それどころか、
私の主であるキリスト・イエスを
知っていることのすばらしさのゆえに、
私はすべてを損と思っています。
私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、
それらはちりあくただと考えています。
(ピリピ3:8)
パウロは律法学者として
エリートの階段を先頭切って上っていました。
学識、行動、勇気など申し分ありませんでした。
けれども、ダマスコ途上で復活の主イエスにお会いして変えられ、
積み上げたキャリアの無価値さに気づいたのです。
「キリストのゆえにすべてを失いました」とあるとおりです。
この日本においても時代をさかのぼると、
信仰を持つだけで多くを失った人達もいました。
パウロは失ったものに目を向けません。
主イエスを信じて良かったと心から思っているからです。
パウロが感激を込めて言っているのは、
主イエスを知っていることはの素晴らしさです。
イエスさまを知る事ができて本当に良かった。
あなたもそうでしょ。
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