2021/12/31

恵みを数えて

知恵ある者はだれか。
これらのことを心に留めよ。
主の数々の恵みを見極めよ。
(詩篇107:43)

漢字一字で表わすとあなたの一年は
どんな年でしたか。
「恵」、「喜」、「闘」、「賛」、「悲」、「謝」、「慰」、「励」。

短い時間でかまいませんから、
主がして下さった恵みを数えて、
自分の十大ニュースを書き出してみませんか。
私たちは忘れやすいので、振り返って感謝しましょう。

主が貧しい者を守られたという文脈で
今日の聖句が書かれています。
私達もこの一年を思い起こし、主に目を向けましょう。
数々の恵みの意味を見極めてみましょう。

主よ、この一年、守って下さってありがとうございました。
思いもかけない大きな助けと恵みとご配慮を頂きました。
忍耐を学ぶ一年でした。
愛された一年でした。
支えられた一年でした。
あなたを身近に感じた一年でした。

主の御名をたたえます。ハレルヤ。







2021/12/30

恐れない

あなたは恐れない。
夜襲の恐怖も、昼に飛び来る矢も。
暗闇に忍び寄る疫病も
真昼に荒らす滅びをも。
千人があなたの傍らに
万人があなたの右に倒れても
それはあなたに近づかない。
(詩篇91:7)

私たちは、コロナで苦しみ、
感染におびえ、日常生活が大きく変わりました。

今日の詩篇を読むと、
その時代の人にとって
戦争や疫病が日常的だったことが分かります。
コロナのような危険が
いつもそばにあったのです。

矢が飛んでくることがある。
夜、寝ている時に攻撃される。
治療法の分からない疫病が流行する。

人類の歴史の多くの部分は
むしろこれが日常だったのでしょう。

そんな過酷な日々でも
人々は主に信頼していました。
今年一年も、主の翼に守られました。
賛美と感謝を私たちの主にささげます。


 






2021/12/29

気をつけよ

そこでイエスは彼らに答えられた。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名乗る者が大勢現れ、
『私こそキリストだ』と言って、
多くの人を惑わします。」
(マタイ24:4~5)

うまい話だが怪しいと感じたら詐欺です。
キリスト教の世界にも偽物があります。

主イエスは警告されました。
世の終わりが近づくと偽キリストが現れるから
だまされないようにと。

クリスチャンは人を疑わないし、
人の良い面を見ようとしますね。
偽キリストや偽教師は、そこを利用して入り込み、騙します。
よーく気をつけましょう。

天から下って来られる再臨のキリスト以外は
すべて偽物です。

物事を識別できる目、偽物を見抜く力を育てましょう。


 

 





2021/12/28

その時代が来る

見よ、その時代が来る。
─主のことば─
そのとき、耕す者が刈る者に追いつき、
ぶどうを踏む者が種蒔く者に追いつく。
山々は甘いぶどう酒を滴らせ、
すべての丘は溶けて流れる。
(アモス9:13)

預言者アモスは、北王国へのさばきを語りました。
その最後には、回復の希望を伝え
どんな廃墟になっても
主は立て直して下さると語ったのです。

預言者になる前、
アモスは農夫であり羊飼いでしたから、
自分が語っている内容が
ありえない奇跡だと承知していました。

農夫が耕す時に畑の実りは何もありません。
ところが、耕すとすぐに収穫が来て、
山々を滴らせるほどのぶどう酒ができると
主は言われたのです。

今の廃墟だけ見つめていないで
たわわに実る時を信じましょう。
「その時代」は来るのです。



2021/12/27

朽ちない冠

競技をする人は、
あらゆることについて節制します。
彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、
私たちは朽ちない冠を受けるために
そうするのです。
(第一コリント9:25)

オリンピックのような競技は
規模の大小はありますが、
当時は各地で行われていたようです。

勝者になるために
選手たちは日々トレーニングに励みました。

主イエスのため、
福音のため、
神の栄光のため、
選手のようにあなたも走ってみないかと
パウロは檄を飛ばしています。

最近は、筋トレをする人が多いですね。
明日の自分を夢見て、今日あえて苦しみを選ぶのです。
訓練は自ら課すもの。

朽ちない冠のために
何ができるでしょう。




2021/12/26

未払い賃金の叫び

見なさい。
あなたがたの畑の刈り入れをした
労働者への未払いの賃金が
叫び声をあげています。
刈り入れをした人たちの叫び声は
万軍の主の耳に届いています。
(ヤコブ5:4)

畑の労働者に正当な賃金を払わない地主がいました。
ヤコブはその地主に本気で怒っています。
経済不正は、神の前にれっきとした罪だからです。

これは2000年前の悪事ですが、
今も様々な搾取が巧妙に行われています。

資本主義の成長は壁にぶつかり、
資本家たちは利益を出そうと必死で、
リストラして労働者を減らし重労働と長時間労働を強いています。
派遣社員を増やし、定年を早め、人件費を減らしています。

その結果、まじめに働いても貧しくなる人が
世界でも、日本でも増えています。
何かがおかしいと思いませんか。

現代にヤコブが生きていたら、
今日の聖句以上に厳しく叫んだことでしょう。

正直に真面目に働くすべての人が、
安定して生活できる社会が来ますように。

上に立つものたち、政治家、
資本家、会社の運営に携わる者の目が開かれますように。

労働者、顧客、社会、自然環境のすべてが
幸せで健全であることを目指す企業が増えますように。



 





2021/12/25

黄金、乳香、没薬

それから家に入り、
母マリアとともにいる幼子を見、
ひれ伏して礼拝した。
そして宝の箱を開けて、
黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
(マタイ2:11)

東方の博士たちは星を観察している時に
特別な星の輝きに気づき
ユダヤの国に王が生まれたと理解しました。

その赤ちゃんの誕生は、
ユダヤ人ばかりか近隣諸国にも影響を与えると考えたので
わざわざ遠くからベツレヘムまでやって来ました。

博士たちは、最高の宝を
心をこめてイエスさまにささげました。
ささげること自体が大きな喜びであり礼拝でした。
これをお受け取り下さい、あなたのご用にお使い下さい。

私たちも
自分自身をささげ、
持てるものをささげ、
クリスマスの感謝をあらわしましょう。



2021/12/24

羊飼いが見つけた赤ちゃん

今日ダビデの町で、
あなたがたのために
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。
(ルカ2:1)

この知らせは、夜、伝えられました。
野宿をしていた羊飼いに天使が現れ
まばゆい光の中でこう語ったのです。

ベツレヘムの町に出かけて
かいばおけに眠る男の子を見つけた羊飼いは
この子が将来何をしてくれるのか見当もつきませんでしたが
天使の言葉通りの赤ちゃんを見て喜びました。

30年後、羊飼い達が生きていて、
十字架の出来事を知ったなら、あの子だ、あの子だと
涙を流したことでしょう。

救い主よ、あなたは私達を救うために来てくださった。
貧しく生まれ、いのちを捨てた神の子よ。

私のため、あなたのため、すべての人のために
生まれて下さった神の御子イエスに栄光あれ。
メリークリスマス!


2021/12/23

精鋭三百

主はギデオンに言われた。
「手で水をすすった三百人で、
わたしはあなたがたを救い、
ミディアン人をあなたの手に渡す。
残りの兵はみな、
それぞれ自分のところに帰らせよ。」
(士師記7:7)

ミディアン人の大軍と戦うために
ギデオンは兵士を集めていましたが
兵士が多すぎると主は言われました。

水をどうやって飲むか、というテストをして選別しました。
ギデオンは兵士らの様子を良く観察しました。

敵の宿営地は把握していますが、
先発隊が急に襲ってくることも考えられます。
周囲に注意を払い、
ぬかりなく手で水をすくって飲む者が少数いました。
大多数の兵士は犬のように水を飲み無防備でした。

1万人の兵士がいましたが、
注意深い300人だけを残し、他は帰還させました。
奇襲作戦を実行できる特殊部隊を手に入れたのです。

大事な事は人数の多さではありません。
あなたも主に選ばれた精鋭です。 
主のために、愛のために、福音のために周囲に気を配っていましょう。







2021/12/22

そうだ畑に行こう

モアブの女ルツはナオミに言った。
「畑に行かせてください。
そして、親切にしてくれる人のうしろで
落ち穂を拾い集めさせてください。」
ナオミは「娘よ、行っておいで」と言った。
(ルツ2:2)

嫁のルツは義理の母ナオミに同行して
ユダヤにやってきました。

義母と二人で生活するために
働く必要がありました。

仕事探しは、最初の一歩が精神的に大変です。
重い腰を上げて、働き口を探し、
履歴書を書いて、面接して返事を待つ。

ルツはモアブ人だったのでさらに大変でした。
何の技術も持っていません。
誰も知り合いがいません。

それでも、畑に行くことにしました。
親切な地主さんと農夫のいる所に
導いて下さいと祈ったのでしょう。

今、何かを始めようとしている人がいますか。
ハードル高いなと感じている人がいますか。
ルツの「畑に行かせてください」の言葉を励みにして
一歩を踏み出して下さい。

義母のナオミもきっと
背後でルツの仕事のために祈ってくれたことでしょう。


 


2021/12/21

安らげる場所

また私は、
天からの声がこう言うのを聞いた。
「書き記せ、今から後、
主にあって死ぬ者は幸いである」と
御霊も言われる。
「しかり。
その人たちは、その労苦から解き放たれて
安らぐことができる。
彼らの行いが、
彼らとともについて行くからである。」
(黙示録14:13)

前後の文脈は
混乱と迫害と苦しみが続く終末時代です。
今日の聖句は、その時代の
苦闘する者への慰めのメッセージになっています。

死の先に何が待っているのか、
聖書がその情報を提供してくれる時があります。
「書き記せ」とありますね。
人が知っておくべき死後の情報の一つが
これだというわけです。

天国は、労苦から完全に解き放たれて
安らぐことができる場所です。
それは間違いないことです。

主にあって死ぬ者は幸いだと
御霊がはっきり言っておられます。
そう言い切れる現実が確かにあるのです。




 


2021/12/20

福音は

私は福音を恥とは思いません。
福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、
信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
(ローマ1:16)

福音とは、
神の御子イエスが十字架で死んでよみがえり、
私たちの罪の赦しを成し遂げて下さった事です。

福音を聞いた人々がパウロをあざ笑ったり迫害して
否定的な反応をたくさん受けました。
でもパウロは福音を恥と思ったことはありません。
福音はシンプルな事実であり、朽ちない真理なのです。

律法と儀式に通じたユダヤ人も
知識にすぐれたギリシア人も
どんな罪人も福音で救われるのです。

この素晴らしい福音のため主イエスは生まれて下さったのです。

福音を伝えたい。
そう思いませんか。


2021/12/19

完了した

イエスは酸いぶどう酒を受けると、
「完了した」と言われた。
そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。
(ヨハネ19:30)

ガクンと頭が垂れて、
心臓が止まったことが分かりました。

主イエスの温かい声はもう、
その口から出てきません。
いつくしみに満ちた瞳は閉じたままです。
多くの人を癒した手は動きません。

処刑を見届けた人は、
主イエスの最後の言葉を心に焼き付けました。

私やあなたの罪の処罰が完了したのです。
罪責感があなたを脅すことはもうありません。
主イエスの完全な死は
救いの完成を意味します。

一粒の麦が死んだのです。
良き羊飼いが羊のために命を捨てたのです。
主イエスは文字通り
命を捨てて私たちを救って下さいました。


2021/12/18

重荷を背負って下さる方

ほむべきかな、主。
日々、私たちの重荷を担われる方。
この方こそ、私たちの救い。
(詩篇68:19)

山小屋に必要物資を運ぶ強力さんは
重い段ボールを何箱も背中に積んで
平気で斜面を登るプロです。

一方で、
背負えないものまで抱え込んで
潰れそうになっている私たちがいます。

断捨離して荷物を処分すると
部屋も心もスッキリするように、
背負っているものを一度整理してみませんか。

今日の聖句は、
主が魂の強力さんだと教えてくれます。
背負いきれずフラフラになった私と
私の重荷の両方を主は背負って下さるのです。
私たちは主に担われているのです。

マタイ11:28で主イエスは私達を招いて下さってますね。


 

 

 


 

 


2021/12/17

静まって待つ

主はいつくしみ深い。
主に望みを置く者、
主を求めるたましいに。
主の救いを
静まって待ち望むのは良い。
(哀歌3:25~26)

哀歌の背景は悲しいものです。
エルサレムの町が滅ぼされ、
多くの人が死亡し、
有力者達はバビロンに連れて行かれました。

過去の栄光も、笑い声も、
懐かしい人々も、
取り戻せません。

そんな廃墟に住んでいても、
主のいつくしみは変わらないと
聖書は語ります。

著名なスポーツコーチがこう言ってました。
「試合は、勝つか、学ぶかだ」

敗北が決まった時は、
静かに、主の前で学び、
希望を神に置いて、
静かに神を待ち望みましょう。


2021/12/16

泊まることにしているよ

イエスはその場所に来ると、
上を見上げて彼に言われた。
「ザアカイ、急いで下りて来なさい。
わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」
ザアカイは急いで降りて来て、
喜んでイエスを迎えた。
(ルカ19:5~6)

ザアカイは、木の上からイエスを見て
こんな事を考えていたかもしれません。
<イエスさまに会って話してみたい、でも、
俺みたいな汚い男は相手にしてもらえないだろうな>

世の中の多くの人はザアカイと同じ気持ちです。
イエスさまの事を一度きちんと学びたいけど、
教会の作法を知らないし恥をかくだろう、
第一、教会のきよさに俺は不釣り合いだ。

ザアカイはイエスさまと視線が合ったのでびっくりしました。
名前を呼んでくれて、泊まるよと言われたので、
大喜びで降りて行き、人生が変わりました。

ザアカイと接してくれたイエスさまの姿を
多くの人に知ってほしいです。

私も、あなたも、昔はザアカイでしたね。



2021/12/15

雀さえ

二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。
そんな雀の一羽でさえ、
あなたがたの父の許しなしに
地に落ちることはありません。
あなたがたの髪の毛さえも、
すべて数えられています。
(マタイ10:29~30)

小さくて安いものは一皿とか一袋単位で
市場で売られています。

雀は価値がなかったので一羽で取引されず
二羽一組でやっと値が付きました。
そんな雀にも主の目は注がれていると
主イエスは言われました。

私たちも、自分が雀のように感じることが
あるかもしれません。

世間で、私たちの評価が低かったとしても
主の目は私たち一人ひとりに注がれています。

『一羽の雀さえ』という讃美歌を初めて聞いた時は
涙が出そうになりました。
「心くじけて思い悩み♪」
「主は我さえ支えたもうなり」
「声たからかに我は歌わん」

さあ、雀よ、歌いだそう!



2021/12/14

神を知ることにおいて

また、主にふさわしく歩み、
あらゆる点で主に喜ばれ、
あらゆる良いわざのうちに実を結び、
神を知ることにおいて
成長しますように。
(コロサイ1:10)

パウロはコロサイ教会の人々のために
としなしの祈りをしていました。
今日のことばはその祈りの一部です。

普段の生活に信仰が息づきますように。
心や態度が爽やになれるように。
親切で、優しくて、正しくあるように。
神を求め、みことばを学び、主を愛し、
御霊に導かれ、キリストの姿に変えられますように。

私たちは皆、そんな姿を求めていますが、
自分一人では挫折したり、弱さを感じたります。

信仰の成長は、本人の取り組みだけでなく、
周囲の人のとりなしの祈りとの合作なのです。

だから私達は自分の信仰は誇れません。
今日も誰かのために祈りましょう。




2021/12/13

恐れるな

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強くし、
あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。
(イザヤ41:10)

聖書の中でも
最大級に力強い励ましの言葉がこれです。

新改訳聖書は、「私」と「わたし」を区別しています。
神がご自分を指す場合は「わたし」とひらがな、
人間が自分の事を言う場合は漢字で訳します。
今日の聖句で「わたし」が強調されているのが分かりますね。

聖書の中には「恐れるな」という言葉が
案外たくさん書いてあります。
私たちが恐れる場面が多いからです。

今、恐れている事、心配な事がありますか。
一人ぼっちだと感じていますか。弱い自分にがっかりしていますか。

そんなあなたに一言。恐れるな。主はあなたと共にいます。

今日のみことばは、
暗記すべき聖句ベスト100に必ず入る重要箇所です。
声に出して言ってみましょう。覚えましょう。


2021/12/12

心を一つにして

これを聞いた人々は心を一つにして、
神に向かって声をあげた。
「主よ。あなたは天と地と海、
またそれらの中のすべてのものを造られた方です。」
(使徒4:24)

ペテロとヨハネは当局に捕らえられ、
裁判を受け、厳しく脅かされ、
やっと釈放されて教会の仲間の所に帰ってきました。

二人の話を聞いたエルサレム教会の人々は、
「対策委員会」を開いて今後の対応を協議しませんでした。
議論でなく、心を一つにして祈ったのです。 

エルサレム教会の特徴の一つは、
この「心を一つ」にする祈りでした。

コロナの影響で私たちは、
大勢で声を出して賛美できなくなりました。
とても辛いことです。
もう一つ、その場で心を込めて共に祈れなくなりました。
これが辛いです。
心を一つにする祈りが
どれほど私たちの励みになってきたことでしょう。
心を一つにする祈りならではの
喜び、力、慰め、励ましがありました。

一つになって祈りたい。
心を注ぎ出して祈り合いたい。



2021/12/11

捨てられた石

家を建てる者たちが捨てた石
それが要の石となった。
これは主がなさったこと。
私たちの目には不思議なことだ。
これは主が設けられた日。
この日を喜ぼう。
(詩篇118:22)

普通は読み飛ばしてもおかしくない言葉です。
ところが、主イエスはこの箇所を引用され、
人々に意味を考えさせました。

経験を積んだ大工によって
価値のない石だと判断され捨てられた石があった。
本当に役にたたない石なのだろうか。

主イエスの十字架と復活を目撃した人たちは、
この言葉の意味するところを悟りました。

自分自身に当てはめると、こうも読めます。
社会から見捨てられ、数に入れてもらえなくても、
主イエスは私を違う目で見て下さる。
あなたは大切な石だよと言って下さる。

埋もれていた価値を再発見できた人よ、
さあ、喜ぼう、この日を喜ぼう。




2021/12/10

メッセージ動画

 クリスマスメッセージ動画ができました。


アブラハムの祝福

聖書は、神が異邦人を
信仰によって義とお認めになることを前から知っていたので、
アブラハムに対して、
「すべての異邦人が、あなたによって祝福される」と
前もって福音を告げました。
(ガラテヤ3:8)

アブラハムによって世界の人々が祝福されるとは、
どういう意味なのでしょう。

それはユダヤ人のようになること?
律法を守ること?

それは違うとパウロは言います。
アブラハムは行いによらずに信仰によって義とされました。
信仰によって義とされた最初の人がアブラハムなのです。

それゆえ、律法を持たない異邦人も信仰によって救われ、
アブラハムの信仰姿勢に習う者は
信仰によって義とされるのです。

私たちが持っている信仰、つまり、
主イエスを信じるだけで救われる信仰は、
誰かの励ましになり、誰かを救いに導き、
祝福をもたらすことになるのです。




2021/12/09

食べたのか

人は言った。
「私のそばにいるようにと
あなたが与えてくださったこの女が、
あの木から取って私にくれたので、
私は食べたのです。」
(創世記3:12)

主はアダムに尋ねました。
あなたは約束を破り、
食べてはならない木から食べたのか?
その答えが今日のことばです。

アダムは自分の責任を認めませんし、
あやまりませんでした。

原因を作ったのはあなたであって、
あなたが私のそばに置いたエバが
実をくれたので食べただけですとアダムは弁解しました。

私たちもアダムの子孫です。
合理化して自分の罪を小さく見せたり、
人のせいにして責任から逃げようとします。

アダムは食べたのですから、
「はい、私は食べました。ごめんなさい」
というべきですね。
正直に自分の非を認めて謝罪する。
それが人間らしい美しい立ち振る舞いだと思います。


 





2021/12/08

キリストの姿へ

愛する者たち、
私たちは今すでに神の子どもです。
やがてどのようになるのか、
まだ明らかにされていません。
しかし、私たちは、
キリストが現れたときに、
キリストに似た者になることは知っています。
キリストをありのままに見るからです。
(第一ヨハネ3:2)

主イエスを信じた人は、
十字架の恵みによって、
神の子にされました。
これは第一に確かな事です。

第二に確かな事は、
主イエスにお会いする日が必ず来ることです。

第三に確実な事は、
その時、私たち自身が
キリストに似た者に変えられることです。

自分の汚れや不甲斐なさを嘆いている人にも
素晴らしい未来が約束されています。
その日を待ち望み、今日は胸を張りましょう。






2021/12/07

出会えて良かった

私が尋ねて、
「あなたは、どなたの娘さんですか」と言いますと、
「ミルカがナホルに産んだ子ベトエルの娘です」
と答えました。
そこで私は、彼女の鼻に飾り輪をつけ、
彼女の腕に腕輪をはめました。
そして私はひざまずき、主を礼拝し、
私の主人アブラハムの神、主をほめたたえました。
主は私の主人の親族の娘さんを主人の息子に迎えるために、
私を確かな道に導いてくださったのです。
(創世記24:48)

アブラハムのしもべは、
アブラハムの息子イサクのお嫁さんを探して旅をしてきました。
水飲み場で親切にしてくれた行動的なリベカこそ
イサクにぴったりの性格であり、
家柄も願った通りでした。

しもべは、神の導きに深く感謝し、
その場でひざまずいて主を礼拝しました。

現代人なら、ここはガッツポーズになりますが
しもべは、自分の手柄でも能力でもなく、
神の助けと導きによると理解したので礼拝をささげました。

結婚に至るには長いプロセスがあります。
主は、そのすべての過程で共にいて下さいます。

教会は、若い人々の結婚のために祈っています。
主がそのプロセスを祝福して下さいますように。






2021/12/06

絶えず祈る

 絶えず祈りなさい。

(第一テサロニケ5:17)

朝、食前、夜に祈るクリスチャンは多いです。
でもそれは「絶えず」祈っているわけではありません。

ドライブ前、仕事前、困った時に真剣に祈る人もいますが、
それでも「絶えず」には届きません。

絶えず祈るとはどんな事なのでしょう。

祈り以外は何もするなという教えでしょうか。
一人静まって祈る以外にもどんな場面でも祈れるよ、
生活の中でいつでもどこでももっと祈ってごらん、と私には聞こえます。

雑踏の中で祈る、目を開けたまま祈る、
歩きながら祈る、電車の中で、運転しながら祈る。
子供が怪我した時も、車が故障した時も祈れます。
気にかかる事があったら何度でも祈れます。

そういう祈りのメリットはなんでしょう?

・主に語り、主に耳を傾け、自然に主と会話している
・主と共にいる時間、主とつながっている時間が増える
・誘惑に勝つ力、勇気、良い知恵が与えられる
・とりなしの祈りが深まる

今日は、生活の中での祈りをほんのちょっと増やしてみましょう。




2021/12/05

心に計画

人は心に計画を持つ。
しかし、舌への答えは主から来る。
人には自分の行いがみな純粋に見える。
しかし、主は人の霊の値打ちを量られる。
(箴言16:1~2)

私たち人間は何かを計画します。
その計画が純粋で一番良い道だと思うからです。

その計画段階で、かなり身勝手な人がいます。
この道以外は考えられない、他人の事情は気にしない、
何としても手に入れたいと固執するタイプの人です。

そういう人は、一度、
自分の計画を主の手に乗せて手放してみましょう。
冷静になれます。

その一方で、いつもあきらめる人がいます。
一番の願いをすぐに捨てて、第二候補も放り投げ、
好きでもない道を選んで後悔する人です。
そういう人は、むしろ強い信念を持って
主に祈り続けて勇気をもらって前進しましょう。

どんなタイプの人も、祈りの中で
自分の道と自分の心を点検してみましょう。

答えは主から来ます。





2021/12/04

ただこれを誇れ

─主はこう言われる─
知恵ある者は自分の知恵を誇るな。
力ある者は自分の力を誇るな。
富ある者は自分の富を誇るな。
誇る者は、ただ、これを誇れ。
悟りを得て、わたしを知っていることを。
わたしは主であり、
地に恵みと公正と正義を行う者であるからだ。
まことに、わたしはこれらのことを喜ぶ。
─主のことば─
(エレミヤ9:23~24)

以下の3つの事を誇り
傲慢になっている人に語っています。

1)自分は頭が良いと思う人
2)腕力や権力があると思っている人
3)お金をたくさん持って執着している人

ニュースで逮捕が報じられるのはこうした人の犯罪です。

預言者エレミヤは言いたいのです。
それらを誇っても意味がない、
主を知っていることを誇りとし、
主と共に歩みなさいと。

真に価値あることは
知識、力、お金を所持することではありません。
生きておられる主を知り交わりを築いていることです。
主を認め、主から学び、主に従う人こそ豊かな人なのです。





2021/12/03

年配の男性

年配の男性には、
自分を制し、品位を保ち、
慎み深く、信仰と愛と忍耐において
健全であるように。
(テトスへの手紙2:2)

パウロは、テトスにクレタ島の教会を任せ、
年配男性を導く勘所を伝授しました。

年配の男性は、年齢的に上位になり、
お目付け役の先輩がいなくなるので、
わがまま勝手に振る舞い、
周囲の者がとても苦労することになります。

年配男性は、むしろ周囲の人への配慮を心がけ、
若い時以上に自制することが求められます。
そして、率先して信仰、愛、忍耐を働かせましょう。

セルフコントロールできる老人。
品位のある年長者。
そういう人に私もなりたい。

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2021/12/02

ベツレヘム

「ベツレヘム・エフラテよ、
あなたはユダの氏族の中で、
あまりにも小さい。
だが、あなたからわたしのために
イスラエルを治める者が出る。
その出現は昔から、
永遠の昔から定まっている。」
(ミカ書5:2)

これは、 ベツレヘムの町に関しての預言です。
国を治める王が
ベツレヘムで生まれるというのです。

小さな、取るに足りない町から
とても偉大な人物が出るのです。

それは確かな事だと
実現前から確信を持って書かれています。

クリスマスが近づくと
世界中でこの箇所が読まれ、
ベツレヘムの上できらめく星を
多くのクリスチャンが心に思い描きます。

主イエスがベツレヘムでお生まれになったのは
両親の住民登録のためで、普通ならナザレで誕生したはずでした。

今日の聖句は、
自分は小さくて取るに足らないと思い込んでいる
大勢の人たちを励ます言葉にもなっています。


2021/12/01

年が若くても

あなたは、年が若いからといって、
だれにも軽く見られないようにしなさい。
むしろ、ことば、態度、愛、信仰、
純潔において信者の模範となりなさい。
(第一テモテ4:12)

これは、先輩のパウロが、
青年牧師のテモテを励ました言葉です。

私は高校3年の時に信仰を持ち、
Hi-baの集まりにも参加していました。
(Hi-baは高校生伝道団体)

その集会で、上記のみことばを学び、
聖句暗記の一つとして覚えました。
大人の模範になれという教えは、
ハイレベルな要求だなと
緊張と誇りを感じながら復唱しました。

若い時は、信仰の純粋さを研ぎ澄ますことができます。
信仰の訓練を受けるのに最適の時期です。
若き者よ、みことばを学び暗記し、涙を流して共に祈り、
トレーニングを受けて実践し、高く羽ばたこうではないか!