2024/07/09

何をもって

何をもって、私は主の前に進み行き、
いと高き神の前にひれ伏そうか。
全焼のささげ物、
一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。
(ミカ6:6)

神の前に出たい。
けれども、
神にお見せできるほど立派な
犠牲の動物を持って行けないので
礼拝は止めておこう。
(こう考えた人がいたかもしれません)

神の前に出て礼拝したい。
だから、
かなり高価な子牛を連れて来た。
この犠牲の動物をささげれば
神からのおとがめ無しでほめてもらえる。
(この考え方には問題があります)

神が求めておられるのは
いけにえという形式ではなく、
値段が問われるのでもなく、
礼拝する人の心なのです。

主が望んでおられるのは、
砕かれた心、
神の言葉を聞く耳、
神と共に歩みたいという姿勢なのです。

2024/07/08

最後まで

私たちが切望するのは、
あなたがた一人ひとりが同じ熱心さを示して、
最後まで私たちの希望について十分な確信を持ち続け、
その結果、怠け者とならずに、
信仰と忍耐によって約束のものを
受け継ぐ人たちに倣う者となることです。
(ヘブル6:11~12)

マラソン大会に参加登録をした人は皆
ゴールを目指して走ります。


マラソンコースには
エイドステーションが設置されていて
水や食物、栄養ドリンク、果物、ゼリーなどを
補給することができます。

補給しないとエネルギーがなくなります。

私たち信仰者も
「最後まで」走り通すために
信仰のエイドステーションで
エネルギー補給が必要です。

希望、確信、信仰、忍耐が
信仰者の栄養ドリンクです。
そして私たちの先を走り抜いた
信仰の先輩たちの姿が
私たちを応援してくれます。

約束のものを受け継ぐ者となりましょう。

2024/07/07

揺るぎません

神よ、私の心は揺るぎません。
私は歌い、ほめ歌います。
私の心の底も。
(詩編108:1)

今日の祈りの言葉は
どんな状況の時に生まれたのでしょう。

すべてが絶好調な時ですか。
何の変哲もない普通の日ですか。

おそらくは
厳しい試練や大きな災難、
つらい病気や悲しみなど
予想を超えた出来事に直面したのでしょう。

揺るがない心でいられることを
本人が一番驚いているのかもしれません。

神の支えがあるので
逆風の中でも立っていられるのです。

神よ、私の心は揺るぎません。