され
その場で待っている人が後回しにされるので
えっ!と思う事が時々ありますね。

でも、神の愛には区別はありません。

雨がその地域全体に降り注ぐように
太陽の光が全地を照らすように、
神は、私も、私の家族も、そして、
あなたが大嫌いなあの人も愛しておられます。

神の愛はすべての人に及んでいる。
その事実に気づくと、
他者への眼差しが変わるかもしれませんね。

2022/07/24

どの道を行くか

幸いなことよ
全き道を行く人々

主のみおしえに歩む人々。

幸いなことよ

主のさとしを守り

心を尽くして主を求める人々。

まことに 彼らは不正を行わず

主の道を歩みます。

(詩篇119:1~3)

山道では登山道から外れないように歩きます。
雨の日はぬかるみを歩きたくありません。
遠回りは無駄ですから最短の道を行きたいです。

日常生活で誰もが
無意識のうちに良い道を選んでいますね。

私たちが歩きたい道は
「全き道」、「主の道」です。

私たちが模範にしたいのは
「主のみおしえ」「主のさとし」です。

不正という横道は嫌です。
心を尽くして主を求めて行きたいです。

今日はどんな道を歩きますか。
主の道を選んで進みましょう。

2022/07/23

よみがえります

イエスは彼女に言われた。
「あなたの兄弟はよみがえります。」
(ヨハネ11:23)

主イエスが到着された時は
ラザロが亡くなって4日目でした。
 

兄弟を失って悲しみの中にいたマルタは、
気持ちを主イエスにぶつけて言いました。
ここにあなたがいて下さったら
ラザロは死ななかったでしょうと。

それを聞かれた主は
思いもかけないことを言われました。
「あなたの兄弟はよみがえります」

涙にかすんだマルタの目は
神の子であるイエスさまの
本来の姿を見失っていました。

希望という窓を
私たちは自分で閉じやすいのです。

主イエスの言葉を今日のあなたに
当てはめてみて下さい。
どんな可能性が見えてきますか。

2022/07/22

与えるため

人の子も、
仕えられるためではなく仕えるために、
また多くの人のための贖いの代価として、
自分のいのちを与えるために来たのです。
(マルコ10:45) 

若い頃は
もっと上に登りたいと思うものです。

何かを身に着けたい、
何かを獲得したい、
何かで目立ちたい、
何かの分野で上に立ちたい。

主イエスが常に心に持っておられた事は
仕えたい、与えたい、そして、
人々を生かしたい、という思いでした。

そのような心を
私たちみんなが持っていたら
社会は素晴らしくなるでしょう。

仕える心と与える心を
今日、胸に入れておきましょう。

2022/07/21

牛がいなくなっても

いちじくの木は花を咲かせず、
ぶどうの木には実りがなく、

オリーブの木にも実がなく、

畑は食物を生み出さない。

羊は囲いから絶え、

牛は牛舎にいなくなる。

しかし、私は主にあって楽しもう。

私の主、神は、私の力。

私の足を雌鹿のようにし、

私に高い所を歩ませる。

(ハバクク3:18〜19)


凶暴な敵が攻めて来る。

その結果、国土が荒れ果てる。

預言者ハバククにはその姿が予測できました。


その日、イスラエルの人々には生命線と思われる

穀物、果樹、家畜の全てを失います。


状況に基づく感謝なら

神をたたえる言葉は出てきません。


ハバククは、状況によらない賛美を始めました。

「主にあって」という言葉が鍵です。

状況に一喜一憂するのでなく、

変わらない神に目を向けるのです。


どんな時にも神の愛と守りは変わりません。

何があっても神は私の神です。

2022/07/20

あなたは主です

イエスは彼らに言われた。
「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」

シモン・ペテロが答えた。

「あなたは生ける神の子キリストです。」

(マタイ16:15~16)

大学1年の時、クラスメイトに頼まれました。
「次の授業を欠席するから代返してくれる」
出席を取る時に「ハイ」と私に言ってくれという依頼です。

私が断ると、その男性は目を丸くして驚き
その理由を聞いてきました。
私はクリスチャンだから嘘はつきたくないと答えました。
彼はその話が聞きたいと言って、
空いてる時間に図書館で話すことになりました

突然訪れた信仰告白の場面でした。

主イエスは十二弟子に質問しました。
世間は人の子について何と言っているか、
そして、あなた自身はどう思うかと。

ペテロはきちんと自分の意見を言い、
主イエスは生きているまことの救い主ですと
はっきり信仰告白をしました。

教会でも、職場でも、友達の中でも、
思いもかけない場面でも、
主イエスは私の救い主と告白したいですね。

2022/07/19

いなくなる

もうしばらくで 悪しき者はいなくなる。
その居所を調べても そこにはいない。

(詩篇37:10)

怒るな。悪者に腹を立てても無駄な事。
それが詩篇37篇で貫かれているテーマです。

悪者がはびこっているようでも、
いつか、必ず、
その悪者が消える日が来るのです。
だから怒る必要はないのです。

居所を探しても
悪しき者はいなくなるのです。

早朝に霧が出ても
私たちは気にしません。
太陽の光が出れば消えるからです。

悪しき者の消え方は色々あります。
主は悪を放置されません。

2022/07/18

新しい霊

わたしは彼らに一つの心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を与える。
わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、
彼らに肉の心を与える。
(エゼキエル書11:19)

エルサレムの人々は神から心が離れ、
外国からの攻撃を受けても
悔い改めることがありませんでした。

預言者エゼキエルは
そんな人々に主の言葉を伝えました。
やがて戦争に負け、
東方の国に無理やり移住させられるだろう。
けれどもいつか帰還することができる。

その時には、かたくなだった人々の心が
主によって変えられるというのです。

石のように固い頑固な心が
柔らかな肉の心になり、
新しい霊を持つようになるのです。

これこそが神のわざです。
新しい霊は神しか与えることができません。

主よ、私の心を
あなたの力によって新しくして下さい。

2022/07/17

大きな都

ましてわたしは、
この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。
そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と
数多くの家畜がいるではないか。」
(ヨナ4:11)

これはヨナ書の最後の部分です。

アメリカから一時帰国の時の私は
日本の景色がすべて珍しく
また懐かしく感じました。

高速道路にゴミが落ちていない事や、
東京の電車が分単位で発着するのに驚きました。

電車から見える景色も久しぶりなので
子供のように私は窓からずっと見ていました。

向こうまで見えないくらいに
たくさんのビルや民家やマンションがありました。
何人住んでいるのだろう。
イエスさまの福音を聞いたことがあるだろうか。

もし、ヨナが現代に生きていたら、
主はヨナを電車に乗せたかもしれませんね。
満員電車で不満を口にするヨナに、
右も左も分からない1億の人がいるんだよと
語られたかもしれません。

私たちは大きな都に住んでいるのです。




2022/07/16

二人の母親

すると生きている子の母親は、
自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、
王に申し立てて言った。
「わが君、お願いです。
どうか、その生きている子をあの女にお与えください。
決してその子を殺さないでください。」
しかしもう一人の女は、
「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、
断ち切ってください」と言った。

(第一列王3:26)

ソロモン王は、名声や富ではなく、
民を導く知恵を主に願いました。
この裁判はその知恵の一例として有名です。

一緒に暮らしていた二人の母親がいました。
同じ時期に生まれた赤ちゃんがいましたが、
寝ている間に赤ちゃんの一人が亡くなりました。

生きてる赤ちゃんが自分の子だと二人が譲らず
法廷で争いになりました。

ソロモンは二人の話を聞いて、
生きてる子を半分に切り
それぞれに与えよと命じました。

一方の母親はそれに賛成し、
他方の母親は身を引きました。

その様子を見たソロモンは
身を引いた母親にその子を与えました。

見事な”大岡さばき”です。

わが子を失う決意をした女性が
赤ちゃんを取り戻しました。
ゆだねると与えられるのですね。

2022/07/15

朝明けに

しかし私は、よ あなたに叫び求めます。
朝明けに私の祈りは御前にあります。

(詩篇88:13)

夏が来ると思い出す、
バイブルキャンプの高原の朝。
野外で聖書を読んで祈った
すがすがしいデボーションの時を。

ここは愛知県で軽井沢ではないのですが、
朝、静かに祈ると
心だけでも高原にいるように感じませんか。

前の晩、もやもやしていた事も
朝の光で見直すと
すっきりと全体像が見えてきます。

朝、祈ると、平安が与えられ、
主のみこころが見えてきます。

主よ、私の祈りは御前にあります。
あなたがおられるので今日も生きていけます。
私はあなたを愛します。たたえます。
あなたの栄光のために私をささげます。



 

2022/07/14

帰っておいで

 あなたは、彼らに言え。
はこう言われる。

人は倒れたら、起き上がるものではないか。

離れたら、帰って来るものではないか。

(エレミヤ8:4)

3歳前後の子供ってすごいですね。
いつも、歩いて、ころんで、立ち上がる。
転ぶことが仕事みたいです。

大人が転ぶと大変です。
骨折したり、入院することになります。

主は預言者エレミヤを通じて
今日の言葉を語られました。

倒れたら立ち上がるものだ。
離れたら、帰ってくるものだ。
でも、イスラエルの民には
その常識が通じないと主が嘆いておられるのです。

主の元に戻りましょう。
離れたら帰るものなのです、
私たちの父のもとに。

2022/07/13

ひざまずく心

来たれ。ひれ伏し 膝をかがめよう。
私たちを造られた方 主の御前にひざまずこう。
(詩篇95:6)

私たちは日常生活で、
誰かの前にひざまずくことはありません。
それは屈辱的な姿勢だからです。

国によっては今でも王様がいて、
その国民は王に対して尊敬を表し
儀礼的なお辞儀をしますが、
ひざまずくことはまず無いでしょう。

詩篇95篇は喜びと賛美の詩篇で有名です。
神の偉大さをたたえ、喜びにあふれています。
その中で、
共にひれ伏し、ひざまずいて
主を礼拝しようと人々を招いています。

自発的で、喜びがあって、
心の中に大きな納得がなければ
ひざまずくことはできません

感謝と尊敬と賛美と
神の偉大さへの感嘆の念が
私たちを礼拝へと導きます。

日曜日の礼拝の時、
ひざまずく心を大切にしたいです。

2022/07/12

やっぱり辞退します

すると彼は言った。
「ああ、わが主よ、
どうかほかの人を遣わしてください。」
(出エジプト記4:13)

モーセともあろう人が
こんな事を言うとは!

燃える柴の中でモーセは主にお会いしました。
杖を投げれば蛇になり、
懐に手を入れれば、恐ろしい姿に変わり、
ナイルの水を血に変えるという
奇跡の力も主から頂いたばかりでした。

口べたで自信がありませんとモーセが言えば、
誰が口を付けたのかと主に叱られました。

その後で言った言葉が今日の箇所でした。
しっかりしてよ、モーセさん、と
言いたくなります。

でも、よく見るとこれは
私の姿であり、あなたの姿です。

何かを引き受けた後で辞退したことがありませんか?
急に失敗が怖くなったことがありませんか?

今のあなたをご存知の上で神は任命されました。
その信頼に応えましょう。

「私を遣わして下さい」と言って
その任務を全うしましょう。

2022/07/11

食べてもいいよ

隣人のぶどう畑に入ったとき、
あなたは思う存分、
満ち足りるまでぶどうを食べてもよいが、
あなたのかごに入れてはならない。
隣人の麦畑の中に入ったとき、
あなたは穂を手で摘んでもよい。
しかし、隣人の麦畑で鎌を使ってはならない。

(申命記23:24~25)

最近、農作物や家畜の盗難がニュースになります。
本当に心が痛みます。やめてほしいです。

今日の聖句は、実に大らかです。

お腹が空いて困った人がいたら、我が家の畑から
少し食べても構わないというのです。

ただし、かごに入れたり、鎌で刈るのは禁止です。
有料のイチゴ狩りではないので。

お互いさま、一緒に生きて行こう、
広く考えればみんな一つの家族なのだから。
そんな考えが土台にあるようです。

災害が襲った時などは、
みんなで助け合おうという気持ちになります。

普段の時でも、ゆとりのある心を持っていたいです。
みんなが笑顔になる社会にしたいですね。

2022/07/10

聖書の末尾

これらのことを証しする方が言われる。
「しかり、わたしはすぐに来る。」
アーメン。主イエスよ、来てください。

主イエスの恵みが、
すべての者とともにありますように。
(黙示録22:20)

聖書の最後の言葉です。
これで聖書は完結しました。

使徒ヨハネは、
主イエスの約束を最後に書き入れました。
必ず戻ると主イエスは確約され、
この地に帰る準備は整っているように見えます。

私たちもこの約束を受け止め、
アーメンと唱和し、主イエスの到来を
待ち望みたいと思います。

この最後の祝福の祈りは時代を超え、
全世界を包む祈りです。

神の言葉、聖書は
すべての人への恵みを願う
神の思いで締めくくられました。

主イエスよ、来てください。

2022/07/09

愛が示された

神はそのひとり子を世に遣わし、
その方によって

私たちにいのちを得させてくださいました。

それによって

神の愛が私たちに示されたのです。

(第一ヨハネ4:9)

高校時代の私が教会に通うようになり
とても強く衝撃を受けた聖句の一つが
今日の言葉でした。

すごい、神の愛は本当にある。
十字架の中に神の愛が現わされていた。
神はこんな私も愛して下さっている。

ひとり子のイエスさまの命を注いで
私を救って下さるとは、
何という愛なのでしょう。

私の中にイエスさまの命が生きている。
神に生かされている。

この聖句は、
まるで公開ラブレターのようです。

あなたも、私も、
神に熱烈に愛されています。

2022/07/08

サムソンが祈った

サムソンは主を呼び求めて言った。
「神、主よ、どうか私を心に留めてください。
ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。
私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。」
(士師記16:28)

サムソンは、実のところ、
宿敵ペリシテ人に対しての壁となり、
強い用心棒として20年間も民を導いた指導者でした。
(士師記16:31)

ただし、しょっちゅう女性を追い回し、
乱暴で手に負えない男であったのは事実です。

サムソンは、うかつにも、髪の毛を切られて力を失い、
敵に捕らえられ目をえぐられてしまいました。

大勢のペリシテ人がダゴンの祭りで集まり
サムソンは見世物にされていましたが、
最後の力で会場を破壊しようとして
主に祈りました。
それが聖書に記録されている彼の唯一の祈りでした。

今までは、当たり前のように
主の霊によって怪力を出していましたが、
初めて主の力を求めました。
復讐心が先にたっていましたが、結果的に、
イスラエルのために命を捨てることになりました。
人生の最期に信仰に目覚めた人でした。

主を呼び求めましょう。
もっと早くから、主により頼みましょう。

2022/07/07

へりくだりなさい

ですから、あなたがたは
神の力強い御手の下にへりくだりなさい。
神は、ちょうど良い時に、
あなたがたを高く上げてくださいます。

(第一ペテロ5:6)

「元気のないあなたは素敵」と
<私の横にいる人>が言ってくれます。
(ありがとう。愛してるよ!)

成功したり調子に乗っている時の私は、
良くないそうです。

ペテロは、へりくだりなさいと言いました。
主イエスは人となられた神でした。

へりくだる事がつらい時もありますが、
信仰者にとって謙虚である事は必須です。

神さまの御手の下で謙遜でいるなら、
神の守りがあります。

そんなふうにしていると、苦労が報われ、
あなたが高められる時がきます。
その時は、主の御名をたたえましょう。
あなたは主イエスの足跡をたどっているのです。

2022/07/06

満たされて

金銭を愛する生活をせずに、
今持っているもので満足しなさい。
主ご自身が
「わたしは決してあなたを見放さず、
あなたを捨てない」と言われたからです。
(ヘブル13:5)

今のあなたの生活、どうですか。

満たされていると感じますか。
あれもこれも不足していると思いますか。

あまり大きな声で言えませんが
私たち夫婦は、日本にいた若い時も、
アメリカにいた時も、
経済面では厳しかったです。
子供にもそういう面で苦労をかけました。

そんな状態だったので、
小さな事がとても嬉しく感じました。
いただきものは輝いて見えました。

人と比較すると不満に陥りやすくなります。
今あるものを感謝すると主を身近に感じ、落ち着けます。

主は見捨てないお方です。
何十年もそう感じてきました。
主の約束は本当です。

2022/07/05

求めるか、あきらめるか

求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

(伝道者の書3:6)

新築の家も、いつかは老朽化して
取り壊す時が来ます。
家を建てて住み始めたばかりの夫婦は
そんな事は考えません。

若い時は求める事がたくさんあり
獲得する喜びを味わいます。
そのための努力や忍耐の期間ですら
人生の喜びの一コマになります。

主は、良いものをふさわしいタイミングで
私たちに与えて下さいます。
永遠の視点で見るなら
私たちのすべての持ち物や賜物は
主から貸し与えてもらったものですね。

老人たちは
あきらめる事が増えていきます。
この世を離れてすべてを手放す瞬間に備えての
準備なのかもしれません。

今のあなたの意識はどちらにありますか?
求めること。
手放すこと。

どちらも意義ある決断です。

2022/07/04

人々がやって来た

それから、イエスは弟子たちとともに湖の方に退かれた。
すると、ガリラヤから出て来た非常に大勢の人々がついて来た。
また、ユダヤから、エルサレムから、イドマヤから、
ヨルダンの川向こうや、ツロ、シドンのあたりからも、
非常に大勢の人々が、イエスが行っておられることを聞いて、
みもとにやって来た。
(マルコ3:7~8)

初期ガリラヤ伝道の時に、
主イエスは大勢の病人をいやしました。
心に染みる優れた教えを語られました。
その噂はあっという間に広まりました。

都エルサレムの人が田舎のガリラヤまで来ました。
海沿いの貿易都市ツロやシドンからもやって来ました。
ヨルダン川の向こうからも集まりました。

もし、主イエスの噂が事実と違うなら、
こうした人々によって悪い評判が立ち、
主イエスの活動は続けられなかったでしょう。

敵対するパリサイ人も主イエスの奇跡を否定できず
悪霊の仕業にするしかありませんでした。

イエスさまは本物です。その教えも奇跡も否定できません。
多くの人にこの方を知ってほしいです。

2022/07/03

海のとどろき

あなたは 海のとどろきを鎮められます。
その大波のとどろき、
もろもろの国民の騒ぎを。

(詩篇65:7)

◎佐渡ヶ島のある海岸を歩いた時、驚きました。
砂ではなく、小石の浜だったからです。
波が寄せたり返したりすると
丸く削られた小石がゴロゴロと音を出しました。

◎気象記録としての世界一高い波は
20mを超えたことがあるといいます。
想像もつかない巨大な波です。 


人間の力ではどうにもできない
海の力、海のとどろきですが、
神だけがその波を静めることができます。

「黙れ、静まれ」(マルコ4:39)
と主イエスは言われて、
嵐のガリラヤ湖を穏やかな湖面にされました。

主よ、
私たちが受けている試練の波を静めて下さい。
世界の国々を静めて下さい。

2022/07/02

私の手にあるもの

モーセは答えた。
「ですが、彼らは私の言うことを信じず、
私の声に耳を傾けないでしょう。
むしろ、『主はあなたに現れなかった』と言うでしょう。」
主は彼に言われた。

「あなたが手に持っているものは何か。」
彼は答えた。「杖です。」
(出エジプト記4:1~2)

モーセはイスラエルの民のリーダーとして
主から召し出されました。
でも、実績も自信もなかったので
頭に浮かぶのは
否定的な場面ばかりでした。

きっと皆は私の話など聞かないし、
主と出会った事も信じてくれないとモーセは考えました。

あなたの将来は、どっちですか。
明るい? 暗い?

「あなたが手に持っているものは何か」と
主はモーセに言われました。意味が深いです。
今、手に持っているものが
未来を明るくするのです。

その杖を地面に投げてみると蛇になりました。
主との出会いが本物だと証明してくれます。

私の手にあるものとは何でしょう。
それを用いて主と人にお仕えしましょう。

2022/07/01

善を行う

あなたの手に善を行う力があるとき、
受けるべき者にそれを控えてはならない。
(箴言3:27)

誰かの話を聞いたり、
ある場面に遭遇した時、
その人のために何かしようと
心で決めることがあります。

ところがちょっと時間がたって
その良いことを忘れてしまい、
実行チャンスを失うことがあります。
あなたもそんな経験がありませんか。

善を行うようにと示されたら、
福音を伝えようと導かれたら、
聖霊の助けを頂き、祈りながら
やってみましょう。

あなたの頭に
何か思い当たることが
浮かびませんでしたか。