2021/04/30

強くあれ

ただ強くあれ、雄々しくあれ。
わたしのしもべモーセがあなたに命じた
律法のすべてを守り行うためである。
これを離れて、右にも左にもそれてはならない。
あなたが行くところどこででも、
あなたが栄えるためである。
(ヨシュア記1:7)

スケート初心者は下ばかり見て
姿勢が悪くなるので転びます。
安定姿勢で遠くを見られる人は上級者です。

ヨシュアも初心者でした。モーセの後を引き継いだばかりでした。

律法に従いまっすぐ進め、右にも左にもそれるなと
主はヨシュアに命じられました。

怖い指導者になれというのではありません。
神を信頼せよ、誰よりも強く。
神の言葉を行うことにおいて、雄々しくあれ。
そうすれば、良きリーダーになれるのです。

さあ胸を張れ、雄々しくあれ、強くあれ!

(photo by Minami)




2021/04/29

変わらない

イエス・キリストは、
昨日も今日も、
とこしえに変わることがありません。
(ヘブル13:8)

久しぶりに会ってみたら、
かなり違う人になっていた、という事ありませんか。
信頼できる人は、昔も今も変わらない人です。

主イエスと私との出会いは、
私が神を知らず、心の汚れを抱えていた時でした。
主イエスはありのままの私を愛してくれました。

それからずっと、そのままの私を受け止めてくれました。
たとえ自分に嫌気がさすような時も、
主イエスの愛は変わりませんでした。

明日の私も主イエスは愛してくれます。
「ずいぶん自信があるのですね」と突っ込まれそうです。
はい、自信があります。
だって、今日のみことばに書いてあるでしょ。

(photo by Minami)


2021/04/28

主が示す地へ

主はアブラムに言われた。
「あなたは、あなたの土地、
あなたの親族、あなたの父の家を離れて、
わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
あなたを祝福し、
あなたの名を大いなるものとする。
あなたは祝福となりなさい。」
(創世記12:1~2)

アブラハムが主の命令に従い、まだ見ぬ地、
知り合いもいない場所に出て行ったことで
素晴らしいことが起きました。
ユダヤ民族が成立し、
彼らによって世界が祝福されました。

住み慣れた場所から引っ越すことや、
実家から離れることが、
誰かの祝福につながることがあるのです。

自分の安全地帯から出ると、
もっと主に信頼するようになり、
新しい人と触れ合い福音を語るきっかけができます。

主が示して下さる土地があるなら、
思い切って出て行きましょう。

新しい職場や学校や環境に入ったあなたは、
周囲の人を祝福する機会を頂いたのです。
さあ、花を咲かせましょう。

(photo by Minami)


 


2021/04/27

緋色を純白に

「さあ、来たれ。論じ合おう。
─主は言われる─
たとえあなたがたの罪が緋のように赤くても、
雪のように白くなる。
たとえ、紅のように赤くても、
羊の毛のようになる。」
(イザヤ1:18)

もう隠せない、嘘もつきとおせない、
正直に自分の罪を話そう。

そう心で決めても、恐れは消えません。
殴られるかも、ののしられるだろうな、
縁を切られるかもしれないと私たちは考えます。
でも神はそんな方ではありません。

赤布を脱色して白くするのは難しい事です。
主は、緋色を純白にすると宣言され、
どんな罪でも赦すという姿勢を表明されたのです。

白くなれる。
人生のリスタートが可能なのです。

今日も、主の前に出ましょう。
豊かに赦して下さる方の前に。

(photo by Minami)




2021/04/26

誰が偉いのか

しかし、あなたがたは、
そうであってはいけません。
あなたがたの間で一番偉い人は、
一番若い者のようになりなさい。
上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。
(ルカ22:26)

普通、リーダーというものは、
能力、勤続年数、人気、人脈、実績、などで選ばれる。
指導者になれば権力を握り、あごで人を動かせると考えます。
弟子たちはそれと同じ発想を持っていました。

主イエスのリーダー像はその逆です。
世間のリーダー像を捨てよと言うのです。
上に立つ者ほど謙虚になり
率先して仕えなさいと教え、
その言葉通りに主イエスは生きたのです。

年齢が上がったり、出世したり、
先輩と呼ばれるようになったなら、
主イエスの言葉を思い出しましょう。

(photo by Minami)





2021/04/25

起き上がる

私の敵よ、
私のことで喜ぶな。
私は倒れても起き上がる。
私は闇の中に座しても、
主が私の光だ。
(ミカ書7:8)

これは人生の苦難を経験した人の言葉です。

敵の攻撃を受け、ひどい痛手を受けたのです。
あざけられ、いじめられたのです。

希望のかけらも見いだせない時期を過ごし、
地面に倒れて泥にまみれていたのです。

でも、倒れたら起き上がればいい。
闇の中にいるなら、光である主に頼ればいい。
必ず立ち上がれる。
主が私の光だからです。

(photo by Minami)


 

2021/04/24

天の窓を開いて

十分の一をことごとく、
宝物蔵に携えて来て、
わたしの家の食物とせよ。
こうしてわたしを試してみよ。
─万軍の主は言われる─
わたしがあなたがたのために天の窓を開き、
あふれるばかりの祝福を
あなたがたに注ぐかどうか。
(マラキ3:10)

主から何かをいただいた時、
十分の一を主にお返しする習慣の人がいます。
それは素晴らしいことです。

今日のみことばは、あなたが持ってくれば
「あふれるばかりの祝福」を注ぐという主の約束です。

信仰は抽象的なものではなく具体的で
目に見える形であらわれます。

子供の誕生日プレゼントを後ろ手に隠し、
ドアの向こうで待機しているパパの姿を想像して下さい。
主はあなたに祝福を注ぐ準備中です。

(photo by Minami)












2021/04/23

やめなかった人々

そして毎日、
宮や家々でイエスがキリストであると教え、
宣べ伝えることをやめなかった。
(使徒5:42)

初代教会の人々は勇気がありました。
ペンテコステの日に3000人が救われ、
その後もクリスチャンが増え、当局に目を付けられ、
ペテロが逮捕されて鞭うたれ伝道禁止命令を受け
脅された直後の様子が今日のみことばです。

彼らは当局の命令にも屈しません。
福音を伝えるのをやめませんでした。
伝えたい。伝えずにはおられない。

主イエスはよみがえられた救い主であり、
主イエスを信じるなら人生が変わり、
罪ゆるされ、本当の幸せがやってくる。

暴力、経済的村八分、暴言、逮捕の脅しなどにひるみません。
それは、真理を知ったから、救われた喜びがあるから、
主イエスとのつながりの素晴らしさを知っていたからです。

主イエスを伝えたいですね。

(photo by Hattori)




2021/04/22

気落ちした者へ

しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、
テトスが来たことで私たちを慰めてくださいました。
(第二コリント7:6)

パウロにも心配や憂いがあったのです。
安らぎがなくて、
たくさん苦しみがあり、
外には戦い、内には恐れがあったと
5節で告白しています。

心配ごとが複数になると
たいていの人はパニックになります。
何から対処したらよいか判断がつきません。
パウロが冷静に戻れたきっかけは、
一人の人物が到着したことでした。
パウロの弟子のテトスです。

テトスが携えて来たニュースを聞いて安堵したのです。
また、彼の存在自体が新鮮な風になりました。
パウロは、一連のグッドニュースをもたらしてくれた神に
心から感謝をささげました。
神は気落ちした者を慰めて下さるお方です。

(photo by Minami)


2021/04/21

いのちの限り

私はいのちの限り、主に歌い
生きるかぎり、私の神をほめ歌います。
(詩編105:33)

主から命を頂き、
今まで生かされてきました。
ずっと守られてきました。
こんな私を愛してもらいました。

私が主を忘れたり、背を向けた時もありましたが、
主の温かい視線は私に向けられていました。
それを思うと感謝が生まれ、
賛美の歌が口から出てきます。

体の弱さを感じるようになっても、
年を重ねて白髪が増えても、
生きるかぎり主にほめ歌を歌います。

(photo by Minami)




2021/04/20

男は黙って

そういうわけで、
私はこう願っています。
男たちは怒ったり言い争ったりせずに、
どこででも、
きよい手を上げて祈りなさい。
(第一テモテ2:8)

男が理性的だというのは迷信です。
そう言われて怒っている人がいたら、
ほら、証明したようなものです。

自分の思い通りにならない時、
男性は闘争本能に火が付いて勝ちに行きます。
怒りの剣幕の大きさで優位に立とうとしたり、
議論(屁理屈)で言い負かしたりします。

パウロはそんな男性に助言しました。
怒るな、戦うな、祈れ。

祈るなら、状況がクリアに見えます。
自分を冷静に見つめられます。
主のみこころと、主イエスのまなざしを感じられます。

どこででも、どんな状況でも、
まずは静まり、祈りましょう。

(photo by Hattori)





2021/04/19

救い出す

それゆえ、イスラエルの子らに言え。
「わたしは主である。
わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す。
あなたがたを重い労働から救い出し、
伸ばされた腕と大いなるさばきによって贖う。」
(出エジプト記6:6)

イスラエルの民はエジプトで奴隷でした。
苦しい日々でした。
彼らを救うため、主はモーセを遣わし、
最初にこう宣言されたのです。
ご自分の腕によって民を必ずエジプトから救い出す、
エジプトに大いなるさばきを行うと。

でもイスラエルの民には、
夢物語のようにしか聞こえません。
仕事の厳しさで失意に飲み込まれたのです。

日常生活の辛さに押しつぶされて、
希望の光に目をつぶってはいけません。
わたしは主であると言われる方が、
救い出すと宣言されたら、必ずそうなります。

(photo by Hattori)




2021/04/18

知恵を授けられ

神はこの四人の少年に、
知識と、あらゆる文学を理解する力と、
知恵を授けられた。
ダニエルは、すべての幻と夢を解くことができた。
(ダニエル書1:17)

バビロンの宮廷で将来働くため、
優秀な若者が各地から集められました。
その中にダニエルを含む四人のユダヤ人がいました。

彼ら四人は頭脳明晰で特別に優れていました。
勉強熱心や努力の結果ではなく、
それは、主から授けられたギフトでした。

あなたに何かの長所があれば神からの賜物です。
それがきちんと理解できれば、謙虚になれます。
主と人々のために積極的に用いて下さい。

(photo by Minami)


2021/04/17

のがれの町

たとえ血の復讐をする者が彼らを追って来ても、
その手に殺人者を渡してはならない。
彼は隣人を意図せずに打ち殺してしまったのであって、
前からその人を憎んでいたわけではないからである。
(ヨシュア記20:5)

旧約時代の司法制度に「のがれの町」がある。
故意の殺人ではなく、過失で誰かを死に至らせた場合、
のがれの町に逃げ込むなら命を保証するという仕組みです。

家族を殺された悲しみと怒りから、
過失犯であっても復讐したいという身内の気持ちは理解できます。
死に至らしめた当人は、自分の注意不足を強く悔やみます。

聖書は、過失殺人犯に「生きよ」と言います。
のがれの町で第二の人生を歩みなさいと励まします。
大祭司が死んだ場合は、罪が贖われたと理解するので、
恩赦され、自分の町に戻れます。

私たちは誰でも失敗します。
こうした聖書の考え方に救われます。
どんな状況からであっても、やり直してみましょう。

(photo by Minami)



2021/04/16

来なさい

するとペテロが答えて、
「主よ。あなたでしたら、私に命じて、
水の上を歩いてあなたのところに行かせてください。」
と言った。
イエスは、「来なさい」と言われた。
そこでペテロは舟から出て、
水の上を歩いてイエスの方に行った。
(マタイ14:27~28)

真夜中の湖。強い風。岸から遠く離れた揺れる舟。
そんな舟に乗っていたら私だったら怖いです。
漁師のペテロは平気だったのかな。

水面を歩く主イエスの姿を見て、
ペテロもやってみたくなりました。
湖面を歩ける理屈は誰も分かりません。
たった一つ明らかなことは、
ペテロが主イエスを信頼したので水の上を歩けたのです。

あなたにとって、水の上を歩くとは何ですか。
新しい仕事、新しい人間関係、困難に立ち向かうこと。

主イエスは、「来なさい」と呼んでくれます。
主を信頼するなら、歩けます。










2021/04/15

穴を開けてもいい

すると、人々が一人の中風の人を、
みもとに連れて来た。
彼は四人の人に担がれていた。
彼らは群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、
イエスがおられるあたりの屋根をはがし、
穴を開けて、中風の人が寝ている寝床をつり降ろした。
(マルコ2:3~4)

屋根をはがすなんて、やりすぎ。ヤーネ!
現代人も、2000年前の人も。

イエスさまなら癒すことができる。
その一心で寝床ごと中風の人を連れて来た四人は、
誰も考えつかない方法を実行しました。
この発想の柔軟さは、彼らの勇気と信仰と愛と祈りの表れです。
私としては大拍手を送りたいです。

誰かのために、主の栄光のために、福音のために、
もっとクリエイティブに頭脳を使いましょう。
屋根をはがしたら、後で直せば良いのです。


2021/04/14

主は味方

苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。
主は答えて、私を広やかな地へ導かれた。
主は私の味方。私は恐れない。
人は私に何ができよう。
主は私の味方。私を助ける方。
私は、私を憎む者をものともしない。
(詩編118:5~7)

私たちが恐れるものが二つあります。
将来の悪い結果と苦手な人です。

今、怖がっている人の顔が目に浮かびますか。
それなら、今日の聖句をしっかり握って下さい。
主が味方なら、人など怖くありません。
人に何ができるのですか。

苦しい時は出口が見えないし、
狭い所であがいている気がします。
主は、私たちを広い場所に導かれる方です。

今日も主と共に歩きましょう。
あなたの横におられるのは万軍の主です。

(photo by Minami)






2021/04/13

その夜

 その夜、主がパウロのそばに立って、
「勇気を出しなさい。
あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、
ローマでも証しをしなければならない。」と言われた。
(使徒23:11)

パウロはエルサレムで逮捕され、裁判を受けました。
死刑が濃厚でしたが審議が混乱し判決延期になった夜、
拘置所のパウロは落ち着かず熟睡できません。

そんな夜です。主イエスが現れて下さったのは。

不運なエラーで満塁になったエースピッチャーのマウンドに
監督が歩み寄り、君以外に誰がいる、任せたぞ、
と笑顔で語りかける姿に似ています。

パウロよ、エルサレムの次はローマだ。
それまでの命は保証する。心配するな。
今まで通り福音を語り続けよ。

主イエスは、私たちの孤独で不安な夜に現れて下さいます。
勇気を出すのだ。わたしが共にいると。

(photo by Minami)


2021/04/12

慰めの子

キプロス生まれのレビ人で、
使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と
呼ばれていたヨセフも、
所有していた畑を売り、
その代金を持って来て、
使徒たちの足もとに置いた。
(使徒4:36~37)

ヨセフというのが彼の本名でした。
でもエルサレム教会の人々は本名ではなく、バルナバと呼びました。
使徒たちが彼を「慰めの子」と呼び始めたからです。

全身が慰めに満ちている人に違いありません。
人懐っこい笑顔で、聞き上手。
人一倍の苦労人かもしれません。
使徒も含めて、みんなが彼から慰めを受けたのです。

パウロはバルナバの口添えで教会の一員と認められました。
マルコもバルナバの援助で失敗から立ち直りました。

今日の箇所には、
バルナバが自分の畑を売って献金した様子が書かれています。
人を慰める事も献金する事も彼にとっては自然な行為で、
経済的窮状に陥った人への共感が献金という形に代わったのです。

主よ、私もバルナバにしてください。

(photo by Minami)


2021/04/11

約束と祝福

これらのことを証しする方が言われる。
「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン。
主イエスよ、来てください。
主イエスの恵みが、
すべての者とともにありますように。
(ヨハネの黙示録22:20~21)

新約聖書はどんなふうに終わっているの?
その質問への回答が今日の箇所です。

約束と祝福が新約聖書の最後を飾っています。
主イエスは十字架で死なれ、よみがえり、
天にお帰りになりましたが、
必ずこの地上に戻ると約束されました。
この預言はまだ成就していません。

主イエスの恵みは、この言葉の通り、
今も私たちを包んでくれています。

マラソン大会スタート地点で見かける、よくある夫婦の会話。
ランナーの夫が「それじゃ行ってくるよ」と緊張気味に言う。
「途中の2箇所で声援するから」と妻が笑顔で応える。
「ありがとう」「ゴールで待ってるわ、頑張ってね」

主イエスは私たちの人生を応援し、
最後に必ず待っていてくれる方です。

(photo by Minami)




2021/04/10

ゆとりと不足

今あなたがたのゆとりが彼らの不足を補うことは、
いずれ彼らのゆとりが
あなたがたの不足を補うことになり、
そのようにして平等になるのです。
(第二コリント8:14)

マケドニア地方の諸教会が献金をささげ、
エルサレム教会の経済問題を助けようとしました。
コリント教会もこの働きに協力してほしいと、
パウロが要請した文章の一部が今日の箇所です。

少しゆとりがあったら、その分で誰かを助けられる。
逆に自分が困った時は、誰かのゆとりで応援してもらえる。
これは、無理なく続けられる相互援助の考え方です。

家計のある部分を誰かの緊急事態に備えて取り分けておく。
そういう姿勢は、いざという時に役に立ちます。

どうしても必要だけど、お金がないと私が困っていた時、
妻が「これを使って」と言って差し出してくれたことがありました。
どんなに感謝したか分かりません。家庭内でも同じ発想が生かせます。

家族以外の誰かに役立つものを備えておく。
みんながそうすれば、みんなが笑顔になれます。

(photo by Hattori)




2021/04/09

日ごとの糧を与えたまえ

私たちの日ごとの糧を
今日もお与えください。
(マタイ6:11)

家の電話を取って、ついこう応えた人がいました。
「はい、天のおとうさま」

主の祈りも、無意識に口から言葉を出して、
祈った内容に注意を払っていない場合がありますね。
貯金が無くなり、米びつが空になり、
子供の学用品も買えなくなると、
今日の食事をお与え下さいと真剣に祈るようになります。

働ける、生活できる、三度の食事ができる。
それは当然ではなく、また、私たちの努力のたまものでもなく、
主の恵みと愛と守りがあって実現しているのです。

主への感謝を忘れないように。
日ごとの糧を与えて下さいと、謙虚に祈りましょう。

(photo by Minami)


2021/04/08

あなたの涙を見た

行ってヒゼキヤに告げよ。
「あなたの父ダビデの神、主はこう言われる。
わたしはあなたの祈りを聞いた。
あなたの涙も見た。
わたしはあなたの寿命にもう十五年を加える。」
(イザヤ38:7)

ヒゼキヤ王は大病になり、
命の灯が消えかかっていました。
彼は顔を壁に向けて祈り、
今までどんな思いで生きて来たのかを伝えました。
王という立場も忘れ大声で泣いて懇願しました。

それに対する主の応答が今日の聖句です。
ヒゼキヤ王の涙が本物で
真珠のように純粋なものだと主は認めて下さいました。

ヒゼキヤは主の言葉に感激し、
与えられた15年を大切にしようと思ったことでしょう。

今日も主はあなたの涙をご覧になり、
あなたの祈りを聞いて、
もう15年増やそうと言って下さいます。


2021/04/07

神が曲げたもの

神のわざに目を留めよ。
神が曲げたものを
だれがまっすぐにできるだろうか。
順境の日には幸いを味わい、
逆境の日にはよく考えよ。
これもあれも、神のなさること。
後のことを人に分からせないためである。
(伝道者の書7:13~14)

晴れの日の次は雨。順境も逆境もある。
暖かくなれば桜も咲くし、雨風で散ります。

始末が悪いのは、じたばたする人です。
人のせいにして怒り散らし、運命を呪い、
何も学ばずに同じことを繰り返します。

神が曲げたものは戻りません。
そこがスタートです。大事なポイントに目を留めましょう。

神が教えておられることがあるはずです。
味わい、熟慮し、飛び立ちましょう。

 (photo by Hattori)






2021/04/06

刈り尽くさない

あなたがたが自分の土地の収穫を刈り入れるときは、
畑の隅々まで刈り尽くしてはならない。
収穫した後の落ち穂を拾い集めてはならない。
(レビ記19:9)

有名なミレーの絵「落穂拾い」を思い出しますね。

今日の聖句は金持ちや地主への命令です。
貧しい人のことを忘れるな、
彼らが生活できるようにあなたの務めを果たしなさい。

人より多くを所有しているなら、
それが富でも、能力でも、地位でも何であれ、
主が与えたものなので主は命令できるのです。

一人勝ち、独り占めはやめよう、
周囲の人に温かい目を向け、
みんなが笑顔になれるように、
そういう社会を作ろうよ。あなたから始めるんだ。
それが神の思い、それが神の国なのです。

(photo by Minami)


 





2021/04/05

世を照らす光

 イエスは再び人々に語られた。
「わたしは世の光です。
わたしに従う者は、
決して闇の中を歩むことがなく、
いのちの光を持ちます。」
(ヨハネ8:12)

ヨハネの福音書には主イエスが繰り返す
「わたしは~です」という有名なフレーズがあります。
わたしは、世の光、いのちのパン、救いの門、
良い羊飼い、よみがえり、
道・真理・いのち、ぶどうの木だと言われました。

今日の箇所では主イエスが光だという事が分かります。
多くの人は暗闇に取り巻かれ、正しい事を判別できず、
悪に傾き、途方に暮れています。
まるで無灯火で真っ暗な山道を走る自動車のようです。

主イエスを信じる者はまったく違います。
光であるイエスが私たちと共におられるので
闇が逃げ去り、昼間の人生を歩めるのです。

光であるイエスさま、今日も私を照らして下さい。

(photo by Minami)





2021/04/04

イースター

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、
弟子たちがいたところでは、
ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。
すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、
こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」
(ヨハネ20:19)

イースターおめでとうございます。
主イエスはよみがえられました。

主は死に打ち勝ち、罪の赦しを完成させ、
永遠の命の確証を与えて下さいました。

主イエスの死に直面し悲しみに暮れ、
将来を失った弟子たちの前に、
主イエスは日曜日の夕方に現れて下さり、
励まして下さいました。

主イエスだけが与える事のできる平安を届けて下さいました。
ハレルヤ、主は今日も生きておられます。




2021/04/03

泉が湧くところ

なんと幸いなことでしょう。
その力があなたにあり、
心の中にシオンへの大路のある人は。
彼らは涙の谷を過ぎるときも
そこを泉の湧く所とします。
初めの雨も、そこを大いなる祝福でおおいます。
彼らは力から力へと進み
シオンで神の御前に現れます。
(詩編84:5〜7)

誰もが例外なく涙の谷を通ります。
別れを経験し、夢破れ、孤独を感じ、傷を負います。
それが人生です。

涙を流して暗い谷をとぼとぼ歩いていた人が
泉を見つけて、周囲の人を潤すことがあります。

シオンとはエルサレムのことで、
神殿の都、あるいは神ご自身と理解しても良いでしょう。
つまり、悲しみの中でも神とつながりを持っている人には
新しい力と恵みが思いがけない方法で与えられるということです。
主が私たちと共にいて下さるので涙の谷でも泉が見つかるのです。

主よ、ここを、泉湧く所として下さい。

(photo by Hattori)





2021/04/02

希望の書

かつて書かれたものはすべて、
私たちを教えるために書かれました。
それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、
私たちが希望を持ち続けるためです。
(ローマ14:4)

思い通りに物事が進まない時に
私たちは忍耐しなければなりません。
自分の弱さに失望している時には励ましが必要です。
壁が立ちはだかり、明日が見えず、困難の雲が晴れない時に
希望の光が一筋でも差し込めば歩き出せます。

聖書は、忍耐と励ましと希望を与えてくれる神の言葉です。
今日の箇所にそれがはっきりと書いてあります。

私たちがくじけそうな時に、
希望を投げ捨てないよう励ましてくれるのが
神であり、支えとなるのが聖書なのです。

希望の見えない今こそ、主を信頼しましょう。

(photo by Kiba)


 




2021/04/01

言葉の剣

軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。
しかし、
知恵ある人の舌は人を癒す。
(箴言12:18)

しまったと気づいても、失言は放たれた矢であり、
人の心を突き刺す鋭利な剣です。

口数の多い人、
声が人より大きい人、
爆発しやすい人、
否定的な考え方の人、
恨みを蓄積している人、
そういう人は気をつけましょう。

むしろ、あなたの言葉を
前向きに用いたらどうでしょう。
他者の言葉に耳を傾けるのも良いことです。

周囲の人の気持ちを汲み取り、
温かい言葉を思いやりを込めて語るなら
あなたは癒す人になれます。

(photo by Minami)