2020/05/15

私を遣わして下さい

私は主が言われる声を聞いた。
「だれを、わたしは遣わそう。
だれがわれわれのために行くだろうか。」
私は言った。
「ここに私がおります。
私を遣わしてください。」(イザヤ6:8)

若いイザヤは、この場面の少し前で、
神のきよさの前で自分の罪深さに直面し絶望していました。
神はイザヤの罪を赦し、罪からのきよめを付与してくれました。
神に用いられる人は、必ずこうしたプロセスを踏みます。

神は人を求めていました。ある分野を任せたいのです。
でも適任者がいませんでした。困難な任務です。
献身の最終段階では、人間の自発性が問われます。
「ここに私がおります」と志願しないと始まらないのです。

罪深さの自覚と自発性。
神に用いて頂くには、
この相反するような二面が不可欠なのです。



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