あなたがたは地の塩です。
もし塩が塩気をなくしたら、
何によって塩気をつけるのでしょうか。
もう何の役にも立たず、
外に捨てられ、
人に踏みつけられるだけです。
(マタイ5:13)
イエスさまは、私たちキリスト者が
塩としてこの世に生きることを期待しておられます。
ところで、日本文化では和が尊ばれ、忖度し合い、
人々と違う行動はタブーとされてきました。
キリスト者は塩なので、
時には大勢と違う道を選び、摩擦を作りますが
そこに意義があるのです。
口裏を合わせておきましょう、
みんなで渡れば不正の道も怖くないと言われても、
塩であるキリスト者は正しい別の道を選ぶのです。
塩が塩気をなくしたら存在意義がなくなります。
塩は少量であっても、その塩気によって腐敗を防ぎます。
イエスさまは塩気の多い方でしたが
愛とあわれみに満ちた方でした。
両立可能なのです。
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