2022/01/31

心にきよい人

心のきよい者は幸いです。
その人は神を見るからです。
(マタイ5:8)

心のきよい人、とはどんな人なのでしょう。

「私はとてもきよい心を持っているので
自信満々で神の顔を見上げられます」と
言う人がいたら、ちょっとそれは違うと思います。

「心はきよいですか」と聞かれて
自分の至らなさに気づく方が普通です。

以前と比べて心の汚れに気づきますと感じる人は
とても自然だと思います。

「私は、それほど心がきよくありません」と
心砕かれながら伏し目がちに主イエスにお話したら
主イエスは何と言ってくれるでしょう。

「さあ、目を上げてご覧」と主は言って下さると思います。
その時私たちは主イエスのお顔を見上げる事になります。







2022/01/30

受けるより

このように苦労して、
弱い者を助けなければならないこと、
また、主イエスご自身が、
「受けるよりも与えるほうが幸いである」と
言われたみことばを、
覚えているべきだということを、
私はあらゆることを通して
あなたがたに示してきたのです。」
(使徒20:35)

パウロはエペソの長老たちにこう語りました。

弱い人を助ける事。
受けるより与えるほうが幸い。
この二つはクリスチャンの大事な基本姿勢です。

毎日、弱い人を助けている人がいます。
ご苦労が多いと思います。
その働きに対して主から報いと祝福がありますように。

所有する事や蓄えることが幸せだと
この世の価値観は大声で吹聴しますが、
聖書はその反対を教えます。
分けたほうが、与えたほうが
何倍も幸せなのです。

今日も与える幸せを感じましょう。



 

2022/01/29

兄弟の災難の日に

おまえは兄弟の災難の日に、
それを見ていてはならない。
ユダの子らの滅びの日に、
彼らのことで喜んではならない。
その苦難の日に小口をたたいてはならない。
(オバデヤ12節)

オバデヤ書の内容は、エドムについての預言です。

エドムとは、死海の東南部にあった小国で、エサウの子孫です。
ルツの故郷モアブの南に位置しました。

隣り合う国は、今も昔も、
犬猿の仲になることが多いのです。
エドムもユダ王国を嫌っていたので
ユダの滅びを喜んでいましたが
預言者オバデヤはそれを戒めています。
(エドムは紀元前312年に滅びます)

身近な人や隣国の災難の時にはそれを喜ばず、
自分にできることをしてみましょう。






2022/01/28

平和の人

全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。
平和の人には未来がある。
しかし、背く者はことごとく滅ぼされ
悪しき者どもの未来は断ち切られる。
(詩篇37:37~38)

神を無視する者や神のみこころに背く者は
明るい未来を作れません。

神を認め、神を恐れ敬い、
まっすぐな心を持つ人こそが
未来を作る人です。

神を信じる人の特徴は平和です。

今日、あなたの半径5メートル内に
キリストの平和が泉のように溢れますように。




2022/01/27

歴史を支配する神

王はダニエルに答えた。
「あなたがこの秘密を
明らかにすることができたからには、
あなたがたの神こそ、
神々の中の神、王たちの主、
また秘密を明らかにする方であるに違いない。」
(ダニエル書2:47)

バビロンのネブカドネツァル王は暴君でした。
私の見た夢を解き明かせ、
しかし、どんな夢かは教えないと言い出しました。

ダニエルがまことの神に祈り求めると
主は夢と解き明かしを教えて下さいました。

王は、巨大な像の夢を見て心が騒いでいました。
頭、胸、腹、足のそれぞれが
異なる4つの物質でできていました。
それは、バビロン以降に起こる
大帝国を表していたのです。

金の頭はバビロン、
銀の胸はペルシア、
青銅の腹はギリシア、
鉄の足はローマ帝国を象徴していました。

ネブカドネツァル王は
ダニエルの解き明かしに驚嘆し、
彼の信じるまことの神をたたえました。

神は歴史をつかさどる方。
巨大な国家のさらに上におられる偉大な方です。


2022/01/26

孤児にしない

わたしは、
あなたを捨てて孤児にはしません。
あなたがたのところに戻ってきます。
(ヨハネ14:18)

「えっ、連絡来なかったの。ごめんね。」

忘れられたり、置いてきぼりにされると
大事にされていないと感じます。

主イエスははっきり言われました。
あなたを決して忘れない。
あなたを捨て子にはしない。
一旦離れるけど、戻って来る。

あなたを大切にしてるという意味ですね。
あなたから目を離さないという事です。

私たちは肉眼でイエスさまを見ていないので
まるで一人ぼっちのように感じますが
私たちは孤児ではないのです。

今にも雪になりそうな雨の夕方、
軽自動車の運転席から後部座席の奥さんと子供たちに向かって
「ちょっと待っててね、
そこのコンビニであったかい肉まん買ってくるから」
と言ってお父さんが寒い外に飛び出して行ったら
家族の心は食べる前から温かくなります。

あなたを孤児にはしない。
そう言って主イエスは十字架に向かわれました。





 

2022/01/25

暖炉で焼く王

ユディが三、四段を読むごとに、
王は書記の小刀で
それを裂いて暖炉の火に投げ入れ、
ついに、巻物をすべて
暖炉の火で焼き尽くした。
それらすべてのことばを聞いた王も、
彼のすべての家来たちも、
だれ一人恐れおののくことはなく、
衣を引き裂くこともしなかった。
(エレミヤ36:23)

預言者エレミヤが書き記した巻物が
エホヤキム王に届けられ
役人のユディが朗読すると
王は顔色一つ変えずにナイフで切り裂き、
暖炉で焼いてしまいました。

彼の父親ヨシヤは、発見された律法の朗読を聞き
衣を裂いて悔い改めた敬虔な王だったのに、
エホヤキム王は神の言葉を拒絶しました。

神の言葉を焼く事はできますが、
神の計画は誰も止められません。

神と神のことばへの畏敬の念を
忘れてはいけません。



 

 

2022/01/24

良い倉

良い人は、
その心の良い倉から良い物を出し、
悪い人は、
悪い倉から悪い物を出します。
人の口は、
心に満ちていることを話すからです。
(ルカ6:45)

主イエスは分かりやすい言い回しで
心と言葉の関係を説明されました。

私たちの口から出る言葉は
その人自身だということです。

吐き捨てる言葉、
投げやりなセリフ、
暴言などは、
その人の倉から自然に出たものです。

心が穏やかで平安な人は
親切な言葉、前向きな希望を語れます。

あなたの心の倉はどんな様子ですか。
良い心と良い言葉で今日一日を過ごしましょう。


2022/01/23

注がれる聖霊

その後、わたしは、
すべての人にわたしの霊を注ぐ。
あなたがたの息子は預言し、
老人は夢を見、青年は幻を見る。
その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、
わたしの霊を注ぐ。
(ヨエル書2:28~29)

旧約聖書の時代では、
神の霊が注がれる場面は限られていました。

でも、今後、大きな変化がやって来て、
神の霊がすべての人に注がれる時が来ると
預言者ヨエルは語りました。

それから時が流れ、ペンテコステの日を迎え、
ペテロは、ヨエルの預言が実現したと確信したのです。

信じた者に聖霊は下ります。
聖霊は、私たちにみことばの真理を教え、
悟らせ、導き、慰め、罪を示し、きよめ、
私たちを支えてくれます。

聖霊によって、若者でも、老人であっても
夢や幻を見ることができるのです。

あなたは、御霊によってどんな未来予想図を
与えられましたか。




2022/01/22

エパフラス

そういうものとして、
あなたがたは私たちの同労のしもべ、
愛するエパフラスから福音を学びました。
彼は、あなたがたのために
キリストに忠実に仕える者であり、
御霊によるあなたがたの愛を
私たちに知らせてくれた人です。
(コロサイ1:7)

コロサイ教会は
パウロが開拓した教会ではありません。
パウロの弟子、エパフラスが福音を伝えたのです。

パウロを起点にすると、
エパフラスが子供、
コロサイ教会が孫に当たります。

あなたをパウロの立場に置いて下さい。
あなたの子は誰ですか。
あなたの孫は誰ですか。

人に福音を伝え、
キリストの弟子にまで育成できる人物。
次々に福音をバトンタッチできる
エパフラスのような人が増えると良いですね。



 

 

2022/01/21

希望を失いそう

兄弟たち。
アジアで起こった私たちの苦難について、
あなたがたに知らずにいてほしくありません。
私たちは、非常に激しい、
耐えられないほどの圧迫を受け、
生きる望みさえ失うほどでした。
実際、私たちは死刑の宣告を受けた思いでした。
それは私たちが自分自身に頼らず、
死者をよみがえらせてくださる神に
頼る者となるためだったのです。
(第二コリント1:8)

数々の苦難に耐えてきた彼が言うのですから
とてつもない試練だったのです。
あのパウロが望みを捨てる寸前でした。

その限界状況で
パウロははっと気づいたのです。
これは、自分に頼ることを止め、
主に頼ることを学ぶレッスンなのだと。

普通は、死んで終わりです。
でも神は死者を生き返らす力をお持ちです。
もうだめだと行き詰まった場面こそ
主への信頼スイッチをバーンと押す時です。

自分に頼らず、主に頼ること!




2022/01/20

会いたい

祈るときにはいつも、
神のみこころによって、
今度こそついに道が開かれ、
何とかしてあなたがたのところに
行けるようにと願っています。
(ローマ1:10)

帝国の首都ローマ。
パウロはまだローマに行ったことがありません。

ぜひ行きたいとパウロは願っていました。
ローマ帝国の中心地で福音を叫びたかったのです。
ローマからの発信力は計り知れません。

また、ローマにクリスチャンがいることを
パウロは知っていたので
彼らを励ましたかったのです。

行きたい。会いたい。
そのために祈ってる、でも道が開かれない。

それは、コロナのために人と会うことが
妨げられている私たちと良く似ています。

あなたが会って励ましたい人、
顔と顔を会わせて福音を伝えたい人は誰ですか。
祈りましょう。きっと会えます。



2022/01/19

命といのち

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。
彼らは永遠に、決して滅びることがなく、
また、だれも彼らを
わたしの手から奪い去りはしません。
(ヨハネ10:28)

新改訳聖書の<あとがき>に翻訳方針が説明されていて、
「日本語での通常の意味と異なる意味合いを出したいときなどに、
あえて平仮名を用いている場合がある」とあります。

ですから、死んで終わる通常の「命」と
主イエスの下さる「いのち」は別ものなのです。

ヨハネ福音書のテーマの一つが
「いのち」であったことを思い出して下さい。
主イエスは「いのち」を与えるために来られたのです。

主イエスを信じる者は新しく生まれ、
今まで経験してこなかった「いのち」が始まるのです。

この地上を去った後も
決して滅びない「いのち」が与えられているので
私たちが主イエスから切り離されることはありません。

主イエスの下さった「いのち」を味わい
感謝しましょう。



2022/01/18

ひとの言葉

また、人の語ることばを
いちいち心に留めてはならない。
しもべがあなたをののしるのを
聞かないようにするために。
(伝道者の書7:21)

大きな屋敷に
奉公人がたくさん働いていたとします。
その家の主人が、彼らの言葉をやたらと気にして、
悪口や陰口や呪いの言葉がないか、
いつも壁に耳をつけていたらどうでしょう。

その主人に言ってあげたいです。
あなたは家の主人です。
もっと堂々としているべきです。
為すべきことをしていれば
何と言われようが問題はありませんと。

今、誰かの言葉が気になっていませんか。
人の口にふたはできません。
気にするのはやめましょう。
それが箴言の教えです。
いちいち心にとめるのは無駄です。



2022/01/17

証人にきっとなる

しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、
あなたがたは力を受けます。
そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、
さらに地の果てまで、
わたしの証人となります。
(使徒1:8)

教会が正式に組織化される前。
十二弟子とクリスチャンたちは
先が見えない中で祈り会をしていました。

復活されたイエスさまが40日間、
神の国について教えてくれたことは参考になりましたが、
特に皆の心に残ったのが今日の言葉でした。

今は、弱い者、貧しい者、普通の者が
120人集まって祈っているだけですが、
やがて世界に影響を与えるというのです。
その大きな未来図が強く印象に残りました。
事実、教会はそのように広がって行ったのです。

私たちも今、コロナの閉塞状態におかれていますが
今日のみことばは私たちにも語られています。
聖霊の励ましにより主イエスの証人にきっとなります。






2022/01/16

召されていた

「わたしは、
あなたを体内に形造る前から
あなたを知り、
あなたが体内を出る前から
あなたを聖別し
国々への預言者と定めていた。」
(エレミヤ1:5)

わたしの預言者になりなさいと、
主は青年エレミヤを召されました。

でも実は、そのずっと前から
定められていました。

エレミヤが預言者になったのは
彼の希望や野心からではなく、
神がエレミヤを
そのように形造られた事によります。

主に期待されていることは
とても光栄な事です。

今、あなたが置かれている場所も
主に召された場所ではありませんか。



 




2022/01/15

優先順位

まず神の国と神の義を
求めなさい。
そうすれば、
これらのものはすべて、
それに加えて与えられます。
(マタイ6:33)

「まず」とは、
優先順位の第一にするという意味です。

優先順位の考え方がない人は
とんでもない毎日になります。
他人から頼まれた事全部を引き受け
八方美人をきどり、余裕が失われ、
大切な事が後回しになり、疲れ切り、
人との約束も忘れ、喧嘩が絶えません。

私は、神の国のために生きる。
そう心で決めた人は賢い選択ができます。

神の国と神の義を求める人は
一見、損をするように見えても
物質的なものや経済的な事柄も
すべてが主によって与えられます。

神の国だけを求める
信仰的ミニマリスト。
不必要なものは捨て
神の栄光を目指す生活は
さわやかです。




2022/01/14

特別扱い

知れ。
主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。
私が呼ぶとき
主は聞いて下さる。
(詩篇4:3)

教会のバーベキューを
楽しみにしていた青年がいたとします。
色々と裏方の奉仕があって出遅れました。
見ると、野菜しか残ってません。
その時、婦人会のおばさんがこう言ってくれました。
「あんたたちの分、たっぷり取っておいたよ。
さあ、これからたくさん焼くから、たっぷりお食べ」

特別扱いは嬉しいものです。
主の愛は私たちの想定以上に大きいのです。

あなたも主を呼び求めましょう。
主は応えて下さいます。




2022/01/13

この平安のため

ああ、わたしの味わった苦い苦しみは
平安のためでした。
あなたは私のたましいを慕い
滅びの穴から引き離されました。
あなたは私のすべての罪を
あなたのうしろに投げやられました。
(イザヤ38:17)

ヒゼキヤ王は臨終になるほどの病から生還し、
主に癒して頂いたことを強く感謝して
歌を作りました。
今日の聖句はその一部です。

病の苦しさは
先の見えない不安という心の戦いと、
痛みや熱や不快さという肉体の戦いの
二重の悩みを伴います。

苦痛に満ちた闘病を振り返り
ヒゼキヤ王は、ただひたすらに主に感謝しました。

病床で人生を振り返り
示された罪の告白もしたのでしょう。
罪の赦しの恵みも頂きました。

主はあなたを癒して下さいます。
自分で抜け出せない滅びの穴から
引き上げて下さいます。
ヒゼキヤと同じように
平安を感謝する時が必ず来ます。





2022/01/12

一万タラントの借金

それで、家来はひれ伏して主君を拝し、
「もう少し待ってください。
そうすればすべてお返しします。」と言った。
家来の主君はかわいそうに思って彼を赦し、
負債を免除してやった。
ところが、その家来が出て行くと、
自分に百デナリの借りがある仲間の一人に出会った。
彼はその人を捕まえて首を絞め、
「借金を返せ」と言った。
(マタイ18:26~28)

主イエスはこんなたとえ話をされました。
王様から一万タラントの借金をした男が
返済の猶予を願うと、王様は彼をあわれに思い
借金を帳消しにしてやりました。
その男が百デナリを貸していた男に出会うと、
彼の首を絞め借金を返すまで監禁したというのです。

返済できそうにない多額の借金を免除された男が
百デナリの借金を帳消してあげるのは当然の事でした。
この男を反面教師にしなさいと主は言われるのです。

私たちは一万タラントの罪の借金を
免除してもらった者なのですから、
身近な人をもっとゆるせるはずです。





2022/01/11

勝利は我が手に

ギデオンはこの夢の話と解釈を聞いたとき、
主を礼拝し、
イスラエルの陣営に戻って言った。
「立て。
主はミディアン人の陣営を
あなたがたの手に渡された。」
(士師記7:15)

夜陰に乗じて、
ギデオンは敵の陣営に忍び込み、
兵士の様子をうかがいました。
敵兵が夢の話を仲間にしているのを
偶然、耳にしました。

転がって来た大麦のパンが俺たちの天幕を破壊した。
そんな夢を見た敵兵は青ざめて友人に話すと、
それはギデオンに違いない、
神がギデオンを用いて俺たちを倒すのだと
もう一人が夢の解釈をしました。

大麦は貧しい人の食物です。
それは私の姿に違いないとギデオンは悟りました。
弱虫、臆病な私でも主に握られると
勝利者になれると理解したので
その場で主を礼拝しました。

ギデオンは300人の精鋭に勝利の確証を語り
奇襲攻撃を行いました。

あなたも勝利が見えてきましたか。




 


2022/01/10

従い通す人

ただエフンネの子カレブだけが
それを見ることができる。
彼が踏んだ地を、
わたしは彼とその子孫に与える。
彼が主に従い通したからだ。
(申命記1:36)

モーセ無き後のリーダーはヨシュア、
その右腕がカレブでした。

カレブの特徴は何でしょう。
信じ通す、従い通す力です。

あなたは飽きっぽいタイプですか、
それとも継続は力なりという人ですか。
もちろんカレブは
続ける力のある人です。

日本でクリスチャンとして生きるとき
様々な障害物にぶつかります。
信仰告白を維持するために大変な事や
どきどきする時もたくさんあります。

でも、終わりまで主を信じ通しましょう。
カレブのように「従い通した」と言われる人生にしましょう。
主は、あなたの姿をしっかりと見ていて下さいます。




2022/01/09

知っていたよ

ボアズは答えた。
「あなたの夫が亡くなってから、
あなたが姑にしたこと
それに自分の父母や生まれ故郷を離れて、
これまで知らなかった民のところに来たことについて、
私は詳しく話を聞いています。」
(ルツ記2:11)

ルツは生活のために落ち穂拾いを始めました。
初日、たくさんの穂を集めることができました。
どうしてこんなに親切にしてもらえるのだろう。
ルツは疑問に思い、農場主のボアズに理由を尋ねました。
ボアズが彼女に答えた言葉が今日の聖句です。

小さな村ですから、
外国から来たルツのことはすぐ話題になり、
姑ナオミが知人に話した内容が感動を呼び、
周囲の人みんながルツの優しさを知ることになりました。

苦労を乗り越え、親孝行しているあなたが恩恵にあずかるのは
当然のことですとボアズは考えたのです。

あなたの隠れた親切が誰かの目に留まり、
巡り巡って自分に幸せが来ることがあるのです。
主のご配慮はグッドタイミングです。


2022/01/08

潮時

ヤコブがラバンの態度を見ると、
はたして、それは彼に対して以前のようではなかった。
主はヤコブに言われた。
「あなたが生まれた、
あなたの父の国に帰りなさい。
わたしは、あなたとともにいる。」
(創世記31:2~3)

ヤコブは親戚の家で長い間仕事をしました。
妻をめとり、子供たちが生まれ、
家畜も増え、大きな祝福を受けました。

それが、親戚からの強いねたみを招き、
争いが起きそうな雲行きでした。

そのタイミングで、主が言われました。
生まれ故郷に帰りなさいと。

物事には潮時があります。
祝福の絶頂を迎えたり、極端に冷遇されたりした時は
移動の印と考えても良いかもしれません。

時を見極めて動くことが、
新たな祝福への第一歩になります。

どこに行っても、
主が共にいて下さるという約束が
一番の安心になります。





2022/01/07

偵察隊だったら

イスラエルの全会衆に向かって次のように言った。
「私たちが巡り歩いて偵察した地はすばらしく、
良い地だった。
もし主が私たちを喜んでおられるなら、
私たちをあの地に導き入れ、
それを私たちに下さる。
あの地は乳と蜜が流れる地だ。」
(民数記14:7~8)

約束の地を偵察した10人は
あの土地は良くない、敵が強すぎると
否定的な報告をして民を失望させました。

ヨシュアとカレブの二人だけは
その意見に反対して、今日の言葉を言いました。
とても良い地だ。豊かな農作物が期待できる。
家畜にとっても最良だと述べました。

私たちが約束の地を偵察したなら
どちらの判断をしたでしょう。

私たちの日常生活にも生き方の分水嶺があり、
信仰を働かせるかどうかの別れ道に立たされます。

良い地だと見抜く判断力と、
主がおられるなら可能と信じる心、
そのどちらも与えて頂きたいと思います。






2022/01/06

友と語るように

主は、人が自分の友と語るように、
顔と顔を会わせてモーセと語られた。
モーセが宿営に帰るとき、
彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が
天幕から離れないでいた。
(出エジプト記33:11)

モーセの時代、シナイ山には神の臨在が濃く現れ、
人々は主の絶対的な力ときよさに圧倒されていました。

そんな時に、
主はモーセと特別に親しく接して下さいました。

モーセを信頼しておられたので
主従の関係ではなく、友として接して下さいました。

モーセは誰よりも主を大切に思い、敬い、
多くの時間を共に過ごし、主の言葉に忠実に従っていました。

主は、あなたの友になりたいと
願っておられるのかもしれません。







2022/01/05

雄々しくあれ

「わたしはあなたに命じたではないか。
強くあれ。
雄々しくあれ。
恐れてはならない。
おののいてはならない。
あなたが行くところどこででも、
あなたの神、
主があなたとともにいるのだからだ。」
(ヨシュア記1:9)

偉大な指導者の後任に選ばれたヨシュアは
ひどく心配していました。
果たして私にできるだろうかと。

ヨシュアは自分ばかりを気にして、
主の存在が消えてしまったかのようです。

いらぬ心配をしない事、
恐れに身を任せない事。
主はヨシュアの思考回路を変えさせようとしました。

わたしが一緒に行ってあげよう、
それなら何の心配もいらないだろうと言って
主はヨシュアを勇気づけたのです。

私たちの強さは
主が一緒だと分かる所から始まります。


2022/01/04

羊の様子

あなたの羊の様子をよく知り、
群れを心に留めておけ。
(箴言27:23)

お年玉がもらえるか、お年玉をあげる方か。
それで子供と大人の区別ができます。

子供は子供の見方しかできません。
その子供もやがて成長して青年になり、
後輩や部下を持ったり、親になったりします。

大人になるということは
自分以外のだれかと共に生きると自覚し、
何かの責任を背負う事だと考えても良いでしょう。

今日のことばでいうと、
羊飼いの心を持つことが、大人の印です。

あなたの羊の群れとは何でしょう。
そこに心を向け、よく知り、
羊飼いとして導いていきましょう。





2022/01/03

風ばかり見てないで

風を警戒している人は種を蒔かない。
雨雲を見ている人は刈り入れをしない。
(伝道者の書11:4)

誰かが言っていましたね。
人生で後悔するのは
やってしまったことではなく、
やらなかった事だと。

今日は風が強く吹きそうだから
種まきには向かない。
明日にしよう。

麦の刈り入れは晴天が続いた後がいい。
あの雨雲がこちらに来そうだから
収穫は先に延ばそう。

知識や経験に基づいた判断は有益ですが、
極端な心配性のために
行動できない農夫がいたら不幸です。

今年こそ一歩前に出たいと思っている人いますか。
あなたの年ですよ。


2022/01/02

古い命令が新しい

愛する者たち。
私があなたがたに書いているのは、
新しい命令ではなく、
あなたがたが初めから持っていた古い命令です。
その古い命令とは、
あなたがたがすでに聞いているみことばです。
(第一ヨハネ2:7)

十二弟子の中では若いほうだったヨハネも
歳を重ねていきました。
ヨハネの手紙独特の文体はヨハネそのものです。

物事の本質を見極めたヨハネは
真理をシンプルに示しつつ、
スクリューねじを確実に締めていくように
繰り返し同じ事を語りました。

古い命令に見えるが実は新しい。
何度も聞かされている事こそ大切。
互いに愛し合う事こそ、新しい命令だというのです。

新しい年にふさわしい事は
互いに愛すこと。
とりなしの祈りのノートを新しくしたり、
誰かを具体的にヘルプしたり、ほめる言葉を増やしたり、
聴く時間を作ったりしていきましょう。

新年、新しく愛す決意ができる時です。





2022/01/01

新しいこと

先の事に心を留めるな。
昔のことに目を留めるな。
見よ、わたしは新しいことを行う。
(イザヤ43:18~19)

新年あけましておめでとうございます。

主が切り拓いてくださった新しい年、
きらきらと主の恵みが輝いています。
今年も素晴らしい事が待っています。

だから、昔を懐かしがらず、
過ぎ去った事から目を離して、
新しい事に取り組みましょう。

新しいことをする、と主が言って下さるのです。
ですから心の準備をしておきましょう。
新しく学ぶ事や新しい経験や出会いを楽しみにしましょう。

車は数年に一度モデルチェンジをして
人々は、あっと驚きます。
あなたも、私も、新型ですよ。
主が日々に私たちを新しくして下さっています。

さあ、新しい事に向かって歩みだしましょう。