2023/03/31

鍛えてくださる

わが岩なる主が、
ほめたたえられますように。
戦いのために私の手を
戦のために私の指を鍛えられる方が。

(詩篇144:1)

ダビデは体験的に
主がどのようなお方か知っていました。

主は、やぐらとなり、岩となり、砦となって
どんな矢が飛んで来ても
盾となって守って下さる方です。

その神は、同時に、ダビデを鍛えて下さる方でした。
そのおかげで、たくましく強くなりました。
強くなるには、筋力トレーニングと同じように負荷をかけますが、
さじ加減の絶妙さが主のみわざなのです。

今日も主は、私たちを守って下さりながら、
私たちを鍛えて下さいます。

日々に経験する信仰と魂における筋肉痛は
明日の勝利に必ず役立ちます。

2023/03/30

愛すれば良い

律法全体は、
「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という
一つのことばで全うされるのです。
(ガラテヤ5:14)

旧約聖書の律法を要約すると、
こんなシンプルな言葉一つで
表わすことができます。

愛せばよいのです。
律法の禁止事項を
全部覚える必要はないのです。

スピードを出したり、
ルールを乱す自分勝手な運転手がいるので
警察官が必要になります。
周囲の歩行者や運転手に対する
思いやりがあれば、事故も違反もかなり減るでしょう。

しないことでなく、することが大事。

迷惑かけないようにとか、
嫌われないようにではなく、
愛してみちゃいましょう。
(愛して失敗するなら上から花丸がもらえます)

今日の隣人は誰ですか。
自分自身のように愛してみましょう。


2023/03/29

和解の務め

これらのことはすべて、神から出ています。
神はキリストによって
私たちをご自分と和解させ、
また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。
(第二コリント5:18)

神を知らずに大人になり、
神と距離を縮めたいと思っても
その方法を知らない人が多数です。

本来、私たちが先に頭を下げ、
神への親不孝を詫び、罪を告白すべきですが、
神の側で和解の道筋を作って下さいました。

十字架は神と人の間にかけられた
吊り橋のようなもので、
濁流の上に通路を確保して下さったのです。

私たちは、神によって和解の恵みを頂いたのですから、
今度は、誰かとの和解を進めて行きましょう。
すばらしい十字架の福音を周囲の人に届けましょう。

家族との和解、友達との和解、
きっとできます。


2023/03/28

年老いても

年老いたときも私を見放さないでください。
私の力が衰え果てても見捨てないでください。
(詩篇71:9)

小学生の頃、
大人が何歳なのか皆目見当もつきませんでした。
近所のお年寄りの年齢に関してはお手上げでした。

60歳を過ぎると老いを感じます。
歩いていても若者に追い越され、
レジで後ろの人をイラつかせてしまいます。

人々や社会が老人をのけ者扱いにしても
主の愛とご配慮に何の変化もありません。

主は私たちを一般の尺度で測りません。
寝たきりになっても、記憶がなくなっても、
判断ができなくても、介護が必要になっても、
主は私たちを見放すことはありません。

主よ、今日も、
お年寄りの傍らにあって支え、
励まし、愛を注ぎ、お守り下さい。
主の臨在を強く感じさせて下さい。

2023/03/27

近くにおられる神

まことに、私たちの神、
主は私たちが呼び求めるとき、
いつも近くにおられる。
このような神を持つ偉大な国民が
どこにあるだろうか。
(申命記4:7)

申命記は、いわばモーセの遺言的な文章です。
イスラエルの人々は
ヨルダン川を渡り約束の地に入ろうとしていますが
モーセは一緒に行けません。

それで、今までの歩みを振り返り、
主の命令を再確認しています。
エジプトから救い出して下さった
神の偉大さと神の愛を思い出させています。

こんな素晴らしい神を持つ民は他にはない。
それを忘れるなと言いたいのです。

ピアノ発表会の舞台上で
チラリとお母さんの顔を見る子供がいます。
近くにいると分かるだけで心が休まるからです。

どんな時でも、どんな場所でも、
神を呼び求めるなら必ず応答して下さる。
神はいつも近くにおられるのです。

主は、今日も、あなたのそばにおられます。
舞台袖にチラリと目を向けましょう。


2023/03/26

強くあれ、愛を行え

目を覚ましていなさい。
堅く信仰に立ちなさい。
雄々しく、強くありなさい。
一切のことを、愛をもって行いなさい。
(第一コリント16:13~14)

今日の言葉を読むと背筋がピンと伸びる気がします。
これは、コリント人への手紙の最後を飾る
まとめの言葉です。

社会の潮流を見抜き、主の再臨を忘れず、
問題の本質を見抜き、
日々の忙しさに流されず、
目を覚まして、信仰に堅く立ち続けましょう。

主にある勇気を発揮しましょう。
主によって強められましょう。
正義を行い、誠実に歩みましょう。

強さだけでは息苦しくなります。
一切のことを愛をもって行い、
ほほえみを忘れないことです。

パウロのアドバイスはちょっと高度ですが
自分を見つめる点検表として役立ちます。
何が欠けていますか。何が必要ですか。

2023/03/25

日々新たに

ですから、私たちは落胆しません。
たとえ私たちの外なる人は衰えても、
内なる人は日々新たにされています。
(第二コリント4:16)

主イエスを信じた人は新しく造られた者です。
罪が赦され、感謝と喜びが生まれました。
聖霊が心に住んで下さるので
感じ方、判断、未来の見え方も新しくなりました。

信仰を持った人は新車のようなものです。
まったく新しくなったのです。

新車は販売店を出たら一瞬で中古車になりますが、
クリスチャンは日々新たにされて
ずっと新車、新モデルでいられるのです。

私たちの外側は、人間ですから、
だんだん若さを失います。
ですが、信仰者の内なる人はいつも新たにされていきます。

困難や失敗も経験するし、
鏡を見るたびにお肌の曲がり角を自覚しますが、
聖書の約束を思い出しましょう。
あなたは、若いのです。新しいあなたになれるのです。
日々、刷新されているのです。

2023/03/24

時がある

求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
裂くのに時があり、縫うのに時がある。
黙っているのに時があり、話すのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦いの時があり、平和の時がある。
(伝道者の書3:6~8)

言わなかったので後悔することがあるし、
話し過ぎたので後悔する時もあります。
だから沈黙の価値が分かるし、
また、話す勇気も欲しいのです。

誰かを愛して燃え上がる時もあり、
ある人を憎んで決別する事もあります。

相反する行動パターンが6種類書かれていますが、
今日のあなたは、どこに目が止まりますか。
あなたが今、求めている事は何ですか。

すべてのことに時があります。
主のみこころを求めながら決断しましょう。

2023/03/23

あらゆる時に主をほめよ

私はあらゆるときに主をほめたたえる。
私の口にはいつも主への賛美がある。
私のたましいは主を誇る。
貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
私とともに主をほめよ。
一つになって御名をあがめよう。
(詩篇34:1~3)

今日のダビデの詩篇は
賛美の心にあふれ、実に堂々としています。
他の人にも賛美の輪に入るように勧めていて
まるで賛美リーダーのようです。

実はこの時、ダビデは危機一髪だったのです。
アビメレクに捕らえられ処刑寸前でした。
とっさにダビデは気が触れた人を装い
口ひげによだれをたらす演技をしました。
それを見たアビメレクは呆れ果て
ダビデを追い出したのです。

自分がみじめで、不甲斐なく、
生き延びても後悔が込み上げてくる心境だったのでしょう。
けれども気分一新、
主を賛美するモードにスイッチを入れました。

だから、あらゆる時に賛美するのです。
誇るべきは、ただ、主だけです。
私と共に主をほめよ、なのです。

2023/03/22

少年を呼んでおられる

は三度目にサムエルを呼ばれた。
彼は起きて、エリのところに行き、
「はい、ここにおります。
お呼びになりましたので」と言った。
エリは、
が少年を呼んでおられるということを悟った。
(第一サムエル3:8)

サムエルは、神の箱の置かれていた
神殿で眠っていました。
少年だったので夜は熟睡していたことでしょう。

眠っているサムエルに分かるように
主は大きな声で呼ばれたかもしれません。
「サムエル、サムエル」

サムエルは祭司エリに呼ばれたと思って
部屋まで行って、寝ぼけまなこで言いました。
「はい、ここにおります」と。

二度ほど同じことがあったので
年配の祭司エリは眠れなかったと思います。
三度目にサムエルがやって来たので、
この子は寝ぼけているのではない、
主がこの少年を呼んでおられると悟りました。

少年サムエルにとっては採用通知。
年寄りのエリにとっては引退勧告。
互いの立場で主のみこころを受け止める必要がありました。
年度の変わり目に主の声を聞きましょう。


2023/03/21

主のみこころであれば

あなたがたには、
明日のことは分かりません。
あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。
あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。
あなたがたはむしろ、
「主のみこころであれば、私たちは生きて、
このこと、あるいは、あのことをしよう」と言うべきです。
(ヤコブ4:14~15)

若者のスケジュール帳には隙間がありません。
年配者は壁掛けカレンダーで十分です。

ヤコブは言います。
明日のことは人間には分からないと。

自分という存在は霧のようで、
はかなく弱いものなのです。
神のおゆるしの中で生かされている事を
しっかり心に留めておきましょう。

昔の船乗りたちが
星を頼りに進路を決めたように、
主のみむねならばこの事をさせて下さいと祈りましょう。
みことばをカーナビにして注意深く進路を確認しましょう。

主に生かされている。
その不思議と喜びを噛みしめましょう。

2023/03/20

信仰は

さて、信仰は、望んでいることを保証し、
目に見えないものを確信させるものです。
(ヘブル11:1)

今日の聖句は、信仰とは何かを
網羅的に総合的に解説したものではありません。

信仰が実生活でどんなに力強いか、
希望がどんなに大切かを教えています。

ヘブル11章には、
神を信頼して困難を乗り越えた人や
厳しい試練の中でもくじけなかった人の話が
たくさん書かれています。

不確実な未来、悩みの壁、
それでも希望を胸に前に進めるのは
信仰という管が神の助けを流してくれるからです。

あなたはどちらかというと
否定的、悲観的な人ですか。
それなら、希望の神、励ましの神、約束の神、
共にいて下さる神をもっと信頼して行きましょう。

あなたが望んでいる事は何でしょう。
それが実現しますように。



2023/03/19

初めであり終わり

恐れることはない。
わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。
わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。
また、死とよみの鍵を持っている。
(黙示録1:17~18)

白く、あるいは、ゴールドに輝く主イエスを見て
使徒ヨハネは立っていられずに倒れました。
今日の聖句は、主が彼に手を置いて言われた言葉です。

私たちは福音書の記事から
主イエスがどんな方かを理解してきました。
謙虚で、愛に満ち、素晴らしい教えを語り、驚くべき奇跡を行い、
弟子たちを育て、十字架に進まれた神の子です。

黙示録においては
主イエスの本質がストレートに
力強く、私たちの想定を超えた形で
栄光の姿が提示されます。

世界と命の初め、そして最後をつかさどる方。
死とよみの鍵を持つ方。
十字架後に復活され今も生きておられる方。

主イエスがヨハネに語られた言葉は
私たちにも語られています。
主イエスを小さく考えてはいけないのです。
栄光と権威をまとい、再び来られるまことの神なのです。


2023/03/18

世に勝つ者

神から生まれた者はみな、世に勝つからです。
私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
世に勝つ者とはだれでしょう。
イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。
(第一ヨハネ5:4~5)

勝ち組とは、高学歴の人、出世した人、高級車に乗る人、
素敵な人と結婚できた人、たくさんの「いいね」をもらう人、
有名になった人、健康的で美しくアクティブな人?

いつ頃からでしょう。
勝ち組と負け組という言葉が使われるようになったのは。
私はこういう言い方が好きではありません。
人の理解があまりにも浅薄です。

イエスさまの十字架を表面的にとらえるなら
無実の罪で殺された敗北者とも言えます。
けれども、ご自分の命を投げ出されたその愛、
謙遜さ、使命への忠実さ、勇気を見れば
まぎれもなく真の勝利者だと分かります。

イエスを神の子と信じる者もまた、
勝利者となるのです。
他者と比較する価値観から自由にされ、
主イエスに似た者にされていきます。



2023/03/17

十字架の上で

キリストは自ら十字架の上で、
私たちの罪をその身に負われた。
それは、私たちが罪を離れ、
義のために生きるため。
その打ち傷のゆえに、
あなたがたは癒やされた。
(第一ペテロ2:24)

有名なこの箇所(21~25節)は、
当時の信仰告白文、あるいは
賛美の言葉として良く知られていたようです。

あなたも十字架をテーマにした讃美歌・聖歌を
いくつか歌えるはずです。

すべての人は犯した罪で苦しんでいるので
罪の赦しが必要です。
そして、罪から離れて正しく生きるために、
励ましや支えが必要です。

また、私たちは深い傷を負って来たので
癒しが必要です。
主イエスが私たちの代わりに
痛みを引き受けて下さったので
主イエスの傷が私たちを癒してくれました。

キリストの愛と十字架が
私たちの暗闇を吹き払い、
新しい風を送ってくださいました。


だから私達も、十字架をテーマにした賛美を
主にささげるのです。

2023/03/16

目撃者

私たちはあなたがたに、
私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、
それは、巧みな作り話によったのではありません。
私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです。
(第二ペテロ1:16)

ペテロは愛すべき人でした。
情が深くて庶民代表のような雰囲気がありました。
この頃は死の近さを実感していたようです。(1:14)

そんなペテロが真顔になって
キリッとして話しています。

私が語って来た主イエスの話は、だいぶ昔の事だが、
私の作り話なんかじゃない。

イエスさまは私の目の前で奇跡をなさった。
神の子の力にあふれておられた。
私たちを救うために来られた真の救い主だ。

私は目撃者としてずっと生きて来た。
命尽きるまで主イエスの威光の証人でありたい。
イエスさまはこんな私を愛して下さった。

ペテロの使命感を、私たちの使命感に重ねましょう。

2023/03/15

愚かさに戻らないために

聞かせてください。主である神の仰せを。
主は、御民に、
主にある敬虔な人たちに、平和を告げられます。
彼らが再び愚かさに戻らないように。
(詩篇85:8)

詩篇85篇は、
深い反省に基づいた祈りの歌です。

神を無視し、神から離れたゆえに大きな災いを受け、
復興できない悲しみを背負った詩篇です。

もう二度と同じ失敗を繰り返したくない。
そのために、何よりも大切な神の言葉を聞きたい。
主の仰せを第一にしたいという姿勢が
強く前面に出ています。

「再び愚かさに戻らないように」という祈りは、
大きな失敗を経験した人に共通した祈りです。

私たちも言いましょう。
聞かせてください、あなたの仰せをと。

2023/03/14

約束を果たす

今日まで、
この長い間あなたがたの兄弟たちを捨てず、
あなたがたの神、の命令に対する務めを果たしてきた。
今あなたがたの神、は、約束したとおりに、
あなたがたの兄弟たちに安息を与えられた。
今、のしもべモーセが
ヨルダンの川向こうであなたがたに与えた、
自分たちの所有地、自分たちの天幕に引き返しなさい。
(ヨシュア記22:3~4)

ルベン族、ガド族、マナセの半部族は
男たちだけでヨルダン川を渡りました。

彼らは、ヨルダン川の東側に良い土地を見つけ
そこを割り当て地として申し出て
許可されていました。

ただし、残りの部族がすべて土地を獲得するまで
帰ってはならないという指示を受けていました。

その約束、務めを忠実に行ったことを見て
二部族半の人々は指導者ヨシュアから賛辞をもらい、
帰還をゆるされたました。

約束を守る。務めを果たす。
これは人として大切な事であり、
貴い努め、信仰者の誠実さの表れです。



2023/03/13

よくついて来てくれた

しかしあなたは、私の教え、生き方、計画、信仰、寛容、愛、忍耐に、
また、アンティオキア、イコニオン、リステラで
私に降りかかった迫害や苦難に、
よくついて来てくれました。
私はそのような迫害に耐えました。
そして、主はそのすべてから私を救い出してくださいました。
(第二テモテ3:10~11)

パウロはリステラで若いテモテに出会い、
伝道旅行の道連れとしました。

純粋な信仰を持ち、
主への献身姿勢を持つテモテを育てながら、
パウロ自身が励まされたことでしょう。

この手紙はテモテへの個人的な手紙なので、
一緒に経験した思い出を持ち出して、
辛かったな、頑張ったなと書いているのです。

これは、テモテが今直面している困難に負けないための
励ましになっています。
待ち受けている難題にひるまないために
アンティオキアなどで主が助けて下さったことを
思い出させているのです。

主は、あなたにも同じことを言って下さいます。



2023/03/12

主が立てて下さった

ダビデは、
が自分をイスラエルの王として堅く立て、
主の民イスラエルのために、
自分の王国を高めてくださったことを知った。
(第二サムエル5:12)

サウル王が亡くなると
ダビデはヘブロンの町を治める者となり、
やがてエルサレムで正式な王となりました。

周囲の国々もダビデの力を認め、
ツロの王などはダビデの王宮建設を申し出ました。

ダビデは人一倍苦労し
自分の手で戦ってきましたが
謙虚で信仰的な認識を固く持っていました。

主が王として立てて下さった。
主の選びがあり、
万軍の主の助けがあった。
それで今の自分がある。

自分が王として今あるのは
主の民のためであり
最終的には神の栄光のためであると理解していました。

主が堅く立てて下さっています。

栄光は主に!

2023/03/11

偽りのうわさ

偽りのうわさを口にしてはならない。
悪者と組んで、悪意のある証人となってはならない。
(出エジプト記23:1)

科学が進み、知識が蓄積され、歴史から学ぶなら
人類は賢くなり、良い人が増えるだろうと思われていました。

ところが、増えているのは悪意ある人間と
フェイクニュースです。

真っ赤な嘘が大手を振り、
悪者がもっと悪くなり、
独裁者が人々を操っています。

神は正義を愛す方です。
今日の聖句は主からの叱責であり、
強い警告です。

偽りの噂を楽しむ心を捨てましょう。
自分の利益を優先した偽証言はやめましょう。

人は神に似せて造られたので、
正義を実行するときに喜びと満足を覚えるのです。

人間本来の喜びを取り戻し
正直に、きよく、クリーンに日々を送りたいですね。



2023/03/10

心を注ぎ出す祈り

ハンナは答えた。
「いいえ、祭司様。
私は心に悩みのある女です。
ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。
私はの前に心を注ぎ出していたのです。
(第一サムエル1:15)

ハンナの家族は年に一度シロという町に上り、
主を礼拝していました。
ハンナの他にもう一人妻がいる家庭だったので争いが絶えず、
毎年このタイミングでトラブルになっていました。

ハンナは主の家で
大きな悩みを抱えこみ、
怒りながら、泣きながら、祈りました。
子供を与えて下さい、お願いですと。

遠目に見ると酒に酔ったような様子でした。
それほど、祈りに没頭していたのです。
心を注ぎ出して祈っていたのです。

本音の祈りはとても大切です。
自分以外だれもいない所で、思いの丈を
正直に、率直に、声を出して祈りましょう。





2023/03/09

大祭司

その殺人者は、大祭司が死ぬまでは、
逃れの町に住んでいなければならないからである。
大祭司の死後に、
その殺人者は自分の所有地に帰ることができる。
(民数記:35:28)

旧約時代に「のがれの町」がありました。
事故や過失で、誰かの命を奪ってしまった場合、
その町に逃げ込めば復讐する人から守ってくれる、
という制度です。

死刑にならず普通に生活できますが、
その町からは出られません。
ただ一つ、その状態から解放される場合がありました。
大祭司が亡くなった時です。

その理由は推測できますね。
大祭司が過失犯の罪を背負って
身代わりに罰を受けたとみなされるので
彼は自分の町に帰れるのです。

ヘブル書4章ではイエスさまのことを
「私たちの大祭司」と呼んでいます。

2023/03/08

創造主

はじめに神が天と地を創造された。
(創世記1:1)

元素の周期表をみながら、主は素晴らしいと私は思っています。
すべての物質は陽子と中性子と電子によって作られています。
中央の陽子と周囲の電子の数は同じで均衡がとれています。
陽子が1つなら水素、2つならヘリウム、3つならリチウムになります。
酸素も、鉄も、ウランも、陽子と中性子と電子でできています。

DNAについても同じ感想を持っています。
アデニン、チミン、グアニン、シトシンの4つの塩基が
組み合わさることで異なるタンパク質が作られ、
独自の働きをして体を支え、命を再生産しています。

聖書は、最初の一行で、
神が人格を持たれた、全能なる、創造主だと述べています。

宇宙の全物質と運行のメカニズムと命を
作り出せる知恵と力と意志を神がお持ちなのです。

この方こそ真の神です。
創造主に栄光がありますように。



2023/03/07

蓄えて守る

わが子よ。私のことばを守り、
私の命令をあなたのうちに蓄えよ。
私の命令を守って生きよ。
私の教えを、自分の瞳のように守れ。
それを自分の指に結び、
心の板に書き記せ。
(箴言7:1~3)

正真正銘、信長のものと認められた刀を
祖父から譲り受けたらどうしますか。
(メルカリで売ります!)
普通は引き締まった心で管理に気を使いますね。

今日の箴言の言葉を読むと、
まるで宝物を託されたように感じます。
守る。蓄える。結ぶ。書き記す。きちんとキープしないといけません。

神がさずけて下さった言葉。
それは人生の宝です。
しっかりと心に持ち続けることで
大きな力を発揮します。

忘れない。捨て去らない。隠さない。

蓄えていても、すぐに使えるようにしておくのが
神の知恵、神の言葉の蓄え方の基本です。


2023/03/06

霊感を受けた聖書

聖書はすべて神の霊感によるもので、
教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
神の人がすべての良い働きにふさわしく、
十分に整えられた者となるためです。
(第二テモテ3:1~17)

聖書をどう見るか。
それがその人の生き方を決定づけます。

古典の一つで良い事も書いてあるという理解なら
聖書は参考書程度で終わります。

パウロは聖書を定義しました。
聖書は神の霊感を受けた唯一無二の特別な書物で、
神の言葉そのものであると。

ですから、人が生きていくために知るべき
正しい道、間違った道、
修正する方法、心の鍛錬などが書いてあるのです。

聖書を読み続ける人は
神に整えられる人になるのです。

神を愛し、神に仕えていきたい人が
毎朝、聖書を読むのは自然な事です。

新鮮な気持ちで聖書を読みましょう。
語りかけて下さる主を意識しましょう。


2023/03/05

手ぬぐいで

イエスは夕食の席から立ち上がって、
上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水を入れて、
弟子たちの足を洗い、
腰にまとっていた手ぬぐいでふき始められた。
(ヨハネ13:4~5)

最後の晩餐は
当局に見つからない場所を選び
十二弟子だけの食事になったので
足を洗ってくれる者がいませんでした。

主イエスは何の躊躇もなく
上着を脱ぎ、たらいに水を入れ、
弟子たちの足を洗い始めました。

ペテロやヤコブたちは声も出ません。
埃の多い道を一日歩いた足ですから汚れています。
恥ずかしい。私がすべきだった。
弟子たちは居心地が悪くなって恐縮したことでしょう。

イエスさまはこの時、悲痛で、暗い顔をしていたのでしょうか。
聖書に書いてありませんが、
イエスさまは穏やかなお顔だったと想像します。

あなたの足も、手も、心も、過去も、すべて洗うために来たんだ。
明日、本当の意味であなたたちを洗うことになる。
今夜が最後の別れだ。この時を大切に過ごしたい。

私の足も、あなたの足も、
主イエスが洗ってくれました。
もったいない事で、ありがたいことです。


2023/03/04

子供たち

さて、イエスに触れていただこうと、
人々が子どもたちを連れて来た。
ところが弟子たちは彼らを叱った。
イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。
「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。
邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
(マルコ10:13~14)

たぶん母親たちでしょうね。
子供たちをイエスさまの所に連れて来たのは。
祝福を祈ってもらうためです。

子供と親がたくさん来ていたので賑やでした。
弟子たちは、先生の働きの邪魔だと考えて「帰れ帰れ」と叱ったようです。

主イエスは、叱った弟子たちを叱りました。
子供たちを遠慮なく来させなさいと言われました。

子供が大好きなのです。子供がそばにいるのが嬉しいのです。
子供の純粋さを愛し、素直さを喜んでおられます。

親が、主イエスは素晴らしい人だよと教えると、
子供はそのままを受け入れます。
子供は主イエスの祈りを喜びます。
主イエスの教えを聞き逃しません。

子供のような無垢な心で
イエスさまに接したいですね。

神の国は子供の笑い声の満ちた場所だと私は思います。

2023/03/03

祈りの香

主よ。私はあなたを呼び求めています。
私のところに急いでください。
私があなたに呼び求めるときに
私の声に耳を傾けてください。
私の祈りが、御前への香として
手を上げる祈りが
夕べのささげ物として
立ち上りますように。
(詩篇141:1~2)

旧約聖書の時代、
祭司は、聖所に入り、朝と夕に香をたいていました。
とても香りの高い特別なものでした。

香は、目に見えない祈りを五感で感じさせるもので
礼拝の心を整え高めてくれます。

私たちの祈りは口から出た瞬間に消えてしまいますが
確かに主のもとに立ち上り届いています。香のように。

朝、祈りましょう。
日が暮れて、また、祈りましょう。

その次の朝も祈りましょう。
毎朝、祭司が香をたくように。

2023/03/02

惜しみなく施す

今の世で富んでいる人たちに命じなさい。
高慢にならず、頼りにならない富にではなく、
むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて
楽しませてくださる神に望みを置き、
善を行い、立派な行いに富み、
惜しみなく施し、喜んで分け与え、
(第一テモテ6:17~18)

アメリカでフリーウエイを走っていた時
乱暴な運転をする車を目撃しました。
高級車の場合が多かったです。

パウロは金持ちに警告しました。
高慢になるな、
金を頼りにせず、神を信頼せよ、と。

大金持ちは、法律や規制そのものを
都合よく変える権力と財力と人脈を持っています。
自分を過信して傲慢になりやすいので、神の前に謙虚に、
善を行う者であれとパウロは諭しました。

そして、与えられた財産を賢く用い、
惜しみなく施しなさいと命じました。
喜んで分け与えなさいと教えました。

これは金持ちに与えられた大切な使命です。

庶民であっても
施すことを忘れないようにしましょう。
受けるより与えるほうが幸いだからです。

2023/03/01

罪の奴隷

イエスは彼らに答えられた。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。
罪を行っている者はみな、
罪の奴隷です。」
(ヨハネ8:34)

傍若無人にふるまう悪者は
あらゆる束縛から解放された強者に見えますが
実態は違います。

主イエスは言葉を強めて言われました。
罪を行っている者は自由なんかじゃない。
その正反対で、罪しか行えないのだ。
魂を売り渡し、罪の奴隷に成り下がったのだ。

現代日本は大きく変わりました。
凶悪犯罪者、粗暴な人間、邪悪な人々が増殖しています。
彼らは、逮捕され、投獄され、死刑になるまで
目が覚めないのです。罪の奴隷なのです。

正しく病状を診断できる人こそが名医です。

主イエスは、あなたは罪の奴隷だと厳しく指摘します。
人が見放す状態の人であっても主イエスは
ご自分の命を身代わりに投げ出してその罪人を救い、
きよめ、解放するお方なのです。