私のもとにセラフィムのひとりが飛んで来た。
その手には、
祭壇の上から火ばさみで取った、
燃えさかる炭があった。
彼は、私の口にそれを触れさせて言った。
「見よ。
これがあなたの唇に触れたので、
あなたの咎は取り除かれ、
あなたの罪も赦された。」
(イザヤ6:6~7)
幻の中でしょうか、
実際に礼拝していたのでしょうか、
預言者イザヤは神の臨在を肌で感じ、
聖なる、聖なる、聖なるかなという
セラフィムの賛美を聞いていました。
神のきよさに圧倒されて
イザヤは自分の汚れを強く意識しました。
セラフィムが燃えさかる炭をイザヤの口に近づけたので、
ジュッという音と共にひどい火傷を覚悟しましたが、
あなたの罪は赦されたとの宣言を聞きました。
イザヤは熱さと痛みに身構えました。
私たちが罪のきよめを受ける時も
罪意識の痛みを経験し、恥じる心が生じます。
誰かに謝罪したり、社会的制裁を受ける事もあります。
こうした痛みのプロセスの後に、
涙とさわやかさと平安がやってきます。
こうした痛みのプロセスの後に、
涙とさわやかさと平安がやってきます。
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