2023/08/31

永遠のいのちを持つ

まことに、まことに、あなたがたに言います。
わたしのことばを聞いて、
わたしを遣わされた方を信じる者は、
永遠のいのちを持ち、
さばきにあうことがなく、
死からいのちに移っています。
(ヨハネ5:24)

私は高校3年の時にイエスさまを信じました。
信仰を手取り足取り教えてくれた大学生は
教会の高校生会のスタッフでしたが、
ヨハネの福音書を毎日読むように指導してくれました。

小説好きな私でしたが、
ヨハネの福音書は同じペースで読めませんでした。
文章はシンプルなのですが内容が深いのです。

今日の聖句もヨハネらしい文章です。
信じる者は永遠のいのちを持つと宣言しています。

力強く、曖昧さがない表現です。
私たちが何を持っているかが一目瞭然です。

私は自分の聖書に線を引きながら読んでいたので、
もちろん赤い線を引きました。
暗記すべき重要聖句の一つです。

永遠のいのちを持っていると保証できるのは
十字架で命をささげた神の子イエスさまだけです。

2023/08/30

生きよ

わたしは、
だれが死ぬのも喜ばない
―神である主のことば―
だから立ち返って、生きよ。
(エゼキエル書18:32)

第二次世界大戦末期、戦況悪化で
自決に追い込まれた日本人が多数いました。

アジア、満州、シベリアから帰還した人や、
沖縄で生き残った人にとって、
死ぬな、生きろ、という言葉が
励みになったと言います。

今日の聖句は、聖書の中でも、
きわめて強い表現です。

誰が死ぬのも喜ばない。

ぎりぎりの場面に追い込まれた私たちを
正気に引き戻してくれる
神の叫びを心に留めて下さい。

生きよ!

これは神の絶叫です。

2023/08/29

種なしパン

彼らはエジプトから携えて来た生地を焼いて、
種なしのパン菓子を作った。
それにはパン種が入っていなかった。
彼らはエジプトを追い出されて
ぐずぐずしてはいられず、
また自分たちの食料の準備もできなかったからである。
(出エジプト記12:39)

過ぎ越しの祭りの時、
ユダヤ人は種なしパンを食べます。

先祖たちがエジプトを脱出する時に経験した
様々な苦労を追体験し、
あえて固いパンを食べるのです。

短時間での引っ越し作業をしたので
パンを発酵させず急ごしらえで焼いたのでしょう。

先祖の苦労を思い出すためだけではありません。
主が大いなる力によって
奴隷状態から救出して下さったことを心にとめて
賛美し礼拝するために種なしパンを食べます。

過ぎ越しの祭りの時に
主イエスは十字架にかかられました。
これは意味あるタイミングの一致です。
主は種なしパンを裂いて弟子に手渡され
これは私の体だと、新たな意味づけをされました。

思い起こし、味わい、賛美する事が大切です。


2023/08/28

良い友になるには

ヨブは答えた。
そのようなことは、
私は何度も聞いた。
あなたがたはみな、
人をみじめにする慰め手だ。
(ヨブ記16:1~2)

ヨブは正しい人で、
その事は神も認めておられましたが、
悲惨な災害が起きました。

最初ヨブの友人たちはヨブを思いやり、
慰めの言葉をかけましたが、
ヨブが発する強いことばに辟易して
ヨブを責め始めました。

正しい人は災いに遭わない、と友人たちは考えました。
ヨブが災難に巻き込まれたからには
隠れた罪があるはずだから悔い改めよ、
知者のように振舞うな、と言って来たのです。

ヨブは友人たちの批判を聞きながら、
空虚な正論だと思いました。
ヨブは慰め手を失ったのです。

傷ついた人には誠実で心の広い聞き手が必要です。

神は、本当の聞き手であり、
真の慰め主です。
主に話しましょう。
主に、そばに来てもらいましょう。

2023/08/27

知らずに拝む

道を通りながら、
あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、
「知られていない神に」と刻まれた祭壇が
あるのを見つけたからです。
そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、
それを教えましょう。
(使徒17:23)

パウロは、アテネの町を歩いてびっくりしました。
神々の像や祭壇が所狭しと置かれていたからです。

特に驚いたのは、
「知られていない神に」と刻まれた祭壇でした。
信じる相手が分からないのに、
とりあえず信じてみるという姿勢が表れています。

実は、ほとんどの日本人は同じ態度をしています。
初詣の神社が何を祭っているのかを知りません。
実家の仏教の宗派も信仰内容も知りません。

飛行機で胴体着陸のアナウンスを聞いた時、
座席のあなたが本気で祈る対象は誰ですか。
ステージ4のガンだと告知された時、
ベッドの上で助けを求める神とは誰ですか。

人の真剣な祈りを受け止めてくれるのは
石や木を削って作った像ではなく、
まことの神、ただ一人の創造主です。

2023/08/26

イテロ

イテロは言った。
「主がほめたたえられますように。
主はあなたがたをエジプト人の手とファラオの手から救い出し、
この民をエジプトの支配から救い出されました。
今、私は、
主があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。
彼らがこの民に対して不遜にふるまったことの結末によって。」
(出エジプト記18:10~11)

イテロは、モーセの妻の父親です。

モーセは、イスラエルの民をエジプトから連れ出し、
海を渡って安全な場所に導いた後、
妻と二人の息子と再会し、
義理の父とも会いました。

モーセは、何が起きたのか、主がして下さった事を
詳しくイテロに語りました。

イテロはユダヤ人ではなく、ミディアンの祭司でしたが、
主がまことの神であると確信し信仰を告白しました。
イスラエルの民を救い出された神を信じ、
唯一の神をほめたたえたのです。
義理の父の救いはモーセにとって喜びもひとしおでした。

モーセは義理の父イテロに対して
とても自然な個人伝道をしました。

主がしてくださった事をそのまま語る。
これが証しの原点です。
身近な人、家族や親戚に分かち合いましょう。

2023/08/25

家族のために

私は彼らの様子を見て立ち上がり、
有力者たちや代表者たち、
およびその他の人たちに言った。
「彼らを恐れてはならない。
大いなる恐るべき主を覚え、
自分の兄弟、息子、娘、妻、
また家のために戦いなさい。」
(ネヘミヤ4:14)

ネヘミヤは城壁再建工事の指導者でした。
エルサレムの壁は半分まで出来上がっていました。

そこで敵対者達は様々な妨害をしかけ、
言葉で心理的なダメージを与え、
暴力で阻止しようとしていました。

それを感じて
怯える者たちが出てきました。

ネヘミヤは鼓舞しました。
特に中核となる人々に訴えました。
恐れるな。恐れたら、敵の思うつぼだ。
恐れるべきは私たちの主だ。

あなたの家族のため城壁を建てている。
息子、娘、妻たちのために戦おう。
ファイティング精神をしっかり持とう。

やる前から弱気になってはいけません。
登山も八合目からが本番です。


2023/08/24

聖書のテーマは

あなたがたは、
聖書の中に永遠のいのちがあると思って、
聖書を調べています。
その聖書は、
わたしについて証ししているものです。
(ヨハネ5:39)

聖書は特別な書物です。
書き終わるのに約1600年もかかりましたが、
古びないのです。

ダビデの文章はおよそ3000年前のものですが
私たちの心に今も響きます。

歴史、律法、詩、預言、福音書、手紙など
様々な文学形態で構成されていますが
一貫したテーマがあります。

主イエスは今日の聖句で
聖書の中心テーマが何かを明らかにされました。
主イエス・キリストこそが聖書の中心テーマなのです。

主イエスを知り、
主イエスを救い主と信じるなら
永遠の命を受けるという約束が
書かれてあるのが聖書なのです。


2023/08/23

何一つ

人は死ぬとき、
何一つ持って行くことはできず、
その栄誉も、
その人を追って下ることはない。
(詩編49:17)

「私は裸で母の胎から出て来た。
また裸でかしこに帰ろう。」

多くの財産と愛する子供達を失った後、
ヨブはそう言いました。

今日の聖句は、人にではなく
人の持ち物に焦点を当てて
ヨブと同じ事を言っています。

人は悲しい存在です。
不正や詐欺や人殺しをしてまでも、
成功と名声と富が欲しいのです。

何一つ持って行けないのに。

お金も、外車も、会社も、快楽も、グルメも、
勲章も、評判も、「いいね」も持って行けません。

永遠に価値あることに目を留めましょう。

大リーグの大谷選手レベルに有名だった
クリケット選手のCT・スタッドは
すべての名声と富を捨てて宣教師になりました。
彼の言葉を心に留めて下さい。

人生は一度だけで短い、
キリストのためにしたことだけが残る。


2023/08/22

幸せを求めるなら

来なさい。子どもたちよ、私に聞きなさい。
主を恐れることを教えよう。
いのちを喜びとする人はだれか。
幸せを見ようと、日数の多いことを愛する人は。
あなたの舌に悪口を言わせず、
唇に欺きを語らせるな。
悪を離れて善を行い、
平和を求め、それを追い続けよ。
(詩編34:11~14)

幸せになりたい人は
成功とお金と名誉を追い求めます。
自分だけ幸せになりたいので近道を見つけ、
嘘をつき、人を蹴落とし、悪に手を染めます。
でもそれでは幸せになれません。

ダビデは言います。
主を恐れる心を持つことが
幸せになる本当の近道だと。

賛美し感謝し主を喜ぶなら
同じ口から嘘や欺きを言うのは困難になり、
悪ではなく善を選び、平和を作ろうとします。
周囲の人にも良い影響を与え、
みんなが笑顔になって、みんなが幸せになれます。

道徳を頼りにすると傲慢になりますが、
主を恐れると謙遜が生まれます。

平和を求め、それを追い続けましょう。


2023/08/21

二代目は

彼はそこからベエル・シェバに上った。
主はその夜、彼に現れて言われた。
「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。
恐れてはならない。
わたしがあなたとともにいるからだ。
わたしはあなたを祝福し、
あなたの子孫を増し加える。
わたしのしもべアブラハムのゆえに。
(創世記26:23~24)

父が偉大すぎると、その息子は見劣りし、
反発心から問題を起こす場合が多いものです。

イサクは父から引き継いだ家畜を着実に増やしていきました。
井戸を巡っては近隣住民と何度かトラブルになりましたが、
その悩みを通して主を求めるようになったのでしょう。

南端の町、ベエル・シェバにたどりついた時、
イサクは主にお会いしました。

主はイサクに対して自己紹介され、あなたの父の神だ、
あなたと共にいる、祝福を与える、
恐れるなと言って下さいました。

それに応えてイサクは
祭壇を築き信仰の記念碑を作りました。

地味ですが、確実に父の信仰を引き継いだイサクには
二代目の強さ、いぶし銀の輝きがあります。

2023/08/20

口ずさむ人

主のおしえを喜びとし、
昼も夜も、その教えを口ずさむ人。
その人は
流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び、
その葉は枯れず
そのなすことはすべて栄える。
(詩編1:2~3)

森林と川の多い日本と違って
パレスチナでは水が一年中流れる川はわずかです。

ですから、流れのほとりの木々の瑞々しさは
人々の印象に残る美しい風景でした。

川のほとりに植えられた木は
みことばを愛す人とそっくり同じです。

昼でも夜でも、
順境の時も逆境の時も、
聖句を口ずさめる人はみことばに励まされ、
実り豊かな人生になります。

単語一つでも、
聖句の中のワンフレーズであっても
私たちの心を支えてくれます。

みことばを心のノートに書き留めましょう。
「そのなすことはすべて栄える」
と約束が書いてあります。



2023/08/19

カルメル山で

「私に与えて下さい。
主よ、私に答えてください。
そうすればこの民は、主よ、
あなたこそ神であり、
あなたがたの心を翻してくださったことを知るでしょう。」
すると、主の火が降り、
全焼のささげ物と薪と石と土を焼き尽くし、
溝の水もなめ尽くした。
(第一列王記18:37~38)

預言者エリヤはカルメル山頂にいます。
大勢の人々が取り囲み
全焼のいけにえを見つめていました。

バアルの神の預言者は半日かけて祈祷しましたが
天から火を下すことができず、
選手交代でエリヤが登場しました。

いけにえに水をかけよとエリヤが命じた後、
今日の聖句のように彼は祈りました。

すると、天から主の火が降り、
あっという間にすべてを焼き尽くしました。

人々はその場でひれ伏して、
「主こそ神です」と叫びました。

主よ、火をもって応えるエリヤの神よ、
あなたの御力を、
私たちの世界で、日々の生活の中に、
鮮やかにお示し下さい。

 

2023/08/18

主は私の力

そのとき、
モーセとイスラエルの子らは、
主に向かってこの歌を歌った。
彼らはこう言った。
「主に向かって私は歌おう。
主はご威光を極みまで現わされ、
馬と乗り手を海の中に投げ込まれた。
主は私の力、また、ほめ歌。
主は私の救いとなられた。
この方こそ、私の神。
私はこの方をほめたたえる。
私の父の神。この方をあがめる。
主はいくさびと。その御名は主。」
(出エジプト記15:1~3)

紅海の水が分かれ、イスラエルの民は
エジプトから脱出しました。
これはその時にできた歌です。

振り返ると海が元に戻り、
敵の軍勢はもういません。
イスラエルの民は、何もしていません。
逃げただけです。

出エジプトも恵みによる救いなのです。

これこそが救いの本質を表しています。
弱く自力では何もできなかった。
戦う力もなかった。
けれども、主は「いくさびと」であり、
主が戦って助けて下さった。

今日も、主は私の救いとなって下さいます。

2023/08/17

私の羊飼い

主は私の羊飼い。
わたしは乏しいことがありません。
(詩編23:1)

23篇はたった17行の小さな詩編。
それなのに、もっとも愛される詩編です。

全体を貫く牧歌的な穏やかさに
私たちはひかれます。

羊飼いと羊の姿を見て嬉しくなります。
私たちと神との関係の理想像です。

乏しさを感じないという言葉に私達は共感します。
神は私たちに必要なものをすべて
与えて下さったし、これからも与えて下さいます。

最愛の人に巡り合った時に私たちは言いますね。
あなたがいれば、何もいらないと。

最高の羊飼いである主に出会ったので
私たちも同じ言葉を言います。
あなたがおられるので、乏しいことは何もありません。

ダビデの体験から滲み出た信仰告白の詩篇です。

そして23篇は
私たちの賛美と告白になるのです。



2023/08/16

一つもたがわず

見よ。今日、私は
地のすべての人が行く道を行こうとしている。
あなたがたは心を尽くし、
いのちを尽くして、知りなさい。
あなたがたの神、主があなたがたについて
約束されたことすべての良いことは、
一つもたがわなかったことを。
それらはみな、あなたがたのために実現し、
一つもたがわなかった。
(ヨシュア記23:14)

ヨシュアの生涯には3つの横顔があります。
1) 若く純粋な信仰者
2) 約束の土地獲得に奮戦する司令官
3) 戦いを終えた老人

今日の箇所は、ヨシュアが死を覚悟し、
人生を振り返りながら
イスラエルの民に残した言葉です。

神は約束された事を守られた。
一つもたがわなかった。

ヨシュアは神の誠実さに感激し、感謝しています。
約束を全部守られた主をたたえています。

私たちの神はそういうお方です。
あなたの人生の最後にもきっと同じことが言えるでしょう。
一つもたがわなかったと。

2023/08/15

神の言葉に帰る

さらに書記シャファンは王に告げた。
「祭司ヒルキヤが私に一つの書物を渡してくれました。」
シャファンは王の前でそれを朗読した。
王は律法のことばを聞いたとき、
自分の衣を引き裂いた。
(第二歴代誌34:18~19)

紀元前600年代、
ヨシヤ王が神殿修復工事をした際に
ひとつの書物が見つかりました。

おそらくそれは申命記の巻物だったのでしょう。
ヨシヤ王はその朗読を聞いて
自分の衣を裂きました。

ユダヤ民族が神の言葉を無視して来たことに
愕然としたからです。
ユダ王国が風前の灯となり、
外国の圧力で倒れる寸前だったのも
神から離れていたことが原因だと気づきました。

神の言葉の朗読を聞いて、
どこで道を誤ったかが分かったのです。

国の滅亡を秒読みする段階でしたが、
神を信頼する王の姿が
最後の希望と輝きになりました。

神の言葉に帰る。
それがセオリーです。

2023/08/14

助けて下さるお方

同じように御霊も、
弱い私たちを助けてくださいます。
私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、
御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、
とりなしてくださるのです。
(ローマ8:26)

聖霊はどんな方でしょうか。
弱い私たちを助けて下さる方です。

私たちの内側に住まれる神、聖霊は、
様々な面で助けてくれます。
特に、祈りの面で助けて下さいます。

どう祈ったらよいのか分からないとは、どんな時でしょう。
大きな試練や悲しみや落胆の時、
病の時、心身ともにぼろぼろになった時、
大きな恐れで身動きが取れない時などです。

そんな時は、
聖霊が私たちのためにとりなして下さっています。

弱くても大丈夫。祈れなくても聖霊にゆだねて目を閉じましょう。

あなたは今日も
聖霊によって守られ、祈られています。

2023/08/13

主の訓練

そして、あなたがたに向かって
子どもに対するように語られた、
この励ましのことばを忘れています。
「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。
主に叱られて気落ちしてはならない。
主はその愛する者を訓練し、
受け入れるすべての子に、
むちを加えられるのだから。」
(へブル人への手紙12:5~6)

ひどい困難や悩みに直面した時、
神に愛されていないと考える人がいます。

それは違う、と今日の聖句が言っています。

親は、子供の将来を考えて子供を訓練します。
挨拶のしかた、自転車の乗り方、九九の暗記、
箸の持ち方、交通ルール、善悪の区別、
ごめんなさいと言う事など、広範囲に及びます。

子供にとっては辛いことも多いでしょう。
運動訓練なら筋肉が痛みます。反抗するなら“むち”もやって来ます。
反復練習なら忍耐が必要です。

主も私たちを訓練し、鍛え、
整えようとしておられます。
厳しさの背後にある
主の深い愛に気づいて下さい。
主は愛する者を訓練されるのです。

2023/08/12

祈りで助ける

あなたがたも祈りによって協力してくれれば、
神は私たちを救い出してくださいます。
そのようにして、
多くの人たちの助けを通して
私たちに与えられた恵みについて、
多くの人たちが感謝をささげるようになるのです。
(第二コリント1:11)

パウロは、この前の節で、生きる望みを失うほどの
大きな苦しみを経験したと述べました。

振り返ると多くの人の助けと祈りを受け、
主の恵みによって救い出されたと実感しました。

パウロでさえも、
とりなしの祈りを必要としていました。

重い荷物を運ぶ時に
運び手が増えると軽くなるように、
祈り手による応援は
誰かを実際に助けることになります。

今日は誰の事が心に浮かびますか。
祈りによって協力しましょう。

2023/08/11

涙ながらに

というのは、
私はたびたびあなたがたに言ってきたし、
今も涙ながらに言うのですが、
多くの人がキリストの十字架の敵として
歩んでいるからです。
その人たちの最後は滅びです。
彼らは欲望を神とし、
恥ずべきものを栄光として、
地上のことだけを考える者たちです。
(ピリピ3:18~19)

「その人たちの最後は滅びです」
パウロは忖度なしに、
滅びがあると語りました。

まことの創造主を認めず、
きよい神をあがめることなく、
別の何かを神として生きる者に対して、
警告しました。

パウロほど真剣に警告する人はいません。
涙ながらに警告しています。

救いは主イエスにある。どんな罪人も救われる。
主イエスを信じる者は滅びから救われる。
主イエスを見上げよと喉をからし、泣きながら
パウロは叫び続けました。

2023/08/10

祝福とのろい

見よ、私は今日、
あなたの前に祝福とのろいを置く。
祝福とは、私があなたに命じる、
あなたの神、主の命令に聞き従った場合であり、
のろいとは、あなたの神、主の
命令に聞き従わず、私が今日あなたに
命じる道から外れて、
あなたがたの知らなかった他の神々に
従って行った場合である。
(申命記11:26~28)

モーセはイスラエルの民に説明しました。
あなたの前には祝福とのろいの二つがあると。

神をあがめ、神の言葉に耳を傾け、
神の言われることに従う人生ならば、
祝福が約束されています。

もう一つは、のろいです。
まことの神を認めず、神を作り出し、自分勝手に歩むなら、
その結果は祝福の反対になるというのです。

ヤッホーと山で叫べば、
ヤッホーとこだまが返ってきます。
何を選ぶかは自由、でも結果は選べません。

モーセは物事を極限まで単純化して見せ、
祝福を選びなさいと勧めています。


2023/08/09

マケドニアの叫び

その夜、パウロは幻を見た。
一人のマケドニア人が立って、
「マケドニアに渡って来て、
私たちを助けてください」と懇願するのであった。
(使徒16:9)

伝道旅行の最中でした。
パウロは右にも左にも行けず、
不本意ながら前に進むと海に出てしまいました。
トロアスの町で途方に暮れたのです。

パウロは、主のみこころを測りかねていました。
ずっと聖霊に導かれて来たのです。

その夜、パウロは夢を見ました。とても鮮やかでした。
海の向こう岸の人々がパウロを呼んでいるのです。
私たちを助けて下さいと懇願していました。

このマケドニア人の叫びは主のみ旨と理解し、
パウロは海を渡って向こう岸に行くことにしました。

予定通りに進まない事によって、
神のみこころに気づくことがあります。

私の行き止まりは、主の搭乗口なのです。
あなたの向こう岸はどこですか。

2023/08/08

ヨシヤ王

その治世の第十八年に、
ヨシヤはこの地と宮をきよめるため、
アツァルヤの子シャファン、
この町の長マアセヤ、エホアハズの子である
史官ヨアフを遣わして、
自分の神、主の宮を修理した。
(第二歴代誌34:8)

ヨシヤ王は8歳で王になったので
今日の箇所は26歳の頃だと思われます。

ヨシヤは父祖ダビデの道を歩み、
右にも左もそれない誠実な信仰者になりました。

たくさんの王たちが歴史に名を連ねていますが、
彼のように信仰深い王はまれでした。

純粋な信仰を持つ人たちが彼の周囲にいて
幼い時から彼の信仰を育ててくれたのでしょう。

神殿の修理が必要だとヨシヤ王は判断し、
責任者を任命し、実際に工事をスタートさせ、
必要な資金を与えました。

何を大切に考え、何にお金を使うのか。
ヨシヤは澄み切った目で物事を見られる
神を愛する若き王でした。

2023/08/07

きよい心を

神よ、私にきよい心を造り、
揺るがない霊を
私のうちに新しくしてください。
(詩編51:10)

ダビデが姦淫の罪を犯し、
罪の深さ、自分の罪の醜さに気づき、
真実な悔い改めをした詩編が51篇です。

ダビデは心を砕いて主に謝り、何も隠さず、
自分の汚れを素直に認めました。

正しく生きることが今までのダビデの誇りでしたが、
大きな罪を犯してしまい、自分に自信が持てません。

自力で新しい心を構築することは無理だと感じたので
私にきよい心を造ってくださいと
神に切々と願いました。

私たちもダビデのように
主に祈りましょう。

きよい心を造ってください。
揺るがない霊を与えてください。


2023/08/06

互いに

わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互いに愛し合うこと、
これがわたしの戒めです。
人が自分の友のためにいのちを捨てること、
これよりも大きな愛はだれも持っていません。
(ヨハネ15:12~13)

この戒めは「~してはならない」型の
禁止命令ではありません。
互いに愛す事を促すアドバイスです。

身近な人を愛すのは実は簡単ではありません。
距離が近い関係だと、あばたもえくぼの逆になり、
小さなことが気になって裁いてしまうのです。

でも、主イエスの愛を本当に体験した人は、
互いの弱さや欠点を受け入れて、
主が与えて下さった相違点を喜べます。
ほがらかに笑い合い、感謝をあらわし、ゆるし合い、
一緒に生きている喜びを感じましょう。

いざという時には、
大きな犠牲を払う準備もできています。
それは、主イエスが命を捨てて
「友」を助けて下さったからです。

互いに愛し合いましょう。
優しい気持ちを持ちましょう。

2023/08/05

偽物に気をつけて

そのとき、だれかが、
「見よ、ここにキリストがいる」とか、
「そこにいる」とか言っても、
信じてはいけません。
偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、
できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、
大きなしるしや不思議を行います。
(マタイ24:23~24)

主イエスはあらかじめ警告されました。
将来、イエスさまの偽物が来るから気をつけなさいと。

やっかいなことに、
その偽物は奇跡を行い皆を驚かせ人気者になります。
クリスチャンがだまされるほど巧妙です。

主イエスが再臨の時に来られる様子は、
明らかにそれだと分かる形で来られます。
使徒1:11を読んで下さい。

ですから、
実はこの人が再臨のイエスなのだ、とか
知らないだろうが私がそうだ、とか
という場合は全部が偽物です。

再臨のキリストに見えるけど本物かな、
と悩ますものも偽物です。
再臨の主は栄光に満ちた姿で天から来られ
一瞬で分かります。

だまされないように気をつけましょう。
信じてはいけないこともあるのです。



2023/08/04

食べたり飲んだり

見よ。私が良いと見たこと、
好ましいこととは、こうだ。
神がその人に与えたいのちの日数の間、
日の下で骨折るすべての労苦にあって、
良き物を楽しみ、
食べたり飲んだりすることだ。
これが人の受ける分なのだ。
(伝道者の書5:18)

幸せとは何でしょう。
宝くじが当たるような特別体験とか、
成功や名誉などの輝かしいものばかりが
幸せではないと思います。

主から与えられた普通の日々を
淡々と生きるのはとても幸せな事です。
今日は暑かった、仕事も大変だった、でも、
夕食を家族と食べられる幸せがあります。

ささやかな幸せの中にこそ
人の喜びが宿っている気がします。

何かの仕事ができること、
食べて飲める事、生きていられる事、
何かを楽しめる事、
当たり前のようですが、とても尊いです。

平凡は非凡。当たり前は見えない奇跡。

主は日常生活の中に喜びを下さっています。

2023/08/03

安全な錨

私たちが持っているこの希望は、
安全で確かな、
たましいの錨のようなものであり、
また幕の内側にまで入って行くものです。
(へブル6:19)

信仰を未来形にすると
「希望」と言い換えることができます。

旧約聖書の人々は
将来の予測がつかない時でも
希望を胸に進みました。

「幕の内側」とは、聖所や至聖所を意味するもので
希望が私たちをもっと神に近づけてくれるというのです。

荒波が来ても、強風に襲われても、
船を安全な場所に保つ方法があります。

それが船の錨です。

自動車6千台を運ぶ超大型船には
重さ10トンの錨が使われています。
巨大な錨が船を留め置くのです。

私たちの希望は、安全で確かな人生を保証する
魂の錨なのです。


2023/08/02

山地も

今、主があの日に語られたこの山地を
私に与えてください。
そこにアナク人がいて
城壁のある大きな町々があることは
あの日あなたも聞いていることです。
しかし主が私とともにいてくだされば、
主が約束されたように、
私は彼らを追い払うことができます。
(ヨシュア14:12)

旧約聖書には元気なお爺さんが何人か出てきますが
カレブはそのひとりです。

約束の地に入ったイスラエルの民は
それぞれの地域で戦いを続けていました。
ユダ族のカレブは
山の上にある町々を与えて下さいと
指導者ヨシュアに願い出ました。
攻略が難しい山地をあえて求めました。

年を重ねて若い時のようにはできないと感じ、
早めにリタイヤを決める人がいますが、
85歳のカレブはフレッシュな心を維持していました。
気力、体力、信仰が衰えていません。

年甲斐もなくと言われそうでも
新しく取り組みたい事がありますか。
あなたの「この山地」とは何でしょう。



2023/08/01

数えられるか

そして主は、
彼を外に連れ出して言われた。
「さあ、天を見上げなさい。
星を数えられるなら数えなさい。」
さらに言われた。
「あなたの子孫は、このようになる。」
(創世記15:5)

アブラハムは子供がいないまま
高齢になっていました。けれども主は
子供を与え子孫を増やすと言われました。

アブラハムは現状を悲観し、
主の約束を信じられずにいました。

そんな時、主は夜空を見るように言われました。
アブラハムは外に出て、満点の星を見上げました。

数えてみよと主は言われましたが、
あまりにも多くて無理でした。

これがあなたの子孫の未来だと
主は確約されました。

アブラハムは、驚きと感動で
立ちすくんだことでしょう。

神の偉大さ、神のビジョンの壮大さ!

私たちも目先の可能性だけ見ないで、
小さく固まらないで、
神の大きな約束を信じてみましょう。