2022/09/07

正しくあり得ようか

人は神の前に正しくあり得ようか。
その造り主の前にきよくあり得ようか。
(ヨブ記4:17)

「自分は善良に生活している」
「私は正しく生きている常識人だ」
まじめな人は自分の事をそう思い、
罪人だとは考えないものです。

それは、自分のしてきたことにフタをしているか、
記憶にないから言える事です。
都合の悪い時には嘘をついてきたはずです。
小さな不正を上手にそっとしてきました。

神の完全な正しさときよさの前に出たなら、
私たちの汚れは一目瞭然です。

ですから、自分の醜さや罪に気づくために
まことの神の前に定期的に出るということは
とても大切なことです。
それによって謙虚な心を与えられます。

きよい造り主の前に出て、自分を振り返る。
日曜礼拝はそういう意味でも意義が深いのです。

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