2024/05/31

真理のうちを歩む人

兄弟たちがやって来ては、
あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、
私は大いに喜んでいます。
実際、あなたは真理のうちに歩んでいます。
私にとって、自分の子どもたちが
真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の
大きな喜びはありません。
(第三ヨハネ3~4節)

使徒ヨハネはガイオという人に手紙を書きました。
それがヨハネの手紙第三です。

ガイオはヨハネに導かれて信仰を持ち、
信仰面でも様々な事を教わったのでしょう。
ヨハネから見れば信仰上の「子ども」なのです。

ヨハネの耳にガイオの良い噂が伝わってきました。
ガイオがクリスチャンの旅人をもてなし、
巡回伝道者に宿を提供していたようです。

また、ガイオ自身の歩みも真っすぐで、
真理のうちを歩んでいる、とヨハネに評価されました。
ヨハネはその事をとても喜んでいます。
ガイオの内面性は自然に外面に表れていました。

私たちも真理に生き続け
真理を実行していきましょう。

2024/05/30

味わうな

もしあなたがたがキリストとともに死んで、
この世のもろもろの霊から離れたのなら、
どうして、まだこの世に生きているかのように、
「つかむな、味わうな、さわるな」
といった定めに縛られるのですか。
(コロサイ2:20~21)

救われた真面目なクリスチャンが
もっともっと主イエスに近づきたいと願う時
ある種類の罠に陥ることがあります。

「つかむな、味わうな、さわるな」という
戒律や苦行や禁止事項を自分に課す罠です。

そうした人々を知って
一段高いレベルの信仰者だと思い込み
その仲間に加わるコロサイ人まで出てきました。

パウロは一刀両断にして言います。
あなたはキリストと共に死んだ。
何かに縛られる必要などない。

十字架のゆえに、恵みによって救われた事こそ
最も尊いことであり、神の知恵なのです。

2024/05/29

穀物のささげもの

人が主に穀物のささげ物を献げるとき、
そのささげ物は小麦粉でなければならない。
その上に油を注ぎ、その上に乳香を添え、
それを祭司であるアロンの子らのところに持って行く。
祭司はその中から、
ひとつかみの小麦粉と油と乳香すべてを覚えの分として取り出し、
祭壇の上で焼いて煙にする。
これは主への食物のささげ物、芳ばしい香りである。
(レビ記2:1~2)

旧約聖書の「いけにえ」と言えば動物を連想しますが、
よく読むと小麦のささげ物もあります。

種を蒔き、育て、収穫した小麦をささげます。
祭司にその小麦を手渡します。

ささげ方は三種類あります。
小麦のまま、和型のパンにして、平鍋で焼いたもの。

約束の地に入り、平和になり、やっと収穫できたものですから
捧げる喜びもひとしおです。

ですから穀物のささげものには、
主への感謝と喜びと礼拝の思いが込められています。

油と乳香を一緒にささげるのがルールです。
神の臨在や聖霊、そして、祈りを象徴するものです。

収入があること、食べ物があること、
平和であること、生かされていること、
私たちも感謝と祈りを込めてささげものをしましょう。

2024/05/28

夕暮れと朝明け

まことに御怒りは束の間
いのちは恩寵のうちにある。
夕暮れには涙が宿っても
朝明けには喜びの叫びがある。
(詩編30:5)

対比の妙が際立つ詩編です。

夕暮れと朝。涙と喜び。

確かに人生には辛い夜を迎えることがあります。
けれども、朝には希望や新たな喜びが生まれます。
涙の夕暮れよ去れ、希望の朝よ来たれ!

前半部分では、
神の怒りと神の恩寵、
そして、つかの間といのちが対比されています。

この比較はちょっと分かりにくいです。
英語聖書訳では、<主の恵みはライフタイム>
と訳しています。
私たちの罪が神の怒りを引き起こす事がありますが
それは一時的です。
でも、主の恵みは長い人生の間ずっと注がれるのです。

私たちの命は恩寵の内に守られています。


2024/05/27

忍耐と寛容

神の栄光の支配により、
あらゆる力をもって強くされ、
どんなことにも忍耐し、
寛容でいられますように。
(コロサイ1:11)

あなたは我慢強い人ですか。
今あなたが忍耐している事は何ですか。
その忍耐は続けられそうですか。

次に、あなたは周囲の人に寛容ですか。
人は他人をさばきやすいものです。
あなたと違う人を受け入れていますか。

パウロはコロサイ教会の人々のために
とりなしの祈りをしているのです。
その祈りが今日の聖句です。

今日、忍耐と寛容を意識しましょう。
何かを忍耐すること、誰かに寛容であることは
とても尊く価値あることです。

神の力なしにはできませんので
主に助けを求めましょう。

2024/05/26

エパフロディト

本当に、彼は死ぬほどの病気にかかりました。
しかし、神は彼をあわれんでくださいました。
彼だけでなく私もあわれんでくださり、
悲しみに悲しみが重ならないようにしてくださいました。
(ピリピ2:27)

ピリピ教会からパウロのもとに遣わされた
エパフロディトという人がいました。

主を愛し主に熱心に仕える人でした。
パウロの所に来た時、大きな病気にかかり
ほとんど死ぬばかりになりました。

一時はかなり危険な状態になりましたが
ただ主のあわれみによって回復できました。

現代にもエパフロディトのような人がいます。
隠れた場所で主と人に仕えています。

主のためにと奮闘しつつも
困難な中にいる人がいるなら
主からのあわれみが格別に注がれますように。

エパフロディトのように元気にして強めて下さい。

2024/05/25

ヒソプで

ヒソプで私の罪を除いてください。
そうすれば私はきよくなります。
私を洗ってください。
そうすれば私は雪よりも白くなります。
(詩編51:7)

ダビデは姦淫の罪を犯しました。
自分の罪の重さを痛感し心砕かれ、
悔い改めの祈りをしました。

ヒソプはユダヤの植物です。
丸く小さな葉がたくさんあるので
液体に浸すと一時的に水分を吸収します。

過越の血はヒソプで門に塗りました。

祭司たちはヒソプを用いて
きよめの儀式をします。

ダビデは祈りました。
汚れた私を洗って
雪のように白くして下さい。

罪の赦しときよめは
神だけがおできになります。

謙虚な気持ちになってダビデのように祈りましょう。

2024/05/24

緑の牧場

主は私を緑の牧場に伏させ
いこいのみぎわに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ
御名のゆえに私を義の道に導かれます。
(詩編23:2~3)

羊にとって一番大切なのは
食料になる牧草と水です。

パレスチナは雨が少ない場所なので
羊だけでは生きられません。
良い羊飼いがどうしても必要です。

羊飼いは牧草と水で羊を元気づけるだけでなく
正しい道を歩めるように導いてくれます。

主は日ごとの糧を備え
私たちを生かして下さいます。

私たちの魂をリフレッシュして下さり、
新しい思い、主に期待する心、正しい道へと導き、
チャレンジする姿勢を与えて下さいます。

詩篇23篇は私たちの歌です。

主よ、良き羊飼いとなって今日も
私を導いて下さい。

2024/05/23

剣はなかった

ダビデは手を袋の中に入れて、
石を一つ取り、石投げでそれを放って、
ペリシテ人の額を撃った。
石は額に食い込み、彼はうつぶせに地面に倒れた。
ダビデは、石投げと石一つでこのペリシテ人に勝ち、
このペリシテ人を撃って、彼を殺した。
ダビデの手に剣はなかったが。
(第一サムエル17:49~50)

ダビデは勇敢でした。
信仰に燃え、主に信頼して、
巨漢ゴリアテに近づきました。

普通の人は、熊のようなゴリアテと
その巨大な槍を見ただけで
凍り付いて動けなくなります。

ダビデは石投げを効率よく回転させたかと思うと、
高速でゴリアテの額に石を食い込ませました。
ダビデは石一つで勝利しました。

ダビデの手には剣はありませんでした。
信仰こそが武器でした。

あなたにとってのゴリアテは何ですか。
あなたの石は何ですか。
信仰さえあれば、剣はいりません。

2024/05/22

愛し合う

あなたがたが互いに愛し合うこと、
わたしはこれを、あなたがたに命じます。
(ヨハネ15:17)

互いに愛し合いなさい。
これは主イエスの言葉です。

一番身近な人、家族などを
愛すと意識してみましょう。

主にある教会の仲間を
愛そうと心で決めて下さい。

心の中で周囲の人を無条件で受け入れてみましょう。
その人々がいてくれることを純粋に喜びましょう。
そういう気持ちを持ちながら
挨拶し、感謝し、褒めましょう。

そして、周囲の人から愛されている事実を
素直な気持ちで感謝しましょう。

愛そう。
その姿勢を持つだけで違う一日になります。

2024/05/21

主の器を運ぶ者

去れ、去れ。そこから出て行け。
汚れたものに触れてはならない。
その中から出て行き、身を清めよ。
主の器を運ぶ者たちよ。
あなたがたは慌てて出なくてもよい。
逃げるように去らなくてもよい。
主があなたがたの前を進み、
イスラエルの神がしんがりとなられるからだ。
(イザヤ52:11~12)

イザヤは捕囚の民に預言して言いました。
バビロンから脱出できる日が必ず来ると。

そこを去れ。さあ、バビロンを出て行け。
汚れたものから決別するのだ。

特に主に直接仕えるレビ人、
神殿に関わる主の器を運ぶ者に
イザヤは言いました

その時は慌てなくてもよい。
主があなたがたと共に歩むから。
主は、先頭にも、列の最後にも共におられ、
力強く守って下さる。

あなたも主の器を担う者です。
使命を果たしましょう。
主がボディーガードになって守って下さいます。

2024/05/20

家に帰れ

つかさたちは民に語りかけて言いなさい。
「新しい家を建てて、まだそれを奉献していない者はいないか。
その人は家に帰るがよい。
戦死して、ほかの人がそれを奉献するといけないから。
ぶどう畑を作って、まだその初物を味わっていない者はいないか。
その人は家に帰るがよい。
戦死して、ほかの者が初物を味わうといけないから。」
(申命記20:5~6)

主のための戦いが迫る時、民の指導者たちは、
「全員が戦いに参加せよ」とは言いません。
その逆で、以下の者は帰れと言いました。

新しい家を建てて、まだ奉献式をしていない者。
ぶどう畑を育てて、初物を味わっていない者。
婚約したが、結婚式をしていない者。

こういう人々は、戦いに集中できません。
心ここにあらずで周囲の者に悪影響を与えます。

戻った者は懸案だった事が解決したので喜び
帰してもらった事を感謝して
戦いに専念する者も出てくるでしょう。

今、あなたに何か心残りがありますか。
思い切ってそれを優先してみませんか。

2024/05/19

主を愛せよ

主を愛せよ。すべて主にある敬虔な者たち。
主は誠実な者を保たれるが高ぶる者には厳しく報いをされる。
雄々しくあれ。心を強くせよ。
すべて主を待ち望む者よ。
(詩編31:23~24)

ダビデは何度も試練を通ってきました。
そのたびに主の愛と力を体験したので、
周囲の人をこのように励ましたのです。

信仰にふさわしく歩め。
高ぶらず謙虚に誠実に生きよ。
雄々しく、心を強くせよ。

そしてダビデは、アドバイスの先頭で、
「主を愛せよ」と言いました。

困難という大波を切り開いていく船の舳先は
強くて堅く力強い何かではなく、
優しく、しなやかで、温かい、
神への純粋な愛なのです。

主を愛す。この基本姿勢が一番大切です。

私は主を愛しています。
そう言える人の顔は輝いています。

2024/05/18

泣いた先に

このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、
数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。
(ネヘミヤ記1:4)

ネヘミヤはペルシアに住んでいました。
兄弟ハナニが遠く旅をして
エルサレムの様子を伝えに来てくれました。

捕囚を逃れエルサレムに残った者は
幸せな暮らしをしているだろうと思っていたのですが、
城壁は崩されたまま、生活は最悪と知らされたのです。

ネヘミヤはショックのあまり食事ができず、
最初の数日は泣くばかりでした。
想像を絶する悲惨な状況を聞いたのでしょう。

辛い時は、泣くしかありません。
涙の隙間ができると、そこに祈りが生まれます。

嘆きや悲しみの言葉が祈りになりますが、
やがて主への願いの言葉が出てきて、
次に、私にできることは何だろうと思い巡らし、
知恵と力を自分に与えて下さいと祈るようになります。

主よ、私の嘆きを願いに、
私の願いを献身に、
私の献身をあなたの栄光にして下さい。

2024/05/17

御顔を向けて

 多くの者は言っています。
「だれがわれわれに良い目を見させてくれるのか」と。
主よどうかあなたの御顔の光を私たちの上に照らしてください。
あなたは喜びを私の心に下さいます。
それは彼らに穀物と新しいぶどう酒が豊かにある時にもまさっています。
(詩編4:6~7)

偉大な神は私たちのような小さな者に
関心を向けてくださいます。

主の眼差しは温かく、優しい。
主の御顔の光は栄光と平安であふれ
私たちに注がれています。

子どもが親に言う言葉の中で
一番多いのが「見て!」だと思います。
親は「見ているよ」と返事をします。
すると子供に笑顔が生まれます。

主の御顔とは主の視線と主の祝福を意味しています。
取るに足らない自分だと思わないで下さい。
主はあなたに微笑み応援して下さっています。

主よ、今日もあなたの御顔を注いで下さい。

2024/05/16

とりなしの祈り

私はこう祈っています。あなたがたの愛が、
知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。
こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、
純真で非難されるところのない者となり、
イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、
神の栄光と誉れが現されますように。
(ピリピ1:9~11)

私たちが誰かのために祈る時、
病気が治るように、問題が解決するように、
願いがかなうように、祝福されますように、
という祈りが多いです。

パウロのとりなしの祈りを読むと、
祈りについて気づきが与えられます。

以下のようにパウロはとりなしています。
あの人達の愛が豊かになるように。
物事の本質を判別する知恵が与えられるように。
きよさを持つことができるように。
キリストの義に満たされるように。
神の栄光が現わされるように。

パウロは、いわば病気症状への対処療法ではなく、
その人の霊的体質の改善や
生活習慣の根本的な変化を祈っているのです。

2024/05/15

12年

すると見よ。十二年の間長血をわずらっている女の人が、
イエスのうしろから近づいて、その衣の房に触れた。
「この方の衣に触れさえすれば、私は救われる」と
心のうちで考えたからである。
(マタイ9:20~21)

12年という数字に驚きます。
17歳で病気になったとしたら29歳になっています。

痛みと不快感が絶えずあり、
周囲の人から距離を取られてしまい、
将来に希望が持てない毎日を送っていました。

経済的にも困窮し、顔が暗くなり、
悲観的な人生観になっていたかもしれません。

そんな彼女に癒される信仰が突如芽生えました。

主イエスの噂を知って驚き、
主イエスを探し、
癒す様子を遠巻きに見たのでしょうか。
主イエスのお顔を見ただけで勇気が出たのかもしれません。

人に希望を与えるお方。
それが私たちの主イエスです。


2024/05/14

助言を下さる方

私はほめたたえます。
助言を下さる主を。
実に夜ごとに内なる思いが私を教えます。
私はいつも主を前にしています。
主が私の右におられるので
私は揺るがされることがありません。
(詩編16:7~8)

うまく行かなかった日の夜は、
色々な事柄が頭をよぎります。
否定的な事に思いが流れやすく、
人を責めがちになります。
自己嫌悪にとらわれる事も多いです。

今日起きた事とその時の感情を何でも
話せる人がいたら助かりますね。
弱音や愚痴を本音で言っても受け止めてくれる人がいたら、
どんなに気持ちが晴れるでしょう。

主は私たちの親友のような存在です。
また思慮深いカウンセラーのような方です。
私たちの右にいて、間近にいて、
私たちの気持ちを聞き取り、
その上で、適切なアドバイスを下さる方です。

こんなに素晴らしい方がおられるので
私たちは揺るがされることがないのです。

2024/05/13

失望なし

聖書にこう書いてあるからです。
「見よ、わたしはシオンに、
選ばれた石、尊い要石を据える。
この方に信頼する者は
決して失望させられることがない。」
(第一ペテロ2:6)

とても興味深いことがあります。
今日の聖句を、ペテロもパウロも
自分の手紙に引用しているのです。

無学な漁師育ちのペテロは、
主イエスと過ごした3年間を振り返り、
主イエスがどんな方かを語りました。

パウロは、高学歴、律法学者出身で、
主イエスと直接話したことはありません。
復活の主イエスと出会い伝道者となり、
各地を巡り主イエスの福音を語りました。

学歴も経験も性格もまったく異なる二人ですが、
旧約聖書の同じ箇所を引用して、
同じことを強調しました。

この方に信頼しなさい、
主イエスは決して失望を与えないと。

ペテロもパウロも人生を振り返って、
主イエスは裏切らない、

信頼に足る方だと告白したのです。

2024/05/12

ベレヤのユダヤ人

兄弟たちはすぐ、夜のうちに
パウロとシラスをベレアに送り出した。
そこに着くと、二人はユダヤ人の会堂に入って行った。
この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、
非常に熱心にみことばを受け入れ、
はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。
(使徒17:10~11)

パウロはテサロニケのユダヤ人に苦しめられました。
次の町、ベレアのユダヤ人はまったく態度が違いました。

彼らは旧約聖書を熱心に読みました。

パウロの語った福音を
聖句と照らし合わせて確認するためでした。

現代でも二種類の人がいます。
批判材料を探すために聖書を読む人と、
素直に熱心に聖書を読む人です。

私は祈ります。
ベレヤのユダヤ人のように、
素直に、熱心に、聖書を読む人が起こされるようにと。

神と出会いたい、
真理を知りたい、
罪の赦しを受けたい、
そういう人が聖書と出会えますように。

2024/05/11

死んだも同然

こういうわけで、
一人の、しかも死んだも同然の人から、
天の星のように、
また海辺の数えきれない砂のように
数多くの子孫が生まれたのです。
(へブル11:12)

アブラハムが生きている時に
今日の言葉を読んだらどんな反応をするでしょう。
きっと苦笑いをしながら、
「ちょっと言い過ぎです」と言うかもしれません。

アブラハムは死んだも同然の人だったのです。
超高齢で、妻に子供が生まれる見込みはなかったのです。

けれども、神の力により息子が与えられ、
その子孫は文字通り
海辺の砂のようになりました。

あなたは、死んだも同然な人ですか。
外見上そうであったとしても、
アブラハムの例にならうと、可能性のある人なのです。

2024/05/10

サウルから離れた主

サウルはダビデを恐れた。
それは、主がダビデとともにおられ、
サウルを離れ去られたからである。
サウルはダビデを自分のもとから離し、彼を千人隊の長にした。
ダビデは兵の先に立って行動した。
(第一サムエル18:12~13)

無名の若者ダビデがゴリアテを倒すと
その快挙をきっかけにダビデ人気は高まり、
サウル王は影が薄くなりました。

サウル王はダビデを激しく嫉妬しました。
そのせいで機嫌が悪く、時折わめくようになり
ダビデに槍を投げつけることもありました。

その頃です。主はサウルから離れました。
サウルは心に渦巻く悪い思いを消せません。
神に心を開く態度や、祈りを忘れてしまいました。

ダビデは部下を最前線に立たせるのではなく、
自分が危険を冒しても先頭で戦いました。
ダビデの信仰姿勢と勇気が行動に出ていました。
主はダビデと共におられました。

あなたの心には嫉妬心がありますか。

2024/05/09

目を注ぐ方

主は天から目を注ぎ人の子らをすべてご覧になる。
御座が据えられた所から
地に住むすべての者に目を留められる。
主は一人ひとりの心を形造り
わざのすべてを読み取る方。
(詩編33:13~15)

誰にも理解されていない。
あなたは、そう感じることがありますか。

説明も弁解もできず、
周囲の人の視線が冷たくなり、
孤独を感じることがありますか。

忘れないで下さい。
あなたを見ている方がいます。

あなたを造られた方は
あなたの心を知っておられます。

主はあなたの心に寄り添い、
温かく優しい目でご覧になっています。

目を注ぎ、目を留め、心を読み取る方。
それが私たちの神です。

2024/05/08

募集、正しい人

正しい人が増えると、民は喜び、
悪しき者が治めると、民はうめく。
(箴言29:2)

店頭に<働く人募集>という
ポスターが張られていることがありますね。

この国で募集しているのは、正しい人です。

ニュースを見るたびに、
日本が劣化して、悪化傾向にあると感じます。
昔は今のような犯罪はありませんでした。
悪い事をしても平気な顔で自己弁護する人が増えました。

悪い政治家は国民を見ていません。
メディアは批判精神を失いました。
国の将来を憂いて、民はうめきます。

悪人が、自分の立ち振る舞いに恥じるほど
正しい人が増えてほしいです。

正しい人が増えると民は喜びます。

2024/05/07

帰りなさい

わたしは、あのベテルの神だ。
あなたはそこで、石の柱に油注ぎをし、
わたしに誓願を立てた。
さあ立って、この土地を出て、
あなたの生まれた国に帰りなさい。
(創世記31:13)

若き日のヤコブは、おじさんの家に転がり込み、
羊飼いの仕事を手伝うようになりました。
やがて、おじさんの娘と結婚し、子供も与えられ、
20年が過ぎていました。

おじさんの態度は冷たくなり以前とは違います。
仕事のつらさや人間関係の行き詰まりを感じていました。
こういう事も転機のきっかけになります。

そんな時です。
生まれた国に帰りなさいと主が言われたのは。
まさにグッドタイミングです。

かつて主が約束された事はすでに実現しています。
だから、帰る時が来たとヤコブは理解できました。

あなたのベテルを思い起こし、
初めの信仰に戻って新たな出発をしましょう。

2024/05/06

仕える人に

あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、
皆のしもべになりなさい。
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、
また多くの人のための贖いの代価として、
自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。
(マタイ20:27~28)

最近、子供のなりたい職業として
ユーチューバーが登場しています。

スターになりたい。
たくさんの「いいね」がほしい。
多くのフォロアーを持つ
強いインフルエンサーになりたい。
それを利用して、お金も儲けたい。

主イエスのお考えは違います。

人々のしもべになりなさい。
仕える意識を持ち行動しなさい。

主イエスはいのちを捨てるために来られ、
十字架を目指されました。

最も仕えた生き方が
多くの人に影響を与えました。

2024/05/05

主イエスを礼拝した後

彼らはイエスを礼拝した後、
大きな喜びとともにエルサレムに帰り、
いつも宮にいて神をほめたたえていた。
(ルカ24:52~53)

十二弟子は復活されたイエスさまに会い、
喜びに踊りました。

ルカの福音書によると、
主イエスは弟子たちに旧約聖書を教え、
ご自分が救い主であることの確証を与えたようです。

その後、弟子たちが見ている中で
主イエスは天に昇っていかれました。

主イエスを礼拝した十二弟子にもう悲しみはありません。
主イエスが生きておられると分かったからです。
大きな喜びを抱えながら危険なエルサレムに戻り、
宮で神をほめたたえました。

主イエスがどなたか深く確信できました。
イエスさまとの交流で心が満たされました。
弟子たちは自分の使命がクリアになりました。

これが、主イエスを礼拝した者の
ビフォア・アフターなのです。

2024/05/04

私のうちに働く力

このために、
私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、
労苦しながら奮闘しています。
(コロサイ1:29)

使徒の働きとパウロの書簡を読むと、
彼がどんなにハードに働いたかが分かります。

どんなに遠くても出かけて行く、
危険が迫っても福音を伝える、
逮捕されて鞭打たれても屈しない。

私たちはパウロの行動力に驚きます。
でもその原動力は彼にあるのでなく、
パウロの中に力強く働くキリストの力なのです。

明らかに自分の力ではない、
キリストが応援して下さっているとパウロは感じました。
私の内に主イエスが生きている!

主よ、
今日もあなたの力を与えて下さい。
私の内に生きて下さい。
奮闘するための内なる力を
私の内に充満させて下さい。

2024/05/03

馬でなく、戦車でなく

ある者は戦車を
ある者は馬を求める。
しかし私たちは私たちの神
主の御名を呼び求める。
彼らは膝をつき倒れた。
しかし私たちはまっすぐに立ち上がった。
(詩編20:7~8)

3000年前、馬は強力な武器でした。
歩兵は馬の前では無力だったのです。

最後に信頼できるものは
武器と兵力だと多くの王たちが考えていました。

軍事力増強の要はお金でした。
金こそ力だと王たちは考えました。

ダビデは違います。
主に信頼すると言いました。
主の御名を呼び求め、主の助けを頂いてきました。

近隣諸国の脅威が喧伝され軍事費が増え、
円安加速で日本経済の弱体化が進む今、
目を主に向けましょう。

私たちの本当に頼れる武器は
全能の神に信頼する心です。

2024/05/02

歩き出すエリヤ

彼は起きて食べ、そして飲んだ。
そしてこの食べ物に力を得て、
四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。
(第一列王記19:8)

預言者エリヤは信仰の鉄人でした。
けれども厳しい生活環境と危険の中で弱り、
バアルの預言者との戦いで力を使い果たし
肉体的にも精神的にも燃え尽きてしまいました。

心の中でプツンと音がするかのように
死を願い自暴自棄になり、荒野で倒れました。

主は
エリヤに付き添い、食物と水を提供されました。
それを食べるうちにエリヤは力を取り戻し、
立ち上がり歩き始めました。

死ぬためではなく、生きるためでした。
自分の殻に閉じこもるためでなく、
ホレブ山で神と会うためでした。

もうだめだと感じた時こそ、
神との親密な交わりが始まります。

2024/05/01

なぜ信じられないの

神が死者をよみがえらせるということを、
あなたがたは、
なぜ信じがたいこととお考えになるのでしょうか。
(使徒26:8)

カイサリアの監獄にいたパウロは
アグリッパ王の前で弁明の機会が与えられ、
主イエスこそ死からよみがえられた救い主であると
力強く述べました。

アグリッパ王の心を推察するとこうなります。
<パウロは、イエスを救い主と信じる珍しい人だ>

パウロはこんな気持だったと思います。
<イエスさまを信じないとはもったいない>

無からすべてを創造された方が神です。
全能者だから命のルールを改変することができます。
神が死者をよみがえらすこと。それは可能です。

パウロは言っています。死者を復活させるから神です。
アグリッパ王よ、なぜ信じないのですか、
信じない理由が分からないと。

こんなに素晴らしい方を信じない理由はありません。