2022/06/30

すべての世代で

地の王たちよ、すべての国民よ。
君主たちよ、地をさばくすべての者たちよ。
若い男よ、若い女よ、
年老いた者よ、幼い者よ。
主の御名をほめたたえよ。
主の御名だけがあがめられる。
その威光が、地と天の上で。
(詩篇149:11~13)

幼い子供の人気者であり、
青年たちが注目する人で、
老人たちにも信頼される人物。
そういう人がいるでしょうか。

全世代の人々から支持を受ける人は
なかなかいません。

幼い子供たちからお年寄りまで、
貧しい人々から国の指導者まで、
まことの神は
すべての人にとっての神です。

世界のすべての人が
まことの神を知ったなら
全世界で壮大な賛美の声が上がるでしょう。

あらゆる世代の人々よ、
あらゆる立場の人たちよ、
主なる神を賛美せよ。

2022/06/29

畑は色づいている

あなたがたは、
「まだ四か月あって、
それから刈り入れだ」と言ってはいませんか。
しかし、あなたがたに言います。
目を上げて畑を見なさい。
色づいて、刈り入れるばかりになっています。
(ヨハネ4:35)

主イエスの目から見ると一面の実りで
畑は収穫を待っていました。

主イエスにとっての畑とは
信仰を持ちたいと願っている人のことです。

実は、主イエスを信じたい人が
私たちの周囲にたくさんいるのです。

聖書のことを先入観なく、
きちんと学ぶ機会さえあれば
大勢の人が信仰を持つと私は思っています。
あなたもそう思いませんか。

主よ、
私たちの周囲の人が、
教会に通う範囲にいる人が
心を開いて主イエスを信じることが
できますように。
私たちがそのために用いられますように。
大きな収穫を見せて下さい。


2022/06/28

宝の眠った畑

天の御国は
畑に隠された宝のようなものです。
その宝を見つけた人は、
それをそのまま隠しておきます。
そして喜びのあまり、行って、
持っている物すべてを売り払い、
その畑を買います。
(マタイ13:44)

十二弟子になる前、マタイは取税人でした。
法律と計算の専門知識が必要な専門職でした。
ローマ政府の許可を得て営業するために
かなりの投資もしていたはずです。

つまり、宝に人一倍興味があった人物なのです。

今日のたとえ話がマタイの福音書だけにあるのは、
彼の心に強い印象を残した話だからでしょう。

素晴らしい宝(天の御国)を見つけたら
全財産を捨ててもその畑を買う。
マタイは、当然の投資だと納得しました。

取税人の立場を捨てたマタイは
イエスさまの中に永遠の宝を見ていたのです。

あなたが得た十字架の救いは
何にもまして尊い宝なのです。

2022/06/27

人前で

人に見せるために
人前で善行をしないように気をつけなさい。
そうでないと、
天におられるあなたがたの父から
報いを受けられません。
(マタイ6:1)

「ご親切ありがとうございます。
せめてお名前だけでも!」
「名乗るほどでもありません。さらばじゃ」
そう言える場面になかなか遭遇しません。

人に見せるため、観客がいるから
親切にする事の方が多いです。

人目ではなく、天におられる神の目を意識しなさいと
主イエスは言われました。

誰がいてもいなくても、
良いことは進んでしたいです。
人の目がなくても
悪事に手を染めない。
そういう人になりたいですね。

報いなど期待していない人に
思いもかけない方法で報いはやってきます。



2022/06/26

とどまる

イエスは、
ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。
「あなたがたは、
わたしのことばにとどまるなら、
本当にわたしの弟子です。」
(ヨハネ8:31)

私たちは罪と律法から解放され
完全な自由を与えられました。
各自に与えられた賜物で自分らしく
クリエイティブに生きることができます。

けれども、自己流にしてはいけない部分、
決して変えてはいけない土台があると主は言われました。

主イエスの言葉にとどまり続ける事です。
そうすれば、主イエスの弟子でいられます。

ヨハネ15:4においても、
主イエスが幹で私たちが枝だという説明があり、
「わたしにとどまりなさい」と言われました。

主イエスの言葉を心に留め、
主イエスを信頼し、
主イエスと語らいながら
主の慰めと力を頂きながら生きていきましょう。

この道を真っ直ぐに進みましょう。

2022/06/25

幸せになってね

「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、
ふたりは一体となる」のです。
ですから、彼らはもはやふたりではなく、一体なのです。
こういうわけで、神が結び合わせたものを
人が引き離してはなりません。
(マルコ10:7~9)

夫と妻は、結婚によって強く結ばれ、
一体になります。
それは、親子関係よりも強固なつながりです。

神が結び合わされたので、
人は二人を引き離すことはできません。

日本で自動車免許を取得するためには
たくさん勉強し、実地訓練を受けます。
でも、結婚について勉強するチャンスはありません。

聖書から結婚について学んでほしいと
私は心から思います。

良い相手と結ばれたら幸せになれるのではありません。
良い結婚にするために相手を思いやるから幸せになれるのです。
日頃から努力し、相手に愛を伝え、
互いの愛を育てる姿勢が大事なのです。

結婚は神が備えて下さった祝福なのです。

2022/06/24

足を洗う

こうして、
イエスがシモン・ペテロのところに来られると、
ペテロはイエスに言った。
「主よ、
あなたが私の足を洗ってくださるのですか。」
(ヨハネ3:6)

十字架が近づいた夜、
主イエスは、たらいに水を入れ
十二弟子の足を洗い、それから、
濡れた足を手ぬぐいでふきました。

弟子たちは困惑したことでしょう。
ペテロも驚いて言いました。
「あなたが私の足を洗ってくださるのですか」

私たちは主イエスの十字架で罪が赦されたと
知的に理解していますが
今日の出来事はそれを体感的に教えてくれます。

罪の赦しとは、主イエスさまに
足を洗ってもらう事なのです。

主よ、私の足は汚いです。洗ってもらうのは恥ずかしいです。
あなたの手が触れるだけでも申し訳なく思います。
あなたのきよい手に触れられると
体中が熱くなります。

主イエスは、そんなにまでして
私たちを愛し、
私の罪の汚れを洗いきよめて下さったのです。




 

2022/06/23

砦、避け所

あなたは、弱っている者の砦、
貧しい者の、苦しみのときの砦、
嵐のときの避け所、
暑さを避ける陰となられました。
横暴な者たちの息は、
壁に吹きつける嵐のようです。
(イザヤ25:1)

預言者イザヤの住む国は
凶暴な国に挟まれ
現代のウクライナのような立場でした。

人々にとっての希望は
神だけでした。

まことの神は今日も生きていて、
貧しい者、弱い者を助けてくれます。

さあ、
主のもとに逃げ込みましょう。
主はあなたの避けどころです。
敵が押し迫っても守ってくれる
決して揺るがない砦です。
どんな嵐の中でも
あなたを支えてくれます。

2022/06/22

魚を召しあがる

彼らが喜びのあまりまだ信じられず、
不思議がっていたので、
イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。
そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、
イエスはそれを取って、
彼らの前で召しあがった。
(ルカ24:41~43)

その魚はガリラヤ湖の淡水魚かな?
アジの干物のような海の魚かな?と
考えると楽しくなります。

よみがえられた主イエスを見て
十二弟子は喜んだのですが
幽霊かもしれないと疑った人もいたようです。

それでイエスは焼き魚を食べて、
ほら、ストンと落ちないだろ、
わたしは幽霊じゃないと証明して下さいました。

復活の体は幽霊でも幻でもないのです。
その事実は、私たちの死後に希望を与えてくれます。
私たちも幽霊や幻になるのではなく
主が下さる新しい体を持つのです。
イエスは間違いなく復活されたのです。

2022/06/21

派閥

あなたがたはそれぞれ、
「私はパウロにつく」「私はアポロに」
「私はケファに」「私はキリストに」と
言っているとのことです。
(第一コリント1:12)

コリント教会では分裂騒ぎが発生し、
今日の聖句のように、
違う立場の人を否定しました。

・教会の開拓者で、すぐれた聖書教師である
主任牧師のパウロ先生だけを尊敬します。

・若くて情熱的な伝道者アポロの
火を吹くようなメッセージが忘れられません。

・十二弟子で主イエスの生き証人、
ペテロ先生の言われた事が一番信頼できます。

・いやいや、伝道者などの人間的要素を排除し、
誰の教えも受けず、独学独歩で主の弟子を目指します。

牧師、伝道者、宣教師たちにはそれぞれ弱さと強みがあり、
個性と賜物が違いますが
皆、主がお立てになった働き人です。

多様性と一致。これが教会の素晴らしさです。

主が遣わされた働き人をそれ故に尊敬し、愛し、
祈り、支え、耳を傾ける事が
すべての人の祝福につながります。


2022/06/20

聞こえてないのかな

私の苦しみのときに
御顔を私に隠さないでください。

私に耳を傾けてください。

私が呼ぶときに すぐに私に答えてください。

(詩篇102:2)

苦しい時、私たちはみな、
今日の言葉を使います。

主よ、あなたの顔を隠さないで
私を見て下さい。
私の言葉を、声にできない私のうめきを、
全部聞いて下さい。
私が「助けて」と言った時は
すぐに反応して、すぐに助けて下さい。

はたして私たちの神は
見ない神、聞いていない神、対応しない神
なのでしょうか。

私たちが下ばかり向いているので、
神の御顔が目に入らないのかもしれません。
ひとりごとを続けているので
神の声が聞こえないのかもしれません。
自分の解決方法に固執するので
神の最善の解決方法を無視しているのかもしれません。

神の応答に静かに耳を傾けてみましょう。


2022/06/19

私たちも生きる

あと少しで世はもうわたしを見なくなります。
しかし、あなたがたはわたしを見ます。
わたしが生き、
あなたがたも生きることになるからです。
(ヨハネ14:19)

主イエスは十字架の前夜、
十二弟子に今後の流れを説明されました。

まもなく
人々はわたしを見なくなるが、
あなた方はわたしと再会し、
わたしが語る「いのち」の意味を知るだろう。

たぶん弟子たちには、この言葉の意味を
完全に理解できなかったでしょう。
言葉の輪郭がぼやけていたはずです。

イエスさまが生きる事は何となく分かる。
でも、私たちが「生きる」とは何だろう。

主が用意された祝福は、目の前にあるけど
まだ開けられていないプレゼントの箱です。
その中身を楽しみに待っていましょう。




2022/06/18

造り主に栄光あれ

彼らは神の真理を偽りと取り替え、
造り主の代わりに、造られた物を拝み、
これに仕えました。
造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。
アーメン。
(ローマ1:25)

神は偉大な創造主である。
壮大で美しい自然に目を向けるなら
創造主に気づくはずだとパウロは言います。

創造主である神を無視して逆らう人間を
ローマ1章でパウロは厳しく責めています。

まことの創造主こそ礼拝されるべきだ。
人間が作り出した「神」は拝むに値しない。
パウロは、まことの神を礼拝し、
心をこめてアーメンと言っています。

神の造られた自然、
素晴らしい環境に置かれていることを感謝し、
心から神を賛美したいと思います。

2022/06/17

なくした銀貨

見つけたら、
女友だちや近所の女たちを呼び集めて、
『一緒に喜んでください。
なくしたドラクマ銀貨を見つけましたから』と言うでしょう。
(ルカ15:9)

結婚の記念に親からもらった
ウエッジウッドの最高級食器セットの
ティーポットを無くした女性がいたとします。

何日も落ち込んだ後で
隅から隅まで探してついに見つけた時は
大喜びして友達に話すでしょう。

イエスさまの今日のたとえ話も
それと同じ内容で、
大切な10枚組の銀貨の一個をなくしたのです。

一人の罪人が悔い改めるなら
天において大きな喜びが生まれます。

罪にまみれ、生きる指針をなくし
失われていた人々が
救われますように。




2022/06/16

成長痛かな

そのころ、弟子の数が増えるにつれて、
ギリシア語を使うユダヤ人たちから、
ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た。
彼らのうちのやもめたちが、
毎日の配給においてなおざりにされていたからである。
(使徒6:1)

ペンテコステ後、エルサレムにおいて、
ユダヤ人クリスチャンが爆発的に増えました。

外国育ちのユダヤ人も少数でしたが救われました。
両者は使用言語が異なるので意思疎通ができず、
文化まで違っていました。

片言の外国語を使うと
ぶっきらぼうで喧嘩腰に聞こえてしまいます。
その上、食事の配給に関わる事なので
空腹状態で交渉すれば険悪になります。

十二弟子は最善の方法を祈り求め、問題の核心をつかみ、
役員たちを選んで解決に当たらせました。

主の恵みで大勢救われた結果起きた問題ですから、
まず恵みを感謝し、大きな視点で見つめ直し、
次のステージに立つための体勢作りをすれば良いのです。

一つの教会に
ヘブル語部とギリシア語部が生まれ
素晴らしい可能性と豊かな多様性ができたのです。

2022/06/15

隣人を

あなたは復讐してはならない。
あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。
あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。
わたしはである。
(レビ記19:18)

復讐心や恨みを燃料にして
生きている人が多くいます。

誰かを傷つけたり、
恥をかかせたりすることが
人生の目標になっているなら、
実に寂しいことです。

その逆の心で生きるなら
人生は楽しく、明るく、さわやかです。

律法の中で一番大切な教えは何かと
主イエスが尋ねた場面を覚えていますか。
主イエスの回答は、
隣人を自分と同じように愛すことだと言われました。

膨大な旧約聖書に埋もれてしまいそうな
この短い節の価値に
主イエスは気づいておられたのです。

今日は隣人のために心を使ってみましょう。

2022/06/14

40年間

事実、あなたの神、
主はあなたのしたすべてのことを祝福し、
この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。
この四十年の間、あなたの神、主はあなたとともにいて、
あなたには何一つ欠けたものがなかった。
(申命記2:7)

あなたの人生は山あり谷ありでしたか。
それとも、山梨県でしたか(?!)

例外なく、山あり谷ありだと思います。

イスラエルの人々は
40年間も荒野で過ごし、
色々な試練も経験しました。

でも、何一つ不足はありませんでした。

私たちの人生も
広大な荒野だったかもしれません。

それでも、振り返ってみると
守られて来たのだと感じます。

神は共にいて下さり、
祝福を注いでくださいました。

これから先も主は
同じようにして下さいます。

2022/06/13

ギデオンの剣

三隊の者が角笛を吹き鳴らして、
壺を打ち砕き、左手にたいまつを、
右手に吹き鳴らす角笛を固く握って
「主のため、ギデオンのための剣」と叫んだ。
(士師記7:20)

ギデオンは
300人を三隊に分け、
ミディアン陣地を囲む山に配置しました。
たいまつは壺で隠していました。

ギデオンが合図すると
壺の割れる音と角笛の音が暗闇に響きました。
ミディアン兵士が目を覚ますと
周囲の山に明かりが満ちていて、
「主のため、ギデオンのための剣」という
雄たけびが聞こえてきました。

暗がりであわてた兵士たちは
仲間の物音を敵の攻撃と勘違いし
同士討ちを始めました。

勝因は以下の事柄でした。
・良く練られた作戦。
・冷静沈着な行動。
・主への祈りと信頼。
・勇気

あなたも現代の勇士です。

 

2022/06/12

みないたします

ルツは姑に言った。
「おっしゃることは、みないたします。」
こうして、彼女は打ち場に下って行き、
姑が命じたことをすべて行った。

(ルツ記3:5~6)

逆プロポーズをしてごらんと
ナオミはルツにアドバイスしたのです。

ナオミは、だてに歳をとっていません。
ルツのために落ち穂を落としてくれる農園主
ボアズの様子を聞いていたので、
女性のルツからアプローチしたほうが良いケースだと
ナオミは判断したのです。

かなり細かいアドバイスでしたが、
ルツはナオミの指示に従うことに決め、
忠実に実行しました。

その結果、二人は結婚できました。

「おっしゃることは、みないたします」
この言葉は、マリヤの言葉に似ていますね。
主にゆだね切った人特有の美しい言葉です。

2022/06/11

ケハテ族

それは会見の天幕で任務に当たり、
仕事をすることのできる三十歳以上
五十歳までのすべての者である。
ケハテ族の会見の天幕での奉仕は、
最も聖なるものに関わることで、
次のとおりである。
(民数記4:3~4)

レビ人の服装は一般の人と違うので
すぐにそれと分かります。

レビ人は礼拝に関わる補助的奉仕と
移動型神殿である幕屋の管理を任されました。

レビ人には3つの部族があり、
ケハテ族は、神の箱や聖なる器具、
ゲルション族は、幕屋をおおう各種の幕やおおい、
メラリ族は、板や柱などを担当しました。

特に、ケハテ族は最も聖なるものを扱う奉仕なので
慣れや高慢さを遠ざけねばなりません。

主と人々に仕える心を
いつも点検し、
初心を忘れないように
自分を保つ必要があります。

ケハテ族の奉仕姿勢から
私達も学べますね。

2022/06/10

えこひいき

しかし、もし人をえこひいきするなら、
あなたがたは罪を犯しており、
律法によって違反者として責められます。
(ヤコブ2:9)

イエスさまがお世辞を言ったり、
権力者にすり寄ったりする場面は
福音書のどこにもありません。

だから私たちは、イエスさまのことが
好きなのです。

イエスさまは、とても自然に、
貧しい人、嫌われる職種の人、
差別されている人、
弱り果てた人と話しました。

イエスさまのような心を持っていたいです。
そうすれば、
えこひいきする気にはなりません。

公平、平等、正義を今日意識してみましょう。

2022/06/09

私のヨルダン川

主の契約の箱を担ぐ祭司たちは、
ヨルダン川の真ん中の乾いたところに
しっかりと立ち止まった。
イスラエル全体は乾いたところを渡り、
ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた。
(ヨシュア記3:17)

この時期は
ヨルダン川の水量が一番多い時期でした。

イスラエルの民は
荒野で40年間生活してきたので、
大きな川の流れを見て恐れたことでしょう。
泳げる人はいたのでしょうか。

契約の箱を担ぐ祭司たちの足が
川の水に浸った時に奇跡は起きました。
上流で水の流れが止まったのです。

祭司たちは川の中央部分に立ちました。
イスラエルの民はその後に従い、
水のない川を歩いて
向こう岸に到着できました。

あなたにとってのヨルダン川は何ですか。

契約の箱を背負って水に足をいれるとは
あなたにとって何を意味しますか。

あなたにとってのヨルダン川を
あなたはきっと渡り切ることができます。

2022/06/08

まさか

彼らは父に告げた。
「ヨセフはまだ生きています。
しかも、エジプト全土を支配しているのは彼です。」
父は茫然としていた。
彼らのことばが信じられなかったからである。
(創世記45:26)

年老いたヤコブは、
子供たちからいくら話を聞いても
ぽかんとしていました。

死んだはずのヨセフが生きている、
そのヨセフが、エジプトで
高い地位についているというのか。
信じられん。

ヨセフが死んだと聞かされてから
いったい何年たっただろうか。

あのヨセフが、この飢饉の時に
一族全員をエジプトで
養ってくれるというのか。

神さまは、思わぬ時に、
あっと驚くようなことを
して下さいます。

主よ、私の人生にも
茫然とするくらいの
素晴らしい事を起こして下さい。

2022/06/07

なぜ、生まれたのだ

なぜ私は、胎内で死ななかったのか。
胎を出たとき、息絶えなかったのか。
(ヨブ記3:11)

破滅的な災害によって、ヨブは
最愛の子供たちと財産を失いました。
敬虔な信仰者だったヨブでさえ、
自分が生まれた日を呪い
生まれなかったほうが良かったと述べました。

聖書には、励ましと希望に満ちた
神の言葉があふれています。

と同時に、
失望し、悩み、うめく
人の切実な言葉が記録されています。

刺すように鋭いヨブの言葉ですが
苦悩する人々はヨブに共感できます。

神は、ヨブの叫びをすべて聞いておられた。
これはヨブ記のとても大事なポイントです。

私たちのどんな否定的な言葉も
主は耳を傾けておられます。
その一点だけでも
神は素晴らしい方だと
私は強く思います。

2022/06/06

天にあこがれる寄留者

これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。
約束のものを手に入れることはありませんでしたが、
はるか遠くにそれを見て喜び迎え、
地上では旅人であり、
寄留者であることを告白していました。
(ヘブル11:13)

創世記の登場人物である
アベル、エノク、ノア、
アブラハム、サラなどについて
ヘブル11章で解説されています。

彼らは「信仰の人」で、
神に従い通した信仰の勇者です。
でも、約束のものを手にすることはありませんでした。

アブラハムは外国から来た寄留者で、
文字通り旅人として生活しました。

私たちも旅人であり寄留者ですから
天国市民の自覚を忘れずに生きていきましょう。

私たちも主の約束を信じ、天の故郷をあこがれ、
遠くにそれを見て喜び、
信仰者として歩き続けたいと思います。

2022/06/05

岸辺に立つお方

夜が明け始めていたころ、
イエスは岸辺に立たれた。
けれども弟子たちには、
イエスであることが分からなかった。
(ヨハネ21:4)

主イエスが十字架にかかられた後、
十二弟子はガリラヤ湖にいました。

久しぶりに舟に乗って漁をしましたが
徹夜しても魚は一匹も取れません。

朝になり、岸に誰かが立っていたようです。
声が聞こえる距離でした。
その人はイエスさまでしたが、
声を聞いても弟子達は気づきません。
そんな事があるのですね。

今も、主イエスは
あなたのすぐそばに立っておられます。

イエスさまは、この後、
大漁の魚で弟子達を喜ばせて下さいました。
きっとあなたにもそうしてくれます。

2022/06/04

手を握る

わたしがあなたの神、主である。
あなたの右の手を堅く握り、
「恐れるな。
わたしがあなたを助ける。」と
言う者だからである。
(イザヤ41:13)

誰かを応援したい時、自然に、
その人の手をぎゅっと握っています。

駅や空港の別れの場面で
私たちは手をなかなか放せません。

手術室に入る前に
その手を強く握ってあげます。

神は、今も、そうしておられます。
あなたの手を強く、強く、つよーく、
握って応援しておられます。

ぎゅっと握った手の強さが
神の愛のあらわれです。

恐れるな、必ず助けると全能者が言われます。
主は、指あとが付くほど
あなたの手を堅く握って下さいます。


2022/06/03

脅さない

兵士たちもヨハネに尋ねた。
「この私たちはどうすればよいのでしょうか。」
ヨハネは言った。
「だれからも、
金を力ずくで奪ったり
脅し取ったりしてはいけません。
自分の給料で満足しなさい。」
(ルカ3:14)

バプテスマのヨハネが
ヨルダン川で活動していた時、
たくさんの人が集まりました。

その教えを聞いて罪を悔い改めた人が
大勢いました。
その中に兵士たちも混じっていて、
神妙な面持ちで質問したのです。
行動面で何を改めたら良いかと。

ヨハネは彼らに命じました。
山賊のように人を脅して金品を奪い取るな、
与えられた給料で生活せよと。

兵士なら誰でもしていたことを止めるのです。
公正な警察になるのです。
市民を外敵から守る信頼される人になるのです。

悔い改めは、
新しい生き方をもたらします。

2022/06/02

病の床で

主が、病の床で
彼を支えられますように。
彼が病むとき、
寝床から起き上がらせてください。
(詩篇41:3)

一年ほど前、入院して手術しました。
とても貴重で意味ある経験になりました。

病の人の気持ちが少し分かったからです。

あの時、4人部屋のカーテン越しに
同病の仲間の苦悩が感じ取れました。
深夜に傷みで寝返りを繰り返す人、
再入院で落ち込む人もいました。
私も熱と痛みと不安の中で夜明けを待っていました。

あなたの身近な人のため祈りましょう。
主が、病の人を支えてくださり、
いやして下さいますように。

もうだめだと諦めそうになる時に
主が杖となって下さいますように。

細胞の一つ一つに
新たな力、治癒のエネルギーを
送り届けて下さるように。

主が慰めと希望を与えて
心を支えて下さいますように。
主よ、あなたは、癒し主です。

2022/06/01

賞を得るために

競技場で走る人たちはみな走っても、
賞を受けるのは一人だけだということを、
あなたがたは知らないのですか。
ですから、あなたがたも賞を得られるように
走りなさい。
(第一コリント9:24)

中学時代、私は陸上部に所属していました。
顧問教諭のきまぐれな指示で、
市の大会で砲丸投げの種目に出ました。
なぜか代表者になってしまったのです。
(信じられますか、私が砲丸投げですよ)
県大会は関取のような選手ばかりで
最初から勝負は決まっていました。

とても賞を取れるとは思えず、
規定回数投げることが苦痛でした。

コリントの人々は
競技場で走る選手の姿を
何度も見ていたので
パウロは、あなたもあの選手達のように
走ってごらんと励ましました。

福音のためなら力を出せる、
主のために走ってみよう。
オリンピック選手のような
自制、努力、忍耐、集中力を
福音のために用いてみなさいと言ったのです。