2020/12/31

あなたと共にいる

それから主はヌンの子ヨシュアに命じられた。
「強くあれ。雄々しくあれ。あなたはイスラエルの子らを、わたしが彼らに誓った地に導き入れるのだ。わたしが、あなたとともにいる。」(申命記31:23)

今日の聖句は、モーセが次期リーダーのヨシュアにバトンタッチしている最中に、主ご自身がヨシュアに語られた部分です。
新任者ヨシュアの不安に気づいておられた主は、雄々しくあれと励まし、彼の使命を明確化した上で、慰めの言葉を加えて下さいました。
神がともにおられる。なんという力強い言葉でしょうか。

2020年、雨の日も、霧の日も、向かい風の日も、暗闇の日も、痛みの日も、倒れた日も、絶望した日も、ふがいなさを責めた日も、荒れた心の日も、主に背を向けた日も、主は一緒でした。主の恵みを数えてみましょう。

新しい年も、主がともにいて下さるので安心して前に進みましょう


2020/12/30

貪欲に注意

そのとき、神の人エリシャに仕える若者ゲハジはこう考えた。「何としたことか。私の主人は、あのアラム人ナアマンが持って来た物を受け取ろうとはしなかった。主は生きておられる。私は彼の後を追いかけて、絶対に何かをもらって来よう。」(第二列王記5:20)

預言者エリシャはナアマンの病をいやしましたが、ナアマンからのお礼を辞退しました。もったいないと考えたゲハジはナアマナンを追いかけ、主人のエリシャが物入りになったと嘘をついて銀と晴れ着を手に入れました。

病気のいやしは神の力によるもので、栄光は主にあります。ゲハジは主の栄光を盗んだともいえます。嘘をついて富を手に入れ、エリシャにも黙っていました。一つの罪は連鎖して次の罪を生みます。ゲハジは主の処罰を受けツァラアトになりました。

もったいない。欲しい。立場を利用すれば手に入る。今、目の前にある。そうした誘惑のささやきに耳を傾けないことです。神から素晴らしい恵みをたくさん頂いていることを思い出して感謝しましょう。

(photo by Minami)



2020/12/29

敬虔な者の足

主は敬虔な者たちの足を守られます。
しかし、悪者どもは、闇の中に滅び失せます。
人は、自分の能力によっては勝てないからです。
(第一サムエル2:9)

足を守る。興味深い表現ですね。
弱い者であっても、主に信頼して歩み続けるならば、主はその人の足を、生活を、仕事を、健康を、家族を、心を守って下さいます。真の勝利者は自分の力では戦いません。

今日の言葉は、祭司サムエルの母、ハンナの祈りの一部です。摂理的に、この祈りの言葉はサムエル記を貫くテーマとなりました。悪者が台頭し大きな力を発揮することがありますが、それは一時的です。敬虔な信仰を持つ者が主に守られ、定めの時に王として用いられることを暗示しています。


サウル王に命を狙われ荒野を放浪し野宿生活を続けたダビデの足を、主は守り通してくださいました。主は、今日も、あなたの足を守って下さいます。

(photo by Hattori)



2020/12/28

耳を傾けてください

主よ、耳を傾けて、私に答えてください。
私は苦しみ、貧しいのです。
私のたましいをお守りください。
私は神を恐れる者です。
あなたのしもべをお救いください。
あなたは私の神。
私はあなたに信頼します。
(詩編86:1~2)

つらい時は、神に言おう。
苦しいです、助けてください、こたえてください、
私には弱さがあります、乏しくて、独りぼっちです。
私の声を聞いてくださいと。

全部に当てはまるわけではありませんが、詩編には基本パターンがあります。苦しみの中からの神への叫び→弱さの告白→信頼。
神が生きていて、そこにおられ、親身になって聞いてくださるので、ちょうど誰かに相談した時と同じような心の変化が起きるのです。何が起きても主に信頼しましょう。



2020/12/27

大いなる神

まことに主は大いなる神。
すべての神々にまさって、大いなる王である。
地の深みは御手のうちにあり、
山々の頂も主のものである。
海は主のもの。主がそれを造られた。
陸地も御手が形造った。(詩編95:3~5)

「世界中、どこででも♪」と有名な賛美が口から出てきます。
主は大いなる神です。
無からすべてを造られた神だからです。
最も高い場所も、一番深い部分も、
海も陸もすべて、主の御手によって造られました。
だからすべては神のものです。

私たちも、主によって造られ、主のものです。
主の前にひれ伏す心を持ち続けましょう。


(photo by Minami)


 

 

2020/12/26

大地の産物

主が良いものを下さるので
私たちの大地は産物を産み出します。
(詩編85:12)

私たちの命は、水や空気や太陽だけでなく、農作物によって支えられています。
お米、小麦、野菜がなければ私たちは生きられません。
農家の方々の働きがなければ、それらを口に入れることはできません。
そして、その背後に、主がおられます。
主によって生かされているのだなと思います。
田んぼや畑を見て、農家の方々の働きに感謝し、
良いものを下さる主をたたえましょう。





2020/12/25

神をあがめるクリスマス

羊飼いたちは、
見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、
神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(ルカ2:20)

クリスマスをテーマにした讃美歌がたくさんありますね。それは、主イエスのご降誕を知らせた天使たちと天の軍勢が野原で歌った事に触発されたからです。私たちの神は賛美を創造される方で、音楽を理解される方です。クリスマスに一番ふさわしい私たちの応答は、礼拝であり、神への賛美です。
羊飼いたちが赤ちゃんのイエスさまに対面した後、歌いながら帰りましたが、羊飼いの仕事に戻ってもきっと歌い続けたと思います。クリスマスの喜びと賛美は、日常生活に溶け込んで行きます。メリークリスマス。クリスマスの賛美が天に響きますように。





2020/12/24

クリスマスの夜

今日ダビデの町で、
あなたがたのために救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。(ルカ2:11)

突然天使が現れました。野宿をしながら羊の夜番をしていた羊飼い達は度肝を抜かれました。夜なのに主の栄光が彼らを照らしたので一面が明るくなったからです。生まれてはじめて天使を見たからです。今日、救い主が生まれたという知らせを聞いても事態が飲み込めず、思考停止状態だったでしょう。

俺たちみたいな者にも知らせてくれるということは、俺たちを救ってくれる方がお生まれになったのだ。時間がたつにつれて理解が追いついて来て、喜びがじわりと沸き上がったはずです。

今日は、クリスマスイブです。2020年前のあの夜を想像してみましょう。主イエスは生まれて下さったのです。


(photo by Hattori)

2020/12/23

喜び

御使いは彼らに言った。
「恐れることはありません。見なさい。
私はこの民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。」(ルカ2:10)

クリスマスは大きな喜びをもたらします。それは、戦争が終わった知らせのように喜ばしく、厳しい冬の寒さが過ぎて春の陽気が来たような快活さを与えてくれます。どんな境遇の人の目も輝かせ、周囲の人と手を取り合って歌い踊りたくなるような歓喜をもたらします。

天使が羊飼いに最初に語ったキーワードは、喜びでした。
しょんぼりしている人、不安で落ち着かない人、良いことを思いつかない人がいますか。クリスマスはそうしたマイナス感情を吹き払う力を持っていることを思い出して下さい。

(photo by Hattori)




 

2020/12/22

飼葉桶

男子の初子を産んだ。
そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。(ルカ2:7)

住民登録のために宿屋は満室で、赤ちゃんを寝かせるベッドがありませんでした。若い夫婦は新生児を寝かすために一番安全で清潔な場所を探したはずです。それが飼葉桶、家畜のえさ箱でした。ということは、マリアはどこで出産し、どこで休息したのでしょう。

主よ、あなたは、神の栄光を捨て、人の姿をとり、飼葉桶に体を横たえて下さいました。すべてを捨ててまで私たちを救おうとして下さったあなたの愛を感謝します。


 

2020/12/21

はしため

私の霊は私の救い主である神をたたえます。
この卑しいはしために
目を留めてくださったからです。
ご覧ください。今から後、
どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。
(ルカ1:47~48)


 マリアは神をたたえる人でした。感謝を忘れない人、神を礼拝する習慣のある人です。どんなにほめられても謙虚な人で、自分が「はしため」であるという認識を崩しませんでした。はしためとは奴隷女のことです。こんな私に神は目を留めて下さった。もったいない。私は幸せ者です。
 クリスマスはマリアのように主をたたえる時です。幸せを噛みしめる季節です。





2020/12/20

マリアのように

主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。

(ルカ1:45)

 

 マリアがエリサベツの家を訪ねた時、エリサベツは自分のお腹の中の赤ちゃんが大騒ぎしていることに気づいて、マリア、あなたは最も祝福された女性ですと述べました。エリサベツの胎の子は成長してバプテスマのヨハネになり、マリアの子が救い主イエスさまになるからです。
 マリアの純粋で勇気ある信仰がなければクリスマスは成り立ちませんでした。主が語られたなら必ずなる。そう信じたマリアは信仰の人でした。

 主が言われたなら、きっとそうなる。マリアのような信仰が欲しいです。




2020/12/19

クリスマスカード

御使いは彼らに言った。

「恐れることはありません。見なさい。

私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。」

(ルカ2:10)

 

アメリカ滞在中は、12月に入ると色々な人からクリスマスカードが届きました。クリスチャンが送って来るカードなので、メリークリスマスという文字は飾りではありません。主イエスのご降誕を心からお祝いしますという喜びが伝わって来るのでこちらも嬉しくなります。家族の集合写真をプリントして近況などが書いてあり、日本の年賀状的な役割もしてくれます。届いたカードを一枚一枚食器棚の前面に張り付け、クリスマスの日には色とりどりのカードと一緒に祝いました。

最初のクリスマスの時は、もちろんクリスマスカードはありません。でも、天使が主イエスの誕生を知らせてくれました。これって、神さまから羊飼いに向けて送られた最初のクリスマスカードだと言えますね。その上、音楽付きです。

 



2020/12/18

プレゼント

それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、

ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、

黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

(マタイ2:11)

アメリカのクリスマスは、プレゼントのクリスマスと言ってもよいでしょう。12月のウィークエンドはショッピングセンター付近の道路が大渋滞します。広大な駐車場なのに、この時期だけは空きを見つけるのが難しくなります。買い物カートは、家族や親せきへのプレゼントで文字通り山もりになります。プレゼントを渡すときに「ギフトレシート」を付ける場合もあります。プレゼントをもらった後に、品物とギフトレシートを店に持って行けばサイズ交換や現金化ができるシステムです。アメリカらしい合理性(?)ですね。

 

主イエスのもとにやって来た東方の博士たちは、最高の宝をプレゼントとして持って来ました。高価な黄金、乳香、没薬はマリアとヨセフがエジプトで一時滞在するための資金になり、ヘロデ大王の手から逃れることができたのです。クリスマスのプレゼントの本来の趣旨は、主イエスへのささげ物なのです。 

(photo by Kiba)



2020/12/17

住民登録

 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。(ルカ2:1)

 

 住民登録をせよとの命令が皇帝から出ました。とても強制力の強い勅令でした。自分の町に帰って住民登録をする規則だったので、ヨセフは身重の妻を連れてベツレヘムに向かいました。この命令がなければ、主イエスはナザレで生まれたことでしょう。
 預言者ミカは、救い主はダビデの町、ベツレヘムで生まれると預言していました。(ミカ書5:2)皇帝の命令によって、主イエスはベツレヘムで生まれることになったのです。神の不思議な御手が働いていたのです。


 主は、今日も不思議な御手を私達の上に置いて下さいます。私たちの人生の方向を指し示してくださいます。




2020/12/16

メリークリスマスと言わないの?

この方はご自分のところに来られたのに、

ご自分の民はこの方を受け入れなかった。

(ヨハネ1:11)


私たちがアメリカに住んでいた22年間に、一つ大きな変化がありました。テレビやマスメディアで「メリークリスマス」と言わなくなったのです。ショッピングセンターの飾りからも「メリークリスマス」の文字が消え、代わりに「ハッピーホリデー」が使われるようになりました。クリスマスからキリスト教色が外され、無宗教のクリスマスになりつつあります。多民族国家ならではの変化で、訴訟リスクを恐れてのことでしょう。

主イエスが来られた最初のクリスマスでも、羊飼いや博士達ごく少数を除き、誕生を祝う人はいませんでした。主イエスはご自分の国に来られたのに無視されました。それでも、主イエスは来てくださいました。イエスさま、この地上に来て下さって感謝します。

 


 

2020/12/15

光とクリスマス

光は闇の中に輝いている。

闇はこれに打ち勝たなかった。

(ヨハネ1:5)

 

アメリカのクリスマスシーズンに日が沈んでから住宅街を訪ねてみてください。一戸建ての家の屋根や玄関や庭などに素敵なライトが瞬いています。センスが良くて品があり温かい感じのするイルミネーションが、あの家も、隣も、向かい側の家もと続きます。お年寄りだけの家では、わざわざ業者に頼んでライトをつけてもらうそうです。庭に大きな電飾トナカイが立っていて首を振っている家もありました。

クリスマスと光。それは切っても切れない関係です。救い主であるイエスさまが地上に生まれて下さったことが、まさに暗闇に輝く光だからです。主イエスはすべての人を照らす光です。それは愛の光。救いの光。真理の光。希望の光です。

 


 

 

 

2020/12/14

待ち望むクリスマス

 主よ、私はあなたの救いを待ち望む。(創世記49:18)


アメリカのクリスマスの話をします。

12月に入ると、乗用車の屋根にもみの木を乗せて走る姿をよく見かけます。山から切り出した本物の木が特設売り場で売られているので、それを家に持って帰って、クリスマスツリーにするのです。嬉しそうに誇らしげにそして細心の注意を払って運転するお父さん達の様子が微笑ましいです。部屋の中に素敵な森の香りが広がり、お父さんと子供達が楽しそうにツリーを飾ります。クリスマスまでその木が枯れないように水分補給もします。一年で一番楽しいクリスマスを待ち望む準備がこんなふうにして始まります。


今日のみことばのように、創世記の時代の人々も救いを待ち望んでいました。

クリスマスは、待ちに待った救い主の誕生なのです。






2020/12/13

幸せになりたいなら

いのちを愛し

幸せな日々を見ようと願う者は、

舌に悪口を言わせず

唇に欺きを語らせるな。

悪を離れて善を行い

平和を求め、それを追え。

(第一ペテロの手紙3:10~11)


幸せになりたい人の多くが「待ち」の姿勢になりがちです。

私だけが置いてきぼりだ。幸せが訪れてくれない。


こちらから幸せに近づく手段がありますよ。

悪口言わない。嘘つかない。

それだけで幸せ度は上昇します。

善を実行、平和の手助けをすれば、

さらに幸せが増えます。

 

幸せに向かって歩き出しましょう。

あなたの態度、心がけ次第で幸せを見つけられます。


(photo by Minami)



 

 

2020/12/12

栄光の主

すると、弟子たちの目の前で

その御姿が変わった。

顔は太陽のように輝き、

衣は光のように白くなった。

(マタイ17:2)

 

主イエスは三人の弟子だけを連れて山に登られました。

そこで姿が変わったのです。

主イエス本来の栄光の姿に戻ったと言うべきでしょう。

太陽のような輝きだったので、弟子達は目を向けていられません。

主イエスは、いったいどんなお方なのだろう。

主イエスの身近にいて奇跡を多数目撃してきた3人でしたが、

今回ばかりは、その輝きに圧倒させられました。


クリスマスに人になって下さった主イエス。

ナザレの大工として生活された神の子。

その方こそ、栄光に満ちた神、世界の造り主、王の王。

主よ、心からあなたを礼拝します。

 

(photo by Minami)


 

 

 



 

 



2020/12/11

隠さない

自分の背きを隠す者は成功しない。

告白して捨てる者はあわれみを受ける。

(箴言28:13)

 

隠し事を持っている人は、落ち着きません。

いつ見つかるかとビクビクしています。


何か過ちを犯したら、時間を置かずに謝ること。 

それが一番良い選択です。

ごめんなさいを先延ばしすると、言えなくなります。

 

告白するのはつらいですが

それが唯一の解決方法です。




 

 

2020/12/10

正しい方

主は、そのただ中にあって正しく、

決して不正を行われない。

ご自分の公正を、朝ごとに

くまなく照らす光とされる。

しかし、不正を働く者は恥を知らない。

(ゼパニヤ書3:5)

 

政治家たちはオオカミだ、

祭司たちは裏切り者だと預言者ゼパニヤは糾弾しました。

政治が腐敗し正義が失われると、

民衆の道徳心が失われ、町が荒れます。

正しさ。それは、なんとすがすがしい言葉でしょう。


正義には常に難問が突きつけられています。

 自分は本当に正しいのか。

 自分の都合で言っていないか。

 自分には甘いんじゃないか。


一点の曇りのない正しさを持っているのは神です。

そこに気づくだけで心が落ち着きます。

主よ、私にあなたの正しさを分けて下さい。

 


 



 

 

 



2020/12/09

怒っていない

主はいつまでも争ってはおられない。

とこしえに怒ってはおられない。

私たちの罪にしたがって

私たちを扱うことをせず

私たちの咎にしたがって

私たちに報いをされることもない。

(詩篇103:9~10)

 

「あの人、あなたの事を怒っているよ」 

と人づてに聞くと、心配と不安が土石流のように襲って来ます。

あんな事しなければ良かった。言わなければよかった。

 

神さまも私を怒っているだろうな。

あんな事したんだから。

もうだめだ。神さまの前に立てない。 終わりだ。

 

そう感じている人は、今日の言葉をちゃんと読みましょう。 

下を向かないで、後ろを向かないで、主をみましょう。

主は怒っていません。


クリスマスが近づきました。

主は微笑んでおられると思いませんか。

 

(Designed by Megumi  K)




 


 



2020/12/08

クリスマス用ビデオ

普段教会に来てない方を念頭に置いて、
クリスマス3分メッセージ動画を作りました。
以下の画像をクリックしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

うまくいかない場合は、以下のアドレスをクリックしてください。

https://vimeo.com/488411672



 

主の霊が下る

主の霊があなたの上に激しく下り、

あなたも彼らと一緒に預言して、

新しい人に変えられます。

これらのしるしがあなたに起こったら、

自分の力でできることをしなさい。

神があなたとともにおられるのですから。

(第一サムエル10:6~7)

 

祭司サムエルはサウルに油を注ぎ、

これから起こる事を明らかにしました。

主の霊があなたに下る。変えられる。

示されたことを大胆に行え。


事実、ヤベシュ・ギルアデの人々の絶望的危機を聞いても悲観せず、

サウル王は炎のように全国民に呼びかけ、

指導力を発揮して彼らを救い出しました。


私は、同じレールの上を毎日進む機関車だと考える人が多いです。

でも、主の霊が下ると、変えられます。

レールを離れ、飛び立てます。

 


 

 

 

 

 

2020/12/07

住まい

たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、

私たちには天に、神が下さる建物、

人の手によらない永遠の住まいがあることを、

私たちは知っています。

(第二コリント5:1)

 

中学生や高校生に老化について尋ねても

学校の廊下しかイメージできないでしょう。

歳を重ねた人は、自分の体で老化を日々感じています。


子供は、家のローンの事など考えません。

大人たちは、住まいの支払いで頭を悩ませます。


私たちの肉体、地上の幕屋は老化し、いつか壊れます。

でも、神が永遠の住まいを下さると書いてあります。

ここに希望があります。

だから、先のことは、心配しないこと。






 

2020/12/06

嵐をしずめる主

この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと

主は彼らを苦悩から導き出された。

主が嵐を鎮められると、

波は穏やかになった。

(詩篇107:28~29)


人生の嵐、それは、予告もなくやってきます。 

自分の力では太刀打ちできないので、翻弄されます。

 

そんな時、私たちは主に祈ります。

助けて下さい。もうだめかもしれません。

 

眠れない夜を何度も過ごし、泣きながら眠りについて、

翌朝、新たな知恵や希望の道が示されたり、

思いがけない助けが突如として与えられることもあります。

主は、嵐を鎮めて下さる方です。

 


 

 

 

2020/12/05

あわれみ深い人

 あわれみ深い者は幸いです。

その人たちはあわれみを受けるからです。

(マタイ5:7)

 

若い頃、私も何度かスキーをしました。

午後の疲れた頃、凍った斜面で転んで不覚にも顔面を打ちました。

山から戻っても痛みが取れませんでした。

ある方が、「顔って、とっても痛いんですよね」と

顔をしかめて深く同情してくれました。

それだけで癒されました。

 

この冷たい世の中にどうしても必要なのは

あわれみ深い人です。


(photo by Minami)




2020/12/04

仕事に取りかかれ

しかし今、ゼルバベルよ、強くあれ。

─主のことば─

エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ、強くあれ。

この国のすべての民よ。強くあれ。

─主のことば─

仕事に取りかかれ。

わたしがあなたがたとともにいるからだ。

─万軍の主のことば─

(ハガイ書2:4)

 

エルサレムは廃墟となり、

最も希望の見えない時でした。


預言者ハガイは、そんな時に、神のみこころを語り、

さあ、仕事に取りかかろう、神殿を再建しようと、

総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアを励ましたのでした。

 

あなたが廃墟に暮し、それに慣れてしまって、

何をやっても無駄だと感じているなら、

今日の聖句はあなたのためです。

主がともにおられるので再建は可能なのです。

強くあれ。立ちあがる時だ。

 



 

 

 


 

2020/12/03

罪をぬぐう神

ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。

そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。

(使徒3:19)

 

お母さんが、幼い子供に良くこう言います。

 「ごめんなさいは!」

子供がごめんなさいをなかなか言わないからです。

人は、何歳であっても、謝りたくないのです。

恥だから、自分の非を認めたくありません。

 

完全に正しい神の前に私たちが出ると、

自分の醜さや汚れを隠せなくなります。

信じられないほど優しく深い神の愛に触れると

「ごめんなさい」が言えます。

言い訳もせず、あるがままの自分を披歴し、

罪を悔い改めることができます。

その時、神は罪のよごれを完全にぬぐい去ってくれます。


(photo by Minami)





2020/12/02

神の子ども

しかし、この方を受け入れた人々、

すなわち、その名を受け入れた人々には、

神の子どもとなる特権をお与えになった。

(ヨハネ1:12)

 

望まれない妊娠で生まれた赤ちゃん、

家庭内の複雑な事情で施設に入った幼子、

そうした子供を自分たちの本当の子にするために

養子縁組する人たちがいます。

子供がその家にやって来た日、親たちは必ず言います。

「今日から、あなたは、うちの子だよ。」

 

同じことが天の家で起きています。

「今日から、うちの子だよ」

こんな問題児ですみません、と時々思います。

主よ、子にして下さって感謝します。


(photo by Minami)



 

2020/12/01

網を洗う人たち

さて、群衆が神のことばを聞こうとして

イエスに押し迫って来たとき、

イエスはゲネサレ湖の岸辺に立って、

岸辺に小舟が二艘あるのをご覧になった。

漁師たちは舟から降りて網を洗っていた。

(ルカ5:1~2)

 

群衆は主イエスの話を聞きたかったのです。

押し迫る様子にその熱意を感じます。

ペテロたち漁師は、この時、人々とはだいぶ違いました。

徹夜の仕事で体が冷え、 不漁のために心が萎えていました。

私たちも、主イエスの言葉が聞こえないほど

疲れ果てることがあります。

 

主イエスは、元気のない漁師たちに目を留めて、

舟に乗せて欲しいとリクエストしました。

群衆に語りながらも、本当は

背中でペテロに語ろうとされたのです。

 

主イエスは、疲れたあなたにこそ

伝えたい事があるようです。


(photo by Minami)