2023/04/30

若い時の罪を

主よ、思い起こしてください。
あなたのあわれみと恵みを。
それらは、とこしえからのものです。
私の若いころの罪やそむきを
思い起こさないでください。
あなたの恵みによって、
私を覚えていてください。
主よ、あなたのいつくしみのゆえに。
(詩編25:6~7)

あなたがスポーツ選手で
監督からこう言われたらどうでしょう。
君はひどいミスをした、先月も、半年前もだ。

反省して弱点補強の個人練習を重ねてきたのに
以前の印象だけで判断されたらがっかりしますね。

私たちも、若い頃の失敗を思い出したり、
何かの拍子にその話題になったりします。
過去が消去できたらと思ってしまいます。

けれども私たちの罪や失敗は
主の恵みとあわれみの注ぎ口になります。
汚点は、やり直しのスタートラインになります。

主のあわれみと恵みは、今日も
あふれるほど注がれています。


2023/04/29

70年が過ぎ

それに答えて主の使いは言った。
「万軍の主よ。
いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、
あわれみを施されないのですか。
あなたが憤られて七十年になります。」
それに答えて主は、私と話していた御使いに、
恵みのことば、慰めのことばで答えられた。
(ゼカリヤ1:13)

エルサレムの人々は捕囚となり
東方の国に連れて行かれました。
70年が過ぎ、やっと故郷に戻ることができました。

エルサレムに戻れても
かつての栄光は去っていました。

預言者ゼカリヤはその頃に幻を見て
主の使いが主と話している姿に接しました。
エルサレムとユダの町に
あわれみを施してくださいと願っていました。

主は、次のように恵みのことば、
慰めの言葉で応答されました。

エルサレムの人々を愛している。
ねたむほどに愛している。
主の宮は立て直される。
町々に良いものが満ち溢れる。

この言葉は私たちにも適用できます。
今のままの私を主は愛しておられる。
私は、主によって立て直される。

主の言葉は、恵みと慰めの言葉です。


2023/04/28

息子の資格ありません

立って、父のところに行こう。
そしてこう言おう。
「お父さん。私は天に対して罪を犯し、
あなたの前に罪ある者です。
もう、息子と呼ばれる資格はありません。
雇い人の一人にしてください。」
(ルカ15:18~19)

主イエスが語られた「放蕩息子」のたとえ話です。
父からもらった財産を使い果たした息子が、
飢饉に巻き込まれ、劣悪なバイトで苦しみ、
我に立ち返った場面が今日の聖句です。

彼は自分の愚かさと、罪深さに気づきました。
ごめんなさいを言おう。きちんと伝えよう。
天に対して、神に対して罪を犯した。
お父さんに迷惑をかけた。ひどい親不孝をした。
息子と呼ばれる資格はありません。

ごめんなさいを言うことが
関係修復の第一歩になります。

悔い改めて、ボロボロの心になって主の前に立つ時に
父なる神の温かい腕が私たちをおおってくれます。
まことの神は罪びとを抱きしめて迎えて下さる方です。


あなたは雇い人ではない。わたしの子だ。
神はそう言って下さいます。

2023/04/27

宝の民

あなたは、
あなたの神、主の聖なる民だからである。
主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、
ご自分の宝の民とされた。
(申命記14:2)

「うちの子はまったくダメで、
本当にしょうがないね」
日本のお母さんが良くこう言いますね。

アメリカの親は、
「あなたの事を誇りに思うよ」と
人の見ている前で言います。
その子供と二人だけの時も心を込めて言います。

言われた子供は嬉しそうです。

私たちの神も言ってくれます。
あなたを選んだ。
あなたは聖なる民となった。
あなたは私の宝だ。

神は私たちの存在を喜んでおられます。


2023/04/26

実にキリストは

実にキリストは、
私たちがまだ弱かったころ、
定められた時に、
不敬虔な者たちのために死んでくださいました。
(ローマ5:6)

若い時は生意気です。
先輩や親がアドバイスしても耳を傾けません。
結局は失敗して、助けてもらっても懲りず、
何度も道を外れて迷惑をかけます。

最後にはあきれられて、
箸にも棒にも掛からないと言われてしまいます。

その箸にも棒にも掛からない者が
私であり、あなたなのです。

「実に」という言葉には
主イエスの十字架に対する
大きな驚きが込められています。

不敬虔で、右も左も分からず、汚れた私が、
悔い改めの兆候もなく、
傲慢で自分の道を勝手に進んでいた時に
主イエスは十字架にかかってくださいました。

主イエスの愛は計り知れません。ありがとう、イエスさま。


2023/04/25

口を土につけよ

それを負わされたなら、
ひとり静まって座っていよ。
口を土のちりにつけよ。
もしかすると希望があるかもしれない。
自分を打つ者には頬を向け、
十分に恥辱を受けよ。
(哀歌3:28~30)

人は人生で何度か厳しいところを通ります。
それが若い時なら、かなり辛い経験になります。

避けられないくびきを背負わされたら、
腹を決めて座り込むくらいの覚悟が必要です。
口を土につけるほどの屈辱があるかもしれません。

これが苦しみの底だと達観できれば、
潮目が変わります。
あとは浮かぶだけです。

ひとり静かに座ってみましょう。
神を前に置いて、静まってみましょう。
主の臨在と主のご愛があなたを包み、
希望の光が差し込んでくることでしょう。

すべてに終わりがある。希望は決して消えない。

人が若いときに
くびきを負うのは良い。(27節)



2023/04/24

2年間

パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、
訪ねて来る人たちをみな迎えて、
少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、
神の国を宣べ伝え、主イエスのことを教えた。
(使徒28:30~31)

使徒の働き1章を読むと分かりますが、
主イエスは復活された体を多くの弟子達に見せ、
神の国について教えられました。
今日の聖句は、使徒の働きの最後の文章です。
パウロが神の国について教え、主イエスのことを語り続けた事から
使徒の働きを貫くテーマが同じだと分かります。

パウロがローマに到着し裁判を待っている時期は、
家からは出られませんが、
比較的多くの自由が与えられていました。

求道心のある人は
パウロの所に出かけて行って
主イエスの話を思う存分に聞けました。

待機中という立場であっても、何かすることができます。
今、中途半端なポジションの人がいますか。
そんな時でも主のお役に立てます。

人を迎える心のゆとりを持ちたいですね。
いつでも福音を語りましょう。



2023/04/23

すでに世に勝った

これらのことをあなたがたに話したのは、
あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。
世にあっては苦難があります。
しかし、勇気を出しなさい。
わたしはすでに世に勝ったのです。
(ヨハネ16:33)

マイクロバスをチャーターし、多くの教会員と共に
遠方に嫁ぐ青年の結婚式に出かけたことがあります。
帰り道の高速道路でバスが蛇行したので困惑しました。
私は、バス会社の運転手の横に移動して
世間話をして彼の眠気を覚まし、
次のサービスエリアで休憩してもらいました。
手帳に遺書を書いた人がいたくらい危なかったのです。

世にあっては
色々な苦難があります。

でも、主イエスは言われました。
勇気を出しなさい。
そして、付け加えて言われました。
わたしは既に世に勝ったと。

15対3で負けている試合であっても結果は決まっている、
必ず勝つと主イエスは言われるのです。

死に打ち勝たれた勝利者
イエスさまからの励ましの言葉です。

主イエスの存在と言葉が
私たちの心に平安を与えてくれます。

あなたも勝利者です。


2023/04/22

動揺しない

約束してくださった方は真実な方ですから、
私たちは動揺しないで、
しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。
(へブル10:23)

今、心がぐらついていますか。
まさかの出来事で動転していませんか。
しっかりしましょう。

私たちは、空に浮かんだ凧のように
フラフラすることがあります。
大波に翻弄される舟のような時もあります。

思い出して下さい。
主イエスは誰よりも真実な方です。
そのイエスさまが、凧の糸をしっかり握っておられます。
重い錨となって舟が流されないようにして下さいます。

あたふたしない!動揺しない!
よみがえられた主イエスを見上げるのです。
しっかりと希望を告白し続けましょう。

2023/04/21

唇の実

彼の道を見たが、
それでもわたしは彼を癒す。
わたしは彼を導いて、
彼とその嘆き悲しむ者たちに、
慰めを報いる。
わたしは唇の実を創造する者。
平安あれ、遠くの者にも
近くの者にも平安あれ。
わたしは彼を癒す。
─主は言われる─
(イザヤ57:18~19)

神に背き、神を捨て、
自分勝手な道を歩んだ者がいました。
それでも主は彼を愛し、
傷を癒そうとされました。

主は慰め主、癒し主、
平安を与えるお方です。

この場合、彼と呼ばれているのは
イスラエルの民でした。

エルサレム陥落と捕囚の苦しみを
人々は経験しました。

主は未来を見るお方です。
人々の唇に果実がみのる時が来ると言われました。
彼らの口に感謝と賛美という果実が実る日が来るのです。

遠くの者にも近くの者にも平安あれ。


2023/04/20

信仰と希望は

あなたがたは、
キリストを死者の中からよみがえらせて
栄光を与えられた神を、
キリストによって信じる者です。
ですから、あなたがたの信仰と希望は
神にかかっています。
(第一ペテロ1:2)

希望とは、私の外にあるものです。

普通、自分の中にある可能性を信じて人は生きていますが、
第一志望の入学試験に落ちることもあるし、
大好きな人に振られてしまうこともあります。

私たちの希望と信仰は
神にかかっています。

私たちの希望は、
主イエスの十字架と復活という事実に立脚しています。
その主イエスは今も生きておられ、
私たちに希望を与え続けておられます。

主イエスは死に打ち勝ち
栄光の復活を遂げられました。
私達の希望の土台は何と強固なことでしょう。

神が差し出してくれる希望があるので
私たちは、推進力を持って生きていけます。
主よ、希望を感謝します。




2023/04/19

声を聞かれる主

死の綱は私を取り巻き
滅びの激流は私をおびえさせた。
よみの綱は私を取り囲み
死の罠は私に立ち向かった。
私は苦しみの中で主を呼び求め
わが神に叫び求めた。
主はその宮でわたしの声を聞かれた。
御前への叫びは、御耳に届いた。
(詩編18:4~6)

太い綱でしばられたら
私たちは身動きができずに苦しみます。
濁流に落ちたら
どんなにもがいても流されてしまいます。

脱出の道を見失うほどの困難が人生に何度かあります。

苦しみ、もがき、平安を失い、
自分らしさも、信仰も消えそうになります。

不安と混乱の中で主に叫び求めるうちに、
きよい静けさがただよう主の宮のイメージが目に浮かび、
私の声が主に届いた事が分かります。

私たちの心のEメールボックスに
主からのレスポンスがやってきます。
聞いたよ。届いたよ。待っていなさい。
あなたの声は必ず主に届きます。



2023/04/18

罪が赦された

子どもたち。
私があなたがたに書いているのは、
イエスの名によって、
あなたがたの罪が赦されたからです。
(第一ヨハネ2:12)

ヨハネは、
子どもたち、父たち、幼子たち、若者たちと呼び掛け、
全年齢の人に福音の恵みを語りました。
ヨハネが開口一番に語りたかったのは
罪の赦しでした。

自分の罪の深さに気づくなら
失意とみじめさの穴の中に落ち込んで
自分では出てこられない絶望状態になります。

そんな時、一条の光が差し込みます。
主イエスの御名が希望の光だからです。

十二弟子が次々に殉教していく中で
高齢になってもヨハネは用いられました。
そのヨハネが、主イエスの下さった最大の恵みが
罪の赦しだと語っているのです。

主よ、私のようなものを赦してくださり、本当にありがとうございます。

 

2023/04/17

空の鳥を見よ

空の鳥を見なさい。
種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。
あなたがたはその鳥より、
ずっと価値があるではありませんか。
(マタイ6:36)

すずめが畑に種を蒔いている姿を見た事はありません。
鳥は働いているのでなく、始終食べているのです。

人間の心は繊細で、
電気代が上がり、物価が上がるというニュースを見ると
急に預金通帳を調べます。

生命保険に入っていないと気づくと
明日死ぬのではないかと気に病むのです。
健康診断を受け、医者が暗い顔を見せただけで
私は癌に決まっていると思い込みます。

人間は皆、心配製造工場です。
自分で作った心配で落ち込んでしまいます。
イエスさまは私たちの弱点をよく知っておられます。

空の鳥を見よ。
わかりやすいフレーズで、主イエスは
私たちの視点を変えて下さいます。

鳥を養っておられる天の神は
必ずあなたを養い守ってくださいます。

心配症の人よ、今日は鳥たちを見ることにしましょう。

2023/04/16

一つのこと

一つのことを私は主に願った。
それを私は求めている。
私のいのちの日の限り、
主の家に住むことを。
主の麗しさに目を注ぎ
その宮で思いを巡らすために。
(詩編27:4)

私たち人間の心を満たしてくれるものが
いくつかあります。

願いがかない、困難を乗り越え、愛し愛され、
努力が報われると私たちは嬉しくなります。

それだけでなく、
私たちの魂には人間本来の根源的な求めがあるのです。

私たちの造り主、神と直接つながることです。
主の麗しさに触れたいと望んでいるのです。

アルプスを見たら、ナイアガラの滝を見たら、
オーロラを見上げたら、氷河の崩落を見たら、
私たちは言葉を失うほど感激します。

主の宮で、主の麗しさを仰ぎ見る。
その時は、時間を忘れ、感激に満ち、
きよさと愛と栄光に包まれ、
心がいやされ、涙と笑顔がいり交じり、
賛美と感謝が自然にあふれ出ることでしょう。

いのちの日の限り、
主の家に住み、主の麗しさに目を注ぎたい。

あなたも、そう思うでしょ。



2023/04/15

みんなを外に出す

中に入って、彼らにこう言われた。
「どうして取り乱したり、泣いたりしているのですか。
その子は死んだのではありません。
眠っているのです。」
人々はイエスをあざ笑った。
しかし、イエスは皆を外に出し、
子どもの父と母と、
ご自分の供の者たちだけを連れて、
その子のいるところに入っていかれた。
(マルコ5:39~40)

会堂管理者ヤイロは娘のいやしを求めて
主イエスの足もとにひれ伏し、
主イエスは彼の家に同行されました。

家に到着すると、
若くして亡くなった少女を哀れに思い
多くの人々が涙に暮れていました。

少女は死んだのではなく眠っているのだと
主イエスは言われました。
人々は泣くのを止めて主イエスをあざ笑いました。

悲しみが吹き飛び、冷たい空気が流れる中で
主イエスは何をされるのでしょう。

少女の心やその後の事を配慮して、
主は父母と3人の弟子だけを連れて部屋に入り、
少女を呼び起こし、命を戻してあげました。

あざ笑う人々の中であっても主は動じる事なく
心を励まし希望の光を灯してくださいました。
主はあなたにも「取り乱すな」と言って下さいます。

2023/04/14

残務整理

私があなたをクレタに残したのは、
残っている仕事の整理をし、
私が命じたとおりに
町ごとに長老たちを任命するためでした。

(テトス1:5)

他の人が始めた仕事を、継続、管理、終了する
残務整理をする人は世の中にたくさんいます。

テトスはクレタ島に残り、主な町の教会に
長老を選んで任命するよう命じられました。
長老(=牧師)の資質リストもパウロは書き添えています。

残された仕事といっても
教会の未来に関わる重大な役割でした。

教会のリーダーを決める責任はとても大きく、
テトスも祈りながら選んでいったことでしょう。

あなたは、誰かから仕事を任せられたのなら
それは信頼されている証拠です。

「残っている仕事」を
主の力を頂いて立派に成し遂げましょう。

2023/04/13

苦難の日に

苦難の日に
主があなたにお答えになりますように。
ヤコブの神の御名が
あなたを高く上げますように。
(詩編20:1)

苦難の日、
私たちは元気がなくなります。
好物がおいしいと感じないし、
楽しいはずのテレビ番組も笑えません。

問題の全体像が見えないし、
どうして気落ちしているかも分からず、
祈りの焦点がぼけて、うまく祈れません。

そんな時は、家族に正直に話したり、
信頼できるクリスチャンに相談しましょう。
聞いてくれて、祈ってもらえるだけで慰められます。

苦難の日に、主があなたの祈りに答えて
心に励ましを与え、みことばを下さいますように。

「ヤコブの神」という言葉には特別な意味が含まれています。

自分勝手で人を押しのけるようなヤコブは
欠点の多い人で、苦労も人一倍経験したのですが、
神はそのヤコブを見捨てず、
ヘルプして、成長させ、守ってくださいました。

弱い者を見捨てないヤコブの神が、
今日、あなたと共にいてくださいますように。
苦難の日にあなたに脱出の道を開いて下さいますように。



2023/04/12

豊かになっても

気をつけなさい。
私が今日あなたに命じる、
主の命令と主の定めと主の掟を守らず、
あなたの神、主を忘れることがないように。
あなたが食べて満ち足り、
立派な家を建てて住み、
あなたの牛や羊の群れが増え、銀や金が増し、
あなたの所有物がみな豊かになって、
あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を
忘れることがないように。
(申命記8:11~14)

イスラエルの民は荒野で長い年月
テント生活を続けてきました。
今、ヨルダン川の東側に到着し、
約束の地に入ろうとする段階になりました。

そのタイミングで、モーセは警告しました。
豊かになった時に主を忘れるなと。

イスラエルの民がみな貧しかったので
豊かになるなど想像できない時でした。

困難な時は、自然に主に助けを求めます。
豊かになった時のほうが主から離れやすいのです。

豊かさは、高ぶりを連れてきます。
有名、成功、出世の背後にある危険に気をつけましょう。
豊かになる前に心を引き締めておきましょう。

実るほど頭を垂れる稲穂かな。







2023/04/11

御国と忍耐

私ヨハネは、あなたがたの兄弟で、
あなたがたとともに
イエスにある苦難と御国と忍耐にあずかっている者であり、
神のことばとイエスの証しのゆえに、
パトモスという島にいた。
(黙示録1:9)

歳を重ねたヨハネは、使徒であることを強調せず、
同じ主にある兄弟にすぎないと謙虚に述べています。

その上で、あなたがたと同じように
主イエスのための苦難や忍耐にあずかっていると述べました。

ヨハネの苦しみは普通のクリスチャンが経験しない過酷なもので、
外界から切り離された島流しの刑でした。

神の言葉を伝えたがゆえの苦難でした。
自分が目撃した主イエスをあかししただけで
パトモスという小さな島に閉じ込められました。

ヨハネは対局的な視点を持っていました。
苦難だけでなく、御国にあずかっていると述べました。

ヨハネには御国を体験してきた実感がありました。
主イエスの苦難と忍耐に近づいてきた事を光栄に思っているのです。

神の国に生き、御国建設に携わりましょう。

2023/04/10

みことばを行う

みことばを行う人になりなさい。
自分を欺いて、
ただ聞くだけの者となってはいけません。
(ヤコブ1:22)

スポーツでも音楽でも料理でも、
自分はやらないけど
見たり、聞いたり、食べたりするのが好きです、
という人はたくさんいます。
批評家になれるくらい詳しい人もいます。

けれども、本当に理解したいなら
実際に自分がやってみることが一番です。
下手でもいいからボールを蹴ったり、
楽器を弾いたり、フライパンを握ってみましょう。

聖書についても同じことが言えます。
聖書解釈の本をたくさん買って本棚にそろえても
実際の生活には何の役にも立ちません。

お年寄りの荷物を持ってあげましょう。
ベビーカーを電車に乗せてあげましょう。
ドアを開けてあげましょう。その方が愛を学べます。

福音を語ってみましょう。
教会に誘ってみましょう。
祈ってあげましょう。

みことばは、私たちの生活を変えます。



2023/04/09

日曜日の夕方

これらのことを話していると、
イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、
「平安があなたがたにあるように」と言われた。
彼らはおびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った。
そこで、イエスは言われた。
「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを抱くのですか。
わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。
わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。
見て分かるように、わたしにはあります。」
(ルカ24:36~39)

復活した主イエスを目の前にしているのに、
十二弟子の様子が変です。

イエスさまを見て幽霊だと勘違いし震え上がっています。

平安があるようにと主イエスが言われても
弟子たちは平安とは正反対の状態に陥りました。
イエスさまはそれを見てがっかりされたでしょう。

幽霊のたぐいではない。ほら、触ってごらん、肉も骨もある。
主イエスの復活は人の理解を超えた完全な復活なのです。

イエスさまは何度か復活の予告をしておられましたが、
弟子たちの耳にはまったく入っていませんでした。

主イエスは、私たちの人生にも同じことをされます。
予想をはるかに超えた素晴らしい事が待っています。
絶望の淵にある人を希望の高嶺に引き上げてくれます。

主イエスはよみがえられました。
確かな肉体を持ち、時空を超える体となり
栄光の姿となってよみがえられました。
罪は赦され、死に勝利されたのです。ハレルヤ。

2023/04/08

御子なのに

キリストは御子であられるのに、
お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、
完全な者とされ、
ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、
メルキゼデクの例に倣い、
神によって大祭司と呼ばれました。
(へブル5:8~10)

神が人となってくださったクリスマス。
それだけで、感謝の念が生まれます。
主イエスの謙虚さ、貧しくなられた尊さを考えると
心が痛むほどの感動に包まれます。

主イエスの謙遜な姿は、誕生だけではなく、
その生涯全体にわたるものでした。
神の御子であられる方なのに、
様々な苦しみによって従順を学ばれ、
人の心を理解する真の大祭司となってくださいました。

十字架にかかって下さりありがとうございます。

主イエスの苦しみが私たちに慰めをもたらし、
主イエスの傷が私たちを癒してくれました。

釘痕の残る手を私たちの肩にかけ、
心配いらないと
主イエスが言ってくださるだけで
私たちは勇気が出ます。

私たちの受ける苦しみさえ、
何か良いものに変わると
予感させてくれます。



2023/04/07

賜物の基本

語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、
奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、
ふさわしく奉仕しなさい。
すべてにおいて、イエス・キリストを通して
神があがめられるためです。
この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。
(第一ペテロ4:11)

すべての人は何らかの賜物を主から頂いていますが、
賜物の種類は人それぞれです。

ただし奉仕をする時の基本は同じです。

基本その一。
神が備えてくださった力で奉仕します。
だから、上手にできても自慢になりません。
努力すら上からもらったものです。

基本その二。
奉仕には最終目的があります。
神の栄光があがめられるためです。
だから奉仕には優劣もライバルも存在しません。

人に見られて称賛される奉仕もありますが、
誰にも知られない目立たない奉仕もあります。
それでも基本はまったく同じです。

今日も神の備えて下さった力に感謝しましょう。
目を閉じ、神の栄光をイメージしましょう。



2023/04/06

信頼できる神

あなたは、あなたの神、
主だけが神であることをよく知らなければならない。
主は信頼すべき神であり、
ご自分を愛し、ご自分の命令を守る者には
恵みの契約を千代までも守られる。
(申命記7:9)

転居すると、しばらくは手探り状態で
周囲の人がどんな方かを見定めていきますね。
入学も就職も最初はそんな感じです。
そのうちに信頼できる人が分かります。

信頼できる人がいるか、いないか、
それだけで人生はまったく違ってきます。

神は、信頼できる方です。
だからこそ神と呼べるのです。

聖書の神は、私たちを愛すと宣言されました。
恵みを千代にわたって注ぎ
契約を守ると言ってくださいました。

信頼できる神、
裏切らない神。
決して変わらない神をたたえます。


2023/04/05

取り去るのではなく

わたしがお願いすることは、
あなたが彼らをこの世から
取り去ることではなく、
悪い者から守ってくださることです。
(ヨハネ17:15)

十字架前夜、主イエスは十二弟子に大切な事を教えた後に、
彼らのために祈りました。

十二弟子は主イエスが地上を去った後に、
様々な試練に巻き込まれることが予想されました。
主イエスは彼らが苦しみに遭わないように
天に引き上げることもおできになりました。

けれども、主イエスの祈りは違いました。
苦難からの救出ではなく、
苦しみの中で立ち続けられるようにと祈られました。

十二弟子は、主イエスという名のボートに乗って、
沖に漕ぎ出すような人生に入ったのです。
困難という水に取り巻かれても決して沈まず、
恐れずに目的地まで進む。
そんな強靭なハートを持つ十二弟子に育つと
主イエスは信頼しておられたのです。

主よ、困難から脱出させてください。
そうでないなら、
鉄壁の守りとライオンハートをお与え下さい。

2023/04/04

新しく生まれる

イエスは答えられた。
「まことに、まことに、あなたに言います。
人は、新しく生まれなければ、
神の国を見ることはできません。」
(ヨハネ3:3)

パリサイ人のニコデモは
真摯な心で主イエスを尋ねて来ました。
自分が今まで学んだ事の中には
何の救いも解決もないと気づいていたのです。

主イエスはずばりと言われました。
新しく生まれることが必要だ、
そうでなければ、神の国を見ることはできないと。

勉強しても、瞑想しても、出口はない。
律法を厳守しても、断食しても、罪の赦しはないのです。

主イエスを信頼するなら
聖霊によってすべてが新しくされます。
これが良い知らせ、福音です。

ニコデモが想定していた次元と
まったく異なる世界を教えられたので
きっと彼は目をパチクリしていたことでしょう。

誰でも新しく生まれることができます。
主イエスが開いて下さった新しい世界があるのです。

2023/04/03

十字架を伝える

しかし、私たちは十字架につけられた
キリストを宣べ伝えます。
ユダヤ人にとってはつまずき、
異邦人にとっては愚かなことですが、
ユダヤ人であってもギリシア人であっても、
召された者たちにとっては、
神の力、神の知恵であるキリストです。
(第一コリント1:23~24)

時代が変わり、科学が進歩し、
伝達方法が発達しても、
福音の中身は愚直なまでに同じです。

十字架につけられたイエス・キリストを
語り続けることが教会とキリスト者の使命です。

主イエスは私たちの罪を背負って
身代わりの死刑をお受けになり、
死に打ち勝ち、罪の赦しの完了を証明するため
よみがえって下さいました。

当時のユダヤ人には律法と儀式があり、
ヨーロッパ人には人間の知恵、哲学の蓄積がありました。
彼らからすれば、十字架と復活の話を聞いても知的興味は生まれず、
あざけりや無視という反応になったでしょう。

そうであっても、パウロは、福音を伝えました。
社会の反応は今とまったく同じです。
十字架と復活は神の力、神の知恵なのです。
このキリストを伝えましょう。

2023/04/02

みんなで休もう

七日目は、あなたの神、主の安息である。
あなたはいかなる仕事もしてはならない。
あなたも、あなたの息子も娘も、
それにあなたの男奴隷や女奴隷、牛、ろば、
いかなる家畜も、また、
あなたの町囲みの中にいる寄留者も。
そうすれば、あなたの男奴隷や女奴隷が
あなたと同じように休むことができる。
(申命記5:14)

安息日は仕事を休みなさい。
これは十戒の中にある大切な命令でした。

今日の聖句は、あなたが休むだけでは不十分で、
子供もちゃんと休めるように、
また、奴隷や家畜も休ませなさいという趣旨です。

休日や休暇で家族がホリデーモードになっても
お父さんが家に仕事を持ち込むと、
家族の心は休まりません。

家族みんなが、従業員全員が、バイトの若者も、
休息を取れるように配慮しましょう。

特に一家の主婦は、家事労働と休息の境目が曖昧で
年がら年中残業状態になりやすいものです。

主イエスは私のところに来て休みなさいと言われました。
その言葉でどれだけ多くの人がいやされたでしょう。
私たちも、誰かを休ませることのできる人になりたいですね。


2023/04/01

雲に乗って

しかし、イエスは黙ったまま、
何もお答えにならなかった。
大祭司は再びイエスに尋ねた。
「おまえは、ほむべき方の子キリストなのか。」
そこでイエスは言われた。
「わたしが、それです。
あなたがたは、人の子が力ある方の右の座に着き、
そして天の雲とともに来るのを
見ることになります。」
(マルコ14:61~62)

逮捕された主イエスは
死刑にするための裁判にかけられ、
大祭司が決定的な質問を投げかけました。
あなたは救い主なのか。
主イエスは、その通りとお答えになりました。

それだけでなく、主イエスは明言されました。
父なる神の右に座し、
その後に、雲に乗って再び来ると。

私たちは十字架の主イエスを良く知っていますが、
再臨の主イエスについては、
あまり知りません。

今日の箇所では、
主イエスご自身の口から
再臨の予告がされています。

私たちは、過去を振り返り、
十字架で罪赦された感謝をささげています。
それだけでなく、未来に目を向けた信仰をもてます。
再臨されるイエスさまを待ち望む信仰です。