人の子も、
仕えられるためではなく仕えるために、
また多くの人のための贖いの代価として、
自分のいのちを与えるために来たのです。
(マルコ10:45)
若い頃は
もっと上に登りたいと思うものです。
何かを身に着けたい、
何かを獲得したい、
何かで目立ちたい、
何かの分野で上に立ちたい。
主イエスが常に心に持っておられた事は
仕えたい、与えたい、そして、
人々を生かしたい、という思いでした。
そのような心を
私たちみんなが持っていたら
社会は素晴らしくなるでしょう。
仕える心と与える心を
今日、胸に入れておきましょう。
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