2023/12/31

31日 確かにあった

エズラは王の第七年の第五の月にエルサレムに着いた。
すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発した。
彼の神の恵みの御手は確かに彼の上にあり、
第五の月の一日に、彼はエルサレムに着いた。
(エズラ7:8~9)

エズラは律法に通じた学者でした。

彼は遠くペルシアに住んでいて、
アルタクセルクセス王に信頼された人物でした。

ネヘミヤと同じような道をたどり、
アルタクセルクセス王の正式な許可を得て
バビロンを旅立ちエルサレムに到着しました。

祭司やレビ人を含む多くのユダヤ人を引き連れて
エルサレムに帰還することになったので
旅には多くの日数を要しました。

出発は第一の月、たどり着いたのは
第五の月でした。

長い旅を振り返ってみると、
確かに神の恵みの御手がありました。

2023年が終わります。私たちの一年間が守られました。
神の恵みの御手が確かにありました。

主よ、感謝します。あがめます。

2023/12/30

土に過ぎないが

父がその子をあわれむように
主はご自分を恐れる者をあわれまれる。
主は私たちの成り立ちを知り
私たちが土のちりにすぎないことを
心に留めてくださる。
(詩編103:13~14)

人は土から造られ、また土に帰る。
遺体を埋めれば土に帰り、
燃やせば灰になります。

神はその土に命を吹き込み、
長い年月を生きることをゆるされました。

土に過ぎない私たちに対して
父がその子に深い愛情を感じるように
神は私たちを見つめ、共にいて下さいます。

この一年はどんな年でしたか。
静かに振り返り、
主に感謝し、賛美をささげましょう。

高山植物は短い夏に可憐な花を咲かせます。
70
8090年の人生を与えられたので
私たちも神に向かって咲きましょう。

愛情豊かな父なる神は今年も
私たちを深くあわれんで下さいました。
感謝します。

2023/12/29

赦されています

そして彼女に、
「あなたの罪は赦されています」と言われた。
(ルカ7:48)

主イエスはパリサイ人の家におられました。
そこに一人の女がやって来て、
主イエスの足を涙で濡らし、香油を塗りました。

その女性は「罪深い女」と呼ばれています。
常識人からは軽蔑されていました。
その家の持ち主パリサイ人シモンからは
特に蔑視されました。

主イエスはそうした人々を意識しながら
女性にはっきり言われました。
「あなたの罪は赦されている」と。

女性の悔い改めが真実であるとお認めになりました。
過去の生き方がどんなに汚れていても
主イエスはその罪を赦すお方です。

女性は主イエスの言葉を聞き、
神の愛の大きさに感激したことでしょう。
未来を自ら否定して来た女性でしたが
主イエスに出会って
将来の希望を見い出す事ができました。

「赦されています」
ありがたい言葉です。

2023/12/28

海の深みに

あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。
あなたは咎を除き、ご自分のゆずりである残りの者のために、
背きを見過ごしてくださる神。
いつまでも怒り続けることはありません。
神は、恵みを喜ばれるからです。
もう一度、私たちをあわれみ、
私たちの咎を踏みつけて、
すべての罪を海の深みに投げ込んでください。
(ミカ7:18~19)

神は私たちの咎を除き去り、
私たちの罪を見過ごして下さり、
怒り続けることのない方です。

何度も失敗する私たちを見捨てず、
あわれんで下さる方です。

マリアナ海溝、8000mの海底まで
大きな鉄の塊を落とすと考えてみて下さい。

この一年を振り返ると自分の足らなさに気づきます。
罪を犯しました。
失敗もありました。
主よ、この年末、
もう一度、私をあわれんで下さい。

2023/12/27

いつもの道具

そして自分の杖を手に取り、
川から五つの滑らかな石を選んで、
それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、
石投げを手にし、そのペリシテ人に近づいて行った。
(第一サムエル17:40)

ダビデはゴリヤテと闘うことになりました。
あんなに強そうで巨大な相手を
どのようにして倒すのでしょうか。

サウル王は自分の鎧や武具を貸しましたが
ダビデには大きすぎて邪魔になったので辞退しました。

それで、いつもの道具を身に付けました。
羊飼いの杖と石投げと、
川で選んだなめらかな五つの石を持ちました。

他人のまねでは力を発揮できません。
慣れた道具。実績を重ねたいつものやり方。
それこそが最強の武器です。

あなたの慣れた道具は何ですか。
あなたに与えられた賜物は何ですか。

あなたらしく戦いましょう。
あなたの歩いてきた道に
きっとヒントがあります。

2023/12/26

ハレルヤ

また私は、大群衆の声のような、
大水のとどろきのような、
激しい雷鳴のようなものがこう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。
私たちの神である主、全能者が王となられた。」
(黙示録19:6)

「メサイア」はヘンデルが作曲した組曲で、
救い主についての聖句を歌詞にしています。

その第二部の最期を飾るのが
有名なハレルヤコーラスで、
今日の聖句が歌われています。

「ハレル」は賛美せよ、
「ヤ」は神を意味しています。
ハレルヤという言葉は
旧約聖書では詩編だけで用いられ、
新約聖書では黙示録だけで使われています。

世の終わりに最終戦争が行われ、
神の勝利が確定した時に
大水のとどろきや雷鳴のような大音量で
勝利の宣言がなされます。
ついに神が王となる時が来たのです。

その日、その場にいたならば、
ヘンデルのハレルヤコーラスの
何万倍の感激が世界に満ちることでしょう。
ハレルヤ。

2023/12/25

ベツレヘムの星

博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。
すると見よ。
かつて昇るのを見たあの星が、
彼らの先に立って進み、
ついに幼子のいるところまで来て、
その上にとどまった。
(マタイ2:9)

その星は夜空に燦然と輝きました。

ユダヤ人の王が生まれたことを
東方の博士たちに教える星でした。
博士らは長い旅をしてエルサレムにやって来ました。

博士たちはヘロデ王から詳しい情報を聞き
エルサレムから南のベツレヘムを目指しました。

東方で見たあの星が
ベツレヘム方面に輝き出しました。
誕生した幼子の場所を示すように
博士たちを導きました。

私たちも何らかの「星」に導かれて
救い主イエスさまの所にたどり着いたのです。
その「星」は友人だったかもしれません、
試練で苦しんだ経験かもしれません、
手渡されたパンフレットの場合もあります。

今日も、ベツレヘムの星が
誰かを救い主のもとに導きますように。

救い主イエスさまの誕生を
心からお祝いします。

2023/12/24

天の軍勢の

すると突然、その御使いと一緒に
おびただしい数の天の軍勢が現れて、
神を賛美した。
「いと高き所で、栄光が神にあるように。
地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」
(ルカ2:13~14)

御使いは羊飼いたちに告げました。
今日、救い主が生まれたと。

すると天の軍勢が現れ、その御使いと共に歌いました。
栄光が神にあるように、
地に平和があるように。

軍勢とは戦う人々、兵士たちです。
軍勢が歌うとするなら、
心を鼓舞する勇ましい歌のはずです。
けれども、この夜の歌は軍歌ではなく、
栄光と平和の歌でした。

天の軍勢が戦う必要などないのです。
赤ちゃんの誕生により勝利は確定しました。
救い主は、神との平和、真の平安をもたらしてくれました。
イエスさまの誕生により天に栄光が輝いたのです。

クリスマスの出来事は
神の勝利と栄光が現れた日なのです。

2023/12/23

受け入れない世

この方はもとから世におられ、
世はこの方によって造られたのに、
世はこの方を知らなかった。
この方はご自分のところに来られたのに、
ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
(ヨハネ1:10~11)

最初のクリスマスは
誰にも知られていませんでした。

住民登録でベツレヘムの町は混雑し、
マリアたちには
宿泊できる部屋も見つけられませんでした。

世は主イエスを知らず、
主イエスを受け入れませんでした。

造り主であり、神の子の主イエスは
人々の拒絶や無視を受け入れました。

クリスマスに心に留めるべきことは
主イエスの謙虚さです。

主イエスは来て下さったのです。
傲慢で恩知らずな世に。

そして、罪多い私の心にまで
来て下さったのです。

2023/12/22

つけ加えない

私は、この書の預言のことばを聞くすべての者に証しする。
もし、だれかがこれにつけ加えるなら、
神がその者に、この書に書かれている災害を加えられる。
また、もし、だれかがこの預言の書のことばから
何かを取り除くなら、
神は、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、
その者の受ける分を取り除かれる。
(黙示録22:18~19)

黙示録の末尾、聖書66巻の最後に
このように書かれていました。
何も取り除くな、何も付け加えるな。

ですから、聖書の加筆や続編はないし、
削除も訂正もありません。
2000年前に完結したのです。
神の啓示は完了しています。

時代が変わり、国も変わり、
文化も価値観も大きく変化しました。
けれども聖書は変わりません。

3000年以上の昔から書き始められ、
現在も日常的に人々によって読まれている書物は
聖書以外ありません。

歴史に耐えた聖書。
現代語で読まれ続ける聖典。
人を救い変革する神の言葉。
神をあかし続ける聖書は人類の宝です。

2023/12/21

二人の「一人」

こういうわけで、
ちょうど一人の違反によってすべての人が
不義に定められたのと同様に、
一人の義の行為によって
すべての人が義と認められ、
いのちを与えられます。
(ローマ5:18)

パウロ的に言うなら、聖書の中には、
とても重要な「一人」が二人います。

最初の「一人」は、アダムです。
最初に造られた人で、最初に罪を犯した人です。
たった一人の違反によって
すべての人が罪に定められました。

パウロが語る第二番目の「一人」とは
救い主イエスです。

主イエスの義の行為によって、
つまり十字架の死によって、
人が義と認められる道が開かれたのです。

アダムの罪による汚染力より
主イエスの十字架による愛の影響力のほうが
はるかに強いのです。

アダムは自分の弱さと成り行きから
罪を犯しました。
主イエスは愛のゆえ、ご自分の意思で
十字架を選んで下さいました。

人を義となし、命を与えるために
クリスマスにお生まれになった主に栄光あれ。

2023/12/20

主がともにおられる

家来の一人が答えた。
「ご覧ください。
ベツレヘム人エッサイの息子を見たことがあります。
弦を上手に奏でることができ、勇士であり、
戦士の出です。物事の判断ができ、体格も良い人です。
主が彼とともにおられます。」
(第一サムエル16:18)

ダビデはベツレヘムに住んでいて
エッサイの息子8人の末っ子でした。

サウル王はストレスで苦しむ事が多く、
音楽が心を和らげると気づき
竪琴の演奏者を探していました。

彼の家来がダビデの名を挙げ、
音楽の才能もあり勇士だと説明しました。
文武両道だけでなく、その信仰が素晴らしく
主がダビデと共にいると推薦しました。

人の心に寄り添う芸術性があり、勇気があり、
物事を見極める判断力を持ち、信仰深く、
王の音楽セラピーを受け持つに適任者です。

いや、むしろ王にふさわしい人物です。
若い時から王の片鱗が表れていました。

神が選んだ人には必要な資質が備わっていました。

そのダビデ王の町ベツレヘムで
私たちの救い主がお生まれになるのです。

2023/12/19

わたしは門

わたしは門です。
だれでも、わたしを通って入るなら救われます。
また出たり入ったりして、牧草を見つけます。
(ヨハネ10:9)

羊飼いは囲い場から羊を連れ出し
草地に連れて行き一日を過ごします。

夕暮れには羊を連れ戻して
囲い場に導き入れます。
そこなら安全に夜を過ごせます。

囲い場に入るルートは一つしかありません。
門です。
門を通れば安全地帯に入れます。

主イエスは、ご自分が門だと言われました。
主イエスを信じるなら救われるのです。

主イエスの門をくぐる者には
平安と救いが約束されています。

主イエスの説明は極めてシンプルでした。
ですから今日の説明は簡潔に終えます。

2023/12/18

主のおしえは

主のおしえは完全でたましいを生き返らせ
主の証しは確かで浅はかな者を賢くする。
主の戒めは真っ直ぐで人の心を喜ばせ
主の仰せは清らかで人の目を明るくする。
(詩編19:7~8)

車で走っていると時折、聖句の看板を見ます。
黒地に白でかなりインパクトがあります。
唐突に、街中にみことば!

人となって世に来られた神のことば。
意外性溢れるクリスマス。
そんな事を連想してしまいます。

駅のホームにみことばの大型電子看板を設置して、
一日ごとに新しい聖句を掲示できたら
通勤・通学の人たちはどう思うでしょう。

今日の聖句から分かるように神のことばは特別です。
完全で、確かで、まっすぐで、清らかなのです。

みことばを読むと
たましいが生き返り、賢くされ、
喜びが生まれ、目に輝きが来ます。

主のことばを周囲の人に紹介したいと思いませんか。
みんな聖書を読んだことがない人ばかりなのです。

たましいを生き返らす聖書。

みことばを届けたい。

2023/12/17

その打ち傷のゆえ

しかし、彼は私たちの背きのために刺され、
私たちの咎のために砕かれたのだ。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
(イザヤ53:5)

主イエスのお苦しみを預言した聖句です。

彼は刺され、砕かれ、
懲らしめを受け、傷を受けます。

私たちの神に対する背きと咎が原因です。
私たちが犯した罪があまりにも大きいので
処罰が厳しくなります。

私たちが罪を犯したのですから
本来は私たちが罰を負うべきですが
それは死を意味します。
私たちには負い切れない罪なのです。

主イエスの十字架の苦しみのゆえに
私たちは平安と癒しを頂きました。

主イエスは、苦しむために
クリスマスにこの世に来て下さいました。

2023/12/16

破れを繕う

その日、わたしは倒れているダビデの仮庵を起こす。
その破れを繕い、その廃墟を起こし、
昔の日のようにこれを建て直す。
(アモス9:11)

羊飼いであり農夫でもあった預言者アモスは
北王国の人々に警告しました。

一時的な繁栄に酔い、正義をないがしろにし、
神から離れるなら破滅が待っていると語りましたが、
その通りになってしまいました。

そうであっても神はあわれみ深い方で、
やり直しの道を残して下さる方です。

全能の神が破れを繕う。
そのイメージを思い浮かべるだけで
神の忍耐深さと愛を感じることができます。

たとえ廃墟になったとしても
立ち直れます。

私たちがあきらめてしまっても、
建て直すと言っておられる
神がおられることを心に留めて下さい。

2023/12/15

ガブリエル

さて、その六か月目に、
御使いガブリエルが神から遣わされて、
ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
この処女は、
ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、
名をマリアといった。
(ルカ1:26~27)

天使ガブリエルは田舎町に来てくれました。
旧約聖書時代の記録さえない
ナザレという町の未婚の女性に現れました。

神から遣わされたガブリエルなので
主のメッセージを語りました。

神が救い主の母として選んだのは
若くて、未婚で、庶民のマリアでした。
その上、婚約相手までいた女性です。

毎年、クリスマスシーズンになると
必ずマリアの信仰を思い起こします。
純粋で、勇気があって、主にゆだねたマリア。

マリアに現れた天使の事を考えるたび、
神は若者の可能性を信じるお方なのだと思うのです。
主は若いマリアにすべてを託されました。
マリアならこの任に耐えると信頼されたのです。

若者よ、あなたにも天使が遣わされています。

2023/12/14

そのとき

そのとき、目の見えない者の目は開かれ、
耳の聞こえない者の耳は開けられる。
そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、
口のきけない者の舌は喜び歌う。
荒野に水が湧き出し、
荒れ地に川が流れるからだ。
(イザヤ35:5~6)

イザヤの預言の言葉は
何百年も成就しませんでした。

倉庫の隅に忘れられた
ほこりをかぶった家具のようでした。

ところが主イエスが来られ、
ガリラヤ湖付近の町々で活動されると
目の見えない者が見え、
聞こえなかった人が聞こえ、
歩けなかった人が飛び跳ね
話せない人が歌い出したのです。

「そのとき」はやって来るのです。
神のことばは確実に実現するのです。

あなたは今、荒野にいるかもしれません。
けれども、そこに泉がわく時が来ます。
「その時」を信じましょう。

2023/12/13

心の中の飾り

むしろ、柔和で穏やかな霊という
朽ちることのないものを持つ、
心の中の隠れた人を飾りとしなさい。
それこそ、神の御前で価値あるものです。
(第一ペテロ3:4)

ブランドバッグを持っているのに不機嫌な女性。
高級外車であおり運転している男性。
もったいないと思います。

外側を飾るよりも
内面を豊かにしたほうが
素敵ですとペテロは語りました。

柔和であること。
穏やかであること。
それは美しさの本質です。

罪人のありのままの私たちを
主イエスが受け入れて下さいました。
それにより自分を大切にできるし、
穏やかな心と人への優しさが生まれます。

主が野の花を飾って下さるように
私たちの内面も装ってくださるのです。

2023/12/12

着る物について

なぜ着る物のことで心配するのですか。
野の花がどうして育つのか、
よく考えなさい。
働きもせず、紡ぎもしません。
(マタイ6:28)

明日着て行く服がない、と若い女性が言う場合、
パーティーに着て行く新しい服が欲しいという意味です。
靴下がない、と男性が言う場合は、
洗濯するのを忘れたという意味です。

着物の悩みの裏に何かが隠れています。
着たい服が買えないという経済的悩みや、
他人からどう見えるかの自意識の悩みもあります。

あなたは何かを心配していますか。
気になってしょうがない事がありますか。

主イエスは、野の花を見るように言われました。
悩んでいるバラなど一本もありません。
道端の小さな花も凛として咲いています。
神が必要を満たし、咲かせて下さっています。

神のフラワーショップでは
一人一人が咲き誇っています。

2023/12/11

種をまけば

思い違いをしてはいけません。
神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。
(ガラテヤ6:7)

春になって大きな公園に行くと
チューリップが満開という場面に出会います。
つい携帯で何枚も写真を撮ってしまいます。

冬の寒い頃、同じ公園に行くと、
チューリップの球根が設計図に従って地面に配置され
係員が寒風の中で黙々と植える姿が目撃できます。

植えたから咲くのです。
私たちも日々、種をまいて生活しています。

親切と愛の種を蒔けば、笑顔と喜びが育ちます。
嘘や悪意の種を蒔けば、周囲の人が苦しみます。

現在の結果が自分の行動の結果なら
これから幸せの球根を植えれば良いのです。

あなたはどんな未来にしたいですか。
今日の種が明日の幸せを作ります。

2023/12/10

あなたの義

あなたの義によって
私を救い助け出してください。
あなたの耳を私に傾け私をお救いください。
(詩編71:2)

ルターは若い時、神を怖がっていました。
人間の罪を厳しく裁く怒る神。
それがルターにとっての神でした。

ですから、今日の聖句は彼にとって理解不能だったのです。
神の義は人を断罪するだけだ。
神の義が人を救うことはありえない。
なぜここで、神の義による助けを求めているのだろう。

ルターは聖書全体を真剣に学び直し、やがて、
主イエスの福音の光によって目が開かれました。

今日の聖句はルターにとって記念碑的に重要な
みことばになりました。

神は、神の持っておられる義を人に与え
人を義と認めて救って下さる。
詩編の言葉の中にも新約的な恵みが内包され
福音の真理が語られているとルターは確信したのです。

私たちの義は何の役にも立ちませんが
十字架の主イエスの義は私たちを救う力があるのです。

2023/12/09

どんなときにも

民よ、どんなときにも神に信頼せよ。
あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
神はわれらの避け所である。
(詩編62:8)

この聖句は、私が昔から大切にしてきた聖句です。

「どんなときにも」とあります。
今が辛く感じる時こそ
価値のあるみことばです。

苦しく感じる事柄をすべて
そのまま神にお伝えしましょう。

どんなときでも、
どんなに孤独でも、
どんなに体が弱っても、
どんなにお金がなくても、
どんなにみじめでも、
どんなに先が見えなくても、
どんなに自分が罪深くても、
どんなに途方にくれたとしても、
私たちは神に信頼することができます。

神こそ私たちの避け所です。
揺るがない巌です。

2023/12/08

話させてください

パウロは答えた。
「私はキリキアのタルソ出身のユダヤ人で、
れっきとした町の市民です。
お願いです。
この人たちに話をさせてください。」
(使徒21:39)

パウロはエルサレムで逮捕されました。
もちろん悪い事はしていません。

誤解して興奮した群衆に袋叩きにされました。
そのまま放置したら殺されていたでしょう。

ローマ軍が急遽出動し彼を救出しました。
階段の上でやっと一息ついた時、
パウロが千人隊長に述べた言葉が今日の聖句です。

自分がローマ市民であり、無実であると説明し、
群衆に弁明する時間を与えてほしいと訴えました。

さっきまでパウロに暴力をふるっていた群衆に
是非とも話したいというのです。

主イエスを伝えたい。
救い主を知ってほしい。救われてほしい。
どうしても今、語りたい。

炎のように燃え上がる伝道の情熱に圧倒されます。
私たちの心にも炎を与えて下さい!

2023/12/07

正しい重り石

あなたには、完全で正しい重り石と、
完全で正しい升がなければならない。
あなたの神、主があなたに
与えようとしておられるその土地で、
あなたの日々が長く続くようにするためである。
(申命記25:15)

「はい、おつりは120万円」
などと言う八百屋さんがいます。

笑顔や親切さにプラスして、
正直であることは商売上とても大事なことです。

量りの重りに細工してはいけません。
穀物を量る升を小さく作ってはいけません。

一時的にもうかるかもしれませんが
長い目で見たら信用を失い商売を継続できません。

個人商店だけでなく、サラリーマンも会社組織も、
公務員も、裁判官も同じです。
正しい重り石を大切にしましょう。

私たちの神は義の神です。

「正直じいさん」と呼ばれたら勲章です。

2023/12/06

東方の博士

イエスがヘロデ王の時代に、
ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、
見よ、
東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、
こう言った。
(マタイ2:1)

クリスマスツリーの一番上の星は
博士たちの見た星を表しています。

東方の博士たちは輝く星に驚きました。
星の位置など様々な点を分析し
ユダヤの王の誕生だと理解して旅に出ました。

博士たちを含む外国人にも
大きな恵みをもたらす王だと理解したのです。
どうしても自分の目で確かめたくなったのです。
そして、宝物を献上するつもりでした。

現代のクリスマスプレゼントも
博士たちのささげ物と関係があるかもしれません。

クリスマスの星に気づいた人だけが
イエスさまの誕生を祝うのです。

イエスさまは世界の救い主。
主イエスの誕生は世界の喜びです。
主イエスに賛美と栄光がありますように。

2023/12/05

柔和な人

モーセという人は、
地の上のだれにもまさって柔和であった。
(民数記12:3)

モーセは偉大な指導者で、
神と親しく語り合うほどの人物でした。

指導者でしたから、様々な批判を受けました。
ある日、姉と兄から嫌味を言われました。
主はあなたとだけ話すのか、
われわれとは話すことはないのかと。
モーセの妻についても彼らは批判しました。
これらは、ねたみから出たことです。

「主はこれを聞かれた」と2節に書かれています。
モーセは苦しみましたが、
主がモーセの側におられる事が支えとなりました。

今日の言葉の背景が分かると、
モーセの柔和さ、謙遜さが、特筆すべき事だと分かります。

勇気ある指導者、揺るがない信仰者でありながら、
柔和なパーソナリティーを持っているモーセ。

神のそばにいることで
神に似た者とされたのでしょう。

2023/12/04

落穂を残す

あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、
刈るときに畑の隅まで刈り尽くしてはならない。
あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。
貧しい人と寄留者のために、
それらを残しておかなければならない。
わたしはあなたがたの神、主である。
(レビ記23:22)

日本人としては
畑の端まできちんと収穫したいものです。
あちこちに落ち穂を残すのは嫌ですから。

あえて落ち穂を残す目的がありました。
貧しい人と寄留者(外国人)の生活を
助けるチャリティー事業なのです。

大きな畑を持った人は、
自分の利益だけを考えず、
富を分配することが期待されています。
それは神のみこころです。

アメリカではドネーション(寄付)という言葉を良く聞き、
チャリティーの考え方が織り込まれていました。
機会があったら援助したいという気風がありました。

名前と顔を知っている身近な人を大切にしましょう。
名前も顔も知らない人に対しても
少額でも、匿名で、自然体で経済支援しましょう。

2023/12/03

祭司の王国

「あなたがたは、
わたしにとって祭司の王国、
聖なる国民となる。」
これが、イスラエルの子らに
あなたが語るべきことばである。」
(出エジプト記19:6)

イスラエル民族はエジプトから救い出されて
シナイの荒野までやって来ました。

イスラエル民族は宝であると
主はシナイの山でモーセに語られました。
そして、祭司の王国となり、
聖なる国民になるとも言われました。

人々と神との間に立つのが祭司の役割です。
イスラエル民族は世界の人々に仕えるために
救い出されました。
神のきよさをあかしするように召されたのです。

ペテロは手紙の中で(第一ペテロ2:9)
今日の箇所を引用しながら、
クリスチャンにも同じ使命が与えられたと述べました。

救われたのは人に仕えるため。
祭司である事を意識しましょう。

2023/12/02

息を吹き込む主

神である主は、その大地のちりで人を形造り、
その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
それで人は生きるものとなった。
(創世記2:7)

あなたは生物学に興味がありますか。
私が中学や高校の教科書で学んだ内容と
現在の教科書は大違いです。

DNAの理解、タンパク質の構造、
エネルギーの代謝、ホルモンの働きなど
人体に関しての発見や研究は目を見張るものがあります。

体の中に、小さな工場、図書館、病院や警察、建設会社、
高速道路、運送会社、上下水道システム、発電所などが
あるように感じられます。

神は、地球上に存在する物質を材料にして
人をお造りになり、自律できるようにされました。

本来、神の内にあった命が
人の中に注がれたことを表すために
息を吹き込むと書かれています。

命の源は神にあります。
私たちは神に造られました。
人の存在の向こう側に神が隠れています。

2023/12/01

サラの笑い

主はアブラハムに言われた。
「なぜサラは笑って、
『私は本当に子を産めるだろうか。
こんなに年をとっているのに』と言うのか。」
(創世記18:13)

見知らぬ3人がアブラハムを訪れました。
アブラハムはごちそうを出してもてなしました。
その一人がこう言うのです。
来年の今頃、男の子が生まれると。

妻のサラはそれを聞いて
ありえない事と笑ってしまいました。

主は、サラにではなく、アブラハムに言われました。
あなたの妻サラはなぜ笑ったのか、と。
アブラハムにも考えてもらう必要がありました。

子供が誕生するという事は、
妻サラだけの問題ではなく
夫婦の問題だったからです。

夫婦が共に手を携えて
二人で信仰の歩みを深めましょう。

配偶者は最もそばにいる信仰の友です。