律法によれば、
ほとんどすべてのものは
血によってきよめられます。
血を流すことがなければ、
罪の赦しはありません。
(へブル9:22)
動物の血が<きよめ>のために用いられました。
幕屋や神殿が完成したときに血が注がれました。
礼拝に用いる用具も血できよめられ、
祭司の任職式でも血がかけられました。
外面的なよごれは水で流せます。
けれども、本質的な汚れを除去するには
代価としての命が不可欠なのです。
ですから、罪の赦しのために
御子の命が必要だったのです。
主イエスを信じるだけで救われます。
その無償の救いの背後には、
主イエスの命、主イエスの血が隠れているのです。
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