2023/04/03

十字架を伝える

しかし、私たちは十字架につけられた
キリストを宣べ伝えます。
ユダヤ人にとってはつまずき、
異邦人にとっては愚かなことですが、
ユダヤ人であってもギリシア人であっても、
召された者たちにとっては、
神の力、神の知恵であるキリストです。
(第一コリント1:23~24)

時代が変わり、科学が進歩し、
伝達方法が発達しても、
福音の中身は愚直なまでに同じです。

十字架につけられたイエス・キリストを
語り続けることが教会とキリスト者の使命です。

主イエスは私たちの罪を背負って
身代わりの死刑をお受けになり、
死に打ち勝ち、罪の赦しの完了を証明するため
よみがえって下さいました。

当時のユダヤ人には律法と儀式があり、
ヨーロッパ人には人間の知恵、哲学の蓄積がありました。
彼らからすれば、十字架と復活の話を聞いても知的興味は生まれず、
あざけりや無視という反応になったでしょう。

そうであっても、パウロは、福音を伝えました。
社会の反応は今とまったく同じです。
十字架と復活は神の力、神の知恵なのです。
このキリストを伝えましょう。

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