2023/11/30

あわれんで下さい

私のたましいは悲しみのために溶け去ります。
みことばのとおりに私を強めてください。
私から偽りの道を取り除いてください。
みおしえをもって私をあわれんでください。
(詩編119:28~29)

悲しみは突然やって来て
心が傷つけられ、自分自身も溶け去るように感じます。

悲しみの時には
親しい誰かの言葉が心を潤してくれます。

心を込めて語られる神のことばは
私たちの魂の深みに届きます。

もう一つの悩みは誘惑です。
正しく歩もうとしても誘惑が襲って来ます。
誘惑はエンドレスで、私たちの心はその度に乱されます。

親しい誰かがそばにいると力が与えられるように
神が共にいて、言葉をかけて下さるので
誘惑の中でも私たちは強められます。

主よ、私を強め、あわれんで下さい。

悲しみの時も、誘惑の時も。

2023/11/29

感謝のルーティーン

心を尽くして私は主に感謝をささげます。
あなたの奇しいみわざのすべてを語り告げます。
私はあなたを喜び誇ります。
いと高き方よ、あなたの御名をほめ歌います。
(詩編9:1~2)

感謝、あかし、喜び、賛美。

これらは神を信じている人の日課、
標準的なルーティーンなのです。

お互いに感謝し、尊敬を表し、
それを伝え合うなら、
良い夫婦であり、素敵な職場です。

<感謝する事などこの半年間一つもない>
と感じている人は少し考えてみて下さい。
半年間、神があなたから離れ去り、
圏外に行ってしまわれたのですか。

私たちの生活で起きることは
奇しい神のみわざです。

いと高き方が、地上で暮らす私たちに
手を差し伸べて愛を注いでおられます。

私たちのために心を砕いて下さる神に
心を尽くして感謝をささげましょう。

2023/11/28

お心のままに

道具持ちは言った。
「何でも、お心のままになさってください。
さあ、お進みください。私も一緒に参ります。お心のままに。」
(第一サムエル14:7)

イスラエルの民がペリシテ人に苦しめられていた時、
サウル王の息子ヨナタンは先頭に立って戦っていました。

ある時、崖の上にいるペリシテ人を見つけて
ヨナタンは戦う決意をしました。

ヨナタンの計画を聞いて
彼の部下である道具持ちの言った言葉が
今日の聖句です。

おこころのままになさって下さい。
私はどこへでも一緒について行きます。

実に従順です。
勇敢です。
頼りになります。

私たちも
主イエスに対して同じことを言いたいです。

「私も一緒に参ります。お心のままに。」

2023/11/27

喜ぼう

そこであなたがたは家族の者とともに、
あなたがたの神、主の前で食事をし、
あなたの神、主が祝福してくださった、
あなたがたのすべての手のわざを喜び楽しみなさい。
(申命記12:7)

申命記と言えばモーセ五書のひとつで
難しい律法の書というイメージがありますが、
実は「喜び」という言葉が何度も登場します。

当時は一年に何度か特別な祭りがあり、
休日として制度化されていました。
家族で穀物や動物を祭壇に持って来て
主にささげたのです。

その儀式が済むと、
家族みんなでささげ物の一部を
お祝いの食事にしました。

収穫→礼拝としてのささげ物→祝宴
これらのプロセス全部が主の祝福になります。
この一連の流れを現代に置き換えることもできます。

主の祝福を感謝して礼拝をささげ
おいしいごちそうを囲み、みんなで喜びましょう。

2023/11/26

悪に悪?

だれに対しても悪に悪を返さず、
すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい。
(ローマ12:17)

倍返しだ。
このセリフはドラマで流行しました。
悪役の俳優が主人公にやられるシーンは
見ていてスッキリします。

同程度の復讐ではなく、
二倍で返すところが胸のすく理由です。

パウロは何と言っていますか。
倍返しをしない。同程度の復讐も無し。
悪に対して、悪では返さない、というのです。

むしろ21節のように
「善をもって悪に打ち勝ちなさい」と教えています。

実は、このやり方のほうが溜飲が下がります。
後味がさわやかです。

「悪に悪を返さず」と心で言ってみましょう。

2023/11/25

愛され、愛し

父ご自身があなたがたを愛しておられるのです。
あなたがたがわたしを愛し、
わたしが神のもとから出て来たことを信じたからです。
(ヨハネ16:27)

二つの愛が
スクランブル交差点のように交わっています。

父なる神が私たちを愛しておられます。
それは主イエスの証言ですから
これは明白な事実です。
あなたも愛されています。

もう一つの愛とは、私たちから主イエスに向かう愛です。
私たちのために命を捨てて下さった主イエスを
キリスト者が愛すのは自然な応答です。

愛されている。そして、愛している。
互いの愛がきちんと届いている。それが続いている。

相互に愛でつながった関係は
実に幸せな関係なのです。

2023/11/24

羊一匹

あなたがたに言います。
それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、
悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、
大きな喜びが天にあるのです。
(ルカ15:7)

一人の人間がどれほど大切なのかを
主イエスはたとえを使って説明されました。

5匹の羊しか飼っていないなら
1匹を失うダメージはとても大きいです。
羊を100匹所有しているなら
事故で1匹を失っても気持ちを立て直せます。

100匹の羊を持っている羊飼いが
迷った1匹を見つけて大喜びする様子を主イエスが語られ、
それが神の心だ、わたしの思いだと教えて下さいました。

自分の罪を悔い改めて
主イエスを信じる人が起こされますように。

その時、私たちは喜びます。
そして天では大きな大きな喜びが湧き起こります。

2023/11/23

あなたを選んだ

今、心に留めなさい。
主は聖所となる宮を建てるために、
あなたを選ばれた。
勇気を出して実行しなさい。
(第一歴代28:10)

ダビデ王は民を集め、
衆目環視の中で息子ソロモンに命じました。
神を知り、神に仕えよ。
そして、主のため民のために聖所を建てよ。

ダビデ王は神殿建設の願いを持っていましたが
主のみこころにかないませんでした。
それで、ソロモンに託したのです。

神殿を建てるためにソロモンが選ばれました。
人々が神を知り、神を讃える場所を建設する。
それは光栄な任務です。

あなたはどんな任務を主から頂いていますか。
あなたの神殿とは何ですか。

天に召される日まで
それを成し遂げましょう。

2023/11/22

太陽と月がない

都は、これを照らす太陽も月も必要としない。
神の栄光が都を照らし、
子羊が都の明かりだからである。
(ヨハネ黙示録21:23)

世の終わりの事は誰も知りません。
黙示録には映画の予告編という感じで書いてあります。

天の都には太陽も月もありませんが、
それでいて決して暗くないのです。
神の栄光がすべてを照らし、
子羊である主イエスが輝いているからです。

弟子たちは変貌山で主イエスの
栄光に輝く姿を見ましたが
言葉不足を失っていました。

私たちが栄光の都に足を踏み入れたら
予想を上回る事態で感激に震え
喜びと平安に満たされることでしょう。

神の栄光を説明する言葉を見つけられなくても
私たちはその日、栄光を体感できるのです。

2023/11/21

天の宝

自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。
そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。
自分のために、天に宝を蓄えなさい。
そこでは虫やさびで傷物になることはなく、
盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。
あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。
(マタイ6:19~21)

ブランドのバッグとか高級時計を購入すると
とたんに周囲の人が泥棒に見えてきます。

不思議なもので
宝を手にすると不自由になり、
その宝に支配されます。

地上の宝と正反対なのが天の宝です。

誰かに与えたり、分けたり、神にささげる事。
それが天に宝を積むことです。
その場合は自分の手に何も残りません。

手もとから無くなったはずなのに何かが残ります。

天で主が受け取ってくださった安心感がやって来ます。
心は温かくなります。嬉しくなります。

世界のみんなが天に宝を積む生き方をしたら
ずいぶん過ごしやすい世の中になりますね。

2023/11/20

怒りは遅く

激しやすい者は口論を引き起こし、
怒りを遅くする者は争い事を鎮める。
(箴言15:18)

怒りやすい人は、
自分が怒りっぽいということを知りません。
喧嘩腰で意見を言う人も
大声を出している意識がありません。

議論相手は、敵ではなく
問題解決のため立ち上がった
大切な仲間だと考えましょう。

熱の入った相手の意見でも冷静に聞き取って
こうした考えや感情に基づいて
提案をしているのですねと
気持ちと意見を相手に提示してみましょう。
そういう人が怒りを遅くする人です。

イエスかノーかの二択ではなく、
しばらく祈らせて下さいという道もあります。

プライドや一時の感情に支配されずに
主のみこころを静かに求めましょう。


怒りを遅くする人になりましょう。

2023/11/19

高価で貴い

わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
だから、わたしは人をあなたの代わりにし、
国民をあなたのいのちの代わりにする。
(イザヤ43:4)

とても多くの人が
心の冷えた状態で生活しています。

ひとりぼっちだと感じています。
自分はいてもいなくても同じだと
捨て鉢になっています。

まことの神は両手を広げて
微笑んであなたに言います。
あなたはとても高価で尊い。
あなたをそのまま愛している、と

神は心の冷えたあなたを抱きしめ
愛で温めて下さいます。

あなたを助けるためなら
どんな犠牲もいとわない方です。

あなたは愛されています。
それが聖書の中心テーマです。

2023/11/18

豊かにまく

私が伝えたいことは、こうです。
わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、
豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。
(第二コリント9:6)

アメリカの教会におけるpotluck愛さん会は、
明るく、楽しく、ゴージャスです。

ポットラックとは各自が持ち寄る食事会のことです。
アメリカのやり方を経験し、驚き、多くを学びました。

アメリカではパーティーの機会が多いので
大型の皿はもちろん、保温装置のついた容器も各種売られており、
参加者が持参する料理の量は半端ではありません。

 

毎回同じものを持って来る人が多いです。
あの名物料理がないと寂しい、と思えるくらいで良いのです。
一人暮らしの人もそのままどうぞ、ご馳走しますというスタンスです。

持ち寄り愛さん会の発想は、おもてなしの心です。
主にある兄弟姉妹に喜んでもらいたい、たくさん食べてもらいたい、
一緒に喜びを分かち合いたいという気持ちがあるのです。

今日の聖句でパウロは、豊かに蒔く者になりなさいと教えています。
クリスチャンになると与える喜び、蒔く喜びが分かってきます。
そして、神こそが豊かに与えて下さる方だと分かるのです。

2023/11/17

アドナイ・イルエ

アブラハムは、
その場所の名をアドナイ・イルエと呼んだ。
今日も、「主の山には備えがある」と言われている。
(創世記22:14)

アブラハムの人生で最大の試練は、
やっと与えられた息子イサクを
全焼のいけにえとしてささげることでした。

大きな葛藤を覚えながらもアブラハムは
山を登り、息子を縛り、たきぎを整えました。
刃物を振り下ろす寸前に
主はアブラハムの名を呼んで停止させました。

角を藪に引っかけていた雄羊を捕らえたアブラハムは
それを全焼のいけにえとしました。

彼は記念としてその場に名前を付けました。
「アドナイ・イルエ」(主の山に備えあり)。

私たちの人生にもアドナイ・イルエがあります。

まだ見た事のない素晴らしい解決が
備えられていると信じましょう。

2023/11/16

剣を鋤に

主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。
国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。
(イザヤ2:4)

インターネットが世界との距離を縮め
生々しい戦争映像が
茶の間に入り込んでいます。

戦争が終わり平和な世界になってほしい。
この願いは、戦争当事国の人も
私たちも同じです。

まことの神は平和をもたらす神。

主は、戦争に使う武器を農機具に変える方です。
防衛費が教育・福祉・農業などに転用されたら
世界はもっと良い世界になります。

主よ、世界に真の平和を与えたまえ。
戦うことを学ばない世界にして下さい。

2023/11/15

立って聞く

ヨシュア、バニ、シェレベヤ、ヤミン、
アクブ、シャベタイ、ホディヤ、マアセヤ、
ケリタ、アザルヤ、エホザバデ、ハナン、
ペラヤなどレビ人たちは、
民に律法を解き明かした。
その間、民はその場に立っていた。
彼らが神のみおしえの書を読み、
その意味を明快に示したので、民は読まれたことを理解した。
(ネヘミヤ8:7〜8)

エルサレム城壁の再建工事が完了し、
民は喜びをもって広場に集まり、
レビ人たちが読み上げる神の言葉を聞きました。

マイクもスピーカーもない時代ですから、
大きく良く通る声が必要でした。
ここに名の記されたレビ人たちが
代わる代わる読んだことでしょう。

人々は座ることなく、
立ったままで聞いていました。

カリフォルニアのある大きな教会の礼拝に
私は何度か出席したことがあります。
メッセージ前の聖書朗読の時、
ご起立くださいという指示があり
会衆はみな立って聖書を聞いていました。
きっと、今日の箇所などを模範にしているのでしょう。

神の言葉をきちんとした態度で注意深く聞く。
そこに主への尊敬と礼拝の心が表れています。


2023/11/14

国と農業

国にとっての何にもまさる利益は、
農地が耕されるようにする王がいることである。
(伝道者の書5:9) 

小学生の子供と歩いていたお母さんが
畑で働く男性を見て息子にこう言いました。
「ちゃんと勉強しないと、
ああなっちゃうのよ、分かった」
そこで働いていた農家の人が
私にこの話を教えてくれました。

農業は国の基幹産業で、安全な農産物は国民の健康を支えます。
苦労と忍耐と経験が求められる高度な仕事です。

農家の人が笑顔でいられる国は豊かな国です。

農家の人がやりがいを持てる環境を作る。
一年を通じて、平和で、安定した社会を作る。
重税で苦しめない。安全な農法を推進する。
それが良い王の印です。

神は良い王を求めておられます。
また、誠実な農家を喜んでおられます。


2023/11/13

サウル王の登場

サウルは答えて言った。
「私はベニヤミン人で、
イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか。
私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、
取るに足りないものではありませんか。
どうしてこのようなことを私に言われるのですか。」
(第一サムエル9:21)

サウル王の初登場の場面は
どちらかというと牧歌的で庶民的です。

サウルは背が高く優しい人です。
少しぼやっとした感じのする
憎めない人です。

神があなたを王として選ばれたと
祭司サムエルがサウルに伝えると、
自分は小さい者、器でないと謙虚に述べ、
所属するベニヤミン族も弱小部族だと語りました。

士師記20〜21章を読むと、
ベニヤミン族には複雑な
歴史的背景があったのだと分かります。

神はサウルを初代の王として選ばれました。
潜在的可能性に満ちていた人でした。
神の霊が下る人なのです。

取るに足らない人はいません。


2023/11/12

主が選ばれた人

見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、
わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は国々にさばきを行う。
(イザヤ書42:1)

イザヤは聖霊に導かれたので、
将来、神が遣わされる救い主について
予告することができました。

主は一人の人物に
スポットライトを当てておられます。

神がその人の歩みを支えて下さいます。
その人はしもべとなって神に仕える歩みをします。
神がその人の歩みを全面的に喜ばれます。
特別に選ばれた人で、
神の霊が注がれ、世界を治める方です。

すべての人はその方に目を向けるべきです。
その方は世界のために命をお捨てになり、
世界はその方を必要としているのです。

「見よ」神が全面的に推薦されるお方を。
預言された救い主を。


2023/11/11

飛び跳ねる

そして彼の右手を取って立たせた。
するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり
躍り上がって立ち、歩き出した。
そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、
神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。
(使徒の働き3:7〜8)

ペテロとヨハネは午後三時に
エルサレム神殿の門を通りました。

生まれつき歩けない人がそこに座って
施しを求めていました。
ペテロは彼を見つめ、イエスの名で歩けと命じました。
すると、瞬時に躍り上がり、歩き出し、飛び跳ね、
神を賛美し始めたのです。

何十年も歩いたことのない人が歩く場合、
最初はぎこちない動きになるはずですが、
神の奇跡の力のおかげで飛び跳ねることができたのです。

この男の優れた点は体全体から発する賛美です。
主イエスの名によって癒やされたと分かったので
感謝と賛美の言葉が自然に出てきました。

恵みを受け、祈りがかなえられ、奇跡を体験した時は
感謝と賛美を声に出し飛び跳ねて踊りましょう。


2023/11/10

バプテスマと水

道を進んで行くうちに、
水のある場所に来たので、宦官は言った。
「見てください。水があります。
私がバプテスマを受けるのに、
何か妨げがあるでしょうか。」
(使徒8:36)

ピリポは御霊に導かれガザに行きました。
そこでエチオピアの宦官に出会い、
イザヤ書を読んでいた彼に
その箇所で語られているお方が
イエスさまであると説明しました。
すると彼は素直に信仰告白に至りました。

馬車に乗って語り合っていた二人は
川か池に差し掛かかりました。
宦官が自発的に言った言葉が今日の箇所です。

ピリポはそこで彼にバプテスマを授けました。
宦官はそれに値する信仰理解と責任ある決心をしていました。

実は、キリスト教のことをよく知らない方が
バプテスマを受けたいと言ってくる場合があります。
私は今まで何度かそういう人に会いました。

人生をやり直したい。
バプテスマはそのきっかけになると
漠然と思っている人が一定数いるのです。

そういう人に福音をしっかりと伝えたいですね。
そして本当に新しい出発になってほしいです。



2023/11/09

幸せな晩年

アブラハムは幸せな晩年を過ごし、
年老いて満ち足り、
息絶えて死んだ。
そして自分の民に加えられた。
(創世記25:8)

アブラハムの75歳から100歳の期間は
息子の誕生の事で試されました。
イサクが生まれてた後も、モリヤの地で
息子をささげるという厳しい試練もありました。

アブラハムは遅咲きの人で、
高齢者になってから波乱万丈の人生を経験し、
彼の信仰もその時に鍛えられました。

さて、今日の聖句を読んで分かるように、
アブラハムの晩年はとても幸せで、
満ち足りた日々になりました。

それは、息子イサクが与えられ
子孫が増えるという約束が現実化したせいです。
この地を与えるという主の約束の
現実味が強くなった事も一因です。
最愛の妻に先立たれる経験をしましたが、
アブラハムの晩年は総じて平穏で満ち足りたものでした。

主と共に過ごす事が祝福ある晩年の秘訣です。

あなたの晩年に主の祝福が注がれ
幸せで満ち足りたものになりますように。

2023/11/08

みことばのとおりに

私のたましいは悲しみのために溶け去ります。
みことばのとおりに私を強めてください。
私から偽りの道を取り除いてください。
みおしえをもって私をあわれんでください。
(詩編119:28~29) 

もっとも深い悲しみとは喪失のことです。
大切な人を失った。
とても大事なものを失う。
そして、もう取り戻せない。
その辛さは魂が溶け去るほどです。

その悲しみを癒してくれるのは
神と神のみことばだけです。

悲しみとは違う分野ですが、
罪を犯し大失敗した時も喪失感を覚えます。
自責の念と恥とふがいなさで
魂が壊れそうになります。

その中から立ち上がる力を与えてくれるのも
神のみことばです。

悲しみの時も、失敗した時も、
みことばがよりどころです。


2023/11/07

大きな雷鳴

サムエルが全焼のささげ物を献げていたとき、
ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来た。
しかし主は、
その日ペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、
彼らをかき乱したので、
彼らはイスラエルに打ち負かされた。
(第一サムエル7:10)

祭司サムエルは、祈りをささげるために
民をミツパに招集しました。

ペリシテ人はそれをきっかけに、軍事行動を起こしました。

サムエルはその緊迫した状況下でも
子羊をささげ、主を礼拝しました。

すると大きな雷鳴が鳴り響き、
ペリシテ軍は大混乱となりました。
それに乗じてイスラエル軍が戦ったので
大勝利になりました。

主の戦いにおいては、
人数、武器、戦略、努力とは違う世界で
主の力が如実に現れます。

主に祈り、心を注いで礼拝しましょう。
主はあなたのために行動され、
「大きな雷鳴」を起こして下さいます。

2023/11/06

ニネベで叫ぶ

再びヨナに次のような主のことばがあった。
「立ってあの大きな都ニネベに行き、
わたしがあなたに伝える宣言をせよ。」
(ヨナ3:1~2)

神は預言者ヨナに言われました。
外国の首都ニネベに行きなさい。
神が伝えたい事を
その町の人に知らせない。

私たちが良く知っている「福音」という言葉は
良い知らせという意味を持っています。

ヨナがニネベに携えて行ったのは
40日したらニネベは滅びるという内容でした。
福音というより死刑宣告のようなものです。

けれども、良く考えてみると、
あなたには癌があるが手術すれば助かる
という医者の診断にも似ています。

ヨナのように大都市に向かって
叫ぶ者になりたいです。

このままでは滅びる、しかし、道はある。
主イエスの十字架による救いがあると。

2023/11/05

誰の手

だれが手のひらで水を量り、
手の幅で天を測り、
地のちりを升に盛り、
山々を天秤で量ったのか。
もろもろの丘を秤で。
(イザヤ40:12)

イザヤ書では時折、
神の姿が壮大なスケールで描かれています。

大海原、天井のない空、果てしない大地、
峻険な山々、豊かな丘陵地帯。
圧倒的な自然の前に立つと私たちの心に
畏敬の念が湧き上がってきます。

イザヤは尋ねます。
誰の手がこれらの大自然を造ったのかと。

旅に出ると、
自然の偉大さと美しさに触れることができます。
そして、この世界は偶然の産物ではなく
愛と調和の神が世界を造り支えておられるのだと
深く納得できます。


誰が赤や黄色の絵の具で
紅葉を描いたのでしょう、
誰が白と透明の絵の具で
冬景色をつくられたのでしょう。
神です。

2023/11/04

福音の証人

私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムで行われた、
すべてのことの証人です。
人々はこのイエスを木にかけて殺しましたが、
神はこの方を三日目によみがえらせ、
現れさせてくださいました。
(使徒10:39~40)

ペテロは百人隊長コルネリウスの家を訪れました。
本来ユダヤ人は外国人の家に入りませんが、
不思議な夢を見た後だったので会うことにしました。

コルネリウスとの会話でぺテロは確信しました。
外国人も主イエスの救いを受けられると。

そこでペテロは彼に福音を語り
自分が主イエスの教えと奇跡の証人であると述べました。

主イエスはエルサレムで十字架にかけられましたが、
三日後に神によってよみがえらされました。
ペテロはその主イエスにお会いしたと語りました。

相手がユダヤ人であっても異邦人であっても
ペテロが語る福音は同じです。

福音と同時に自分の失敗を隠さずに語るペテロの姿が
復活の真実さを一層強めてくれます。

福音はシンプルで不変です。

2023/11/03

血を流すこと

律法によれば、
ほとんどすべてのものは
血によってきよめられます。
血を流すことがなければ、
罪の赦しはありません。
(へブル9:22)

旧約聖書において、
動物の血が<きよめ>のために用いられました。

幕屋や神殿が完成したときに血が注がれました。
礼拝に用いる用具も血できよめられ、
祭司の任職式でも血がかけられました。

外面的なよごれは水で流せます。
けれども、本質的な汚れを除去するには
代価としての命が不可欠なのです。

ですから、罪の赦しのために
御子の命が必要だったのです。

主イエスを信じるだけで救われます。
その無償の救いの背後には、
主イエスの命、主イエスの血が隠れているのです。

2023/11/02

最後まで夢を

ヨセフは兄弟たちに言った。
「私は間もなく死にます。
しかし、神は必ずあなたがたを顧みて、
あなたがたをこの地から、
アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」
(創世記50:24)

ヨセフは夢見る者でした。
兄たちが頭を下げる夢を少年時代に見ましたが
それは後に現実となりました。

政府高官らの夢の解釈をしましたが
その通りになりました。

ヨセフが年をとり、死を間近に感じた時も
新たな夢を見ていました。

エジプトに避難したユダヤ民族が
やがて約束の地に帰れる。
それがヨセフの最後の夢であり、信仰でした。

何歳になっても夢をみましょう。