2022/10/31

泥沼から

私を泥沼から救い出し
沈まないようにしてください。
私を憎む者どもから
大水の底から
救い出してください。
(詩篇69:14)

救急車を呼んだ事がありますか。
電車の中で気分が悪くなって
見知らぬ人に助けられた事がありますか。

もうだめだ、自力では無理だと分かったとき
私たちはは助けを求めます。

必死に助けを求める時は、
自分の無力さを受け入れ
とても純粋な気持ちになっています。
自分をゆだね切っています。

泥沼、私を憎む者、水底、とは
自分にどうにもできない
大きな困難や悩みを指しています。

あなたの泥沼が何であろうと、
私たちをレスキューしてくれる
まことの神がおられます。
「救い出してください」と祈りましょう。


2022/10/30

核心に触れる

イエスは彼女に言われた。
「行って、あなたの夫を呼んで来なさい。」
彼女は答えた。「私には夫がいません。」
イエスは言われた。
「自分には夫がいない、と言ったのはそのとおりです。

あなたには夫が五人いましたが、

今一緒にいるのは夫ではないから。
あなたは本当のことを言いました。」

(ヨハネ4:16~18)

主イエスはサマリヤの女に
核心を突いた事を言いました。
あなたの夫を連れておいでと。

彼女は、夫がいないと正直に答えました。
愛に悩み、真実の愛を求めていたのです。
彼女は主イエスの指摘にとても驚きました。

私たちは何かの問題を抱えて
人には見せないように生きています。
でも、主イエスはそれを知っておられます。
そして、その問題の原因を掘り下げ、
根本的な解決の道を示して下さるお方です。

あなたの夫を呼んで来なさいという問いかけは
一番深刻な悩みを持って来なさいと聞こえます。

恥ずかしがることはありません。
あなたの問題を主イエスに持って行きましょう。
主がそれを背負ってくれます。

2022/10/29

時がある

すべてのことには
定まった時期があり、
天の下のすべての営みに時がある

生まれるのに時があり、

死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、
植えたものを抜くのに時がある。
(伝道者の書3:1~2)

私は100歳まで生きたいとは思いません。
あなたはどうですか。

生まれる日は自分で選べなかったのですが、
今の時代に生まれた事を感謝しています。
主がそうして下さったのだと思います。

やがて、この世を去る時が来ます。
生まれた時代を感謝しているように
死ぬタイミングも感謝できるようなら
幸いですね。

始めがあれば必ず終わりが来ます。
生まれれば死ぬ時が来ます。

命は神の管理下にある厳粛なものです。

すべての時、すべての人生の節目は
真実な神の温かい御手の中にあります。

生まれるのに時があり、
死ぬのに時があります。

 

 

2022/10/28

エパタ

そして天を見上げ、深く息をして、
その人に「エパタ」、
すなわち「開け」と言われた。
すると、すぐに彼の耳が開き、
舌のもつれが解け、
はっきりと話せるようになった。
(マルコ7:34~35)

耳がきこえず、口のきけない人がいました。
人々がその人を主イエスのもとに連れて来て、
癒してほしいと願いました。

主イエスは彼のプライバシーを大切にされ
人々の目が届かない場所に連れて行って
彼の耳と舌に触れてから、癒されました。

このちょっと変わった手順によって
その人は何が始まるのかを理解できました。
おそらく、彼が最初に耳にした言葉が
「エパタ」だったのでしょう。

イエスさまの発したアラム語の音が
とても美しく、印象に残ったので
原音をそのまま記録しています。

私たちの心の中で、
堅く閉ざされているものや、
拒んでいることがあれば、
主がそれを開いて下さいます。
「エパタ!」の声が聞こえますか。

2022/10/27

52日で

こうして、
城壁は五十二日かかって
エルルの月の二十五日に完成した。
(ネヘミヤ記6:15)

エルサレムに住んでいた人は
廃墟の中で暮らし、生活に追われ、
城壁の再建は無理だと思っていました。

ところが、ペルシャに住んでいたネヘミヤは
城壁再建は神のみ旨だと確信し、
エルサレムにやって来て
民衆を励まして仕事に取り掛かりました。

再建は無理だと考える人々の中に
たった一人、再建できると信じる人が加わっただけで
プロジェクトは実行に移されました。

リーダーとは
そういう人なのです。

みんなが協力したら、
わずか52日で完成しました。
人々の集中力と努力はもの凄かったのです。
そんな力がどこにあったのかと思うほど
人々は力を出し切りました。

私たちにも可能です。
城壁は再建できます。

2022/10/26

それで良いのだ

あの方は盛んになり、
私は衰えなければなりません。
(ヨハネ3:30)

バプテスマのヨハネの弟子たちは
ヨハネの人気が下火になり
主イエスの人気が高まるのを見て、
「皆があの方のほうに行っています」と
嫉妬したり、心配したりしました。

バプテスマのヨハネは
それで良いと考えていました。

すべての人の人生にも同じことが言えます。
私が衰え、主イエスが盛んになるなら
主の栄光をあらわすことになります。

人間が前面に出るなら
コマーシャルの方が長いTV番組になってしまいます。

主イエスさま、
私の人生に、私の仕事に、
あなたの栄光をあらわしてください。
私を、あなたをお入れする器にしてください。

2022/10/25

聖書の実現

 イエスは巻物を巻き、
係りの者に渡して座られた。
会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。
イエスは人々に向かって話し始められた。
「あなたが耳にしたとおり、
今日、この聖書が実現しました。」
(ルカ4:20~21)

ナザレの会堂で、イザヤ書が手渡されたので
主イエスはそれを朗読されました。
聞いていた人たちは
朗読を終えた主イエスに目を向けました。

人々が主イエスに目を注いだのは理由がありました。
何度も聞いたことのある箇所なのに、
主イエスが読まれた時、皆が深い感銘を受けたのです。

その朗読箇所の内容は、主がある人物を選んで遣わし
素晴らしい奇跡を行わせ、解放を告げるというものです。
遣わされた人物が、今、ここにいると
人々が感じたのです。
主イエスご自身も
今日、この聖書のことばが実現したと言われました。

主イエスは、聖書の預言の体現者です。
人となられた神。
預言の成就そのものです。
生ける神のことばなのです。

2022/10/24

ヨシヤ王

ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって
心のすべて、たましいのすべて、
力のすべてをもって
主に立ち返った王は、
彼より前にはいなかった。
彼の後にも彼のような者は、
一人も起こらなかった。
(第二列王23:25)

ヨシヤは8歳で王になり
31年間、神と国に仕えました。
子供の時から純粋な信仰が養われ、
その心が大人になっても続き、
彼のような信仰深い王は他にいないと言われました。

ヨシヤは、心と魂と力をもって
主を愛した人でした。
モーセの律法を守る姿勢からも
それが分かります。

ヨシヤは王としてリーダーシップを発揮し、
偶像を撤去し、神殿を改修し、
発見された神のことばに耳を傾け、
過ぎ越しの祭りを実施しました。

若き日に信仰を持った人は幸いです。
歳を重ねても純粋な心を持ち続けましょう。

2022/10/23

一日と千日

まことに、
あなたの大庭にいる一日は
千日にまさります。
私は悪の天幕に住むよりは
私の神の家の門口に立ちたいのです。
(詩篇84:10)

「簡単なバイトをやらないか。もうかるよ。
あのおばあちゃんの家に行き
預金通帳をもらって金を下ろすだけさ。」

こんな悪事に加担してはいけません。
悪の天幕のソファーでくつろぐより、
神殿の入口で立ったままのほうが何倍も良いのです。

神の間近にいる喜びは
地上の楽しみを千倍にしても届きません。

主イエスと同じテーブルで
食事する喜びを想像して下さい。
主イエスがあなたに瞳を向けて
あなたの話に耳を傾けてくれたらどうでしょう。
主イエスがあなたの手を握って「大変だったね」、「よく頑張った」、
「あなたの罪は完全に赦されている」と言ってくれたらどうでしょう。

神の大庭にいる一日は素晴らしく
地上の千日にまさります。

2022/10/22

わたしに帰れ

主であるわたしは変わることがない。
そのため、ヤコブの子らよ、
あなたがたは絶え果てることはない。
あなたがたの先祖の時代から、
あなたがたはわたしの掟を離れ、
それを守らなかった。
わたしに帰れ。そうすれば、
わたしもあなたがたに帰る。
─万軍の主は言われる─
しかしあなたがたは言う。
「どのようにして、私たちは帰ろうか」と。
(マラキ書:6~7)

ある家で、子供が親に反発して家出しました。
親は、子供がいつ帰って来てもいいように
鍵をかけませんでした。
帰っておいで、あなたの家の玄関はいつも開いているよ。

神も同じ気持ちです。
神の掟を破り、神から離れ去り、
自分勝手な道を選んで破綻した神の民に対して
帰っておいでと言われます。
 

神の態度は、変わりません。
神の愛に、変わりはありません。
神は、約束を守られます。

「わたしは変わることがない」と
主は今も言っておられます。

2022/10/21

義人はいない

 次のように書いてあるとおりです。
「義人はいない。一人もいない。
悟る者はいない。
神を求める者はいない。
すべての者が離れて行き、
だれもかれも無用の者となった。
善を行う者はいない。
だれ一人いない。」
(ローマ3:10~12)

人間の本質が書かれています。
人はみな正しくない。大切な事が分からない。
神を求めず、神から離れたがる。
神のお役に立てる人はいないし、
善を行う人は一人もいない。
神の基準で見ると、そう言えるのです。

とても厳しい基準ですね。
私もあなたも人間ですから
そこまで厳しくは見られたくないし、
良いところもあるのではと考えます。

神は人をうわべで見ません。
本当の姿を見ています。
そうであっても、私たちを守り、
私たちを愛そうとしておられます。

人間の罪深さが分かると
神の愛の深さが同時に分かるのです。

2022/10/20

おだやかな心

穏やかな心は、
からだのいのち。
ねたみは骨をむしばむ。
(箴言14:30)

急に熱が出て
節々が痛くなり
ひどい風邪をひいたかもと
観念するすることがあります。

あの骨の痛み、嫌ですね。

人をねたむ心を
抱え込んでしまうと
それと似た状況になります。

ねたみは、体の内側をむしばんでいきます。
あなたが本来持っている
たくさんの良いものを次々と侵略し、破壊し、
あなたを復讐王のようにしてしまいます。

一方、穏やかな心は
心を潤し、力みを消し、
温かいまなざしを与えてくれます。

主よ。
私の心に働いて下さい。
ねたみを捨てます。
穏やかさを与えて下さい。

 

2022/10/19

主に信頼せよ

あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。
主が成しとげてくださる。
(詩篇37:5)

この詩篇はとても多くの人に愛されています。

このみことばを暗記しているのに
カードに書き出して
壁に張り出す人もいます。

目で見るたびに励まされるのです。

試練の時に最も支えになる
主の約束が書かれているからです。

かならず主は成しとげて下さいます。
今までも主の約束は真実でした。
今回も主が成しとげて下さいます。

私たちの役割は
主に道をゆだねることと
主を本気で信頼することです。

この聖句を見つめていると
主イエスの笑顔が
見えてくるようです。


2022/10/18

御霊によって

 ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。
神の御霊によって語る者はだれも
「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、

また、聖霊によるのでなければ、
だれも「イエスは主です」と言うことはできません。
(第一コリント12:3)

パウロは御霊の働きについて教えています。
御霊が私たちの内におられるなら
イエスさまを否定したり、
のろいの言葉は言えません。

御霊が深く関わって下さるので、
イエスさまは私の救い主です、
私の主ですと言うことができます。

聖霊があなたのうちにおられる証拠は
あなたが信仰告白できたことです。

だから、誰かに福音を語る時には
聖霊が働いて下さるように祈りながら
聖霊に期待して伝えることが大切です。

2022/10/17

ガザに下れ

 さて、主の使いがピリポに言った。
「立って南へ行き、
エルサレムからガザに下る道に出なさい。」
そこは荒野である。
(使徒8:26)

エルサレム教会の役員で伝道者のピリポは
激しい迫害を受けて郊外に散らされました。
最初は北に向かい、サマリアの町で活動して
多くの人が癒され、救われました。

その祝福の最中に主の使いがピリポに命じました。
南へ行きなさいと。
その理由について何も説明を受けませんでした。
けれども、エルサレムの南に位置するガザに出かけました。

私たちも同じ体験をします。
理由が分からないけれども
新しい場所に移動させられます。
そして、後になって納得したり喜んだりします。

ピリポは、ガザでエチオピアの政府高官と出会い
救いに導くことになります。

立って南へ行け。
主がそう言われるなら
何が待っているのか
楽しみにして出かけてみましょう。

2022/10/16

盗まれました

そして祭司長たちは長老たちとともに集まって協議し、
兵士たちに多額の金を与えて、こう言った。
「弟子たちが夜やって来て、
われわれが眠っている間に
イエスを盗んで行った。」と言いなさい。
(マタイ28:12~13)

主イエスの墓が空っぽだったという報告を聞いて
祭司長と長老たちは大いにあせり
相談して解決策をひねり出しました。

番兵たちにわいろを渡して
主イエスの遺体は弟子たちに盗まれたと言わせました。
祭司長らは上手に取り繕ったはずでしたが、
かえって矛盾を露呈しました。

ローマ兵が、寝ていましたと証言したら
軍規違反で処罰されます。
決して言わない陳述なので不自然です。

兵士が寝ていたとすると、
犯人が誰かは分からないはずです。

祭司長たちの慌て方とその対処法そのものが、かえって、
主イエスの復活が本当だった事を裏付けてくれます。

主イエスはよみがえられたのです。
祭司長たちさえ否定できない事実なのです。

2022/10/15

知らないのか

ヤコブよ、なぜ言うのか。
イスラエルよ、なぜ言い張るのか。
「私の道は主に隠れ、

私の訴えは私の神に見過ごされている」と。
あなたは知らないのか。聞いたことがないのか。
主は永遠の神。地の果てまで創造した方。
疲れることなく、弱ることなく、
その英知は測り知れない。
(イザヤ40:27~28)

イスラエルの人々は
文句を言ったり、不平を言って暮らしていました。

私のちっぽけな人生なぞ、神は関心ないさ。
私たちが毎日どんな歩みをして
どんな道をたどっているかも気にしてない。そうに決まってる。
どんなに神に訴えても聞いてくれない。
どうせおいらは河原の枯れすすきだ。

預言者イザヤは強く言います。
あなたは何も知らない。
ちゃんと聞いていない。
勘違いもはなはだしい。

神は世界を創造された方で、
永遠におられる方で、
その知恵は計り知れず、
疲れることも弱ることもない。
その神は、あなたに強い関心を持っている。

誰よりもあなたを見つめているのが
神だとイザヤは伝えています。

2022/10/14

格の違い

 イエスは彼を叱って、
「黙れ。この人から出て行け」と言われた。
すると、汚れた霊はその人を引きつけさせ、
大声をあげて、
その人から出て行った。
(マルコ1:25~26)

主イエスは安息日にカペナウムの会堂で
教えておられました。
そこに一人の男性がいて
主イエスに反発して叫びました。
彼は汚れた霊につかれてたのです。

主イエスはどのように対応されたのでしょう。
二つの言葉を言われただけでした。

黙れ。出て行け。
それだけで汚れた霊は出て行きました。

人々はそれを見て驚嘆しました。
主イエスが持っておられる圧倒的な力、
信じられないほどの大きな権威に驚いたのです。

ボクシングのチャンピオンが
開始30秒で
挑戦者を床に倒して勝利した場合
私たちは言います。格が違うね。

主イエスは悪しき霊とは格が違うのです。
まことの神、唯一の救い主なのです。

2022/10/13

仕事に取りかかる

主が、シェアルティエルの子、
ユダの総督ゼルバベルの霊と、
エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの霊と、
民の残りの者すべての霊を奮い立たせたので、
彼らは自分たちの神、万軍の主の宮に行き、
仕事に取りかかった。
それは第六の月の二十四日のことであった。
ダイレオス王の第二年。
(ハガイ書1:14~15)

これは紀元前520年ごろ出来事です。
捕囚から帰還した人々は神殿再建に取りかかりましたが、
諸事情から工事を中断し、10年以上が過ぎていました。

第六の月の一日、預言者ハガイは、
二人のリーダーに向け、また民にも語りました。
山に上り、木を切り、神殿を建てよと。

総督のゼルバベルと大祭司ヨシュアは、
ハガイの言葉を神のみこころと受け止めました。

そして、その月の二十四日には、
主の宮に行って仕事を始めたと書かれています。
ハガイが語って23日後に、工事が始まったことになります。

良い話で感動しました、ではまた、で終わるか、
神のみこころが分かったので行動します、となるか。
それは、その人次第です。

あなたが取りかかりたい仕事は何ですか。

2022/10/12

来なさい

 イエスは彼らに言われた。
「来なさい。そうすれば分かります。」
そこで、彼らはついて行って、
イエスが泊まっておられるところを見た。
そしてその日、イエスのもとにとどまった。

時はおよそ第十の時であった。
(ヨハネ1:39)

バプテスマのヨハネは主イエスを見て、
「神の子羊」だと彼の弟子二人に教えました。
それを聞いた二人は主イエスについて行きました。
詳しく話を聞きたかったのです。

そのうちの一人はアンデレで
後に主イエスの十二弟子に選ばれました。

主イエスはその二人を見て言われました。
来なさい。そうすれば分かります。
この箇所をCome and you will see
訳している英語聖書があります。

これはすべての人に当てはまる原則です。
主イエスのもとに行く、そうすると、見えるのです。
主イエスを知りたいという
真実な願いを持つ人は
主イエスがどんな方かが分かります。

今日も主イエスはすべての人に言っています。
Come!

2022/10/11

主の言葉で練られる

ヨセフの足は、苦しみのかせをはめられ
その首は、鉄のかせに入れられた。
彼のことばがそのとおりになるときまで、
主のことばは彼を練った。
(詩篇105:18~19)

ヨセフは、奴隷に売られ、
言葉も分からない外国で働かされました。
肉体的にひどい扱いを受け、
身寄りもなく、精神的にも辛かったことでしょう。

奴隷は逃亡できないように
足かせや首輪をつけられました。
それ自体が屈辱です。

ご存じのように、
ヨセフはそのような悲惨な境遇でも
前向きに歩むようになり、
管理の賜物を発揮していきました。

原石が磨かれて光り出すように、
ヨセフの通った苦しみの日々は
神のことばよって練られるための期間だったのです。

今、あなたは、
神のことばによって、練られているのかもしれません。

2022/10/10

私から祝福を

それは、平安の種が蒔かれ、
ぶどうの木が実を結び、
地が産物を出し、
天が露を滴らすからだ。
わたしはこの民の残りの者に、
これらすべてを受け継がせる。
ユダの家よ、イスラエルの家よ。
あなたがたは国々の間でのろいとなったが、
同様に、わたしはあなたがたを救う。
あなたがたは祝福となる。
恐れるな。勇気を出せ。
(ゼカリヤ書8:13~14)

捕囚の民がエルサレムに戻って来て、
神殿再建に取りかかりましたが、
困難が多すぎて途中で放り出してしまいました。

それを見て、預言者ゼカリヤは民を鼓舞し、
万軍の主の言葉を伝えました。
まかれた種は実を結ぶ、勇気を出しなさい、と。

今までのイスラエルは、国際社会において
何の役にも立たない国、いや、呪いになっていました。
けれども、周囲の国々に祝福をもたらす国になれるのです。

その人の笑顔一つで職場の人が明るくなる。
その人の前向きな姿勢が家族に元気を与える。
その人の優しい言葉が周囲の人を慰める。
そういう人に私もなりたいし、あなたもなりたいでしょ。

恐るな、勇気を出せ!

2022/10/09

潮の流れが

あなたは私を深いところに、
海の真中に投げ込まれました。
潮の流れが私を囲み、
あなたの波、あなたの大波がみな、
私の上を越えて行きました。

(ヨナ書2:3)

ヨナは神の命令に逆らって逃亡しました。
乗った船は地中海で大嵐に遭い、
最終的には大きな魚に飲みこまれました。
ヨナ書2章は、魚の中でヨナが苦しむ内容になっています。

光の届かない魚の中で、潮の流れと大波に苦しめられ、
魚が深く潜って行く感覚も分かりました。
海藻が絡みついたとも書いています。

俺が悪い。俺を海に投げ込めば嵐は静まる。
ヨナは自暴自棄になって船員たちに言いました。
死ぬのは一瞬。簡単な事だと考えたようです。

ところが魚に飲みこまれると、
まるで死の瞬間が永遠に引き延ばされたかのような
無限の苦しみになりました。死ねばよいと思っていたのに、
苦しすぎたので、生きたいと思いました。
自分の罪深さも分かり、本気で悔い改めました。
主に従いたい、聖なる宮で礼拝したいとまで思いました。

もし潮の流れで苦しんでいるなら、
その場で、心の向きを変え、神に立ち返りましょう。



2022/10/08

廃墟から

神である主はこう言われる。
「わたしはあなたがたを
すべての不義からきよめる日に、
わたしは町々を人の住めるところとし、
廃墟は建て直される。」
(エゼキエル書36:33)

エゼキエルは誰に呼びかけたのでしょう。
エルサレムが滅びて、
バビロンに連れ去られた人々に語りかけました。

国が滅び、敵国に連れて行かれるという屈辱を体験して、
人々は自分たちの歩みを振り返り始めました。

主が人々の不義をきよめる日が来ます。
そして、廃墟が建て直される日が来るというのです。

廃墟ほど空しい場所はありません。
かつて栄えた面影が残っているので
絶望的な気分になります。

けれども力強い言葉が語られています。
廃墟は建て直される、というのです。
廃墟のような現在の自分、また、
廃墟のような過去であっても再建の希望があります。

もう失うものはありません。それが廃墟の強みです。
すべては廃墟から始まります。
主の言葉、「廃墟は建て直される」を忘れないようにしましょう。


2022/10/07

とげ

その啓示のすばらしさのために高慢にならないように、
私は肉体に一つのとげを与えられました。
それは私が高慢にならないように、
私を打つためのサタンの使いです。
(第二コリント12:7)

 パウロは最高と最悪の経験をしていました。

最高の経験は、この手紙を書く14年前のことでした。

第三の天、パラダイスに引き上げられ
神の栄光の中を喜び泳ぐような頂上体験でした。

最悪の経験とは、しばしば襲って来るひどい病のことです。
「とげ」という表現から強い痛みやダメージを伴うものだと推測できます。

パウロは病のいやしを必死に祈りましたが
聞き入れられません。
その意味を自問自答する中で気づきました。

この苦しみは、私が高慢にならないための
警告音だ。

謙虚に生きることはそれくらい大切なことなのです。

あなたのとげは何ですか。
そのとげがあなたを守っています。

2022/10/06

呼び集める

ヤコブよ。
わたしは、あなたを必ずみな集め、
イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。
わたしは彼らを、
囲いの中の羊のように
牧場の中の群れのように、一つに集める。
こうして、人々のざわめきが起きる。
(ミカ書2:12)

ミカは、紀元前700年ごろの預言者です。
イザヤと同時期に活躍しました。
当時は、北王国も南王国もまだ滅ぼされていません。

預言者ミカは滅びと捕囚を予告しました。

現代の戦争でも捕囚が起きています。
侵略軍は現地の従順な人々をそのまま残し、
反抗的な人たちを遠くに連れ去ります。

連れて行かれた人々は心細く
未来が見えません。

預言者ミカがここで語ったのは、
主がそうした人々を呼び集める日が来るというのです。
国を滅ぼされ捕囚となった人々にとって
この言葉は希望の灯となりました。

羊飼いのイエスさまが
羊の群れを集めて導くイメージが
書かれてあるのも驚きです。

主は、必ず呼び集めて下さいます。

 

2022/10/05

特別に愛されている

それから彼は私に言った。
「特別に愛されている人ダニエルよ、
私が今から語ることばをよく理解せよ。
そこに立ち上がれ。
私は今、あなたに遣わされたのだ。」
彼がこのことばを私に語っている間に、
私は震えながら立ち上がった。
(ダニエル書10:11)

ダニエルは幻を見ていました。
亜麻布を着て、金の帯を締め、顔は稲妻のようで、
燃えるたいまつのような目をして、
群衆のような声で話す方に出会いました。

黙示録1章に出てくるキリストの姿と良く似た方でした。

その方の圧倒的な力と栄光に触れ、
ダニエルは恐れ震えて地に倒れました。

ダニエルを起こしてくれた方がこう言いました。
「特別に愛されている人ダニエルよ」
高齢になっていたダニエルは
この言葉で強く励まされたことでしょう。
今までの人生の苦労が吹き飛ぶような言葉です。

主の言葉を、自分オンリーに特別に語られたものとして
受け止め、その意味を理解し、その上に立つ。
それが最も大事な態度です。

あなたは特別に愛されています。

2022/10/04

訓練

すべての訓練は、
そのときは喜ばしいものではなく、
かえって苦しく思われるものですが、
後になると、これによって鍛えられた人々に、
義という平安の実を結ばせます。
(ヘブル人への手紙12:11)

あなたの人生を振り返って下さい。
いつ、どんな訓練を受けましたか。

その訓練の結果、
あなたは、どう変わりましたか。

訓練がなかったら
今の自分は無い、と私は思います。

ヘブル12章を読むと、
神が愛する者に訓練を与えると書いてあります。

訓練の結果、鍛えられた人が
義という平安の実を結ぶと書いてあります。

あなたが今、受けている訓練はつらいかもしれませんが
深い意味があります。
あなたを育てます。
あなたを強めます。
愛の人、祈りの人にしてくれます。

2022/10/03

先例としてのパウロ

しかし、私はあわれみを受けました。
それは、キリスト・イエスが
この上ない寛容をまず私に示し、
私を、ご自分を信じて
永遠のいのちを得ることになる人々の
先例にするためでした。
(第一テモテ1:16)

パウロは、
自分が罪人のかしらであることを
生涯忘れませんでした。
純粋な信仰を持った善良なクリスチャンを
多数殺害した過去は消せないからです。

戦場で虐殺を命じ、自らも実行した残虐非道な上官と
パウロはそれほど違いません。

パウロは、そんな罪深い自分を隠さず、
神の寛容さを示して頂いたと述べ
他の多くの罪人たちの救いの励みとしました。

それに加えて、主イエスを信じる者が
永遠の命をもらえることを
パウロはこの箇所ではっきりと書いています。

そうです。
永遠のいのちがあるのです。
パウロのような黒い過去を持つ者にも
永遠のいのちが与えられるのです。

2022/10/02

志を立てさせ

神はみこころのままに、
あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、
事を行わせてくださる方です。
(ピリピ2:13)

最近、何かを始めたいと思いましたか。

新鮮なこころざしが心に浮かぶと
楽しくなります。
目指すものができると
生活に張りが出ます。

信仰者としての成長を求め、
救いをもっと確かにしていく志を神が与えて下さる。
それがこの聖句の文脈です。

あなたは、信仰の成長のために、主のために、主の栄光のために、
何かをしたいですか。

志を与えて下さるのが神ならば、
それを行う力も神が備えて下さいます。

2022/10/01

高価な楽器が

自分に委ねられた良いものを、
私たちのうちに宿る聖霊によって守りなさい。
(第二テモテ1:14)

パウロの最後の手紙が
テモテへの手紙第二です。
愛する弟子のテモテを励ますために書いたもので、
パウロからの思いやりと慰めに満ちていて
パウロの肉声が聞こえるようです。

テモテよ、
君は良いものを主からもらっている。
私にないものを持っている。
他人を見て、ないものねだりをするのでなく、
今、あなたが持っているものに目を留めるんだ。
それは、君が獲得した能力ではなく、
主から委ねられたものだ。

テモテよ、肝心なことは、
聖霊によって歩むことだ。
主から委ねられたものを大切に生かし、
聖霊によってそれを用いるのだ。

クラシックの世界では、優れた演奏者に
非常に高価な楽器が貸与されることがあります。
私たちも主からストラディバリウスを任されているのです。
聖霊によって高らかに鳴り響かせましょう。