2024/05/18

泣いた先に

このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、
数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。
(ネヘミヤ記1:4)

ネヘミヤはペルシアに住んでいました。
兄弟ハナニが遠く旅をして
エルサレムの様子を伝えに来てくれました。

捕囚を逃れエルサレムに残った者は
幸せな暮らしをしているだろうと思っていたのですが、
城壁は崩されたまま、生活は最悪と知らされたのです。

ネヘミヤはショックのあまり食事ができず、
最初の数日は泣くばかりでした。
想像を絶する悲惨な状況を聞いたのでしょう。

辛い時は、泣くしかありません。
涙の隙間ができると、そこに祈りが生まれます。

嘆きや悲しみの言葉が祈りになりますが、
やがて主への願いの言葉が出てきて、
次に、私にできることは何だろうと思い巡らし、
知恵と力を自分に与えて下さいと祈るようになります。

主よ、私の嘆きを願いに、
私の願いを献身に、
私の献身をあなたの栄光にして下さい。

2024/05/17

御顔を向けて

 多くの者は言っています。
「だれがわれわれに良い目を見させてくれるのか」と。
主よどうかあなたの御顔の光を私たちの上に照らしてください。
あなたは喜びを私の心に下さいます。
それは彼らに穀物と新しいぶどう酒が豊かにある時にもまさっています。
(詩編4:6~7)

偉大な神は私たちのような小さな者に
関心を向けてくださいます。

主の眼差しは温かく、優しい。
主の御顔の光は栄光と平安であふれ
私たちに注がれています。

子どもが親に言う言葉の中で
一番多いのが「見て!」だと思います。
親は「見ているよ」と返事をします。
すると子供に笑顔が生まれます。

主の御顔とは主の視線と主の祝福を意味しています。
取るに足らない自分だと思わないで下さい。
主はあなたに微笑み応援して下さっています。

主よ、今日もあなたの御顔を注いで下さい。

2024/05/16

とりなしの祈り

私はこう祈っています。あなたがたの愛が、
知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。
こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、
純真で非難されるところのない者となり、
イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、
神の栄光と誉れが現されますように。
(ピリピ1:9~11)

私たちが誰かのために祈る時、
病気が治るように、問題が解決するように、
願いがかなうように、祝福されますように、
という祈りが多いです。

パウロのとりなしの祈りを読むと、
祈りについて気づきが与えられます。

以下のようにパウロはとりなしています。
あの人達の愛が豊かになるように。
物事の本質を判別する知恵が与えられるように。
きよさを持つことができるように。
キリストの義に満たされるように。
神の栄光が現わされるように。

パウロは、いわば病気症状への対処療法ではなく、
その人の霊的体質の改善や
生活習慣の根本的な変化を祈っているのです。

2024/05/15

12年

すると見よ。十二年の間長血をわずらっている女の人が、
イエスのうしろから近づいて、その衣の房に触れた。
「この方の衣に触れさえすれば、私は救われる」と
心のうちで考えたからである。
(マタイ9:20~21)

12年という数字に驚きます。
17歳で病気になったとしたら29歳になっています。

痛みと不快感が絶えずあり、
周囲の人から距離を取られてしまい、
将来に希望が持てない毎日を送っていました。

経済的にも困窮し、顔が暗くなり、
悲観的な人生観になっていたかもしれません。

そんな彼女に癒される信仰が突如芽生えました。

主イエスの噂を知って驚き、
主イエスを探し、
癒す様子を遠巻きに見たのでしょうか。
主イエスのお顔を見ただけで勇気が出たのかもしれません。

人に希望を与えるお方。
それが私たちの主イエスです。


2024/05/14

助言を下さる方

私はほめたたえます。
助言を下さる主を。
実に夜ごとに内なる思いが私を教えます。
私はいつも主を前にしています。
主が私の右におられるので
私は揺るがされることがありません。
(詩編16:7~8)

うまく行かなかった日の夜は、
色々な事柄が頭をよぎります。
否定的な事に思いが流れやすく、
人を責めがちになります。
自己嫌悪にとらわれる事も多いです。

今日起きた事とその時の感情を何でも
話せる人がいたら助かりますね。
弱音や愚痴を本音で言っても受け止めてくれる人がいたら、
どんなに気持ちが晴れるでしょう。

主は私たちの親友のような存在です。
また思慮深いカウンセラーのような方です。
私たちの右にいて、間近にいて、
私たちの気持ちを聞き取り、
その上で、適切なアドバイスを下さる方です。

こんなに素晴らしい方がおられるので
私たちは揺るがされることがないのです。

2024/05/13

失望なし

聖書にこう書いてあるからです。
「見よ、わたしはシオンに、
選ばれた石、尊い要石を据える。
この方に信頼する者は
決して失望させられることがない。」
(第一ペテロ2:6)

とても興味深いことがあります。
今日の聖句を、ペテロもパウロも
自分の手紙に引用しているのです。

無学な漁師育ちのペテロは、
主イエスと過ごした3年間を振り返り、
主イエスがどんな方かを語りました。

パウロは、高学歴、律法学者出身で、
主イエスと直接話したことはありません。
復活の主イエスと出会い伝道者となり、
各地を巡り主イエスの福音を語りました。

学歴も経験も性格もまったく異なる二人ですが、
旧約聖書の同じ箇所を引用して、
同じことを強調しました。

この方に信頼しなさい、
主イエスは決して失望を与えないと。

ペテロもパウロも人生を振り返って、
主イエスは裏切らない、

信頼に足る方だと告白したのです。

2024/05/12

ベレヤのユダヤ人

兄弟たちはすぐ、夜のうちに
パウロとシラスをベレアに送り出した。
そこに着くと、二人はユダヤ人の会堂に入って行った。
この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、
非常に熱心にみことばを受け入れ、
はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。
(使徒17:10~11)

パウロはテサロニケのユダヤ人に苦しめられました。
次の町、ベレアのユダヤ人はまったく態度が違いました。

彼らは旧約聖書を熱心に読みました。

パウロの語った福音を
聖句と照らし合わせて確認するためでした。

現代でも二種類の人がいます。
批判材料を探すために聖書を読む人と、
素直に熱心に聖書を読む人です。

私は祈ります。
ベレヤのユダヤ人のように、
素直に、熱心に、聖書を読む人が起こされるようにと。

神と出会いたい、
真理を知りたい、
罪の赦しを受けたい、
そういう人が聖書と出会えますように。

2024/05/11

死んだも同然

こういうわけで、
一人の、しかも死んだも同然の人から、
天の星のように、
また海辺の数えきれない砂のように
数多くの子孫が生まれたのです。
(へブル11:12)

アブラハムが生きている時に
今日の言葉を読んだらどんな反応をするでしょう。
きっと苦笑いをしながら、
「ちょっと言い過ぎです」と言うかもしれません。

アブラハムは死んだも同然の人だったのです。
超高齢で、妻に子供が生まれる見込みはなかったのです。

けれども、神の力により息子が与えられ、
その子孫は文字通り
海辺の砂のようになりました。

あなたは、死んだも同然な人ですか。
外見上そうであったとしても、
アブラハムの例にならうと、可能性のある人なのです。

2024/05/10

サウルから離れた主

サウルはダビデを恐れた。
それは、主がダビデとともにおられ、
サウルを離れ去られたからである。
サウルはダビデを自分のもとから離し、彼を千人隊の長にした。
ダビデは兵の先に立って行動した。
(第一サムエル18:12~13)

無名の若者ダビデがゴリアテを倒すと
その快挙をきっかけにダビデ人気は高まり、
サウル王は影が薄くなりました。

サウル王はダビデを激しく嫉妬しました。
そのせいで機嫌が悪く、時折わめくようになり
ダビデに槍を投げつけることもありました。

その頃です。主はサウルから離れました。
サウルは心に渦巻く悪い思いを消せません。
神に心を開く態度や、祈りを忘れてしまいました。

ダビデは部下を最前線に立たせるのではなく、
自分が危険を冒しても先頭で戦いました。
ダビデの信仰姿勢と勇気が行動に出ていました。
主はダビデと共におられました。

あなたの心には嫉妬心がありますか。

2024/05/09

目を注ぐ方

主は天から目を注ぎ人の子らをすべてご覧になる。
御座が据えられた所から
地に住むすべての者に目を留められる。
主は一人ひとりの心を形造り
わざのすべてを読み取る方。
(詩編33:13~15)

誰にも理解されていない。
あなたは、そう感じることがありますか。

説明も弁解もできず、
周囲の人の視線が冷たくなり、
孤独を感じることがありますか。

忘れないで下さい。
あなたを見ている方がいます。

あなたを造られた方は
あなたの心を知っておられます。

主はあなたの心に寄り添い、
温かく優しい目でご覧になっています。

目を注ぎ、目を留め、心を読み取る方。
それが私たちの神です。

2024/05/08

募集、正しい人

正しい人が増えると、民は喜び、
悪しき者が治めると、民はうめく。
(箴言29:2)

店頭に<働く人募集>という
ポスターが張られていることがありますね。

この国で募集しているのは、正しい人です。

ニュースを見るたびに、
日本が劣化して、悪化傾向にあると感じます。
昔は今のような犯罪はありませんでした。
悪い事をしても平気な顔で自己弁護する人が増えました。

悪い政治家は国民を見ていません。
メディアは批判精神を失いました。
国の将来を憂いて、民はうめきます。

悪人が、自分の立ち振る舞いに恥じるほど
正しい人が増えてほしいです。

正しい人が増えると民は喜びます。

2024/05/07

帰りなさい

わたしは、あのベテルの神だ。
あなたはそこで、石の柱に油注ぎをし、
わたしに誓願を立てた。
さあ立って、この土地を出て、
あなたの生まれた国に帰りなさい。
(創世記31:13)

若き日のヤコブは、おじさんの家に転がり込み、
羊飼いの仕事を手伝うようになりました。
やがて、おじさんの娘と結婚し、子供も与えられ、
20年が過ぎていました。

おじさんの態度は冷たくなり以前とは違います。
仕事のつらさや人間関係の行き詰まりを感じていました。
こういう事も転機のきっかけになります。

そんな時です。
生まれた国に帰りなさいと主が言われたのは。
まさにグッドタイミングです。

かつて主が約束された事はすでに実現しています。
だから、帰る時が来たとヤコブは理解できました。

あなたのベテルを思い起こし、
初めの信仰に戻って新たな出発をしましょう。

2024/05/06

仕える人に

あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、
皆のしもべになりなさい。
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、
また多くの人のための贖いの代価として、
自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。
(マタイ20:27~28)

最近、子供のなりたい職業として
ユーチューバーが登場しています。

スターになりたい。
たくさんの「いいね」がほしい。
多くのフォロアーを持つ
強いインフルエンサーになりたい。
それを利用して、お金も儲けたい。

主イエスのお考えは違います。

人々のしもべになりなさい。
仕える意識を持ち行動しなさい。

主イエスはいのちを捨てるために来られ、
十字架を目指されました。

最も仕えた生き方が
多くの人に影響を与えました。

2024/05/05

主イエスを礼拝した後

彼らはイエスを礼拝した後、
大きな喜びとともにエルサレムに帰り、
いつも宮にいて神をほめたたえていた。
(ルカ24:52~53)

十二弟子は復活されたイエスさまに会い、
喜びに踊りました。

ルカの福音書によると、
主イエスは弟子たちに旧約聖書を教え、
ご自分が救い主であることの確証を与えたようです。

その後、弟子たちが見ている中で
主イエスは天に昇っていかれました。

主イエスを礼拝した十二弟子にもう悲しみはありません。
主イエスが生きておられると分かったからです。
大きな喜びを抱えながら危険なエルサレムに戻り、
宮で神をほめたたえました。

主イエスがどなたか深く確信できました。
イエスさまとの交流で心が満たされました。
弟子たちは自分の使命がクリアになりました。

これが、主イエスを礼拝した者の
ビフォア・アフターなのです。

2024/05/04

私のうちに働く力

このために、
私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、
労苦しながら奮闘しています。
(コロサイ1:29)

使徒の働きとパウロの書簡を読むと、
彼がどんなにハードに働いたかが分かります。

どんなに遠くても出かけて行く、
危険が迫っても福音を伝える、
逮捕されて鞭打たれても屈しない。

私たちはパウロの行動力に驚きます。
でもその原動力は彼にあるのでなく、
パウロの中に力強く働くキリストの力なのです。

明らかに自分の力ではない、
キリストが応援して下さっているとパウロは感じました。
私の内に主イエスが生きている!

主よ、
今日もあなたの力を与えて下さい。
私の内に生きて下さい。
奮闘するための内なる力を
私の内に充満させて下さい。

2024/05/03

馬でなく、戦車でなく

ある者は戦車を
ある者は馬を求める。
しかし私たちは私たちの神
主の御名を呼び求める。
彼らは膝をつき倒れた。
しかし私たちはまっすぐに立ち上がった。
(詩編20:7~8)

3000年前、馬は強力な武器でした。
歩兵は馬の前では無力だったのです。

最後に信頼できるものは
武器と兵力だと多くの王たちが考えていました。

軍事力増強の要はお金でした。
金こそ力だと王たちは考えました。

ダビデは違います。
主に信頼すると言いました。
主の御名を呼び求め、主の助けを頂いてきました。

近隣諸国の脅威が喧伝され軍事費が増え、
円安加速で日本経済の弱体化が進む今、
目を主に向けましょう。

私たちの本当に頼れる武器は
全能の神に信頼する心です。

2024/05/02

歩き出すエリヤ

彼は起きて食べ、そして飲んだ。
そしてこの食べ物に力を得て、
四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。
(第一列王記19:8)

預言者エリヤは信仰の鉄人でした。
けれども厳しい生活環境と危険の中で弱り、
バアルの預言者との戦いで力を使い果たし
肉体的にも精神的にも燃え尽きてしまいました。

心の中でプツンと音がするかのように
死を願い自暴自棄になり、荒野で倒れました。

主は
エリヤに付き添い、食物と水を提供されました。
それを食べるうちにエリヤは力を取り戻し、
立ち上がり歩き始めました。

死ぬためではなく、生きるためでした。
自分の殻に閉じこもるためでなく、
ホレブ山で神と会うためでした。

もうだめだと感じた時こそ、
神との親密な交わりが始まります。

2024/05/01

なぜ信じられないの

神が死者をよみがえらせるということを、
あなたがたは、
なぜ信じがたいこととお考えになるのでしょうか。
(使徒26:8)

カイサリアの監獄にいたパウロは
アグリッパ王の前で弁明の機会が与えられ、
主イエスこそ死からよみがえられた救い主であると
力強く述べました。

アグリッパ王の心を推察するとこうなります。
<パウロは、イエスを救い主と信じる珍しい人だ>

パウロはこんな気持だったと思います。
<イエスさまを信じないとはもったいない>

無からすべてを創造された方が神です。
全能者だから命のルールを改変することができます。
神が死者をよみがえらすこと。それは可能です。

パウロは言っています。死者を復活させるから神です。
アグリッパ王よ、なぜ信じないのですか、
信じない理由が分からないと。

こんなに素晴らしい方を信じない理由はありません。