2022/03/23

神の義は

すなわち、
イエス・キリストを信じることによって
信じるすべての人に与えられる
神の義です。
そこに差別はありません。
(ローマ3:22)

人が義と認められるためには
律法を行う必要があると昔から思われていました。
けれども、人間の行いでは神の合格点に到達しないと
パウロは考えました。

ただ信じるだけで良いのだ、とパウロは悟ったのです。
主イエスが提供して下さったのは、
行いによる義でなく、信仰による義なのです。

では、主イエスを信じる心が強い人と
それほど信仰は強くない人がいたら、
義と認められる度合いが違ってくるのでしょうか。

いいえ。信仰の本気度で義認のレベルが変わるようでは
信仰自体が「行い」に変質してしまいます。

私たちの義認は
主イエスの真実さを土台にしているので、
私たちの信じる度合いで変動するものではありません。

「神の義は、イエス・キリストの真実によって、
信じる者すべてに表されたのです」(ローマ3:22)
この共同訳聖書の翻訳は、そのあたりに注意を払って
訳されたものです。

 

 

 

 

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