2023/07/31

失望に終わらない

この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられていた聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからです。
(ローマ5:5)

ローマ5:3~4においてパウロは
苦難が忍耐を生み、忍耐が品性を生み、
品性が希望をもたらすと述べてきました。
つまり、聖書が語る希望は、薄っぺらなものではなく、
苦難のプラス面に着目する粘り強い生き方なのです。

神を信頼する人が持てる希望なので、
神から与えて頂いた希望と言ってよいでしょう。

神の愛が注がれているゆえに、
私たちの内側におられる聖霊のゆえに、
黒雲が前途をふさいでいても
前に進む勇気と力が与えられるのです。

私達はやるべき事を一日延ばしにする特技を持っているので、
失望する事も明日に延ばしてみましょう。

あなたが今、持っている希望を
投げ捨ててはいけません。

この希望は失望に終わらないからです。



2023/07/30

財産で

あなたの財産で主をあがめよ。
あなたのすべての収穫の初物で。
そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、
あなたの石がめは新しいぶどう酒であふれる。
(箴言3:9~10)

主を信じる人は様々な場面で喜びを感じます。
主を礼拝し賛美する喜び。
祈りがかなえられる喜び。
試練から助け出された喜び。
奉仕の喜び、福音を語れる喜び。

もう一つあります。
自分の財産を主にささげる喜びです。
(額の多少は問題ではありません)

大学時代、アルバイトをして得たお金から
献金できた時、とても嬉しかったのを覚えています。

働けること、命があること、救いの恵み、普通に生活できること、
様々な感謝が主へのささげものに凝縮されています。

ささげた人は、
主がその何倍も祝福して下さることを経験しています。

倉は満たされ、石がめはぶどう酒であふれるのです。

2023/07/29

鉄は鉄によって

鉄は鉄によって研がれ、
人はその友によって研がれる。
(箴言27:17)

切磋琢磨という言葉を思い出しました。
励まし合ったり、時には競争したり、
学び合って、互いを向上するという意味ですね。

主を信じる仲間といると
とても励まされます。
祈る言葉や姿勢から教えられます。
伝道の熱意や勇気に励まされます。
愛と感受性と行動力から多くを学べます。

時には若さや情熱ゆえに
激しい議論になることもあります。

振り返ると
主にある兄弟姉妹の姿から
ずいぶん多くのことを学びました。

鉄は鉄によって研がれる。
信仰を持った良き友を持つことは
何にもまして宝ですね。

その友達を大事にしましょう。


2023/07/28

恐れるな

ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、
イザヤは彼らに言った。
「主はこう言われる。
あなたが聞いたあのことば、
アッシリアの王の若い者たちが
わたしをののしった、
あのことばを恐れるな。」
(第二列王記19:5~6)

ヒゼキヤ王は窮地に立たされていました。
アッシリアの大軍がエルサレムを包囲したのです。

敵の司令官は城壁に近づき
一般市民に聞こえるように語りました。
ヒゼキヤ王にごまかされるな、
主に信頼しても無駄だ、
アッシリア王に降伏すれば幸せになると。

ヒゼキヤ王は部下を遣わし
預言者イザヤに窮状を伝えました。
イザヤは、敵の言葉を恐れるな、とアドバイスしました。

敵の言葉を心で繰り返せば
相手の思うつぼです。
脅し言葉はリピートしてはいけないのです。

あなたは何を恐れていますか。
主の約束を心に焼き付けましょう。
主を見上げましょう。

この後、敵は退却しました。
あのことばを恐れるな!

2023/07/27

唯一

神は唯一です。
神と人との間の仲介者も唯一であり、
それは人としてのキリスト・イエスです。
キリストは、すべての人の贖いの代価として、
ご自分を与えてくださいました。
これは、定められた時になされた証しです。
(第一テモテ2:5~6)

<分け登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな>

この歌は、どんな宗教も入口は違うように見えても
結局は同じ神に到達する、という考え方です。
対立を嫌い、神を本気で求めない日本人は、この考え方が大好きです。

カルト宗教も、金儲け宗教も、どんな宗教もOKでしょうか。
真理がたくさんあったら真理と呼べるでしょうか。

聖書は言います。神は唯一ですと。
また人と神の間をつなぐ救い主も
イエス・キリストだけと言い切ります。

主イエスは人となってお生まれになった神です。
罪のないイエスさまが人々の罪の罰の身代わりになりました。
ご自分の命を捨てて十字架で死なれ、復活されました。

だから、この方だけが神と人の間に立つことのできる
唯一の仲介者なのです。
わたしが道であり真理ですと宣言できる方なのです。


2023/07/26

待ち望め

待ち望め、主を。
雄々しくあれ。心を強くせよ。
待ち望め、主を。
(詩編27:14)

子供たちが小さかった時、
妻と私と子供たちで毎夕食後
家庭礼拝をしていました。15分くらいです。

子供が知っている賛美を歌い、
一日の感謝を三つ各々が言って、
子供聖書物語を1ページ読み、
一人一人順番に祈りました。

その家庭礼拝で何度も歌った曲の一つが
今日の聖句の賛美です。
最初の「待ち望め主を」と歌い出したら
自然に全部歌ってしまいます。

どんな時にも主を待ち望みましょう。
心配や恐れがあっても、
主によって心を強くしてもらいましょう。
先が見えなくても、主を待ち望みましょう。

待ち望む心を私たちに与えてくれる
勇気の湧いてくる詩編です。



2023/07/25

国籍は天

しかし、私たちの国籍は天にあります。
そこから主イエス・キリストが
救い主として来られるのを、
私たちは待ち望んでいます。
(ピリピ3:20)

日本でずっと暮らしていると国籍については
まったく考えません。
空気のように当たり前だからです。

アメリカに長く暮らして、
私は国籍について敏感になりました。

国籍とは、アイデンティティーの一つで、
私はどこに所属しているかということなのです。

私がどこかの外国で誘拐されたとします。
助けてくれるのはアメリカではなく、
日本政府なのです。

私たちクリスチャンの国籍は天にあります。
そこが私たちの所属している場所なのです。

主イエスはやがて天からおいでになり、
私たちの母国へと導いて下さいます。

この地上を離れる時も
天国のパスポートを持っているので安心です。



2023/07/24

特別扱い

人の子たちよ、
いつまで私の栄光を辱め
空しいものを愛し
偽りを慕い求めるのか。
知れ。
主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。
私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。
(詩編4:2~3)

ダビデは屈辱を受け、
深く苦しんでいました。
しばらくじっと黙り、耐え忍んでいました。

次から次へと飛んでくる様々な試練の矢を受けながら、
ついに、敵に聞こえるような気概で叫びました。

いつまで愚かな事を続けるのだ。

知れ。
私は主の特別扱いを受けている。
神は私の見方であり、
私の声を聞いて下さる。

私たちもそう言えます。
主はあなたを特別に扱って下さるのです。
それが、神の愛、神の恵みです。

2023/07/23

草はしおれる

あなたがたが新しく生まれたのは、
朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、
生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。
「人はみな草のよう。
その栄えはみな草の花のようだ。
草はしおれ、花は散る。
しかし、主のことばは永遠に立つ。」
とあるからです。
これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。
(第一ペテロ2:23~25)

群馬県の赤城山の山頂湖は
冬場に氷るのでスケートができます。
最初はちょっと不安になりますが、
滑っている人を見るとやってみる勇気が出ます。

私たちは絶対に信頼できるものの上に
自分をあずけたいのです。

特に、信仰という分野は
信頼に足るかどうかを真剣に吟味します。

聖書は、朽ちることのない神の言葉で、
草のような一時的なものではありません。
私たちの全存在をかけても大丈夫です。

私たちはこの福音を信じて救われ、
新しくされたのです。

2023/07/22

エノク

信仰によって、
エノクは死を見ることがないように移されました。
神が彼を移されたので、いなくなりました。
彼が神に喜ばれていたことは、
移される前から証しされていたのです。
(へブル11:5)

創世記に登場したエノクには
大きな特徴がありました。

この世を去る時、普通の人が通る死を経験せず、
「移された」のです。
創世記5:24を読んでください。

この死に方は私たちの理想形とも言えます。

死を取り巻く痛みや孤独や絶望は
私たちが死を恐れる理由ですから、
移されるなら心やすらかです。

神と共に歩んだエノク。
神に喜ばれていたエノク。
そういう人は地上での歩みと
天の御国での歩みに違いがありません。

私たちも、いつか、移してもらいましょう。



2023/07/21

妻を愛す

夫たちよ。
キリストが教会を愛し、
教会のためにご自分を献げられたように、
あなたがたも妻を愛しなさい。
(エペソ5:25)

新婚旅行で成田空港を訪れた時
「愛しているよ」と一度言いました

と主張する年配男性を見受けます。
賞味期限はとっくに切れています。

夫のみなさん。
愛していますと奥さんに言って下さい。
生きる姿勢が顕著に変わります。

イエスさまは教会を愛されました。
しかも、言葉で愛を表現するだけでなく
十字架で命をお捨てになりました。

大切な奥さんに愛を伝え続けましょう。
重い荷物は持ちましょう、ドアを開けてあげましょう。
妻のためにとりなしの祈りをしましょう。

妻を愛す人になる。
それは、キリストの姿に似ていく
聖化のプロセスでもあります。


2023/07/20

希望は神に

神は、それほど大きな死の危険から
私たちを救い出してくださいました。
これからも救い出してくださいます。
私たちはこの神に希望を置いています。
(第二コリント1:10)

死にかけた体験がありますか?

非常に激しい耐えられないほどの圧迫を受け、
パウロは生きる望みすら失いかけました。

あらゆる力を総動員しても出口が無く、
神だけが唯一の希望となり、
死者を生き返らす神をひたすら頼ったと言うのです。

その経験を振り返り、
あの苦しみから救い出して下さったのだから
これからも主に希望を置くと述べました。

あなたも色々な危機を乗り越えて来たはずです。
救い出されて来たから今があります。

今日も、これからも、何があっても、
希望は神に置きましょう。

2023/07/19

できそうもない!

イエスは目を上げて、
大勢の群衆がご自分の方に来るのを見て、
ピリポに言われた。
「どこからパンを買って来て、
この人たちに食べさせようか。」
(ヨハネ6:5)

十二弟子のピリポは、
主イエスの質問を聞いて固まってしまいました。

ピリポはすぐさま計算して、
二百デナリのパンでは足りませんと答えています。
そのお金さえ持ち合わせていません。
絶対に不可能ですと言いたかったのです。

主イエスはピリポの信仰を大きく広げるために
この質問をされたのです。
主はこの後、五千人に食物を提供されました。

多くの人に食物が必要だ。福音が必要だ。でも予算がない。
どうしたらいい?

これは、私たちが良く直面することなのです。
本当に不可能なのでしょうか。

英語のimpossible(不可能)という単語に
手を入れると、I'm possible(可能)、私はできる、になります。
(文法的にはちょっと変ですが)I'm possibleと言ってみましょう。

2023/07/18

数えきれない

わが神、主よ、
なんと多いことでしょう。
あなたがなさった奇しいみわざと
私たちへの計らいは。
あなたに並ぶ者はありません。
語ろうとしても、
告げようとしても、
それはあまりにも多くて数えきれません。
(詩編40:5)

ハワイのノースショアで
高校生たちのバイブルキャンプをしたことがありました。
ビーチの横にキャビンがあるナイスロケーション。
深夜、一人で小屋から出て中庭に立つと、
何か不思議な気がして目を上げました。
星たちに見られていると感じました。
今までの人生で見たこともない
無数の星々と天の川と流れ星が美しく輝いていました。

神が私たちにしてくださった恵みやご配慮や奇跡。
それを全部数えようとしても数えきれません。

人生の節目となる大きな出来事は
いくつか思い出せます。
でも、神の恵みは毎日あるので
すべて数えることは不可能です。

それで、私たちにできることは
神に感謝し、主を賛美することなのです。



2023/07/17

主に感謝せよ

主に感謝せよ。
主はまことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで。
さあ、イスラエルよ、言え。
「主の恵みはとこしえまで。」
さあ、アロンの家よ、言え。
「主の恵みはとこしえまで。」
さあ、主を恐れる者たちよ、言え。
「主の恵みはとこしえまで。」
(詩編118:1~4)

良いことがあっても、
良いことが見つからなくても、
最初にすべき事は主への感謝です。

なぜ、そう言えるのでしょう。

それは、主からの愛と恵みが先に注がれていたからです。
その愛と恵みが格別に素晴らしいからです。

神の愛は決して変わらないので安心です。
今も、これからも、永遠に続きます。

一般人であれ、祭司であれ、
誰でもまず言うべきことばは、主への感謝なのです。
さあ、詩篇の作者と共に、一緒に声を出しましょう。

主よ感謝します。
主の恵みはとこしえまで。

2023/07/16

大波を踏みつけて

神はただひとりで天を延べ広げ、
海の大波を踏みつけられる。
(ヨブ記9:8)

フェルメール、ピカソ、モネの絵を見て、
青の美しさに感動することがあります。

主は大空をキャンバスにして青を延べ広げて
ご自身を示しておられます。

また、神は大波を踏みつけ
ご自身の支配下に置いておられます。

神の圧倒的な力を感じます。

嵐の夜、ガリラヤ湖の波の上を
主イエスは歩かれましたが、
それは、主イエスが神であることを証明する
行為でした。

主イエスの深い教えや
心優しい愛だけを認める人は、
水の上を歩くイエスさまを拒否するでしょう。
大波を踏みつけるイエスさまだからこそ、
礼拝するに足る存在なのです。

神の偉大さの前で、
言葉を失う事もまた礼拝です。

2023/07/15

損だと思う

しかし私は、
自分にとって得であった
このようなすべてのものを、
キリストのゆえに
損と思うようになりました。
(ピリピ3:7)

どうしてあんなに夢中になっていたのだろう。
かつては得だと思い込んでいたのに。

パウロはキリストを知ってから
律法学者時代の自分の愚かさに気づき、
すべては損だったと述べました。

イエスさまを知った喜び、
救われた感謝、
神と共に歩む安心。
パウロはまったく次元の違う幸せを見つけたのです。

この世の価値観から解放され自由になったのです。

あなたはイエスさまを知って
価値観がどのように変わりましたか。

これからも聖霊に導かれ、
主イエスの価値観を持つ者へと
させていただきましょう。

2023/07/14

周囲を歩きながら

ヨシュアは民に命じた。
「あなたがたはときの声をあげてはならない。
声を聞かせてはならない。
口からことばを出してはならない。
『ときの声を上げよ』と私が言うその日に、
ときの声をあげよ。」
(ヨシュア記6:10)

ヨシュアの命令により、
武装した男子が祭司の後に続いて歩き、
エリコの町を遠巻きに一周しました。

毎朝、兵士たちは歩きましたが、
祭司の角笛の音以外は無音でした。
足音と武具のこすれる音だけが聞こえました。

声を出すなと言われたら、
あなたは何を考え、何をしますか。
祭司の角笛を聴いて歩くので
自然に祈りになると思います。

イスラエルの兵士たちの無言の祈りが
6日間続いたのでしょう。

あなたにとってエリコの城壁とは何でしょう。
難攻不落に見える課題がありますか。
あなたも、まず祈りから始めましょう。
祈って問題の周囲を回り、主の解決を待ちましょう。

2023/07/13

彼らより多い

神の人の召使いが、朝早く起きて外に出ると、
なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。
若者がエリシャに、
「ああ、ご主人様。どうしたらよいのでしょう。」と言った。
すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、
彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。
(第二列王記6:15~16)

預言者エリシャを滅ぼそうとして
アラムの王が軍隊を派遣し
夜の間にエリシャ宅を包囲しました。
朝、それを知ったエリシャの召使が動揺しました。

召使の若者はアラムの軍隊だけに
目を向けていました。
主に祈ることも忘れていました。

預言者エリシャは終始落ち着いていました。
なぜでしょう。
天の軍勢が山に満ちていることを知っていたからです。
人数で言えば、アラムの軍勢より多いのです。

目に見えない天の軍勢をイメージしてみましょう。
私たちも主に守られています。
天の軍勢は敵よりも強いのです。

2023/07/12

よみがえりです

イエスは彼女に言われた。
「わたしはよみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」
(ヨハネ11:25)

ラザロが死んで、埋葬が済んだ後に
主イエスが来られました。
兄弟を失って悲しみの中にいたマルタに対して、
主イエスは今日のことばを言われました。

マルタは、今までイエスさまのことを
どう理解して来たのでしょう。
聖書を解き明かす優れた教師、
人格者で優しい愛の人、
奇跡を行う力ある預言者。

今日の聖句は、彼女の理解をはるかに超えたものでした。
主イエスはいのちなのです。
いのちを与える方です。
主ご自身が死からよみがえり
死んだ人をよみがえらすお方です。

墓からラザロが出て来るまでは、
主イエスの言葉の意味はマルタには分からなかったでしょう。

高齢になった方や病気の人にとって
この主イエスの言葉は暗闇を照らす希望の光となります。
主イエスはよみがえりです、いのちです。

2023/07/11

用意をしておく

ダビデは言った。
「わが子ソロモンは、まだ若く力もない。
主のために建てる宮は、壮大なもので、
全地で名声と栄誉を高めるものでなければならない。
それゆえ、私が用意をしておく。」
こうして、ダビデは
彼が死ぬ前に多くの用意をしておいた。
(第一歴代誌22:5)

ちゃっとまわしせなかん。
とダビデは考えていました。

ダビデは息子ソロモンのために
多くの金銀や財宝や建築資材を残しました。

子供に財産を残すなとよく言いますが、
ダビデが残したのは
神殿を建設するための資金や材料でした。

ダビデは神殿建設のビジョンを持ちましたが、
主から許可は下りませんでした。
それで、黒子になって準備に徹したのです。

ダビデが死ぬ時は
完成した神殿の夢を心に抱いて亡くなったことでしょう。
ソロモンはその夢を実現しました。

私たちにとって、次の世代に引き継げる
信仰のビジョンとは何でしょう。
引き渡せる資材とはなんでしょう。


2023/07/10

返します

しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。
「主よ、ご覧ください。
私は財産の半分を貧しい人たちに施します。
だれかから脅し取った物があれば、
四倍にして返します。」
(ルカ19:8)

ザアカイは収税人の仕事で儲けました。
脅したりだましたりして得たものです。
ですから心に満足はないし、
人々にも憎まれていました。

そのザアカイに主は声をかけて下さいました。

彼の家まで訪問されたのでザアカイは嬉しくなり、
本来の自分を取り戻し、
お金を皆に返すと言い出しました。

財産の半分を貧しい人に分け与え、
脅し取ったものは4倍にして返却する。
ほとんど無一文になりますが嬉しそうにしています。

人生のリセットができて良かったですね。
これからは正直者の取税人になるはずです。

北風ではなく太陽として接して下さったイエスさま。

イエスさまはあなたの家にも来て下さいます。

2023/07/09

引き離すことはできない

高いところにあるものも、
深いところにあるものも、
そのほかどんな被造物も、
私たちの主イエス・キリストにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません。
(ローマ8:39)

パウロは、ローマ人に向け、
論理的に手紙を書いてきました。

主イエス・キリストによる救いを
綿密に証拠立てて8章まで書いて来ましたが、ここに来て、
もはや感動と喜びを抑えることができなくなりました。

私たちはキリストによって愛されている。
キリストの十字架によって罪赦された。
イエスさまの愛は深く強く途切れることない。
どんなものが邪魔しようとも、
キリストの愛から私たちを引き離すことはできない。

パウロは歓喜にふるえています。
叫び出しそうです。

誰も主イエスの愛から引き離せないのだから、
主イエスはどんな時も一緒にいて下さいます。
主イエスが盾となって守ってくれます。

あなたが主イエスの手をつかむ力を失っても、
主イエスがあなたの手を握っておられます。



2023/07/08

アイネア、起きなさい

ペテロは彼に言った。
「アイネア。
イエス・キリストがあなたを癒してくださいます。
立ち上がりなさい。
そして自分で床を整えなさい。」
すると彼は、ただちに立ち上がった。
(使徒9:34)

ペテロは迫害を避けて海岸地帯を巡回していましたが、
そこでアイネアに出会いました。

アイネアは中風で8年間寝たきりでした。
脳卒中の後遺症で、身体の麻痺が残っていたのです。

ペテロは信仰と聖霊に導かれ、
彼に立ちなさいと命じました。
主イエスの姿を彷彿させます。
いや、そっくりです。

アイネアは信仰を持って応答しました。立派です。
自分の足で立ち上がることができました。

十字架で死なれたイエスさまは
今も生きておられると確信が持てる出来事です。

癒して下さるのはイエスさまですが、

主イエスの姿に似せられたペテロが用いられました。

2023/07/07

葬りとよみがえり

バプテスマにおいて、
あなたがたはキリストとともに葬られ、
また、キリストとともによみがえらされたのです。
キリストを死者の中からよみがえらせた神の
力を信じたからです。
(コロサイ2:12)

私たちは主イエスを救い主として信じ、
その信仰の表明としてバプテスマを受けます。

水に沈むことは死を意味しています。
私たちはキリストと共に死んだのです。
罪が処罰されたので解決済みとなりました。

また、水から上がることは
私たちの復活を意味しています。
死からよみがえったキリストの力が
私たちの内に働いています。

信仰者はみな、キリストの死と復活の延長線上に
生きています。

私もあなたも完全に死にました。
罪人である自分の葬式は終わりました。
キリストの命が私たちにみなぎり、

新しい人として生きるのです。
ハレルヤ。

2023/07/06

いばらの中の百合

私はシャロンのばら、
谷間のゆり。
わが愛する者が娘たちの間にいるのは、
茨の中のゆりの花のようだ。
(雅歌2:1~2)

雅歌はユニークな書で、
男女の愛の交流をテーマにしています。

ここで女性は自分を花にたとえています。
自分を春先に咲く花に重ねているので、
あなたへの愛が初めての愛です、
という意味があるかもしれません。

後半の男性の言葉から逆算すると、
彼女は自分を普通の女性ととらえていたようです。

男性は、彼女が普通以上だと感じていました。
あなたは自分で気づいていないけど
いばらの中のユリのように際立っていると彼は述べました。

雅歌1章5節によると、
この女性は野外の仕事をしていたので、
日焼けを気にしていました。
でも彼は美しいと言ってくれたのです。

主は、同じように私たちを見ておられます。
あなたはいばらの中のユリのように美しいと。

2023/07/05

あわれみを受けて

こういうわけで、
私たちは、
あわれみを受けて
この務めについているので、
落胆することがありません。
(第二コリント4:1)

私は神学校に入学が許され、
学生寮に荷物を運び入れ、
最初の授業の日を迎えました。

早天祈祷会が朝6時からありましたが、
前夜の緊張のせいで眠れず、
目覚めたら寮に誰もいませんでした。
ひとり走って祈祷会の部屋まで行きましたが、
全学生が熱心に祈っている最中で終了間際でした。

恥ずかしさと落胆で消え入りたい心境でした。
その頃、今日のみことばを読んだので
忘れられない聖句になりました。

土の器に宝である主イエスをお入れしているのです。

失敗して落胆する事もありますが、
主を見上げて、主にお仕えしましょう。

あわれみを受けて生かされ、
この務めに任じられているのです。


2023/07/04

七つある

主の憎むものが六つある。
いや、主ご自身が忌み嫌うものが七つある。
高ぶる目、偽りの舌、
咎なき者の血を流す手、
邪悪な計画をめぐらす心、
悪へと急ぎ走る足、
まやかしを吹聴する偽りの証人、
兄弟の間に争いを引き起こす者。
(箴言6:16~19)

7つの事例が列挙されることで
邪悪な人物像が際立ちます。

悪は、目、舌、手、心、足に表れ、隠せません。

善良なお年寄りからお金をだまし取る。
暴力をふるい血を流して未来と命を奪う。
安全ですと宣言し重大な事実を隠蔽する。

主は悪を憎まれます。

主よ、世界に平和と笑顔をお与え下さい。
真実と正義と愛でおおって下さい。

2023/07/03

一緒に行け

私は命令を下す。
私の国にいるイスラエルの民、
その祭司、レビ人のうち、
だれでも自分から進んでエルサレムに
上って行きたい者は、
あなたと一緒に行ってよい。
(エズラ記7:13)

「私」とは、ペルシャ王、
アルタクセルクセス王のことです。
「あなた」とは律法の学者エズラのことです。

エズラは王の提案に応答し、紀元前458年、
多くのレビ人や祭司を引き連れて、
外国からエルサレムに戻りました。

大帝国の王が、
強制的に自国に移住させたユダヤ人を
祖国に帰すという寛大な措置を行いました。
主の御手があったとしか言えません。

主のみ力が届かない分野は
世界のどこにもありません。

主よ、御手を触れて下さい。

2023/07/02

その方が来られると

その方が来ると、
罪について、
義について、
さばきについて、
世の誤りを明らかになさいます。
(ヨハネ16:8)

聖霊は目には見えませんが人格を持つ神で、
私たちの心に強く働きかけて下さいます。

聖霊は、ふたをして来た罪も暴露されます。
私は特別だという自負を砕かれます。
神のさばきについて目を開いて下さいます。

私たちの魂の急所を知っておられるので
聖霊の指摘は時に痛みを伴います。

ただし名医の執刀のように
悪い部分だけを素早く取り出されます。

聖霊が来られると、
悔い改めの涙と、赦された喜びが
入り混じることになります。

「その方」は今も来られます。

2023/07/01

最後の言葉

そして、ひざまずいて大声で叫んだ。
「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」
こう言って、彼は眠りについた。
(使徒7:60)

これがステパノの最後の言葉になりました。

主イエスの十字架上の言葉に良く似ています。
聖霊が彼の心を導き
主イエスに似た者として下さったのです。

ステパノは最高法院で冒涜罪とみなされ、
彼の証言を聞いて怒った議員たちが石を投げつけました。
ステパノは血だらけになっても愛と赦しを伝えました。

赦す事は彼にとってのメリットになりません。
祭司や律法学者の罪が彼らを滅ぼしてしまうので
助けたいと自然に祈りになったのでしょう。

赦すことは主イエスに近づくことです。
敵を愛すことは主イエスの弟子の印です。

私にもステパノの祈りができるでしょうか。