2021/01/31

罪人の私のために

しかし、私たちがまだ罪人であったとき、
キリストが私たちのために死なれたことによって、
神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
(ローマ5:8)

信仰を持つ前の自分を思い出してほしい。
次のように考えて生きていたのではありませんか。
神などいない。
信仰を持つのは弱い人のすること。
他人はひどい俗物だが、私はまともな人間だ。
人に見つからなければ盗みも嘘も平気。
キリストについてはまったく関心がない。

キリストは、そんな時の私を愛して十字架で死なれました。

高校時代、同級生が私のために祈ってくれていました。
私は何度も断りましたが、彼は誘い続けてくれました。
おかげで高校3年の時に信仰を持てました。
彼のくじけない心と優しさと祈りに今も感謝しています。
そして、私のために命を捨ててくれた主イエスに感謝しています。

(photo by Minami)






 

2021/01/30

正義

多数に従って悪の側に立ってはならない。
訴訟において、多数に従って道からそれ、
ねじ曲げた証言をしてはならない。
また、訴訟において、弱い者を特に重んじてもいけない。
(出エジプト記23:2~3)

大多数が悪いことをしている時に、
一人で反対するのは勇気がいります。
そもそも正義は多数決では決まりません。
主イエスの足跡を探して進むと正義の道になります。

弱い者、少数派を助けたいという志は立派ですが、
彼らの悪に目をつぶることは正義とは言えません。

正しい道を選ぶのは容易ではなく
いばらの道を歩むことになりますが、
その人は神の姿に変えられて行きます。

あなたの正しい道、見えますか。

(photo by Minami)






2021/01/29

虫けら

恐れるな。虫けらのヤコブ、
イスラエルの人々。
わたしがあなたを助ける。
ー主のことばー
あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。
(イザヤ41:14)

人生を振り返ると罪や失敗が多いので、
自分が嫌になる事もあるでしょう。
「あんたなんか人間じゃない」と責められたことも。
自分が虫けら以下だと落ち込んだこともあるかもしれません。

たとえ虫けらのような存在であっても大丈夫。
恐れなくていい。あなたを助け出す。
あなたを解放するため代価を払うと主は言ってくださいます。

恐れるな、虫けらのヤコブ。

(photo by Minami)





2021/01/28

腕を支える主

主によって、人の歩みは確かにされる。
主はその人を喜ばれる。
その人は転んでも、倒れ伏すことはない。
主が、その人の腕を支えておられるからだ。
(詩編37:23~24)

人生は、もろく、危ういもの。
そう感じる時があります。
自分は注目されていないし、
誰からも喜ばれない。
自分は小さく価値がないと感じることもあります。

今日の聖句を見て下さい。
主はあなたを喜び、
あなたの歩みを確かにしておられます。

私たちが道で倒れても、
それで終わりにはなりません。
主があなたの腕をつかんで倒れないように支えておられます。
その指の温かさを感じて下さい。




2021/01/27

幸せにする

主は言われた。
「必ずわたしはあなたを解き放って、
幸せにする。
必ずわたしは、わざわいの時、苦難の時に、
敵があなたにとりなしを頼むようにする。」
(エレミヤ書15:11)

エレミヤ書は国が亡びる最悪の状況下で書かれましたが、
幸せにするという主の約束が何度も登場します。

今、あなたを束縛する苦しみがありますか。
最近、わざわいや苦難を通っていますか。
そうした苦しみから解放する、
また、苦難の状況を大きく変えると主は言われます。

「必ず」という主の言葉をあなたの胸に焼き付けて下さい。



2021/01/26

朽ちない体

死者の復活もこれと同じです。

朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、

卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、

弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、

(第一コリント15:42~43)

復活は種まきに似ているとパウロが説明しました。
種にはそれ自体に命が宿っています。
種が土に蒔かれると、種としての死がやって来ます。
種の外観が崩れ去り、
その代わり根が伸びて、芽が立ち上がります。

同じように私たちの体も朽ちないものによみがえります。
朽ちる体を持った私たちは、死を通過した後、
私という意識は残りながら栄光の体をもった私に変えられます。
そこに神の力が働くのです。

死の先が見えると、生き方も変わります。

(photo by Minami)






 

2021/01/25

塔を建てるとき

あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、
まず座って、完成させるに十分な金があるかどうか、
費用を計算しない人がいるでしょうか。
計算しないと、土台を据えただけでで完成できず、
見ていた人たちはみなその人を嘲って、
「この人は建て始めたのに、完成できなかった」と言うでしょう。
(ルカ14:29~30)

あなたも見たことがあると思います。
基礎工事の骨組みだけで放置された未完成の建造物を。
人生設計をしなさい、良く計画を練りなさいと
主イエスは言われました。

どこかで道を誤ったら軌道修正すればいいのです。
主の助けを祈り求め、主のみこころを確かめ、
自分に与えられているものを数え、主の介入を信じ、
忍耐を働かせて粘り強く進みましょう。

主イエスの弟子は設計者でもあるのです。
明日を夢見る目、完成図を心に掲げ続ける意志を持ちましょう。
そうやってあなたの塔を完成させましょう。


2021/01/24

主に伺う人

ダビデが再び主に伺うと、神は彼に仰せられた。
「彼らを追って上って行くな。
彼らと面と向かわず回り込み、
バルサム樹の茂みの前から彼らに向かえ。」
(第一歴代誌14:14)

ダビデが王になったと聞くとペリシテ人が攻めてきました。
彼は主にみ旨を聞いてから迎撃し勝利しました。
その次に攻撃を受けた時も、自分の判断によらず主のみこころを求めました。
回り込めという指示を主から受けてそれに従い危機を逃れました。

ダビデは、いったん自分の願いを横に置き、
主の指示を求め、
主のみこころが分かったらそれに従う姿勢を常に持っていました。
それがダビデの強さの秘訣だったのです。


 

2021/01/23

子どもです

神の御霊に導かれる人はみな、
神のこどもです。
(ローマ8:14)

はたして、こんな私が神の子だろうか。
時々そんな気持ちに襲われる人がいます。
罪を犯した時、祈っていない時、主から心が離れがちな時、
物事が望まない方向に進む時、
挫折や悲しみや不安に覆われている時など、
私は神の子なのだろうかと考えたりします。

私たちを神から引き離す力は常に働いています。
激しい雨と冷たい風が吹きすさぶとき
傘となって私たちを守ってくれるのが聖霊です。
あなたは間違いなく神の子だと御霊は言い続けてくれています。
いつも私たちの内にいて導かれる御霊よ、ありがとう。
私は神のこどもです。



2021/01/22

捨てない

見よ。わたしはあなたとともにいて、
あなたがどこに行っても、あなたを守り、
あなたをこの地に連れ帰る。
わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、
決してあなたを捨てない。
(創世記28:15)

兄のエサウをだまし、殺されそうになったので
ヤコブは実家を逃げ出し遠くの親戚へ行くことにしました。
野宿した夜、孤独と自己憐憫で眠れなかったはずです。

その夜、夢の中で主が言われたのが今日の言葉です。
祖父と父に与えた約束を守ろう。あなたをこの地に連れ帰す。
どこにいてもあなたは一人じゃない。
どんな過去があろうとあなたを見捨てない。
ヤコブはその場所をベテルと呼び、記念の石を立てました。

私たちもヤコブのような時期を過ごします。
でも、まことの神はあなたを捨てません。




2021/01/21

主イエスのとりなし

したがってイエスは、
いつも生きていて、
彼らのためにとりなしをしておられるので、
ご自分によって神に近づく人々を
完全に救うことがおできになります。
(ヘブル7:25)

「祈っているからね」と信頼できる人に言われると
とても元気が出ます。一生懸命祈ってくれるのが分かるからです。

一人ぼっちで誰も私のことなど心にかけてくれないし、
とりなしの祈りをしてくれる人は、あまりいないだろう。
そう考えている、あ・な・た。イエスさまに失礼です。

主イエスは、今日も生きておられ、
あなたのため、私のために祈ってくれています。
これは大きな祝福です。





2021/01/20

一つだけ

主は答えられた。
「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、
心を乱しています。
しかし、必要なことは一つだけです。
マリアはその良いほうを選びました。
それが彼女から取り上げられることはありません。」
(ルカ10:41~42)

忙しい忙しいが口癖の人がいます。
やってもやっても片付かないので、
イライラが募って周囲の人にかみつくこともあります。
マルタもそのタイプの人でした。

マルタへの主イエスのアドバイスはこうでした。
必要なことは一つだよ。
わたしの言葉をちゃんと聞いてごらん。
それができれば、生活のリズムが整うよ。

今日、マリアになりましょう。


 

2021/01/19

羊飼い

わたしは失われたものを捜し、
追いやられたものを連れ戻し、
傷ついたものを介抱し、
病気のものを力づける。
肥えたものと強いものは根絶やしにする。
わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。
(エゼキエル書34:16)

主は私の羊飼いとダビデは言いました。
エゼキエル書でも、神ご自身が羊飼いであると述べています。
それも、愛にあふれた熱心な羊飼いです。

迷子になったり疎外された者、
傷つけられたり病気で倒れた者を羊飼いは見つけ出して手当します。

今日も主は、弱くて心配性のあなたを捜して励ましてくれます。
大丈夫だ、私が先を行く、ついて来なさいと。




2021/01/18

私を笑う者に

神よ、私を救い出してください。
主よ、急いで私を助けに来てください。
私のいのちを求める者たちが
恥を見、辱められますように。
私のわざわいを喜ぶ者たちが
退き、卑しめられますように。
「あはは」とあざ笑う者たちが
恥をかいて、立ち去りますように。
(詩編70:1~3)

ダビデは若い頃、苦労しました。
国のためや王のために命の危険を顧みずに戦い、
勝利を重ねましたが、かえってサウル王にねたまれました。
その上、命を狙われ、荒野を転々としました。

落ちぶれた姿を何度笑われたでしょうか、
悔しい思いを何度したでしょうか。
ダビデはパワハラといじめを受けていました。

飾りや美辞麗句のないダビデの祈りにならい、
今日はストレートにあなたの願いを主に伝えましょう。


2021/01/17

主の目と心

主は彼に言われた。
「あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。
わたしは、
あなたがわたしの名をとこしえに置くために建てたこの宮を聖別した。
わたしの目と心は、いつもそこにある。」
(第一列王記9:3)

ソロモンが神殿を建設した後に、
主が語って下さったことばです。
ソロモンは感激して聞いたことでしょう。

主を礼拝する者達を主は見ていて下さいます。

たとえ礼拝堂に行けなくてZOOMでの礼拝であっても主の心は向けられています。

主よ、私はあなたを礼拝します。

(photo by Minami)







2021/01/16

任せる

すると、モーセのしゅうとは言った。
「あなたがしていることは良くありません。
あなたも、あなたとともにいるこの民も、
きっと疲れ果ててしまいます。
このことは、あなたにとって荷が重すぎるからです。
あなたはそれを一人ではできません。」
(出エジプト記18:17~18)

モーセは燃え尽きる寸前でした。
市役所の窓口と裁判所と警察と内閣を一人でしていたのです。
モーセの前には毎日長い行列ができていました。
それを見たモーセの妻の父イテロは助言しました、
重荷を背負いすぎている、信頼できる人に任せなさいと。

モーセは忙しさのゆえに自分を客観視できなかったのですが、
イテロの視点に助けられ、リーダーたちを任命することにしました。

あなたも一人で背負いすぎではありませんか。



2021/01/15

御前を歩く

まことに、あなたは私のたましいを死から
私の目を涙から
私の足をつまずきから救い出してくださいました。
私は生ける者の地で
主の御前を歩みます。
(詩編116:8~9)

病気や衰弱で命の危険を感じている人、いますか。
悲しみの中に沈んでいる人、いますか。
日々の生活にもがいている人、いますか。

今日のみことばをよく読んでください。
主は私たちの弱さをご存じで、
そうした悩みから救い出してくださる方なのです。

快晴の日には虹は出ません。雨が降っていて雲の隙間から太陽光が差し込む時だけ虹が出ます。だから虹は美しく、人を勇気づけるのです。希望も同じで、苦しみの中でしか見えないものです。

主は私たちの希望です。主の前を歩き続けましょう。

(photo by Minami)



2021/01/14

幸せにする

わたしは、彼らを幸せにしようと彼らに目をかける。
彼らをこの地に帰らせ、建て直し、
壊すことなく、植えて、引き抜くことはない。
(エレミヤ24:6)

幸せにする、と主は言われました。
誰に対して言われた言葉なのでしょう。
バビロン捕囚とされ故郷から引き離された人々への言葉なのです。

エレミヤ書では「幸せ」という言葉が目を引きます。
困難な時代を生き、辛い境遇に置かれた人に、
幸せがある、幸せを与えると主は繰り返し言われています。

今日も、あなたを幸せにすると主が言っておられます。

(Photo by Minami)







2021/01/13

人はうわべを見る

主はサムエルに言われた。
「彼の容貌や背の高さを見てはならない。
わたしは彼を退けている。
人が見るようには見ないからだ。
人はうわべを見るが、主は心を見る。」
(第一サムエル16:7)

祭司サムエルはイスラエルの王を探していましたが、
神が選ばれた未来の王はエッサイの息子たちの誰かだと分かりました。
長男エリアブを見て、なるほどこの人だと思ったのです。
背は高いし、指導者にふさわしい容姿でした。

違う、エリアブではないと主は言われました。
祭司による人物評価でも、主のみこころと合致しませんでした。
まだまだ外見に流されているというのです。

今日は、身近な人に対する見方を点検してみましょうか。
良いところを見逃しているかもしれません。


2021/01/12

春を待て

私たちは、この望みとともに救われたのです。
目に見える望みは望みではありません。
目で見ているものを、だれが望むでしょうか。
私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、
忍耐して待ち望みます。
(ローマ8:24~25)

忍耐するのはつらいことです。
先が見えない時は苦しみが増します。
でもパウロは言います。
先が見えていたら希望は育たないと。

見えないものを待ち望む人には希望の光が差し込みます。
かならず春が来て花が咲きます。
冬の寒さの中でつぼみを膨らます木々のように
希望を持ちつつ忍耐しましょう。



2021/01/11

主を知る事を追い求める

私たちは知ろう。
主を知ることを切に追い求めよう。
主は暁のように確かに現れ、
大雨のように私たちのところに来られる。
地を潤す、後の雨のように。
(ホセア書6:3)

毎朝、朝日が昇り暗い夜を忘れさせてくれる。
毎年、乾いた大地に雨の季節がやって来て、実りを約束する。
主はそれよりも確かなお方、恵み豊なお方。

だから、そんな素晴らしい主をもっと知ろう。
福音書を丁寧に読み直して主イエスの生き方を知ろう。
旧約聖書から神の偉大さを知ろう。
毎日の小さな出来事の中に主の愛と守りを感じ取ろう。
大自然と大空を見上げて神の偉大さに触れよう。
祈りと礼拝の中で主を知ろう。
主よ、あなたを教えて下さい。


 

2021/01/10

天の賛美

この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、
その周りと内側は目で満ちていた。
そして、昼も夜も休みなく言い続けていた。
「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。
昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」
(ヨハネ黙示録4:8)

ヨハネの黙示録は二つの世界を交互に描いています。
混乱と喧騒と苦しみに満ちた地上の様子と
神の臨在と礼拝者の賛美あふれた栄光の世界です。
どちらも現実です。

感謝とは受けた恵みに基づいてささげるものですが、賛美は違います。
地上の様子とは関係なく天において賛美が続いているように
私たちも神が神であるゆえに賛美する意味があるのです。
どんな時でも、聖なる主なる神をたたえましょう。



2021/01/09

天からのパン

主はモーセに言われた。
「見よ、わたしはあなたたがのために天からパンを降らせる。
民は外に出て行って、毎日、その日の分を集めなければならない。
これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを試みるためである。
(出エジプト記16:4)

寒いですね。

エジプトから救出された民が直面したのは食料問題でした。
パンが手に入らない。小麦粉が無くなった。
人々はモーセを責め、エジプトのほうが良かったと言い始めました。
衣食住とお金と健康の問題が出てくると私たちの信仰は試されます。

主はあわれみ深い神で、
イスラエルの民の願いを聞き入れ、天からパンを降らせてくださいました。
人々は一日分のマナを集めて料理し一日の力としました。

主よ、パンを今日も天から宅配して下さい。



2021/01/08

となりのボアズ

それだけでなく、彼女のために束からわざと穂を抜き落として、
拾い集めさせなさい。
彼女を叱ってはいけない。
(ルツ記2:16)

畑の持ち主のボアズはルツに目を留めました。
ルツの誠実な仕事ぶり、義母への親切、神への純粋な信仰などを知るにつれ
特別に助けてあげたいと彼は思ったのです。
穂を落としてルツの収穫を増やすようにボアズは使用人に命じました。

あなたが主を見上げて歩いていると、
主がボアズをあなたの横に置いてくれることがあります。
それは偶然でもラッキーでもありません。主の恵みなので御名をあがめましょう。


2021/01/07

弱さに

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。
わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。
ですから私は、キリストの力が私をおおうために、
むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
(第二コリント12:9)

パウロには肉体のとげがありました。
それはつらいもので、必死に癒しを求めましたがだめでした。
その代わり、弱さの中にこそ現わされる神の力を知りました。
弱さをマイナスととらえていましたが、恵みの入り口だったのです。

あなたの弱さは何ですか。
そこに主の恵みが注がれ主の力が現わされます。
弱さは強さ、マイナスはプラス、自分が隠れて主が輝く。



2021/01/06

へりくだって

主はあなたに告げられた。
人よ、何が良いことなのか、
主があなたに何を求めておられるのかを。
それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、
へりくだって、
あなたの神とともに歩むことではないか。
(ミカ書6:8)

神が求めておられるのは、
知識のある人、経験豊富な人、能力のある人、成功した人ではありません。
誠実で謙虚さを忘れずに主と共に歩む人です。

低い心はとても大切です。
へりくだった心を失わないように。

その姿勢はイエスさまの中に見られます。私たちは何者でもありません。



2021/01/05

さあ喜ぼう

いつも主にあって喜びなさい。
もう一度言います。喜びなさい。
(ピリピ4:4)

今日はついてないとか、ついているとか、底の浅い価値観でなく
どんな境遇でも喜べる生き方がある。

喜びなさい。これが牢獄にいたパウロの言葉だと知ると驚いてしまう。
先の見えない閉鎖環境にいたパウロのアドバイスがこれです。
コロナ閉塞感で苦しむ私たちへの助言にもなります。

私もここで喜んでいるよ。喜びは信仰。喜びは力。
あなたにもできるはずだ。
そうパウロが言っているのです。
今日は喜びましょう。









2021/01/04

山の上の祈り

群衆を解散させてから、
イエスは祈るために一人で山に登られた。
夕方になっても一人でそこにおられた。
(マタイ14:23)

主イエスはガリラヤ湖周辺の山に登られました。
目的は祈るためです。
夕方から明け方近くまで
舟に乗っていた弟子たちのために主は祈っておられました。
どんな事を祈られたのでしょう。
神の子のイエスさまに祈ってもらえた十二弟子は幸いです。


新約聖書によると、主イエスは今も私たちのためにとりなしの祈りをしておられます。ありがたく、もったいない感じがします。私たちは主イエスに祈られて生きていくのです。今日も良い日になりますように。

(photo by Minami)




2021/01/03

求めてみる

今まで、あなたがたは、
わたしの名によって何も求めたことがありません。
求めなさい。そうすれば、受けます。
あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。
(ヨハネ16:24)

昨年は良いことがなかったから、今年も良いことはない。
そう決めつける人が案外いますね。
結局、願い通りにはならなかった。
そういう経験が多いと求めない人になります。

主イエスは、そういう人の背中を押してくれます。
わたしの名前によって、求めてごらん。
わたしを信頼してごらん。
求めれば受ける。あなたに喜びが来る。
主イエスは、そう言っておられます。


(photo by Hattori)



2021/01/02

この町には

ある夜、主は幻によってパウロに言われた。
「恐れないで、語り続けなさい。
黙ってはいけない。
わたしがあなたとともにいるので、
あなたを襲って危害を加える者はいない。
この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」
(使徒18:9~10)

コリントは大都会でした。
パウロはそこで福音を語っていましたが、ユダヤ人の反対にも直面しました。
ある夜、恐れるな、黙るな、危害は及ばないと主はパウロを励まして、
この町には「わたしの民がたくさんいる」と言われました。
まだ見たことのない主イエスの民がいる。これから加わる人たちがいる。
パウロの目は開かれました。
それを励みに1年6か月腰をすえて伝道しコリント教会が誕生しました。

この町には、わたしの民がたくさんいる。必ずいるはずです。



 

 

2021/01/01

新しい歌を主に

新しい歌を主に歌え。
全地よ、主に歌え。
主に歌え。御名をほめたたえよ。
日から日へと、御救いの知らせを告げよ。
(詩編96:1~2)

主の御名をほめたたえます。あけましておめでとうございます。

どんなプレイズでも讃美歌でもかまいません、新年に賛美しましょう。
高らかに主にほめ歌をささげましょう。

主の恵みを新たに発見するたびに、私たちの歌は新しくなります。
主から頂いた祝福を数え直すと新しい歌になります。
主に期待するなら希望の光が射して歌が生まれます。
聖霊が私を日々に刷新して下さるので、新しい歌が出てきます。
ハレルヤ、主よ、今年の歩みを祝福して下さい。私を用いて下さい。あなたの栄光を見せて下さい。