2023/01/31

悪者を見ていると

まことに 神はいつくしみ深い。
イスラエルに 心の清らかな人たちに。
けれどもこの私は 足がつまずきそうで
私の歩みは滑りかけた。
(詩篇73:1~2)

今も昔も悪者がたくさんいます。
詐欺師が大勢の人を騙して被害を与えています。

大企業が自分に有利な制度と法律を作り、
庶民は劣悪な労働を強いられています。
一度踏み外すと立ち直れない
ブラックな世界になってしまいました。

その結果、粗暴な強盗に身をやつし、
善良なお年寄りを殴ってお金を奪う者まで現れています。

今日の詩篇は、
つまずきについて書かれています。
悪者が栄えるのを見ていると腹が立ち、
つまずいてしまうというのです。
こうした正義感は私も理解できます。

悪者の最期を聖所で悟るという記述が17節にあり
この詩篇の大事な転換点になっています。

主よ、悪者の企みを滅ぼして下さい、
悪者を正しく裁いて下さい。

2023/01/30

してもらいたいこと

ですから、人からしてもらいたいことは何でも、
あなたがたも同じように人にしなさい。

これが律法と預言者です。

(マタイ7:12)

人さまにだけは迷惑をかけてはいけないよ。
これは昭和のお母さんの口癖で、
田舎から東京に送り出す時などに言いました。

そう言われた人は、
迷惑をかけない範囲で、好き勝手をしたものでした。

主イエスは、しない事ではなく、する事、
つまり積極的な意志を持つように励ましてくれたのです。
してもらって嬉しいと思うなら、
それを自発的にする。
そういう姿勢が自然体になれたら良いですね。

それが律法の本質であり、
神が望んでおられる事なのです。

不思議なものです、
見知らぬお年寄りの荷物を運んだだけで、
心が温かくなるのです。

私たちは、神によって
そのように造られているのです。
今日も、自然体で誰かに手を差し伸ばしましょう。

2023/01/29

わたしは知っています

あなたがたはこの方を知らないが、わたしは知っています。
もしわたしがこの方を知らないと言うなら、

わたしもあなたがたと同様に偽り者となるでしょう。

しかし、わたしはこの方を知っていて、

そのみことばを守っています。

(マタイ8:55)

パリサイ人や律法学者など
一部のユダヤ人は主イエスに懐疑的でした。
悪霊に取りつかれていると悪口を言った者もいました。

それは、主イエスの言葉が直球ストレートで
大胆に真理を突いていたからです。

主イエスはそうした批判に応えて、
わたしは神を知っているが
あなたがたは知らないと言われました。

ますます律法学者を怒らせる応答ですが、事実なのです。
主イエスだけがそう言えたのです。

父なる神を本当に知っておられる方、
人と神との間に立てる唯一の方、
それが主イエスです。

イエスさま、今日も私に
父なる神を教えて下さい。

2023/01/28

タンバリンの賛美

喜び歌え 私たちの力なる神に。
喜び叫べ ヤコブの神に。

ほめ歌を歌い タンバリンを打ち鳴らせ。

麗しい音色の竪琴を 琴に合わせてかき鳴らせ。

(詩篇81:1~2)

賛美は清らかだなと、礼拝に通い始めた頃、私は思いました。
そのうち、歌詞が古いし、高音が歌えない窮屈さを感じました。
高校生キャンプに参加して賛美の素晴らしさに目覚め、
帰宅しても賛美している自分がいました。

体験的にいうと賛美は階層的な体験で、
あるレベルをを超えるとさらに上がある気がします。
今日の詩篇もそんな観点で見て下さい。

コロナ時代の我々からすると
羨ましい賛美の様子ですね。

タンバリンをドラムがわりに鳴らし、
リズムを刻んでいたのでしょう。
複数の奏者がギターのように竪琴を奏で、
みんなは力一杯歌いました。

参加者は賛美の歌詞が自分の祈りと同一化します。
自分が消えて、神の栄光の中にいます。

さあ今日、こころから賛美しましょう。
ほめ歌を歌い、主に喜び叫びましょう。

2023/01/27

破れを繕う者

あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、
あなたは代々にわたる礎を築き直し、

『破れを繕う者、

通りを住めるように回復する者』と呼ばれる。

(イザヤ58:12)

イザヤ58章は、
神に受け入れられる断食について語っています。
外見を飾るみせかけの断食をしても、
悪事と争いを続けるなら無意味だと主は言われました。

苦しむ人を助け、他者の幸せを願って生きる人が、
社会の光、水源になります。

そういう人は、
廃墟を建て直す人になるのです。

あなたは壊れた機械を修理するのが好きですか。
古民家再生が趣味ですか。
草ぼうぼうの荒れ地を畑に戻したいですか。

まことの神こそが、私たちを修繕して下さる方です。
個人と社会の回復請負人です。
その神を信じて生きる信仰者も
建て直す者、破れを繕う者になれるのです。

あなたの前にある廃墟とは何でしょう。


2023/01/26

愛しています

私たちは愛しています。
神がまず私たちを愛してくださったからです。

(第一ヨハネ4:19)

結婚カウンセリングの時に私は、
若いカップルにこんな事をしてもらいます。

相手の目を見て「大好き」と言って下さい。
次に「愛してる」と言って下さい。
その後で、好きと愛がどう違うのかを考えてもらいます。
あなたならどう答えますか。

神は、最初から私たちを愛してくれました。
それは私たちが罪人の時で、
神を無視して生きていた頃です。

神の大きな愛、変わることのない姿勢に心打たれて
私たちは生き方が変化し、
神を愛す者、身近な人を思いやる人に変えられます。

私たちは、こんなふうにして
愛に気づき、愛を学び、愛を実践するようになります。

私も、今日、
誰かを愛します。

2023/01/25

他人の目のちり

兄弟に向かって、
『あなたの目からちりを取り除かせてください』と、

どうして言うのですか。

見なさい。

自分の目には梁があるではありませんか。
(マタイ7:4)

子供が小さい時、
「目に何か入って痛いよ」と何度か言われました。
子供の瞼を広げて、至近距離でじっと見て、
やっと異物が分かりました。

本来、他人の目のチリなど見えないはずです。
それなのに私たちは
他人のあらさがしを平気でします。
そして100個くらいの欠点を見つけ出せるのです。

主イエスさまはユーモアがあるので
他人のあらさがしをしている人の目には
巨大な梁が入っているよと言われました。
それくらい自分が見えていないのです。

笑っているあなた、あなたのことですよ。
人の良い点を見つけてほめる人になりたいですね。

特定の人の欠点ばかりが気になる人は、
反省しましょう。
身近な人にそういう態度を指摘してもらった時は
「ハリがとう」と言いましょう。

2023/01/24

信仰の交わり

私たちの間でキリストのためになされている良い行いを、
すべて知ることによって、
あなたの信仰の交わりが生き生きとしたものとなりますように。
私はあなたの愛によって多くの喜びと慰めを得ました。
それは、兄弟よ、あなたによって聖徒たちが安心を得たからです。
(ピレモンへの手紙6~7節)

パウロは、ピレモンの日頃の愛や信仰を良く知っており、
多くのクリスチャンが彼に励まされている事を承知していました。

パウロはローマの牢獄での様子、つまり、
交わりの素晴らしさや伝道の働きを
ピレモンにも知ってもらおうとしました。

特に、ピレモンの家から逃げ出した奴隷オネシモが
どのように回心し、生まれ変わり、
キリストの弟子として整えられたかを
知らせたいと思いました。

教会の交わりの素晴らしさは
誰かの真実さ、誰かの愛、誰かの献身などに触れて
感動したり、励まされることです。

クリスチャンとの
生き生きした信仰の交わりを
体験してほしいです。

2023/01/23

時代に流されない

ですから、自分がどのように歩んでいるか、
あなたがたは細かく注意を払いなさい。
知恵のない者としてではなく、
知恵のある者として、機会を十分に活かしなさい。
悪い時代だからです。
ですから、愚かにならないで、
主のみこころが何であるかを悟りなさい。
(エペソ5:15~17)

今は悪い時代だとパウロは強調しました。

時代が川の流れのようなものなら
浮かんでいると下流に流され、
川の色に染まってしまいます。

時代の思想や生き方は無色に見えても
本当は濃い色がついています。
神から引き離そうとする強い流れがあり、
黒く染める影響力がじわりと及んでいます。

だからパウロは言います。
神の下さる知恵を求めよう。
機会を有効に活かそう。
自分の歩みを見直そう。
主のみこころが何であるかを考えよう。

そういう人は流されずに
目的地を目指して進むことができるのです。

2023/01/22

御子によって造られた

なぜなら、天と地にあるすべてのものは、
見えるものも見えないものも、
王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、
御子にあって造られたからです。
万物は御子によって造られ、
御子のために造られました。
御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。
(コロサイ1:16~17)

広大な星空を見て、こんな疑問を持ったことがありませんか。
宇宙の始まる前はどうなっていたのかな?

一つの原子もなく、エネルギーもなく、
光もなく、時間もないなら、
永遠に何も起きないでしょう。
宇宙はどのように造られ、なぜ造られたのでしょう。

宇宙の大部分を占める
ダークマターやダークエネルギーについては
まだ詳しく分かっていません。

聖書によると、
宇宙の始まる前から御子がおられました。
御子が宇宙万物を創造され、
そして、万物は御子のために存在しているのです。

宇宙万物の存在目的が主イエスなのです。
主イエスは罪を赦すあがない主であるばかりか、
宇宙の創造主、まことの神なのです。
主イエスに栄光がありますように。

2023/01/21

すべての人が

神は、すべての人が救われて、
真理を知るようになることを望んでおられます。
(第一テモテ2:4)

罪が赦されるという最高の恵みがある事を
ほとんどの人が知りません。本当に残念です。
主イエスが私たちを愛し、十字架で私たちの罪の身代わりとして
死なれた事実もまったく知りません。

主イエスを信じた人は聖霊の助けを受けるので、
罪を避け、正義を選び、愛の人に変えられていきます。
クリスチャンはかなり真面目な人だから
教会に通えるのだと多くの人は勘違いをしています。

世間に合わせて生きると窮屈です。
神の視点で物事を判断するなら
穏やかで自由になれることを多くの人は知りません。

神は、一人の例外もなく
すべての人が救われることを願っておられます。
その結果、真理を知るという祝福を体験し、
自由にされた生活を味わって欲しいと願っておられます。

主よ、素晴らしい福音を日本に、愛知県に、近隣の人々に
届けさせて下さい。

2023/01/20

霊的な口座

私は贈り物を求めているのではありません。
私が求めているのは、
あなたがたの霊的な口座に加えられていく実なのです。
私はすべての物を受けて、満ちあふれています。
エパフロディトからあなたがたの贈り物を受け取って、
満ち足りています。それは芳ばしい香りであって、
神が喜んで受けてくださるささげ物です。

(ピリピ4:17~18)

「霊的な口座」という表現は新鮮で
新改訳聖書2017から使われた新しい訳語です。

パウロは、ピリピの教会から
経済援助を受けてとても嬉しく感じました。
そのお金を届けてくれたのがエパフロディトです。

ピリピを離れても、
パウロのためにピリピのクリスチャンたちが
祈ってくれていることが献金で分かります。

主のために、福音の働きのためにささげたお金は
自分のお財布ではマイナスになりますが、
霊的な口座の残高は増えているのです。

主への献金、誰かのための経済支援、
そして隠れた奉仕は
とても尊い信仰の行いであり、
芳ばしい香りを放っているのです。

2023/01/19

もう十分です

自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。
彼は、エニシダの木の陰に座り、
自分の死を願って言った。
「主よ、もう十分です。
私のいのちを取ってください。
私は父祖たちにまさっていませんから。」
(第一列王19:4)

エリヤは壮絶な場面を何度もくぐり抜けて来ました。
普通の人なら死んでいたでしょう。
強靭な精神と体力と信仰を持っていました。

でも、さすがの預言者エリヤも燃え尽きました。
頑張り過ぎたのです。限界を超えたのです。
体力、気力、信仰、心、あらゆる部分が
一斉に機能停止しました。

あんなに強かった炎の預言者エリヤも倒れました。
その事自体が私たちの慰めになります。

神は、食べ物と飲み物を提供し
エリヤの弱さを受け入れ、
共にいてくれました。

ゆっくりゆっくりエリヤは回復していきました。
神はせっかちなお方ではありません。

主よ、私のうめきを聞き、共にいてください。

2023/01/18

三つが大事

私たちの父である神の御前に、
あなたがたの信仰から出た働きと、
愛から生まれた労苦、
私たちの主イエス・キリストに対する
望みに支えられた忍耐を、
絶えず思い起こしているからです。
(第一テサロニケ1:3)

パウロはテサロニケ教会の人々を覚えて祈るとき
彼らの素晴らしさを3つ思い起こしていました。

信仰と愛と希望です。

信仰は主イエスに対するもの。
愛は周囲の人に対するもの。
希望は未来に対するもの。

生きた信仰を持つ人は行動に表れます。
愛するがゆえに労苦を背負いますが
だから愛を止めたりしません。
希望を持って進んでも思わぬ壁に出会うので
忍耐が鍛えられます。

信仰から出た働き。
愛から生まれた労苦。
望みに支えられた忍耐。
それぞれがそれぞれを補強して高めてくれます。

3つを大事にしましょう。

2023/01/17

一時的

私たちの一時の軽い苦難は、
それとは比べものにならないほど
重い永遠の栄光を、
私たちにもたらすのです。
(第二コリント4:17)

私たちが苦しみに直面すると

なんて重い試練なのだろうと感じます。

パウロの見方は違います。
軽い苦難だというのです。
しかも、地上の試練は
どれもが一時的だというのです。

なぜそう言えるのでしょう。
永遠と比べているからです。

信仰ゆえに経験する苦難は
栄光をもたらすからです。

主イエスの十字架と重ねて考えると分かるように、
苦難の後に栄光があるからです。

神を知っている人は物事のとらえ方が違ってきます。
軽い、一時的だ、栄光をもたらす。
主を見上げましょうね。

2023/01/16

無駄じゃない

ですから、私の愛する兄弟たち。
堅く立って、動かされることなく、
いつも主のわざに励みなさい。
あなたがたは、
自分たちの労苦が主にあって
無駄でないことを知っているのですから。
(第一コリント15:58)

「ムーミン」というアニメにジャコウネズミという
気難しいキャラクターが出てきます。
「無駄じゃ、無駄じゃ」と言うのが口癖の
哲学者という設定でした。

パウロは「無駄ではない」と言い切りました。

物事がうまくいかない時、
私達は失望しがちです。

迫害されたり、馬鹿にされても
パウロは無駄ではないと言います。
予定通りに進まなくても、独りぼっちでも
地上の栄誉を受けなくても無駄はないと言いました。

私たちの労苦は主にあって意味があるのです。

究極的な死でさえも乗り越える
復活の希望があるので無駄ではありません。
神の目で見るなら無駄など一つもないのです。

だから、動かされず、立ち止まらず、
今日も主の働きを続けましょう。

「無駄じゃないのじゃ!」

2023/01/15

モーセのとりなし

「どうか今、あなたが語られたように、
わが主の大きな力を現してください。
あなたは言われました。
『主は怒るのに遅く、恵み豊かであり、咎と背きを赦す。
しかし、罰すべき者を必ず罰し、
父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす』と。
この民をエジプトから今に至るまで
耐え忍んでくださったように、
どうかこの民の咎を
あなたの大きな恵みによって赦してください。」
(民数記14:17~19)

イスラエルの民は、
約束の地の偵察報告を聞いて落胆し、
モーセとは別の指導者を立てて
エジプトに戻ろうとしました。

その様子を見て主は、
厳しい処分の用意があるとモーセに伝えました。
モーセは必死にとりなしました。

主よ、あなたは怒るのに遅い方です、
おろかな民を耐え忍んでください、
恵みをもってお赦しくださいとひれ伏しました。

モーセを拒絶した民のために祈るモーセ。
彼のとりなしの祈りがなければ
イスラエル民族の存続は危うかったのです。

今日もだれかのために、とりなしの祈りをささげましょう。

2023/01/14

聖所で賛美

神よ あなたは私の神。
私はあなたを切に求めます。
水のない 衰え果てた乾いた地で
私のたましいは あなたに渇き
私の身も あなたをあえぎ求めます。
私は あなたの力と栄光を見るために
こうして聖所で あなたを仰ぎ見ています。
あなたの恵みは いのちにもまさるゆえ
私の唇は あなたを賛美します。
(詩篇63:1~3)

ダビデは喉が渇いていたようです。
喉の渇きと神を求める渇きとを重ねています。

聖所であなたを仰ぎ見ていると述べていますが、
ダビデは聖所で主を礼拝しているのでしょうか。

詩篇の表題を見ると、
ダビデがユダの荒野にいた時と書いてあります。
都を追われたダビデが
荒野に身を隠した時だったのです。

ダビデにとって荒野も聖所も同じでした。
どんな時も、どんな場所も、聖なる礼拝所になったのです。

試練の時、困難な人生の荒野においても、
神の力、神の栄光、神の恵みを見つけましょう。

2023/01/13

目撃者ヨハネ

しかし兵士の一人は、イエスの脇腹を槍で突き刺した。
すると、すぐに血と水が出て来た。
これを目撃した者が証ししている。
それは、あなたがたも信じるようになるためである。
その証しは真実であり、
その人は自分が真実を話していることを知っている。
(ヨハネ19:34~35)

十二弟子のヨハネは十字架の前に立ち尽くし、
主イエスの最期を見届けました。

主イエスから母マリアの世話を任され、
「完了した」という主の言葉も聞きました。

主イエスの死を確認するため
兵士が主イエスの脇腹を槍で刺しました。
その箇所からは大量の血と水が流れ落ちました。

ヨハネはその目撃証人になりました。
主イエスは間違いなく死なれた、と言えたのです。

がくっと傾いたままの主イエスの首とか、
肉体を刺し貫いた釘が印象に残ったのではなく、
槍によってほとばしり出た
赤い血と水がヨハネの脳裏に鮮烈に残りました。

真実なヨハネの証言が私たちの心を揺さぶります。
主イエスは私のために本当に死なれたのです。

この事実が私たちの信仰の土台です。

2023/01/12

超前向き

ですから、あなたがたに言います。
あなたがたが祈り求めるものは何でも、
すでに得たと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになります。
(マルコ11:24)

マリーという若い女性がLA の小さな料理屋で働いていました。
店長からパイを作って欲しいと言われて、自分なりに工夫して作りました。
そのパイが飛び切りおいしくて評判を呼び、
1964年に彼女は自分のレストランを開きました。
やがて14州にマリー・カレンダーという名のチェーン店ができました。
私もこのリッチでおいしいパイが大好きです。

主イエスは私たちに夢を見せ、励ましてくれます。
あなたのパイを焼いてごらん。
求めてごらん。
祈ってごらん。
すでに得たと信じてごらん。

主イエスが額にしわを寄せた方だとは思えません。
暗い顔をした否定的な方だと思いますか。

このような肯定的な言葉は、
笑顔と輝く目でなければ言えない言葉です。
主イエスはスーパー前向きです。
私たちにマインドを変えてごらんと
励ましておられるのです。


2023/01/11

生活の中心に

契約の箱が出発するときには、
モーセはこう言った。
「主よ、立ち上がってください。
あなたの敵が散らされ、
あなたを憎む者が、
御前から逃げ去りますように。」
またそれがとどまるときには、彼は言った。
「主よ、お帰りください。
イスラエルの幾千幾万もの民のもとに。」
(民数記10:35~36)

荒野のイスラエルの民は
契約の箱を中心に生活していました。

幕屋がたたまれ、
契約の箱が祭司にかつがれて出発する時、
今日の聖句のようにモーセが言いました。

主よ、立ち上がってください。
あなたの敵が散らされますように。

民の宿泊地が決められた、契約の箱が幕屋に設置される時も
お帰りくださいとモーセが述べました。

私たちの日常生活の中心に主がおられます。
進むときも、止まるときも、
私たちは主と共にいます。

主よ、立ち上がってください、
主よ、お帰りください。

2023/01/10

歩きなさい

病人は答えた。
「主よ。水がかき回されたとき、
池の中に入れてくれる人がいません。
行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」
イエスは彼に言われた。
「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」
(ヨハネ5:7~8)

ベテスダ池のそばには
大勢の病人たちが横たわっていました。
池の表面が波立つ時に中に入れば
病気がいやされるという言い伝えがあったからです。

38年病気で苦しんでいた男がそこにいました。
主イエスが彼に「良くなりたいか」と尋ねると
「はい」とは素直に言えず、
誰も池に入れてくれないと文句を言うだけでした。

不平は何も改善しません。
直りたいという願いをはっきり持って
主を信頼して行動を起こすことが大事です。

それで主イエスは
起きて歩けと命じたのです。

あなたにとって
起きること、歩く事とは何でしょう。
主イエスはあなたの前に立って
両手を広げて待っておられます。

2023/01/09

私は主を待ち望む

私は主を待ち望む。
ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。
私はこの方に望みを置く。
(イザヤ8:17)

イザヤは預言者ですから、

神の言われたことをそのまま人々に語りました。

北王国の滅びを予告し、
事実、その通りになりました。
南王国にも同じ結末が来ると語りましたが
人々は耳を背け、イザヤを拒絶しました。

まるで主がヤコブの家から御顔を
隠しておられるようにイザヤには感じられました。
それでもイザヤは神の言葉を語り続けました。

困難が続いてもイザヤの信仰はぐらつきません。
恵みや感謝があろうがなかろうが、
主に望みを置き続けました。

主が隠れておられると感じるのは私達だけで
主の慈愛に満ちた視線が
私たちから離れることはありません。

この方を待ち望みましょう。

2023/01/08

病気も近づかない

わざわいは あなたに降りかからず
疫病もあなたの天幕に近づかない。
主があなたのために御使いたちに命じて
あなたのすべての道であなたを守られるからだ。
(詩篇91:10~11)

新幹線の指定席に座ったとき、
右隣の青年が咳を繰り返して調子が悪そうでした。
思わず私は、お大事に、うつさないでねと心の声で言いました。

歴史を振り返ると、
伝染病が繰り返し広がったことが分かります。
私たちも新たな疫病の時代に生きています。

今日の聖句を読むと励まされます。
疫病が近づかないように
主がみ使いを用いて
私たちの歩む道で守っていて下さるのです。

主よ、今日も私たちを防御して下さい。
みんなが安心して健康に過ごせる時代をお与え下さい。

熱が出て寝ている人、症状が心配な人、
基礎疾患のある人、高齢の方、幼子、
主がすべての人の盾となって下さい。

私たちの天幕から病を遠ざけて下さい。

2023/01/07

みことばを伝えたい

神の御前で、また、
生きている人と死んだ人をさばかれる

キリスト・イエスの御前で、

その現れとその御国を思いながら、
私は厳かに命じます。
みことばを宣べ伝えなさい。
時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、
責め、戒め、また勧めなさい。
(第二テモテ4:1~2)

父なる神と主イエスが
何を願っておられるのか。
パウロは厳粛な面持ちになって
尋ね求めました。

死を間近に感じていたパウロが
愛弟子テモテに送った遺言、
それが、テモテへの手紙第二です。

伝道者の後輩テモテに言い残した事が、
みことばを宣べ伝えなさい、でした。

人の言葉や知恵は一時的で消え去りますが
神の言葉は永遠です。

神のことばは救いに導く、
決して変わることのない真理。
人が生きていく上で最も大切な指針となり、
いのちとなるのが神のことば。
神の御思いを行うことが人間の幸せとなる。

みことばを宣べ伝えたい。
あなたも、そうでしょ。


2023/01/06

創造主

すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、
この方によらずにできたものは一つもなかった。
(ヨハネ1:3)

聖書の神は、創造主です。
大自然も星も空も、空気も原子も、動物も植物も人も
DNAもウランも鉄もすべて神によって造られました。

今日の聖句では
その創造主が主イエスであると
はっきりと宣言しています。

すべてのものは、この方によって造られた。

主イエスは罪からの救い主であり、
旧約聖書が預言した王であるだけでなく、
創造の神なのだとヨハネは言いたかったのです。

主イエスの愛に感激し、奇跡に驚き、
その教えに深く感銘を受けていたヨハネでしたが、
主イエスの本質をきちっと把握していました。

主イエスの知らない被造物は存在せず、
主イエスに愛されていない人は一人もいないのです。





2023/01/05

母亡き後

イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、
リベカを迎えて妻とし、彼女を愛した。
イサクは、母の亡き後、慰めを得た。
(創世記24:67)

イサクは母親のサラを失い
大きな悲しみと失意の中にいました。

そんな時、妻となる人と出会ったのです。

リベカは見ず知らずの土地に嫁いで来てくれました。
彼女は父のしもべが見つけてくれた遠縁の女性です。
配慮のできる人で、とても働き者でした。
一人っ子イサクにぴったりです。

母親を亡くした喪失感は
何によっても埋めることはできません。

そうであっても、
イサクがリベカを妻としたことで
新鮮で温かな
光がイサクに注がれたことは確かです。

新しい人との深い関わりが始まることは、
深い慰めとなり、
人生の新しいページを開くことになります。

良き人との出会いがありますように。

2023/01/04

私の慰め

たとえ 死の陰の谷を歩むとしても
私はわざわいを恐れません。
あなたが ともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖
それが私の慰めです。
(詩篇23:4)

去年はつらかった。
そういう人もいると思います。

そんな時、聖歌は私たちを励ましてくれます。
♪この世の望みの消えゆく時にも
心は動かじ御誓い頼めば♪

この聖歌の歌詞は
ものすごく過酷な状況を歌っています。
すべての可能性が消えた死の陰の絶望状態です。

そんな悲惨な日々でも、主が横におられるので
生きていけます。
主の守り、主の慰め、主のアドバイス、
「主の杖」があるからです。

昨日を守られた主をたたえ、
明日を守って下さる主を頼り、
我が君イエスこそ救いの岩なれと
賛美をしていきましょう。


2023/01/03

御子の支配

御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、
愛する御子のご支配の中に移してくださいました。
(コロサイ1:13)

良からぬ人物に脅された経験がありますか。
それはパウロの語る暗闇の力ではありませんが、
「暗闇の力」のイメージに近い事です。
暗闇の力はとてつもなく強く、嫌なものです。

私たちの父なる神は
最も恐ろしい暗闇の力から
私たちを救い出して下さった方です。

罪と罪の支配、罪意識と不安、罪から来る滅びから
御父は私たちを完全に救い出して下さいました。

私たちの神は、暗闇の力を跡形もなく取り去り、
明るく温かく平和な場所、
御子の支配へと移して下さいました。

そうです、私たちは
御子によって完全に守られた
強固なシェルターに移されたのです。

2023/01/02

主イエスについて行く

それからイエスは弟子たちに言われた。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負って、
わたしに従って来なさい。」
(マタイ16:24)

今年はどんな計画がありますか。
かなえたい夢は何ですか。
チャレンジしたい事がありますか。
片付けておきたい用事は何ですか。

主イエスが上記の言葉を語られたのは
十字架の予告をされた後でした。
つまり、地上での働きが終わりに近づき、
後継者に託すタイミングでした。

主イエスの後継者は何をすれば良いのでしょう。
主イエスの真似をする。主イエスの言葉を守る。
それでOKです。

主イエスについて行くと、捨てるものが出てくるでしょう。
新しく背負う事もあります。

今年、主イエスについて行きましょう。

2023/01/01

新年に高い山

シオンに良い知らせを伝える者よ、
高い山に登れ。
エルサレムに良い知らせを伝える者よ、
力の限り声をあげよ。
声をあげよ。恐れるな。
ユダの町々に言え。
「見よ、あなたがたの神を。」
(イザヤ40:9)

新年、明けましておめでとうございます。
今年も主の祝福あふれる年になりますように。

山登りをして頂上で
初日の出を拝む人がいますね。

預言者イザヤは
まったく違う観点から
高い山に登れと言いました。

高い塔に設置された防災スピーカーが
町中に要件を周知させるように、
山頂から良い知らせを広く伝えよ、
エルサレムのすべての人に知らせよと
イザヤは言いました。

「見よ、あなたがたの神を」とあります。
新年に仰ぎ見るべきものは太陽ではなく、
太陽と天地と私たちをお造りになった
まことの神です。
今年、声を上げて主を伝えたいですね。
あなたの高い山は、何ですか。