2024/09/02

陶器師の神

それでいて、もし神が、
御怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられたのに、
滅ぼされるはずの怒りの器を、
豊かな寛容をもって耐え忍ばれたとすれば、どうですか。
しかもそれが、栄光のためにあらかじめ備えられた
あわれみの器に対して、
ご自分の豊かな栄光を知らせるためであったとすれば、
どうですか。(ローマ9:22~23)

神は陶器師であり、人は粘土です。

パウロはそのような文脈で、
今日の言葉を語りました。

ユダヤ人は神に選ばれましたが、
神に背いた結果、苦難の歴史を経験しました。
それでも主に生かされ、守られた器です。

異邦人は生まれながらに
御怒りを受けるべき者たちでしたが、
神に愛され、救い主を送って頂きました。

愛に富んだ陶器師は、迫害者パウロにも目を留め、
神の器として用いて下さいました。

あなたも主のあわれみを受けた器です。
主の栄光のために用いられますように。

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